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激情の赤い焔 ◆BEQBTq4Ltk


激情の元に放たれた焔は人間一人程度の体積ならば簡単に飲み干してしまう。
 真理の扉に触れたロイ・マスタングが操る錬金術は掌を合わせることにより、術式を省き、術を完成させることが出来るのだ。
 ある程度の術式や錬成陣を省くことにより、こと戦闘に置いては、予備動作を抑えることから有利に振る舞うことが可能となる。

 掌を合わせ、指を弾くだけで焔を錬成出来るため、人間の身でありながら戦闘能力は生身の一個兵隊と肩を並べるだろう。

 しかし。

 焔の錬金術師が対峙している相手もまた、人智を超えた怪物である。
 錬金術師ではないものの、人体は生身でありながら一つの世界にて実質の最強を誇る氷の女王。
 エスデス。そう呼ばれる女は帝具によって氷を自由自在に操り、予備動作など存在しない。

 マスタングが放った焔に対し、氷をぶつけることで相殺させると大地を蹴り、距離を詰める。
「もっと楽しませろロイ・マスタング……まだ始まったばかりではないか!」
 エスデスが右手を薙ぎ払うとそれに伴い氷が生成され、マスタングに飛翔していく。
 一発一発が拳銃の弾丸に勝り、弾倉が無限でもある。彼女もまた生身でありながら一個兵隊と肩を並べる怪物だ。

「楽しむだと? 何を言っている」
 マスタングの足元が隆起すると、氷の弾丸から彼を守る土の壁が現れ、全てを粉砕。
 パラパラと落ちる氷を見つめるエスデスの表情は――笑っていた。

「私はお前を楽しませるつもりなど――無いッ!」
「だが私は楽しんでいるぞ……勝手に楽しませてもらおうか」

 弾かれた指。
 その音は焔の合図であり、土の壁ごと焼き尽くすように広範囲の火炎がエスデスを包み込む。
 中心に立つ彼女は氷で己を覆うと身体に迫る熱を全て遮断し、何事もないようにまた、距離を詰めた。
 マスタングまで残り五メートルと云ったところで、氷の槍を生成し投擲。更に己の距離を詰める。

 氷の槍に対しマスタングは身体を捻ることで回避し、それを掴み錬成を行う。
 青い閃光に包まれた氷槍は小ぶりながら無数の氷塊と変化し、彼は両掌にありったけ握り込み。

「戦闘に快楽を覚える奴に碌な人間はいない――貴様もだエスデス」

 一斉にばら撒く。
 勢い付けているエスデスは急停止を試みるも、簡単には止まれずに大地を削る。
 両腕を交差し迫る氷塊を防ぐも、血が流れ大したダメージではないが傷を帯びた。

「上だ」

 彼女の発した言葉に導かれるまま頭上を見上げたマスタングの視界には人間三人程度の大きさを誇る氷塊。
 予備動作無しの能力は厄介だ。などと愚痴を零す暇も無く、焔を錬成し、熱よって蒸発させる。

「次は左だ」
「何度でも焼き尽くす」

 またも迫る氷塊に向け焔を放つ。
 上空から注ぐ水滴を拭いながら左側も消滅させ、安心――という訳にもいかない。


 視界をエスデスに向けた所で、眼前には笑顔を浮かべる悪魔の姿があった。
「――ッ」
 氷塊の相手をしていた隙に距離を詰められていたらしく、彼女は拳を振り上げていた。
 錬金術も間に合わ無ければ、素手で防ぐことも難しい。つまり、攻撃を受けるしかない。

 顎を撃ち抜かれたマスタングはたたらを踏むことになるが、意識は保っており、掌を合わせる。
 指を弾くことによって己の目の前に焔を発生させ、追撃を防ごうとするもエスデスは上から降って来た。

 氷を己の足場とし、上空から跳んで来た彼女は掌をマスタングに向けると氷槍を飛ばす。
 焔の錬金術師は横に跳ぶことで回避し、お返しと謂わんばかりに焔を飛ばすも氷によって防がれてしまう。

 両者が大地に着地したところで、エスデスが言葉を漏らす。

「火力は大したものだ……今まで出会った人間の中でもかなりの存在だ」
「そのようなことを言われても何も響かん。貴様とお喋りをするつもりは無いぞ」
「氷塊の対処から見て、戦況判断処理能力も悪く無い……だが、感情のままに戦うことは悪く無い。
 しかしマスタング、足元がお留守ではないか?」
「な――ッ!」

 自分周辺の足場が凍らされていることに気付くも、既に遅かった。
 マスタングの足も徐々に冷凍されており、このままは身動き一つ取ることも出来ない。
 即座に焔を限界まで弱め錬成し、己の足場に焚き付け解凍を始める。
「芸達者な奴だ。殺すには惜しいが……相容れることは無いだろうな」
 エスデスは口上を待つような人間では無く、隙を見せればお構い無しに突く女である。
 足場が凍っているマスタングを見逃すような甘いことはせずに、殺さんと距離を詰めるも――左足が爆ぜた。

