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「(何か手を…!)」
斬り結びながら策を必死で模索するアグリアスの目に、
奇妙な光景が映った。
レディが突如、後ろに大きく跳躍した。
しかも、跳躍中になぜか右手の忍刀を腰に佩びた鞘に
納めつつ、である。
着地と同時にどこからか取り出したのは、針状の手裏剣。
灰色に仄光るそれが、一瞬だけアグリアスの目に留まった。

「な…!?」

刹那の間に、アグリアスの左胸を狙って正確に投擲された手裏剣は、
全く想定外の攻撃手段であった。
だがしかし、戦場においては戦況が予想外の事態に展開する
のが常であり、百戦錬磨のアグリアスはそれに慣れていた。
思考を介さない、戦士の直感が彼女の体を動かし、
手裏剣は心臓を射抜くことは叶わず、肩を覆う装甲に突き刺さる。
手裏剣は肩の寸前で止まり、流血には至らなかったものの、
アグリアスは再び驚愕に襲われることになる。
ビシビシと音を立てて、手裏剣が命中した装甲が石化を
始めたのである。
物質転換。ある物を石に変えてしまうような魔術は
確かに存在するが、そういった対象の大掛かりな変態を伴なう
魔術の行使には、永い詠唱と大量の魔力が必要であるのが
常であり、ノータイムで標的を石化させるような手段など、
通常は考えられない。
ベイオウーフの魔法剣に、それを可能にする技があるが、
アグリアスの知りうる限りそれぐらいのものである。
どんな呪術か魔法を施したのか知らないが、
あの手裏剣は危険すぎる。
もしも生身に直撃すれば、脚や腕ならば戦闘の続行は
不可能になり、そのまま殺される。
胸の近くに食らえば心臓や肺が石化して即死だろう。
装甲の石化は左肩から始まり、右胸の領域にまで広がって、
石化した鎧の部分がひずみで砕け散った時点で止まった。
アグリアスの上半身を覆う鎧の大部分は破損し、
急所である胸の周囲が外に露出する形になってしまった。
石化の手裏剣の直撃は免れたものの、鎧の損失は
大きな痛手である。
レディは手裏剣の投擲と同時に、一度鞘に納めた忍刀を抜刀し、
再びセリアと共にアグリアスに襲い掛かる。
依然として2人の電光石火の連撃は衰えを見せず、
アグリアスに聖剣技を使う隙を作らせない。
アグリアスの剣の技量は、2人のどちらよりも勝っている。
もしも1対1の決闘方をとれたのなら、
アグリアスの勝利は堅いだろう。
しかしこの2人が結束した時の勢いは、脅威である。
手数と速度で相手を圧倒する、言わば物量攻撃である。
それに加えて正確さまで備えているのだから手に負えない。
4本の刃は、まるでそれぞれが意思をもった魔物であるかのように
巧みに宙を舞い、アグリアスの防御を突破し、急所を刺し貫こうと
間断なく次々と押し寄せる。
表情の欠け落ちた2人の顔からは、2人が何を考えているのか
まるで判断できない。
まるで、巨大な昆虫のようである。
何も考えず、何も思わず、何も感じず、ただ本能に依って
機械的に他の虫を捕食する。
虫にとってそれは、悪でも正義でもないのだろう。
そうしないと生きていけないからそうするというだけの話である。
セリアとレディにとっては、今ここでアグリアスを確実に殺すこと。
それだけが意味のある行為であり、その他全ては無意味であると
断じているかのような、無機質で機械的な表情。
アグリアスはまるで、同じ人間と刃を交えている気がしなかった。
再びレディが後方に跳び、先ほどと同様に灰色の手裏剣を投擲する。
狙いは再び心臓。鎧の加護を失った胸を、今度こそ
石化の手裏剣で射抜き、決着をつける腹積もりでいる。

「(まずいっ…!アレか!)」

石化の威力と脅威がアグリアスの脳裏によみがえり、
一瞬恐怖と焦りが全身を走った。
剣で手裏剣を打ち払うことはできない。
さっき、手裏剣は金属製の鎧を石化し、破壊した。
本来は人体に直接突き立て、標的の体を石化させる
武器であると考えられるにも関わらず、
あの灰色の手裏剣は人体、金属を問わずに石化させる。
手裏剣の尖端に当たり判定があるのなら、
剣と接触した瞬間、剣が石化する恐れがある。
2振りの剣でどうにかセリアとレディの猛撃に応じている現状で、
剣を片方失うということは、死に直結はしなくとも、
ただでさえ不利なこの状況を、より一層悪い方向に進め、
敗色を濃厚にしてしまう悪手である。
剣はどちらも、手放せない。
鎧をこれ以上削らせる余裕もない。
鎧で受け損なったら、体のどこかに手裏剣が命中する。
そうなったら最後だ。
結局、どうにかして避けるしかない。

