「地震が起こったとき、いつもの唯先輩じゃなくって、だから私が唯先輩を
守らなきゃって……。だけど、凄く不安でした。それで他の先輩方と離れてよけいに
怖くなって……」

それでもずっと、泣くのを我慢していた。
唯に涙を見せてしまったら唯をよけいに不安にさせてしまう。
けど、今の唯なら自分の不安と唯の不安を分け合えるような気がした。
だから梓は、今までの自分の心内を吐露した。

「……ごめんね、あずにゃん」

唯は、梓の言葉を聞き終えるとただそれだけ言って、梓の背中に自分の腕を
まわした。
そして、いい子いい子というように、咽び泣く梓の頭を撫でた。

「私ね、昔から地震が怖かったの」
「……見てたらわかりました、そんなこと。意外でしたけど」

「う……」

唯は、梓の言葉にめげながらも言葉を繋いだ。

「何でかわかんないんだけど、トラウマなのかなあ、地震が起こるたびに頭が
パニクっちゃって……。それにこんな大きな地震って初めてだから、よけいに
どうしよう!?ってなっちゃった」

「……はい」

「でもね」

唯は一旦言葉を切ると、梓と身体を離して、梓の目を見て、微笑んだ。

「澪ちゃんにも言ったけど、私、皆がいてくれたから冷静になれたし、あずにゃんが
手を握ってくれたから安心できた。たぶん、ここにあずにゃんがいなかったら私、
怖くておかしくなってたと思う」

梓はあまりにストレートな唯の言葉に少し赤面して目を逸らした。
そんな梓を再び抱き締めると、「ありがとね、あずにゃん」と唯が囁くように言った。

「べ、別にお礼なんて……」
「えへへ」
「……唯先輩」

梓は照れてしまって唯の肩に顔を埋めた。
それから、そのままで唯の名前を呼んだ。

「なに、あずにゃん?」
「絶対、無事に外に出ましょう。一緒に帰りましょう」
「うん」
「それで、澪先輩や律先輩やムギ先輩、皆に笑顔で会いに行きましょう」
「……うん」

「約束です」と梓が言った。
唯が「指きりげんまん!」と梓と自分の小指を絡めた。
目と目が合って、笑い合う。

その時、近くで瓦礫の山が崩れる音がした。


狭くて通りにくいものの、道のように真直ぐ伸びているところを律たちはひたすら
出口を目指して突き進んでいた。

「おいおい、うちの学校ってこんなに広かったか?」
「学校が崩れたときに横に瓦礫が流れていったから、よけいにかも……」

澪が律の疲れた声に答えたその時、ガラッと音を立てて瓦礫が上から落ちてきた。

「ひっ!」
「澪ちゃん、大丈夫!?」

律と紬が振り向いたときにはもう遅かった。
最後尾を進んでいた澪の姿は、落ちてきた瓦礫に阻まれ見えなくなっていた。

「澪!?」

律たちは急いで駆け寄った。無事か?と向こう側に問いかけると、「なんとか」と
声が返ってきた。

「澪、ちょっと後ろに下がってろ、すぐにこの瓦礫を……」

律がそう言って瓦礫を押し倒そうとしたとき、「だめだ!」と澪の切羽詰った
声が聞こえた。


「澪ちゃん?」
「また落ちてきそ……」

澪の声がそこで途切れた。
向こう側で、さっきよりももっと大きな音が響いた。

「おい澪!?澪っ!」

いくら名前を呼んだって返事は返ってこない。
「くそっ」と律が目の前にある瓦礫を叩いた。しかし、それはびくともしなかった。

と、紬が「りっちゃん!」と言って北側に少し出来た隙間を指差した。
そこから煙が出ていた。
それでやっと、律たちは火事が起こっていたことを思い出した。

「まだ消えてなかったのかよ!」
「このままじゃまずいよね、なんとかしないと……」

ここまで煙が届いているとすると、澪のいる向こう側は既に火が回ってきている
状態かも知れない。

「こっちから澪のとこに行けないのかよ!?」
「りっちゃん、そんなの無茶よ!」
「けど澪をほったらかしになんてできねーよ!」

律がそう言ったとき、ポケットの中で携帯が鳴った。
唯の声がその場に流れる。
放課後ティータイムの「ふわふわ時間」。

携帯を出してみると、澪からだった。
それを見て、今更ながら律と紬は携帯で唯たちにも連絡をとればよかったのだと
いうことに思い当たった。
けど、それを思いつくことも出来ないほど混乱していたのだから仕方無い。
それに唯には梓がついてる。きっと大丈夫だ。

