平沢唯は朝目覚めると仰天した
部屋中のありとあらゆるものに毛が生えていたのである

唯「うわぁ…部屋中が毛だらけ…」

鉛筆からギターまでありとあらゆるものに毛が生えていた

唯「えーと…鉛筆はウール、漫画はファー、ギー太は…なんだろ」

しかし彼女、平沢唯は順応能力が高く、この事態を天変地異の一つとして受け止め、毛を調べ始めた

調べはしたものの彼女の毛に対する知識などたかが知れていた
そのため、愛するギターに生えている毛が何かは分からなかった

憂「お姉ちゃん、起きてるの?ご飯できてるよー」

妹の平沢憂は姉の部屋の惨事を知る由もなく、姉に起きてくるように促した
十分に状況に馴染んでしまった姉は、妹の日常通りの声にすっかり非日常を忘れてしまった

唯「今行くよ~」

珍しい姉の早起きに妹が喜ぼうとした瞬間、妹の目には毛むくじゃらの怪物が映った

憂「きゃああああああああ!お、お姉ちゃん!助けて…!」

唯「何?憂どうしたの?」

妹が見た怪物は姉であった
唯の髪の毛は腰まで伸び切っており、彼女のパジャマも毛だらけだったのだ
それを怪物と見間違えても仕方がないだろう

憂「お姉ちゃん!?お姉ちゃんなの!?」

唯「私は私だよ?どうしたの?」

憂「お姉ちゃん、毛むくじゃらになってるよ!」

唯「へ?」

その時、初めて唯は自分の姿に気が付いた

唯「うわぁ…髪も伸びちゃったねぇ…」

憂「な、なにがあったの?お姉ちゃん…」

唯は妹に上手に説明をしたかった
だが彼女の説明のスキルはたかが知れていて、
彼女自身状況を理解していないのも相まってさながら暗号のようであった

しかし、妹の暗号解読能力はそれを上回り、妹は姉の知っている情報を全て得ることができた

憂「そっか…朝起きたら部屋中毛だらけになってたんだ…」

唯「そうそう」

憂「制服は…代えがないしなぁ…」

唯「とりあえず髪切って~、長くて邪魔かも」

憂「分かったよお姉ちゃん」

姉が朝起きたのが早かったことが登校までの時間に余裕を持たせたおかげで
彼女たちは毛を処理する時間を手に入れた

唯「はぁ~、さっぱりさっぱり!」

憂「制服の毛は取れないね、お姉ちゃんのジャージもダメだし…」

憂「とりあえず私のジャージ着ていっていいよ」

唯「ごめんね、憂」

しかし唯にとっては制服などよりもっと重要なことがあった
彼女の愛するギターに生えてしまった毛のことである

ヘッドからは髪の毛のように大量の長い毛が生え、
それ以外の部分は全体的に遠目には見えない程度の産毛が生えていた

それはまるで人間の体毛のようで、他のものよりも異常性を強く示していた

唯「あーあ、このままじゃギー太で演奏はできないかなぁ…」

できないことはない、しかしこの見栄えの悪さで本番に臨むことは難しい
ギー太を愛する唯でも、さすがにこの外見には抵抗を覚えていたのだ


澪「それで2年のジャージ着てるのか」

学校ではいつものグループでおしゃべり
普段と特に変わらない

こういう異常事態には他人が自分と同じ目に遭っていないかが気になるものだ
それは唯も例外ではなかった

しかし、学生服に毛が生えている人間などは居るはずもなく、唯は落胆した

律「まぁいいじゃん、その毛売って儲けちゃおうぜ!」

私の親友には毛の悩みを持つ人間が多いように思う
オデコと抜け毛には私の毛をプレゼントしてやりたいものだ

…とまでは思わなかったものの、唯は律のことを少々無神経に思った

唯「こっちは真剣に悩んでるんだよ~!」

紬「話は聞かせてもらったわ!私、なんとかしてみせる!」

お金持ちは偉大なもので、大体のSF的事象を『新開発』などの言葉で解決してしまう
唯は当然その便利さに期待を持った

唯「ありがとうムギちゃん!」

紬「いえいえ♪」


放課後、少女たちは本来楽器を演奏するために音楽室に集まるはずであった
しかし、唯のギターが毛だらけになってしまったせいで演奏の予定は潰れてしまった

梓「毛ぐらいなんですか!パパッと剃って練習しましょうよ!」

中野梓、彼女は一見普通の反応をしているようだが、実際は動揺を隠せないでいた

ギターから毛が生えるなんて…素人から毛が生えるなら分かるのだけど…
などと頭の中で考えているうちに、上記のような反応を反射的にしてしまったのだ

梓は言ってしまってから毛が生えたギターなんて弾きたくないということに気が付いた

