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足立刑事の自白録-二度殺された少女たち- ◆dKv6nbYMB.
放送は終わりを告げる。
(とんだ茶番だな)
ヒースクリフと
エンブリヲ。
放送を聞いた二人の科学者は素直にそう思った。
広川が新たに示した新ルール。
彼曰く、レクリエーションのようなものらしいが、そんなことはどうでもいい。
(この期に及んで実質願いを二つに増やす。どう考えても、現状ではゲームの進行が憚られつつあるということを表しているのに他ならない)
(それに、本来の力が戻れば五人どころか何人でも蘇生が出来る私にはなんのメリットもない。いや、私だけではない。ゲームに乗った大半の人間にメリットが無いだろう)
言葉には出していないが、二人の結論は一致している。
『この放送で語られた特典は広川若しくは主催側の苦肉の策である』
裏を返せば、この現状は殺し合いが停滞する可能性を大きく孕んでいるということだ。
例えば、殺し合いに乗った者が極端に減っている場合。
例えば、既に何者かが脱出の手がかりを手に入れている場合。
現状がどれに当てはまるかはわからない。が、それさえわかっていれば、こんな特典を気にする必要などない。
10人に達さずともリスクが無いとなれば尚更だ。
守るべきものが無い二人は、これまで通り着々と脱出の準備を整えるだけだ。
しかし。
『厄介なのは、その苦肉の策が彼らには大きく影響を与えるかもしれない点だ』
その危惧も、これまた一致していた。
黒。
別れる前、彼はひどく憔悴していた。
戸塚との約束を破り、イリヤに銀を殺され、そのイリヤも死んだ。
全てを目の当たりにしていた黒の生気を失ったその目は、世捨て人のそれになりつつあった。
そして、奇しくも、黒が求めるであろう人数も五人。
仲間である銀、約束を護れなかった戸塚、そして、手遅れになったイリヤとその仲間たち、クロエと美遊。
もしも、彼の牙が完全に折れていれば、罪滅ぼしとして彼らを生き返らせようとしてもなんらおかしくはない。
―――ここから先は、エンブリヲのみの危惧である。
鳴上悠。
彼についてはエンブリヲだけは知っているのだが、悠が喪った仲間は三人。
天城雪子、
里中千枝、クマ。それに加え、共に行動していたであろう
タツミとさやか。
やはりこれも生き返らせることのできる範疇だ。
己の無力さを嘆き、逆上して殺し合いに乗る可能性も―――なくはない、といったところだろうか。
高坂穂乃果。
彼女の仲間は五人。
南ことり、
園田海未、星空凛、
西木野真姫、
小泉花陽。
最後の仲間であった花陽の死を目前にしてしまったことは、かなりのダメージだったのだろう。
初春と共にいた時までは感じられた意志の強さは影を潜め、悲しみにくれ疲弊しきったただ一人のか弱い少女にしか見えなくなってしまった。
あの様子では、ロクに放送を聞けたかも怪しいが―――広川の言葉を信じてしまう可能性は、この中では一番高いだろう。
島村卯月と
本田未央に関しては保留しておく。
彼女のことは未央の主観でしか知らないが、見た限りでは互いに支えあっているせいか、ショックも他の面子よりも少ないように見える。
あの放送を信じて殺し合いに乗る可能性は、一番少ないだろう―――どちらかが死ぬまではだが。
これらのリスクを踏まえ、どうしようかと悩む科学者二人。
最初に口を開いたのは、ヒースクリフだった。
「さて、放送も終わったことだ。ひとまず音ノ木阪学院へ向かうとしよう。なに、目的地はすぐそこだ。腰を据えるのは着いてからでも遅くはない」
側に落ちていたデイバックと、疲れ果てている鳴上を背負い先陣をきって歩き出す彼に、卯月と未央、膝を抱えて座り込んでいた穂乃果までもゆっくりと立ち上がる。
みなが疲弊しきっているからこそ、目的地を明確にし、余計な慰めの言葉をかけず進みだすことで皆の悲しみを紛らわす。
その慣れた様から、普段から集団の頭に立つ男なのだろうかと、エンブリヲはなんとなく思った。
一行は、鬱々とした空気(エンブリヲとヒースクリフは意にも介していないが)で、一言も発さず学院へとその歩を進める。
「......」
彼は、ずっと卯月と未央を護ってくれた。
どれだけ傷ついても、その最期まで未央と卯月を助けてくれた。『生きろ』と言ってくれた。
そんな彼の死に、涙は流れるが、いつまでも動かないままではいられない。
彼の託してくれたこの命、決して無駄にするわけにはいかないから。
そして。
(狡噛さん...)
図書館で皆を護るために戦い、別れ際まで未央の身を案じてくれた男。
彼にも助けてもらってばかりだった。一緒にいた
タスクは無事なのだろうか。
気になることも、言いたかった言葉も山ほどあるが、それももはや叶わぬ夢だ。
「......」
俯き歩きながら、穂乃果は思う。
放送で呼ばれた多くの者たちのことを。
ロイ・マスタング...
