「あ、すいません」

自分でも気付かないうちに、食い入るように律先輩のほうを見ていた私を怪訝に
思ったのだろう、ムギ先輩は「大丈夫?」と訊ねてきた。

「大丈夫です、少し緊張してるだけですから!」

嘘ではない。
実際緊張してるし、今から夏フェスに行けると思うと楽しみで仕方が無い。

「そう?夏フェスって緊張するものなの?」

「あ、はい、楽しみすぎてっていうか……ほら、小学校の遠足のときとか、眠れないくらい
楽しみじゃなかったですか?そんな感じの、わくわくするような不安なような……」

「そっかー、私、じゃあ私の今感じてる気持ちも緊張なのかな?」

「緊張って言ったら語弊があるかも知れませんけど、身体も心もぎゅっと引き締まる感じ
と言いますか……」

「なら私のも緊張だねっ、梓ちゃんと一緒!」

「はあ……」

あまりにも嬉しそうなムギ先輩。
私が訳も分からずにこくこくと頷くと、ムギ先輩は突然「私ね」と言って、私から窓の外に
視線を移した。

「小学校の遠足とか、参加したことなかったからそういう気持ちとかよくわからなくて……」

「え?そ、そうなんですか?」

慌てて謝ろうとすると、「謝らなくていいよ」と先に言われてしまった。
すぐそこまで出掛かっていた謝罪の言葉を飲み込むと、電車の丁度いい揺れのせいか、
いつのまにか眠っていた唯先輩の頭が私の肩に乗っかってきた。

「遠足とかもそうなんだけどね、高校に入るまでは親の言いなりばかりで、習い事ばかり
していたし、お友達も全然出来なくて」

あ、そうだった。
ムギ先輩の家のことはよく知らないけど、すごい家のお嬢様だって聞いたことがある。
でも本人は全くそんな素振は見せなかったから、突然家のことを話された私は、相槌を
打つことも出来ない。
何も言わない私を気にすることなく、ムギ先輩は話続ける。

「中学校のときなんかね?家に籠ってばかりだったの、私」

「ムギ先輩が?」

「えぇ。髪の毛のせいもあるかも知れないけど、皆私のこと避けてたみたいだったし。
元々人付き合いも少なかったから、他の人の気持ちもわからなくて、よけいに怖くて。
だから、誰かと一緒の気持ちになれたんだってわかると、嬉しくなっちゃうの」

暗い話なのに、私の様子を見て微笑みかけてくれるムギ先輩の表情はどこまでも
明るかった。
だから私も、聞いているこっちが暗い顔をしちゃだめだと思った。

「私もです。誰かと同じ気持ちになれるのって嬉しいですよね」

うん、とムギ先輩が大きく頷いた。
横の座席では、澪先輩がまだ律先輩の肩を揺すりながら嬉しそうに話していた。

ムギ先輩から、律先輩たちのほうに目をやると、ムギ先輩も同じように私の横から
身を乗り出して、ぽつりと口を開き言った。

「りっちゃんは他の子の心を読むのが上手いよね」

「……そうですか?」

「うん。皆のことちゃんと見てるからなんだろうけど」

「律先輩が?」

皆のことをちゃんと見てる……。

改めて律先輩を見るけど、そんなふうには思えない。
今は聞き役に回ってるかもしれないけど、普段はずっと話してばかりなのに。
誰かのことをちゃんと見てるのは、どちらかといえば澪先輩かムギ先輩なんじゃ
ないかと思う。
眠る唯先輩が、ガクッと頭を揺らした。

「うん、りっちゃん昨日もね、メールで梓ちゃん最近、部活に入ったばかりの頃みたいに
いい顔してきたなって。だから明日からの合宿でもっと仲良くなれたらいいなって」

「りっちゃんずっとあずにゃんのこと気にしてたもんね。私もあずにゃんのこと
いつでも気にしてるけど!」

ムギ先輩の言葉の途中で、いつ起きたのか唯先輩が後ろから私に抱き着いてきた。
電車の中なんだから勘弁して欲しい。
さっきからの私たちの視線に気付いたのか、律先輩がこっちを向いた。

