律「お、来たかムギ」
紬「皆、おはよー」
澪「なぁ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
紬「なにかしら?」
澪「えっと……」
唯「ムギちゃんって、さわちゃんと付き合ってるの?」
平沢唯はじっと琴吹紬の瞳の奥を観察する。
小石を投じた水面に、どんな波紋が広がるかを楽しむ子供のように。
紬「ええ」
短く答えた琴吹紬は、どこまでも毅然としていた。
律「えぇえっ!?」
澪「ばかっ、静かにしろ!」
渦中の琴吹紬との会話に鋭く聞き耳を立てる幾人かが、田井中律の悲鳴めいた驚愕に反応する。
紬「出来れば、けいおん部だけの秘密ってことにしてほしいわ」
澪「それはいいんだけど、こんなメールが昨夜回ったんだ」
件のメールを見せる秋山澪。
紬「あらあら、どうして分かっちゃったのかしら。とっても不思議」
律「そんな悠長なこと言ってて大丈夫なのか? 立場上、さわちゃんにしたら色々とまずいだろ」
紬「うん。そうかもしれない」
唯「懲戒免職とかね?」
紬「先生は言ってくれたの。全部ぜんぶ大丈夫だって」
唯「ふぅん」
平沢唯はつまらなそうに目を細めた。
噂は広まり、幾名かの教職員の知るところとなったが、
生徒たちのチェーンメールが情報の出所ということもあり、職員会議に掛けてまで
真相を確かめようという動きは起こらなかった。
放課後。
音楽室にはけいおん部員と顧問が勢揃いしていた。
さわ子「あー、何から話せばいいのかしら……」
律「じゃあ二人の馴れ初めから!」
さわ子「そういうことじゃなくて……。あなた達、同性愛に抵抗はないの?」
律「まーそれは人それぞれってやつじゃん。身近な人ってのが今回は驚きだけどな」
澪「私も律と同じ気持ちだ」
唯「全然普通だよねー、あずにゃん!」
梓「そこで抱き着かれると反応に困りますってば!」
紬「えっと、私達が最初に仲を深めたのは――――」
澪「真面目に馴れ初めを語らなくってもいいぞムギ!」
紆余曲折をさくさくと説明する琴吹紬。
さわ子「ってなわけで、今まで内緒にしててごめんなさい」
紬「ごめんなさい」
律「いいんだよ。言いづらいのもあったろうし」
唯「二人はこれから、どうするの?」
平沢唯が切り込む。
さわ子「交際を続けるわ」
唯「言わなきゃいけないから言うけど、けいおん部の顧問はさわちゃんなんだよ?」
さわ子「それは……」
唯「二人の関係が明るみに出たら、けいおん部の存続も危ういかもしれない」
唯「皆にも迷惑をかけるかもしれない。それでも、付き合い続けるの?」
核心を突いた平沢唯の言葉に、ひどく動揺する
山中さわ子。
紬「……唯ちゃん、それに皆。ごめんなさい。私、さわ子先生がどうしようもなく好きなの。
皆に迷惑をかけたっていいって思ってしまうくらいに」
澪「ムギ……」
紬「けど、けじめはつけたいの。私は退部する覚悟だってあるし、それに―――」
律「ムギっ! 辞めるなんて馬鹿なこと言うんじゃねぇよ!!」
田井中律の激怒に琴吹紬は気圧される。
紬「ご、ごめんなさい……わたし、そんなつもりじゃ」
澪「……ムギがさわ子先生を好きだって気持ち、よく分かった。私は、良いよ。
二人のことでけいおん部がなくなったりしても、放課後ティータイムはなくならないじゃないか」
梓「わ、私も。ムギ先輩とさわ子先生を応援します!」
顔を見合わせて、思わず微笑む山中さわ子と琴吹紬。
律「そうだ。放課後ティータイムはなくならない。バンドは部活じゃなくても出来る。そうだよな、唯?」
唯「……なんで、さわちゃんなの?」
澪「唯?」
唯「なんで……なんで?」
紬「さわ子さんはさわ子さん、だから」
琴吹紬は静かに言った。
梓「唯先輩……?」
