和ちゃんが、放課後の教室でこんなことを言ったのは、それから丁度一週間後のことだった。
恥ずかしそうに、赤らめた顔を俯けて、右手で左腕をギュッと握る彼女は、まるで別人のようだった。
けれど、違うのだ。彼女は紛れもなく和ちゃん本人で、それでいて、そう……

彼女がこれから先、この姿を見せるのは、きっと私に対してじゃない。

「それを私に言ってどうしたかったの?」

自分でも、変な言葉だと思った。
むしろ、お前はなんと答えて欲しいんだ、と自分で思った。

「聞いて欲しかったのよ、何も言わずに」

軽く頬を膨らませて、彼女は言った。
ごめんね、と私は、彼女に聞こえないくらいの声で呟いた。
幼馴染なのに、分からなかったよ。

先生が好きだ、と。
生徒会長としてではなく、幼馴染としてではなく、真鍋和を見てくれるあの人が好きだ、と。
必要以上に大人として扱わない、甘えさせてくれるあの人が好きだ、と。
彼女は震える声で言った。時々、どもりながら、要領を得ない喋り方で言った。

「そっか」

私はそうとしか言えなかった。
どこで間違ったのか、私は、彼女も当然、十年という時を、永劫にも感じられた瞬間を、
きっと何よりも大切に思っていると、そう思っていたのだ。
だのに、全然そんなことはなかった。

「うん……聞いてくれてありがとう」

十年の歳月は、私に無意識的に最善の返答をさせたようだ。
つまり、"そっか"の一言。
色気のない短髪で、飾り気の無い制服で、けれど顔を赤らめて、恋する乙女らしく小走りに駆けていく彼女を、私は初めて見た。
きっと、さわ子先生は、これから先、私の知らない彼女を見つけていくのだろう。

彼女の告白を先生が断ることなんて、考えもしなかった。だって、私の幼馴染だから。
私の考えていることを彼女はわかるのに、彼女の考えていることを私は分かっていなくたって、
私の求めているものを彼女はくれるのに、彼女の求めているものを私は与えられていなくたって、
彼女は私の自慢の幼馴染なのだ。

彼女が先生と歩くとき、彼女はどんな顔で笑うのか。
彼女が先生と喧嘩するとき、彼女はどんな顔で泣くのか。悲しむのか。

それを想像しようとしても、彼女の顔が空白なのは何故か。
私が彼女のことを、自分で思っているよりもずっと知らなかったからか、それとも、涙で視界が滲んでいるからか。

「くやしいなあ」

私の声は、放課後の教室に虚しく響いた。
音が消えるまでの一瞬が、彼女と過ごした十年間よりも長く感じられた。

「ごめんね」

後ろから声がして、抱きしめられた。
柔らかい腕だった。

「聞いてたんだ、二人共気づいていなかったみたいだけど」

ドアの傍に誰かがいたらしい。
誰が、なんてことはどうでもよかった。私はただ、溢れ出す思考を言葉にし続けた。


私、幼馴染のことが好きだったんだ、気持ち悪いよね。
勝手に、一緒に過ごした十年間を、切り取って、無限に拡大したんだ。
私は彼女のことなんてちっとも分かってなかったのに、分かった気になってたんだ。
彼女と過ごした時間に恋をしてたんだ。
随分と身勝手だよね、嫌われてもしようがないよね。

「ねえ、だからお願い、笑ってよ、私のことを」

ふわっと、長い茶髪が私の首筋に触れ、甘酸っぱい匂いがした。

「気持ち悪くない、素敵だよ。格好良いよ」

その言葉を聞いて、私は、目から水が溢れるのを感じた。

「じゃあ……和ちゃんは私のことを好きになってくれるかなあ」

「唯の好きと違っていいなら、とっくに、もうずっと、唯のことを好きでいてくれてるよ」

素直な返事だった。自分の気持を隠さない返事だった。

「やだよそんなの……くやしいなあ」

「そうだね、うん……くやしいね」

みっともなく鼻を啜りながら泣きじゃくる私を、その人は優しく撫で続けた。

「唯はさ、大人なんだね」

自分の悪さに気付けるくらいに。
幼馴染のために、自分の気持を隠せるくらいに。

そう言って、その人は私をもっと強く抱きしめた。

「じゃあ、もう少し、大人になってみよう」

泣くのを止められるくらいに。
幼馴染のために笑っていられるくらいに。

「そうしたら、もしかしたら、真鍋さんどころか、私も惚れちゃうかもよ」

そう言って、その人は―――長い茶髪の、姫子ちゃんは―――小さく笑った。
その声が震えていたから、私は何だか可笑しくなった。

「姫子ちゃん、ばか」

私がそう言うと、姫子ちゃんは私を離して、立ち上がり、言った。

「私の悪口を言えとは言ってないよ、ほら」

私に手をさし出して、いつもの素直な声で、

「途中まで一緒に帰ろうよ。軽音楽部、一日くらいサボっちゃおう」

だなんて言うもんだから、私は確信が持てた。
明日からも私と和ちゃんは幼馴染で、姫子ちゃんが隣の席にいる。
そんな確信。

「……うん、私もヤンキーデビューしちゃうよ!」

そう言って飛びついた姫子ちゃんの髪の毛から、首筋から、なんとも言えない良い匂いが……


―――――――――――――――――――――――――――――

和「以上で……」

紬「唯姫だったアァァァァァァァッ!分かっとる、ここで唯姫とは、あんた分かっとるで和ちゃん!」

和「え、うん、ありがとう。私的には和さわだったんだけど」

紬「どこまで!?この後二人はどこまで行くの!?」

和「だからあなたの思うところまで……」

紬「ちゃんと言って!なにをしたの!?ナニをしたの!?」

和「わかった。ニャンニャンまでした。これで良い?」

紬「ひゃっほう!和ちゃんにセックスって言わせたわ!」

和「言ってねえよ。じゃあ、質問がある人」

姫子「はい」

和「あなた、本当に意外と真面目なのね」

姫子「どうも。和ちゃんが買ったCDは、センセに勧められて?」

和「そうよ」

姫子「じゃあ、その時から唯の恋は、もう叶わないものだったのね」

和「悲しいけど、これが現実なの」

唯「現実じゃないじゃん、和ちゃんの妄想じゃん」

和「唯、ごめんね……諦めて?」

唯「チックショウ、まじでくやしいなあ」

さわ子「なんか私も、こっちがあるべき現実な気がしてきたわ」

唯「大丈夫かあんた。生徒の妄想に刺激されていいの?」

さわ子「和ちゃん……今度居酒屋にでも行きましょう」

和「ええ、喜んで。ちなみに、私の妄想では金曜日に居酒屋に行って……」

唯「お願いだから誰か話を聞いてください」

紬「素晴らしい一日だったわ。余韻を楽しむために帰るわね」

唯「おい部活」

唯「……姫子ちゃんは?帰らないの?」

姫子「あー、えっとさあ、なんていうか……頑張んな。まだ間に合うよ、多分」

唯「……何がさ」

姫子「さあ、なんだろうね?じゃあ、私運動場行くね」

唯「行っちゃった。姫子ちゃんも大概だね」

唯「……でも、まあ……頑張ってみますか」




うん、これで終わりなんだ。



最終更新:2010年11月04日 00:04