「なんだよ、さっきから人の事じろじろと」

不審げに訊ねてくる律先輩と目が合う。
ムギ先輩や唯先輩の言葉が頭に過り、何故か頬が熱くなって私は目を逸らした。

やっぱり律先輩のこと、よくわからない。
まったく誰かのことを気遣ってるようには見えないのに。

「梓ちゃんがりっちゃんのこと気にしてたから」

「き、気にしてたわけじゃないですっ」

ムギ先輩の言葉を慌てて遮ったとき、車内アナウンスが流れた。
澪先輩が、はっとしたような顔をすると、「皆!」と立ち上がった。
駅名を聞いて、私も立ち上がる。

目的の駅に着いていた。

電車が止まるとすぐに、澪先輩は出口に向かって歩き出す。
律先輩は、「そんなに急がなくてもバスの時間までまだまだあるって」と言いながら
追いかけようとした。
だけどその前に私たちを振り向いた。

「忘れ物はないな?あと澪はあんなだけどさ、気にしないでやって」

言い方はいつもと全く変わらないのに、あんな話を聞いた後じゃこれも律先輩が
私たちや澪先輩を気遣って言ってくれてるのかなと思ってしまう。
いや、律先輩にとってはいいことかも知れないけど。
私にとっては変な感じ。

「よし、んじゃあ行くぞ」

私の内心なんて知らない律先輩が、部長らしく号令をかけた丁度その時、
澪先輩の「みんなー!」という声が重なる。
何がおかしかったのか、ぷっと唯先輩が噴き出した。

――――― ――

駅から遠い夏フェスの会場までは、バスに乗って向かう。
バスに乗っても山の中なので小一時間はかかるし、ゆらゆらと揺れるせいで
車に弱いらしい唯先輩はすっかり酔ってしまった。

「あずにゃん、私ちょっと寝るね……」

「さっきも寝たじゃないですか」

「酔っちゃった……」

唯先輩はそう言うと、私が座っていた窓際の席に半ば無理矢理入り込んできて
私は仕方なく通路側の席に座る。
隣で唯先輩は、ハンカチで顔を覆いながらぐだーっとした体勢で「気持ち悪いー」を
繰り返す。

通路を挟んで隣の席では、相変わらず澪先輩が律先輩の肩を揺らして「身体が3つ欲しい!」
なんて澪先輩らしかぬことを言っている。
私の前の席では駅で合流したさわ子先生と、ムギ先輩が座っている。特に会話はない。

隣に居る誰かが黙り込んでしまうとこうも暇になるものなんだということを始めて知った。
中学校の遠足のとき、嫌いな人と隣になってずっと黙り込んでたこと、反省しなくちゃ。
肘置きに肘をついて、私は久しぶりの溜息を吐いた。

結局、バスの中じゃずっと黙り込んだまま(と言っても私も寝てしまったんだけど)、
会場に着いた。
まだ早い時間だというのに、そこはもう人でいっぱいだった。

「律ー、人でいっぱいだあ」

「うん、そうだな」

「焼きそば買えるかしら?」

「ムギ、焼きそばが目的じゃないからな」

「気持ち悪いー……」

「ここで吐くなよ、唯」

一人ずつに適切なのか適切じゃないのかわからない突っ込みや言葉を返しながら、
律先輩が先頭をきって歩き出す。
とりあえず人の少ない場所に出ると、私たちは立ち止まった。

