ラムザたちが宿屋に戻ってきたのは夕飯時だった。そのまま顔を洗い食事となる。
居間ではやはり、どこかしこから村人が集まり宴が催されていた。

 暫くマズラと、市場から帰ってきたシュガリーの三人で食事を取っていたラムザだが、
その場にアグリアスの姿が無いことに気付くのにそう時間はかからなかった。
「そんなに気になるんなら行けばいいのに」
 ソーセージを頬張りながらマズラは至極当然のことを述べた。マズラの隣では、
気落ちした表情でシュガリーがミルクをすすっている。
「ラムザ、行ってあげて。…ごめんなさい。今は、私も彼女をいたわる余裕は…」
 シュガリーの意を酌んだラムザは階上へ行く決心を固めた。


「アグリアスさん。もう食事はできていますよ」
 扉越しに聞こえてきたその声に、アグリアスは瞼を開けた。
電灯を付けずにそのままベッドに倒れこんだせいか、部屋は薄暗い。窓に映える夕焼けの光が長く部屋の端まで伸びている。
夕焼けを浴びるアグリアスは茫然自失としていた。
「アグリアスさん?入りますよ?」
 再び聞こえてきたラムザの声に意識を覚醒させる。
髪はくしゃくしゃ、部屋は若干汚い、まずい。
 このままラムザを部屋に通してしまうわけにはいかない。
 騎士の、女の意地だ。
「待て、ラムザ!少し待ってくれ」

 物がお互いに擦れる音、衣の擦れる音が扉越しに響いたが、暫くしてアグリアスの許可が下りた。
気が気でなかったラムザは扉を開け、中に入った。

「珍しい。寝ていたんですか」
 無礼とも言えるラムザの言葉に、急いで身なりを整えたのか、
ベッドの上で不自然な格好で腰を下ろしているアグリアスは顔を憮然とさせ、反論した。
「うるさい。少し考え事をしていただけだ。
…そんなことより、ラムザ。今日の昼間の話は聞いたか?」
「…マズラから聞きました」
「…そうか」
「彼は、貴方がとてもこの出来事に落胆している、と」
「…ラムザ。私はもう、誰を信じてよいのか…」

 アグリアスはそうぽつりと呟き、窓の外を眺めた。
先程現れたばかりの満月と目があう。心なしかアグリアスに向かって笑いかけている。好意的なそれではない。
彼の周りには昼間の名残だろうか、雲の小型艦隊が彼を包囲するようにゆったりと飛行を続けている。

『今晩デートにでもお誘いなさいな』

 昼間のシュガリーの言葉がアグリアスの頭の中で反復された。正直、今は誰とも話していたい気分ではないが仕方ない。
「なあラムザ。行きたい場所があるんだ。一緒に付いてきてくれないか?」
 この言い方では逢引のそれとは若干異なるが、と心の中で苦笑しながらも
懸命にアグリアスは言葉を絞り出した。

「はい。お好きにどうぞ」
 目を丸くしたラムザの表情が可笑しく、アグリアスはほんの少し口元を緩めた。


「こんなところに階段があったなんて…」
 教会の、閉じられた入口の裏手に二人が回ると、そこにはシュガリーが言っていた通り、
古びた階段が教会のてっぺんまで繋がっていた。
 この頃にはアグリアスの気分も幾分か晴れ、ラムザとの会話を楽しむ余裕ができてきていた。
 ラムザは断片的ではありながらも、大よそアグリアスが今日体験した出来事を理解した。
 アグリアスは、マズラとシュガリーがこの出来事にマズラとシュガリーが心を砕いていること、
そしてアグリアスをまるで家族のように心配していることを聞いた。
アグリアスの心をいつの間にか、温かい感情が占めていた。

 階段が終わりを迎える。二人は展望室に到達した。塔の最上部は小さな吹き抜けになっていて、村を容易に一望できた。
「うわあ。意外とこの村は広いんですねえ」
 アグリアスの隣で、ラムザは子供のようにはしゃいでいる。
来てよかった、心底アグリアスは安堵した。
 そして何の気なしに、村の城壁の外を見た。
 見てしまった。


