わざと大したことでもないかのように、あたかも普通のことのように話そうと努力しているみたいでした。

紬「私を身ごもったとき、お母さんには本当に好きな女の人がいたらしいのね」

律「そっか……それで、ムギは」

 女の子同士って、いいと思うの。

 お姉ちゃんたちが付き合い始めたと聞いて、紬さんはさほど驚きもせずそう言っていたのを思い出しました。

紬「私が生まれた頃はそれほど、そういうことに寛容じゃなかったから」

律「……ムギを、ちゃんとした父親の下で育てたかった、ってことか」

紬「ええ。……法律上はね」

 法律上、とあえて言った紬さんの声は、どこか冷たくさみしいものに聞こえます。


 紬さんは、さっき梓ちゃんに会ったときもその話をしたみたいです。

紬「お母さんね、本当は……私をその女の人との間で育てたかったみたい」

律「そっかぁ……それは、しょうがない時代だったんだろうな」

紬「死んでしまった後に日記を見つけてね、それで知ったんだけどね」

 唯ちゃんと梓ちゃんには、そんな気持ちは味わってほしくないの。

 だから――分かってもらえるように、逃げないで、ちゃんと家族と話し合うべき。

 紬さんの言葉は、胸の奥に重く残ります。

紬「でもね、チケットをあげる時に梓ちゃんは言ってたわ」

憂「なんて、ですか?」

紬「私が唯先輩にそう伝えます、いつか公に認めてもらえるように二人でがんばります、って」

憂「梓ちゃん……」

 やっぱり、お姉ちゃんの選んだことは間違ってなかった。

 梓ちゃんの強い言葉を聞いて、そう確信しました。


 と、そんな話をしていたときにメールが来ました。

 お母さんからです。

 家に着いてから伯父さんに話を聞いて心配している……といった内容でした。

 すぐ帰る、お姉ちゃんは大丈夫――そんなメールを返して帰る支度を始めます。

律「あのさ……」

憂「なんですか?」

紬「私たちも、一緒に行ったほうが説明しやすいんじゃないかしら」

憂「そんな……悪いですよ、お二人とも」

律「いいっていいって。今さら気にするような関係じゃないだろ?」

紬「そうよ、それに……唯ちゃんの家行くの、久しぶりだもん!」

律「いやムギ、遊びに行くんじゃないからな……」

 二人のやりとりに思わず顔がほころんでしまいました。

 本当に……お姉ちゃん、軽音部入ってよかったね。

憂「分かりました、じゃあメールでそう伝えておきますね」

紬「……おみやげとか持っていった方がいいかしら?」

律「だから遊びじゃねーっての!」

 二人と、それから澪さん、純ちゃんには本当に感謝しなくちゃいけません。

 でも……お姉ちゃんと梓ちゃんがこんなに見守られてるんだって思うと、本当にうれしかったです。

 お店を出て見上げた星空は、きらきらと私たちを照らしていました。

 さて――家に早く帰らなくちゃ。



【2010年11月27日 23:00:00/村元市 スカイタワー展望台】

 上空に広がる雲一つない星空をぼんやりと眺めながら、私と唯先輩は寄り添っていました。

 いつの間にか他の観光客も一人また一人と帰ってゆき、この広い星空を眺めているのはもう十数人ぐらいです。

 デッキから見下ろせば、天の川のように流れる車のヘッドライトの群れ。

 見上げれば、ちりばめたスパンコールのようにきらめく夜空。

 別世界に来てしまったような感覚の中、私は唯先輩の手をずっと握りしめていました。

 どこかも分からなくなるぐらいに輝く星々の中で、体温だけは変わらず確かなものだったから。


唯「うわあ……あずにゃん、なんか空が近いよ!」

 最上階へのエレベーターが着いたとき、つんのめるように展望テラスへと唯先輩は私の手を引いて飛び出しました。

 私も転びそうになりながら唯先輩に着いていって外に出ます。

梓「もう、子供みたいにはしゃがないでください…」

 そう言いながら唯先輩が指さした方の空を見上げると……そこにはまばゆい星空が広がっていました。

梓「……うちの近くでも、こんなきれいな星見えるんですね」

 こんなきれいなものを大好きな人と眺めているのがうれしくて、手をぎゅっと握りました。

 手の甲が外気に冷やされる分、唯先輩の手のひらはとてもあったかく感じます。

 しばらく私たちは手の体温をあわせながら、川面のようにきらきら輝く星空に見とれていました。