「すごい人でしたね……」

「づがれだ……」

人混みの中を歩いて、唯先輩はさらに気分が悪くなってしまったらしく、その場に
座り込んでしまった。
これじゃあ始まるまで持たない。

「ここらで休憩しとくか」

律先輩もそう思ったらしく、時計を見るとそう言った。
「それなら今のうちにこの辺り回ってステージ確認してくる」と澪先輩が、元気良く
走って行ってしまった。

「元気だなあ、澪は……ってムギも!?」

「焼きそばがどこで売ってるか確認しに行くのー」

ムギ先輩が澪先輩を追いかけながら答えた。
サンダル履いてるけど大丈夫なのかな。
そういえば、どこに消えたのかさわ子先生の姿も見えない。

唯先輩は唯先輩でばてて伸びてしまっている。
ここにいるのは三人だけど、ある意味二人きりと同じようなもの。
何でかわからないけど、楽しみとは違う意味で緊張してくる。

「さわちゃんも勝手にどこ行ったんだよもう……」

律先輩が「まったくー」と言いながら唯先輩の隣に座った。
そして、そのもう一つの隣をぽんぽんっと叩く。

「なんですか?」

「そんなとこに突っ立ってるのも邪魔だしお座り」

「あ、はい」

確かにここは一応通路なわけだし。
私は頷くと、律先輩の隣に腰を下ろした。拳一つ分くらい間を空けて。

律先輩は、それに気付いたようだけど、何も言わなかった。
妙な沈黙が訪れる。
周りは今日の開演を心待ちにしていて浮き足立っているのに、私たちのところだけ
何だかお通夜みたいな雰囲気になっている。
唯先輩が苦しそうに唸っているせいでもあると思うけど。

「……律先輩」

こんな雰囲気に耐えられずに、何か言おうと口を開くと、律先輩はそれを待っていたかのように
私のほうに身体の向きを変えると乱暴に私の頭を叩いた。

「な、なんなんですか急に!」

「そんな緊張しなくてもいいっつーの」

頬が暑さとは別に熱くなっていくのを感じた。
緊張しているのがばれてたなんて。
しかも、律先輩はおかしそうに笑っている。

「別に緊張なんて!」

「はいはい、いいから肩の力抜けって」

「う……」

律先輩の手が私の肩に伸びてきて、宥めるように抑えられた。
それで、自分でも知らないうちに肩に力を入れていたことがわかった。
それにガチガチに固まってたんだから、ばれるのも当たり前。
だけど、そうだとしても少し恥ずかしいし、律先輩がわかるなんて、何だか腹が立つ。

「何拗ねてんだよ?」

「拗ねてません」

「今度は肩じゃなくってほっぺに力が入ってるけど?」

「力っていうか空気で……って拗ねてないです!」

律先輩は「ふーん」と言いながら、私の膨れた頬を人差し指で突いてきた。
一気に空気が抜けていく。

「それじゃあ何でそんな暗い顔してるの?」

もう膨らんでいない頬を突き続けながら、律先輩が訊ねてきた。
私は「え?」と律先輩を見る。その拍子に先輩の人差し指の爪が少し食い込んだ。
律先輩は「悪い悪い」と軽い調子で謝って指を引く。

「私、暗い顔なんてしてました?」

「うん、すっごい。楽しくなーい、みたいな雰囲気丸出し。もしかしてバスの中とか
誰にも話しかけてもらえなかったから寂しかった?」

そんなことないです、と言おうとしてはっとする。
律先輩の言う通りだった。
自分ではそんなつもりなかったけど、確かに今の私はすごく暗い顔をしている
気がする。

会場入りしてからも、中々テンションが上らなかった。
それは、誰にも構ってもらえず、寂しかったからなのかも知れない。

「図星?」

「ち、違いますっ」

一応反論はするけど、律先輩にこうして話してもらえて、さっきまで冷えていたような自分の心が
温かさを取り戻していくような気がした。

――――― ――

その後のことは、あっという間であまり覚えていなかったりする。
気が付くと、もうすっかり日は暮れていた。
澪先輩たちが戻ってきて、唯先輩も復活して、夏フェスが開演して、皆で声を張り上げたりして。
それからヘドバンしていたさわ子先生が首が痛いからと言って先に寝てしまって。