「ぐっ…!」

食い下がるセリアの侍刀を大きく打ち払い、刹那に間合いを
とったアグリアスは、横に跳躍し、寸での所で手裏剣の投擲を
回避した。
セリアに斬り掛かるために足を踏み込み、アグリアスは前傾姿勢をとる。
ドスッ…。

アグリアスの足元で、不吉な音が響いた。

「うっ!?」

異変は、すぐにアグリアスの知るところとなった。

「(馬鹿な…!身体が…身体が動かない!?)」

アグリアスの全身は、前傾姿勢を保ったまま硬直していた。
脚も、腕も、まるで彼女のいうことを聞かず、
氷漬けにでもなったかのように固まって、ピクリとも動かない。
石化の手裏剣を投げたレディには細心の注意を払っていたし、
投擲された手裏剣についても完全に避けたはずである。
それでも身体が動かないというこの事態…原因があるとすれば…セリア。
レディに注意を傾けたほんの一瞬に、セリアに何かをされたとしか
考えられない。
事実、アグリアスの刹那の間に展開された推理は当たっていた。
全ては、周到に用意された罠。
石化の手裏剣は、現在の絶対的勝機を作り出すための布石。
手裏剣の威力と脅威を標的に存分に認識させた上で、
恐怖と焦りを心に染み込ませる。
手裏剣の回避に注意を仕向けさせた上で、
アグリアスのマークがザルになったセリアが、刹那のうちに決定打を仕掛ける。
アグリアスが足元をとっさに見れば、自身の影の胸の位置に、
黒い手裏剣が突き刺さっているのが見て取れた。
影が、地面に縫い付けられている。
アグリアスがレディの投げた石化の手裏剣を回避しようと跳び、
セリアへの注意がおろそかになった一瞬に、セリアがアグリアスの
影に向けて、密かに別の手裏剣を投げつけたのである。
石化の手裏剣同様、対象の動きを一瞬で停止させる
呪術や魔術など、通常はありえない。
にも関わらず、アグリアスの影に突き立てられた黒い手裏剣は
彼女の知る理とは別の、正体不明の機構をもってして、
アグリアスの全身を呪縛し、頑として身動きを取らせない。
一秒以下の隙を奪い合う、達人同士の技の応酬下において、
身動きを封じられるというのは…即ち死。
無防備の身体は、敵の刃を避けられるはずも無い。
果たしてセリアとレディは、笑いもしなければ喜びもしなかった。
依然としてその顔には、何の色も浮かばない。
虚無を宿した、生きながらにして既に死んでいる心は、何も映さない。
彼女らが勝利を手にしたも同然の現況は、偶然によるもの
でもなければ僥倖でも何でもない。
2人の実力と、敵を欺く周到な陽動作戦による必然。
今こそ標的を斬り刻み、血の海に沈めんと、
セリアとレディはそれぞれの得物を構えなおして
冷徹にアグリアスに走り寄る。
そこに油断や慢心は、欠片も無かった。
その様子はちょうど、見えざる糸に絡め取られ、
身動きが出来なくなった無力な羽虫を、蜘蛛が捕食するために
機械的に近づいていくのに似ている。
絶体絶命と呼ぶにふさわしい窮地に追い込まれ、
アグリアスは硬直したまま剣に力を込める。
最後の手段をとるしかなかった。
非常に危険であり、自滅する可能性も高いが、
このまま黙って殺されるのを待つよりは、いくらか生存の確率は
高まるだろう。

