095
STRENGTH ◆dKv6nbYMB.
「やぁ、キョウコ」
杏子がジュネスへと向かう道中のことだった。
突如背後に現れたノーベンバー11は、まるで友人に挨拶をするかのように笑顔で挨拶をした。
「どのツラさげて出てきやがったてめえ!」
杏子は即座に槍を構え、ノーベンバーを刺そうとするが
(こいつは妙な鎧を持ってやがったな....正面から向かったところで無駄か)
あの鎧を破壊するのは骨が折れそうだ。そんなことに気が向いてる内にまた凍らされるのはゴメンだ。
殺るなら不意打ち。それに決まりだ。
そう判断すると、杏子はひとまず槍を納めた。
「いい判断だ。冷静さまでは失っていないようだ」
「チッ。なんのようだよ」
今にも跳びかかりたくなる衝動を抑えて、杏子はノーベンバーに問いただす。
(最初の戦いでは不覚をとったが、それはこいつの能力を知らなかったからだ)
杏子は考える。
言い訳にしかならないが、能力を知ってるのと知らないのではだいぶ状況が違ってくる。
それはジャックもわかっているはずだ。合理的判断を心がけているこいつがそれをわからないはずがない。
だから、わざわざあたしに話しかけるということは、そのリスクを考慮したうえでも、あたしを退けられる自信があるからだろう。
もしくは、それすらハッタリで『私はお前より常に優位にいるぞ』とアピールすることであたしを牽制するつもりか...
どちらにしても、この男はいますぐ殺しあうつもりはないことは確かだ、と。
「話が早くて助かる。...この殺し合いについて、きみの意見は変わらないか?」
意見が変わらないか。すなわちそれは、このまま殺し合いに乗るか主催者に叛逆するかということだ。
イエスと答えれば、杏子は敵とみなされるだろう。それはそれで望むところなのだが、もし既にこいつに仲間がいた場合、杏子の勝ち目は薄い。
ノゥと答えても、それがすんなりと通じる相手とは思えない。
なにより、自分自身でもその答えがよくわかっていないのだ。
優勝したところで、これといって欲しいものなんてない。また元の生活に戻るだけだ。それだけならわざわざ優勝しなくてもできるのかもしれない。
かといって、どこぞのお人好しのように、死んでまで貫きたい信念などありはしない。
これらを擦り合わせても答えは出ない。
イエスかノゥ。いまの自分はどちらでもない。
だったらウダウダと悩むことはない。そのままを伝えればいい。
「別に乗ることは間違っているとは思わない。けど、わざわざ脱出しようとするのを邪魔しようとは思わないよ。あたしはただ、生きれればいいのさ」
杏子の出した答え。それは、必要に応じて考えを変えること。
脱出の手がかりが掴めれば、それに便乗すればいい。
優勝するしかにないのなら当初のように殺し合いに乗ればいい。
要は、広川に命を握られているこの環境さえどうにかなればそれでいいのだ。
「奇遇だね。私もそう考えていたところだよ」
「?」
「どうにも、このゲームは厄介なようでね。一人で攻略するのは難しい仕組みになってるらしい。脱出を目指すにしろ優勝を目指すにしろ、ね」
「そうかいそうかい。それで、あたしと組もうって考えたわけか。頭沸いてんのか?」
「そこまでは期待していないさ。ただ、私はこう見えても怖がりでね。ちょっとついて来て貰いたい場所があるんだ」
「...何処に行く気かは知らないけど、お断りだね。あたしになんのメリットもない」
なんなんだこいつは。
最初に会ったときからそうだった。
いきなり現れたと思えば、偽名は名乗るわ説教かましたうえに猫(マオ)まで奪っていくわで腸が煮えくり返る思いをさせられた。
しかも今度は手を貸せと提案してくる。
いい加減にしろとヤキをいれたいところだったが、奴のペースに乗せられては駄目だと自制する。
「それがきみにもメリットはあるんだよ。実は、猫ちゃんが持っていかれてしまったんだ」
「...は?」
予想外の言葉に、杏子は思わずあんぐりと口を開けてしまった。
(さて、どうしたものか...)
