アットウィキロゴ

尾道赤レンガの会

トップページ

【2026.2ニュースレター】
2026年を迎え、教会歴では2月18日からレント(四旬節・受難節)に入りました。
イースター(復活祭)の前の受難週まで続きます。
皆様には恵みのうちにお過ごしのことと存じます。
島尾道チャーチスクールの島田義国先生には、よきご指導とご協力いただきましたが療養のため高崎市の施設にご夫妻で越されました。教会の庭にイングリッシュオークを植樹くださり、英国大使館で行われたグリーン同盟記念会にも出席されました。お祈りください。
日英グリーン同盟植樹先
以下のように感謝とともに報告いたします。

1、 アガぺ・ワールドの恵子ホームズさんからのお便り
アガペワールド心の癒しと和解の旅
これから詰める簡単な日程表 May 20 - June 3, 2026

MAY
Date Activity Hotel
20 Wed AM: 東京のホテルに集合。
Tokyo
21Tur もし少人数の場合箱根にドライブ
ガラスの森見学。山のホテルで昼食。
夕方東京へ。
Tokyo
22 Fri
横浜に移動。
英連邦戦死者墓地訪問 Yokoham a


23 Sat 三溪園散策 Yokohama
24 Sun 新幹線名古屋ー伊勢に

Ise
25 Mon 伊勢のしまなみ海道訪問

Ise
26 Tue 熊野市駅ー入鹿入り
16人英兵の記念碑‧墓を訪問。主の祈り。 Iruka
27 Wed 和歌山の捕虜収容場訪問? Wakayama
28 Thu 午後遅くに広島へ。
広島名物お好み焼き店へ Hiroshima

29 Fri 広島のホテルで朝食
平和公園‧博物館訪問
夕方京都へ 京大
紫蘭会館



30 Sat

裕子医師‧京大教授のお世話で教会関係者や学生の案内で京都見学。	京大
紫蘭会館



31 Sun 裕子さんの教会に出席。
お昼もいただく。 京大
紫蘭会館



JUNE
1 Mon 16:40~ 18:10 大垣経済学教授のセミナーで学生や教授たちに格旅行者の短いスピーチとQ&A
その後短い交わり。
7時ごろから日本のレストランで夕食会 京大
紫蘭会館
2 Tue 午前中大阪城訪問?大阪から自国に帰りたい人はそうする。
東京から帰国が都合がいい人は午後東京へ。


東京
3 Wed

帰国
恵子は残って教会や大学で講義。
和解のために韓国の牧師と韓国訪問など。

アガペワールドの付き添い:
ジェイコブ·ジョン:会長代理で祈りの賜物を持つ。[email protected]

ダニエル·ホームズ (2年間旅行会社で西洋人若者を日本にお連れし観光する) [email protected]

Keiko C Holmes (アガペワールド代表) [email protected]
決まっている参加者:
Hilary Cunningham & John Orr ヒラリー・カニンガムとジョン・オー
Gillian 母 & Jane 娘 Leighton  ジリアン と ジェイン レイトン
Tye Turner タイ・ターナー POWの孫
この人たちが病気にならないように。健康で楽しいPilgrimageができるよう。お祈りお願い。付き添いの健康も。感謝を込めて。

2、2004年大村はま先生と尾道を訪問された横山英行さん(元小学館編集長)がその思い出をまとめられて「大村はま先生随聞記」を出版されました。大変感銘しました。徳島の鳴門にも立ち寄られました。鳴門教育大学図書館には「大村はま文庫」があります。
https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E3%81%AF%E3%81%BE%E5%85%88%E7%94%9F%E9%9A%8F%E8%81%9E%E8%A8%98-%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E8%8B%B1%E8%A1%8C/dp/4785103264

3、大日丸調査問題の核心

1893年英国建造の貨物船 Eskdale が日本で「大日丸」と改名され、
1931年に御前崎沖で「座礁大破・全損」と報じられた。

しかし、1942年に捕虜輸送船「大日丸」に乗船した英国人捕虜が、船内名板に「Eskdale」とあったと証言している。

👉 1931年全損と1942年再登場が矛盾する。

■ 重要な論点
① 「全損」は必ずしも船体消滅を意味しない

新聞の「全損」は多くが保険上の経済判断。

解体・撤去を示す記述は確認されていない。

船体が回収・仮修理される例は歴史上珍しくない。

② 戦時中は旧名が残ることが多い

改名は書類上の処理が優先。

建造銘板(旧名)は撤去されない例が多い。

捕虜が「Eskdale」を見た可能性は制度上十分あり得る。

③ 仮説モデル(1931→1942)

1931年:座礁 → 保険上「全損」処理

その後:船体回収・仮修理・限定用途で存続

戦時:船腹不足により徴用

1942年:捕虜輸送船として使用

制度・技術・証言の整合性は高いが、直接的な連続船籍史料は未発見。

■ 結論

1931年「全損=即廃船」と断定する根拠は弱い。

1942年の「Eskdale」名板証言は、同一船体存続の有力な状況証拠。

ただし、最終確定には船籍原簿・保険記録など一次史料の確認が必要。

要するに、
「初代Eskdale=大日丸が修繕のうえ戦時に再使用された可能性は十分にあるが、決定的証拠はまだない」
というのが現段階の整理です。報告


4、 元向島紡績の側壁レンガの一部は、英国製か国産か、チャットCopilotに、紡績機械を輸入された際にバラストに利用されたと可能性を想定して対話したものです。
「バラスト・ブリック(Ballast Bricks)
1. 英国産レンガがバラストとして使われた理由
19世紀の帆船・汽船は、積荷の重量バランスを取るために「バラスト(重し)」を積む必要がありました。
英国では次の理由でレンガがよく使われました。
• 工業化により 大量生産されたレンガが安価で入手しやすい
• 船に積みやすい形状
• 目的地で 現地の建築資材として売却できる(経済的メリット)
• 石より軽く、扱いやすい
つまり、「余剰レンガを積んで輸出 → 日本で売却 → 帰りは日本の積荷を積む」
という合理的な海運経済が成立していたわけです。
2. 英国産レンガが日本に到来した時期
■ 主に 1850年代後半〜1870年代
• 開港後、横浜・長崎・函館などに英国船が多数来航
• その船のバラストとして 英国製レンガが大量に持ち込まれた
特に横浜は、「バラスト・ブリック(Ballast Bricks)」の集積地として知られています。
3. 日本で確認されている英国産バラストレンガの特徴
英国産レンガは、次のような特徴で識別できます。
● ① 刻印(メーカーズマーク)
例:
• “Glenboig”(スコットランド)
• “Cowen”(ニューカッスル)
• “London Brick Company”
• “Stourbridge”(耐火レンガ)
● ② 化学成分の特徴
英国の粘土は鉄分が多く、
赤色が強い・焼成が均質・硬度が高い
という傾向があります。
● ③ 規格の違い
• 英国規格:約 230 × 110 × 70 mm
• 日本の明治期規格:210 × 100 × 60 mm
→ 発掘現場で識別しやすい
1. 基本的な化学成分(両国共通)
一般的な焼成レンガの主要成分は以下の通りです。
(これは世界共通の「粘土レンガ」の基本組成

🇬🇧 2. 英国産レンガの特徴(化学成分の傾向)
英国のレンガは、歴史的にフランス由来の粘土レンガ技術を導入して発展しました。英国の粘土は鉄分を比較的多く含む地域が多く、赤色が強いレンガが一般的です。
英国産レンガの成分傾向(推定)
• SiO₂(シリカ):高め(50–60%)
• Al₂O₃(アルミナ):中程度(20–30%)
• Fe₂O₃(酸化鉄):やや高い(8–12%)
→ 赤色が強くなる
• CaO(石灰):地域により変動
• MgO:少量
英国は地層の多様性が高く、地域差はあるものの、鉄分の多さが色と性質に影響しています。
3. 日本産レンガの特徴(化学成分の傾向)
日本のレンガは、地域ごとに粘土の成分差が非常に大きいことが研究で示されています。
福岡・柳川・大牟田の古い赤レンガの分析では、産地ごとにSiO₂・Al₂O₃・Fe₂O₃の比率が大きく異なることが確認されています。
日本産レンガの成分傾向(例:福岡地方の古レンガ)
• SiO₂(シリカ):地域により大きく変動
• Al₂O₃(アルミナ):粘土質に応じて変動
• Fe₂O₃(酸化鉄):地域差が大きい
• その他微量成分:産地の粘土に依存
日本は火山性地質が多いため、
鉄分・アルミナ分の変動が大きく、色や強度に地域差が出やすいのが特徴です。」
5、 5月4,5日愛媛県松山市で開催される「愛と希望の祭典・四国」が近づき諸教会で備えております。お祈りください。
「愛と希望の祭典・四国」案内(世の光誌2月号)の画像





6、 2月22日「アガぺワールド」から「以下のようにお便りいただきました。
皆様、

日頃は、アガペワールドの活動をご支援していただきありがとうございます。
主宰者 恵子・ホームズの「2025年秋の活動報告」及び「2026年の予定(暫定)」
をご連絡します。

