私は、唯先輩に依存しているのかも知れない。




――――― ――

「あーずにゃんっ」
「にゃっ!?」

やっぱり、いつまで経っても慣れない。
唯先輩に抱き着かれるのは。

私は元々、スキンシップなんてしないタイプだったし、どちらかといえば寧ろ、
誰かに抱き着いたり抱き着かれたりするのは、たとえどれだけ仲の良い友達だったと
しても苦手だった。

だから最初、唯先輩に抱き着かれることに抵抗を覚えて、「あ、この人苦手だな」
なんて思ってしまっていた。
もちろん、今はそんなこと思ってないけど、それでも抱き着かれることについては、
慣れるものじゃない。

「どうしたの、あずにゃん?最近元気ないけど?」

唯先輩が、私の頬を人差し指で突きながら訊ねてきた。
私は「何でもないです」と顔を背けた。

もうすぐで、季節は春になる。
窓から見える校門へと続く道が、桜で満開になる頃、先輩たちは卒業してしまう。
そのことを考えてしまって、最近じゃ練習だってまともに出来ない。

「ほんとにー?」
「ほんとです」

あぁ、どうしてだろう。
軽音部に入りたての頃みたいに、唯先輩に対しての態度が悪くなってしまう。
ほんとはもっと、素直になりたいのに。

私は首に回された唯先輩の手を解くと、ギターケースに手を掛けた。
本当に、自分が嫌になる。

後ろを振り向かなくても、唯先輩が悲しそうな顔をしているのは想像できた。
だから私は、唯先輩のほうを向かなかった。

「あ、そうだあずにゃん、次の土曜日、暇?」

私がギターをチューニングしだすと、それを黙って見ていた唯先輩が、突然
訊ねてきた。
今日は他の先輩方は、用事があるらしく部室にはいなかった。

「次の土曜日、ですか?……暇ですけど」
「それなら一緒に遊びに行かない?」

「はあ……二人だけ、ですか?他にも誰か……」
「二人だけだよ」

私は曖昧に頷いてから訊ねると、唯先輩はきょとんとしながら答えた。
唯先輩と一緒に遊びに行くは大して珍しくないけど、
それは軽音部の皆でというのが殆どだったので、二人だけなんて珍しい。

やっぱり、卒業前、だからかな?
お別れを言うために?
まさかお礼参り?
……は唯先輩に関してはないよね。

何にしても、変なもやもやが私を襲った。


唯先輩に、「何かあるんですか」と訊ねようとしたとき、タイミング悪くチャイムが
鳴った。
下校時間のチャイムだった。

唯先輩がのんびりした動作で「帰ろっか」とカバンを持った。
私は聞くタイミングを逃してしまって、「はい」と大人しくギターをケースに仕舞った。


校門をくぐって、いつもの場所で唯先輩と別れても、次の日になっても、
ずっと変なもやもやは消えてくれなかった。

部活でも、唯先輩は抱き着いてくるけど私はそれを適当にあしらうだけで、
何も聞こうとしなかった。
何となく、聞けなかった。

結局そのまま、一週間が過ぎていった。
金曜日、唯先輩から一通のメールが届いた。

『あずにゃん、明日は朝9時に駅前に集合だよ!』

『わかりました』

私はそれだけ書いて返信をした。
その返信は、当たり前と言っちゃ当たり前だけど、少しだけ私を不安にさせた。


「おはよー、あずにゃん!」

少し遅れて待ち合わせ場所に行くと、唯先輩は早速私に抱き着いてきた。
そうしてくるだろうとは予想していたので、変な声は上げずにすんだ。

「おはようございます」
「あずにゃんの私服、可愛いねえ」
「唯先輩も……」

頬をすり寄せてくる唯先輩を何とか離そうとしながら私は言った。
唯先輩が「そう?」と言って嬉しそうに笑う。

「今日はね、あずにゃんと遊ぶから憂にも手伝ってもらってとびっきりお洒落して
きたんだよー」

「なんですか、それ」
「だって、あずにゃんには可愛く見られたいもんっ」

呆れて溜息をつくと、唯先輩が頬を膨らませた。
私は目を逸らすと、「それで、どこ行くんですか」と話を逸らした。

「あ、うん、あずにゃんはどこ行きたい?」
「え!?決めてなかったんですか!?」
「えへへ」

悪びれなく頷いて笑う唯先輩に、今度こそ本当に呆れてしまった。
どこか行く場所があるから誘ったというような言い方をしていたので、てっきり
決めていると思っていたから。

