屋上

いちご「いきなりごめんね」

梓「い、いえ……」

いちご「一応、初めまして。若王子いちごです」

梓「中野梓です……」

いちご「知ってる。唯の『元』好きな人だよね」

梓「……」

いちご「はじめまして、って言ってるけど、本当は前からあなたのこと知ってたの」

梓「な、なんで……」

いちご「唯が話してくれてたの。あなたのことずっと」

いちご「昨日はあなたとどんな話をしたのかとか、あなたとどんなことをしたとか」

いちご「どんなことを教えてもらって、どれだけ可愛かったとか」

梓「……」

いちご「ずっと聞かされてたの。どれだけあなたのことが好きかって」

梓「そ、そうですか」

いちご「私の気持ちも知らずにね。でもそれで良かったの。唯が笑ってくれるなら」

梓「……」

いちご「そう思ってた。けどこの前、放課後に唯に呼び出されてね」

いちご「泣き声で電話してきたから、急いで行ったの。そしたら、今日こんなことがあったんだって」

梓「あ、あれは……」

いちご「唯の気持ち気づいてなかったの?」

梓「……正直、薄々気づいていました」

いちご「じゃあ何であんなこと言ったの?」

梓「そ、それは……」

いちご「唯の話を聞く限りだけど、あなたも唯のこと好きなんじゃなかったの?」

梓「う……」

いちご「聞いてる?何で唯を傷つけたのかって聞いてるんだけど」

梓「はい……」


いちご「唯、泣きじゃくってた。確かに軽々しく過去の話を聞いた唯にも落ち度はあるかもしれない。でも」

いちご「それでも、言い方ってあるんじゃない?好きな人が過去にどういう人とどういう付き合い方をしたかなんて、唯はそこまで聞いた?」

いちご「自慢したかった?アドバンテージを取りたかった?――唯はね、そういう駆け引きが出来ない子なの」

いちご「本当に優しいの。どんな嫌なことでも、大抵は笑ってみんなに心配かけようとしない。でも、あの夜だけは私を頼ったの」

いちご「それだけキツかったの。一人じゃどうにもならないくらい。想像出来る?」

いちご「大好きな人が過去に何人に愛されて、どういう愛され方をしたか、言われて嬉しい人なんて居ると思うの?」

いちご「……我慢しようとしてたみたいだけどね。あなたが抱かれた時の話をする前は」

梓「そ、それは……!」

いちご「言い訳しないで!」

梓「っ……!」ビクッ

いちご「唯ね、今まで誰とも付き合ったことがないの。だから恋愛に大してものすごく臆病なの。当たり前でしょ?経験がないもの」

いちご「その唯が……あなたの話、笑って聞けると思ってたの?どんな気持ちになるか、考えてなかったの?」

いちご「逆に考えてみて。唯が他の人に抱かれたら、あなたはどう思うの?」

梓「い……っ!」

ゆ、唯先輩が……

いちご「ごめん。ちょっと熱くなりすぎた」

梓「……」

いちご「あなたを今日呼んだのは、お願いがあるの」

梓「はい……」

いちご「もう唯を傷つけないでくれる?」

梓「……」

いちご「唯に部活を辞めさせたり、あなたに辞めろとは言わない。唯だって今の軽音部は大好きだもの」

いちご「でもね、唯の気持ちだって私には完璧にはわからない。もしかしたら、まだあなたのことが好きなのかもしれない」

いちご「あなたの気持ちだってわからない。そもそも、わかりたくもないし」

いちご「だから、いつも通りにして。唯だってそれを望んでるから。他の部員の人達にも迷惑がかかる」

いちご「唯の大事な場所だけは傷つけないで。唯を傷つけないで。それさえ」

いちご「それさえ守ってくれたら、私は何も言わないわ」


いちご「約束、してくれる?」

梓「……は……い」

いちご「そう」

短くそう言うと、いちご先輩は背を向けました

いちご「いきなり呼び出してごめんなさいね。それじゃあ」

いちご先輩が居なくなったあと、私は立ち尽くしていました

唯先輩を傷つけてしまっていたこと

しかも、それは私のつまらない嘘、見栄を張りたかっただけのくだらない嘘なんです

時間が戻せたら、どんなにすばらしいでしょう

梓「うっ……うぅ……」

梓「ひっ……えぅ……」



放課後

唯「ふいー、練習終わりー!」

澪「今日は中々いい練習が出来たな」

紬「演奏もばっちりだったしねー」

律「さて、帰るとするかー。……あー、今日も唯は?」

唯「うん!いちごちゃんと帰るよー」

澪「そ、そっか」

紬「ラブラブねー」

唯「うん!」

梓「……」

『失礼します』

