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憂「良い、ゆい? このギターはお姉ちゃんにとって大事なものなの。もしギターが壊れ
  ちゃってたら、お姉ちゃんは悲しむよ。悲しむお姉ちゃんは見たくないよね?」

 ゆいは、自分が諭されていることを察しているのだろう。
 私を真剣に見つめて、目を逸らそうとはしなかった。

憂「それにね、ギターが倒れた時に、ゆいがもしここに居たら……」

 私はゆいを床に置き、反対の手でギターをゆっくり倒していく。
 ゆいは、自分が潰されると思ったのだろう。必死に首を横に振って『嫌!』と訴えていた。

憂「ね? 怖いでしょ? ゆいがしたことは危ないことなの。分かった?」

 今度は静かにゆっくりと、ゆいは一度だけ頷いた。

憂「はい、お姉ちゃんにごめんなさいして」

 自分の手に乗せて、ゆいをお姉ちゃんの正面に据える。
 ゆいは、私の目を何度か見た後、お姉ちゃんに向けてこくりとお辞儀した。
 お姉ちゃんは『良いよ』と微笑んでから、『よくできたね』と囁きかけて、
 ゆいの頭をすっと撫でた。

憂「演奏してるときのお姉ちゃん、素敵だったから。ゆいも弾きたくなっちゃったんだよね」

 ちゃんと謝れたからもう怒ってない。
 ゆいにそう伝える為に、柔らかな口調で告げる。

憂「そういう時は勝手に弾こうとしないで、お姉ちゃんに弾きたいって伝えるんだよ。
  そうすれば、お姉ちゃんはギター弾かせてくれるから、ね?」

 ゆいがこくり、と頷いたのを見て、私はお姉ちゃんに微笑みかけた。

唯「ご飯食べたら弾かせてあげよっか。私が左手でコード押さえれば、
  弾くだけならゆいでもできると思うし」

憂「そうしてあげて。……ごめんねお姉ちゃん」

唯「ううん、私もゆいと一緒に弾きたいからね、気にしなくて良いよー」

憂「……ありがと」

唯「憂、なんかお母さんみたいだね」

憂「そう、かな……?」

唯「ゆいのお母さんみたい」

 そう口にしたお姉ちゃんの笑顔は、どこまでも温かかい。

憂「えへへ……、お母さんか。ちょっと照れる、かな」

 この私が滾る色欲を忘れるほどに、その空間には穏やかな空気が流れていた。



 お姉ちゃんとゆいと私、三人で公園に遊びに行った。
 ゆいは空を飛ぶ小鳥を追いかけて、そのまま迷子になった。
 お姉ちゃんはゆいを追いかけて、そのまま迷子になった。
 私がお姉ちゃん達を追いかけていくと、二人仲良く冬芝の絨毯に幸せそうに寝転んでいた。
 ずるいよそんなの、と言って私も寝転んだ。
 見上げた空はどこまでも青かった。

 お姉ちゃんとゆいと私、三人でショッピングモールに行った。
 ゆいのサイズに合う人形用の洋服を何着か購入した。
 お姉ちゃんが私も新しい洋服欲しいなーと人差し指を口元にあてたので鼻から血がでた。
 ゆいが物凄い勢いで心配してくれた。

 お姉ちゃんとゆいと私、三人でボードゲームをした。
 ゆいはルールが分かっているのかいないのか、とにかく楽しそうにはしゃいでいた。
 お姉ちゃんが結婚のマスに止まったので、私は生きる気力を失った。
 ゲーム、憂、これゲームだから! 
 と何度も叫ばれて我に返ると、ゆいに思いっきり笑われた。

 お姉ちゃんとゆいと私、三人で同じ布団に入った。
 なかなか寝付かないゆいに、私は絵本を読み聞かせてあげた。
 真剣な眼差しで次は? 次は? とせっつくゆいと、それをにこやかに見守るお姉ちゃん。
 やがてすぅすぅと寝息を立て始めたので、ようやく眠ったかと思って視線を落とすと、
 船を漕いでいたのはお姉ちゃんだった。 全く、どっちが子供なんだかわかりゃしない。
 私はゆいと顔を見合わせて微笑んだ。


