……

――――おもしれえ。
如月十郎はスイングドアの隙間から頭を引っ込め、厨房に戻った。
何があったのかは知らないが、凄まじい意地と意地のぶつかり合いだ。

(一人脱落しちまったが……)

その脱落した黒髪ロングの娘の最期も壮絶だった。
何と意識を失いながら、食べきった後も執念でスプーンを動かし続けたのである。
あまりのことに静まり返った店内に響くかち、かちというスプーンの音には、身震いさせられた。
その娘は奥の部屋で休ませてある。

(まさか、俺が最後の鍋を振る気になるなんてな……!)

一人脱落し、残りの二人ももう限界に近いだろう。
しかし、手を抜くつもりは全くない。
久しぶりに心を震わせてもらった礼に――――鉄人定食が、そこらの雑な大食いメニューとは違うことを自分の手で見せてやろうではないか。

……

餃子の皿が厨房に戻された。
倒れた澪先輩は私とムギ先輩で必死に介抱し、今は店の奥で休ませてもらっている。
ムギ先輩は今も澪先輩に付きっきりのはずだ。

唯「ひゅー……ひゅー……」

律「…………」

梓「しっかりして下さい、先輩たち……」

私は唯先輩と律先輩の介抱だ。
二人とも汗の量が尋常ではない。
目も虚ろで、いつ澪先輩のように倒れてもおかしくはない状況だ。

野次馬たちは増殖し続け、大きく開かれた店の入口から通りにまで見物人で溢れている。

――おい、いい勝負だな
――ああ、全くナイスファイトだ
――だが見てな、最後にはこっちのカチューシャの子が勝つぜ。見るからに根性がありそうだ
――バカ言うな、こっちのヘアピンの子さ。そっちは残念ながら体が小さすぎる
――ああ?何言ってんだてめえ。そっちはさっきゲロ吐きそうになってたじゃねえか
――やんのかコラあ。俺たちの天使を侮辱してんじゃねえぞ


何故だか背後で喧嘩が始まったようだ。
……うるさい、こっちはそれどころじゃないんだ。

梓「……」パタパタ

風を送り、おしぼりを二人の顔に乗せる。
こんなことで二人の苦しみを減らせるのかも分からないが、居ても立っても居られないのだ。

梓「……!」ゾクッ

その時、ひどい悪寒が私の体を駆け巡った。
何かが、来る。

「きたあっ!中華丼が来たあっ!うわあーーーーっ!」

それは、恐怖の叫びだった。
最後の料理が、信じがたいものが近づいて来る。
それを目にした誰もが恐怖と驚愕に顔を歪め、逃げ惑うようにして道を開けた。

梓「ひっ――――」

二つの器が、どかりとテーブルに置かれた。
もう悲鳴さえ出ない。
異常だ。

梓「おかしい……こんなの間違ってます!」

普通、中華丼に入っているのはウズラの卵であって、間違っても鶏の卵がゴロゴロ入っていてはならないはずだ。
器はまさに洗面器の如しであり、大量のご飯の上にかけられたマグマのような灼熱の餡の中で具が身をよじるその姿からは得体の知れない悪意すら感じてしまう。
なぜ人は戦うのか、なぜ人は憎しみ合うのか……そんな疑問が私の頭の中に浮かんできた。

「仕切り代わります、当店の頭を勤めます姓は如月名は十郎と発します。笑っても泣いてもこれにて最後の一皿、思い残しなきように。それでは卓からお手を離して――」

大男が現れ、ストップウォッチを握る。
だけど、もう気にしてはいられない。

梓「唯先輩、律先輩……!」

「どうぞっ!!」

歓声が爆発し、ぐったりとしていた二人が跳ね起き、再び猛然と巨大ドンブリに挑みかかった。
しかし。

唯「はむっ、んぐんぐ……あむっ!」

律「う、く……」

実際に食べ始めたのは、唯先輩だけ。
ラーメンの時と同じように、熱々のはずの具のみをどんどん口に入れていく。
律先輩の動きは……完全に止まっていた。

……

私は、絶望的な気分で唯を見つめていた。
レンゲを持った手が、動かない。

律「ぐ……」

執念で手を動かし、中華丼を口に運ぶ。
咀嚼するのも一苦労。
周りの野次馬たちが悲鳴を上げているのがひどく耳障りだ。

唯「……!」

そして唯は、私が食べ始めたことに気がついたのか……さらに、ペースを上げた。
はは、化け物かよお前……
食べ続ける唯は、私から片時も視線を外さない。

律「あむ……」

負けたくない。
負けたくない。
炭水化物と炭水化物を一緒に食べる奴なんかに絶対負けたくない。

律「はむ、んぐ……」

必死に追いすがっていた手が再び動かなくなる。
口の中がひりひりする。
もう何を食べているのかも分からない。
ただのぐちゃぐちゃした固形物としか認識できなくなったそれを腹に詰め込むと、救いようのないほどの吐き気を感じた。

律「あぐっ、ひっぐ」

涙が止まらない。
苦しい。
ここは地獄だ。
生前に食べ物を粗末にした奴は、きっとこのテーブルに落とされることだろう。

律「あぐぐ……はむっ」

梓「律先輩、もう……もう十分です!食べるのを止めて下さいっ!」

もう十分?
何を言っているんだ梓、私はまだ……
あれ?
まだ、なんだ?