平沢唯は誰の目にも不可解な涙を流していた。
何故泣いているのか、知っているのは平沢唯と琴吹紬だけだった。
紬「……唯ちゃん、お茶にしない? 今日はフルーツタルトを持ってきたの」
唯「……うん、うん!」
山中さわ子と琴吹紬の関係がけいおん部の公認となってから約一ヶ月後。
山中さわ子宅。
紬「どうしてこんなものがあるんですか『山中先生』?」
普段通りの笑顔で詰問する琴吹紬。
だがその声はどこか冷たさを孕んでいる。
さわ子「む、ムギちゃん……どこからそれを」
紬「少し押し入れを掃除していたら、出てきたんです」
さわ子「そう、そうなの。ふふふ」
山中さわ子は何かに気付いたように笑った。
剣呑な雰囲気の中、何故か二人とも笑顔になるという妙な状況が出来上がった。
さわ子「それを見て、どう思った?」
紬「質問したのは私です。答えてください」
さわ子「それが私の思い出だからよ」
山中さわ子は悪びれる様子もなく言う。
紬「……私では、駄目ですか?」
さわ子「えっ?」
紬「私は……さわ子さんの思い出の代わりにはなれませんか?」
さわ子「そうは言ってないわ。私が今見ているのは貴方だけだもの」
紬「でも、昔の写真まで大切にして……」
さわ子「私がムギちゃんとどんな別れ方をしても、ずっと大事な人であることと同じよ」
山中さわ子はそこまで言ってから、まずい、と直感した。
琴吹紬の目には、今にもこぼれ落ちそうなくらいに涙が浮かんでいる。
さわ子「ご、ごめんなさい、私―――」
何事か言いかけた山中さわ子の手を振り払って、琴吹紬は部屋を飛び出した。
平沢家。
インターフォンを鳴らす琴吹紬。
憂「はーい。紬さん、こんにちは。どうしました?」
紬「憂ちゃん。その、折り入ってお願いがあるんだけど……」
憂「じゃあ中へどうぞ。今、お茶入れますね。おねーちゃーん、紬さんが来たよー」
唯「おおぅ、ムギちゃん! さあさあ上がって!」
紬「お邪魔します」
居間のテーブルを三人で囲む。
憂「それで、お願いというのは何のことですか?」
紬「憂ちゃんには言ってなかったことなのだけど、私は今さわ子先生の家にお世話になっているの」
憂「あ、お姉ちゃんから聞きました」
紬「そ、そうなの?」
唯「うん。憂はとっても口が堅いから、二人のこと話しちゃった。勝手だったかな」
紬「大丈夫。それでね、今日、ちょっとしたことから先生とケンカして……一方的に飛び出して来ちゃったの」
唯「ええっ!?」
憂「そうなんですか……」
紬「そんなわけで、今晩ちょっと泊めてくれたらなって。それが私のお願い」
唯「さわちゃんとムギちゃんがケンカって……想像できないよ」
紬「私の身勝手なやきもち、のほうが適切かしら」
憂「うちは大丈夫ですけど、先生が心配しちゃうんじゃないでしょうか」
紬「確かに、あの人心配性っていうか、依存しやすいところあるから……」
唯「たまにお灸を据えるくらいでさわちゃんは丁度いいんだよ。気兼ねなく泊まってって!」
紬「そうね……。ありがとう」
夕飯時。
唯「そういえば、ムギちゃんの家に帰ろうとは思わなかったの?」
紬「実は……さわ子先生の家に住むのは、お父さんの試験だったの」
憂「試験、ですか?」
紬「ええ。一ヶ月間一緒に生活出来れば、さわ子先生が私に相応しい証明になるでしょうって」
唯「やっぱ、ムギちゃんちは違うなー」
紬「変わってるかしら?」
唯「一段上って感じかな」
憂「試験はどうなっちゃうんですか?」
紬「分からないけど……反対されても、絶対に一緒に居たいわ」
唯「そう、なんだ」
どことなく寂しそうな表情の平沢唯。
夕食後。
憂「お風呂、お先にどうぞ」
紬「ありがとう、憂ちゃん。ご飯もとっても美味しかったわ」