ご質問もしくは、2026年秋の講演会に関するご要望等がございましたら、下記の email アドレスへご連絡ください。

藤田宏二郎
アガペワールド日本事務局
[email protected]
https://www.agapeworldreconciliation.org/
~~~~~~

恵子・ホームズ「2025年秋の活動報告」及び「2026年の予定(暫定)」


【2025年秋の活動報告】

2025年、私 恵子・ホームズは、英国における戦後80年を記念した諸行事に参加しました。
自宅の引越しを始めとする諸事が重なったため、毎年秋に実施している日本訪問の期間を短くせざるを得ませんでした。

いつもは、北海道ニセコで働く次男クリスの家族に会った後、札幌の教会等からいただく講演依頼に対応していました。
しかし、2025年は残念ながらスケジュールの都合で北海道へは行けませんでした。

1.9月28日(日)日本基督教団西那須野教会 礼拝後の交流会にて講演:

この教会には、栃木県那須塩原市に有るアジア学院(*1)の学生たちの多くが礼拝に集います。
同学院の学生であり、母国で牧師をしている方が礼拝を導きました。

(*1)https://ari.ac.jp/about/



2.9月29日(月)午後 アジア学院における講演:
同学院生として東南アジアやインドから来ている方々への謝罪と彼らとの和解の時を持ちました。
その日の午前、数年前からスタッフとして働いている日本人のお若い女性と少しお話しをする時間がありました。
その方は、「皆の前に出てひざまずいて日本人としてお詫びの気持ちを表すという行為について、以前はよく解らなかった」と言います。
しかしながら、2024年にインドネシアへ行った時に、現地のご老人が日本の軍歌を歌うのを聴いた時にショックを受けて、彼女自身がその場でお詫びをしたというのです。
「今回は、私も一緒に謝りたい」とのこと。
講演の最後に、私と一緒に前に出て、会衆に対しての戦時中の蛮行についてのお詫びに加わってくれました。


3.10月16日(木)東京国際朝祷会
(東京、お茶の水クリスチャンセンター):

奨励(聖書からのおすすめ)の後、新しく出会った方、またいつもこの朝祷会に集われている方々と一緒に2Fの喫茶店で朝食をいただきながら、お交わりの時を持ちました。



4.10月19日(日)大阪市西成区 「主イエスキリスト教会」:

毎回、快く宿を提供してくださるこの教会の朝の礼拝にてお証しをしました。
いつも礼拝に出席させていただいているため、教会のいく人かの方々とは顔見知りです。

主任牧師の大久保みどり先生には、懇意にしていただいており、また教会員でオペラ歌手の工藤篤子さんにも大変お世話になっています。


5.10月26日(日)午後 京都洛南教会:
同志社大学 大垣昌夫教授が所属する、「共同体メカニズム研究学会」主催の講演会においてお話しした後、
新しくお会いした方々と楽しいひと時を持ちました。
講演のためにこの場所をお借りできたのは、長年親しくしていただいている、医師であり京都大学特任教授の高橋裕子先生のお力添えがあったからです。


6.10月27日(月)大垣昌夫教授のゼミ(午前と午後の二回):

ひとりの学生から、「許し」と「赦し」の違いを混同していることによる悩みの発言がありました。

ホワイトボードにそれぞれの漢字を書いてその違いを説明しました。

( 「赦」は、長く当用漢字(1946年~1981年)には含まれておらず、それ以降の常用漢字にもありませんでしたが、2010年11月30日に常用漢字になりました。
しかしながら、小学生に教える教育漢字の中には入っておらず、中学3年で習うことになっています。)

ひとりの学生さんから 「元捕虜の方が自分を苦しめた人を赦す時には、どのように自分を制して耐えているのでしょうか」という質問がありました。
「赦す」という事は、相手を解放し、自分も解放される事であって、我慢したり耐えたりすることではありません。

私たちアガペワールドの中では、阿部宏さんという元日本兵のことがよく知られています。
私は、何年も前に彼に会って友達になりました。
戦時中、タイメン鉄道の建設に関わっていた彼は、捕虜の人たちから 「悪魔のような残忍な人」と言われていました。
彼の下には7,000人の捕虜がいましたが、半分は亡くなりました。
それほど厳しい状況の下にあったのです。 

彼の監督下で働かされていたイギリス人捕虜のひとり ロン·アプトンは、死線を超えて生還した人のひとりです。
ロンは阿部宏のことを心底憎んでおり、「日本人は、見るのも嫌だ」という状態でした。
その彼に、私恵子が会いました。 しかし、それからの3年間、私が挨拶をしても彼は無視し続けるのです。
4年目にやっと口を開いて当時のことを詳しく話してくれました。
私はロンに、和解の旅に参加するように誘いました。
ロンは迷っていましたが、奥さんの勧めによって1998年の春ついに夫妻で来日しました。

そして阿部宏さんの謝罪を受けた時、ロン自身の内側には葛藤がありましたが、ついに「赦す」という決心をしたのです。
ロンは阿部宏さんの肩を抱いて和解しました。 二人は過去から解放されて、自由になったのです。
これが本当の「謝罪と赦し」です。
ロンは、良心の呵責で苦しんでいた阿部宏さんを赦すことによって彼を解放したのですが、それだけではなく、ロン自身も解放されて、その笑顔は見違えるほど素晴らしくなり、若返ったようでした。
赦すというのは、我慢することではないのですね。

大垣教授のゼミの後、場所を替えて学生以外の多くの参加者も交えての懇親会を持ちました。
兵庫県にあるグッドサマリタンチャーチの子どもたちが、ご両親とともに参加してくれました。
2024年、同教会で制作して彼らが上演してくれたミュージカル 「恵子ホームズ物語」 (*2) の中から、「レッツゴー」という題名の歌を元気よく披露してくれました。

昼間のゼミの中では、難解な質疑応答も有りましたが、懇親会では子どもたちが、「 『レッツゴー』 と声を掛けてくださるイエス様にただ従っていく」 という単純なテーマを歌で表現してくれました。
なごやかなひと時でした。

(*2) ミュージカル 「恵子ホームズ物語」のDVDを、1枚 500円でお分けできます。
ご希望の方は、アガペワールド日本 <[email protected]> へ、お届け先を明記した email にてご注文ください。
折り返し、担当の者から連絡させていただきます。

なお、グッドサマリタンチャーチにおける「恵子ホームズ物語」の上演後、金子道仁 牧師(参議院議員)との対談の時を持ちました。
その内容は、YouTube にアップロードされていますので、ご覧ください。

① 「前編: 赦すことを通して人は癒される|惠子ホームズさんとの対談 2024 Part1」
https://www.youtube.com/watch?v=RgdBa2qTXm0

② 「後編: ありがとう、ごめんなさいは癒しの言葉|惠子ホームズさんとの対談 2024 」

https://www.youtube.com/watch?v=NAriyumoQJA
                      • 



7.11月2日(日)埼玉県 草加神召キリスト教会の礼拝:

午前中は日本語の礼拝会、午後は英語の礼拝会においてメッセージをさせていただきました。
私、恵子・ホームズはこの教会の日本語部を訪れるのは初めてです。
同じ建物の2階にある英語部の礼拝会でお話しするのは2度目でしたので、皆さんとの懐かしい再会となりました。


以上の全行程は、皆様のお祈りの中で、車による移動等がスムーズにかつ、安全に守られました。
また、それぞれの場所における講演活動等も祝福されました。
執り成しのお祈りに心から感謝いたします。
............


11月5日(水)
一連の講演スケジュールを終えて、関西空港からイギリス・ロンドンへ発ちました。

航空券が中々手に入りませんでしたが、どうにか、China Eastern Airlines(中国東方航空)の切符がれました。
機中では、隣に座ったイタリアの方と時間の経つのも忘れて、雑談を楽しみました。
途中、乗り換えがあったものの、快適なフライトでした。

無事に我が家に帰ることができたことを、お祈りくださった皆さんに心から感謝いたします。

   ~~~~~~~~~~~


【2026年の予定】 (暫定:2026年2月20日現在)

1.恵子・ホームズ、2026年秋の講演計画:
9月 第2週頃  <来日、北海道へ>
9月25日(金) 頃 <東京へ>
10月 関東地方における講演
11月 関西地方における講演
12月 初旬頃 <日本発帰英>

※ できるだけ多くの大学や教会において、次のような和解の機会及び、講演・お証しの時間を持てれば幸いです。

  • 元捕虜の関係者と元日本兵の関係者及び一般の方々との交流と和解。
  • 「戦争に関する悔い改めや赦しを通して和解が実現した」という素晴らしいお話しをご紹介する。

和解の問題は、私たち一人ひとりが抱える問題ですから。

以上




尾道赤レンガの会2025・9ニュースレター
残暑が厳しい日々ですが、皆さまには恵みのもとにお過ごしのことと思います。

私も高齢になり、この春は腰痛を経験し、「痛風」と診断されましたが現在いやされつつあります。

6月8日には溝淵さんのご主人、尾道市立大学で憲法学の教授であられた、裕さんが天に召され、向島キリスト教会大谷牧師の司式で葬儀が執り行われました。英国の方々との和解のための交流にも参加いただき協力くださいました。ご遺族の皆様の上に主の慰めをお祈りします。



遅くなりましたが感謝と共に以下のように報告します。



1.2025年「心のいやしと和解」の講演について
アガペ・ワールドの活動を支援して下さる皆様へ
主宰者 恵子・ホームズの今年の日本における講演については、下記のスケジュールをお知らせいただきました。

 ・講演可能な期間: 2025年10月1日(水) から 11月2日(日) の間
 ・移動の関係から凡その目安として以下のスケジュールを考えております。

    (日本着日は未定)
   9月28(日)~29(月): 那須塩原における講演
   ~ 10月15日(水)頃まで: 関東地方
   ~ 10月31日(金)頃まで: 関西/中部地方
   11月1日(土)~11月3日(月・祝): 関東地方
   11月4日(火): 離日/帰英予定

招請していただける機関(学校、教会、その他の集会等)がございましたら、ご希望の日時、場所等の情報を、この email へ「全員に返信」にてご連絡ください。

詳細は、追って日本代表の小菅啓子(こすげ けいこ)が打ち合わせさせていただきます。
 小菅啓子: [email protected] (携帯: 090-1266-3390)

藤田宏二郎
[email protected]
アガペ・ワールド日本事務局
[email protected]

2.2024年度報告

投稿エディタ: プレビュー




は皇帝のゲスト電子書籍:フレッチャー・クック、ジョン:Amazon.ca:書籍の翻訳ですが7章「土生での生活」が未訳でしたのでグーグル写真翻訳Google 翻訳やchatgptによる校正を利用して以下のように訳しました。

7章土生での生活.docxで読み込めない場合は以下ご覧ください。

仙太郎: 「天皇のお客さん」ジョン・フレッチャー・クック著7章土生での生活https://minamizawa.blogspot.com/2025/08/blog-post.html

記事の中に日本人キリスト教徒の「ルーク(ルカ)」の名前については不明ですが笹本さんから頂いた「俘虜使用所勤務者名簿」(コピー)の、職・衛生軍曹、氏名・神田(某)、年令不明、勤務期間・自昭和17年11月至昭和18年1月、現住所(本籍)不明、とある方かもしれません。



4、2026年5月4日(月)-5日(火)「愛と希望の祭典・四国」(西日本ウィル・グラハムセレブレーション)が愛媛県松山市で開催され、その準備中です。実行委員長は備後イースターフェスティバルでもお話しいただいた松山福音センターの万代栄嗣牧師でビリーグラハム伝道協会との共同主催で四国では前例のない規模になるといわれます。先日オーストラリアからスタッフとして遣わされて松山市在住のゲリー・ホバン牧師が来訪され

祖父さまがシンガポールで捕虜だったとお話しされました。

 松山市には日露戦争時、ロシア兵捕虜約4千名が収容され、正教会の日本人司祭が慰問し、約百名の死者のための墓碑建立にも尽力された歴史があります。我が国の正教会の働きはニコライ宣教師でも知られ多くの教会が存在しますが、現在のロシア正教会と和解と友好を通して、ウクライナとの停戦に寄与できないかゲリー先生とお話ししました。

 9月23日、徳島小松島市で万代先生の講演がありました。関心のあられる方、以下でお聞きできます。

第61回四国聖会 聖会Ⅰ 2025年9月23日午前10時https://www.youtube.com/watch?v=rOfPsS8in8I
第61回四国聖会 聖会Ⅱ 2025年9月23日午後1時30分





(2024降誕節ニュースレター)
創造主が時と被造物の中に、闇を照らす光となって下られた降誕節の中で、新たな年を迎えようとしています。

今年は日本被団協のみなさんがノーベル平和賞の栄誉を受けられ、ヒロシマとナガサキの悲劇が再び世界の人々に共感されました。過去の恐るべき被害とともに、我が国の現代への歩みを改めて思い知らされます。

