またもう一本煙草に火をつけるのは、忘れることを習う為

暗闇の中にあってなお浮き上がるような黒髪。
淡い茶色の瞳。薄い唇。
「愛してるよ…」
耳朶に唇を寄せて囁くと、受はふと息を呑み、俺の肩に手を這わせた。
やがて訪れる開放感。
呼吸を整える暇さえ惜しんで深い口付けを交わす。
「僕もあいしてるよ…」
離れた唇がその言葉を紡いだ瞬間、俺の世界が壊れる音がした。
闇に慣れた目に映るのは、褐色の髪。
淡い緑の瞳。淫乱さをかもし出す小さく厚めの唇だ。

「…ひどいや。殴ることないのに」
恨みがましい、癇に障る声。
「あいつはそんな事言わねえんだよ。そんな目はしねえんだよ。
おまえは違いすぎんだよ!!」
もう一発殴って、ベッドから転がり落ちた淫売の腹を蹴る。
ベッドに腰掛けた体勢からとはいえ、腹に入ったその蹴りは相当効いたろうに
淫売野郎はゲタゲタと狂ったように笑い転げやがった。
「黙れよ」
「あっはは!まだ足りない!? 足りないよね!あははは!」
腹を抱えて笑いながら、野郎はベッドサイドのシガーケースを取り、
俺に差し出した。
「ほら、もう一本イケよ。まだあいつがいいんだろ?」
拳を握り締めたのは、一瞬だった。
俺はケースに手を伸ばす。
「どんどんイケよ。誰が誰だかわかんなくなるまでさ。
誰だって同じに見えるまでさ?
思い出すから、忘れられないから苦しいんだろ?ホラ」
手巻きの煙草を一本とって、サイドテーブルのライターを掴んだ俺をあざ笑う声が
足元から這い上がってくる。
「あははははは!! ねえ、あんたにはオレがどんな風に見えてんの!?
ねえ、ねえ!ねえ!! あーっははははは!」

またもう一本煙草に火をつけるのは、忘れることを習う為。


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最終更新:2010年03月09日 13:13