憂「今日は珍しく、お姉ちゃんも夕食の準備を手伝ってくれましたから」
言った後で、はっとしたような表情を浮かべる
平沢憂。
憂「め、珍しいっていうのはその、いつも手伝ってくれないとかって意味じゃなくて、えっと……」
出来た妹だ、と思ってつい微笑んでしまう琴吹紬。
紬「そんな風には思ってないわ。じゃあ、お先にね」
入浴中。
琴吹紬は思案顔で考えを転がす。
紬(唯ちゃん……私を家に泊めてくれた唯ちゃん)
紬(さわ子さんとの関係に、一番強く意見してくれた唯ちゃん……)
紬(私のために、普段しない料理をふるまってくれた唯ちゃん……)
唯「ムギちゃーん、背中流そっか?」
浴室の外から平沢唯が声をかける。
紬「うふふ。そこまでお客様じゃ、かえって気疲れしちゃうわ」
唯「そう。何か切れてたら言ってねー!」
平沢唯の足音が離れていく。
紬(……私に構ってくれる、唯ちゃん)
二十分後。
濡れた髪の水気をタオルで取りながら、琴吹紬がリビングへ現れる。
紬「良いお湯加減でしたー」
唯「あ、ムギ……ちゃん」
惚けたように琴吹紬に見入る平沢唯。
憂「次はお姉ちゃんでいいよ」
唯「……う、うん! 入ってくる!」
リビングをそそくさと出ていく。
紬「……唯ちゃんって、不思議」
憂「今のは、照れていたんだと思いますよ」
紬「照れる……って?」
憂「それは、」
一息ついて、平沢憂は少し困ったように眉尻を下げて言った。
憂「紬さんが考えることですよ」
就寝前。
客用の布団が平沢唯の部屋に敷かれる。
唯「皆でトランプでもしよっか!」
憂「もうこんな時間だよ? 明日にしようね、お姉ちゃん」
唯「ぶーぶー、憂のしっかり者めー」
紬「ふふふ」
腰を上げて、平沢唯の部屋から出ていく平沢憂。
憂「それじゃあ、お姉ちゃん、紬さん、おやすみなさい」
唯「おやすみー」
紬「おやすみ、憂ちゃん」
パタン、とドアが閉まると静寂の帳が落ちる。
唯「……電気、消すよー」
紬「うん」
パチリ、と平沢唯の部屋は暗くなる。
唯「……こうやって二人っきりなのって、新鮮だね」
紬「そうね。生まれて初めて、こんなふうに過ごしてるかも」
唯「……さわちゃんとは?」
紬「さわ子さんは、恋人だから」
沈黙。
後、琴吹紬が静かに切り出す。
紬「唯ちゃんに一つ、お願い」
唯「なに?」
紬「膝枕させて」
唯「えっ……。うん、いいよ」
平沢唯がベッドの上で起き上がる。
琴吹紬が後ろから平沢唯を包むような姿勢で、ベッドに腰掛ける。
唯「痛くない?」
紬「大丈夫よ。……私、友達が寝るまで膝枕するの、夢だったの」
唯「そんなことが?」
紬「うん。唯ちゃんのお陰で、叶ったわ。さわ子さんじゃ叶えられなかったこと」
唯「ふぅん」
言葉の素っ気なさとは裏腹に、満足そうな表情で平沢唯は目を細めた。
唯「おやすみ、ムギちゃん」
紬「おやすみ、唯ちゃん」
平沢唯の唇がほんのわずかに、琴吹紬の手の甲に触れた。
翌朝。
山中さわ子宅。
紬「なにこれ……」
室内には様々な家具や日用品が散乱し、普段の小綺麗な様子からは掛け離れている。
散らかったリビングの中央で、何本かのビール缶と一緒に、山中さわ子が雑誌の束を枕にして転がっている。
山中さわ子に近づく琴吹紬。
さわ子「ぐぉー………ぐぉー……」
眼鏡はかけておらず、よほど泣いたためか、その目は幾分腫れぼったい。
紬「……先生、ごめんなさい」
琴吹紬は山中さわ子の額を、慰めるように撫でた。
おわり
百合はベタベタしないほうがベター(!)
前の方に二つくらい質問がありましたが、読み取ってもらった物から想像して頂けたらと思います。
お付き合い頂いた方、保守、諸々ありがとうございました。
最終更新:2010年10月26日 22:14