長崎は近代日本の発祥の地でもあり鎖国時代、唯一オランダに開かれた港を持ち、幕府はもとより各藩は洋学、西欧文化を学ぶための精鋭たちを送り込みました。その中に安芸藩、向島出身の安保清康氏がいました。アーネスト・サトウに日本語を教え、坂本龍馬の親友で、その最期を看取りました。やがて海軍の基を築くことになります。


自叙伝は男爵安保清康自叙伝 | NDLサーチ | 国立国会図書館


1859年11月フルベッキ宣教師がキリスト教禁令下の長崎に到着しました。師は福音宣教、教育だけでなく新日本の法律と政治にも貢献しました。当時、弱小で分裂していた日本は攻撃的な西欧諸国の目前にあるのを理解していたので、陸海軍の整備と沿岸地域の警備は必要だとし、国家統合を確保して帝国の資源を開発すること、日本国としての信頼を失わないことが重要であると助言しました。一市民としての偽らない思いで神のみ前で日本人のために尽くすのが彼の願いでした。(「日本のフルベッキ」グリフィス著・村瀬訳・266頁)

1866年(慶応2年)徳島藩の長井長義https://www.toku-seiyakukyo.jp/history/nagai.htmlが、長崎中島の上野彦馬宅https://www.nagasaki-gaigo.ac.jp/recnas/uenohikoma/に下宿して化学を学び始めます。彦馬は日本の写真師の先駆者であり、フルベッキ写真をはじめ幕末維新の志士たちを撮影します。父の上野俊之丞は火薬の原料である硝石製造にも関わりました。1853年(嘉永6年)ペリー来航を契機に幕府は大量の銃・火薬を必要とし、硝石の需要が急騰していました。https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhsj/50/258/50_77/_pdf/-char/ja

フルベッキ宣教師親子と共に侍が立ち並ぶ歴史上貴重な写真が上野彦馬の撮影局で撮られました。西郷や龍馬が映っているか否か論争が続いている謎の写真です。

旧向島紡績さんのレンガ(モニュメントに一部使用)が英国からの軍艦購入時にバラストとして運ばれたのではないかと調べたことがありました。捕虜運搬船「大日丸」がグラスゴー製の「エスクダレ号」か、三井造船製の「伊吹丸」のいずれかの謎を解けないままなの軍事機密に属するからでしょうか。

 テレンス・ケリ-氏の「地獄船」によると、その大日丸はかなり破損しているとありますから、二艘の大日丸が併存して供されていたともいえます。これは上野彦馬撮影局の写場にも言えることで、「写真の開祖・上野彦馬」(国会図書館デジタル版からダウンロードしました)210-212頁の記述によれば、写場は初期の幕末時代の小スタジオが明治に大スタジオに改造されて、そこでフルベッキ写真が撮られたとされます。この仮説が自明の前提とされて、「維新前の撮影」というキャプションや西郷などが映っているという証言などの一次資料が無視されることになった訳です。

けれども、列挙された小スタジオには石畳の敷石がなく、大小二つ以上のスタジオが併存した可能性があります。「写真の今昔」(松本碧枝著・昭和10年・日本写真興業通信社)68頁、「上野俊之丞の庭園はすこぶる風変りなものであって庭には五大州を型どった箱庭をもっていたがこれは非常に珍しかった。長崎滞在の諸藩の士は争って俊之丞を訪ねた。しかし当時、上野家には役人の許可なくして出入りすることはできなかった。・・・兎に角、幕府時代早くも庭に五大州の箱庭を造りそれにオランダ製の小さな蒸汽船を浮かべて世界一周の真似をしていたから全国の若い秀才が上野家を訪れこれを見て異常な興奮を覚えたのは無理もないことである。邸内には長さ約十六間位に幅五間位の屋根はあったがぐるりの周囲が何もない建物が外にあった。これが硝石工場であったが後には俊之丞次男の彦馬が竹林流の射的場とした。」

88頁、「彦馬の写真館は最初はガラス張り屋根もなく白木綿の日除けで光線を加減し、背景は白木綿や鼠色の幕を垂れ、これに大浦外人居留地から買い込んだロクロ細工の手摺みたいな古欄干を配置したものに過ぎなかった。すべて屋内庭園における露天撮影であった。明治10年頃板ガラスが輸入したので屋根にガラスを入れた写場をはじめて作り背景道具立などそれに相応して立派なものになった。」

 以上、大日丸の謎とフルベッキ写真の謎に不思議な共通点があることを覚えて、中間報告といたします。

人知では分らない事が多いですが、エレミヤ書33章に「地を造られた主、それを形造って確立された主、その名は主である方がこう仰せられる。わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたの知らない、理解を超えた大いなることをあなたに告げよう。」とありますから今後も尋ね続けてゆこうと思います。



1. 忘れな草プロジェクト: 英国の日本人社会の記録
https://wasurenagusa.org.uk/interview/keiko-holmes/
2. 小林さん (12月4日)香港義勇防衛軍の元捕虜の息子たちが因島捕虜収容所跡を訪問
https://new.express.adobe.com/id/urn:aaid:sc:AP:b4d840ad-d09f-4f08-b9ec-f237c06df88c?category=media&searchCategory=&acrobat-tools=enabled&tab=all
3. [考 fromヒロシマ] 捕虜収容所と民間人抑留所 POW研究会 掘り起こし事典刊行 | 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター
https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=140913
4. 英国人元捕虜の息子と孫が日立造船などを訪問 | せとうちタイムズ(尾道市因島・瀬戸田地域の週刊新聞)https://0845.boo.jp/times/archives/32322

5. 9月に小菅さんからの今年のアガペワールドの日程のお知らせです。

【2024年】

9/10(火)  BST(イギリス時間) 恵子ホームズ、LHR出発
9/11(水)  恵子ホームズ、日本着、北海道へ移動
9/14(土)、15(日) 札幌グレースコミュニティにてお証し (益田良一・静子牧師)
9/17(火)   札幌聖書キリスト教会 
9/22(日)   キリスト聖協団札幌教会オリーブチャペル(石田吉男牧師)
9/23(月)   工藤篤子宅にてお交わりの会
 ―――― 
9/28(土) ~ 【関東地方】  
10/2(水)   国際基督教大学、ICU(東京、三鷹)、Mark Williams副学長の授業
10/6(日)  午前: 浅草シティ・チャーチ、
     午後:草加リバーサイド・チャペル
10/11(金)   日本大学(東京)、明治大学VIPクラブ
10/14(月・祝)、10/15(火) 
三重宣教フォーラム(四日市市、藤田美代子出席)
<10/11(金) ~ 10/28(月) 「心の癒しと和解の旅 (Pilgrimage)」 *詳細は、次ページ下部のとおり>
10/31(木)  大東文化大学 (東松山キャンパス)
 ―――― 
11/3(日)  TUC(東京ユニオンチャーチ、渋谷区神宮前)
11/4(月)  (栃木県那須塩原市へ移動)
11/5(火)  アジア学院(栃木県那須塩原市)
11/10(日)  WTUC (三鷹市大沢)
11/12(火)  関東学院大学(関内) チャペル礼拝(昼休み)
11/13(水) 青山朝祷会
11/14(木)  関東学院大学(六浦、豊川先生のゼミ)
11/15(金)  イグナチオ朝祷会
11/17(日)  久留米BF(バイブル・フェローシップ)
11/21(木)  お茶の水 国際朝祷会奨励 
11/24(日)  久遠キリスト教会  日曜礼拝
 ―――― 
12/8(日)  主イエスキリスト教会 (大阪市西成区)
12/9(月)  同志社大学(大垣教授)
12/14(土)、15(日) グッドサマリタン教会・
     チャーチスクール(兵庫県川西市)
12/18(水)  三重県 愛農学園 クリスマス礼拝
12/19(木)  愛農学園 一般公開講演会
12/23(月)  深夜、英国へ帰国

今年も梅雨のシーズンを迎えましたが皆様には恵みのうちにお過ごしのことと存じます。
地球上では多くの汚水が溢れておりますが、創造主はこれらすべてを空中で浄化されて、いのちの真清水に変えて降らせてくださいます。
私たち人間は依然として、憎しみと争いに明け暮れて傷つけあっていますが、それでも主は私たちのどんな祈りにも喜んで耳を傾けてくださり、最上の恵みをもって答えて下さいます。
神と人との和解、人と人の和解がいかに困難な道であるかを思い知らされる今日ですが、神は不可能を可能にされるお方です。
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」(詩篇37.5)とあります。

