「あずにゃーん!」
「にゃっ!?ゆ、唯先輩!苦しい、です……っ」
「んー、あずにゃんかわいー!」
またやってるよ。
私は呆れた顔で隣を見た。
隣にいた澪も案の定呆れた顔をしていて、
私の視線に気付いて苦い笑みを漏らした。
「よくやるよなあ、唯も」
「まあ、梓も満更でもないような顔してるし、いいんじゃないか?」
澪はそう言うとベースの手入れを始めた。
そんな澪の様子を見ながら、そういえば、と私は思った。
私たちは小学校の時からずっと一緒なのに、唯たちのようなスキンシップがない。
ずっと一緒だから、なのかも知れないけど、寂しくてちょっと唯たちが羨ましかったりする。
「みーお!」
私はむずむずと悪戯心が涌き上がってきて、それに任せて澪に後ろから抱き着いた。
澪はチューニングを終えようとしていたところで、
チューナーをとろうと前屈みになっていたので危うく二人して前のめりに転びそうになった。
「ちょ、律!」
果たして澪はそう言いながら、拳骨を一発お見舞いしてくれた。
うん、これもある意味スキンシップなのかも知れないな。
遠くでにこにこ見ているムギの言う通り。
けどな。
やっぱりたまにはもうちょっと違うスキンシップが欲しい。
そんなことで仲を深めるような仲ではないわけだけど。
澪はもう、さっきムギから貰った新曲の譜読みなんかを始めてる。
むう、つまらん。
私は腕組みすると、
どうするかと考え込む。
「りっちゃん隊員!」
と、突然さっきの澪みたいに後ろから抱きつかれた。
今度は後ろに倒れそうになる。
「ゆ、唯かよ……」
「りっちゃんー、あずにゃんがね、あずにゃんが……!」
あー、吃驚した。
一瞬澪かと思ってしまった自分が猛烈に恥かしい。
くそー、何期待してたんだよ、私は……。
「梓がなんだよー」
「ハンバーグにソースかけるって!ケチャップだよねケチャップ!」
「いや、だからそんなことどっちでもいいじゃないですか。練習しましょうよ、唯先輩」
私から唯を引き離す梓。
仲が宜しいようで。
ちらりと澪のほうを見ると、
こちらを向いていた澪と目が合った。
妙に恥かしくて私は慌てて目を逸らした。
なんとなく居心地の悪い気分を隠そうと、私は澪をどついた。
「もう、なんだよ澪ー!」
「はあ?そっちこそいきなり何なんだよ、律」
澪が怒ったような、面倒臭そうな、そんな微妙な顔で言う。
私はこんなときに「あ、いいな」って思ってしまう。
こんな表情、私たち軽音部の前でしか見せないから。
『私たち』というのは凄く嬉しいけど、少し寂しい。
まだちょっと、澪の『特別』でいたいから。
だからたまに見せる私だけが知ってる澪の柔らかい顔や、
色々な表情を皆の前で見せられると澪が離れていってしまうんじゃないかって
不安になる。
ほら、今も。
ムギと話している澪の横顔。
あんな優しい目、今まで私以外に見せたことあったっけ?