唯「だって~…」

梓「すみません、今のはジョークのようなものです」

律「のようなって…じゃあなんだよ」

梓「…じゃあジョークです」

結局この日は練習などできるはずもなく、お茶会が行われた

唯「お茶美味しー」

紬「あら嬉しい♪」

律「ケーキ美味しー」

紬「嬉しいったらない♪」

このような他愛ない時間が過ぎていこうとしていた

澪「…やっぱり」

律「ん?」

澪「やっぱり私達だけでも練習しよう、唯は見ててくれ」

唯「ふも?私はいいけど?」

律「…おい」

澪「何だ?」

律「…お前はそれでいいのかよ」

律「私達放課後ティータイムは5人で放課後ティータイムなんだ!」

律「唯が抜けちゃあ…意味が無いんだ…!」

澪「はいはい、練習するぞ」ポカン

律「いって―…」

夫婦漫才が終わると、彼女たちの練習は始まった

唯は正直ギターが弾けないとなると弾きたくなってしまう類の人間であった
そのため、気持ち悪いと分かっていてもついついギターケースに手を伸ばした

そもそも毛だらけギターを持ってきている時点で演奏に対する執着心のようなものはあったのだろう

澪「唯!そんなギターで練習しなくても!」

唯「見た目はこんなかもしれないけど…ギー太はギー太だよ!」

唯「心が通じていれば…きっと…」

ビヨーン

唯「…」

毛だらけギターは弦に毛が絡まっていた

紬「大丈夫よ!明日…明日になったら私がなんとかするから!」

唯「うん…じゃあ明日まで我慢するよ…」

決死の覚悟でギターを手にしたものの、まさか音が出ないなんて思っていなかった唯は
まさに泣きっ面に蜂であった

そのまま普段は能天気な彼女はだんだんと消えてしまいそうな暗い顔になっていった

流石にそんな彼女をこのまま辛い思いをさせるわけにもいかず
そこに平沢唯を励ます会が結成された

励ます会の会長であり、部長である律は彼女を家まで送り届けた

律「じゃーなー、また明日」

唯「今日はごめんねー、じゃあまたね」

唯が自宅の扉を開けると、できた妹が出迎えた

憂「おねえちゃんおかえり」

唯「ただいまー」

妹が言うには

憂「お姉ちゃんの毛が生えちゃったものは全部剃っておいて、
  それでもダメだったやつは新しいの買っておいたよ」

ということらしい

しかし、実際に唯が部屋に入ってみると多くの物が無くなっていた
まぁ普通は物に生えてしまった毛を剃る作業など、経験があるわけではない

まして妹に与えられた時間は、姉が部活動をしている最中だけである
そんなこと、どこぞのエリート捜査員でもない限りは不可能なことであろう

唯「憂、ありがとうね!」

憂「どういたしまして♪」

平沢唯は湯船に浸かりながら考えていた
何故私の物に毛が生えてしまったのか

もちろん、考えて分かるものではない
まして彼女のような、難しいことを考えることに不向きな人間にはよけいに分からないだろう

唯「原因は…私なのかな?」

訳の分からないまま、訳の分からないものを解答に選んでしまった
彼女の思考は理解不能の海に沈んでいった

平沢唯は朝目覚めると再び仰天した
部屋中のありとあらゆるものにまた毛が生えていたのである

唯「せっかく憂が剃ってくれたのに…」

衝撃のあまり、2日連続で彼女は早起きをした

憂「今日も…生えたんだ…」

妹は髪の伸びきって、毛むくじゃらのパジャマを着た姉を見た瞬間、悟った

憂「新しい制服は別のところに置いておいて良かった~」

妹は姉の制服を姉の部屋ではなく、自分の部屋に保管していた
どうやら唯の部屋にしか影響はないようで、唯の制服は今日は無事だった

代わりに、妹のジャージは毛だらけになってしまったが

唯「髪の毛がこんなに毎日伸びてたらホントかつら作って売れそうだね」

憂「そうだよね~」

姉も妹ももう慣れたものである
朝の準備を済ませ、姉妹は学校へ向かった

澪「今日もだったのか…それは大変だな」

律「それにしてもできた妹だなー、憂ちゃんは…」

この二人に問題を解決する能力がないと分かっていても、相談せずにいられないのが人間である

紬「あ、唯ちゃん!例の物、できたわよ♪」

現実離れした顔立ちの少女が怪しい小瓶を片手に近づいてきた

唯「これは?」

紬「琴吹印の脱毛剤よ♪」

やっぱりお嬢様ってすごい、唯は改めて思った