エンヴィーに嵌められ、彼の無念の感情にも後悔の念にも目を向けず、必要以上に糾弾し、傷つけてしまった。
助けてもらったのに、ロクにお礼も謝ることもできなかった。
狡噛慎也。黒子と共に逃げていた時、刑事として助けてくれた。殺し合いに乗ってしまったことりのことも、ただ糾弾するのではなく、"悪じゃない"と断言してくれた。別れてからも、穂乃果の頼み通りに花陽たちを守ってくれていたらしい。
だというのに、もう一度会うことはできなかった。お礼を言うことができなかった。
槙島聖護。彼の話す言葉は少し難しく、黒子が警戒するほどの危険人物だった。けれど、彼の言葉を聞いて、強くならなくてはいけないと思うことができた。
心のどこかで、もう一度会いたいと思っていたかもしれないけれど、それはもはや叶わぬ夢だ。
初春飾利。真姫の力になり、エンブリヲと残ると言った穂乃果に付き合ってもくれた。
そして、最後まで穂乃果の身を案じてくれた本当に優しい人。
ヒルダ。言葉づかいこそは乱暴だったけれど、花陽を護り、穂乃果が単身エンブリヲのもとに向かう時は付き添ってくれた心優しい人。
どこか頼りがいのあるお姉さん―――そんな風に思っていたかもしれない。
銀。彼女については、黒の大切な人としか知らない。けれど、胸を貫かれても尚、みんなを守るために戦ってくれた。支えてくれた。
せっかく黒と再会できたのに...その命は、儚く消えてしまった。
そして。
(花陽ちゃん...)
この場に連れてこられた、μ'sの最後の仲間。
彼女が最初の学園ライブに来てくれたから、いまのμ'sがあった。
少し弱気なところもあったけれど、アイドルにかける情熱は誰にもひけをとらなくて。
いつも、いつも熱心だった。
(もう...いやだよ...!)
穂乃果が直接知っている人間は、この場にいる者たちと黒を除けば、
ウェイブと黒子のみ。
強くなると決めた決意も最早崩れ去る寸前だ。
いまの彼女にできることは、多くを失った悲しみに暮れることだけだった。
「......」
背負われたままの鳴上は思う。
放送で呼ばれた彼ら、
美樹さやかとタツミのことを。
『お前の目をきっと覚まさせて見せる!晴れない霧なんかないんだ!』
救いたかった。
一人で全てを抱え込み、己を壊してしまった彼女を。
里中が命を賭けて遺した彼女を。
タツミだってそうだ。
あの時は、激情に駆られて一方的に非難するようなことを言ってしまった。
だが、それでも。
彼は鳴上を救おうとしてくれた。力になろうとしてくれた。
それもまた紛れもない事実だ。
二人の
すれ違いを、過ちをやり直すことはできたはずだ。
"仲直り"
その単純で何よりも困難なものも掴めたはずだ。
なのに自分は。
(さやか...タツミ...すまない...!)
...なにもできなかった。
二人がどうして死んだのかすら知らない。
二人が苦しんでいる時も、自分はのうのうと鞄の中で眠っていたのだ。
そして、銀。
さやかの時も、イリヤの時も。
鳴上を、里中を支えてくれた少女の死を、ただ見送ることしかできなかった。
『弱くなんかない。絆は強さの証なんだよ。鳴上くんは空っぽなんかじゃない』
そう言ってくれた仲間の言葉も、いまの彼には空しいだけ。
クマが死に。
雪子が死に
千枝が死に。
真実を問いただすべき男が死に。
さやかが死に。
タツミが死に。
銀が死に。
イリヤが死んだ。
失って、失って、失い続けて。
彼になにが掴めたか。
なにもない。
あるのは、絆を力にする少年の不様な負け犬姿だけだ。
(俺はもう、何も失いたくない...!)
涙で頬を濡らし、その一方で拳を握り絞めて誓う。
やり直す選択肢は選ばない。
散っていった者たちとの絆を信じる限り、その選択肢はありえない。
けれど。
もうこんな悲しみを味わいたくない。誰にもこんな悲しみを味わせたくない。
もう、これ以上なにも失くさない。失くしてたまるものか。
ここにいる未央達や穂乃果、ヒースクリフ。
ここにはいない黒やタスク。
そして
(無事でいてくれ、足立さん...!)
