眩しい朝の陽光に促され目を覚ますと
中野梓はベッドから上体を起こした。
梓は軽く伸びをすると、横で気持ち良さそうに
スヤスヤと寝息を立てている
平沢唯に目を向けた。
梓「おはようございます、唯先輩」
そっと唯の頭を撫でる。
唯「ん……」
唯は寝返りを打つと
梓の腰に両腕をまわし抱きついてきた。
――甘えん坊さんですね。
心の中で呟く。
今日は休日で、
梓は唯と一緒に街に出かけるつもりでいたが
暫くは起きそうにない唯の様子を見るに
二度寝するのも悪くは無いなと思い
布団を掛け直し再び横になる。
唯に身体を寄せ、寝顔を見つめた。
――かわいい。
素直にそう感じると、
唯の妹であり梓のクラスメイトでもある
平沢憂の口癖を思い出す。
憂はことあるごとに、姉である唯をかわいいと言っていた。
最初は、だらけた姿の何処にかわいい要素があるのかと疑問だったが
こうして、間近に唯の顔を見ると憂の言うことも理解できるなと梓は独り納得する。
ふと、梓は唯の唇に目を奪われた。
艶やかな薄桃色のやわらかそうな唇。
唯の寝息が梓の頬を擽る。
ちょっとだけ、いやらしさや下心は無い、朝の挨拶だから
と言い訳を考えながら少しずつ顔を近づけていく。
優しく唇を触れ合わせた。
梓は直ぐに顔を離すと
唯の表情を伺い目を覚ましていないことを確認して
幸せな心地を抱きゆっくりと二度目の眠りについた。
再び目を覚ましたとき、時刻は午前10時をまわっていた。
梓は隣で寝ていた唯の姿が無いことに気づき辺りを見回す。
――さっきのは夢だったのだろうか?
いや違うと、梓は頭を振る。
昨日、唯が梓の家に泊まりに来たのは確かだった。
もしかして帰ってしまったのだろうか……。
不安な思考をめぐらせていると、
部屋の扉が開き唯が顔を覗かせた。
唯「あっ。あずにゃん起きたんだ。おはよう」
そう言って微笑みかける唯を見て
梓の不安はたちどころに消えていった。
唯「洗面所勝手に借りちゃったけど、悪かったかな?」
梓「それは構いませんけど、起きてたなら起こしてくれたっていいじゃないですか」
梓が少し不満気に言うと
唯は、ごめんごめんと謝りながら照れ笑いを浮かべた。
唯「だって、あずにゃん凄く気持ち良さそうに寝てたから――つい」
梓「つい?」
唯「えっ?いや、なんでもないよ、なんでも。あはは」
何を慌てているのか梓には解らなかったが
その慌て振りが可笑しくてくすくすと笑い声を漏らした。
梓「唯先輩、お腹空いてますよね?どこか食べに行きましょう」
唯「うーん、私はあずにゃんの手料理が食べたいなぁ」
梓「こ、今度にしましょう、今度に」
梓は恐ろしく料理が下手と云うことも無かったが
人に振舞えるほどの腕前でも無い。
出来ることなら、もう少し上達してからご馳走したいと考えていた。
唯「じゃあ今度ね。期待しちゃっていいんだよね」
唯は悪戯っぽい笑顔を梓に向けた。
梓「いいですよ。唯先輩の舌を唸らせてやるです!」
負けず嫌いな性格の梓はそう大口を叩いたが
もしかして唯に乗せられたのではないかと言ってから気づいた。
料理は嫌いではないのだが、作る機会に恵まれていない。
唯の卒業までに美味しい手料理を振舞えるだろうかと不安になる。
――卒業、か。
その言葉が梓の心に冷たく響く。
梓と一年先輩である唯との接点は軽音部だ。
元々廃部寸前だった軽音部を当時1年生だった、唯を含む4人で再興したと梓は聞いた。
梓は入学式後に行われた新入生歓迎会のライブ演奏を聴き入部を決めたのだ。
当初はティータイムを過ごすだけと云う部の雰囲気に戸惑いを覚えたが
次第に慣れ親しんでいった。
