尾道赤レンガの会

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2020Merry Christmas& 2021A Happy New Year! 


ご協力を感謝し報告をいたします。

「地獄船で広島へ」の翻訳本について、現在、恵子ホームズさんから著者テレンス・ケリーさんのご家族と連絡をとっていただいております。


1、小林さんあてに、向島収容所で捕虜だった方のご家族の訪 問予定のお話がありましたがコロナ禍のため順延とのことです。


2、POW研究会による「捕虜事典」編纂出版計画の新聞記事が掲載されました。



3、But every now and again when hair had grown to a respectable crew cut length, Minahero would have a dozen in the guard room and run a channel with hair clippers through from front to back like a lawn mower cutting a single swathe and send them out again leaving them to choose whether to have the rest off or go around like a negative image of an Amerindian

の訳につきましていろいろアドヴァイスいただきましたが、以下の画像からヒントを得て下の文のようにおちつきました。

(左がアメリカインディアンの髪型のネガ像、真ん中が実像で、侍が丁髷(ちょんまげ)をつける際に前頭部をそりあげたようにからかったのでは?) 


「けれども、髪が角刈りにふさわしい長さに伸びると、ミナヒロは詰所におよそ1ダースほど置き、草刈り機で庭の芝生刈るように、頭のてっぺんの部分の髪をバリカンで前から後ろに一筋刈込み、アメリカインディアンのネガ像のようにして歩き回りたいか、それとも、残りの髪も刈ってもらいたいか、選ばせた。」 

4、因島捕虜死亡者の葬儀とご遺骨の保管につて、ケリー氏の「地獄船で広島へ」では「明徳寺」とあり、英国公文書館記録には「無量寺」とありますので調査した結果を報告します。

①ケリー氏著書エピロ-グ241-242ペ-ジに京都の霊山寺を訪ねた記事が以下のようにあります。

「観音像の向こうにはメモリアル・ホ-ルがあり、その中には優美に衣をまとった女性の彫刻があり、彼女の横の台座の上には世界平和と普遍的な兄弟愛について書かれた詩の大きな石の銘板がある。下には「日本の領土もしくは日本軍支配下領地で亡くなった4万8千人以上の外国人兵士を追悼して建てられ」無名兵士の遺灰が入った慣例の棺がある。当然払うべき敬意がこの記念碑に対して派遣団によって払われた。 

すぐ近くの小さな建物の中に日本人の捕虜となっていた当事者にとって興味深いものがあった。それはとらわれたまま亡くなった戦争捕虜についての詳細を保存した巨大な資料棚であった。50にも及ぶ引き出しを含み、「日本の管轄下の領地で亡くなった」アメリカ人、オーストラリア人、イギリス人、カナダ人、オランダ人、ニュージーランド人や他の国の者たちの名が記載されていた。因島で亡くなった親しい友のカードを探すのはやさしいことであった。「リー・ジョン ・S、伍長勤務上等兵. 4667546 、44年⒑月1日 急性肺炎、日本広島県三庄町明徳寺で火葬される」

(Lee John S L/Cpl. 4667546. 1/10/44 Acute pneumonia. Cremated Myotlkuji, Mitsonoshio achi, Hiroshima-Ken, Japan.)」

②火葬の様子は4章54-55ペ-ジ
「ここでの最初の葬式は三つだった。ポールソンとダークは12月1日に、ギブスは12月3日に死亡した。各棺桶を6人ずつ我々自身で運び、真中の棺はユニオンジャックが荒々しく描かれたシーツで覆われていた。火葬場は海岸の端にあり、そこに行くために三庄の小さな村を通らなければならなかった。そこは収容所のほぼ北端に接していた。非常に寒い夜で、泥の通りは凍り付いていた。風は無く、ただ大気の穏やかな流れが、葬列者の先頭を照らすちょうちんを静かに揺らしていた。唯一の参観者は無口な村人たちで、彼らはあばら家の戸口から、おとなしく、かすかにもの問いたげな顔で見つめ、そして会葬者は日本人兵士だけで、彼らは武器を逆さにして後に続いた。我々、棺桶のかつぎ手は嘆いてばかりおれなかった-我々には、やせこけた肩の上の棺桶の重さと、運んでいる者を死なせた同じ邪悪の胃の痛みによる不快がつらすぎた。身の引き締まるような冷たい夜に、狭くまばらな村を通って、でこぼこ道が砂地に変わるところまで行進し、その砂地をとぼとぼ歩いた。我々の足音は波の音より小さかった。我々自身の生身の体から1,2インチ離れたところに朽ちていく遺体があると考えなかったが、棺桶の鋭い角が肩と首の間に食い込み、柔らかなまとわりつく砂が我々の重い足を掴んで大変な苦労を覚えた。どこまで行かなければならないか分からなかったし、考えもしなかったーそれは終わりなく動かしがたい全ての人生のようだった。我々は海上にそして空に星明かりを、またコーン色の揺れ動くちょうちんを見た。