 アグリアスの顔が瞬時に、驚きそして恐怖に塗り替えられる。
「!!ラムザ!!見てくれ!!村の外を見るんだ!!」
 アグリアスの張りつめたような声に足元の景色を楽しんでいたラムザは、アグリアスの怒声に
一瞬よろめいたがすぐに態勢を立て直した。そしてアグリアスの視線を辿り、城壁の外の景色を眺めた。
「…そんな馬鹿な…!!」

 地平線が見える程に果てなく続いていた草原は一切合財姿を消していた。
 そこにはただ闇が延々と続いていた。暗闇による視覚の影響も二人は念に入れた。満月の光が
暗闇を多少なりとも取り払っているから草原の片鱗が姿を現していてもおかしくないのだ。
 しかし、そこはただ無とも、黒ともいえる、底なしの怖ろしい世界が広がっていた。

「…目の錯覚じゃないのか」
「どういうことだ。ここは冥界か、それともルカヴィの住む…」

 そこでアグリアスははっとした。
同じく呆然としているラムザに急いで顔を向ける。
「ラムザ、私たちはどうしてこんなところで毎晩宴会に勤しんでいるんだ。
ルカヴィを倒すという使命は一体どうなったんだ」
 アグリアスは半ば自らに問いかけるかのように、ラムザに迫った。

「そういえば…誰も疑問に…」
「どうなっているんだ、一体…」

 沈黙とも、沈痛ともいえる時間が過ぎる。ラムザは暫く思案していたが意を決したのか、アグリアスの肩を掴んだ。
「この村を出ましょう。今すぐにです」
「しかし、外は何もない闇が…」
「それでもこの村にいるよりはマシです。薄々感じていた事ですが、この村は何かおかしい。そして今日のアグリアスさんの
お話を聞いて確信しました。このままここに留まっても恐らく事態は好転しません」
 ラムザの力強い言葉を聞き、アグリアスはすぐに同意した。宿屋に向かうべく、二人は急いで階段を駆け下る。
 すると。

「ラムザ…雨だ」
 アグリアスが空を見上げた。雲の艦隊はついに上空全土を掌握し、歓喜によるものからか、雨を降らせ始めていた。
「急ぎましょう」
 二人は同時に走り出した。事態は確実に動いている。
 迫る雲を払い満月が、そんな二人を照らし続ける。


 二人が宿屋に到着したときには、初めは小雨ほどだった空模様は既に豪雨へと悪天していた。
「アグリアスさんは皆を集めてください!僕は先に門へ向かいます!」
 雨だれのうつ音にかき消されないような大声で、ラムザはアグリアスに叫んだ。
「わかった。門の前で合流しよう!」
 二人は同時に頷き、それぞれの役割を遂行するべく行き別れた。

 アグリアスは扉を開けた。居間ではいつものように大勢の人数が二人一組で飲みあい語らい、案の定
アグリアスに気付いたのはシュガリーとマズラだけだった。
「アグリアス!どうしたの、そんなずぶ濡れで。風邪ひくわよ」
 シュガリーが驚いた表情でそう述べ、マズラにタオルを持ってこさせようとした。対したアグリアスは時間も惜しいのか、
濡れた髪も拭かずにシュガリーとマズラを引きよせると、小声で自身の計画を打ち明けた。村人の中で、唯一この二人が
変人で且つ、自分の考えを理解してくれる者だと、アグリアスはそう信じたのだ。

「話はわかった。けど、どうしてそれを僕等に?僕等も彼等と同じかも知れないよ」
 マズラは悪戯小僧の顔を消して、真面目な表情でそう言った。
「シュガリーは傍にいてわかった。
お前は…お前は、まるで私の想い人とそっくりなんだ。人の痛みを分かち合える。
それに、シュガリーが惚れるくらいだ。間違いはないだろう」
 アグリアスの言葉に、マズラはポカンとした表情で、対してシュガリーは顔を破裂させるほどに真っ赤にした。
 シュガリーがアグリアスをポカポカと殴りつける。
 アグリアスは大人の笑顔で対応した。

 かいつまんだ話を聞いた二人はそれぞれ顔を見合わせ、すぐに頷いた。共闘してくれるようだ。
アグリアスは早速手ごろな紙に急いで何かを書き記した。
そして、近くで機械の行く末について熱く熱弁を奮っていたムスタディオの前に何気なくその紙を置いた。