幸運にも、ノーベンバーはまたしても先に杏子を発見することができた。
このまま無視して、杏子がDIOのもとへ向かうことを祈ろうかとも思ったが
(妙なタイミングで遭遇して噛みつかれても困るからな)
自分を敵視している彼女のことだ。
見つかれば即座に槍で攻撃してくるのは想像に難くない。
(ここはあえてこちらから接触するとしよう)
こちらから接触すれば、杏子の行動を監視できるうえ、不意打ちをくらう恐れも無い。
寝首をかこうとはするかもしれないが、それを防ぐ猫という大義名分もある。
それに、ノーベンバーとしてはDIOの本性についても気がかりであった。
(彼が単に力の強い猛者なだけか、それとも私たちに害を為す危険人物か...なるべく早く知りたいしな)
しかし、DIOは自分があれだけ疲弊した帝具『インクルシオ』と似た性能を持つ帝具『グランシャリオ』を大した疲労も見せずに着こなしていた。
万が一交戦することになれば、自分一人の力では厳しいものがある。
そのため、自分以外の戦力が欲しかった。戦闘力と信頼を秤にかけ、期待した戦力は猫の元々の仲間である黒、そしてこの場では猫の相棒だった杏子だ。
(先にこちらが有利な状況を作りたいが...)
先程のDIOとの遭遇を思い出す。
DIOはグランシャリオこそ着ていたものの、下手な小細工をせずにこちらに接触してきた。
そのとき、自分は警戒心を抱き、とっさに能力を使う準備をしてしまったが、あくまでもそこで留めた。
やはり生き物というやつは、正面からこられるのが一番苦手らしい。
(接触方法はDIOに習うとするとしよう)
そして、ノーベンバーはDIOと同じように、小細工なしで向き合った。
狙い通りと言うべきか、杏子はノーベンバーに手出しをすることはなく、ひとまずは話し合う形に落ち着いた。
(さて、この選択がどう出るか...)
☆
「んふふ~ねこちゃ~ん」
「うにゃぁ~」
少女が、猫を抱きしめて頬ずりをしている。
傍からみれば、少女が動物を愛でているという微笑ましい光景だ。
少女の精神が正常であるとすればの話だが。
(...まったく、もったいないことをする)
猫(マオ)は、みくの切断された左太ももを見て思う。
みくと戯れている際に、さりげなく右足首を確認したが、中々のものだった。
柔らかな肌。かといって、ぜい肉だらけのだらしないものではなく、それなりに引き締まった感触。
たまらない。素直にそう思った。
きっと、左足首もそれはいいものだっただろう。
それだけに、この少女の左足が無くなったことを残念に思う。
(いますぐにでもあの悪党に足首の良さのなんたるかを叩き込んでやりたいが...はぁ)
当然、ただの喋る猫同然の自分がそんなことができるはずもなく。
出来たとしても、一笑に伏せられて殺されるのがオチだろう。
そもそも、鍵をかけられたこの部屋では、脱出することすら敵わない。
(いまの俺にできるのはこれくらいか...)
猫がみくの頬を舐めると、それだけでみくの顔は笑顔に包まれた。
いくら操られているとはいえ、この状況ではずっと塞ぎこんだままよりは気が楽だ。
偽りの笑顔だろうと笑顔は笑顔。ないよりはマシだろう。
猫は、みくの腕から逃れ、ごろりと仰向けに寝転がり腹を見せた。
「ごろにゃ~ん」
「か~わ~い~い~!」
俗にいう、服従のポーズである。
さあ、今の俺はただの猫だ。好きなだけ撫でろ。愛でろ。
頭でも腹でも、好きなところに触れればいい。
「ふわああああああ!もふもふうぅぅぅ~!」
ふふっ。いきなり腹に顔を埋めてくるとは、なかなかアグレッシブじゃないか。
いいぞ、そのまま頬で腹を撫でていろ。そうすれば、お前は未知なる至福の一時を...
「ねこちゃん、ねこちゃ~ん!」
ひゃっ!?き、急に変なところをまさぐるな!全く、最近の若いのは風紀が乱れ気味ときくが...
ひゃわっ!?そ、そこは駄目だ!そこは俺のじゃくて...んっ!
「しっぽピーンってなってるにゃあ」
な、なんだこの子は。まるで暗殺者のように俺の急所を的確に...まずい、このままではんああっ!
「にゃはっ、ねこちゃんおもしろ~い」
馬鹿な、この俺がこ、こんな小娘にいいようにされるなんて...悔しい、でも...
にゃあああああああああああああ――――――――ッ!!