 僧侶が砂の上に立って我々を待っていた。薄い白髪交じりのあごひげの老人だった。彼の背後に炉のとびらがあり、闇夜に赤く輝いていた。二つの短い儀式が行われた、一つは英語で、一つは日本語で。それから瀬戸内の海に三発が発砲された。 帰り道は、次の行事のため保存するユニオンジャックが書かれたシーツの荷だけで楽だった。この行事に日本人が参加して果たした気品ある勤めのゆえに我々の気持ちは高揚した。 決して特別なことではなかったが、我々100人の中で死んだのは8人だけだった。近くの向島収容所では100人中22人、そして第三収容所では150人中35人が死亡した。我々の喪失が比較的少なかった唯一の理由は、私が思うに、1月に加わった香港からの100名のとびきり健康的な男たちの到着によって、士気が大いに引き上げられたことにあった。だがこれらの知られた人数を順当なものとみなし、さらに海で死んだ者を加えるなら、シンガポールで「大日丸」に乗り込んだ1200名のうち、300人ないし400人は航海またはその影響下を生き延びることはなかったと思われる。」

③葬式については10章158-159ペ-ジ
「スターリング・リーとヒル教授、そして8人のイギリス空軍兵士の遺骨は、その後、寺に運ばれ、祭壇に置かれた。准士官と私を含む室長が参加して仏教の儀式が行われた。他の室長の一人である空軍軍曹のJ・プライスがその儀式について記述している、その時彼が記したものを加えることにしたい。

 「11月28日の朝、私と他の室長、及び准士官は、香港防衛義勇隊の故アシュトン・ヒル教授とジョン・スターリング・リーの遺骨の納骨式に出席するように告げられた。遺骨は収容所内のイギリス国教会のチャペルに正式に安置されていた。

 私たちは、2~3人の故人の友人達と9時半に整列した。小グループは三庄の仏教寺院まで行進した。建物に入る前に、ブーツと靴下を脱いで外の踏み台に置くように指示された。建物に入った後、祭壇に向かって膝まずくよう指示を受けた。

 この祭壇は背後がくぼんだ主要な置台からなり、全体は電気のろうそくの模造品で照らされていた。配列物の真ん中に儀式の間使用する台があった。主要な祭壇の両側にもそれより小さな祭壇があったが儀式の進行に何の関与もしていないようだった。主な祭壇の前には、過去2年に亡くなったイギリス空軍兵士8人の遺骨をおさめた小箱が置かれていた。祭壇の前には二つのみかんのかごがあり、私たちのもう少し近くに短い脚のテーブルが置かれていて、その上には小さな本と木槌があった。儀式は、僧侶の登場で始められた。最初は祭壇に、次に収容所の所長に、それから膝まずいているイギリス人に頭を下げた。その僧侶は、鮮やかな緑の着物で着飾り、その上にいたるところ銀色でデザイン模様された黒い前掛けを身につけていた。彼はまた、ガラスの一連のビーズ(数珠・ロザリオ、訳者注)を持って、それを絶え間なく手の間で回した。