以下、感謝と共に報告いたします。

天皇陛下ご夫妻の訪英についての記事がサイトに掲載されました。


四国福音放送「世の光」誌5月号に、恵子ホームズさんの証が掲載されました。


アガぺワールド日本の代表、小菅啓子さんから以下のようにお便りをいただきました。

「2023年の活動概要及び今年2024年の予定を簡潔にお伝えいたします。
1. 2023年の活動:
恵子ホームズは、2023年9月7日(木)に来日し、同11月29日(水)に離日・帰英しました。
アガペワールド関連の講演会等の件数は、以下の37回でした。
  ・祈祷会、交わり会    13
  ・教会          11
  ・学校(中、高、大、神) 10
  ・牧師会          3   
北海道から広島までの旅も安全に守られ、各地の集会も祝福されました。
ご支援とご協力をいただいた皆様に心から感謝申し上げます。
2.2024年の活動予定:
  • 現在、講演等の予定を策定中です。 現時点で、確定しているところも含め、全体の計画をお知らせします。 
日程には、まだかなりの余裕がありますので、恵子ホームズを招請していただける団体等の可能性がありましたら、ぜひお早めにお知らせください。
※ このemail に、「全員に返信」していただけると、小菅啓子([email protected])を含むアガペワールド関係者に連絡が届きます。
  • 10月11日(金)から10月28日(月)までの18日間は、英国から元捕虜関係者の方々約10名を日本に迎えて「心の癒しと和解の旅」の実施を計画しております。 数年ぶりの行事です。
恵子ホームズはその期間、英国からの一行に同行し、それ以外の日程を、日本各地の講演旅行に充てることになります。
4月30日(火)現在のスケジュールは、以下のとおりです。
  ~~~~~
<2024年>
9/5(木) ~ 恵子ホームズ、英国から日本(北海道)へ移動
9/25(水) ~ 関東地方における講演会等
10/ 2(水)   国際基督教大学、ICU(東京)
10/11(金)   日本大学(東京)
※ 「心の癒しと和解の旅 (Pilgrimage)」開始
英国等からの訪日者9名に、恵子Holmes、Daniel Holmesが同行します。

10/13(日)   本郷台キリスト教会(横浜)における和解礼拝、保土ヶ谷英連邦墓地における追悼礼拝、
夕刻:国際基督教大学、ICU(東京)懇親会
10/14(月)、15(火)  箱根
10/16(水)~18(金)  三重県熊野市 紀和町(入鹿小・中学校訪問)
10/19(土)        墓前追悼礼拝
10/20(日)~21(月)  広島
10/22(火)~23(水)  京都
10/24(木)~25(金)  東京
10/26(土)    館林市 (Helen Haynesと戸部さんのお交わり)
10/28(月)    「心の癒しと和解の旅 (Pilgrimage)」終了
~~~~~
10/31(木) 大東文化大学における講演
11月   関東地方における講演会
12月   関西地方における講演会
~~~~~
※ 尚、「心の癒しと和解の旅」の訪日者の費用に関しては、参加者各自が負担する予定ですが、随行等に関わる費用につきましては、例年よりも若干多くなることが予想されます。
2023年の会計報告及び概算の予算を含めて、後日献金のお願いをさせていただきたいと考えております。
尚、献金の送り先の詳細は、当連絡の文末に記しておきます。
<< 「心の癒しと和解の旅」の訪日予定者 >>
Helen Haynes & Andy Broadhurst(ヘレン・ヘインズ & アンディ・ブロードハースト)
ヘレンの父親がシンガポールで捕虜でした。 親切な日本兵の戸部さんが泰緬鉄道に送られないように庇ってくれたので、シンガポールに残ることができて、英国へ帰還できました。 そしてヘレンが生まれ、父親は亡くなり、遺品整理をしていた時に、父が大事にしていた箱の中から戸部さんの写真が2枚出てきました。 2017年、ヘレンから「戸部さんという元日本兵を探して欲しい」という連絡がありました。 数年かかりましたが、戸部さんご自身は既に亡くなっていたけれども息子さんがいらっしゃることが分かりました。 その後、ヘレンは何度か日本に行こうとしましたものの、コロナ禍のために、その望みはかないませんでした。 今年、戸部元日本兵の息子さんに会うために、群馬県館林市に来る運びになりました。
(下記のアガペワールドのweb siteから、詳細の情報を読むことができます)
https://www.agapeworldreconciliation.org/
  ⇒ 最上段右  「+ ブログ&ニュースレター・アーカイブ」 をクリック
  ⇒ 左端中段 「+ 「恩人」の日本兵知りたいの ヘレンさんの記事」 をクリック
 -----
Ashley & Silvia Prime(アシュレイ & シルビア・プライム)
アシュレイの父親は、イルカボーイズのひとりであり、泰緬鉄道建設において過酷な労働を経験した方です。 タイでは酷い目に遭いましたが、入鹿の人たちは比較的優しく接してくれたそうです。 アシュレイは、父がいた入鹿を訪問することを、ことのほか楽しみにしています。 -----
Clare & David Goddard (クレア & デイヴィッド・ゴダード)
アガペワールドとしては、2023年のパラダイス・ミーティングで初めてこのご夫妻に出会いました。 
クレアの父親は、四国香川県の善通寺で捕虜生活を過ごしました。 2023年彼女とご主人が来日して、善通寺を訪問することができました。  -----
Ruth & Lynn Dobson (ルース & リン・ドブソン)
ルースの父親は、若い頃日本語を学んでいたので(日本から来た陶器を包んでいた日本語の新聞を見て興味を持ったそうです)、戦時中捕虜となった時には通訳として重宝されました。
戦後は宣教師として妻とともに群馬県の沼田市に行き、教会を作りました。 ルースは英国で生まれましたが、2歳の時から日本で育ち、日本が大好きです。 沼田には昔馴染みの友達がたくさんいます。
 -----
Tye Turner (タイ・ターナー)
タイはルースの兄の息子(24歳位)。 日本が好きで、日本語を習っています。
今回の日本が、初めての海外旅行。 日本の漫画も大好きとのことです。
 -----

三重県の方々で、追悼式10月19日(土)に来てくださる方で、瀞流荘にお泊まりの方は、予約の際に「アガペワールドの関係者です」とおっしゃってくだされば、みんな一緒に広間で食事し、お交わりができますので、良いと思います。

以上
 ====
<アガペワールド日本への献金の送り先>
※ゆうちょ銀行への送金の後、事務局にて送金者の確認ができるように、アガペワールド日本へemailにてご一報いただけると助かります。
アガペワールド日本事務局: ([email protected])
藤田宏二郎(フジタ コウジロウ)

① ゆうちょ銀行から振込む場合:
振込先金融機関名: ゆうちょ銀行
記号: 10040
番号: 29475731
口座名義: アガペワールドシエンカイ

② ゆうちょ銀行以外の金融機関から振込む場合:
振込先金融機関名: ゆうちょ銀行
店名: 〇〇八(読み ゼロゼロハチ)
店番: 008
預金種目: 普通預金
口座番号: 2947573
口座名義: アガペワールドシエンカイ




能登地震の被災者のための回復と復興を祈ります。

新たな年も二カ月が過ぎ去り、教会歴では3月30日までレント(受難節・四旬節)に入りました。

今月初旬、家族がコロナに感染し、私は検査結果は陰性でしたが、心身ともに陰鬱な一時を過ごし、やっと本来の日常に復帰しました。私自身の弱さと罪深さを思い知らされる時となりました。同時に主の十字架による赦しと、復活によって与えられた神のいのちの恵みを再確認させられました。聖書ヤコブ書1章には試練を喜んで受け入れなさいとありますが、改めて神の言葉の真実を知らされました。

遅ればせながら感謝と共に報告をさせていただきます。



1, アガペワールド・恵子ホームズさんのメッセージ。(お忙しい方は1.5倍速くらいでお聞きできます)


2, 3月12日夕・13日、元英国兵捕虜(香港防衛義勇軍)Robert Lapsley(ロバート・ラプスレイ)氏(103才)の御子息Duncan(ダンカン)氏とお孫さん他1名が因島収容所跡地を訪問されるとのことです。 

現在はオーストラリア・シドニーにお住まいとのことです。詳しくは小林さんにお聞きください。(090-6415-1641)

3, POW研究会・笹本妙子さんから国内捕虜収容所をまとめた出版についてお知らせをいただきました。


向島捕虜収容所と因島捕虜収容所についても詳細な記述がなされた貴重な歴史書でもあります。

県や市、教育機関の図書館に紹介していただければ幸いです。

『捕虜収容所・民間人抑留所事典: 日本国内編』(すいれん舎) - 著者:POW研究会事典編集委員会 - 内海 愛子による自著解説 |好きな書評家、読ませる書評。全てのレビュー https://allreviews.jp/review/6426

やっと朝夕涼しさを覚えるようになりましたが皆さまには恵みのうちにお過ごしのことと存じます。

ウクライナでの戦禍がやまないうちに、ハマスのテロによるイスラエルの反撃が始まり、エゼキエル書38章、39章の預言を改めて想起させられております。聖書では試練は、喜びと祝福の前ぶれであると約束されていますので全被造物の復活という希望を忘れないように心がけています。山白令一牧師https://www.hirokiri.org/mp_book/index.htmlは元向島紡績社長山白さんの叔父さんにあたるそうですが、向島教会の初代宣教師ブラネン先生は当初は土堂の山白家の別荘に住まわれ、向島に宣教師館が完成してから移られました。バプテスト同盟の宣教師主事をされていたB.L.ヒンチマン先生が市役所に行き、相談されて紹介されたとのことでした。余談になりますがヒンチマン先生が関東学院の院長をされていたころは大学ラグビーで日本一でした。ヒンチマン先生によく似た「希望の神学」で有名なJ.モルトマンというドイツ人神学者がおります。東京で一度お会いしたことがあります。イギリス軍との激しい戦いで九死に一生を得た後、捕虜収容所での生活の中で信仰に目覚め、やがて神学界の星としてデビューしました。著書「いのちの御霊-総体的聖霊論―」(蓮見、沖野訳・1994・新教出版)には東方教会と西方教会の和解と一致を模索されていることが分かります。山白牧師は晩年、広島キリスト教会の植竹牧師の高齢者ホームでチャプレンとして働かれましたが、2010年4月向島文化センター「こころ」で行われた第17回備後イースターフェスティバルでは植竹先生メッセージをされ、お嬢さんの日山かおる先生が、自ら作曲された「大いなる主の愛」を合同聖歌隊と共に指揮されました。
https://www.youtube.com/watch?v=lMWC8sZUaUw
以下、感謝と共に報告いたします。祝福をお祈りします。

1、 恵子ホームズさんアガペワールドより以下のようにお知らせをいただいておりました。

【アガペワールドの活動をご支援いただいている皆様へ】
今秋の恵子ホームズの訪日予定をお知らせします。(9/4(月)現在)
  • 未だ予定が入っていない日時にお招きいただける教会、学校、団体等がありましたら下記へご連絡ください。
前後の予定や場所を勘案して調整させていただきます。
特に、10/1(日)から10/25(水)の関西方面における奉仕の日程に余裕が有ります。
【連絡先】
  To: 小菅啓子 [email protected]
  cc: アガペワールド日本事務局 [email protected]
  • 教会の集会には、基本的にどなたでもお越しいただけます。
  • 学校等の教育機関における集会への出席には、事前の登録が必要ですので、上記宛てお問い合わせください。
【2023年9月~11月アガぺワールド、恵子ホームズの予定】
<9月>
7日(木) 英国から北海道へ移動
8日(金) 北星学園中学高等学校(札幌市厚別区)
  (参考: 8日(金)12:45 ~ 13:45 ICU(東京都三鷹市) シーベリー・チャペルにおいて、
   三宅栄美さんのPWO研究発表「赦しと和解」が有ります。
   恵子ホームズは北海道に滞在中のため欠席させていただきます。)
23日(土・祝)19:00~20:15
       グレースコミュニティ (札幌市手稲区 益田良一牧師)
24日(日) 礼拝 ①9:00~10:15 ②10:45~12:00