放課後になり、生徒たちは各々の部活動に顔を出す
もちろん、軽音部の部員も例外ではなかった

梓「その薬があれば唯先輩も安心してギターが弾けるんですね!」

紬「そういうこと!」

練習に異常な興味を示す少女は、やはり練習方面のアプローチで薬の存在を喜んだ
尤も、平沢姉妹以外にこの異常事態で直接影響を受けているものはいないのだが

梓「じゃあ早速…」

紬「待って!」

紬「この薬は凶悪なまでの脱毛力を誇る、いわばリーサルウェポンよ!」

紬「触れただけで確実に毛根は死滅し、一生生えることはない…」

紬「そのくせ髪以外にはなんら影響を与えないという!」

梓「じゃあ使っちゃってもいいんじゃないんですか?」

紬「待って!その薬にも悪いところがあってね…」

彼女の説明をかいつまんで説明すると、この薬は人体への影響はないが
蒸発することはほとんどなく、手にちょっと残ってしまっただけで、髪を触ると脱毛してしまうのだそうだ
そのため、表では取引されていないらしい

澪「それ聞くと怖くなってきた…」

唯「怖いけど…使うしかないよ!」

唯の決意は固かった
たとえ自分の髪が禿げあがろうと、愛するギターを元の綺麗な素肌に戻してやる、と

紬「これを使って塗るのよ」

紬は謎の棒状の物を差し出した
唯はそれを受け取り、早速塗ってみる

唯「うお!毛がごっそり!」

薬を塗ってハケで薬を取り除くと、ギターに生えていた毛はすっかり抜け落ちていた

唯「ムギちゃんありがとう!」

紬「どういたしましてー♪」

その日は思う存分練習した
ギターへの百年の恋が覚めていた分、再燃したときに愛しく思えたのだ

唯「今日は良い音を出してあげられたよ!」

梓「いい演奏でしたね!」

律「はぁ~、疲れた…ムギ…お茶…」

紬「そういえばお茶はまだだったわね、休憩にしましょうか♪」

こんなにいい演奏ができるくらい練習に身が入ってくれるなら、毛だらけもいいかな、と澪は思った

唯「うい~!ただいま~!」

憂「どうしたのお姉ちゃん、そんなにはしゃいで…」

唯「これのおかげだよ!」

唯は友人から貰った脱毛剤を自慢げに見せた
その後、その薬のありがたい効能を妹にしか通じない暗号で説明した

憂「へぇー、すごいね!じゃあ早速使ってみよっか♪」

唯「うん!」

部屋中のありとあらゆるものに薬を塗る
そのたびに大量の毛が抜け落ちる

唯「はぁ~…カイカン♪」

憂「これで全部かな?」

唯「もう不便に思うことはなくなるかな?」

憂「そうだね」


翌朝、またも平沢唯は仰天した
やはり部屋中のありとあらゆるものに毛が生えていたのである

唯「なんで…どうして…」

唯「…」

この時、唯には分かってしまった
毛の本当の意味…

律「おっす唯」

唯「おはよー」

紬「どうだった?」

唯「だめだった、脱毛したのにまた生えてきちゃった」

澪「まぁ、元々毛穴すらないものから生えてきたんだもんな…」

紬「そうなんだ…」シュン

唯「…いいんだよ、ムギちゃん」

紬「?」

唯「私分かっちゃったんだ、毛が生えた理由」

律「え、マジで!?」

唯「私の部屋に毛が生えた理由…それは…」

唯「私は何に対してものんびり構えて、毎日をぼんやり過ごしていた」

唯「髪の毛が長くなっても切らないままでいるみたいに…」

唯「つまり私自身の心、そのものが毛だったんだよ」

澪「…何言ってるのかさっぱり」

唯「つまり、私のこの伸びきった心こそが伸びる毛の原因だったってことだよ」

律「…なんかビミョーに哲学っぽいこと言おうとしてるのは分かった」

唯「だから…私、毛が伸びないようにしっかりする!」

唯「もうギー太のメンテも怠らないし、勉強も練習もしっかりするよ!」

澪「唯…」

律「…なんか唯が遠くに行っちゃったみたいだぁ…」

澪「お前もしっかりしろ」ポカン

律「いでっ」

紬「とりあえずハッピーエンドね♪」

おわり




唯「ここは微分で…」

澪「唯、すごいな」

唯「私はやればできる子ですから!」フンス

澪「そこで威張らなければかっこいいのに」

律「…そういえば最近唯の髪短くね?」

唯「…!そ、そんなことないよぉ!?」

律「お~でこ!」ピラ

唯「いやああああああああ!!」

紬「まぁ!」

唯は毛が少なくなっていた

おわり



最終更新:2010年10月29日 01:14