「随分とお楽しみだね、猫ちゃん」
「......」
笑顔で覗き込んでくるノーベンバーと目が合った時、猫(マオ)の表情は固まった。
母親に見られてはいけないものを見られてしまった男子中学生とはこういうものかと、なんとなく思った。
DIOが吸血鬼と教えられていたノーベンバーは、日光を防ぐのなら上階より地下の方が確率が高いとふみ、階段を下りた。
しかし、部屋に入ってみればいるのはDIOではなく、虚ろな目で笑い呆けている、片足のない少女。
猫が共にいることから、この少女が、DIOの言っていた『傷心の女の子』に違いないが、まさかここまでとは思わなかった。
(いや、これは傷心なんかじゃない)
「おじさんだぁれ?」
「私かい?私はジャック・サイモン。そこの猫ちゃんのお友達さ」
「ねこちゃんの、お友達!」
止血処置されている様子からみて、片足になってからそこまで時間は経過していないはず。
だというのに、少女は心底楽しそうな笑顔を浮かべている。
(これは、何者かに精神を侵されているな)
ノーベンバーは、組織のエージェントとして様々な人間を見てきた。
その中には元々常人の理屈から外れた者もいたが、これはそんなものではない。
また、片足を失ったショックで狂った人間にしては、笑い方がまともすぎる。
狂ったから笑うのではなく、楽しいと思うから笑う。
人間として当たり前の行動だ。
その『当たり前』を短時間でできる状態にするには、他者の介入が必要である。
もっとも、この少女が自分達以上に死地を経験してきた者なら話は別となるが、少女の肉付きからしてまずないだろう。
そして、この介入はメンタルケアなどではなく、少女がこうなるように洗脳したと考えるべきだ。
(それに、この少女が片足を切断された理由...)
もしも、DIOが自分と会う前に危険人物と遭遇し、少女がその敵に片足を切断されたのなら、DIOはそのことを話題に出したはずだ。
なぜなら、他人にも危険人物を伝えることで、DIOを脅かそうとする者を排除できる確率は高くなり、目指すのが脱出にしろ優勝にしろ、動きやすくなることには変わりがないからだ。
即ち、少女の足を切断したのはDIOである可能性は高い。
そんなことをする理由は、拷問か猟奇趣味か、それとも薬かなにかの実験か...どう考えてもロクな理由ではない。
しかも、下手に生かしておくぶんタチが悪い。吸血鬼として、生血のストックでも蓄えているのだろうか。
紳士ぶった態度の裏にこんな残虐性を持っていることを知れてよかった。
下手に信頼を置けば、いずれは自分もこうなっていた可能性は高い。
最悪、彼と戦うケースの想定もしておくべきだろう。
「しかしお前...カギがかかってたのによく入って来られたな」
「伊達にエージェントはやっていないよ。あの程度のカギ穴ならピッキングは余裕でできる」
「それは心強いこった。それにしても、せっかくの助けがお前とはな...はぁ」
「できれば、私もきみの仲間が一緒なら心強かったんだがね」
「まあいいさ。とにかく、一刻も早く脱出経路を確保しよう。ここにいるのはなにかとマズそうだ」
「それは私も思っていたところだよ。だが、この少女はどうする?」
「うぅむ...できれば連れ出してやりたいところだが...」
「ねこちゃ~ん、んふ~」
「この通りでな。お前一人では連れ歩くのも厳しそうだ」
「できればそんなリスクは負いたくはないものだがね」
DIOの本性も知れたのだ。すぐにでもここから離れるべきなのだが、この少女、みくをどうすべきか。
今後の方針を話し合う一匹と一人の背中をドアの隙間から見つめるのは一つの影。
(...ちょっとマズイ展開になってきたゾ)
DIOの言葉に従い、最上階の部屋で休憩していた食蜂。
数十分ほど休憩し、食蜂は能力の観察のために地下室を訪れた。
しかし、鍵の開けられたドアを発見したため、不安に駆られながらも足音を殺し、僅かにドアを開けて覗きみたところ不安は的中していて。
地下室には、見知らぬ白スーツの男が佇んでいた。
男が、自分に気取られることなく侵入していたことにも驚いたが、それだけではなく猫も普通に言葉を発していたことにも驚いた。
(やっぱり、あのネコちゃんかかったフリをしてたってわけねぇ)
自分の能力の制限のせいか、あのネコが田村怜子と同じく能力が効かない体質を持っているのかは分からないが、これでは自分の能力にも自信が持てなくなる。
もしあの白スーツの男が彼らと同じ体質だったら。もしも自分の能力が制限により効果を発揮できなかったら。そんなマイナス思考ばかりが頭に浮かんでくる。
勿論、試してみればよいだけの話なのだが、男が前者であった場合、こちらの存在に気付かれ殺される可能性が高い。
生き残ることが目的の食蜂は、そんなリスクを背負おうとは思えなかった。
(ここはとりあえずDIOさんに報告だゾ☆)
DIOが眠っているのは頂上の5階。大声を出せば聞こえるかもしれないが、それではこちらの存在をあのスーツ男に知られてしまう。
男にバレないように、物音を殺しながらゆっくりとドアから離れ...