       グレースコミュニティ (札幌市手稲区 益田良一牧師)
25日 (月) 移動(札幌 ⇒ 羽田)
<10月>
 8日(日) 礼拝 主イエス・キリスト教会(大阪市西成区 大久保みどり牧師)
15日(日) 礼拝 ホープチャペル(滋賀県彦根市 下澤賢司牧師)
21日(土) 13:00~ 向島キリスト教会(広島県尾道市向島町 大谷孝志牧師)
27日(金) 16:30~18:00 昭和女子大学(東京都世田谷区)
28日(土) 10:30~ キャッチザファイヤー教会(横浜市瀬谷区 車谷牧師)安息日礼拝
29日(日) 礼拝 町田聖書教会(東京都町田市 吉永八重子牧師)
<11月>
3日(金・祝)19:30~21:00 国際基督教大学(東京都三鷹市)ワーシップナイト
4日(土) 12:00~16:00 東京大学同志会(文京区 森和亮牧師) 
5日(日)礼拝 東京ユニオンチャーチ(東京メトロ銀座線表参道駅A1出口)
7日(火)9:00~11:00  中央聖書神学校(豊島区駒込 三宅規之校長)
8日(水)9:00~11:00   同上
9日(木)8:30~ お茶の水 国際朝祷会(OCC横 「デリフランス」)
10日(金)7:30~ イグナチオ教会朝祷会(四谷イグナチオ教会)
11日(土)午後 「荘厳ミサ」に出席
12日(日)10:00~ 礼拝 久留米バイブルフェロシップ(東京都東久留米市)
13日(月)午後 慶應義塾大学 大垣ゼミ(港区三田)
15日(水)午前 小岩栄光キリスト教会 祈祷会(江戸川区)
16日(木)13:15~16:30 大東文化大学(埼玉県東松山市 小野雅子講師)
18日(土)13:00~17:00 武蔵小杉 聖霊セミナー
19日(日)10:30~ 礼拝 めぐみ福音キリスト教会(荒川区西日暮里 三宅規之牧師)
21日(火)12:35~ 関東学院大学 横浜・関内キャンパス テンネー記念ホール
23日(木)10:30~12:00  キャッチザファイヤー教会(横浜市瀬谷区 車谷牧師)
24日(金)アジア学院(栃木県那須塩原市 荒川朋子校長)
25日(土) 家の教会しおん(栃木県那須塩原市 久留生夏江牧師)
26日(日) 小美玉チャペル(茨木県小美玉市 金野正樹牧師)
29日(水) 羽田から英国へ移動
  アガペワールド日本事務局
藤田宏二郎
[email protected]
https://www.agapeworldreconciliation.org/

2、8月27日には徳島県キリスト者平和の集い(若松英士師会長)恵子ホームズさんがロンドンからオンラインで「あなたは高価で尊い」というテーマで講演されました。謝罪と和解を通して心に深い傷を負われた元捕虜の方々が解放されていったことを話され感銘を受けました。

3、英国人元捕虜のご家族が香川県善通寺を訪問された様子が掲載されました。

香川:父の収容所 やっと来られた:地域ニュース : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)


イースターの喜びを申し上げます。
教会歴では40日間の受難節を終えて、よみがえられた主が40日間に渡って弟子たちに姿を現された復活節を迎えました。
 復活の知らせはフェイクニュースだと断定したユダヤ教徒パウロはキリスト教徒を捕らえ、処刑しました。やがて神の光のなかで復活の主と出会いました。今度は自分が疑われることになり裁判のためにローマ兵の護衛の下に勾留されることになりました。ラザロはこの世に生還したので、誰もが確認できましたが、主は神のもとによみがえりましたので、聖霊によって至聖所のレベルに引き挙げられなければ認識できません。死の支配下にある被造物には死は絶対的であっても、永遠の創造主にとって相対であることを実証されたのがイースターの出来事です。

1. アガペ・ワールドから次のようにお便りいただきました。
(1)2022年の活動報告を記事にしたニュースレター(2023年春号)をお届けします。(ファイルのサイズが大きく、このメールには添付できませんので、下記のリンクからアガペ・ワールドのウエブ・サイトに入った後、「AW_2023年春号 pdf.pdf」の部分をクリックし、ダウンロードしてご覧ください。)https://bit.ly/AW_Newsletter2023
(2)アガペ・ワールドのホームページへのリンク(「2023年の訪日の予定」や「2022年日本で作成したYouTube動画」等をご覧いただけます。)https://www.agapeworldreconciliation.org/
2,8月27日「徳島キリスト者平和のつどい」でオンラインによる恵子ホームズさんの講演があります。
https://www.agapeworldreconciliation.org/homepage/upcoming-events-in-japan-2023%E5%B9%B4%E3%81%AE%E8%AC%9B%E6%BC%94%E4%BA%88%E5%AE%9A/

3,新居浜市別子銅山捕虜収容所について
https://www.asahi.com/articles/ASNDL7FVCND3PTLC00N.html

4,因島捕虜収容所に「ルカ」と呼ばれたクリスチャンの日本人医療関係者がいたことは「天皇のお客さん」(ジョン・フレッチャー・クック著江藤潔訳・7章・土生での生活)にも「地獄船で広島へ」(テレンス・ケリー著)にも記されています。特に翻訳が省かれた「土生での生活」にかなり詳しく述べられています。
収容所の勤務者名簿に「衛生軍曹・神田(某)」とありますのでこの方かもしれません。クック氏は東京からきた医師とも記しています。ルカはパウロの弟子で「ルカ福音書」と「使徒行伝」を書いた唯一の異邦人聖書記者で、医師でもあり、画家でもありました。以来、医療に関わる者にルカという名がつけられましたので、因島収容所でニックネームとしてそう呼ばれたのかもしれません。
ところで、瀬戸内海の最初の宣教師ビッケル船長のフルネイムはhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B1%E3%83%ABです。
 因島で最も歴史がある重井教会の会堂の大黒柱は初代福音丸のマスト(帆柱)、床は甲板、窓は船窓が使用されました。1930年にはファーナム宣教師が着任されました。
マーレン・D・ファーナム牧師について(http://www2b.biglobe.ne.jp/~kanemori/zakki-farnum.htmReverend Marlin D. Farnum) (biglobe.ne.jp)
【動画】昭和8年~10年の因島重井村(ファーナム邸、重井小学校etc) (http://0845.boo.jp/kawayoshi/archives/46360845.boo.jp)

ビッケル家とタッピング家については

タッピング,ウィラード (plala.or.jp)http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/topping_wf.html

宮沢賢治とタッピング家については

NO.154 宮沢賢治とタッピング宣教師夫妻 - 港も見える丘から (hatenablog.com)https://tw101.hatenablog.com/entry/2019/10/16/093042

賀川豊彦とタッピング家については

賀川豊彦の名を世界的にしたタッピング一家 女優長岡輝子 - Think Kagawa 賀川豊彦を考える (hatenadiary.org)https://kagawa100.hatenadiary.org/entry/20090924/1253829917

エバリン・タッピングと大村はま先生については

創造 (goo.ne.jp)https://blog.goo.ne.jp/mitsuominami/s/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E3%81%AF%E3%81%BE
大村はま先生について | 鳴門教育大学 (naruto-u.ac.jp)https://www.naruto-u.ac.jp/library/shiryo/002001.html

向島収容所について




Merry Christmas2022

今年も光陰矢のごとく過ぎ、ウクライナでの戦禍、第8波のコロナ禍、カルト問題や物価高と厳しい現実に直面させられていますが、みなさまには恵みのうちにクリスマスシーズンをお過ごしのことと存じます。

「闇の中に輝いている光」であられる主を見上げて新たな年を迎えたいと存じます。

みなさまの上に祝福を祈りつつ以下のように感謝と共に報告いたします。


1. 英連邦戦没者追悼礼拝(8月6日)

第28回英連邦戦没捕虜追悼礼拝 / 関田寛雄 牧師「最後の礼拝」(日本・英連邦)│「隣る人」工房 (tonaruhito-kobo.com)

フェイスブック

(5) 英連邦戦没捕虜追悼礼拝 - POW Memorial Service | Facebook


2. アガペ・ワールドの恵子ホームズさんからのメッセージとレター


ニュースレター




3.捕虜運搬船「大日丸」調査中間報告

(1)クック著「天皇のお客さん」江藤訳・徳間書店・105頁に 

「修理ドックで働いている捕虜の話では、懐かしい”大日丸“が再艤装と迷彩を施すために入ってきたそうである。」

P.o.W.s working in the ship-repairing yard reported that our old friend the Dai Nichi Maru had come in for a refit and camouflage.

(Fletcher-Cooke, John. The Emperor's Guest . Pen & Sword Books. Kindle 版.)」

とありましたので日立造船様にメールでお尋ねしましたところ以下のようにご返答いただきました。

「平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。お返事が遅くなり申し訳ございません。ご照会の件について、弊社因島工場と、2002年に造船事業を移管したジャパンマリンユナイテッド社にそれぞれ確認してみました。残念ながら下記のとおりお力添えできる情報がございませんでした。・戦中の資料(主に写真しか残っていない)は現存している数自体が少ないのに加え、新造船の写真が主になっており、修繕関係はほとんど残っていない。・社史でも新造船は船名他の記載がありましたが、修繕関係は統計データ(年度毎に隻数、総トン数が集計されているだけ)のみ。ただ、2チャンネルのようなサイトでは以下のような記述があったとの情報も寄せられましたので、お役に立つものか分かりかねますがご参考までに記します。

「大日丸」は「世界の艦船」誌 NO.564 2000年2月号の、思い出の日本貨物船その42に写真が紹介されていました。以下 全文伊吹山丸 1922-43 三井フリートで最初に重油燃焼装置を採用した貨物船である。岩手山丸級2隻の2番船として、1922年(大正11年)4月15日に(三井物産)造船部玉工場で完成。第一次大戦後に開設された北米定期航路(大連~神戸~横浜~シアトル)に就航し、後年は援用不定期船として稼動した。5,814総トン、8,903重量トン 垂線間長 117.3m、幅15.5m、主機三連成汽機 1基、最大出力3,242馬力、最高速力14.9ノット。1920年に同工場で誕生した平甲板型の日米船鉄交換船と同型である。1935年に板谷汽船に売却され、大日丸と改名。戦時中は陸軍に徴用されたが、43年10月8日ルソン島西方で被雷沈没し、2,000名を超える将兵と乗組員が戦死した。

以上、ご希望に添えず申し訳ございませんが、取り急ぎメールにてお返事失礼させていただきます。   日立造船株式会社

(2)テレンス・ケリー氏「地獄船で広島へ」34ページに「船倉の隔壁の向こう側に燃料庫の石炭が見えるほど大日丸は芯まで錆びていた」とあります。  

カズワン船内の隔壁に穴、機関室まで浸水の可能性 事故以前からか:朝日新聞デジタル (asahi.com) を見て、1931年7月31に座礁したといわれる初代大日丸(たエスクデイル号の事を想起させられました(1893年グラスゴ―で造船され、1912年板谷合名によって1912年「大日丸」と改名された)。捕虜として移送された、プラントン氏は船尾の名板にEskdale

とあったと証言されました。