 自身の展望する未来を語り終え、一息ついたムスタディオは、懐かしき畏国語で書かれた所在なき紙の存在にいち早く気付いた。
内容はこのようなものだった。

『すぐにここから出立をする。その準備にとりかかるが、周りの村人に気付かれてはいけない
 もし、この手紙の内容について言及されたら
 “実は、皆の感謝のお礼に秘密の宴を催す準備をしている くれぐれも周りには秘密にしておいてくれ”
 と答えろ。

 読んだら下に自分の名前を記し、近くにいる仲間に渡せ 合図が出るまで待機
      アグリアス・オークス』

 内容を一読したムスタディオは別段顔色を変えるわけでもなく自分の名前を記し、横で同じように語り合っているラッドに紙をスライドした。

「どうしたんだいムスタディオ?あの紙は…」
 そこでムスタディオは少々思案顔になり、マドーシャスに交頭接耳をした。
「実は、ここだけの話にしてほしいんだが…」

 このようにして、数分も経たないうちにラムザ隊の副隊長の命は各員の知るところとなった。

「全員の名前を確認した。次の段階に移るぞ」
 シュガリーとマズラは同時に頷いた。マズラが大きく息を吸う。そして居間に響くような声でこう告げた。
「皆さーん!時間ですよー。お二階へどうぞ!」
 その言葉が合図だった。ラムザ隊の各員は、それぞれの相手に用事ができた、と話しかけると、
シュガリー先導の元、平然とした面持ちで続々と階上へ向かっていった。事態を呑みこめない者、したり顔で
事態を静観する者そして“実は秘密なんだが…”と切り出し先程得た話を周りにひけらかす者。
 これこそがアグリアスの望んでいた事態だ。階下にいるマズラと目配せをし、アグリアスも階上へ上がった。


「全員、準備ができたら私の部屋に集まれ。シュガリーが下にロープを引く。それでここから脱出する」
「あのよあ、アグリアスさん…」
「質問は後だ。今は急いでくれ、頼む」
 隊員の困惑した質問に申し訳なさそうにアグリアスが答えた。それで十分だった。
 三分も経たないうちに、十数名いる戦士の全員が出立の準備を終えていた。狭い部屋に戦士がひしめきあう。

 窓に駆け寄ったアグリアスは、先にロープを伝って下りた地上のシュガリーに合図を送る。
「一人ずつ、大きな荷物は下に落として。なに、どうせこの雨だ。ちょっと音を立てても気づきはしない」
 慣れたものだ。慌てふためかず、次々と隊員は宿の外へ降りていく。最後にアグリアスがロープを伝って準備完了となった。

「すまない、シュガリー…突然、このような事に巻き込んでしまって。恩をかえすことはできないが…」
 シュガリーは口元を緩ませ、首を横にふった。
そして渾身の笑顔をつくる。
「あんたが来てから素直に楽しかった。まるで姉ができたようで、とても退屈しなかったわ」
 偏屈な奴だ、とアグリアスは思った。
その笑顔は彼のためにとっておけ。そんな小言の一つでも飛ばしてやりたかったが生憎時間が無い。

「マズラにも同じように伝えておいてくれ。本当にありがとう」
 シュガリーの返事を聞く前に、アグリアスは指示を飛ばした。
「全員、走るぞ!ラムザが門の前で待ち構えている!」
 大雨が降り注ぐ中、熟練した戦士たちは音もなく走り始めた。


 隊員より早く行動していたラムザは一足早く看板の前に辿り着いた。記憶が正しければ看板の
すぐ近くに門がそびえ立っていたはずだ。ラムザは急いで門の在りかを探した。
「無い…門が無い…」

 いくら城壁の周りを探しても、門の存在など初めからなかったかのように城壁は冷たくラムザをあしらった。
確かにこの辺りにあったはずなのだ、ラムザはもう一度辺りを散策した。しかし、やはり門の姿は確認できなかった。

 困り果てたラムザは手掛かりを求め、看板の文字を確認した。初めは正体が知れなかった文字もマズラの指導あってか、
今では完璧とはいえないまでも、ラムザの語学力はある程度の域まで達していた。
 ラムザは看板の中央よりやや下に書かれている文字を発見した。最初に発見した文字だ。
「…えーと、この文字があれで、この文字が…」
 たどたどしく文字を畏国文字に変換し読み終えた時、ラムザの顔は正しく戦々兢々としていた。
 看板には、筆記体でこう書かれていた。