彼は祭壇の右手から入り、中央に置かれたものに似た小さなテーブルのそばでひざまずいた。中央のスタンドに点灯したろうそくを置き、小さなどらを頻繁に打ちならし甘い音色をかなでながら葬送歌を歌い或いは唱え始めた。彼が約5分か⒑分間詠唱した後、一人の少女が加わった。彼女は黒い衣装の上に、白地で飾られた青い前掛けを身に着けていた。少女も僧侶より低いトーンで詠唱し始めた。少女はできるだけ大きな不協和音を発しているようだった。本から読み取りながら詠唱し、間を置いて、目の前の小さなテーブルに置いてある木槌で大きな金属製の鉢を叩いた。鉢は、僧侶とは対照的に深い音を響かせた。僧侶が一息するために休止すると少女は続け、少女が休むと僧侶が続けた。
後に私は、僧侶の詠唱は旅立つ魂のためであり、少女はその不協和音で、魂に侵入しようとする悪霊を追い払ったのだと聞かされた。ここで詠唱の一部分が終わった。僧侶は立ち上がり、低い声でつぶやきながら祭壇の奥に消え、鉢と盆を持って再び現れた。点灯した細いろうそくが、スタンドから取り出され、鉢の中におかれた。香を入れた盆が少女によって、小さなテ-ブルの上に置かれ、その後、イギリス人たちは点灯したろうそくに焼香するように促され、収容所所長と日本人の収容所スタッフの一人が最後に式次第のこの部分を執り行った。この詠唱が再び始まった後、さらに⒑分間続けられ、少女が金属製の鉢を強く叩いて式が閉じた。僧侶は立ち上がり、一同に対して深々とお辞儀をし、少女も同じようにした。遺骨を入れた小箱は祭壇の前に置かれた。祭壇の上のすべての花瓶やスタンドはとても小さく、金色の葉をデザインされた真紅の木製品だった。仏教の儀式へ参加をゆるされたクリスチャン(イギリス人)は極めて僅かだったと思う。」

④因島で研究しておられる岡野さんからの返答
りー・ジョンの件
 明徳寺に問い合わせいたしました。現住職はまだ若く青木氏からも過去に問い合わせがあったが全く分からないとのことで記録も無いとのことでした。ケリー氏の本の中での儀式について真言宗の知合いの住職に聞いたところ僧侶のかんれ衣の色が緑色ではなく紫か青であれば真言宗である明徳寺の可能性はあるとのこと、Greenを辞書で調べてみると青と関連づけることも否定できないしケリー氏の思い込み違いも否定できないと思います。
そこで明徳寺住職に記述内容を読んでもらうべく明徳寺へ持参いたしましたが不在で、先代住職の奥様が応対してくださいました。おっしゃるには先代には昭和6年生まれの姉がいて彼女から「筵に包まれた捕虜の死体を寺の境内に運び込まれそこで洗浄されていたのを数回見た」という話を聞いたことがあったと思うとの事。事実であればお寺で法要の後、火葬場へ持って行かれ荼毘に付されたのではないかと思います。その後、遺灰は収容所の礼拝堂に置かれ本に記載されているように11月28日に合同法要のため(明徳寺?)に運ばれたのではないかと思います。介添で法要に参加している少女というのはこの先代の姉ではないかと思います。

⑤推定

明徳寺(真言)の開祖、空海は唐への留学時代、東方キリスト教の景教(ネストリウス)の影響を受け、無量寺(浄土)始祖の親鸞はヨハネ福音書を読んでいたという説があるほど、西方教会(後期キリスト教)の信仰に類所したところがあります。葬儀は前者で、遺骨保管は後者と思われます。向島収容所で死亡した捕虜が当初、尾道刑務所裏の市民共同墓苑に埋葬されていたことを教えてくださったのは福善寺の太田垣師でした。

京都霊山寺の資料(明徳寺)については徳島大学のモートン先生にアドヴァイスいただき、公文書館の資料(無量寺)についてはPOW研究会の笹本さんから提供していただきました。


5、「(初代)大日丸」(グラスゴ-建造・旧エスクダレ号)と「(二代目)大日丸」(三井物産船舶部建造・旧伊吹丸)については 後日報告いたします。

新たな年もみなさまの上に祝福がゆたかにありますように!



2020.8終戦75​周年ニュ-スレタ-

みなさまには終戦75年を迎え、コロナと猛暑の試練の中にあっても

恵みのうちにお過ごしのことと存じます、

ご協力を感謝しつつ以下のように報告いたします。


1、ニュ-ズウィ-ク(日本版)75周年企画記事


2、中国新聞掲載記事


3、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

旧向島捕虜収容所メモリアルプレート


4、「地獄船で広島へ」の最終校正をしております。

以上

みなさまの上に祝福をお祈りします。


Merry Christmas 2019
ご協力への感謝と共に以下のように報告いたします。

1、恵子ホ-ムズさんのアガペワ-ルドからニュ-スレタ-が届けられました。


2、「地獄船で広島へ」出版につきましては経費節約のためオンデマンド方法を検討しています。テレンス・ケリ-氏は2013年9月に天に召されましたのでご遺族とのコンタクトを願っています。


3、因島で捕虜生活を送ったフレッチャ-・クック氏と土生収容所所長野本大尉と中野軍曹の再会写真。
https://img.atwikiimg.com/www34.atwiki.jp/akarenga/attach/1/4/2019akarenga.docx