気持ちいいくらいの疲労感に包まれた私は、熱い身体を冷やそうとテントの外に
出た。
まだ音が聞こえている。

律先輩のおかげで、緊張や暗い気分が吹っ飛んでしまった私は、夏フェスが始まると
澪先輩以上にはしゃいでいたんじゃないかと思う。
それを思い出して、また頬が熱くなった。

「何してんの?」

テントから少し離れた場所で夜空を眺めていると、突然後ろから声を掛けられた。

暗がりの中、よく見えないけど、私の後ろには律先輩が居た。
律先輩はよっこらしょっと私の隣に腰を下ろす。
朝、私が空けた拳一つ分の間はなかった。

だけど、そのことで私が緊張することも、嫌な気分になることもなかった。
たぶん、今日の律先輩の色々な一面を見たからなのかも知れない。

「楽しかったな、今日は」

律先輩は「楽しかったか?」とは聞いて来ない。
絶対に「楽しかった」ことを前提にしている。
それも全部、律先輩がちゃんと私を見てくれているからなんだと思う。

「そうですね、すごく」

私は頷いた。
律先輩は意外そうに私を見ると、ぽんっと私の頭に手を置いて乱暴にぐしゃぐしゃと撫でた。

「なんなんですかもう……」

「やけに素直な梓を褒めてやったの」

こんな綺麗な夜空の下だから、たまには素直になろうと思っただけ。
私は心の中でそんな言い訳をする。

もう、律先輩に触れられるのが「怖い」なんて感じなくなっていた。
寧ろ心地いい。
律先輩は、私の思っていたような人じゃない。
他の先輩たちよりも接しやすいとさえ感じている自分がいる。

今でもまだ、少し苦手なところもあるけど。
だけど……。

「あずにゃん、りっちゃん、そんなとこで何してるの?」

「内緒のお話?」

やっぱり突然、後ろから声を掛けられて私は驚いて振り向いた。
唯先輩とムギ先輩、それから疲れたような澪先輩が立っている。

「二人とも勝手にいなくなるなよ、心配しただろ」

澪先輩はそう言いながら私たちに近付いてくると、私たちより少し前に腰を下ろした。

「悪い悪い、もう寝てると思ってさ」

「なんか目が覚めたんだよ」

「私もー。ね、ムギちゃん!」

「えぇ!」

唯先輩とムギ先輩も、澪先輩の両隣に腰を下ろす。
私は今さっき律先輩に言おうとした言葉をぐっと飲み込んだ。
その代わり、隣で空を振り仰ぐ律先輩との距離を少しだけ詰めてみる。

前のほうで、先輩たちが笑っている。
何かいいなと思った。

私がその中に入っているわけじゃないのに、軽音部に入って初めて、
私もこの軽音部の仲間なんだと思えた。

ふいに遠くの方で大きな音がした。
花火が上っていた。
眩しいくらいに輝いている星のすぐ傍で、綺麗な花火が散っていく。

唯先輩たちは立ち上がって歓声を上げている。
三人の手は、繋がっていた。

夜空を見上げていた律先輩が、ふいに私を見て言った。

「手、繋ごっか」

私はまだ、ちゃんと先輩たちのことを知っていない。
律先輩のことだって、きっとまだまだ知らないことが沢山ある。
もっと知りたい。
もっと心を通じ合わせたい。
もっと先輩たちと同じ気持ちになってみたい。

ここで手を繋いでしまったら、私はこの関係のまま踏みとどまってしまう気がした。
だから今はまだ、と私は思う。
今はまだ、律先輩と手は繋げない。

私が首を振ると、律先輩は「梓に振られちゃったよ」と言って笑った。
私も小さく笑い返す。
律先輩の手のすぐ傍に、自分の手を置いた。

いつかこの手が律先輩の手に重なる日が来れば良い。
私も律先輩と同じ場所に立つことが出来る日が。


第一部終わり。
続く、かも。





最終更新:2010年12月02日 23:42