(3)堀川恵子著「暁の宇品・陸軍船舶司令官タチノヒロシマ」(2021年4月講談社)


は大佛次郎賞を受賞したドキュメント作品で宇品港にあった輸送基地、陸軍船舶司令部について克明に描かれております。人類最初の原子爆弾がなぜ「ヒロシマ」に投下されなければならなかったのかという疑問を突き詰めることから出発したという著書は「陸軍兵士の海上輸送という、日本軍地史上最も重要で最も未解明の問題に光を当てた素晴らしい本」

と北岡伸一東大名誉教授に評されています。

大日丸についての記述はありませんでしたが、輸送船の数が逼迫していた状況を知ることができました。



4.英国人婦人宣教師モーリン・スミス先生の追悼記念誌(和文・英文)が9月に完成しました。



尾道赤レンガの会・2022イースターニュースレター

恵みのうちに復活祭(イースター)を迎えられたことと存じます。
ウクライナでは悲惨な戦いが続けられ、心の痛む毎日です。
ロシアとウクライナは同じスラブ人で東方キリスト教会に属するといわれます。
 西方教会は神が人となられて十字架上で罪の赦しと贖いを完成されたことを重視し、東方教会は聖霊による人間の栄化を高調し、復活祭を盛大に祝うともいわれます。よみがえりの主が和解を与えてくださるよう願わずにおれません。

1904年2月ー翌年9月の日露戦争では、7万人以上のロシア兵捕虜が日本国内に収容され、最初に開設された愛媛県松山市の収容者は4,000名をこえたといわれます。
幕末維新時に、ニコライ宣教師らによる改宗者が追悼碑の建立に貢献したともいわれます。
 https://www.iyoirc.jp/post_industrial/post_industrial-5371/
近況について感謝と共に報告いたします。

1,アガペワールドニュースレター(2022年春号)
  https://www.agapeworldreconciliation.org/


3,瀬戸内タイムズ紹介記事
http://0845.boo.jp/times/archives/24524

4,徳島県鳴門市の大麻キリスト教会と松茂町の徳島恵キリスト教会で奉仕された

 イギリス人婦人宣教師、モーリン・R・スミス先生が昨年12月3日、ロンドンで

 天に召されました。 師は、1998年11月2日の向島キリスト教会での追悼和解礼拝

 にも出席されました。 テレンス・ケリーさんご夫妻も同席されました。



5,「大日丸」調査記録
https://onedrive.live.com/?cid=9F2B1BDA8930284F&id=9F2B1BDA8930284F%218877&parId=root&o=OneUp
 地獄船と言われた大日丸Dainichi Maruは

①1893年グラスゴーで建造されたエスクダレ号”Eskdale”1912年大日丸と改名。

 記録によれば1931年7月21座礁(38年目)なのか

②1922年三井フリート造船部で完成した貨物船、伊吹丸Ibuki Maruを1935年に改名された大日丸(二代目)

 1943年10月時点で21年目) なのか?



 戦時下での厳しい情報統制のもとでの記録②と、実際に乗船した元捕虜プラントンさんの目撃証言①をどのように説明すべきか、いまだ解明できないでおります。過去を理解するためには過去と一体化しなければならないと言われますがそれには、人間を超えたお方からの知恵が必要なのでしょうか。


みなさまの上に祝福をお祈りします。



2021クリスマス・2022新年 ニュ-スレタ-

恵みのうちに新しい年を迎えられたことと存じます。

感謝と共に以下のように報告いたします。

1,アガペワ-ルド


2,「地獄船で広島へ」が中国新聞に紹介されました。


 英語版



3,12月23日(木)ザメディアジョンによる尾道の元捕虜収容所に関する取材があり

小林さんと溝淵さんが元向島収容所近くのメモリアルプレ-トなど案内され、因島では岡野さんと共に因島捕虜収容所跡地やイングリッシオーク、亡くなられた捕虜が火葬された海辺などの足跡をたどりました。

4,訳本「天皇のお客さん」(著者 John Flletcher-Cooks・江藤潔訳・徳間書店)は原本”The Emperor's Guest" の7章「土生の生活」の部分が概略にとどめられているので、岡野氏が全訳中です。

原本の電子ブック


5,10月5日にRCC中国テレビの番組ディレクタ-の鍵本氏よりお電話いただき、大日丸について以下のようなお話しいただきました。
広島市の宇品港に陸軍の船舶管理所があって、その責任者の方がBC戦犯として裁かれたそうです。死刑にはならなかったそうです。もしかすれば「大日丸」の記録がその関係筋にあるかもしれないとのことでした。

RCCは1998年、テレンスケリ-さん他が「アガペ」と共に広島平和公園を訪問された際、取材をされました。https://www.youtube.com/watch?v=t5yIwdL5ldk


地獄船と言われた太平洋戦争捕虜輸送船「大日丸」がグラスゴ-で建造されたエスクダレ号(初代大日丸)なのか日本製の「伊吹丸」(2代目の大日丸)だったのか、英国においても日本においても謎とされています。「伊吹丸」説が語られたのは「天皇のお客さん」(ジョン・フレッチャ-・クック著・江藤潔訳・1971徳間書店)88ペ-ジの訳注


「”大日丸“は大正19年(1921)に建造された貨物船である。旧名は”伊吹丸“。総トン数は5,813トン。昭和10年(1935)板谷商船株式会社が購入し、”大日丸“と改名した。
日中戦争以来、陸軍輸送船に徴用され、太平洋戦争開始と共に、主としてシンガポール方面よりの捕虜その他物資の輸送に使われ、昭和19年(1944)に撃沈された。なお、板谷商船ではそのころまでに9隻の持ち船全部を失い、今日までその補償を受けることもなく、暗い戦後が続いている。」とあり

76ペ-ジには以下のように訳されています。
「その日の夕方、私たちは約6千トンの大きな日本船“大日丸”へ上船した。またもや船倉へ放り込まれたが、環境はどちらかと言えば”吉田丸“より悪い。船は29日に沖合の停泊地にすすみ、30日の早朝出帆した。」

ところが原文の5章”voyage to Japan” は以下のように記されています。
That evening we went on board the Dai Nichi Maru, a much larger Japanese vessel of about 15,000 tons. Once again we were crammed down into a hold, where conditions were, if anything, worse than those in the Yoshida Maru. On the 29th we moved out into the roads and early on the 30th we sailed.

(Fletcher-Cooke, John. The Emperor's Guest . Pen & Sword Books. Kindle 版.)

フレッチャ-氏は1万5千トンとしていますが、訳者は伊吹丸と推定して、つじつまを合わせて6千トンと改訳されたと思われます。

元向島紡績塀のレンガがイギリス製なのか日本製なのか探求されていますが同じように解明には、もう少しの時が必要のようです。

みなさまの上に祝福をお祈りします。



2021/8 ニュ-スレタ-

みなさまには、コロナ禍の中、オリンピックを迎え、熱い日々を恵みのうちにお過ごしのことと存じます。

大変ご無沙汰いたしましたが、感謝と共に以下のように報告いたします。


1,おかげさまで翻訳本、電子書籍とオンデマンド (ペーパーバック)で出版しました。 


アマゾンのみでの取り扱いとなり、一般書店では入手できませんが、在庫の必要がなく、出版費もかからないネクパブhttps://nextpublishing.jp/authorを利用しました。


2,著者テレンス・ケリ-さんの息子さんのマイケルさんはフランスのヴァルトにお住まいであることを恵子ホ-ムズさんに教えていただき、小林さんとと共にメールで交流することができ、翻訳権代も送金できました。

このために、多額な協力金をいただいておりましたので、すべてまかなうことができております。

 出版記念会はいつの日かzoomで行えないかと考えております。


3,来年はシンガポ-ル陥落とタイメン鉄道建設スタ-ト80周年です。

 元捕虜のお孫さんでスイスのチュ-リッヒでジャ-ナリス作家として活動しておられる、Charlie Inglefieldさんがドキュメンタリ-製作を企画されており、日本側からもなんらかの協力がえられないか恵子ホ-ムズさんに連絡がなされたとのことです。詳しくは小林さんにお問い合わせください。


4,アガぺワ-ルドよりいただいたレタ-、大変遅くなりましたが紹介させていただきます。


日本語ニュースレター2020 *_r2縮小版 .pdf



5,捕虜運搬船「大日丸の謎」につきまして引き続き調査中ですのでまとまり次第報告させていただきます。




みなさまの上に祝福をお祈りします。




2020Merry Christmas& 2021A Happy New Year! 


ご協力を感謝し報告をいたします。

「地獄船で広島へ」の翻訳本について、現在、恵子ホームズさんから著者テレンス・ケリーさんのご家族と連絡をとっていただいております。


1、小林さんあてに、向島収容所で捕虜だった方のご家族の訪 問予定のお話がありましたがコロナ禍のため順延とのことです。


2、POW研究会による「捕虜事典」編纂出版計画の新聞記事が掲載されました。



3、But every now and again when hair had grown to a respectable crew cut length, Minahero would have a dozen in the guard room and run a channel with hair clippers through from front to back like a lawn mower cutting a single swathe and send them out again leaving them to choose whether to have the rest off or go around like a negative image of an Amerindian

の訳につきましていろいろアドヴァイスいただきましたが、以下の画像からヒントを得て下の文のようにおちつきました。

(左がアメリカインディアンの髪型のネガ像、真ん中が実像で、侍が丁髷(ちょんまげ)をつける際に前頭部をそりあげたようにからかったのでは?) 


「けれども、髪が角刈りにふさわしい長さに伸びると、ミナヒロは詰所におよそ1ダースほど置き、草刈り機で庭の芝生刈るように、頭のてっぺんの部分の髪をバリカンで前から後ろに一筋刈込み、アメリカインディアンのネガ像のようにして歩き回りたいか、それとも、残りの髪も刈ってもらいたいか、選ばせた。」 

4、因島捕虜死亡者の葬儀とご遺骨の保管につて、ケリー氏の「地獄船で広島へ」では「明徳寺」とあり、英国公文書館記録には「無量寺」とありますので調査した結果を報告します。

①ケリー氏著書エピロ-グ241-242ペ-ジに京都の霊山寺を訪ねた記事が以下のようにあります。

「観音像の向こうにはメモリアル・ホ-ルがあり、その中には優美に衣をまとった女性の彫刻があり、彼女の横の台座の上には世界平和と普遍的な兄弟愛について書かれた詩の大きな石の銘板がある。下には「日本の領土もしくは日本軍支配下領地で亡くなった4万8千人以上の外国人兵士を追悼して建てられ」無名兵士の遺灰が入った慣例の棺がある。当然払うべき敬意がこの記念碑に対して派遣団によって払われた。 

すぐ近くの小さな建物の中に日本人の捕虜となっていた当事者にとって興味深いものがあった。それはとらわれたまま亡くなった戦争捕虜についての詳細を保存した巨大な資料棚であった。50にも及ぶ引き出しを含み、「日本の管轄下の領地で亡くなった」アメリカ人、オーストラリア人、イギリス人、カナダ人、オランダ人、ニュージーランド人や他の国の者たちの名が記載されていた。因島で亡くなった親しい友のカードを探すのはやさしいことであった。「リー・ジョン ・S、伍長勤務上等兵. 4667546 、44年⒑月1日 急性肺炎、日本広島県三庄町明徳寺で火葬される」