「動くな。死にたくなけりゃあな」
「ッ!?」
食蜂の喉元に、槍の穂があてがわれる。
いつの間に背後に立っていたのかと、思わず背後を振り返ってしまう。
が、しかし何をすることもできず、右手を掴まれ壁に叩き付けられてしまう。
「キャッ!」
「動くなっつってんだろマヌケ。あんたがDIO..じゃねえよなぁ」
痛みと共に、自分がどんな状況に追い込まれたかを整理する。
この場には、最低でも一般人には気配を気取られることなく動ける侵入者が二人。
自分は拘束されている。大声をあげてDIOを呼び出そうものなら、即座に殺されるだろう。
加えて、
前川みくの有り様を見つけられれば...
「彼女が洗脳の能力を持つ者かい?」
「ああ。こう見えてとんでもない悪党だ。油断するなよ」
状況は、絶望的である。
「さて。とりあえず名前から聞いておこうか。私はジャック・サイモン。きみは?」
「......」
「答えな」
杏子が拘束した食蜂の腕を握り絞める。
本来なら大した脅威にならない女子の腕力だが、魔法で強化されたその力は軽く成人男性を凌駕する。
そんな力で絞められれば、大した訓練を積んでいない食蜂にはたまったものではない。
「っつ!」
「このままあんたの腕をへし折ることもできるんだぞ?」
「...
食蜂操祈よぉ」
「ミサキ...ねぇ」
「なによぉ」
「いや、私の知り合いにもミサキという女性がいてね。それだけさ。気にしないでくれ。さて、次の質問だ。彼女にはどんな暗示をかけたんだい?」
「別に私はなにも...」
「しらばっくれても無駄だ。お前が洗脳の能力を持っていることは俺が知っているからな」
猫の言葉に、食蜂は溜め息をつき、尋問に応じることにした。
とはいうものの、ノーベンバー達が得た新たな情報はみくが『五感で感じる全てを好ましく、自分に都合がよいものと認識する』と洗脳されたことくらいで、後はDIOからノーベンバーが聞いた内容とほとんど同じだった。
「で、どうするんだ?」
「そうだな。このままなにもせず退散というのが常法かもしれないが...」
「それがいいな。触らぬ神に祟りなしというやつだ。俺も賛成だ。杏子、あの子を連れて一緒に逃げるぞ」
「お断りだ。あたしはこのままこの女にDIOってやつのところまで案内してもらおうかな」
「正気か杏子?」
「あたしはまだDIOってのをよく知らないからね。一目見ておきたいのさ」
チラリ、と片足の少女を横目で見る。
『今すぐ家に乗り込んで坊やの手足を潰してやりな。アンタ無しでは何もできない身体にしてやりゃ、身も心もあんたのもんだ』
かつて、
美樹さやかに対して挑発で言ったことを思い出す。
目の前の少女が失ったのは、その時の言葉の中のたったひとつ。されど大切なひとつ。
正直、見ていて気分がいいものではなかった。
片足の少女の様子を見るに、DIOという男も取り押さえている女も、自分と同じロクデナシなのだろう。
しかし、どう方針を決めるにせよ、いまの杏子には情報が必要だった。
素直に情報を引き渡すならそれでよし。邪魔をするなら殺すだけ。どう転んでもロクデナシ相手なら後腐れもないだろう。
杏子は、食蜂の両腕を背中で組ませ、破れたカーテンで縛り上げた。
「...別に、こんなことしなくてもDIOさんのところに案内くらいはするんだけど」
「うるせえ。信用できるか」
どん、と背中を押しよろける食蜂に、背後から槍を突きつける。
「妙な真似をしたらぶっ刺すからな」
「...はぁ~い」
とぼとぼと階段を上っていく食蜂と、槍を構えながら後に続く杏子。
「...で、俺たちはどうするんだ?」
「私としては、このままきみを返してもらいたいんだが...なにも言わずにいけばDIOの敵としてみなされるかもしれないからね。一言挨拶しに行くよ」
「楽観的な奴だな」
「そうかな?これから先、いつDIOに狙われながら考えて過ごすよりは合理的ではあると思うがね」
「はぁ...わかったよ。俺もついていく。あんな悪党に付け狙われちゃおちおち睡眠もとれやしない」
ノーベンバーと猫(マオ)も、杏子の後へとついていく。
「なんだ、結局あんたらも来るのか」
「元々は彼のことを知るために来たからね」
「...そいつも連れてくのかよ」
「この場に放置しておくよりはいいだろう。それに、なにか使い道があるかもしれないしね」
「んふふ~ネコちゃんと~おともだち~」
その背に、壊れた少女を背負って。
☆
ピシュン ピシュン
獣はかける。新たな戦場を求めて獣は駆けていく。
獣が望むのは、闘争。血で血を洗う、生存競争。
獣の目的は、全ての者の殺害。
目指すは、自分を散々苦しめてきた異能力の溜まり場。
即ち、能力研究所―――
☆
両腕を背中で縛られながら歩く食蜂。
食蜂の背を槍の柄で押さえながら後に着いていく杏子。
その後ろを、みくを背負いながら歩くノーベンバーと猫(マオ)。
「それにしても、どこもかしこも暗いね、ミサキ」
「あなたも聞いたらしいけど、DIOは吸血鬼だもの。カーテンは全部占めてあるのよ」
(じゃあ、ここらのカーテンを全部開けてやればDIOってのも...)