「東京から広島へ行く列車は尾道を経由する。私は門司で”大日丸”から下車した1942年11月の寒い夜、下関から尾道へ向かった列車の旅を思い出した。・・・・翌朝、私はフェリ-で松山に向かった。近藤氏のおかげで道後温泉の快適な日本式旅館が予約されていた。この旅館が旧看守との再会の場になっのだ。・・・夕食の招きに応じてくれた最下位の相手は、元土生収容所の所長野本アキラ大尉と中野シゲマ軍曹だった。・・・新聞記者が引き揚げると、日本間に案内された私たちは、そこで和食を注文した。食事は着物姿の魅力的な若い女性たちの給仕ですすめられた。・・・私はあまり食べなかった。会話を続けるために、忘れた日本語を思い出したり、単語帳から言葉を探すのに忙しくてとても食事処ではなかったのだ。・・・」(ジョン・フレッチャ-・クック著「天皇のお客さん-書かれざる戦史-日本捕虜収容所」江藤潔訳・徳間書店・1971年、254-256ペ-ジ)

4.10月シドニ-さんを迎えて


以上
みなさまの上に祝福をお祈りします。



今年も敗戦記念を迎え、皆様には恵みのうちにお過ごしのことと存じます。

いつもご協力やご助言をいただきありがとうございます。

感謝と共に報告させていただきます。

1、イエントさんという元因島収容所捕虜の息子さんがテレンス・ケリ-さんについてご自身のサイトで以下のように紹介されております。


2、「地獄船で広島へ」の中に登場する監視兵宗広源一氏(ミニ-)は

徳島県三好郡東みよし町の出身で同町の歴史民俗資料館には巣鴨刑務所でB級戦犯として過ごされた時の日記や遺品が展示されていました。

元館長の前田安夫氏が「もうひとつの戦後・あるB級戦犯の巣鴨日記」という本にまとめられております。絶版なので私は電子化をおすすめししたいと願わされています。

3、以前、亡くなられた捕虜の方の葬儀と遺骨についてお伝えしましたが

葬儀は明徳寺で行われ、ご遺骨は終戦時まで無量寺に納骨されていたとおもわれます。

4、「地獄船」の翻訳と校正はほぼ終了しておりますが、出版時の条件に付いてケリ-さんご遺族と再交渉のうえで進めたいと思っております。

2019イ-スタ-おめでとうございます。

ご協力を感謝しつつ、以下報告いたします。

1.恵子ホ-ムズさんより次のようにテレビ番組の紹介いただきました。ご本人の出演は前編とのことです。

『天皇 いのちの旅(前編・平和への祈り)』

4月23日(火)午後9時~/4月29日(月)午後11時45~

『天皇 いのちの旅(後編・象徴への模索)』

4月23日(火)午後9時59分~/5月6日(月)午後11時45分~

放送局:NHKBSプレミアム 

※4月23日は通常の放送編成と異なります。ご注意ください。


2.前回訳文の校正、小林さんから回答いただき感謝です。

3.
「エルシュン出版」を始められた大塩宣教師に訳本の出版の可能性について検討いただいております。オンデマンド方式といって、注文に応じて印刷する方法があり、これだと経費を節約できるとのことでした。とりあえず、電子書籍も検討いただいております。


Merry Christmas!

ご協力を感謝し、以下のように報告させていただきます。

1,恵子ホ-ムズさん、旭日双光章を受賞されました。


2、By Hellship to Hiroshima の訳、校閲をほぼ終え、

 縦書変換と電子本その他の出版方法を検討しております。


どうしても分からない次のような文がにありました。

1ダ-スとは、バリカンの数でしょうか。残りを去らせと一応訳しましたが

残りをカットすべきと訳すべきでしょうか。どなたか教えていただければ幸いです。

The Japanese, we found, were given to enthusiasms which were all embracing whilst upon them but inclined to be short lived and but for Minahero in the camp (of whom more later) we might have gone back permanently to longer hair.

But every now and again when hair had grown to a respectable crew cut length, Minahero would have a dozen in the guard room and run a channel with hair clippers through from front to back like a lawn mower cutting a single swathe and send them out again leaving them to choose whether to have the rest off or go around like a negative image of an Amerindian.