そんな声がして、部室の扉が少しだけ開きました

僅かな隙間から、少しだけ赤みがかった髪が現われ、そして

いちご「……ごめん。練習中だった?」

澪「い、いちご……」

唯「あ、いちごちゃん!」

いちご先輩の顔を確認するや否や、唯先輩は走り寄って、いちご先輩を抱きしめました

唯「いちごちゃんー」ギュー

いちご「唯、部活中なんだから……」

見ていられなくて、思わず目を逸らしました

後片付けに専念するふりをして、私はその光景に背を向けます

律「あー、いちご?もう練習終わったとこだから……」

いちご「そうなの?じゃあ、唯――」

唯「うん、わかってる!」

手早く荷物を手に取ると、唯先輩は部室の出ようとします

唯「ごめん、後片付けとか……」

澪「い、いいっていいって!私達でやっとくから」

紬「そうよー。じゃあ二人とも、気をつけてね」

唯「ごめんねー。明日はちゃんとするから。じゃあみんな――あずにゃんも、また明日ねー」

呼ばれて振り向いても、もう唯先輩の姿はありませんでした



それから一週間、いちご先輩は唯先輩を部室まで迎えに来ました

バトン部が早く終わったと言っていましたが、おそらく私を監視、それでなくてもプレッシャーをかけているんでしょう

唯先輩はその度に、とても嬉しそうな顔で抱きついて、それから帰ります

唯先輩に抱きしめてもらえなくなって、どれくらい経つでしょう

同じくらいに、唯先輩と一緒に帰れなくなって、随分長い時間が経ったような気がします

あれだけ唯先輩と一緒に過ごした日々が、随分遠くなった気がします

部活でも、唯先輩はいつも通りに接してくれます

ただスキンシップが無くなっただけで

現状はわかっています

いちご先輩は私に、自分たちを見せつけています

いちご先輩は唯先輩を傷つけた私が許せないんでしょう

それは、わかります

私が悪いんですから

だから、耐えるしかないんです

これは罰なんです。大切な人にくだらない嘘を言ってしまった私への――



金曜日の夜

梓「はあ……」

梓「金曜日の夜か……」

梓「今頃、唯先輩はいちご先輩と……」

梓「そうだよね。金曜の夜に、恋人同士が集まらない訳がないもん」

梓「何してるのかな」

梓「いちゃいちゃしてるよね、きっと」

梓「唯先輩、スキンシップ大好きだもん。大好きな人とだったら、きっとやりたいはずだもん」

梓「……」

『逆に考えてみて。唯が他の人に抱かれたら、あなたは――』

梓「唯先輩、いちご先輩のこと好きなんだよね。そしたら、きっとそういうことするんだよね」

梓「……」

梓「こんな気持ちだったんだ、唯先輩」

梓「……」

梓「っ……ひくっ……うっ……うぅ……」

梓「ぐすっ……ひっく……」

梓「……ダメだなぁ、私」

梓「唯先輩は、ちゃんとこういう悲しいの乗り越えて、ちゃんと幸せになったのに」

梓「私は終わった恋にいつまでもグズグズ考えて」

梓「一人で泣いてるだけじゃ、何も変わらないのに」

梓「……」

梓「寂しい」

梓「寂しいな。前までは、こんな寂しいとか思わなかったのに。今はもう一人じゃダメだ」

梓「このままじゃ、私もっとダメになっちゃう」

梓「乗り越えなくちゃ」

梓「悲しい記憶を上書きするくらい、もっと色々やらなくちゃ」

梓「……寂しいんだよ」

梓「そばに居てくれるなら、誰でもいいから――」



土曜日の夜
繁華街

梓「……」

梓「来ちゃった」

梓「一人でこんな所来るの初めてだな。しかもこんな夜に」

ぎゃははは

なにそれー

梓「……なんか怖そうな格好の人が多い」

梓「でも、これだけ人が居れば、気も紛れるし。一人で家に居たら、どうしても考えちゃうもんね」

梓「でも……何をしよう?」

DQN「あれー?ねえねえ、そこの可愛い娘ー!一人で何してんの?」

梓「え……?」

DQN「何々?寂しそうじゃん?一人なら俺と遊ぼうよー!」

梓「い、いえ、でも――」

DQN「一人なんでしょ?友達待ってる雰囲気でもないよね?いいじゃん遊ぼうよ」

梓「あ、あの……」

DQN「いいじゃん!俺奢るし!だから一度だけ!お願い!」

梓「(どうしよう……でも、なんか格好は悪そうだけど、話してみるといい人そうだし)」

梓「(いい……かな?それに、もう寂しいんだもん)」

梓「……わかりました。ご一緒します」

DQN「マジで?いやっほう!じゃあさ、どこ行く?つーか飯食った?」

梓「い、いえ、まだです……」