           『Welcome to Homicidal Gad』

 Homicidal gad 意味は、“殺人者の独り歩き”。

 ラムザは混乱した面持ちで二歩、三歩と後退した。後退した先には田畑が広がっていた。
その田畑は正しく今日、ラムザ達がマズラ達から異国文字を指導してもらった場所だった。下を見ると、雨で
消えかかっているが地面にラムザ達の歴戦の跡が刻まれている。

『mazra』

 これはマズラ自身が書いたのだろうか、右肩上がりな筆跡がいかにも自分とそっくりだ。
その隣には自分の名前が見よう見まねで書いた跡がある。

「…ん?」
 ラムザはそこである異変に気付いた。近くにあった木の棒を拾い上げ、急いで文字を書く。

『ramza』

 自身の名を畏国語で書きおこした。
 そして自らのスペルをあれこれ並び替え書いた末、その文字は完成した。

『 ra m z a ⇒  mazra 』

 そんな馬鹿な。
ラムザはそう叫びたかった。偶然に違いない、そうだ、きっとそうだ。ラムザは自己暗示をかけるように
心の中で何度もその言葉を復唱した。
 マズラの文字の横には、雨によって消えかかっているが、確かにシュガリーのスペルも書きしるされていた。

『sugari』

 信じたくなどなかった、だが全てを疑心暗鬼せずにはいられない今、ラムザが取るべき行動は一つだった。
木の棒を再び手に取る。泥が顔に何度も飛び跳ねた。それでも彼は完成させた。

『 s u g a ri ⇒ agrius 』

 大雨がラムザを何度も何度も、繰り返しうちつけた。


「気付いたのね」
 後方から声が聞こえた。ラムザは緊張感を張り巡らせた。
 その声にラムザは聞き覚えがあったのだ。

「やはり、あなたか」
 ラムザは振り返らずに、後ろにいる女剣士にそう答えた。
「久しぶり、と言いたいところだけど、既に私とあなたは何度か巡り会っているわ。何時とは言わないけれど」
「どうして僕たちをこんな世界に?」
 彼女は少し首を傾けて考えていたが、気兼ねなく答えた。
「醜い理由よ。あなたが、あなたがまだ生きているって知ったから」
 彼女は自嘲した。
「いつか言ったわよね。
あなたが悪いわけじゃない。でも、現状が変わらない限り、私はあなたを憎む。
あなたがベオルブの名を継ぐ者である限り、あなたの存在そのものが私の敵だと」
 忘れるはずもない。ラムザは静かに頷いた。
「別にもう世界に未練なんてない。私という存在が世界から消えたから。ただ、私をうち滅ぼした相手が未だ
ノウノウと生きはぐっている事は、興味が沸いたし同時に憎しみを抱いた」
「弁解をするわけではない。だが聞いてほしい。あなたが憎しみを抱く、醜態をさらし圧政をしいた貴族はことごとく斃れた。
貴方が憎んでいたラーグ公も、そして僕の兄たちも…」
「聞いたわ。その貴族の操り人形師を倒すために旅を続けているんでしょう。傲慢な貴族も死に絶えたと聞く」
「では何故!」

 その時だった。

「ラムザ!!」
 通りから雨にも負けずアグリアスの声が響く。アグリアスはラムザの姿を捉えると、すぐに近寄ろうとした。
「止まりなさい」
 静かな声で、流れるような動作で腰から剣を抜いた女剣士は、地面に膝をついたままでいる
ラムザの首元に押し当てた。
「これ以上近づくと斬るわ」
 女剣士はアグリアスとは対照的に、冷静にそう述べた。
「貴様…!!」
「分かって頂戴アグリアス。私は話がしたいだけなの」
 女剣士はうってかわり、悲痛そうな声でそう訴えた。
「何故、私の名を…」
 アグリアスは狼狽した。
 瞬間。

「アグリアスさん!!後ろから追手が!!」
 隊の後方にいた剣士がそう言を発した。見ると、先程の酒場にいた仲間の友人である村人が
アグリアス達を追ってラムザ隊の後方に迫っていた。
「アグリアス!ごめんなさい!」
 追手が彼等の後ろで立ちふさがるや否や、更に後ろから追いかけてきたシュガリーとマズラが
息を荒くしながら涙声でそう伝えた。