「余計なことは考えない方がいいよ、キョウコ。下手に刺激すれば厄介なことになりかねない」
「わかってるっての。保護者気取りかてめえ...いいか、あんたと馴れ合うつもりはない。ここの用事が済んだら絶対にブチ殺すからな」
「それは怖いな」
そんな雑談を挟みつつ、四人と一匹は階段を上っていく。
四人が四階へと着いた時だった。
いち早く異変に気が付いたのは、契約者猫(マオ)。
本来なら気が付くはずのなかったソレ。
猫(マオ)は、あくまでも動物の身体を媒介にしているだけだ。しかし、野生動物の身体に組み込まれている危機察知能力はここに来て微かに引き出されていた。
「気をつけろお前達!」
足元からの声に、食蜂、杏子、ノーベンバーは思わずギョッとする。
その瞬間、壁や床、天井をバウンドしながら、しかし凄まじい速さでなにかが駆けあがってくる。
それがなにか。正体を確認するよりも早く、それは三人の間に下り立ち
「がっ...」
杏子と食蜂が、ノーベンバーと背負われたみくが吹きとばされ、それぞれ側の部屋に叩き込まれた。
無事だったのは、危機を察知しても動けなかった猫(マオ)のみ。
「...防がれたか」
下り立ったそれ...後藤は、なんとなしに呟いた。
手応えはあった。が、殺ってはいない。
杏子にもノーベンバーにも、後藤は刃と化した腕を振るっていた。
しかし、両者の命を刈り取るはずのそれは、なにか硬いものに防がれた。
結果、4つの骸ができるはずだった攻撃は、敵を吹き飛ばすだけにとどまった。
「やれやれ...いきなり仕掛けて来るとは、随分なご挨拶じゃないかミサキ」
「悪いが、気絶しちまってるよ。あたしにしかれて頭を打ったらしい」
「ふむ?彼女ごと攻撃されたか。なら、彼は彼女の仲間ではないのかな?」
それぞれの部屋から姿を現す曲がった槍を手にした杏子と帝具グランシャリオに身を包んだノーベンバー。
後藤の予想通りといったところか、杏子は手にしていた槍で、ノーベンバーは咄嗟に発動した帝具グランシャリオで後藤の攻撃を防いでいた。
しかし、後藤はそれを残念とは思わない。
そうでなくては戦い甲斐がない。
「私はジャック・サイモン。きみは?」
「後藤だ」
「では後藤、きみに問いたい。きみは、この殺し合いにどう臨む?」
「決まっている。全ての参加者を殺すだけだ」
「即ち、私たちと組む気すらない。そう捉えてもいいかな?」
「ああ」
頭部を包んだ仮面の下で、ノーベンバーは僅かに冷や汗を流す
(猫ちゃんの警告がなければどうなっていたかわからないな)
グランシャリオを発動できたのは、猫(マオ)の警告あってこそ。
それがなければあのパワーにスピード。最低でも腕の一本や二本は失っていただろう。
それに、どうやら話し合おうと言う気はこれっぽちもないらしい。
「...だ、そうだが。どうするキョウコ?」
「...決まってんじゃん。どの道コイツはやる気マンマンなんだからさ...」
杏子は槍を後藤へと構え、堂々と宣言する。
「殺しちゃうしかないでしょ」
それを涼しい顔で受け流し、後藤は両腕を再び刃へと変える。
狙いはこの女と鎧の男。
「来い。お前たちの戦いを見せてみろ」
☆
先手をうってでたのは杏子。
槍を構え、後藤へと突きつけた。
後藤は跳躍して槍を躱し、天井へと足をつける。こうなってしまえば、天井も地面と同じ。
スタートダッシュを切るときのように、後藤が地面を蹴った。
後藤が杏子へと放つのは体当たり。しかし、ただの体当たりでもその威力は恐ろしい。
寄生生物の身体能力は、常人のそれを遙かに上回る。更に、両手足もパラサイトである後藤は、地面を蹴るのにもっとも適した足型を作ることができるため、他の寄生生物以上に力強く且つ素早くスタートダッシュを切ることができる。
そこから生みだされる加速力は、常人ではとらえられないほどの速さを生む。
そして、物質とは速度が上がればあがるほど衝突時の力は強いものとなる。
その力により、後藤の体当たりは、鉄球をまともに受ける以上の衝撃を生むこととなる。
並みの人間なら為す術も無く地に倒れ伏すことだろう。
「舐めてんじゃねえぞ。こちとらバケモン染みた奴らと戦い続けてきたんだ!」
しかし、杏子は魔女という異形を相手に勝ち残ってきたベテランの魔法少女。
初見ならまだしも、一度見た技を喰らい続けるようでは魔法少女の世界は生き残れない。
そのため、必然と「避けれる」技術が身についていた。
後藤の体当たりを躱した杏子は、反撃を試みようと振り返る。
しかし、これまで杏子が相手取ってきたのは本能のみで人々を襲う魔女。
後藤も本能に従い戦いを求めるが、そこには殺意があり知能があり意思がある。
同じ本能で戦う者だが、その質は比べるべくもなかった。
(はえぇ...!)