律「…………」

梓「りつ、せんぱい……?」

あれ?
何で私、大食い勝負なんかしてるんだ?

律「もう、いいかもな……」

そう考え出したらもう止まらなかった。
――どうやって負けたら情けなくないだろうか?
――このままトイレにでも駆け込むか?
――4000円払うのは嫌だなあ
――いっそ周りで騒いでる野次馬たちの頭から反吐でもかけてやろうか

律「負けるが、勝ちか」

もういいや。
最後に一口だけ反吐の材料をかき込んだら、もう我慢するのはやめよう。
最後に、もう一度だけ、唯の様子を見ておこう。

唯「はむっ、んむむ……」

唯は、相変わらず食べ続けていた。
視界がぼやけているからか、唯は普段通りに見える。

唯「げぼっ!?」

そして、唐突に限界が訪れた。

……

梓「唯先輩いいいいっ!」

私は悲痛な声を上げ、唯先輩に駆け寄った。
着々と中華丼を食べ進めた唯先輩がいきなり痙攣し、口の中のものを吐き出して倒れたのだ。
顔を巨大ドンブリの中に突っ込んだまま、ピクリとも動かない。

梓「唯先輩、唯先輩っ……!」

周りが騒がしい。
従業員が駆け寄ろうとして来るのを大男が怒鳴って追い払っている。
私は唯先輩を抱き起そうとして……

梓「え……?」

腕を、掴まれた。
――――唯先輩に。

唯「けほっ、えほっ」

唯先輩は、私を見ていなかった。
唯先輩は、自らを苦しめる中華丼を見ていなかった。
唯先輩は――――ただ、律先輩を真っ直ぐに見つめていた。

唯「……負けない」

律「……!」

顔は米粒まみれでベトベト。
肩は震えが止まらず、呼吸は乱れに乱れている。
顔は発熱したかのように真っ赤で、今にも倒れてしまいそうだ。

でも、唯先輩の言葉は。
表情は。

唯「りっちゃんには、絶対に負けない!」

これまでに見たことがないくらい……いや、そんな言葉で形容してはいけないくらい、必死だった。

律「……上等おっ!」

もうギブアップ寸前だったはずの律先輩が、生気を取り戻した。
食べ始める。
野次馬たちが、一際大きな声援を送った。


梓「何で……?もう、限界のはずなのに……」

視界がぼやける。
ああ、私も泣いているんだ……

唯「りっちゃん、手が動いてないよ……?」

律「はは……何言ってんだ、唯こそさっきから食えてないぞ……」

先輩達は、どうして食べ続けるのだろう。

紬「梓ちゃん……」ギュッ

梓「ひっぐ……むぎ、せんぱい……?」

紬「目を離しちゃダメよ、そして二人を応援しましょう」

梓「……はいっ」

長い長い時が流れたような気がした。
唯先輩と律先輩は、お互いを罵り合い、励まし合いながら食べ進める。
先に食べ終わったのは律先輩だった。


律「がはっ……はあはあ、えほっ!」

ドンブリの中には何も残っていない。
大歓声が上がる。
しかし律先輩は気にも留めない。
視線はただ、意識が朦朧としているのかふらふらと頭を揺らしている唯先輩へと……

律「唯っ!何やってんだ!あと少しだ、あとはご飯だけじゃないか!」

律先輩が叫ぶ。
唯先輩のドンブリの中の具は綺麗さっぱりと消え、あとは少しのご飯を残すのみとなっていた。

唯「あ、う……」

もう時間がない。
唯先輩はもう――――

紬「ごーはんーはー、すーごいーよー……」

歌が、聞こえた。

梓「ムギ先輩……?それって……」

ごはんはおかず。
それはこの争いの火種となった曲であり……
唯先輩が、自らの思いを注いだ歌だった。

紬「なんでも合ーうよホカホカ……」

唯「……!」ピクッ

ムギ先輩の声が届いたのか。
唯先輩の指が、確かに動いた。
そうだ、歌おう。

紬「ラーメーン、うーどんーにー」

梓「おー好みー焼きーこれこれ♪」

律「唯、あとちょっとだ!頑張れ!」

唯「う……」

紬「たーんすーい、かぶつーとーたーんすーい、かぶつーのー♪」

梓「ゆーめの♪」

夢の!

紬・梓「コーラーボーレーション☆」

アツアツ ホカホカ!

歌う、歌う。
私とムギ先輩で、歌う。
律先輩が、唯先輩を叱咤激励する。

何度も歌っているうちに、いつの間にかコーラスがつく。
手拍子がつく。
唯先輩、頑張れ……!