「彼等は…一体何者なんだ?」
 対峙を続ける追手と隊の仲間を見つめながら、ラムザは静かにそう訊ねた。
「それを説明するには、まずこの世界のならわしを知る必要がある」
 女剣士は静かに語り始めた。
「私はあの時、レナリア台地で命を落とした。
知ってる?死ぬ瞬間は、電灯が弾けたように目の前がチカチカする。
“死”はとても恐ろしい。少なくとも私はそうだった。そして、死んでから間もなく私は、何もない暗闇の空間に放り出された。
いつか童話で聞いた、“死んだ人は空から私たちを見守っていてくれる”なんて嘘っぱちよ。
地上の状況はおろか、目の前すら見えなくなった。
それでも必死に歩き続けた。私は諦めたくなかった。
そしてある時、どうやら自分が草原の上に辿り着いた事に気付いた」

 そこで一旦言葉を切る。雨は依然として強さを保っている。
「私は涙を流して何度も神を恨んだ。さわやかな風を肌で感じることはできても、目の前に広がる雄大な草原も
晴れ晴れとした空も、何も見えやしない。
神は残酷だ。いつだって人を見捨て、人が窮地の事態に追い込まれても素知らぬふりを繰り返す。
神は創造主であると同時に最悪の殺人鬼だ。
おおよそこのように、毎日毒づいていたわ。それが功を奏したのかはわからないけれど、ある時気づいたら、この
村の中にいた。
視力が戻っていた。村の中に限ってだけど」

 女剣士は目をつむった。
「村に住むようになってから何時か、少年が階段から転落する事件が起こった。少年が負った傷は深かった。
私は気が動転して、すぐに家という家を回って塗り薬やら何やらを調達しようとした。けれど、どの家の住人も
薬という概念も、治療という概念もなかった。
薬がないわけじゃない。村人自身が薬だった。ただ、どんな症状にも効かない薬。
そこで私は初めて気がついた。
ああ、これが“神”なのか、と。
私利私欲のために兵士の手柄を自らの物のようにする横柄な世界より、
なんて明快で簡潔な世界なんだ、と」
「…」

「貴方たちを見つけた時、意地でもこの世界に放り込んでやろうと思った。だけど、ただ放り込んで
苦しむ様を見ても何も楽しくない。
そうか。どうせなら、自分と意気契合する者を登場させて、何も気がつかせないままに、この村に閉じ込めてしまえばいいんだ」
「それが、マズラでありシュガリーなのか」
「彼等は、貴方達の心の底に潜む欲望を具現化した体現者。だから貴方たちは彼等にどこか惹かれ、そして気が合う」
 女剣士はマズラとシュガリーを見てせせら笑った。
「ただ、あなたとアグリアスの有形、あの二人の存在は正直予想外だった。まるで自我が存在しているかのように
振る舞うものだから。それとも、よほど貴方達の信念が強かったのか。
事実、彼等のせいでこのような状況になっていると言ってもいい」


「どうするアグリアス」
 激しい雨の中、オルランドゥがアグリアスに訊ねた。緊迫したこの状況ではいつ斬り合いが始まっても
おかしくない。アグリアスは大木の近くにいるラムザに向かって訊いた。
「ラムザ!!門はあったのか!」
 ラムザは静かに首を横に振った。その代わりにラムザは大声で指示を飛ばす。
「シュガリー!!」
 ラムザの突然の呼び声に、追手の後方で身を縮こまらせていたシュガリーは飛び跳ねた。
「君の所の花を全てもらおう!!代金は後払いだ、荷台でここに運んできてくれ!!
アグリアスさんを始めとする数人はシュガリーたちに同行してください!急いで!!」