「我々が知った日本人は、全体的な傾向として熱しやいが、冷めやすい傾向があった。それでもし収容所にミナヒロ(彼の事は後に更に言及)がいなかったら、我々はずっと長髪に戻っていたかもしれない。けれども、髪が角刈りにふさわしい長さに伸びると、ミナヒロは監視部屋におよそ1ダースを招いて、バリカンを前から後ろへ、芝刈り機が刈り草一列を刈るように一筋走らせて、彼らを再び外に出し、残りを去らせるか、アメリカインディアンのネガティブ・イメ-ジのように歩き回るか選ばせた。



3、因島捕虜収容所については「天皇のお客さん」(ジョン・フレッチャ-・クック著・江藤潔訳・相和46年・徳間書店)があります。

その中で戦後、元所長の野本氏と副所長中野氏に松山で再会され、歓談されたとありました。愛媛新聞社から記事のコピ-を送っていただき、ご親族と思われれる方にご連絡できました。
                      以上

みなさまの上に祝福をお祈りします。

島田好国〒722-0006

尾道市沖側町13-50

☎0848-22-9867



西日本豪雨被害では大変だったことと存じます。

徳島も台風20号が接近し、防災に備えております。

今年は賀川豊彦生誕130周年、鳴門の捕虜収容所で

アジアで最初のベ-ト-ヴェンの第九がドイツ人捕虜に

よって演奏されて100周年を迎え、記念行事が行われ

ました。

ご協力を感謝しつつ、報告させていただきます。

1、By Hellship to Hiroshima の翻訳草稿、ほぼ完了し

 校閲の段階に入っております。


2、小林さん、POW研究会で発刊予定の「捕虜収容所辞典」編纂のメンバ-の一員として、向島、因島、善通寺を担当されます。



みなさまの上に祝福をお祈りします。


2018年明治維新150周年の復活節を恵みのうちにお過ごしのことと存じます。

ご協力を感謝しつつ、報告させていただきます。

1 .By Hellship to Hiroshima 11章の翻訳草稿(若松英士氏訳)


13章freedom regained は溝淵尚子しによって前半部が訳され、残りの

後半部が終了されれば、全章完訳となります。

2. 3月5日徳島大学にディビト・モ-トン准教授をお訪ねし、京都東山の霊山寺観音教会に保管されている戦争捕虜資料についてお聞きしました。”Hellship"の著者テレンス・ケリ-氏は242ペ-ジで



Lee John S L/Cpl. 4667546. 1/10/44 Acute pneumonia. Cremated Myotlkuji, Mitsonoshio achi, Hiroshima-Ken, Japan'




「リー・ジョン S L/Cpl. 4667546 44年10月1日 急性肺炎、日本広島県三庄町明徳寺で火葬される」と述べて、もうひとつの寺、無量寺に言及がなされていませんので、お尋ねいたしました。





モ-トン氏の祖父はイギリス人捕虜としてタイメン鉄道建設に従事させられ、その日記が翻訳、出版されています。


3.小林さんから、向島収容所で死亡された米国人捕虜George.B.Scott氏の親戚の方が今年度来訪予定との連絡をいただきました。

みなさまにはクリスマスシーズンを迎え、新たな年に備えておられることと存じます。

ご協力を感謝しつつ、以下のように報告させていただきます。

1、By Hellship to Hiroshima 翻訳途中経過以下の通りです。

 エピロ-グ、若松英士さん訳


 10章 溝淵尚子さん訳



2、恵子ホ-ムズさんアガペワ-ルド2017クリスマスレタ-いただきました。

file:///C:/Users/minamizawa/Google%20ドライブ/Christmas%20NL%202017%20Account%20Report.pdf


3,鳴門のドイツ兵捕虜収容所跡地は世界記録遺産登録の申請が決まりました。





みなさまの上に祝福をお祈りします。


2017年敗戦記念日を迎え、皆様には暑さの中恵みのうちに過ごしの事と存じます。

ご協力を感謝しつつ、現況を報告させていただきます。

1.By Hellship to Hiroshima の翻訳草稿、遅くなりましたが、  

 おかげさまで以下の通り 完訳に向かっております。因島における紙碑(written

 monument)として残されますよう願います。 

 ロンドン在住の元国連職員の藤原さんにもメ-ルでアドヴァイスをいただいておりま 

 す。夫人のバレリ-さんは恵子ホ-ムズさんから日本語を学んだそうです。 



 2.なお、英文原本の電子本は以下で購入可能です。 



 3.翻訳を手伝っておられる若松氏は徳島恵教会伝道師で工学博士でもあります。

  徳島で協力いただいている永井英彰氏は徳島新聞の記者として活躍され、

  現在、徳島剣山世界農業遺産支援協議会の会長をされています。  



 4.東海大の鳥飼教授のサイト、参考になりました。



 みなさまの上に祝福をお祈りします。



2017/2 モニュメント訪問記事・朝日新聞
http://www.asahi.com/area/hiroshima/articles/MTW20170213351100001.html