「言い忘れていたがピンポイントでも可能なのだよ、私の能力は」
「面白い……この会場に居る人間はどいつもこいつも私を楽しませてくれる!」

 今まで対処して来た大振りな焔では無く、人体の部分箇所を焼くための焔。
 拷問にでも使えそうな、人体の特定箇所を削ぎ落とすように放たれた焔はエスデスの左足を焼いた。
 その衝撃に体勢を崩し前のめりで倒れこむ彼女だが、即座に立ち上がりマスタングに視線を戻す。

 彼は氷から開放されており、今度は此処ら一帯を焼き尽くすような焔を錬成していた。
 一種の美しさすら感じられる悪魔の炎に、エスデスの心は惹かれていた。


「全てを焼き尽くして見せよ」


 一帯を焼き尽くす焔が相手ならば、一帯を覆う氷で相手するのが礼儀であろう。
 草地はその緑を失い、生命の息吹を感じさせない程度には凍っていく。


 焔が弾かれてからその炎を走らせるまでに、氷の女王が放った冷気は周囲を氷河の大地へ昇華させる。
 生物は何一つ生きていないような歴史を感じさせるこの地を、焔の錬金術師が全て焼き尽くす。

 幾度なく蒸発し、視界は煙によって何も映らない。
 一度に多くのエネルギーが衝突した故に、爆発が周囲を飲み込んでしまう。
 煙に加え、爆炎と砂塵も相まり誰が立っているかも解らない。だが、どちらも立っていよう。

 彼らがこんなことで倒れるなど予想もつかず、現に戦闘音は鳴り止まない。

 マスタングは適当に氷塊を掴み上げると、周囲にばら撒き耳を澄ませた。
 草地を焼き尽くしたこの状況で氷塊が響く音は衝突音。そして、周囲には何も無い。

「そこか」

 故に対象はエスデスぐらいだろう。
 音の場所に焔を走らせ――氷が消える音だけが耳に残る。

「しまっ――」

「貴様が今焼いたのは私の氷だ」

 後ろを取られた。
 マスタングの背後に回ったエスデスは再度、彼の身体を凍らせる。
 足が凍り――次は腕を覆う。先程のように焼かれては厄介故に焔の始点である腕を潰す。


「貴様……ッ」
「さぁ、これでお前の打つ手は無くなった。
 私に与えた傷は氷塊と先程の爆発……実に充実した時間だった」


 優位に立ったエスデスは望まれていない感想を呟くと氷槍を精製し握り込む。
 マスタングは視界に映ったそれに対し、汗を浮かべるも対処する手立ては無い。

「此処で終わる……か。私はこれまでなのか」

「そう落胆することも無い。お前は今まで戦った人間の中でも……先程言ったとおりだ。
 その殲滅力は随一だったよ。お前の名を私の中に刻んでおくぞ」

「全く嬉しくないな。貴様に刻まれるぐらいならばいっそ此処で殺せ」

「言われなくとも殺すさ」


 マスタングに走る激痛。
 背中から伝わる熱を帯びた痛みと、身体の芯まで凍ってしまいそうな冷気。
 エスデスの操る氷槍が背中に突き刺さり、生命の象徴である鮮血が滲み出ていた。


 腕が凍らされており、頼みの錬金術は使えない。
 大地に腕を擦り付け、氷をある程度削ぎ落とせば、意地にでも扱えるだろうが、エスデスは許してくれないだろう。
 目の前で不審な動きを見せれば殺される。その事実は覆しようのないものだ。


 瞼が重くなる。
 思えば殺し合いに巻き込まれてから数時間だが、身体への負担は濃い。
 エンヴィーの襲来に始まり、エスデスとの死闘。疲労も限界に近いだろう。
 後藤との戦い後に行った人体錬成。その後に休む間もなくキング・ブラッドレイの襲撃もだ。


 此処まで戦ったロイ・マスタングを責める人間はいないだろう。
 不器用ながらも彼は、殺し合いを止めるべく己の身体を酷使した。
 結果が伴うことが無くても、彼は戦った。
 彼が居なければ生存者は現在よりも少なくなっていただろう。


 しかし誰も彼を讃えない。
 辛いのは参加者の共通事項であり、マスタング一人に功績が与えられる訳でも無い。
 今、彼の近くに居るのは冷徹な氷の女王ただ一人。
 死際に優しい言葉を掛ける――人間ではあるが、敵に情けは掛けないだろう。


 現に氷槍でマスタングの背中を貫いてから、彼女は何処かに消えた。


 残されたマスタングの視界には焼け果てた野原が、寂しく写り込んでいた。

最終更新:2016年03月17日 21:43