「何をしようというの」
 怪訝な声色を覗かせながら女剣士はラムザに訊ねた。
「忘れ物があったから取りに行ってもらっただけだ」
 ラムザは静かに眼を閉じた。

「…時として、最良の方法が最善の結果を生むとは限らない」
 ラムザはぽつりと呟いた。
「知己がいつか、僕に忠告した。その時の言葉だ」
「それは、つまり私の行ってきた事は全て無駄だと言いたいの?」
 彼女の言葉に、ラムザははっきりと否定の意をこめた。
「違う。あなたの行いを否定することなど、僕にはできない。
ただ、あなたは神ではない。これは貴方が目指すべき最善ではない」
「何を言うか。奴等は私たちを人間扱いなどしていなかった。
ならばいっそ奴等の家畜として生まれていた方がマシだったと何度思ったか!!
計画は全て水泡に帰した!これも、そして支配階級が生まれたのも、全ては神の意思よ!
神は私を、兄を見捨…」
「もうやめてくれ!!」
 ラムザの悲鳴とも言える怒声に、彼女の剣先が微かに上下した。

「聞いてくれ。それは、神のせいではない。
君たちを苦しめたのは僕を含む全貴族の責任だ。言い逃れはしない。
この戦争によって大部分の貴族は死に絶えた。この僕も、ベオルブの姓を捨てることで貴族としての僕は死んだ。
畏国を巻き込んだ戦争はいずれ終焉を迎える。耕土は荒れに荒れ、政治も上手く機能しないかもしれない。
市民の暮らしは今以上にきびしくつらいものになる。
だが、支配階級は今以上に氾濫することはない。このラムザ・ルグリアの名のもとに誓う。貴族制度は後世まで
潰えぬかもしれない。だが、近い将来この国を背負う王たる者が市民の手によって勝ち取られることもあるだろう。
それほどまでに畏国は疾風怒濤の人生を歩んでいる」

「確かに、奪った物は全て戻ってはこないかもしれない。ただ、むやみやたらに物を強奪する輩は消えうせた。
人々にはある程度の暮らしが築ける未来が生まれるだろう」
「その夢を語るにはまず、ルカヴィという邪悪な存在をうち滅ぼさなくてはならない。
…それが、僕にとっての“正義”であり、“大義”だ。
ここでのうのうと過ごしていた自分が本当に恥ずかしい!
僕等は、常に最善の結果を目指しているんだ。
…わかってくれ」

 ラムザは背後に立つ女剣士のために頭を地面につけた。雨はいつの間にか止んでいた。
ラムザの声は全員の耳に届いていた。誰しもが彼の声を聞き毒素を抜かれたかのように
剣を突き立てたまま、彼女とラムザを見つめている。

「…つまり、あなたは私の、…兄の夢を叶えようとしているの?」
「そんな大層なものじゃない。でも、僕も一端の人間だ。
…努力なくして夢は語れないじゃないか」

 ラムザの首元に突き付けられた剣が静かに下ろされた。追手の者たちも続々と剣を下ろす。
「…兄さんにも聞かせてあげたかった」
 瞬時、彼女の身体から眩い光があふれだした。ラムザはそこで初めて後ろを振り返った。
 彼女はまるで天女の羽衣を着たかのように、身体から煌びやかな光を放っている。

「すまない、ラムザ!!遅れた!」
 荷台を引きずりながら、アグリアスたちはラムザたちの前に姿を現した。
「これは、いったい…」
 驚嘆するアグリアスの横で、マズラとシュガリーはポカンと口を開けている。
 大勢の前で、彼女は地面からふわり、と宙に舞い上がった。
同時に、彼女の袖口から一輪の花がこぼれおちた。アグリアスがそれを拾った。

「これは、エンドウの花…」
「“永遠に続く楽しみ”…」
 シュガリーは呟く。アグリアスはかぶりを振った。
「いや、花言葉はもう一つある。

…“いつまでも続く悲しみ” 

…我々を恨んでここに放ったと言ったな。だが、本当は救ってほしかったんじゃないのか、あの闇から、お前は…」
 女剣士は答えずに、静かにアグリアスの言葉に微笑んだ。
「もうその花は必要ないわ。ラムザをよろしくね、アグリアス」
 アグリアスはしっかりと頷いた。

「ラムザ!!」
 ラムザの元にマズラが走り寄る。
「花を取りいく途中で話し合ったんだ。
行かせてくれ!僕とシュガリーを、外の世界へ!」

「君がそう望むなら拒むことなどできやしない。
…僕は“君”なんだから」
ラムザはそう微笑んだ。
「…シュガリー!」
 ラムザがシュガリーに向かって巾着袋を投げた。
「代金だ!釣りはいらない!二人への祝いの分もこめてある!」
 マズラは困ったような顔を浮かべ、シュガリーは再び顔を染め、
怒ったかのように唇を尖らせた。