DQN「じゃあまずご飯食べに行こっか!ファミレスとかでいい?なんか食いたいもんある?」

梓「い、いえ、お任せします」

DQN「おっし、じゃあファミレスな!行こうぜ!」

ファミレス

DQN「へー、中野梓ちゃんって言うんだ。梓ちゃんって呼んでいーい?」

梓「は、はい」

DQN「高校二年生かぁ。じゃあ俺の二つ年下だね」



ボーリング

DQN「梓ちゃんすげえ!ストライクじゃん!」

梓「へ、へへ……そんな大げさな……」

DQN「いやいやすげえよ!俺も本気出しちゃおっかなぁ!」

梓「頑張ってください」

DQN「ああ!ガーター!」

梓「あはは」


DQN「ふぁー、結構遊んだねー。梓ちゃん、時間まだ大丈夫?11時だけど」

梓「(今日は親も居ないし、また一人になると考えちゃうから)まだ大丈夫ですよ」

DQN「ふーん。……じゃあ、カラオケでも行こっかー?」ニヤリ



カラオケ

梓「And I almost had you.But I guess that doesn't cut it.Almost had you.And I didn't even know it――」

DQN「ひゅー!」パチパチ

DQN「梓ちゃん歌上手いねー!なんかやってたの?」

梓「いえ、部活で軽音部なんで、バックコーラスくらいですね」

DQN「よかったよー!英語の発音も完璧だったし!」

梓「へへ……(何で私、こんな所まで来て失恋ソング歌ってるんだろう……)」

DQN「軽音部って言ってたよね。楽器は?」

梓「あ、ギターです」

DQN「あ、俺もギターやってんだ!マジ趣味レベルだけど。何使ってんの?」

梓「ムスタングです」

DQN「あー、あれ可愛いよね!俺ね、グレッチ使ってんだ。重いけどねー」

梓「グレッチかっこいいですよね(グレッチか。そう言えば、唯先輩のレスポールも重かったっけ……)」

DQN「ギターある程度弾ける人ってさ、指の皮が固くなるらしいじゃん?あれってマジなの?」

梓「え、ええ」
DQN「マジで?見せて見せて!」ズイ、ギュ!

梓「(て、手を握られっ!)」

DQN「へー、マジだ。やっぱ指の腹のとこ、硬くなってるね」

梓「は、はい(か、体もほとんど密着してるし……)」

DQN「ふーん……ところで梓ちゃんさ、髪長いよねー」

梓「そ、そうですか?」

DQN「長いよー。黒髪だし、すっげー綺麗」サワリ

梓「ひゃ!(か、髪触られた!)」

DQN「……ふーん」

梓「あ、あの……?」

DQN「あーずさちゃん!」ガバッ

梓「きゃっ!!」ドサッ

梓「な、何を……」

DQN「なーに言ってんのwやる気なんでしょ?」

梓「え……?」

DQN「こんな密室にノコノコ付いてくるなんて、誘ってんだよね?――いいじゃんかよ?抵抗すんなよ?」

梓「わ、私、そんなつもりじゃ……」

DQN「今更何言ってんのー。嫌よ嫌よも好きのうちって?俺そういうメンドクサイの嫌いなんだよねー」

梓「お、重いですから……どいて下さい……」

DQN「今からすることわかってるー?退くわけねーじゃん?」

梓「そ、そんな……」

梓「(私、バカだ……)」

梓「(でも、仕方ないよね……きっとこれも罰だ。いいじゃん、ここで大人になれば、あの嘘も少しは嘘じゃなくなるし)」

梓「(私みたいな人間には、こんな初めてがお似合いだよ……)」

梓「……」

梓「グス……ヒック……ふぇ……」

DQN「……」

DQNはあ……」

DQN「……梓ちゃんさぁ」

梓「ひくっ……うっ……うぅ」

DQN「好きな人居るでしょ?」
梓「!!」

梓「な、なんで」

DQN「街で見かけた時からなんか悩んでたっぽいし、確信持てたのはさっきの歌かな」

DQN「BFSのALMOSTだよね。なんか気持ちこもってたし。気づいてた?あれ歌ってる時、梓ちゃん半泣きだったよ?」

梓「……」

DQN「ごめん、重かったね。退くよ」

梓「あ……」

DQN「ふいー。――うし、帰ろっか。もう12時だし。家まで送るよ」

梓「あ、あの……」

DQN「?ああ。大丈夫だよ。ここの金は俺が出すし。それよりもさ」

梓「……」

DQN「帰り道、話してよ、悩み事。あるんでしょ?俺と梓ちゃん他人だし、知り合いには話したくない悩みごともあるよね」


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最終更新:2010年11月08日 22:20