振り向いた時には、後藤はもう次の攻撃準備に移っていた。
壁を蹴り、今度は刃と化した腕を突出し再び杏子に肉薄する。
躱しきれずに槍の柄で受けるが、魔力で強化されたはずの両手に痺れが走る。
(つっ...!こりゃ、何度も受けるのは無理だな)
それでも槍を放さず、後藤の方へと振り返る。
が、しかし後藤の姿はない。
まさか逃げた?
(違う!上だ!)
予想通り、後藤は天井へと足をつけ再び杏子へと襲いかかる。
天井、床、壁。四方八方から跳ねまわるピンボールのように繰り出される攻撃を躱し続けることは不可能に近い。
これが、5体のパラサイトをその身に統一できる後藤のみに許された屋内戦闘。
後藤のもっとも得意とする戦法だ。
さしものベテラン魔法少女といえど、次第にその身に切り傷が増えていく。
「いい反応だ。屋内で俺の動きについてこられた人間はお前が初めてだ」
(反撃ができねえ...!)
後藤の言葉通り、反応はかろうじてできる。
しかし、もしここで反撃に出れば、決定的な隙を作ることになる。
後藤相手にその隙は命取りとなる。
杏子がとれる戦法は、後藤の猛攻を防ぎながら機を伺うことだけ。
しかし、こうも速く動かれてはその隙もつけやしない。
せめて美樹さやかのような超回復魔法があれば、一度だけ刺されるのを我慢して反撃に出ることはできるのだが、生憎杏子の魔法は回復に向いていない。どころか、理由はわからないが本来の魔法はもう随分と前から使えなかった。
槍と身体能力だけでしばらく戦ってきた彼女と後藤は、この広くない廊下という舞台では相性が悪すぎた。
そして、ついに均衡は崩される。
「ぐあっ...!」
杏子の右太ももに一筋の線が入り、血が溢れだす。
「切断までは至らなかったが、これで機動力は落ちたな」
「ハッ、調子乗るんじゃねーぞ」
太ももに魔力をかけ、どうにか止血だけは済ませる。
「寄生生物でもないのに傷を塞げるとは。変わった奴もいるものだ」
「あんたに言われちゃお終いだ」
「だが、なんのリスクも負わないわけではないらしいな。だからここぞという時にしか使わない」
(バレたか...)
魔力による身体修復は、魔法少女なら誰でもできることではある。
しかし、杏子は回復魔法は専門ではない。本来の魔法は幻術であるため、どう応用しても回復魔法が得てとなることはない。
そんな魔法少女が回復魔法など使えば、より一層ソウルジェムは濁ってしまう。
グリーフシードが無い以上、魔力は温存しておくに越したことはないが、後藤は温存などして勝てる相手ではない。
魔女や魔法少女などよりも厄介な敵だと認識していた。
(ったく、ついてねえなちくしょう)
杏子はここに来るまでのことを思い出し苛立ちを募らせる。
思えば、ここまでロクな目に遭っていない。
初めに出会ったのは、幽霊のようなものを操る学生服の男。ほとんど手も足も出なかった。
次に会ったのはジャック・サイモンとか名乗る変な男。足を凍らされた挙句、猫まで奪われた。
それからしばらくは一人だった。放送でマミが死んだことを知らされた。
またジャックに会った。今度は連れションみたいな誘いで連れてこられた。猫がDIOとかいうのに盗られてなかったら無視してた。あとイラついた。
仕舞には眼前の化け物。ただでさえ厄介なのにこの狭い場所だと相手の方が有利すぎる。
ジャックと会わなければこんな場所でこの化け物と戦うことなどなかった。よく聞けば、この化け物の声もジャックに似てる。
いまの杏子の苛立ちの半分にジャックが関与していることに気が付くと、更に苛立ちが募った。
(そういや、あの野郎どこいった?)
先程から後藤が攻撃を仕掛けているのは杏子のみ。
簡易的に周囲を確認するが、ノーベンバーの姿は見えない。
どころか、猫(マオ)も見当たらない。
(まさかあいつ、あたしに化け物押し付けて逃げやがったのか?)
