唯ちゃんの部屋に入るのは久しぶりだった。
そういえば、唯ちゃんの家に来ること自体、久しぶりじゃないかな?
そう思いながら部屋を見回していると、唯ちゃんがごそごそとギターケースを
開けてギターを取り出した。

「ムギちゃんムギちゃん、一緒に何か演奏しようよ!」
「え、でも私楽器ない……」
「あ、そっかあ……」

唯ちゃんが残念そうに呟いた。
そして、ジャーンと一度だけギターの玄を震わせると、「そうだ!」と声を上げた。

「私がギター弾いて、ムギちゃんが歌えばいいんだよっ!」

「……え、けど……」

唯ちゃん、さっき憂ちゃんにギター弾いちゃだめって言われてなかった?
けど唯ちゃんは、そんなこと忘れたというように「やろうよやろうよ!」と言って
私を甘えるような視線で見る。

そんな目をされたら断るわけにはいかないよ。

「私、歌、上手くないよ?」
「大丈夫だよ!ムギちゃん声綺麗だし。それに一度、ムギちゃんの歌声、
聴いてみたかったんだー」

唯ちゃんは嬉しそうにそう言って、ギターをかき鳴らし始めた。

「この曲は……ふわふわ時間!」
「さすがムギちゃん!」

唯ちゃんの手が、何度もストローク。
確かなメロディーを紡いでいく。

唯ちゃんが、私を催促するように歌いだす。
私もそれに合わせて歌った。
唯ちゃんと私の声が溶け合って、ハーモニーが生まれていく。

気持ちいい!
ぞくぞくするくらい、それが気持ちよかった。

下から憂ちゃんが怒った顔を覗かせるまで、私たちは歌い続けた。

憂ちゃんが怖い顔で私たちを注意しに来ると、私と唯ちゃんは必死になって謝った。
そうすると、憂ちゃんは私たちの頭を撫でて「しょうがないなあ」と笑って許してくれた。

憂ちゃんが部屋を出て行くと、私たちは「そろそろ寝ようか」という話になり、
唯ちゃんは押入れから布団を出そうと立ち上がった。

「あ、私も手伝うね!」
「うん、ありがとー」

一緒に重い布団を唯ちゃんのベッドの傍に置くと、唯ちゃんは「疲れたー」と
布団をちゃんと敷くまえに寝転んでしまった。
私もその横に寝転んでみる。部屋の電気がチカチカと少し眩しかった。

「あーなんかもうこのまま寝ちゃってもいいやー」
「だめだよ唯ちゃん。風邪引いちゃう!それに唯ちゃんはベッドで……」
「ムギちゃんが私のベッド使っていいよー」

唯ちゃんが腑抜けた声で、そう言った。

「でも今寝ちゃったらお風呂入れないよ?布団敷いてからお風呂入るんだったよね?」
「……、そうだった」

私の言葉に、唯ちゃんはしばらく沈黙すると、のっそり起き上がった。
ちょうど、憂ちゃんが「お風呂沸いたよー」と下から叫んだ。

「唯ちゃん、お風呂どっちが先に……」
「ムギちゃん、一緒に入ろうよ」

唯ちゃんは、さっきまでとはうってかわって元気な声になると、私をそう誘った。

……えっと、一緒に?

「ででで、でも唯ちゃん……!」
「だいじょーぶだよムギちゃーん、合宿だって一緒に入ってたもん」

私の反応が楽しかったのか、唯ちゃんは凄く楽しそうに笑いながら言って、
「行こう」と私の手を引っ張り浴室まで連れて行った。

「けどいざ二人っきりでこうしてると、なんか妙に恥ずかしいね」
「えぇ……」

私たちはお互い、相手を見ないようにしながら背中合わせで服を脱いだ。
唯ちゃんが「それじゃあ先に入ってるね」と浴室のドアを開けて中に入った。
私もその後すぐに、唯ちゃんの後に続いた。

「わあ、唯ちゃんのお家のお風呂って広いのね!」

「えー、そんなことないよー?ムギちゃんの家のほうがきっともっと……」

唯ちゃんはそこまで言って黙り込むと、突然「ごめん」と謝ってきた。
私はその理由がわからなくて、どうしたの?と訊ねた。

「えっと、ムギちゃんが家にいる間は出来るだけ、ムギちゃんも私たちの家族の
一員みたいに過ごしてもらおうってて……。ムギちゃん家の話のこととか
もで切る限りしないでおこうって思ってて……」

