憂「ツ……ツクツクボーシ! ツクツクボーシ!」
唯「いいよ、グッドだね」
憂「ツクツクボーシ! ツクツクボーシ!」
唯「ナイスだよ、憂」
憂「ツクツクボーシ! ツクツクボーシ!」
唯「でもパーフェクトではないね」
憂「ツクツクボーシ! ツクツクボーシ!」
唯「よし、パーフェクトな鳴き真似ができるまで、
憂はずっとそうしててね!」
憂「えっ」
重度のシスターコンプレックスを患う憂にとって
姉の命令はどんなものであれ絶対であった。
本日は金曜日。
土曜、日曜でツクツクボウシの鳴き真似を
完璧に習得しなければ、
学校でもツクツクボウシの真似をして過ごさねばならなくなる。
無論姉がそうしろと言うならば憂はそれに従うが
それはあくまで姉を喜ばせるためであって
衆目の前でセミの鳴き真似をすることが恥ずかしいことに変わりはない。
唯「今日はもう遅いから寝なよ。
探偵ナイトスクープもないし」
憂「うん、おやす……」
憂「ツ、ツクツクボーシ!」
唯「おやすみ」にこっ
憂の部屋。
憂「ツクツクボーシ……ツクツクボーシ……」
憂(そういえば私はツクツクボウシの鳴き声をまともに知らない)
憂(そーだ、明日は休みだし、
梓ちゃんを誘ってセミの鳴き声を聞きに行こう)
憂(そうと決まれば早速メールを……)
憂(梓ちゃん、明日私と一緒に……)カチカチ
憂「ツクツクボーシ、ツクツクボーシ!」
唯『憂、うるさい!』ドンッ
憂「ご、ごめ……ツクツクボーシ!」
翌朝。
憂「ツクツクボーシ……」
唯「おはよー、憂」
憂「ツクツクボーシ?」
唯「ああ、朝御飯作ったんだー。さあ食べて食べて」
憂「ツクツクボーシ」
唯「フレンチトースト、ベーコンエッグ、オニオンスープにトマトサラダだよ。
食後にはフルーツヨーグルトもあるからね」
憂「ツクツクボーシ……」もぐもぐ
唯「どう、美味しい?」
憂「ツクツクボーシ!」
唯「そっかー、よかったー」
憂「ツクツクボーシ」
唯「このフレンチトーストは自信作なんだよー」
姉が朝食を作るなど初めてのことであった。
しかも驚いたことにそれが全て美味しいのだ。
姉はすっかり憂の味をモノにしていた……
いや、憂よりも料理の腕が優れていたかも知れない。
憂はこの感激を言葉にしたかったが
「ツクツクボーシ」しか言えないために
うまく思いを伝えられなかった。
憂「ツクツクボーシ」
唯「えっへへ、全部食べてくれてありがとう」
憂「ツクツクボーシ」ガチャッ
唯「ああ、いいよ洗い物は私がやるし。
憂はツクツクボウシの鳴き真似だけしてればいいから」
憂「ツクツクボーシ……」
唯「それに……今日はあずにゃんと約束してるんでしょ」
憂「ツクツクボーシ!?」
唯「へへ、なんでもお見通しだよぉ」
憂「…………」
ピンポーン
梓「憂いますかー」
なぜ梓と約束したことを知っているのか?
そのことを姉に問い正そうと思ったが、
梓がやってきたので断念せざるを得なくなった。
もっとも「ツクツクボーシ」しか言えないので
端から問い正すことなど無理なのだが。
唯「やーやー、あずにゃん!」
梓「おはようございます。憂は起きてますか?」
憂「おはよう、あずさちゃ……」
唯「憂は今ツクツクボウシなんだー」
憂「えっ」
梓「そうなんですか?」
唯「そーだよー、ね、憂」
憂「ツ……ツクツクボーシ」
唯「あずにゃん、憂がツクツクボウシの鳴き真似サボらないか、
今日一日ちゃんと見張っといてね!」
梓「はあ、お安い御用です」
憂「ツクツクボーシ……」
姉の目の届かないところに居れば
ツクツクボウシの鳴き真似をしなくても済むと憂は思っていたが
残念ながらその期待は裏切られることになってしまった。
それでも憂は梓と一緒に出かけることにした。
梓「で、今日は何処に行くんだっけ?」
憂「えっとね、市……」
梓「…………」
憂「ツ、ツクツクボーシ!!」
梓「筆談でいいよ」ニコッ
そう言うと梓はペンとメモ帳を憂に渡した。
憂はそのメモ帳にペンを走らせる。
『市立セミ博物館だよ』
梓「セミ博物館……?