唯「ねぇ」
梓「あの」

 話しかけたタイミングが一緒で、二人でふきだしてしまいます。

唯「あの……今日は、迷惑かけてごめんね」

梓「楽しかったですよ。唯先輩」

 少し伏せた唯先輩の目を、追いかけてのぞき込みます。

梓「唯先輩に迷惑かけられるのなんて、慣れてますから」

唯「ふふ、あずにゃんそれひどいよ…」

 むしろ、迷惑をかけてほしいです。

 一人で抱え込んだりしないでください。

唯「あと……伯父さんのこと、隠しててごめんね」

梓「最初から分かってましたよ。澪先輩から、聞いちゃいましたから」

 そう言ったら、小さく声を上げて唯先輩はおどろきました。

唯「えー、いつ知ったの?」

梓「澪先輩から聞いたんです。唯先輩が、私のためにって」

 顔を少し隠して照れる唯先輩は、やっぱりかわいかったです。

梓「それに……私も、同じことで悩んでましたから」

唯「……家族の、こと?」

梓「理解は、してくれると思うんですけど……やっぱりこわいですよね」

唯「言ってなかったんだ、まだ」

 すいません。

 付き合ってる人がいる、とは言いましたけど。

梓「……受け止めてくれると思いますよ。そんな気がするんです」

 お父さんの業界にも同性愛者の方がいて、そういうことへの理解があるから――とか、そんな具体的なことじゃなくて。

 なんとなく、信じれるんです。

 いつかはみんなが、私たちのことを受け止めてくれるって。


 どこまでも広がる星空を眺めていたら、夏フェスの日に見たあの空を思い出しました。

梓「ずっと怖かったことがあるんです」

唯「なぁに、あずにゃん」

 言いながら唯先輩はぎゅっと私の肩を抱き留めてくれます。

梓「……唯先輩、もう18歳じゃないですか」

唯「うん」

梓「だから……どんどん変わっていってしまうんだな、って」

 夏フェスのあの空と、目の前の夜空が記憶の中で重なって見えます。

 思うことは同じでした。

 ……変わっても、私たちは変わらずにいられるのかな。

 じゃあさ、って曇りそうな視界にまばゆい笑顔が飛び込んできました。

唯「私たち、いっせーのせっで変わっていけばいいよ。そしたら変わっても、変わらないでしょ?」

梓「……なんか、唯先輩って変なことばっか思いつきますね」

 まただ。

 おかしくてちょっと笑ってしまって、それが本当にうれしかったです。

 唯先輩はときどき、こんな風に突拍子もないアイデアで私たちを助けてくれたりするんです。

梓「でも……唯先輩はいつも先に行っちゃうじゃないですか?」

 今日だって、エレベーターからすぐ飛び出して行っちゃったし。
 先に年をとって、先に卒業してしまうし……。

唯「大丈夫だよ」

 そう言って、唯先輩は私の手を持ち上げて、自分の手のひらを重ねなおしました。

唯「こうやって、かさねておけば大丈夫。ずっと一緒だもん」

 昨日までだって同い年だったから、重なってたもんね。

 そう言って唯先輩は笑いました。

 閉場20分前の音楽が流れ始めました。

 この展望台は0時まで開いてるらしいですが、隣の駅とはいえ終電もあります。

 どこかに泊まるのも考えてたけど、今日は家に帰った方がいいでしょう。

唯「……ねえ、」

梓「なんですか?」

 唯先輩はそれからなにも言わず、手のひらをぎゅっと握りました。

 秘密の合図のように私も重ねた手のひらを握ります。

 お互いが一緒になれなくても、離れて過ごす日があったとしても。

 こうやって、どこかを一つ重ねて歩いていけば……これからも、離れずにいられる気がした誕生日でした。

梓「唯先輩、誕生日プレゼントです」

 きょとんとしたかと思いきや、わくわくしはじめた唯先輩。

 私はけさ学校でプレゼントしたお揃いのネックレスに加えてもう一つプレゼントしました。

 手のひらだけでなく、くちびるも重ね合わせて。

  ◆  ◆  ◆

梓「ねぇねぇ」

唯「なあに?」

梓「……おめでとう」

唯「うん……ありがとう」





【2012年11月28日 23:50:22/平沢家 寝室】

唯「……あずさ」

 日付が変わる十分前、唯の声が聞こえた。

 布団の中で絡ませあった肌は少し前から汗ばんでいて、心地よい熱気の中で二年前の唯の誕生日を思い出していた。

梓「なあに、ゆい」

唯「もうすぐ終わっちゃうねって、私の誕生日」

