「……澪、悪いけど唯を持って帰っちゃっていいかしら」

「勝手にしてくれ」

 和は鼻を押さえながら、唯の襟首を掴む。

「財布置いとくから、唯のぶん抜いといていいわよ」

「せっかく会えたから今言うね。和ちゃん、子供のときからずっとずっと大好きだったよ」

 トップスピードに達したチーターのような速さの和に引きずられながら、まだ唯はなんか言っている。

「……うん」

 とりあえず私は、唯が置いていったココアに口をつける。

 なんだか胸の辺りがほっこりする。

 ホットココアはごく手軽な現実逃避の手段だ。

 お試しあれ。

「そもそもアレだな」

 いつの間にか掃除されたらしいが、わずかに残っている血痕を眺めつつ私は思考する。

「私たちが知り合いに会わないよう選んだこの喫茶店に」

「和が単独でやって来ること自体おかしいんだよな」

 つまり導き出される答えは一つ。

「和……唯をつけてたな?」

「そして、おおかたメガネがどうこう言ってるから気になって接触したら」

「ああああ唯かわいいよおおおうわあああああん……というわけか」

 ココアを飲みほして、私は和の財布を手にカバンを持つと、レジに向かった。

「540円になりまっす」

「540円……諦めかけていた恋が成就する対価としては安すぎるとは思わないか? ほれ」

「460円のお釣りになりまっす」

「とっておいていいぞ」

「いいから早く受け取れ」


――――

 またその翌日。

「どうしたんだよ」

 私はつっけんどんに言った。

 二人しかいない夕暮れの部室で、私と向き合っているのは律。

「今日の唯と和の話、澪も聞いてたよな?」

「付き合いだしたんだってな」

 私は教室で聞いた唯たちの話を最大限要約した。

 何回したとかいう報告はいらないっつうの。

「なんで興味なさそうなんだよ」

「そりゃあ興味はあるけど、詮索するようなことじゃないだろ?」

「そういう問題じゃない。唯と和が付き合いだしたってことに、何の感想も抱かないのかよ」

 律の態度は、怒っている時に似ているようにも見えた。

「……素直におめでとう、と思ってるけど」

「けど?」

「いや、別に……」

 沈黙が始まる。

 どこかでつぶれた空き缶が寒風に転がされている音が聞こえる。

「……」

「……澪、怒ってるのか?」

 どうして急にそんな話になるんだろう。

「怒ってないよ。なんで?」

「私が……澪に言わせようとするから」

 律の言っていることが、良く分からない。

 そんな強要をされた覚えはない。

「何のことだ……?」

「……もしかして澪、本当にわかってないのか?」

「さっぱりだよ」

「……桃とパインのジュース」

 律はぼそっと呟いた。

「この間、律の家に行った時に出されたな」

「それだけ?」

「それだけじゃないのか?」

 あからさまな失望の色をなした溜め息。

 しかし、表情にはどこか安堵が見られる。

「そうか、なんだ……気付いてないだけだったか」

「なにか意味でもあったのか? なら……どういう意味なのか、教えてくれよ」

 律はひとつ咳払いをして、わざわざホワイトボードにパイナップルと桃を描いた。

 なんでも形から入るのは、律の特徴と言える。

「いいかね、澪くん。まず桃といえばどんなイメージだい?」

「……繊細だよな。すぐ痛むし」

「その通り。という訳で桃とは私だ」

「……」

 うん。叩くのはオチまで待ってやろう。

「となるとパイナップルはどうだ?」

「固いイメージがあるな。表面なんかもけっこうトゲが立ってる」

「そう、さらに果肉も凶悪だ。食べまくってると舌とか切れるから気をつけるのだな」

「いてーんだよアレほんと……」

「……」

「というわけで、パイナップルは澪だ」

 だろうと思った。

「本来ならばこの二種、まったくもって相容れない」

「同じバスケットにぶち込んだりしたら、あっという間に桃ちゃんズタズタ」

 下に「みお」と書かれたパイナップルのヘタが伸びて、

 「律」と書かれた桃をブスブスと刺していく。

「そんなこともないと思うけど……」

「いや大ありだね。むしろそれ以外ない」

「なんだその自信」

「そこで私は桃とパインが共生するための究極体を考案した」

 律がホワイトボードに2つのグラスを描きこんだ。

「それでジュースか……」

 こくりと律は頷いた。

「……」

 私がパイナップルで、律が桃だとして。

 じゃあ、その置き換えはどういう意味をなすんだ?

 鍵になるのは、律が考えた、果汁100%のジュースという在り方。

「もしかして律ってさ」

 果物から甘露だけを絞り出した、果実の濃密な楽しみかた。

 それは律が私に傷つけられなくていい、私も律を傷つけなくていい方法なわけで。

 ふたりでジュースになって、甘ったるくとろけるっていうわけで。

 どんなことを示しているのか、私だって分かる。

「そうだよ」

「澪のことが好きなんだ」

 はっきりと放たれた、律の告白。

「……律」

「ごめんな。やっぱり私から伝えたかったんだ」

 律は俯いて目をそらす。

「けど、やっぱ言えなくて……それなのに澪にあんなの読まされちってさ」

「なんか、焦っちゃったっていうか。後出しでずるい気がして、言い出せなかった」

「おい。アレの意味気付いてたのか」

「ごめんごめん……流石に分からないほどバカじゃないって」

 照れ臭そうにはにかんで、律は後ろ頭を掻いた。

 そして、ふいに真剣な表情になる。

「でも、唯と和が付き合ったって聞いて……そういう問題じゃないって思ったんだ。意地張ってる場合じゃない」

「私は澪が好きだ。それから、この気持ちを抑えることもできない」

「ま、待って律!」

 律の言ったことじゃないけれど、私だってこのまま全部言わせてしまうのは忍びない。

「私も……律が好きだ! つ、付き合おう!!」

「……もちろん!」

 大好きな律の笑顔が輝いた。

 長く長く続いた我慢も、いいかげん限界だ。

「律ぅー!!」

 私は律に飛びついて、倒れこみながら律に頬ずりをした。

 今の私、なんだか唯みたいだな。

 このあと間もなく、私たちは床に叩きつけられるんだろう。

「澪ぉ……へへっ」

 けれど今だけは、この飛翔感を。


 おしまい。



最終更新:2010年10月12日 22:56