少しだけ嫉妬に近い感情が、私を突き動かす。
「みっおー!」
さっきみたいに、ぎゅっと後ろから抱き着いた。
「律?さっきからなんなんだよ」
澪は大袈裟に溜息を吐くと、振り向いて言った。
すぐそこにある顔は怒りかけ。
少しイライラしてるな。
「べつにー」
「べつにって……。いつもこんなことしてこないのに、急にどうしたんだよ」
あ、澪の片眉が下がった。
不審感と心配が混ざった感じ。
「んーとね」
「なに」
「唯と梓が羨ましい」
澪を少しだけ心配させたのが嬉しくて、私は正直に答えた。
澪は「はあ?」と不思議そうに首を傾げた。
「だって、私たちってあんなスキンシップ、ないだろ?」
「別になくてもいいだろ」
「やだ、なんか寂しいし」
「寂しいしって……」
それで、どうしたいんだよ?と澪が言った。
「だから唯が梓にしてるみたいに澪に抱きつきたい」
「抱きつきたいって言われてももうしてるし……」
困惑したような澪に、つい私はポトリと抱えていた想いを漏らしてしまった。
「……澪が、どっか行きそうで怖いんだよ」
「え?」
「あっ……、何でもないっ」
これは私の単なる我儘だから。
澪はこんなこと言ったらきっと気にするから。
私はせっかく澪が前に進んでいるのを邪魔したくはなかった。
澪が聞き返す前に私は澪から離れると、
「ムギ、お茶くれ!」
と傍でキラキラした瞳で見ていたムギに手を差し出した。
「律……」
澪の不安そうな声が聞こえた。
だけど私は聞こえない振りをした。
澪、ごめんな。
そんな声させたのは自分だってわかってるけど。
もうダメだ。
今の私は、澪を笑顔にさせること、出来ない。
「私から離れないで。ずっと一緒にいて」と縋ってしまう。
澪を困らせてしまう。
「りっちゃん、良いの?」
「良いの、って何が?」
「澪ちゃん」
「……うん」
「そう」
ムギは私の前にお茶を置くと、静かに頷いた。
後ろから唯と梓の声が聞こえた。
それに混じって、澪の笑い声も。
よかった、澪が笑ってくれていて。
ほら、やっぱり澪を笑わせるのは私じゃなくて良いんだ。
部活終了のチャイムが、夕暮れの部室に響いた。
.
沈んでいく夕日を横目に、
澪は小さく「律」と私の名前を呼んだ。
皆と別れて、二人だけの帰り道。
「なに?」
「あのさ、さっきの……」
「あー!なんか腹減ったな、澪!お、激安コロッケ売ってんじゃん!」
澪のコトバを遮り話を逸らす。
何でもないから。
忘れてくれていいから。
だけど澪は引き下がらなかった。
「律!ちゃんと聞けよ!」
いつになく厳しい澪の声に、私はびくりと反応する。
おずおずと頷くと、澪は初めて私に今のような大声を聞かせてくれた時みたいに、
「あ、ごめん」と小さな声で謝った。
こういうとこ、変わってない。
自分が悪くないのに謝るとこ。
「律」
「……うん」
「りつ」
澪はもう一度、今度は確かめるように私の名前を呼ぶと、
突然私を包み込むように抱き締めてきた。
「み、みお!?」
声が裏返る。
ちょっと待て、今どんな状況だ?
あの澪から私に抱き着いて……。
私の頭はもうパニック状態。
「律、ごめん」
「……え?……何で澪が謝るんだよ」
「だって……」
あ、少し涙声になった。
バカ、こんなときに泣くなよな。
私は澪の腕をそっと外すと、
少し震えてる澪の手を握ってやった。
「澪、えっと……、さっきのな、気にすることないから。
気にしてたらごめんな、ほんと何でもないから」
「嘘だ。律、あの時ちょっと震えてた」
握った手をぎゅっと握り返してくると、澪は言った。
「私、ずっと律に助けてもらってた。なのに私は律になにも出来ない。
ううん、それ以上に律に迷惑かけて……不安にさせてた。
でも律は弱み見せないから。律はもっと我儘になっていいのに」
「……そんなこと」
「だからね、さっきの律、正直ちょっと嬉しかったんだ。
やっと律が私に弱いとこ見せてくれたって」
律。
澪の声が、優しく私の名前を呼んだ。
「 」
バーカ。
私だってそうだよ。
あんなスキンシップがなくったって、私たちはちゃんと繋がってる。
それだけで充分だ。
澪は変わった。
強くなった。
澪を守っていたんじゃなくて、私が澪に守られていたんだ。
澪がずっと傍にいてくれることが私には何よりも幸福だったから。
でも、お互いを想う気持ちは何も変わってないんだよな。
スキンシップなんてなくっていい。
これが私たちの『軌跡』なんだから。
ごめん、澪。
私はもうちょっと我儘になることにするよ。
あんな嬉しいこと言ってくれたお前が悪いんだからな!
――(私の一番はずっと変わらないよ、バカ律)
終わり。
最終更新:2010年11月14日 00:44