唯ちゃんはそう言って申し訳なさそうに私を見た。
その表情がさっきお皿を洗わせてもらったときの憂ちゃんの顔とそっくりで、
思わず笑ってしまった。

「そんなこといいよ、唯ちゃん。気にしないで」
「そ、そう……?あ、ムギちゃん、早く入って入って!寒いでしょ!」

唯ちゃんは浴槽から手を出して私を招いた。
浴槽に身を浸すと、温かいお湯が私の全身を温めてくれた。

「あー、気持ちいいねえ、ムギちゃん……」
「うん……」

二人でしばらく温かい時間を満喫する。
けど、さすがに10分もしたらのぼせてきてしまった。

「唯ちゃん、私そろそろのぼせてきちゃった……」
「え!それじゃあ頭洗おっかー。ムギちゃん、私が洗ったげる!」
「ほんとー?じゃあお願いしちゃう」

唯ちゃんは「任せて!」と胸を叩くと、私をシャワーの前に座らせた。

唯ちゃんの手が、私の髪を梳いて行く。
頭をマッサージするように手を動かしていくので、うっかり眠りそうになってしまう。

「唯ちゃん、洗うの上手いねえ、美容院で働いたって大丈夫なんじゃない?」
「えへへ、そうかなあ?」

唯ちゃんが嬉しそうに笑って「じゃあほんとになってみようかな」と言って手を
動かし続ける。
シャンプーを泡立て、髪を丁寧に洗っていく。

「ムギちゃんの髪ってすごい綺麗だよね」
「そうかな?」
「うん、すっごい!私も髪伸ばしてみたいんだけど、ちょっと無理そう。お手入れとか
も大変そうだし……」

それならいっそ、りっちゃんみたいにオデコ出しちゃったら?と言うと、唯ちゃんは
それだけはだめ!と首をぶるんぶるんと勢いよく振った。

シャワーで泡を落とすと、唯ちゃんは「よし、終わり」と言ってへなへなと
してしまった。

「ちょっと頑張りすぎちゃったよー」
「それなら今度は私が頑張る番ね!唯ちゃんの髪洗う!洗いたい!」
「えー、別にいいよー」
「遠慮しないで!」

唯ちゃんがそれなら、と言ってさっきとは逆に私が今まで座っていたシャワーの前に
座った。

唯ちゃんの髪も、少しだけ癖があったけど、綺麗な髪だった。
りっちゃんや梓ちゃんの髪みたいにさらさらでもないし、澪ちゃんみたいに艶もない
けど、私は唯ちゃんの髪にいつまでも触れていたいと思った。