~ごはんはおかず~

作詞:平沢唯  作曲:琴吹紬
歌:中野梓&琴吹紬  コーラス:『鉄人屋』従業員と常連客の皆さん

ごはんはすごいよ なんでも合うよ ホカホカ
ラーメン うどんに お好み焼き これこれ
炭水化物と炭水化物の
夢のコラボレーション☆
(アツアツ ホカホカ)

ごはんはすごいよ ないと困るよ
むしろごはんがおかずだよ
関西人ならやっぱりお好み焼き&ごはん

でも私 関西人じゃないんです
(どないやねん!)
1・2・3・4・GO・HA・N!
1・2・3・4・GO・HA・N!

……

夢中で歌った。
気付いた時には、ストップウォッチの残り時間が0となっていて……
唯先輩は、器のちょうど真ん中に顔を押し付ける形で倒れ込んでいた。

梓「――――っ!」

何かを叫んだ。
律先輩もムギ先輩も同じだ。
そして、唯先輩の体がずるりと床に滑り落ちると――――

ドンブリの中には、ごはんの一欠けらも残っていなかった。

ものすごい大騒ぎになった。
おでこにナルトをくっつけたおじさんが、泣きながら跳びはねていた。
客の一人らしい大柄の男性が興奮のあまり照明器具に頭から突っ込んだ。
二人のコックさんが腕を交差させて、お互いの口の中に紹興酒の瓶を突っ込んでいた。

律「へへ……やったな、唯」

そして、唯先輩の完食を見届けた律先輩が、唯先輩に折り重なるように倒れた。

梓「ムギ先輩っ!」

紬「梓ちゃんっ!」

……

律「う……」

「おう、起きたか」

律「んん……ひっ!?」

目を覚ますと、すぐ近くに大男がいた。
だ、誰だこいつはっ!?

「おいおい、寝ぼけてるのか?まあいい、そこに胃薬あるから飲んどけ。ゲロ吐くなら洗面器な」

律「あ、はい……」

そうだ、私たち鉄人屋に来て……

律「あの、みんなは……?」

「髪を二つ縛りにしているのと、金髪の奴は黒髪ロングの付き添いだ。最後に完食した奴はほれ、お前の隣だ」

唯「う~ん……」

律「あ……」

慌てて隣を見ると、唯が寝ていた。

「起きたら胃薬飲ませとけよ」

律「は、はいっ!あの、それでお金は……」

「いらねえよ」

律「えっ?でも、少なくとも澪は……」

「いいんだよ、久しぶりにいいもん見せてもらったしな。いいからほら、休んでろ。連れもすぐ戻ってくるさ」

にたりと笑ってそう言い残し、大男はどすどすと音を立てて厨房へと戻って行った。

律「……」

唯「……」

静かだ。
相変わらず胃は苦しいけど、何だか心地いい。

律「唯」

唯「ん……」

律「ふふっ」

唯の頭を撫でる。
あ~あ、何で私たちってあんなつまんないことで言い争ってたんだろうな。
後でみんなに謝らないと。

唯「う~ん、くるしい~……」

律「……ぷっ」

うんうん唸りながら布団の上を転がる唯を見ていると、今までのことが本当にバカバカしく感じられた。
ツンツンお腹を突っつき、遊んでやる。
うわあ、人のことは言えないけどお腹パンパンだ……

律「ふわあ……」

何だか眠くなってきた。

梓「澪先輩、大丈夫ですか?」

澪「うっぷ……苦しい……」

紬「だ、大丈夫?背中さする?」

梓たちの声が、まどろみの向こうで聞こえてくる。
起きたら、謝って……いつも通りの、放課後ティータイムに戻らなきゃな……

唯「ん……」

唯の意見も、まだ納得はできないけど聞いてやろう。
あ、憂ちゃんの手料理はもう一回きちんと味わって食べたいな。
澪のお気に入りの店にももう一度連れて行ってもらわないと。

でも、とりあえず今は……

律「おやすみ、唯……」

……

数日後。
鉄人屋に飾られている鉄人定食完食者の写真に、久しぶりの追加が行われた。
桜が丘女子高等学校3年、平沢唯。
同じく、田井中律。

そして、二人の願いによって秋山澪、琴吹紬、中野梓の名も。
「私たちの力だけじゃ到底無理でした。みんながいたから、完食出来たんです!」
写真には、少し照れくさそうな……それでいて、仲睦まじい様子の少女たちの姿があった。

「……ふん」

如月十郎は満足気に一つ息を吐くと、気を引き締めなおす。

「うらあっ!チンタラやってんじゃねえぞおっ!」

『はいっ!』

鉄人屋は、今日も大繁盛だ。
……ちなみに。
写真が飾られてから、さらに無謀な挑戦者たちが増えて如月十郎の頭を悩ませることになるのだが……
それはまた、別のお話。



終わり!



最終更新:2010年11月26日 00:49