ああ、豊崎駅の近くにあるとこか」
憂「ツクツクボーシ!」
市立セミ博物館。
憂はそこでツクツクボウシの鳴き声を
研究するつもりでいたのだ。
憂と梓は電車に乗って市立セミ博物館にやって来た。
二人を出迎えたのは館長の米澤という男であった。
米澤「やあ、憂さんと梓さんだね。
唯さんから聞いてるよ」
梓「唯先輩とお知り合いだったんですか」
米澤「ああ、まあちょっとね。
今日は私が直々にこの博物館を案内させてもらうよ」
憂「ツクツクボーシ」
梓「よろしくお願いします、館長」
米澤「私のことはMr.セミーと呼んでくれ。
親しい人間はみな私のことをそう呼ぶんだ」
憂「ツクツクボーシ」
米澤「まあこんなとこで立ち話もなんだから、
館内に入ってくれたまえ」
米澤に連れられて、
憂と梓はツクツクボウシの飼育されている部屋に入った。
部屋はむせかるような温風と
ツクツクボウシの鳴き声で満たされていた。
「ツクツクツクツクオ――シツクツクツクツクオ――シ」
「オ―シオ―シツクツクツクツクオ――シジ――ジ――」
米澤「ここでは約30匹のツクツクボウシが飼育されている」
梓「へぇー」
米澤「ツクツクボウシの鳴き声を練習したいなら
一匹だけ取って静かな場所で聞きながらやるといい」
梓「だって、憂」
なぜ米澤が自分の目的を知っていたのか、
憂はそれを疑問に思ったが
いちいち聞くのも失礼かと思い
黙っておくことにした。
米澤「さ、どれでも好きなのを捕まえるがいい」
憂「ツ……ツクツクボーシ!!」バッ
「ジージー」パタタタッ
梓「あっ、逃げられた」
梓「アハハハ、憂おしっこ引っ掛けられてる」
憂「ツクツクボーシ……」
米澤「はは、セミのおしっこは無害だから安心したまえ。
どれ、ひょいっとな」パッ
梓「あっすごい、一発で捕まえた」
米澤は捕まえたツクツクボウシを
肩からかけていた虫かごに仕舞った。
米澤「さあ、ここから出よう。
この部屋はうるさくてかなわん」
梓「はい」
憂「ツクツクボーシ」
3人は館内の別室に移動した。
この部屋もセミのために暖房がフル稼働である。
梓「それにしても暑いですね。
まあセミは夏の虫だから仕方ないんでしょうけど」
米澤「ツクツクボウシは8月下旬から9月に最も多く発生するんだ。
夏真っ盛りになきわめく他のセミと比べて、時期が遅いんだよ」
梓「へぇー」
米澤「ツクツクボウシは他のセミがみんな消えたあと、
夏の終わりに生きる悲しいセミなんだよ。
わかるかな、憂さん」
憂「ツクツクボーシ」
米澤「ははは、君のツクツクボウシの鳴き真似はまだまだだな。
じっくり練習していくといい。
じゃあ私は仕事があるから、これで。
帰るときにはまた声をかけてくれたまえ」
梓「はい、お仕事頑張ってください。
じゃあ憂、憂も鳴き真似の練習頑張ろうね」
憂「ツクツクボーシ」
虫かごの中ではツクツクボウシが五月蝿いくらいに鳴き声を上げている。
「ツクツクツクツクオ――シツクツクツクツクオ――シ」
憂「ツクツクツクツクオーシ、ツクツクツクツクオーシ」
梓「あ、それっぽいそれっぽい」
「ツクツクツクツクオ――シツクツクツクツクオ――シ」
憂「ツクツクツクツクオーシ、ツクツクツクツクオーシ」
「ツクツクツクツクオ――シツクツクツクツクオ――シ」
憂「ツクツクツクツクオーシ、ツクツクツクツクオーシ」
「ツクツクツクツクオ――シツクツクツクツクオ――シ」
憂「ツクツクツクツクオーシ、ツクツクツクツクオーシ」
梓「ふふ、憂ったらいつになく真剣だね。
ここ最近の唯先輩を思い出すよ」
憂「ツクツクツクツクオーシ?」
梓「ほら、練習に集中して」
「ツクツクツクツクオ――シツクツクツクツクオ――シ」
憂「ツクツクツクツクオーシ、ツクツクツクツクオーシ」
「ツクツクツクツクオ――シツクツクツクツクオ――シ」
憂「ツクツクツクツクオーシ、ツクツクツクツクオーシ」
「ツクツクツクツクオ――シツクツクツクツクオ――シ」
憂「ツクツクツクツクオーシ、ツクツクツクツクオーシ」
「ツクツクツクツクオ――シツクツクツクツクオ――シ」
憂「ツクツクツクツクオーシ、ツクツクツクツクオーシ」
梓「憂は飲み込みが早いね。
さすが唯先輩の妹だよ」
「ツクツクツクツクオ――シツクツクツクツクオ――シ」
憂「ツクツクツクツクオーシ、ツクツクツクツクオーシ」
梓「唯先輩も最近はずっと頑張ってたからね」
「ツクツクツクツクオ――シツクツクツクツクオ――シ」
憂「ツクツクツクツクオーシ、ツクツクツクツクオーシ」
梓「だから憂も……頑張って」
「ツクツクツクツクオ――シツクツクツクツクオ――シ」
憂「ツクツクツクツクオーシ、ツクツクツクツクオーシ」
練習は何時間も続けられた。
日が傾き始めた頃、米澤が様子を見にきた。
米澤「まだやっていたのかい。
今日はもう閉館だよ」
梓「あっ、そうなんですか」
憂「ツクツクツクツクオォォーシ、ツクツクツクツクオォォーシ」
米澤「ふふ、だいぶサマになってきたね。
ただし真似をすればいいというものでもないよ。
真似というのは対象の本質を理解した上で成り立つものだ」
憂「?」
米澤「そうだ、お土産をあげようと思っていたんだ」
梓「いえいいですよ、お土産だなんて」
米澤「遠慮することはない。
私があげたいんだから、貰ってくれ。
君たちは最後のお客さんだから、記念にな」
梓「最後の?」
米澤「潰すんだよ、この博物館」
最終更新:2010年12月05日 20:12