「でも私、大して行きたい場所とか、ないですよ?」
「うん。私はあずにゃんと一緒に行けたらどこでもいいよ」
「……はあ。それなら……ペットショップは?」

唯先輩の冗談に何を言う気にもなれずに、私はとりあえずうるさい駅前から
離れようと提案した。
唯先輩が「おぉ」と謎の声を上げた。

「あずにゃん、何か動物飼いたいの?」
「あ、いえ!」
「でも猫とか飼ってみたらいいのにー。あずにゃんと猫かー、ふふっ」
「何想像してるんです」
「べっつにー」

唯先輩は相変わらず「ふふふ」と笑いながら、突然私の手を掴んで「しゅっぱーつ」と
歩き出した。
私は、恥ずかしくて手を繋いで歩いているように見られたくなくて、わざと唯先輩の
後ろのほうを歩いた。


「先輩、先輩!猫ですよ、猫がいますっ」
「だって、ここペットショップだもん」
「あぁ!今欠伸しました!すごい、可愛い!」

唯先輩が、疲れたように「うん、そうだね」と相槌を打った。
ペットショップを回り始めて、今は三軒目。
「そろそろ違う場所行かない?」と言う唯先輩を無視して、私は猫を見て目を
細めた。

「あずにゃんって動物、そんなに好きだったんだね……」
「はい!」

勢いでペットショップと言った私だけど、まさかそんな私がここまでペットショップ
巡りに熱中してしまうとは自分でも思わなかった。

私が動物の入っているゲージから離れたのは、そろそろお昼時の頃だった。

「なんというか……。すいません、唯先輩」

流石の私も、ぐったりしている唯先輩に頭を下げた。
「動物、苦手だったんですか?」と訊ねると「違うよ」と唯先輩は首を振った。

「ただあれだけ一度にペットショップ行くと、さすがに飽きてきちゃって」
「う、すいません……」

「ううん、あずにゃんが楽しそうで良かったよ」

唯先輩がふんわり笑って私の頭を撫でてくれた。
それから、「じゃあ次は私の行きたい場所、行っていい?」と訊ねてきた。

「結局行きたいとこあったんじゃないですか!」
「違うよ、今思い出しただけだよ!」

唯先輩の目が泳いでる。
きっと、最初からそこに行くつもりしてたんだ。
けどそれならどうして先にそっちに行かなかったんだろう。

「それで、どこに?」
「うん、すぐそこ」
「へ?」

唯先輩が指差した先は、いつか一緒にギターの練習をした河原だった。
いつのまにこんな場所に来てたんだろう。
気が付かなかった。

「でも、ここで何するんですか?何もすることないじゃないですか」
「うん、そうなんだけどね。もう一回、あずにゃんと二人でここに来てみたかったんだ」

唯先輩はそう言うと、私の手を引いて、以前の場所に私を座らせ、唯先輩も
私の隣に腰を下ろした。
それっきり、無言のまま、ただ時間だけが過ぎていった。

何か言わなくちゃ、と思いながら唯先輩の横顔をちらりと盗み見ると、唯先輩の表情は
どきんとするほど大人びていた。

あれ?唯先輩ってこんな顔、したことあったっけ?

「ねえ、あずにゃん」

ふいに、唯先輩が口を開いて私を見る。
目が合った。
無意識のうちに、私は唯先輩から目を逸らしてしまった。

「あずにゃんは、私のこと、嫌いなんだよね?」

「……え?」

突然、それは本当に突然のことで。
私は驚いてしまい、何も答えることが出来なかった。
唯先輩は、前に向き直ると、言葉を続けた。

「私、知ってたよ。あずにゃんが私に抱き着かれるの嫌がってたの」

そんなことないです!
そう言いたいのに、声が出ない。
唯先輩の顔が、あまりにも真剣だったから。

「けど私はあずにゃんのこと、大好きだったし、あずにゃんに抱き着くことだって。
あ、今でも大好きだけどね」

だけど、あずにゃんは嫌だったよね?

唯先輩はそう言って、「ごめんね」と悲しそうに微笑んだ。
胸が締め付けられるような思いがした。

「でも良かったね、あずにゃん!私、もうすぐ卒業するんだから」

唯先輩、違います!

「あずにゃん、やっと私から離れられるよ」

私は……!

「今までごめんね、それから沢山、色々してくれてありがとう」

待って下さい、唯先輩!