 ――そんなこんなで一週間が過ぎた。


 ゆいは平沢家の新しい家族としてなんら違和感無く馴染んでいき、『お母さんみたい』と言
 われたその日から、ゆいの存在は私の中で日に日に大きくなって、
 その溺愛っぷりに拍車をかけていた。
 唯一の問題だったクラスメイト達も、時間の経過と共に興味が薄れたのか、
 深くは干渉せずに、時折頭を撫でたり、手を振ったりする程度にまで落ち着いていた。

梓「うわぁ、今日はまた一段とべったりだ……」

 机に突っ伏しながらゆいを抱きしめて頬擦りする私に、梓ちゃんがぼやいた。

憂「おはよう、梓ちゃん」

梓「おはよ」

憂「安心して、梓ちゃん。母性愛と梓愛はまた別だから」

梓「何一つ安心できない。ていうか変な単語作んないでくれるかな……」

 今日は一段とやさぐれていらっしゃる。


憂「じゃあ梓ちゃんがお姉ちゃんのことを愛しているという単語は――」

梓「うわぁああああ、ストップ、憂すとーーっぷ!!」

 なぜか必死な梓ちゃんの頭に、ぱすん、とカバンが降ってきた。

純「朝っぱらからなんて会話してんのよ」

梓「だ、だって、憂が……」

憂「おはよう、純ちゃん」

純「おはよー」

憂「純ちゃん」 

純「なに?」

憂「軽音部」

純「そろそろ怒るぞ」

憂「えへへ」


純「ところで二人とも、日曜日あいてる?」

梓「ん、私は大丈夫だけど」

憂「ごめん、私はちょっと厳しいかも」

純「何か用事でもあるの?」

憂「ううん、明日からまたお父さん達海外だから。
  お姉ちゃんも家に居るみたいだし、この子の面倒も見ないといけないからね」

 そう言って、ゆいを指で突っつく。
 ゆいは指に飛びつこうとするが、バランスを崩して転んでしまった。

純「そっかぁ、お母さんは大変だね~」

梓「むしろ唯先輩が家に居ることが重要なんじゃ……」

憂「Exactly(その通りでございます)」

 ゆいのぶつけた膝を優しく撫でながら、どこぞのサイコ野郎の台詞を流用する。

梓「……」

純「と言いつつ、梓も明日憂の家に行くとか言ってなかったっけ」

梓「わ、私は、部活の延長で……、ただギターを、
  そう唯先輩にギター教えないといけないから、ほら」

純「私は『憂の家』と言っただけで、唯先輩の名前は出してないんだけど」

梓「うぐっ……、軽音部入らなかったこと後悔してる癖に!」

純「ぐはぁっ!? おのれ梓、そんなこと言っちゃう子には……こうだっ!!」

 オーバーアクションで怯んだ後、純ちゃんは梓ちゃんの首元から冷たい手を入れて、
 背中にぴたん、とくっつけた。 そのまま外せばいいのに(ブラのホックを)。

梓「にゃぁあああっ!? やったなこのー!!」

 飛び退いた梓ちゃんが、反撃に出る。

純「きゃっ、はははは、ちょ、くすぐるのは反則……、このっ、私を怒らせたな!!」

梓「きゃぁっ!?」

 こちょこちょの応酬が始まる。
 しかし、私の心はそんなものでは満たされない。


憂「純ちゃん、そのまま押さえつけといて」

 だから、私が代わりに外してやる(ブラのホックを)。

純「ふふふ、任せなさい」

梓「え、ちょ、うわ、何その手つき、憂、
  落ち着いて、話せばわk嫌ぁぁぁあああーーーーーー!!」

 ――。

 始業のチャイムが鳴り響く。
 純ちゃんと梓ちゃんは、交互にゆいの髪を撫でて、「それじゃ、今日も一日頑張ろー」 
 「おー!」というよく分からない掛け声と共に席へとついた。

 ……そういえば最近梓ちゃんにセクハラしてなかったな。
 海よりも深く反省しなくては。


 終業のチャイムが授業の終わりを告げた。
 時間割を見て嘆息する。まだ2時間目。先は長いなー。
 ゆいも退屈そうに大欠伸をひとつ。
 それでも大人しくしているのだから、よっぽど初日のもみくちゃが怖かったんだろう。

