澪「やれやれ 唯がいなくなると急に静かになるのは昔から変わらないな」

律「ああ」

それきり暫くの間、沈黙が続いた。

澪「そうだ。律」

律「なんだ?」

澪「ムギは来てないのか?」

律「ああ、あいつは家を引き継いで会社の社長になったから忙しくて街も出歩けないくらいなんじゃないか?」

澪「そうか。頑張ってるんだな」

律「だろうな。昔から真面目だったし」

澪「そうだな」

律はおでんの具材が崩れない程度に混ぜだした。

澪「ところで律、お前はなんでおでん屋をやってるんだ?」

律「んあ? 別にいいだろ。ただ普通に仕事をしてるのが性に合わなかったんだよ」

澪「そうか… 私も合わないのかもな」

律「お前な。合わない合わないって言って転々としてると後悔するぞ」

澪「なんだ、律はおでん屋になった事を後悔してるのか?」

律「いや、おでん屋はそれなりに気に入ってるよ。全く後悔しないとは言わないけどな。でも…」

澪「でも?」

律「…何でもないよ。ただ今私はこうしてここにいる。それでいいじゃねーか」

澪「そうか…」

きっと言いたくない過去もあるのだろう。澪はそれ以上は聞かないでおいた。


澪「それにしても…」

澪「私はOL 律はおでん屋 梓はミュージシャン 唯は自衛官 ムギは会社の社長」

澪「やっぱり皆、変わったんだな」

律「当たり前だ。私達もう30手前だぞ? 遊んでるだけの時代は終わったんだ」

澪「そうだよな。放課後ティータイムはもう10年以上前の事だもんな」

澪「同じ大学に入ったのはいいけど、結局学部の違いでバンド活動も疎かになって、そのまま終わったんだっけ」

律「そんな事もあったな」

律は興味なさそうにタバコに火をつけた。

澪「あの頃が懐かしいよ」

律「……」

澪「あの頃は、楽しかった…」

昔を懐かしんで、ふと上を見上げた。
そこには過去の思い出がある訳でもなく、ただ屋台の電球が煌々と光っていた。
楽しかった高校生活は、もう過去の話。
その代わりに今目の前にあるのは、あまりにも輝きのない人生。

あの頃見た夢はどうしたのだろう?
学生の頃は大人になるって事だけで輝いていたのに。
小さい頃はなりたいものだって色々あったのに。


もっと皆で、バンドやりたかったのに…。


律「澪」

澪「どうした?」

律「昔には戻れないんだぞ」

澪「…そうだな」

澪はまたバンドをやりたいって言おうかとしたが、律に先を越されてしまった。
『昔には戻れない』それは即ち放課後ティータイムには戻れないと言う事だ。

澪「やっぱり変わったんだな、律」ボソ

昔はあの空間を生き甲斐にしてたのに。

律「ん?何か言ったか?」

澪「何でもないよ」

そう言うと、澪は残った熱燗を飲み干した。

澪「律、私もそろそろ帰るよ。ごちそう様」

律「あいよ。全部で1200円ね」

これだけここで使っても、今では他で使うところもないからそこまで苦でもない。
澪は財布から5000円を差し出した。

澪「釣りはいらないよ」

律「そんなの悪いって」

澪「じゃあ次回の時の足しにしておいてくれ。…あ、でも先に唯達が来たらそっちに使ってくれ。」

律「…わかった」

律が5000円をしまったのを確認して、澪は立ちあがった。

澪「じゃあな、律」

そう言って澪は屋台を出た。

律「愚痴が溜まったらまた聞いてやるから、いつでも来いよ」

律のその発言に、澪は返事をする事が出来なかった。
せめてもの心遣いで、振り返らずに手だけ振っておいた。

澪はもう律の所へ行こうとは思わなかった。
この世界からの逃げ道を求めてあの屋台へ行きついたが、結局何処へ行っても逃げる道はなかった。
いつまでも昔の事を思ってる澪とは違って、律も、梓も、唯も、紬も皆それぞれ社会人として生活をしているのだ。
こんな私に構って遊んでくれる程、暇じゃなかった。

あの金は逃げ道はないと教えてくれた律達へのお礼に。
そして、楽しかった思い出への手向けにしたつもりだ。

これからは私もこの輝きのない世界で生きなければいけない。
その中で残りの人生はどうやって楽しもうかと考えながら、澪は空を見上げた。

秋も終わりに近くなった夜空に、満月が輝いていた。


澪「さよなら、律」

――――――

澪がいなくなった後、屋台はおでんを煮る音以外何もしなくなった。

律「…はあ」

律は店を出る辺りで澪が言った『先に唯達が来たらそっちに使ってくれ』の言葉を聞いた時、澪はもう来ないんじゃないかと思った。
だから最後に確かめてみた。

『愚痴が溜まったらまた聞いてやるから、いつでも来いよ』

この発言に対して、澪の返事は振り向く事さえなくただ手を振るだけだった。
これで確信した。澪はもうここに来る気はないと。
今だったら走って行けばまだ追いつく。そこでもう一回ちゃんと話す事も出来る。

でも…


「おーい まだやってる?」

律「お、いらっしゃい。やってるよ。何にする?」

「とりあえず玉子とこんにゃくとちくわとはんぺん。あとビールね」

律「あいよ」


そんな青春映画みたいな時代はもう終わったから、追いかけないよ。

おでんとビールを客に出した後、律は空を見上げた。

雲一つない夜空に、満月が浮かんでいた。


律「さよなら、澪」




最終更新:2010年10月05日 01:34