 彼女を包む光が一段と輝きを増す。風にたなびく金髪はまるで煌びやかな河川のようだ。
 満月が一段と、彼女を照らす。

「うわあ、すごい。天使みたい…」
 シュガリーが感嘆の声をあげる。
彼女は優しげに首を横にふった。

「私は人間よ…あなたと同じ」

ラムザ達を光が覆う。

瞬時、世界が白色となる。




「…ん」
 ラムザは身をおこした。鳥の囀る音。辺りに、見慣れた畏国の草原が広がっている。
「…わかったからボコ、僕を突くのは程々にしてくれ」
 主を心配しているのか、近くでボコが懸命にラムザの顔を優しく突いていた。

 ラムザの周りには同じように仲間が仰向けに、さわやかな風を一心にうけている。
近くには呑気に草を食んでいる馬と他のチョコボがいて、その後ろには馬車が置かれている。
 辺りには竜巻が通った跡など微塵も感じさせない。
「ボコ。皆を起こしてやってくれ」
ボコの顔を一撫ですると、ボコは嬉しそうに頷き、仲間の元へ駆けていく。

「…おはよう、ラムザ」
「…おはようございます、アグリアスさん」
 ラムザは優しげにアグリアスに微笑んだ。
 その笑顔が見たかった。
アグリアスは思った。
今度からもう少し素直になってみようか。
草原が微かに揺れる。

「たいちょーう!この花はいかがいたしましょうか」
 ラムザは振り返った。
地面には、まるで綺麗に並べられたように、鮮やかな花畑ができあがっている。
「…そのままでいいよ」
 ラムザは空を見上げた。
空は、ここを通った時と同じ晴れ模様だ。今夜あたりは綺麗な満月が見られるかもしれない。

「すぐに出発の準備をしよう」
ラムザの言葉に、隣にいたアグリアスが頷いた。

 さわやかな風が辺りに吹き渡る。
地面に並べられた花のいくつかが風に乗った。そのまま風に揺られてラムザたちの元を離れていく。

「…綺麗だ」
 ラムザはそう呟いた。




「…ズラ、起きな…い。 マズラ!」
 マズラは目を覚ました。視界には少々機嫌が悪いシュガリーの顔が一杯に広がっている。
マズラは変わらない彼女が可笑しく、顔をほころばせた。

「む。何がおかしいのよ」
 シュガリーが眉をひそめる。
「いや、何でもないさ。
…ただいま、シュガリー」
「…おかえりなさい、マズラ」
 辺りは草原と低木が生い茂っている。釈然としないながらも、シュガリーは起き上った。
 すると近くに控えていたのか、名も知れぬチョコボが駆け寄ってきた。
「好かれているじゃないか、シュガリー」
 頬ずりまでされているシュガリーも満更ではなさそうな面持ちだ。

「これも贈り物よ。
…“私”からの、ね」
 さわやかな風が吹き渡る。


「シュガリー!見てごらん!」
 マズラとシュガリー、それにチョコボは並んで草原を眺めた。
 どこから来たのだろうか、風に乗った色とりどりの花びらが二人の前を通り過ぎていく。
「…なんだ」
 シュガリーはため息を吐いた。

「私はあの村が一番美しいと思っていたけれど。そんなことはなかった。
…思っていたよりも綺麗じゃないの、ここは」
 マズラは頷いた。
「ああ。…とても綺麗だ」
 二人はいつまでも晴れ渡る空を眺めていた。


fin.




――――――――
終わりました。一応、参考程度に設定をば。
  • 作品名は、鬼束ちひろ作詞作曲の『月光』を参考にしています。作品もできる限り、歌詞に沿って進めました
  • 村に登場する主要人物は、全員がラムザ達のアナグラムを使用しています
  • それに伴って、村の名前『homicidal gad』もアナグラムです アナグラムの元は『I am a God child』 歌詞と違いますが設定ミスです すいません

重ねがさね、稚拙な文章力と構成力に反省すべき点も数多ありますが、初めての長編を書き終える事が出来て満足しています
一読してくださった方、本当にありがとうございました
最終更新:2010年07月27日 01:18