「(影に刺さった手裏剣をどかすことができれば…
 動けるようになるはずだ…!)」
うつむいた状態のまま身動きが封じられているため、
今2人の殺し屋が何をどうしているのかを見ることは叶わない。
2人の床を蹴る音から察するに、4本の刀で無防備のアグリアスを
なますに斬り刻むつもりだろう。
たが恐怖は、今必要な感情ではない。
努めて冷静になり、右手に持つ騎士剣に内力を集中させる。
聖剣技は、標的を選択的に攻撃するための指向性をもたせるために、
術者の技術によりエネルギーを精製し、力の奔流を
特定の形態に形作らなければならない。
この工程こそが、聖剣技を強力な遠距離攻撃手段たらしめると
同時に、技を繰り出すために生まれる硬直の原因にもなってしまう。
銃弾を火薬の爆発による圧力で、一定の方向に撃ち出すには、
弾丸の飛ぶ方向を規定するバレル(銃身)が必要であるのと同じである。
聖剣技の使い手は、自らをバレルとして、指向性のエネルギーによる
砲撃を、標的に叩き込むのである。
彼女が今やろうとしていることは、無方向なエネルギーを方向付けるための
精製過程を省いた、単純なエネルギーの放出。
危険であるし、無意味であるので今まで一度もやったことがないが、
何の方向性も持たないエネルギーの奔流は、恐らく
爆発を伴なって術者もろとも周囲を破壊するだろう。
いわば、むき出しの銃弾を数十個、無造作に焚き火の中に
放り込むようなものである。
火薬に引火し、暴発した銃弾は、周囲の人間を無差別に殺傷する。
精製の過程を含めると、最短でも2秒の硬直を要する聖剣技であるが、
精製を省けば、一瞬で力を放出することは可能であると考えられる。
術者の無事は全く保障されない、危険極まりない荒業ではあるが…。
暴発による怪我は、確かに恐ろしい。
しかし、アグリアスにとって最も恐るべき、由々しき事態は、
2人の殺し屋を止められず、ここで無駄死にすること。
ここで自分が無抵抗に殺されれば、現在エルムドアと交戦中のラムザは、
あの凶悪なセリアとレディをも同時に相手にしなくてはならなくなる。
いかにラムザでも、あの手錬3人を同時に相手しては、
勝てるわけがない。成す術なく殺されるだけである。
隊の長であり、皆の希望であるラムザが殺されれば、全てが終わる。
それだけは、何としても防がなくてはならない。
今ここで、自分の身がどうなろうと。
2人の殺し屋の足音がアグリアスのすぐ傍まで近寄り、
今まさに、アグリアスの首に刀が振り下ろされようとしたときに、
アグリアスはすっと目を閉じ、祈るような思いで、剣から力を解き放った。
制御を失った無秩序な力の流れは、爆発を伴なって
アグリアスの影を縛っていた手裏剣を吹き飛ばす。
爆音と爆煙が吹き上がり、爆風が吹き荒れる中、
セリアとレディの2人はとっさに後方に回避し、
即座に状況の把握に移る。
不可解な攻撃を受けた場合は一度距離をとり、
相手の出方をうかがうのが戦場における鉄則である。
剣しか扱えないはずのアグリアスが、放出系の攻撃手段…
それもノータイムで発動するようなタイプを突如使用したのは、警戒に値した。
術者であるアグリアスは、当然のことながら
爆発による衝撃を、無防備のまま全身に受けたことになる。
辛うじて立っているものの、爆心地より最も近い位置にあった右手、
エネルギーの射出口となった剣を握っていた右手の感覚がほとんどない。
今の爆発の威力から察するに、指が何本か消し飛んでいたとしても
不思議なことではない。
足元の感覚が消えかかり、絶望的な浮遊感が全身を襲う。
何度も経験した、気絶直前の症状である。
この場で気を失うということは、己の命をむざむざセリアとレディの
2人にただでくれてやるのと同じである。
断じて、ここで気絶する訳にはいかなかった。
「(ただでは死ぬな――。
 死ぬなら…1人でも多くの敵を
 道連れにしろ――!!)」

下唇を犬歯で思い切り噛み、鮮烈な痛みと鮮血の味が、
おぼろだったアグリアスの意識の輪郭を確かなものにする。
ふらつく脚を内心で叱咤し、アグリアスは疾駆する。
敵を殺すために。仲間を生かすために。
煙幕の中からレディの眼前に突如飛び出したのは、
鬼神のごとき形相で双剣を振るうアグリアス。

「!」

人間らしい驚きの表情が、はじめてレディの顔を彩った。
自爆したようにしか見えない標的が、
これほど早く、再び刃向かってくるとは、さしもの
レディも想定外だったのである。
アグリアスがくぐり抜けてきた死線の数と執念の強さ。
これが、殺しの練達者たるレディにも予測不可能な行動を、
アグリアスが可能にした理由だった。
レディの判断違いで、アグリアスの振るう剣への対応が一瞬遅れる。
アグリアスの壊れかかった右手に収まった、騎士剣による
斬撃はレディに打ち払われ、剣はアグリアスの手を離れて
彼方に弾き飛ばされた。しかし、アグリアスの左手の剣による
追撃には、レディの反応が間に合わなかった。
鋭い刺突は、刹那の内に、容赦なくレディの右胸を串刺しにする。
人を刺し貫く嫌な感覚が、アグリアスの手に伝わった。