「はい、終わり」
「ムギちゃんありがとー。いつもの倍きれいになった気がするよ」
「どういたしまして」

ふふふ、と笑い合う。
なんかいいな、って思った。誰かの髪を洗うのも、誰かに洗ってもらうのも。


お風呂を上ると、憂ちゃんが冷たいアイスクリームを用意してくれていた。
パジャマは唯ちゃんのものを貸してもらった。

「憂ー、太っ腹~」

唯ちゃんが嬉しそうに憂ちゃんに抱き着く。

「もう、お姉ちゃんったら。けどちょっとだけしか食べちゃだめだよ?太っちゃうよ?」
「わかってるもん」

唯ちゃんはぶーと頬を膨らませながらも早速お皿に盛られたアイスをつついている。
憂ちゃんが「紬さんも早く食べちゃってください!」と私を手招いた。

「あ、そうだういー」

アイスを三人で食べながら、唯ちゃんが突然思い出したように言った。

「なに、お姉ちゃん?」
「今はね、ムギちゃんのこと紬さんじゃなくってムギお姉ちゃんって呼んだら?」
「え!」

声を上げたのは憂ちゃんじゃなくって私だった。
私が憂ちゃんに「お姉ちゃん」って呼ばれるなんて……。

「ムギお姉ちゃん?」

憂ちゃんが首をかしげながら訊ねるようにして「お姉ちゃん」と言った。
嬉しいような、照れ臭いような、そんな気持ちで思わず「うふふ」と笑ってしまった。

「もう、ムギお姉ちゃん笑わないでよう」

憂ちゃんが頬を膨らませる。それでまた私は笑ってしまう。
いつのまにか、憂ちゃんの口調が敬語じゃなくなっていた。

「なんだかほんとの姉妹みたいだねー」

唯ちゃんがアイスを舐めながら微笑んだ。


気が付くと、いつのまにか夜遅くなっていた。
明日も学校があるからと、私たちは部屋に戻った。
憂ちゃんとは二階の階段を上ったところで別れ、唯ちゃんの部屋へ。

「ばっふーん!」

部屋に入るなり、唯ちゃんは謎の言葉を発してベッドに倒れこんだ。
唯ちゃん曰く、「テンションが高いときに出る擬音語」だそうだ。

「だって、ムギちゃんと二人だけで寝るのって初めてでしょ?だから嬉しくって」

嬉しいのは私だって一緒。
けど、唯ちゃんも嬉しいと言ってくれてその倍嬉しくなった。

さっき敷いた布団に寝転ぶと、唯ちゃんが突然私の横に潜り込んできた。

「唯ちゃんの身体、暖かいねー」
「そう?」

そろそろ肌寒くなってきた季節で、アイスを食べたせいか冷えてしまった身体が、
唯ちゃんの体温で暖められていく。

「今日はムギちゃんの隣で寝ちゃおうかなー」
「どうぞどうぞ」
「じゃあそうしちゃおー!」

唯ちゃんは上半身だけを起こすと、ベッドから枕を引きずり落とすと私の枕の
隣にばさりと音をたてて置いた。
唯ちゃんがそのまま、その枕にダイブしたので私もうつ伏せに寝転がった。

「ムギちゃん、なんだか嬉しそうだねえ」

唯ちゃんは足をパタパタさせながら、私の顔を見てにこにこした。
そういう唯ちゃんだって嬉しそう。

「そうかな?」

「うん、すっごい嬉しそう!」
「誰かと一緒の布団で寝るの、初めてだから、かな……」

私が眠るときはいつも一人だった。ずっと幼い頃から。
斉藤が私が眠りに落ちるまで傍にいてくれたけど、それでも私は寂しかった。
一度でいいから、両親の温もりに包まれて眠りたいと何度も思った。
結局それは、今まで叶わなかった。だけど、両親ではないけど、大切な人が
私の傍にいてくれる。

だから私は、唯ちゃんの言う通りすごく嬉しくて、すごく安心できた。

「そっか……。ふふっ」

唯ちゃんは突然笑い出すと、布団の中に手を入れてぎゅっと私の手を握ってきた。
そして、温かい何かが足に触れた。唯ちゃんの足だった。

「ムギちゃんの足冷たいねー!」
「唯ちゃんの足は温かいよ」
「でしょー?だから私が温めてあげる!」

唯ちゃんはそう言うと、両足で私の足を挟んで擦り合わせてきた。
摩擦で、足がだんだん温かくなってくる。

「温かいねえ……」
「へへっ、私も温かくなってきた!」
「唯ちゃんは元々温かかったよ?」
「違うよー、足はそうだけど、身体は寒かったんだよ!?」
「そうなの?」

そんなどうでもいいような会話を続ける。
それなのに、私たちは何がツボにはまったのかもわからないまま、笑い転げた。
楽しくて楽しくて仕方がなかった。

こんな夜は、初めてだった。

「そろそろ寝ようかあ……」

日付が変わった頃、私たちは漸く話のネタがなくなり静かになった。
けど、目は冴えていて中々眠れない。
隣から、規則的な息遣いが聞こえてきた。

唯ちゃん、寝ちゃったかな。

そっと首を動かして横を見てみた。
すると、暗がりの中、唯ちゃんと目が合った。

「ムギちゃんも起きてたんだ」
「うん、なんだか眠れなくって……」

「そっか……」

唯ちゃんが目を伏せた。
そして、もぞもぞと身体を動かして私のほうに擦り寄ってきた。

「唯ちゃん?」
「私、おかしいのかも」
「何が?」

訳がわからずに訊ねると、唯ちゃんは「だって」と言って寂しそうに笑った。

「ムギちゃんがどれだけ寂しかったのかなって想像すると、私まですごく寂しく
なってきて……」

何でだろ、と唯ちゃんは私の胸の辺りに顔を埋めながら呟いた。

何も掛ける言葉が思いつかずに、「……ごめんね、唯ちゃん」と謝ると、
唯ちゃんは「違うよ」と遮った。

「違うの、ムギちゃん。ムギちゃんが謝るとこでも、お礼言うとこでもないんだよ。
だって、こんなのって私の自己満足だもん。わかってる。本当のムギちゃんの
寂しさなんて、私わかんないから」

「唯ちゃん……」

「でもね、それでもやっぱり、想像するだけでも苦しくなっちゃうんだ……。
私の家だってよく両親も出かけてるけど、それでも小さい頃はずっと一緒にいてくれた
し、今だって憂もいてくれる。だけどムギちゃんはずっと一人なんだよね?」