とりあえず律はそう思うことにして、通話ボタンを押した。

『律?』

「澪!?無事か!?」

電話越しの澪の声は、諦めや恐怖や、色々な感情の色が滲んでいた。
人は本当に終わりだと感じたとき、冷静になれるものなのだろうか。
思わず叫んだ律に、澪が『うるさい』と笑った。

『……今ね、凄い火が来ちゃってて』
「待ってろ、すぐ……」
『無理だよ。だから律、ムギと一緒に逃げて。それで唯たちと無事に再会して……』

しかし律は澪の言葉に覆い被せるようにして、言った。

「しねーよ!」
『え?』
「澪とムギと一緒じゃなきゃ、唯たちに会えるわけないだろ!」

『けどもうだめなんだよ!すぐそこまで火が迫ってきてる!もう助からないんだ!』

澪が泣きそうな声でそう言った。
いや、もう泣いてしまっているのかも知れない。

「じゃあ……、じゃあ何で澪は私に電話したんだよ!」

 『なんでって……』

「私やムギにお別れの言葉言うためか!?今までありがとうってか!?違うだろ!
ほんとはまだ、澪だって諦めてない!ほんとは助けを待ってるんだろ!」

 『ちが……』

「もし違ったとしても、けど私は澪を助けたいんだよ!澪が諦めてたとしても、
それでも私は澪と一緒に外に出たい!生きて帰って、そしてまた放課後ティータイムで
一緒に演奏したいんだよ!」

待ってろ、律はもう一度言った。
澪はもう、何も言わなかった。ただ、律は見えないけど向こう側で澪が頷いた
ような気がした。

電話を切ると、律は紬に向き直った。
話を聞いていた紬は、「私も行く」と言って律を見た。
けど律は首を振った。

「ムギはここで待っててくれ。必ずまた戻ってくるから」
「……わかった」

紬は頷くと、「待ってるね」と言って笑った。律も「あぁ」と笑い返した。


熱い。
真っ赤な炎がもうすぐ澪を飲み込もうとしていた。
逃げ場はもうなかった。

けど、澪は携帯をぎゅっと握り締め、信じていた。
律が来てくれることを。

律の言葉で、やっぱり生きたいと思った。
まだやりたいことが沢山あるんだと。
まだ伝えなきゃいけないことが沢山あるんだと。

ここで、死ぬわけにはいかない。

ガラッ

またどこかで瓦礫が崩れる音が響いた。
けど、近くではないようなので澪はほっと息を吐いた。
煙を吸い込まないように、澪はしゃがみ込む。
その時、小さいながらも聞き覚えのあるリズムが聞こえてきた。


「翼を下さい?」

唯は聞こえてきたリズムに耳を澄まして呟いた。
梓も同じように耳を澄ましてみると、確かに何かを叩く音が聞こえた。

この、少し走り気味のリズムは――

「律先輩!?」
「りっちゃんだ!りっちゃんがすぐそこにいる!」

唯たちは叫んだ。
正直、もう諦めかけていた。すぐ傍から熱気が伝わってきて、もうすぐ火が
自分達の場所に到達するとわかっていたから。

けど、律の刻むリズムが「諦めるな」と言っているように聞こえた。


「りっちゃん……!」

律の刻む音が、想いが、紬の耳にも届いた。
もう、ここにいたって感じる熱気に負けまいと、紬は歌った。

皆の無事を祈って。
皆をここで待ってるよ!そんな想いを込めて。

 「今 私の 願い事が 叶うならば 翼が欲しい!」

生きて一緒に帰るんだ。
そして、私たちの始まりの曲を、今度は五人で、放課後ティータイムで演奏するんだ!


紬の歌声が、瓦礫の山に響いた。
律はだから、ずっと「翼を下さい」のリズムを刻み続けた。

すぐ傍で、皆の演奏が、歌声が、聞こえるようだった。

いや、違う!
聞こえるんだ、皆の歌声が!

 「この背中に 鳥のように 白い翼 つけて下さい!」

梓が。

 「この大空に 翼を広げ 飛んで行きたいよ!」

唯が。

 「悲しみのない 自由な空へ 翼はためかせ!」

澪が。

 「 いきたい! 」

皆の声が。
聞こえた!