ご協力を感謝しつつ、以下ご報告させていただきます。

1、恵子ホームズさんとアガペ-ワ-ルドからレタ-をいただきました。




2、因島のオ-クの木のどんぐりから二世がチャ-チスク-ルで育てられて現在一メ-ター近くに成長中です。移植先も検討中。


3、By Hellship to Hiroshima の翻訳経過報告




電子書籍で出版されれば経費はかからないそうです。


4、熊本県田ノ浦の捕虜収容所跡にモニュメント設置が計画され、小林さんが碑文作成に協力されました。

5、
ウィキベディヤ(百科事典)にメモリアルプレ-トのことが掲載されていました。



因島空襲も。




2013,2014年報告




関係各位 様
                       2014年10月8日
元アメリカ兵捕虜の遺族の向島訪問(ご案内)
いつもお世話になります。
第二次大戦中、フィリピンで日本軍の捕虜となった元アメリカ兵捕虜の遺族2人が近々
向島を訪問いたします。一行は向島捕虜収容所跡地に立つメモリアルプレートを見学した後、近くの小学校を訪問して交流を行ないます。
短時間ではありますが、どうぞお気軽にご参加下さいますようご案内申し上げます。

スケジュール
日時:2014年10月16日(木)
訪問場所:10:00―10:30 米国兵捕虜メモリアルプレート
     10:40―11:30 向島中央小学校
                   (全校児童400人による歓迎の歌を披露)


訪問者(米国より下記2名)
名 前	備  考
1 Edward Malikowski(87)
エドワード・マリコウスキー

ペンシルヴェニア州出身 6才上の兄 Francis Malikowskiが向島で捕虜生活(1944.9.7-1945.9.10の1年間) 。帰国後1997年75才で死亡。
2 Susan Malikowski
スーザン・マリコウスキー
(上記の娘) 付添人


(注)
米兵捕虜のFrancis Malikowski は日立造船向島工場(東工場)の製材部門で1年間働いた。                   
添付集合写真参照。〇印が本人。


尾道レンガの会(日英米の和解と交流) 

連絡先(担当者):小林晧志              
電話:0847-51-4346 
                           携帯:090-6415-1641
                           Email: colin3467@mpa.seto.ne.jp





Alex Morganアレックス・モ-ガンさん(10代の娘さんを持つ2児の母、英国で企業
幹部のため語学学校を経営、日本にもクライアントあり)
訪問日時:5月29日(木)~31日(土)グリ-ンヒルホテル泊、メモリアル、日英友好モニュメント
            報道機関、教会など訪問予定

祖父Edward P. O’Conner(エドワ-ド・オコナ-)が向島で捕虜生活、日立造船向島工場で2年9カ月労働。モーガンさんは祖父が収容所で書いた驚くべき日記と情報を持っておられ、松浦精一氏のホ-ムペ-ジを読んで、最近になって向島に行かなくてはと思われたとのこと。



「ザ・レイルウェイ・マン」2014年4月より上映
      http://www.yoseyama.jp/blog/2013/09/the-railway-man.html

2013.10.18 元米兵捕虜夫人訪問
http://www.us-japandialogueonpows.org/2013POWvisit-J.htm



瀬戸内海日英米交流史
https://blog.goo.ne.jp/mitsuominami




Memorial for POWs of WWII. “We Remember You” Project has just began.
http://angels-swing.com/remember/archives/537

日米英友好メモリアル・プレートの保存に御協力ください。
	1、募金:一口500円(何口でも可)
2、ボランティア募集(時間は自由)
モニュメント広場敷地工事

将来、英米国際レンガ歴史館を建て、近現代の国際交流の歩みを、資料を通じて次の世代に伝えていくプランもあります。


  「尾道赤レンガの会」  http://www34.atwiki.jp/akarenga/

事務局〒722-0073    広島県尾道市向島町16058-22

                            電話/Fax 0848-44-2762

                            振込先  (口座番号) 01350-6-50411
                                 (加入者名)尾道赤レンガの会
最終更新:2021年01月01日 17:03