唯ちゃんはそこで言葉を切ると、視線を上げた。
けど、目は合わなかった。
合わせてくれなかった。暗いのに、唯ちゃんの目が少し光って見えた。

「私、名前が“唯”のくせに、一人が苦手なの。ずっと誰かと一緒じゃなきゃ
怖くて。けど、皆がいてくれたら私はすごく幸せ。だからね、ムギちゃんの話聞いた
ときも、今だって、物凄く不安になって……」

「うん……」

「誰もいないなんて、嫌だよね。寂しいよね」

唯ちゃんの声が、だんだん震えてくる。
私は小さく首を振ると、ぎゅっと唯ちゃんの背中に手を回した。

「寂しくないよ、今は……。唯ちゃんがずっと傍にいて、私の為に泣いて
くれてるから……」

寂しくない。だから唯ちゃんも泣かないで。
今夜だけでも、こうやって誰かと一緒の布団で眠れることが私は幸せだから。

唯ちゃんは、私の腕の中で泣きじゃくった。
隣の部屋にまで聞こえるんじゃないかというくらい。
きっと、唯ちゃんの泣き声が聞こえたら、憂ちゃんはすぐに飛んでくる。

「唯ちゃんはいいなあ……」

唯ちゃんの頭を撫でながら、私は呟いた。

「え?」
「……唯ちゃんは、皆に愛されてるから」

皮肉でも嫌味のつもりでもない。
ただ、純粋にそう思った。

だから唯ちゃんは、こんなにも誰かの為に泣ける、優しい子になったんだと
思う。

「ムギちゃんだって、皆に愛されてるよ!」

唯ちゃんは涙を拭いながらはっきり言った。

「皆、皆ムギちゃんのこと、大好きだもん、絶対にムギちゃんのお母さんやお父さん
だってそうだよ、私だって、ムギちゃんのこと大好きだもん……!」

唯ちゃんは突然ガバリと布団を跳ね上げ起き上がった。

「ムギちゃんだって皆が好きなように、皆だってムギちゃんのことが大好きで……」


寂しかった。
悲しかった。
結局、どこにも自分の居場所がないような気がしていた。

軽音部でだって、りっちゃんと澪ちゃんはいつでも仲が良いし、唯ちゃんと梓ちゃんだって
そう。私はその四人が楽しそうにしているのを見ているだけでよかった。最初は。
けど、いつのまにかその中に入りたいと思っている自分が居た。

家でも、学校でも、私はずっと、一人な気がしていた。
必ず誰かが傍にいてくれるのに、私はずっと一人だと思っていた。

私は愛されて無いんだって、心のどこかでへそを曲げていたのかも知れない。

だから気付かないふりをした。
皆の笑顔に、皆の温もりに。

自分の心の中に、閉じこもっていただけだった。
高校生になったら、自分の殻を破ろうと思っていたのに、結局何も変わって無い。


「唯ちゃん、私、ほんとはね……」

「え?」

「寂しかったのもあるけど、唯ちゃんや梓ちゃんや、りっちゃんや澪ちゃんを見て、
誰かに愛されたいな、なんて変なこと、思ってたの」

唯ちゃんが、驚いたように私を見た。
私は身体を起こすと、何も声を発さない唯ちゃんと向き合った。

「バカだね、私……」

私は笑った。
初めて、目頭が熱くなって、私は慌てて上を向いた。

「ムギちゃん……」
「ごめんね、唯ちゃん、私が変なこと言って……」

唯ちゃんは「ううん」と首を振ると、私に抱き着いてきた。
今度は、ちゃんと、しっかりと。

「大丈夫だよ、ムギちゃん。……大丈夫。みーんなムギちゃんのこと愛してるよ」

「うん、ありがとう」

「私も、ムギちゃんのこと、大好きだから」

「……うん、私も」


唯ちゃんのこと、大好き。

目が合う。私たちは笑い合う。
やっと、通じ合えた気がした。

放課後の部室を、学校を、教室を、広々とした自分の家。
りっちゃんや澪ちゃんや梓ちゃんや。クラスメートや先生、皆の顔。
全部全部、頭に思い浮かべる。

皆温かくて優しかった。

もうきっと、大丈夫。
明日から、どんな朝も夜も、私は寂しくないよ。

皆が、唯ちゃんが、ちゃんと私の傍にいるから。

終わる。



最終更新:2010年11月21日 02:46