この場に姿の見えないノーベンバーと猫(マオ)とみく。
杏子のみに集中する攻撃。
この状況から判断した答えに怒りは頂点にたち、後藤を倒した後に必ずシメると杏子が決意するのと同時。
後藤が、弾けるように杏子へと肉薄する。
この場にいないノーベンバーにわずかに気をそらしてしまったため、反応に遅れる。
迫りくる刃を慌てて槍で防ぐが、ピシリと柄にヒビが入るのを見て杏子の心に焦燥が生じる。
槍は一旦戻せば修復できるが、そんなことをすれば顔面を串刺しにされるのは確実。
とはいえ、このままでは間違いなく槍の限界が訪れる。
どうするべきか。そんなことを考えているうちに、ひび割れは柄全体に広がっていく。
そして、その時は訪れ。
―――バキリ
槍の柄はへし折れ
「え~いっ」
間の抜けた声と共に放たれた白粉で、杏子と後藤の視界は塞がれた。
みくが手にしているのは研究所に備え付けられていた消火器。
しかし、いまの彼女に杏子の手助けをするなどという思考は生まれない。
ならばなぜ消火器を使用したのか。
「にゃあああああああ!おもしろいにゃあああ!」
みくにかけられた暗示は、『五感で感じる全ての物が好ましく自分に都合がよいものと思う』ことである。
食蜂からそれを聞きだしていたノーベンバーは、みくに『この消火器を指示したタイミングで使えば面白いことになる』と告げた。
普段のみくならば首を傾げるような要求。しかし、今の彼女はそれすらも自分に都合がよいものと捉えてしまう。
言い換えれば恐怖を感じず言いなりになる人形のようなものだ。
消火器を持ち、使用するといった手順にかける時間をみくに任せ、ノーベンバーは煙の中を駆けだす。
グランシャリオは、ただの防具ではなく、使用者の身体能力をも高める。
そのため、ノーベンバーは普段より速く動くことができるのだ。
走る勢いを殺さず、跳躍し後藤へ蹴撃を浴びせようとするノーベンバー。
しかし、視界が塞がれているはずの後藤はそれを難なく盾と化した右腕で受け止めた。
人並み外れた感覚を持つ寄生生物の前では、煙幕など足止めの意味を為さなかった。
「煙幕など俺には通用しない。当てが外れたな」
「こんなことだろうと思ったよ。だが、思いがけない物が役に立つのが社会の常さ」
仮面で見えないノーベンバーの顔。
しかし、後藤には彼が笑っているかのように見えた。
ノーベンバーがチャックの開いたデイパックを空中へと放り投げる。
「こなくそっ!」
猫(マオ)が、ノーベンバーの背を踏み台にして天井まで跳躍。そして、宙をまわるデイパックへと勢いよく体当たりをし、中身を押しだす。
圧しだされた逆さの鞄からは当然中身は零れ落ち、その中身は、後藤へと降り注ぐ
その中身は...
「机...!」
机。研究室で使われているそれなりに重量をもった机だ。
杏子が交戦している間、ノーベンバーが部屋で見つけデイパックにねじ込んだものだ。
後藤は、咄嗟にそれを躱し、ノーベンバーへと刃を振るう。
ザシュ
横なぎに振るわれた刃は、ノーベンバーが手にしていたペットボトルをグランシャリオの装甲ごと切り付けた。
ペットボトルは切り裂いたが、グランシャリオを切り裂くことは敵わなかった。
しかし、グランシャリオを解いたノーベンバーは斬られた場所を押さえて膝を着く。
彼はなぜ跪いているのか。
それを考えるより前に、ノーベンバーを殺すために距離を縮めようとする。が、しかし
(動けん...?)