(Lee John S L/Cpl. 4667546. 1/10/44 Acute pneumonia. Cremated Myotlkuji, Mitsonoshio achi, Hiroshima-Ken, Japan.)」

②火葬の様子は4章54-55ペ-ジ
「ここでの最初の葬式は三つだった。ポールソンとダークは12月1日に、ギブスは12月3日に死亡した。各棺桶を6人ずつ我々自身で運び、真中の棺はユニオンジャックが荒々しく描かれたシーツで覆われていた。火葬場は海岸の端にあり、そこに行くために三庄の小さな村を通らなければならなかった。そこは収容所のほぼ北端に接していた。非常に寒い夜で、泥の通りは凍り付いていた。風は無く、ただ大気の穏やかな流れが、葬列者の先頭を照らすちょうちんを静かに揺らしていた。唯一の参観者は無口な村人たちで、彼らはあばら家の戸口から、おとなしく、かすかにもの問いたげな顔で見つめ、そして会葬者は日本人兵士だけで、彼らは武器を逆さにして後に続いた。我々、棺桶のかつぎ手は嘆いてばかりおれなかった-我々には、やせこけた肩の上の棺桶の重さと、運んでいる者を死なせた同じ邪悪の胃の痛みによる不快がつらすぎた。身の引き締まるような冷たい夜に、狭くまばらな村を通って、でこぼこ道が砂地に変わるところまで行進し、その砂地をとぼとぼ歩いた。我々の足音は波の音より小さかった。我々自身の生身の体から1,2インチ離れたところに朽ちていく遺体があると考えなかったが、棺桶の鋭い角が肩と首の間に食い込み、柔らかなまとわりつく砂が我々の重い足を掴んで大変な苦労を覚えた。どこまで行かなければならないか分からなかったし、考えもしなかったーそれは終わりなく動かしがたい全ての人生のようだった。我々は海上にそして空に星明かりを、またコーン色の揺れ動くちょうちんを見た。

 僧侶が砂の上に立って我々を待っていた。薄い白髪交じりのあごひげの老人だった。彼の背後に炉のとびらがあり、闇夜に赤く輝いていた。二つの短い儀式が行われた、一つは英語で、一つは日本語で。それから瀬戸内の海に三発が発砲された。 帰り道は、次の行事のため保存するユニオンジャックが書かれたシーツの荷だけで楽だった。この行事に日本人が参加して果たした気品ある勤めのゆえに我々の気持ちは高揚した。 決して特別なことではなかったが、我々100人の中で死んだのは8人だけだった。近くの向島収容所では100人中22人、そして第三収容所では150人中35人が死亡した。我々の喪失が比較的少なかった唯一の理由は、私が思うに、1月に加わった香港からの100名のとびきり健康的な男たちの到着によって、士気が大いに引き上げられたことにあった。だがこれらの知られた人数を順当なものとみなし、さらに海で死んだ者を加えるなら、シンガポールで「大日丸」に乗り込んだ1200名のうち、300人ないし400人は航海またはその影響下を生き延びることはなかったと思われる。」

③葬式については10章158-159ペ-ジ
「スターリング・リーとヒル教授、そして8人のイギリス空軍兵士の遺骨は、その後、寺に運ばれ、祭壇に置かれた。准士官と私を含む室長が参加して仏教の儀式が行われた。他の室長の一人である空軍軍曹のJ・プライスがその儀式について記述している、その時彼が記したものを加えることにしたい。

 「11月28日の朝、私と他の室長、及び准士官は、香港防衛義勇隊の故アシュトン・ヒル教授とジョン・スターリング・リーの遺骨の納骨式に出席するように告げられた。遺骨は収容所内のイギリス国教会のチャペルに正式に安置されていた。

 私たちは、2~3人の故人の友人達と9時半に整列した。小グループは三庄の仏教寺院まで行進した。建物に入る前に、ブーツと靴下を脱いで外の踏み台に置くように指示された。建物に入った後、祭壇に向かって膝まずくよう指示を受けた。

 この祭壇は背後がくぼんだ主要な置台からなり、全体は電気のろうそくの模造品で照らされていた。配列物の真ん中に儀式の間使用する台があった。主要な祭壇の両側にもそれより小さな祭壇があったが儀式の進行に何の関与もしていないようだった。主な祭壇の前には、過去2年に亡くなったイギリス空軍兵士8人の遺骨をおさめた小箱が置かれていた。祭壇の前には二つのみかんのかごがあり、私たちのもう少し近くに短い脚のテーブルが置かれていて、その上には小さな本と木槌があった。儀式は、僧侶の登場で始められた。最初は祭壇に、次に収容所の所長に、それから膝まずいているイギリス人に頭を下げた。その僧侶は、鮮やかな緑の着物で着飾り、その上にいたるところ銀色でデザイン模様された黒い前掛けを身につけていた。彼はまた、ガラスの一連のビーズ(数珠・ロザリオ、訳者注)を持って、それを絶え間なく手の間で回した。

彼は祭壇の右手から入り、中央に置かれたものに似た小さなテーブルのそばでひざまずいた。中央のスタンドに点灯したろうそくを置き、小さなどらを頻繁に打ちならし甘い音色をかなでながら葬送歌を歌い或いは唱え始めた。彼が約5分か⒑分間詠唱した後、一人の少女が加わった。彼女は黒い衣装の上に、白地で飾られた青い前掛けを身に着けていた。少女も僧侶より低いトーンで詠唱し始めた。少女はできるだけ大きな不協和音を発しているようだった。本から読み取りながら詠唱し、間を置いて、目の前の小さなテーブルに置いてある木槌で大きな金属製の鉢を叩いた。鉢は、僧侶とは対照的に深い音を響かせた。僧侶が一息するために休止すると少女は続け、少女が休むと僧侶が続けた。
後に私は、僧侶の詠唱は旅立つ魂のためであり、少女はその不協和音で、魂に侵入しようとする悪霊を追い払ったのだと聞かされた。ここで詠唱の一部分が終わった。僧侶は立ち上がり、低い声でつぶやきながら祭壇の奥に消え、鉢と盆を持って再び現れた。点灯した細いろうそくが、スタンドから取り出され、鉢の中におかれた。香を入れた盆が少女によって、小さなテ-ブルの上に置かれ、その後、イギリス人たちは点灯したろうそくに焼香するように促され、収容所所長と日本人の収容所スタッフの一人が最後に式次第のこの部分を執り行った。この詠唱が再び始まった後、さらに⒑分間続けられ、少女が金属製の鉢を強く叩いて式が閉じた。僧侶は立ち上がり、一同に対して深々とお辞儀をし、少女も同じようにした。遺骨を入れた小箱は祭壇の前に置かれた。祭壇の上のすべての花瓶やスタンドはとても小さく、金色の葉をデザインされた真紅の木製品だった。仏教の儀式へ参加をゆるされたクリスチャン(イギリス人)は極めて僅かだったと思う。」

④因島で研究しておられる岡野さんからの返答
りー・ジョンの件
 明徳寺に問い合わせいたしました。現住職はまだ若く青木氏からも過去に問い合わせがあったが全く分からないとのことで記録も無いとのことでした。ケリー氏の本の中での儀式について真言宗の知合いの住職に聞いたところ僧侶のかんれ衣の色が緑色ではなく紫か青であれば真言宗である明徳寺の可能性はあるとのこと、Greenを辞書で調べてみると青と関連づけることも否定できないしケリー氏の思い込み違いも否定できないと思います。
そこで明徳寺住職に記述内容を読んでもらうべく明徳寺へ持参いたしましたが不在で、先代住職の奥様が応対してくださいました。おっしゃるには先代には昭和6年生まれの姉がいて彼女から「筵に包まれた捕虜の死体を寺の境内に運び込まれそこで洗浄されていたのを数回見た」という話を聞いたことがあったと思うとの事。事実であればお寺で法要の後、火葬場へ持って行かれ荼毘に付されたのではないかと思います。その後、遺灰は収容所の礼拝堂に置かれ本に記載されているように11月28日に合同法要のため(明徳寺?)に運ばれたのではないかと思います。介添で法要に参加している少女というのはこの先代の姉ではないかと思います。

⑤推定

明徳寺(真言)の開祖、空海は唐への留学時代、東方キリスト教の景教(ネストリウス)の影響を受け、無量寺(浄土)始祖の親鸞はヨハネ福音書を読んでいたという説があるほど、西方教会(後期キリスト教)の信仰に類所したところがあります。葬儀は前者で、遺骨保管は後者と思われます。向島収容所で死亡した捕虜が当初、尾道刑務所裏の市民共同墓苑に埋葬されていたことを教えてくださったのは福善寺の太田垣師でした。

京都霊山寺の資料(明徳寺)については徳島大学のモートン先生にアドヴァイスいただき、公文書館の資料(無量寺)についてはPOW研究会の笹本さんから提供していただきました。


5、「(初代)大日丸」(グラスゴ-建造・旧エスクダレ号)と「(二代目)大日丸」(三井物産船舶部建造・旧伊吹丸)については 後日報告いたします。

新たな年もみなさまの上に祝福がゆたかにありますように!



2020.8終戦75​周年ニュ-スレタ-

みなさまには終戦75年を迎え、コロナと猛暑の試練の中にあっても

恵みのうちにお過ごしのことと存じます、

ご協力を感謝しつつ以下のように報告いたします。


1、ニュ-ズウィ-ク(日本版)75周年企画記事


2、中国新聞掲載記事


3、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

旧向島捕虜収容所メモリアルプレート


4、「地獄船で広島へ」の最終校正をしております。

以上

みなさまの上に祝福をお祈りします。


Merry Christmas 2019
ご協力への感謝と共に以下のように報告いたします。

1、恵子ホ-ムズさんのアガペワ-ルドからニュ-スレタ-が届けられました。


2、「地獄船で広島へ」出版につきましては経費節約のためオンデマンド方法を検討しています。テレンス・ケリ-氏は2013年9月に天に召されましたのでご遺族とのコンタクトを願っています。


3、因島で捕虜生活を送ったフレッチャ-・クック氏と土生収容所所長野本大尉と中野軍曹の再会写真。
https://img.atwikiimg.com/www34.atwiki.jp/akarenga/attach/1/4/2019akarenga.docx

「東京から広島へ行く列車は尾道を経由する。私は門司で”大日丸”から下車した1942年11月の寒い夜、下関から尾道へ向かった列車の旅を思い出した。・・・・翌朝、私はフェリ-で松山に向かった。近藤氏のおかげで道後温泉の快適な日本式旅館が予約されていた。この旅館が旧看守との再会の場になっのだ。・・・夕食の招きに応じてくれた最下位の相手は、元土生収容所の所長野本アキラ大尉と中野シゲマ軍曹だった。・・・新聞記者が引き揚げると、日本間に案内された私たちは、そこで和食を注文した。食事は着物姿の魅力的な若い女性たちの給仕ですすめられた。・・・私はあまり食べなかった。会話を続けるために、忘れた日本語を思い出したり、単語帳から言葉を探すのに忙しくてとても食事処ではなかったのだ。・・・」(ジョン・フレッチャ-・クック著「天皇のお客さん-書かれざる戦史-日本捕虜収容所」江藤潔訳・徳間書店・1971年、254-256ペ-ジ)

4.10月シドニ-さんを迎えて


以上
みなさまの上に祝福をお祈りします。



今年も敗戦記念を迎え、皆様には恵みのうちにお過ごしのことと存じます。

いつもご協力やご助言をいただきありがとうございます。

感謝と共に報告させていただきます。

1、イエントさんという元因島収容所捕虜の息子さんがテレンス・ケリ-さんについてご自身のサイトで以下のように紹介されております。


2、「地獄船で広島へ」の中に登場する監視兵宗広源一氏(ミニ-)は

徳島県三好郡東みよし町の出身で同町の歴史民俗資料館には巣鴨刑務所でB級戦犯として過ごされた時の日記や遺品が展示されていました。

元館長の前田安夫氏が「もうひとつの戦後・あるB級戦犯の巣鴨日記」という本にまとめられております。絶版なので私は電子化をおすすめししたいと願わされています。

3、以前、亡くなられた捕虜の方の葬儀と遺骨についてお伝えしましたが

葬儀は明徳寺で行われ、ご遺骨は終戦時まで無量寺に納骨されていたとおもわれます。

4、「地獄船」の翻訳と校正はほぼ終了しておりますが、出版時の条件に付いてケリ-さんご遺族と再交渉のうえで進めたいと思っております。

2019イ-スタ-おめでとうございます。

ご協力を感謝しつつ、以下報告いたします。

1.恵子ホ-ムズさんより次のようにテレビ番組の紹介いただきました。ご本人の出演は前編とのことです。

『天皇 いのちの旅(前編・平和への祈り)』

4月23日(火)午後9時~/4月29日(月)午後11時45~

『天皇 いのちの旅(後編・象徴への模索)』

4月23日(火)午後9時59分~/5月6日(月)午後11時45分~

放送局:NHKBSプレミアム 

※4月23日は通常の放送編成と異なります。ご注意ください。