律は叫んだ。

「澪!唯、梓!」

律のいる、下のほうから澪の声が聞こえた。前を向くと、いつのまにか火がすぐ
傍まで近寄ってきていた。

「律!」
「澪、手伸ばせ!」

澪が必死に手を伸ばす。律もそれを掴もうと、必死で手を伸ばした。
二つの指が僅かに触れ合い、そして離れそうになった。
けど、二人はそれを絶対に離さなかった。
力を込めて、やがて手と手が繋がった。

ぐっと力を込め、澪を引っ張り上げる。
手が滑りそうになったとき、近くから唯の歌声が聞こえてきた。
ふわふわ時間だった。
それに梓のコーラスが被る。

律はさらに力を込めると、澪を引っ張り上げた。
丁度その瞬間、勢いよく火の海が今まで澪のいた場所に押し寄せてきた。

「危ねぇ……」

二人は安堵の息を漏らした。
それから、律は立ち上がると澪に手を差し出した。

「澪、おかえり」
「……ただいま、律」

もう一度、手と手を繋ぎ合う。
今度はちゃんと、しっかりと。

ふわふわ時間が終盤に差し掛かってきたとき、またどこかで瓦礫の崩れる音が
響いた。
だんだんと煙が進入してきて、目が、喉が痛かった。

それでも唯たちは歌った。仲間を信じて。

 「あぁ カミサマ お願い 一度だけの」

 「Miracle Time ください!」

梓ではない、別の声が唯の声にはもった。
澪の声だった。

ガラガラッ

今度は近くで崩壊の音が響く。
律や澪の悲鳴が聞こえた。

「律先輩、澪先輩っ!」

梓が叫んだとき、突然上の瓦礫がなくなり、少しだけ明るくなった。
そして、そこから真っ黒になった律先輩と澪先輩が覗いていた。

「唯、梓!大丈夫か!?」

「りっちゃん!澪ちゃん!」

唯が、二人の無事な様子を見て泣きそうになっている梓の手を掴んで引っ張った。

「あずにゃん、帰ろう!」

「……はいっ!」

律が、澪が、唯と梓に手を差し伸べる。
四人の手が、繋がる。


声が、聞こえなくなった。
聞こえるのは、風の音と、そして炎が全てを燃やし尽くそうとしている音。

「……風の音?」

紬はハッと風の吹いてくる方向を見た。
光こそまだ見えないものの、確かに風が、吹いてくる。
きっと消防署や学校関係者の人が必死で捜索してくれているんだ。

紬は再び前に向き直ると、「私はここにいるよ!」という言葉を込めて、
再び翼を下さいを歌った。

 「今 冨とか 名誉ならば いらないけど 翼がほしい!」



「ムギちゃんだ!」

唯が声を弾ませた。
四人は頷きあう。

「待ってろよ、ムギ!」

律が叫ぶと、それに答えるかのようにさらに大きな声で紬の歌声が響いた。

 「子どものとき 夢見たこと 今も同じ 夢に見ている!」

熱い炎が、だんだんと感じなくなってくる。消火活動が進んでいるのかも知れない。
前に進むごとに、瓦礫が崩れていく。
だけど律たちは進むのを止めなかった。

紬のいる場所へ、全員で。
そして五人揃って外へ!


また崩れる音がした。
思わず目を瞑った紬が次に目を開けたとき、目の前には懐かしい仲間の姿があった。

「ムギ!」
「ムギちゃん!」
「ムギ先輩!」

澪が、唯が、梓が、そして律が、「ムギ、ただいま」と。

紬は「おかえり」と、ただそれだけしか言えずに、四人に手を差し出した。
二人の繋がった手が二人に繋がり、一人に繋がり、そして五人に繋がった。

「皆ぁ……」

ようやく皆が揃ったとき、唯が鼻をすすって泣き出した。
律は笑うと「バカ」と唯の頭を軽く叩いた。

「まだ泣くとこじゃねーだろ。ほら澪も」
「……うん」

律は澪の涙を拭うと、風が吹いてくる方向に顔を向けた。
最後のひと踏ん張り。

「行くぞ!」

いつのまにか、光が漏れてきていた。
さわ子の声が聞こえてきた。

今目の前にある瓦礫をどけることさえできたら、きっと外に出られる。

 「この大空に 翼を広げ 飛んで行きたいよ」

律は歌った。
律の歌声に、唯の、澪の、紬の、梓の声が重なっていく。

 「悲しみのない 自由な空へ 翼はためかせ」

        いきたい





















                   そして光が、五人を照らした――

終わり。



最終更新:2010年11月17日 23:19