梓「憂」

憂「ん~?」

梓「……なんでそんなに眠そうなのよ」

憂「昨日の夜お姉ちゃんと大人の階段を……」

梓「はぁ!? な、なに、どういうこと!? 今度は唯先輩に何したの!?」

憂「嘘だよ。梓ちゃん、必死すぎるよ」

梓「……」

 梓ちゃんはぷるぷる震えながら俯いた。
 なんて愛らしい。ご褒美ちゅっちゅだよ~、
 と囁きながら接近したら下敷きでブロックされた。

梓「まったく……」

憂「梓ちゃん」

梓「うん?」

憂「何か用があったんじゃないの?」

梓「あ、そうだった」

憂「可愛い」

梓「う、うるさいな!」

憂「それで?」

梓「うん、次体育だからさ。唯先輩にゆい預けに行くんでしょ?」

憂「……梓ちゃん」

梓「なに?」

憂「行きたいんだ? お姉ちゃんに会いに」

梓「……いや、別に」

憂「じゃあ、なんで来たの?」

梓「……」


憂「違うって言うなら私がお姉ちゃんの所に行って、
  ついでにお姉ちゃんにちゅっちゅしてくるけど」

梓「……」

 椅子から立ち上がった私の肩を、梓ちゃんが両手でがっちり掴んだ。

梓「すいませんでした」

 素直でよろしい。

憂「一緒に行こうか」

梓「……うん」

 梓ちゃんと並んで廊下を歩く。

梓「今日のゆい、静かだね」

憂「授業中はいつも静かにしてくれてるよ」

梓「いや、そうじゃなくて、なんか元気が無いって言うか……」

 その言葉に、私は思わず足を止めた。
 授業中眠そうにしてるのはいつものことだが、休み時間中はクラスメイトと戯れたり、
 私や梓ちゃん、純ちゃんに擦り寄って来るのが常だ。
 だが、今日はそういう素振りを一切見せず、
 授業中となんら変わりなく目を擦ったりして、ぼーっとしている。
 風邪でも引いたのだろうか? ドールなのに?
 人間の医者に診てもらうわけにもいかないしなぁ……。
 紬さんにでも訊いてみるか。


憂「……」

 紬さんという名前から想起されたのは件の台詞。
 仮に私に劣情とやらがあったとして、
 その影響を受けたゆいが体調不良を起こしているとでも言うのか?
 そんなこと、ありえない。

梓「どうしたの憂、深刻そうな顔して」

憂「梓ちゃん、劣情ってどういうことだと思う?」

梓「……そりゃ、憂が時折唯先輩や私に向けてくる、なんていうか……その、
  そういう感情のことじゃないの?」

憂「私が劣情を持っている、と?」

梓「至るところから滲み出てるじゃない」

憂「……」

 まじかよ。

梓「なんでそんなに驚くの?」

憂「私は淑女だよ」

梓「程遠いわ」


憂「……」

 いや、考えすぎだろう。
 元気が無い程度で、まだ病気と決まった訳ではないし、
 私の感情如きがゆいにそこまでの影響を及ぼすとはやっぱり思えない。
 手の平に乗せたゆいを見据える。
 『どうしたの?』と不思議そうに私を見つめるゆい。

憂「杞憂だよね」

梓「ゆいのこと?」

憂「ちょっと疲れてるだけでしょ」

梓「……そうだね」

 ゆいの話題から、期末テスト、冬休み、そしてクリスマスの話題へと世話しなく移ろい、
 やがてお姉ちゃん達の教室にたどり着く。
 扉を開けて、最初に私達に気付いてくれたのは律さんだった。

律「おー、憂ちゃんに梓じゃないか」

憂「こんにちは、お姉ちゃんいます?」

律「唯、お客さんだぞー」

唯「ふぇ?」

 その声に、和さんと楽しそうにお喋りしていたお姉ちゃんがこちらを振り向いた。



唯「あ、ういとあずにゃん! ごめんね和ちゃん、ちょっと待ってて」

和「はいはい、いってらっしゃい」

 ぱらぱらと手を振る和さんに背を向けて、お姉ちゃんが小走りでこちらにやって来る。

唯「どうしたの、二人共?」

憂「会いたかったよ、お姉ちゃん!」

唯「わっ!?」

 とりあえず抱き付いておく。
 そうすることで、後ろにいる梓ちゃんが不機嫌になるのだ。
 というのは表向きの理由で、単純にお姉ちゃんの匂いを堪能したかっただけである。