もちろん、学園祭等のイベント前には軽音部らしい活動もあった。
合宿――とはいえ、殆ど遊んでいた――も行った。
優しい先輩達に囲まれ、楽しい時間を過ごせるのも今年で最後。
今年度新入部員を獲得できなかったこともあり
唯達が卒業した後は、梓一人で軽音部を続けることになる。
もし来年度、新入部員を獲得できなければ部員の不足による廃部もありえる。
今後のことを思うと不安は尽きなかったが
何より梓は唯と離れることにこの上ない寂しさを抱えていた。
この寂寞とした思いが何なのか、梓は十分なほど解りきっている。
けれども、今はまだ胸の内に仕舞っておくことにした。
梓と唯は身支度を調え家を出た。
小春日和の暖かな空気を胸いっぱいに吸い込む。
空は雲ひとつなく、青く澄み切っていた。
デートには絶好の天気だ。
早速、駅前の商店街に足を運ぶ。
梓はどこか喫茶店で軽食でもと思っていたが
唯はショーウィンドウに目を奪われ
洋服だアクセサリーだとそれどころではないらしい。
仕方なく付き合うことにした梓も
唯に釣られてウィンドウショッピングに夢中になってしまった。
結局、食事に在りつけたのは正午も過ぎようとした頃だった。
商店街から少し離れた場所にある瀟洒なレストランで
高級感漂う佇まいに少し気後れしたものの
サインボードに書かれたランチメニューの価格が手頃だったため入店を決めた。
休日の昼時ともなると混み合っているだろうと思っていたが
待たされることも無く席に案内された。
店内は結構な広さがあり、空席が幾つか在った。
清掃は隅々まで行き届いているようで、決して流行っていない訳ではなさそうだ。
そういえば、この辺りは背の低いオフィスビルや工場が多い。
もしかしたら、平日に賑わいを見せるのかも知れないと梓は思った。
唯「おいしいね、あずにゃん」
唯は値段の割にボリュームのあるハンバーグを頬張りながら笑顔で言った。
梓「本当ですね。こんなに美味しいお店があったなんて驚きです」
唯「大発見だね」
梓「はい」
二人は互いに幸せそうな笑顔を向け
ウィンドウショッピングの感想を述べ合ったり
次は何処へ行こうかと話に華を咲かせた。
食後にデザートと紅茶を楽しんだ後店を出ると
再び商店街へと足を向けた。
梓と唯は雑貨屋に入り
何かお揃いのものが欲しいねと相談して
携帯電話のストラップを買った。
イルカが飛び跳ねる姿を模したもので
それぞれ向きが違う。
唯はその意味を知らないままでいたが
イルカを互いに向き合わせて付けるとハートの形を作るのだ。
梓は気恥ずかしく思い、敢えて唯に説明しなかった。
ただ、唯も梓と同じように思って何も言わなかっただけかもしれない。
それはそれで、唯らしくないなと梓は思うが
常日頃から恥じらいが足りないのだから丁度いいのではないだろうか。
むしろ、恥ずかしく思ってもらえることに梓は少なからず喜びを覚えた。
その後もウィンドウショッピングの続きをして
今流行の恋愛映画に心揺り動かされ涙を流し
ゲームセンターで散財した。
唯「ねえ、あずにゃん」
梓「なんですか?」
唯「一緒に撮らない?」
そう言って唯が指差した先にあったのはプリクラだった。
梓「いいですよ。撮りましょう一緒に」
梓にとっては初めてのことだったが
それは唯も同様らしかった。
覚束ない手つきでタッチパネルを操作していた。
梓「唯先輩、プリクラ撮ったこと無いんですか?」
唯「うん、だっていつも澪ちゃんかりっちゃんがデジカメ持ってたから」
梓「そう言えばそうですね。私も初めてなんです」
唯「じゃあ初体験だね」
未完
最終更新:2009年12月21日 11:54