「…あ…」

かすかな声が、レディの口をついて出た。
レディの両手から、忍刀が離れ落ち、澄んだ金属音が鳴り響く。
口元から血を流しながら、死相もあらわな顔を後ろにのけぞらせ、
崩れ落ちる…そうなる寸前で、レディは踏みとどまった。
即死で当然のはずの致命傷を受けてもなお、レディは倒れない。
いかなる執念によるものか、死の恐怖と絶望をも凌駕する、
本能にまで刻み込まれた殺し屋としての習性がそうさせるのか。
必勝必殺を信じて疑わなかったアグリアスの顔が、驚異に凍る。
明らかに死に体においてもなお、レディは左手を、流れるような
動作でアグリアスの首に添えた。
レディの細く、白い指が、白骨化した死神の手を思わせて、
アグリアスに"死"を彷彿とさせる。

「!?」

親指と中指で、首の左右を走る太い血管を押さえつける。
必要最小限の力、それでも人の意識を奪うには十分な
圧力をもってして血流を封じ、標的を瞬間的に気絶に追いやる。
つまり、レディは格闘技における絞め技を、ごく簡易的に
即席で再現したことになる。
死人も同然のレディに、突然首を撫でられたかと思えば、
急激にアグリアスの視界は暗転する。
意表を突かれたアグリアスは成す術なくレディの術中にはまり、
一瞬ではあるが、意識を消失した。
レディは淀みのない流れのまま、左手の人差し指を
もってして、標的の気道と喉笛を同時に圧迫する。
これにより、アグリアスは呼吸をすることも声を上げることも
出来なくなったわけだが、意識が暗転している彼女には
知る由もない。
そのまま、右手をアグリアスの左胸に当てる。
石化の手裏剣が命中したことにより、上半身を覆う鎧の
大部分が破損しているため、今現在、アグリアスの左胸は
外に露出している形を取っていた。
レディの右手は、アグリアスの左胸…心臓のすぐ上に添えられていた。
狙いは無論、急所の中の急所である心臓。
レディの手のひらから即座に放たれた衝撃波は、
ほぼ無音を保ったまま、手と心臓の間にあるアグリアスの服も、
皮膚も一切傷つけることなく、的確に、心臓を直撃した。
意識を奪われているアグリアスの全身が、反射的に
びくんと大きくけいれんを起こす。
標的の意識と悲鳴を奪い、完全に無力化した上で、
心臓のみを選択的に破裂させる。
極限まで音を殺すように技術立てられた衝撃波は、
誰に聞きとがめられる恐れもないし、素手による殺しは
証拠すら残らない。
加えて、この技を食らった者の衣服や皮膚には、一切の
痕跡が残らない。
衝撃波は、手のひらから放たれた少し先…つまり服や皮膚を
通り越した心臓のある位置で炸裂するように組み立てられた、
特殊技術によるものだからである。
傍目には、原因不明の変死にしか映らない。
死因を特定できたとしても、それは検死のための解剖を
行った後である。
いつでも、どこでも、証拠の残らない迅速で確実な暗殺を。
それを可能にするこの絶技…息根止は、
暗殺の集大成にして、殺し技の一つの到達点。


「さよなら」


口元に血を滲ませながら、虚ろな眼差しでレディは呟いた。
余命幾ばくもない彼女の顔を彩る色は…悲しみ…とでも
表現すべきものであろうか。
今生最後の息根止。何十人もの命を奪ってきた、
その至高の暗殺技の手順に、断じて間違いは無かった。
問題があるとすれば、ただ一つ、彼女が致命傷を負っていた
一点のみである。
渾身の力を込めたその一撃でさえも、目前の標的を
絶命しうるには至らなかった。
それは、手応えからレディ自身がはっきりと自覚できていた。
アグリアスの首を押さえていた左手にも力が入らなくなり、
レディの意識が混濁を始める。
死が、もう目前にまで迫ってきていた。
首から手を離され、意識を取り戻したアグリアスは、
正体不明の胸の激痛に意識を割く余裕もない。
背後からは、セリアが走り寄る足音が聞こえる。
アグリアスを今、仕留めるつもりでいるのは間違いない。

「くっ!!」

壊れかけた右手の掌底を、左手に持つ剣の柄に添えて、
レディの胸を刺し貫く剣を、力任せに上に押し上げる。
生きたまま胸から肩の上まで剣で引き裂かれる、地獄の苦痛に
襲われているのにも関わらず、レディは悲鳴一つ上げなかった。
瞼を静かに下ろして、従容と最後の時を迎えていた。
胸から肩にかけて切り裂かれたレディはそのまま絶命し、
アグリアスは即座に背後を振り向き、セリアの剣戟を打ち払う。
アグリアスはとっさに後方に跳躍し、セリアと距離をとった。
アグリアスの全身を、原因不明の脱力感が覆う。
レディに首を絞められた時に何をされたのか、アグリアスが知る由もない。


最終更新:2010年03月27日 00:05