手を伸ばした。
届かなかった。
唯先輩は、振り向かずに行ってしまった。

私はその場所に一人、取り残された。


――――― ――

私は、唯先輩に依存しているのかも知れない。

抱き着かれることだって、唯先輩と一緒にいることだって、
本当は私は大好きで。

唯先輩が、あまりにも優しいから、私はその優しさに甘えていただけだった。
唯先輩を引っ張っているつもりが、本当は引っ張られてた。支えられていた。

私は、唯先輩に依存している。
だけど、唯先輩は卒業してしまう。

私は、一人じゃ、唯先輩がいなきゃ立っていられないのに。


「平沢唯」

唯先輩の名前が呼ばれる。
「はいっ」と元気な声で返事をして、唯先輩は壇上に上っていった。

卒業証書を受取った唯先輩の表情は、晴れ晴れしていた。

本当に、卒業しちゃうんだ。
本当に、いなくなっちゃうんだ。

卒業式は、終わりに近付いていた。
教頭先生の号令がかかり、卒業生は退場していく。

私は必死に唯先輩の姿を探したけど、目の前が霞んで見つけられなかった。

臆病な私は、最後まで唯先輩を追いかけることが出来なかった。
部室に顔を出すことさえ怖くて、私は教室で一人、卒業生が帰っていくまで時間を
潰した。

下校時間のチャイムが鳴る。
そろそろ帰らなきゃ……。

私はいつかの唯先輩みたいに、緩慢な仕草でカバンを肩に掛ける。
教室の扉を開けようとしたとき、計ったかのように突然、ドアが開いた。

「帰ろっか、あずにゃん」

「ゆい、せんぱい……?」

「やっぱだめだよ、あずにゃん」

唯先輩はそう言って笑い、何の前触れもなく私を抱き締めた。
久しぶりに感じる唯先輩の温もり。
ずっとずっと、欲しかった唯先輩の体温。

「唯先輩、私……」

伝えなきゃ。
私は唯先輩のことが大好きなんだって。
嫌いなんかじゃないって。

「ごめんね」

だけど唯先輩は、私の言葉を遮るように謝った。

どうして唯先輩が謝るんですか。
謝らなきゃいけないのは、私なのに。

「あずにゃんに迷惑掛けちゃいけないって思ってたのに……。何でだろうね、
あずにゃんに抱きつかなきゃ落ち着かなくって……。あずにゃんと話したくて、
あずにゃんに触れたくて……」

唯先輩が、私の背中に回した腕の力を強くしながら、掠れた声で、言葉を紡いでいく。

「私、あずにゃんに依存してるのかも」

そして、唯先輩はそう呟くと、自嘲じみた笑顔を浮かべてまた、「ごめん」と謝って
私の肩に顔を埋めた。

「私だって……」

私は、初めて唯先輩の背中に自分の腕を回して、呟いた。
唯先輩が、「ん?」とくぐもった声を出す。

「私だって、唯先輩に依存、してるかもです」

「……へ?」

「唯先輩と話さなくなったあの日から、ずっとずっとずっと、唯先輩のことしか
考えられませんでした。唯先輩の温もりが、恋しかった。確かに私は抱き着かれること
とか苦手です、けど唯先輩に抱き着かれるのは好きなんです!」

「あずにゃん……」

「唯先輩のことが、大好きなんですっ……!」

ちゃんと自分の想いは伝えられたのに。
涙が溢れ出てきた。
唯先輩は、暫く黙り込むと、「ありがとう」と囁いた。

「お互い、依存症になっちゃったね」

止め処なく溢れてくる涙を拭ってくれながら、唯先輩はそう言って笑った。
「これじゃあ卒業できないよ」と。

「卒業、しないでください……っ」

私は言った。
心の底から、本気でそう思った。

卒業しないで欲しいって。
無理だってわかってるのに。

「ごめんね、あずにゃん……」

唯先輩は私の頭を宥めるように撫でてくれた後、
「大丈夫だよ」と言った。

「私たち、これだけ想い合ってるんだから……。離れてたって、大丈夫」

私は大丈夫なんかじゃない。
なのに。
唯先輩の笑顔を見ると、本当にそうかもと思えてくる。

「ねえあずにゃん。あずにゃんが私たちの大学に来るまでは、あずにゃんを抱き締める
のはお預け。だからあずにゃん、絶対私たちの大学来て、また一緒にバンドやろう」

待ってる。

唯先輩はそう言い残して、私から離れていった。
私はもう、唯先輩に手を伸ばさない。

「待っててください」

唯先輩の背中に、私は叫んだ。


――――― ――

私は、唯先輩に依存している。
だけど、離れてたって大丈夫。

だって。
私たちは、心が繋がってるから。


終わる。



最終更新:2010年11月23日 22:59