 そのままの体勢で優しく頭を撫でてくれるお姉ちゃん。
 これで後ろにいる梓ちゃんが更に不機嫌になるのだ。
 というのは表向きの理由で、
 単純にお姉ちゃんの身体を撫でくりまわしたかっただけである。

梓「あ、あの」

唯「えへへ、あずにゃんもおいでよ」

梓「上級生の教室前でそんな恥ずかしいことできません。
  ていうか憂が占有してるから私が抱きつくスペースが……、じゃなくてですね」

唯「気にすることないのにー」

梓「私達のクラス、次体育だから、ゆいを預かってもらおうと思って来たんですよ。
  っていうかそろそろ離れろ!」

 梓ちゃんに無理やり引き離される私達。
 嗚呼、なんたる悲恋物語。現実はかくも残酷である。

唯「そっか、体育なんだ。ゆい、おいで」

 お姉ちゃんが手を差し出すと、ゆいは嬉しそうにその手に飛び乗った。
 心なしか、さっきより元気になってる気がしてちょっぴりジェラシー。

憂「じゃあ、ゆいのことお願いね」

梓「お願いします」

唯「ほいほーい、任せといて!」

 ばいばーい、と手を振るお姉ちゃんと別れて、
 私と梓ちゃんは自分達の教室へと向かう……と見せかけて、壁際に身を潜める。

梓「な、なにやってるの、憂?」

憂「しっ、静かに!」

梓「?」

 壁からそっと顔を出して、お姉ちゃんを見つめる。
 私達の姿が見えなくなったことを確認したお姉ちゃんは、踵を返して教室に入ろうとする

 ――その瞬間。

唯「あ、あれっ……、な、なんで?」

 小さな声が漏れた。
 足を止めて、「ちょっと待ってね」と呟いてゆいを足元に置き、
 自らの背中に手をまわすお姉ちゃん。

梓「憂、まさか……」

 さすがは梓ちゃん。
 冷静さを保っている振りをしながら、僅かに上気した頬がその興奮を物語っている。
 間違いない。この娘なら分かってくれる。
 そしてブラウス、セーター、ブレザーという三重の壁を突き破ったこの右手の偉業を讃えてくれるに違いないッ!!
 だから私は梓ちゃんに向けて親指をグッと突きたてた。

憂「抱きついた時に外しました(ブラのホックを)」


 怒られた。

憂「ん~~~っ」

 両手を頭の後ろに組んで、大きく伸びをする。
 日頃運動不足の私にとって、体育の授業はなかなかに酷なものがあった。
 運動自体は別に苦手ではないけれど。

梓「お疲れ様、憂」

 既に制服に着替え終えた梓ちゃんが、声をかけてくる。

憂「早いね、着替えるの」

梓「憂がのんびりしすぎなんだと思うけど」

憂「そうかなー」

 何かを期待しているような眼差しで私を見つめる梓ちゃん。
 言わずもがな。私とて理解はしている。

憂「ゆいを引き取りに行かないとね」

梓「あ! そっか、そうだったね! ほら、休み時間終わっちゃうし、
  早く着替えて、行こう、憂」

憂「……」

 もうバレバレなんだから隠さなくても良いのに。
 着替えを終えた私は、素直にならない梓ちゃんと共に、お姉ちゃんの教室へと向かう。
 右手をわしわしと開閉させて、
 お姉ちゃんに抱きついた時の為のイメージトレーニングも欠かさない。

梓「あ、先輩達だ」

 梓ちゃんの声に、右手に集中していた意識を前方へと向ける。
 そこには、楽しそうに談笑するお姉ちゃん、律さん、澪さん、紬さん、和さんの姿。
 遠目からでは分かり難いが、お姉ちゃんの肩にはちょこん、とゆいが座っていた。


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最終更新:2010年01月07日 21:13