後藤の足元から漂う冷気。
いつの間にか後藤の両足が凍りついていた。
「助かったよ。きみ相手ではこうでもしないと水を撒くことなんてできなかったからね」
冷気の出所は、膝を着いたノーベンバーの指先。
ペットボトルを切ったときに零れ落ちた水を伝っている。
「フェイクか...」
煙幕も、煙に紛れての襲撃も、猫(マオ)を使った不意打ちも。
全ては、ペットボトルを後藤に斬らせ、水を撒くことへの布石だったのだ。
「きみには色々と興味はあるが、私も死にたくはないんでね。終わらせてもらうよ」
懐をまさぐり、ドミネーターに手をかける。
「ここに来てから、お前と同じ氷を使う異能を持った鳥と戦った」
後藤が、唐突に口を開く。
「お前の能力はそいつの下位互換にある。だから」
ドミネーターを構え、照準を合わせる。
後藤の足の氷が弾ける。
ペットショップとの戦闘の時と同じく両脚の氷を内側から破壊したのだ。
『執行モード、デストロイデコンポーザー。対象を完全は』
「お前の氷では俺を止められない」
ドミネーターが変形を終える前に、後藤がノーベンバーの眼前にまで迫る。
『いじょします。ごちゅうい』
―――メキリ
音声を聞き終る前に、ノーベンバーの鳩尾に、後藤の足が減り込む。
「――――ッ!」
肺から空気を絞り出されるような感覚と共に、ノーベンバーはサッカーボールのように吹き飛ばされた。
ノーベンバー11は契約者である。しかし、契約者といえども身体能力は人間と変わらない。
パラサイトの力はその人間よりも遙かに強い。いくら訓練されているとはいえ、並みの人間よりは優れている程度の身体能力では耐えることはできなかった。
床を転がるノーベンバーへと追撃をするべく、後藤は再び駆けようとする。
しかし、背後からの殺気に身を翻し、迫る槍を躱す。
「余所見してんじゃねーぞボケ」
「その槍は先程破壊したはずだが、時間が経てば戻せるのか」
感嘆したかのように述べる後藤だが、杏子を殺すことにはなんの変化もない。
再び槍と刃が交差する音が鳴り響いた。
ノーベンバーがふらりと立ち上がり、能力の対価である喫煙を行う。
「ゲホッ...」
例の如く咳き込むと同時に僅かに吐血する。
「おい、大丈夫か!?」
「私の心配はいらないよ。それより、彼女の相手をしてやってくれ」
駆け寄る猫(マオ)に対して、ノーベンバーが指し示す先には、未だ洗脳の効果により笑顔でいるみく。
「ゴトウは、戦う者から優先したいタイプらしい。少なくとも、いまのその子やミサキには興味がないようだ」
後藤は、部屋に叩き込まれているはずの食蜂の方には向かわず、杏子の相手ばかりしている。
食蜂を狙った隙をつかれるのを警戒しているのか、単に戦闘好きなだけか。
いずれにせよ、杏子と自分が動ける間は標的はこの二人に絞られるだろう。
(参ったな...少し内臓を痛めたかもしれん)
後藤は強い。ノーベンバーは改めてそう認識する。
いまは杏子と戦っているが、おそらく彼女は負けるだろう。
そうなれば、次は自分の番だ。
(どうする...どうすれば奴を倒せる?)
現在の手持ちであらゆる手段を模索するが、どれも通用する気がしない。
やがて、杏子もこちらへと吹き飛ばされてきた。
「くっそ...」
「...どうだいキョウコ。彼には勝てそうかな?」
「負けりゃ死ぬだろ」
「それもそうだ」
自分と比べて、まだ杏子は幾分か余裕があるように見える。
やはりというべきか、身体能力だけでいえば、自分より優れているようだ。
「さて、杏子。ここで質問だ」
「あ?」
「選択肢は三つ。①私を殺す・放置して奴と一人で戦う②可能性の低い助っ人が来るのを待つ。③協力して奴を殺す。きみはどれがいい?」
「......」
杏子は考える。
①ジャックを無視して一人で戦う。
できればこれに○を付けたいが、こんな場所では勝ち星が見えない。後藤がこちらを逃がすつもりもない以上、屋外へと出ることも難しい。
②仲間が来るのを待つ。
仲間、いねえよそんなやつ。ここで会ったのは敵ばかり。
暁美ほむらが辛うじて可能性はあるが、こんな厄介な場面にとびこんでくるような阿呆ではないと思う。
③協力して後藤を殺す。
絶対嫌だ!なにが悲しくて散々コケにしてきた奴と手を組まなきゃいけないんだ!...とはいうものの、殺されるよりはマシだろう。
と、なると、答えなんざ最初から決まってるようなものだ。
「...仕方ねえ。あいつ殺したら、絶対あんたもシバくからな!策はあるんだろうな?」
「あるにはあるが、結構な賭けだ」
「この際なんでもいい。とにかく試すぞ」
「今度は二人がかりか」
「悪いねゴトウ。私も必死なんだ」
「構わん。戦いに工夫が生まれるならそれでいい」
方や、ベテラン魔法少女とMI6最高のエージェント。
方や、最強の寄生生物。
その睨み合いは、常人なら足を震わせてしまうほどに空気を張り詰めさせていた。
訪れる静寂。
―――いくぞ!
誰が言葉として発したわけではない。
しかし、杏子、ノーベンバー11、後藤。
彼らは、眼前の敵を殺すために同時に駆けだした
ここから始まるのが、本当の闘争だ。
「騒がしいな」
そんな空気は、たったひとつの存在に塗り潰された。
最終更新:2015年08月26日 00:44