2.前回訳文の校正、小林さんから回答いただき感謝です。

3.
「エルシュン出版」を始められた大塩宣教師に訳本の出版の可能性について検討いただいております。オンデマンド方式といって、注文に応じて印刷する方法があり、これだと経費を節約できるとのことでした。とりあえず、電子書籍も検討いただいております。


Merry Christmas!

ご協力を感謝し、以下のように報告させていただきます。

1,恵子ホ-ムズさん、旭日双光章を受賞されました。


2、By Hellship to Hiroshima の訳、校閲をほぼ終え、

 縦書変換と電子本その他の出版方法を検討しております。


どうしても分からない次のような文がにありました。

1ダ-スとは、バリカンの数でしょうか。残りを去らせと一応訳しましたが

残りをカットすべきと訳すべきでしょうか。どなたか教えていただければ幸いです。

The Japanese, we found, were given to enthusiasms which were all embracing whilst upon them but inclined to be short lived and but for Minahero in the camp (of whom more later) we might have gone back permanently to longer hair.

But every now and again when hair had grown to a respectable crew cut length, Minahero would have a dozen in the guard room and run a channel with hair clippers through from front to back like a lawn mower cutting a single swathe and send them out again leaving them to choose whether to have the rest off or go around like a negative image of an Amerindian.

「我々が知った日本人は、全体的な傾向として熱しやいが、冷めやすい傾向があった。それでもし収容所にミナヒロ(彼の事は後に更に言及)がいなかったら、我々はずっと長髪に戻っていたかもしれない。けれども、髪が角刈りにふさわしい長さに伸びると、ミナヒロは監視部屋におよそ1ダースを招いて、バリカンを前から後ろへ、芝刈り機が刈り草一列を刈るように一筋走らせて、彼らを再び外に出し、残りを去らせるか、アメリカインディアンのネガティブ・イメ-ジのように歩き回るか選ばせた。



3、因島捕虜収容所については「天皇のお客さん」(ジョン・フレッチャ-・クック著・江藤潔訳・相和46年・徳間書店)があります。

その中で戦後、元所長の野本氏と副所長中野氏に松山で再会され、歓談されたとありました。愛媛新聞社から記事のコピ-を送っていただき、ご親族と思われれる方にご連絡できました。
                      以上

みなさまの上に祝福をお祈りします。


西日本豪雨被害では大変だったことと存じます。

徳島も台風20号が接近し、防災に備えております。

今年は賀川豊彦生誕130周年、鳴門の捕虜収容所で

アジアで最初のベ-ト-ヴェンの第九がドイツ人捕虜に

よって演奏されて100周年を迎え、記念行事が行われ

ました。

ご協力を感謝しつつ、報告させていただきます。

1、By Hellship to Hiroshima の翻訳草稿、ほぼ完了し

 校閲の段階に入っております。


2、小林さん、POW研究会で発刊予定の「捕虜収容所辞典」編纂のメンバ-の一員として、向島、因島、善通寺を担当されます。



みなさまの上に祝福をお祈りします。


2018年明治維新150周年の復活節を恵みのうちにお過ごしのことと存じます。

ご協力を感謝しつつ、報告させていただきます。

1 .By Hellship to Hiroshima 11章の翻訳草稿(若松英士氏訳)



13章freedom regained は溝淵尚子しによって前半部が訳され、残りの

後半部が終了されれば、全章完訳となります。

2. 3月5日徳島大学にディビト・モ-トン准教授をお訪ねし、京都東山の霊山寺観音教会に保管されている戦争捕虜資料についてお聞きしました。”Hellship"の著者テレンス・ケリ-氏は242ペ-ジで



Lee John S L/Cpl. 4667546. 1/10/44 Acute pneumonia. Cremated Myotlkuji, Mitsonoshio achi, Hiroshima-Ken, Japan'




「リー・ジョン S L/Cpl. 4667546 44年10月1日 急性肺炎、日本広島県三庄町明徳寺で火葬される」と述べて、もうひとつの寺、無量寺に言及がなされていませんので、お尋ねいたしました。





モ-トン氏の祖父はイギリス人捕虜としてタイメン鉄道建設に従事させられ、その日記が翻訳、出版されています。


3.小林さんから、向島収容所で死亡された米国人捕虜George.B.Scott氏の親戚の方が今年度来訪予定との連絡をいただきました。

みなさまにはクリスマスシーズンを迎え、新たな年に備えておられることと存じます。

ご協力を感謝しつつ、以下のように報告させていただきます。

1、By Hellship to Hiroshima 翻訳途中経過以下の通りです。

 エピロ-グ、若松英士さん訳



 10章 溝淵尚子さん訳



2、恵子ホ-ムズさんアガペワ-ルド2017クリスマスレタ-いただきました。

file:///C:/Users/minamizawa/Google%20ドライブ/Christmas%20NL%202017%20Account%20Report.pdf


3,鳴門のドイツ兵捕虜収容所跡地は世界記録遺産登録の申請が決まりました。





みなさまの上に祝福をお祈りします。


2017年敗戦記念日を迎え、皆様には暑さの中恵みのうちに過ごしの事と存じます。

ご協力を感謝しつつ、現況を報告させていただきます。

1.By Hellship to Hiroshima の翻訳草稿、遅くなりましたが、  

 おかげさまで以下の通り 完訳に向かっております。因島における紙碑(written

 monument)として残されますよう願います。 

 ロンドン在住の元国連職員の藤原さんにもメ-ルでアドヴァイスをいただいておりま 

 す。夫人のバレリ-さんは恵子ホ-ムズさんから日本語を学んだそうです。 



 2.なお、英文原本の電子本は以下で購入可能です。 



 3.翻訳を手伝っておられる若松氏は徳島恵教会伝道師で工学博士でもあります。

  徳島で協力いただいている永井英彰氏は徳島新聞の記者として活躍され、

  現在、徳島剣山世界農業遺産支援協議会の会長をされています。  



 4.東海大の鳥飼教授のサイト、参考になりました。



 みなさまの上に祝福をお祈りします。



2017/2 モニュメント訪問記事・朝日新聞
http://www.asahi.com/area/hiroshima/articles/MTW20170213351100001.html

ご協力を感謝しつつ、以下ご報告させていただきます。

1、恵子ホームズさんとアガペ-ワ-ルドからレタ-をいただきました。




2、因島のオ-クの木のどんぐりから二世がチャ-チスク-ルで育てられて現在一メ-ター近くに成長中です。移植先も検討中。


3、By Hellship to Hiroshima の翻訳経過報告




電子書籍で出版されれば経費はかからないそうです。


4、熊本県田ノ浦の捕虜収容所跡にモニュメント設置が計画され、小林さんが碑文作成に協力されました。

5、
ウィキベディヤ(百科事典)にメモリアルプレ-トのことが掲載されていました。



因島空襲も。




2013,2014年報告




関係各位 様
                       2014年10月8日
元アメリカ兵捕虜の遺族の向島訪問(ご案内)
いつもお世話になります。
第二次大戦中、フィリピンで日本軍の捕虜となった元アメリカ兵捕虜の遺族2人が近々
向島を訪問いたします。一行は向島捕虜収容所跡地に立つメモリアルプレートを見学した後、近くの小学校を訪問して交流を行ないます。
短時間ではありますが、どうぞお気軽にご参加下さいますようご案内申し上げます。

スケジュール
日時:2014年10月16日(木)
訪問場所:10:00―10:30 米国兵捕虜メモリアルプレート
     10:40―11:30 向島中央小学校
                   (全校児童400人による歓迎の歌を披露)


訪問者(米国より下記2名)
名 前	備  考
1 Edward Malikowski(87)
エドワード・マリコウスキー

ペンシルヴェニア州出身 6才上の兄 Francis Malikowskiが向島で捕虜生活(1944.9.7-1945.9.10の1年間) 。帰国後1997年75才で死亡。
2 Susan Malikowski
スーザン・マリコウスキー
(上記の娘) 付添人


(注)
米兵捕虜のFrancis Malikowski は日立造船向島工場(東工場)の製材部門で1年間働いた。                   
添付集合写真参照。〇印が本人。


尾道赤レンガの会(日英米の和解と交流) 

連絡先(担当者):小林晧志              
電話:0847-51-4346 
                           携帯:090-6415-1641
                           Email: [email protected]

島田好国〒722-0006

尾道市沖側町13-50

☎0848-22-9867







Alex Morganアレックス・モ-ガンさん(10代の娘さんを持つ2児の母、英国で企業
幹部のため語学学校を経営、日本にもクライアントあり)
訪問日時:5月29日(木)~31日(土)グリ-ンヒルホテル泊、メモリアル、日英友好モニュメント
            報道機関、教会など訪問予定

祖父Edward P. O’Conner(エドワ-ド・オコナ-)が向島で捕虜生活、日立造船向島工場で2年9カ月労働。モーガンさんは祖父が収容所で書いた驚くべき日記と情報を持っておられ、松浦精一氏のホ-ムペ-ジを読んで、最近になって向島に行かなくてはと思われたとのこと。



「ザ・レイルウェイ・マン」2014年4月より上映
      http://www.yoseyama.jp/blog/2013/09/the-railway-man.html

2013.10.18 元米兵捕虜夫人訪問
http://www.us-japandialogueonpows.org/2013POWvisit-J.htm



瀬戸内海日英米交流史
https://blog.goo.ne.jp/mitsuominami




Memorial for POWs of WWII. “We Remember You” Project has just began.
http://angels-swing.com/remember/archives/537

日米英友好メモリアル・プレートの保存に御協力ください。
	1、募金:一口500円(何口でも可)
2、ボランティア募集(時間は自由)
モニュメント広場敷地工事

将来、英米国際レンガ歴史館を建て、近現代の国際交流の歩みを、資料を通じて次の世代に伝えていくプランもあります。


  「尾道赤レンガの会」  http://www34.atwiki.jp/akarenga/

事務局〒722-0073    広島県尾道市向島町16058-22

                            電話/Fax 0848-44-2762

                            振込先  (口座番号) 01350-6-50411
                                 (加入者名)尾道赤レンガの会

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2026年02月26日 15:25