梓「うん……今日は唯が二十歳になった日だもんね」

 名残惜しいなあ――はだけた布団から冷えてゆく私の背中を撫でながら、唯はつぶやく。

梓「あっねえ日付変わるよ。じゅう、きゅう、」

唯「待ってよあずにゃん! 心の準備が――」

 あわてる唯の身体を抱きしめ、これ以上ないぐらい肌を重ね合わせる。

 ふくらんだ胸と汗に溶けた肌を繋いで、皮膚が癒着するぐらいに抱きしめる。

 それは、私たち二人のうちどちらかが誕生日を迎えるときの恒例行事だった。

 唯が高三の時以外、いつも抱きしめてキスしながら年を重ねてきた。

 いまは「誕生日が終わるとき」だけれどね。

梓「……だいすき」

 私は唯を、昔と変わらないやり方で抱きしめた。

 ――日付が変わった。


 繋げた二つの舌をほどいて唇を離す。

 濡れた唇と惚けたような唯の顔は昔と変わらない。

 あごの下をちょっとなでてみると、唯は犬みたいに気持ちよさそうに目を閉じた。

梓「今のご感想は?」

 ふざけて尋ねてみる。

 唯も「うぅーん……」と少し大げさに悩んでみせたあと、思いついたように答えた。

唯「……なんか、ほんとに十九歳が終わっちゃったなって気分」

梓「終わってるじゃん、とっくに」

 からかって聞くと、唯はきゅうにまじめな顔をしてみせる。

唯「だって……大人に、ならなきゃいけないじゃん」

梓「でもさ、二十歳って……完ペキ大人だよ、年齢的には」

唯「年齢的にはって……でも私も自覚、まだあんまないけどさ」

 唯が私の身体を抱くやり方が、何かを確かめるようなものに変わる。

 手のひらで身体の輪郭を撫でるような、私の存在を確かめるような。

 唯がこんな風に抱きしめるのは、決まって何か不安があるときだ。

唯「昔ね、二年前かな……大人になったら、大人になれるのかなって思ったの」

梓「ふふっ、いみわかんないよそれ」

 そんなの十九歳の私だって、まだ分かってない。

唯「でもその頃もさ、大人になった自分が想像できなくて」

梓「わかる、ていうか誰だってそうじゃん」

唯「なんか、別の人間になってしまうことみたいで」

 ――変わるのって、やっぱ怖いね。

 成人して丸一日経った唯はしみじみとつぶやいた。

梓「……ゆいー、二年前の誕生日のこと、おぼえてる?」

唯「あはは、それ昼間に私が聞いたことじゃん」

 そう、今日は二人ともバイトが休みだったから……ちょっとだけ桜ヶ丘に帰郷してみたんだった。

 未成年を名残惜しむ唯に連れられて、私たちの思い出の場所をひとつひとつめぐって。

 昼間の一時ぐらいだったかな、あの公園に着いたのは。

唯「……なつかしいねえ」

梓「……そうだねえ。唯があんなに泣きじゃくって…」

唯「そういうとこだけ、思い出さないでよっ」

 少しむくれる。
 変わんないなぁ。

梓「二年前の誕生日にさ、ゆいが教えてくれたんだよ」

唯「え……なにを?」

梓「変わるのが怖くなったら、どうすればいいかって」

 おぼえてない、なんて唯はまたとぼけて見せた。

梓「いろいろ言ってくれてるじゃん、音楽を私たちの子どもってことにしようよ、とか」

唯「えーそれ絶対誕生日の話じゃないよ……」

梓「うん、それは誕生日じゃなくて、一年ぐらい前に別れそうになったとき」

唯「よく覚えてるね……」

 当たり前だよ。

 私は二年前からずっと、あなたのすべてを分かっていたいんだから。


唯「あのね……あずさ」

梓「……付き合ってて、ほしいかな。これからも」

 わかるよ。

 唯がいま、どんなこと考えてたかなんて。

唯「うん……来年は、あずにゃんもこっちに来てね?」

 そういって、成人を迎えた唯がほほえんだ。

 大人に……なっていってるといいな。唯も、私も。

梓「分かりました。唯先輩も手を離さないで、ちゃんと連れてきてくださいね?」


 あの日と同じ手をつないで、秘密を交わすように握りしめあう。

 背中がさすがに肌寒くなってきて、布団をかけなおそうとしたとき――窓から見えた夜空。

唯「……東京でもさ、星って意外とみえるよね」

梓「そうだね……うん」

 あの日と同じような星を見つめながら、私たちはもう一度口づけをかわした。
 明日、二人で一緒に少しでも変われていたらいいな。そんなことを、考えながら。


つづく。





最終更新:2010年12月13日 23:50