足立透。元の世界から連れてこられた最後の一人。
タツミとの情報交換で、足立が稲羽市で起きた連続殺人事件の犯人である可能性は出ている。
だが、それでも。
その勝手な憶測で彼を見殺しになどしたくはない。
もし彼が死ねば、自分の父同然の堂島遼太郎は部下の死に間違いなく悲しむし、彼の娘の奈々子だってそうかもしれない。
二人の悲しむ顔など、決して見たくはない。勿論、彼の死で悲しむのは悠自身にも当てはまっている。
仮に足立が殺人事件の真犯人だったとしても―――ここで斬り捨てるようなことはしたくない。
こんな殺し合いの中ではなく、元の世界でしっかりと罪を償ってほしい。
陰鬱とした空気でただ黙々と歩いて行くと、やがて、荒れ果てた穂乃果の学校、音ノ木坂学院に辿りついた。
彼らが真っ先に執りかかったのは、死者の埋葬だった。
「...美遊ちゃんたちのお墓はあそこです」
穂乃果が示した付近に、イリヤの、花陽の遺体を並べる。
(...花陽ちゃん)
穂乃果の脳裏には、彼女の最期がいまでも目に焼き付いている。
片腕を斬られ、幾多もの剣でズタズタにされて、それでも尚最後まで他者を想い続けた彼女の最期が。
その隣に並べられる、殺した張本人であるイリヤ。
花陽や銀を殺したことは、決して許せることではない。
けれど、彼女の傷つきすぎた身体を見ていれば、怒りよりも憐みの感情が湧いてくる。
まだ幼い身でありながら、これほどまでに傷ついて、手を汚して、死にもの狂いであがいて、それでも掴みたかったものがあった。
その執念を、ひたむきさの全てを否定することはできない。
少なくとも、妙な思い込みで笑いながら人を殺すよりは、だいぶマシだ。
「鳴上くん、きみは消耗しきっているから...」
「...いや、大丈夫だ」
墓を作るには穴を掘る必要がある。
その役割を一身に受けようとしたヒースクリフの気遣いをやんわりと断り、ペルソナを発動。
現れたイザナギは、先住者をこれ以上傷付けぬよう、剣ではなく手で土を掘っていく。
次いで、鳴上、穂乃果もまた美遊の眠る墓を手で掘っていく。
卯月もそれに続こうとするが、穂乃果は睨みつけて卯月と未央の二人を牽制する。
その様子に、事情を知らない悠とヒースクリフはなにかあったのかと疑問に思うが、いまはそれを聞きだせる雰囲気ではない。
特に、いまの悠にそこまでの精神的余裕はない。
いまはすぐにでもイリヤと花陽を埋葬してやりたい。
その想いでいっぱいだった。
墓穴を掘る時間はさほどかからず、美遊の遺体はすぐにその姿を現した。
次いで、海未の墓の付近にも花陽のぶんの穴を掘る。
「...さて。イリヤたちを埋葬する前にだが」
「首輪の回収だろう?私がやろう」
我先にとでもいいたげに名をあげ遺体に歩み寄るエンブリヲだが、悠が割って入ることでそれを拒否する。
「...なぜ私では駄目なんだい?」
「...お前は信用できない」
「ずいぶん嫌われてしまったようだね。...まあ、きみには酷いことをしてしまったと自覚している。そのきみにそこまで言われれば仕方ないか」
あっさりと身を引いたエンブリヲに、悠は思わず拍子抜けしてしまう。
多少の口論、果てはあの感度50倍を受けることも覚悟していたが...
(イリヤの身体と首輪は確かに気になる。...が、無理に調べようとして信頼を損なうのは避けたい)
エンブリヲは、首輪を回収するついでにイリヤの身体に眠る『何か』を調べたかった。
だが、いまそれを行使すべきではない。信頼を失えば、せっかく手に入れた悠の『イザナギ』共々手放すことになりかねない。
それに、首輪はともかく身体の方は隙を見て墓を暴けばいい。焦って手に入れる必要はないのだ。
故に彼は普段からは考えられないほどあっさりと引き下がったのだ。
だが。
「...では、私が首輪の回収及び解析をする、ということで構わないかな?」
「きみは機械に詳しいのか?」
「キリトくんのお墨付き、とだけは言っておくよ」
ヒースクリフの言葉に、エンブリヲは内心驚愕と共に舌打ちをする。
キリト。
以前の自分の持ち駒であり、電脳化された身体を持つ少年だ。
まさかいまになって彼の名を聞くとは思わなかったが、そんなことはどうでもいい。
彼が技術者であるということは、今までただ一人の技術者であったエンブリヲの首輪の独占権が失われたということ。
即ちそれは、エンブリヲの手にイリヤの首輪が渡らないかもしれないということだ。
「それは心強いな。私も機械にはそれなりに詳しくてね。まあ、わからないことがあれば互いに協力し合おうじゃないか。このゲームを脱出するためにね」
「勿論さ。仲間を見捨てることはできないからね」
互いに腹の内を隠していることはわかっている。
しかし、表向きだけでも友好的に。
微笑みを交わし合いながら、いつ切られるともしれない握手を交わす。
「では、回収しようか」
言うが早いか、ヒースクリフの剣がイリヤの首元に宛がわれる。
(...首)
このまま剣を振り下ろせば、容易く首輪を回収できるだろう。
(くびを、斬って...)
『あっ...私としたことが、民の方に見苦しい工程を見せてしまいましたね』
セリューさんみたいに
『ここを繋ぎ合わせれば……うーん裁縫よりも難しいです』
わたしみたいに
死んじゃった人の、首を。
己の犯した『罪』のノイズが卯月の脳裏を支配する。
たちまちに罪悪感が、己への嫌悪感が、言い表せない負の感情が湧き上がり、そして。
「どうしたのかな?」
呼びかけられる声に、ハッと我に返る。
「あ、あの...わたし...?」
気が付けば、自分の首に爪を立てかけていた。
掻き毟ろうとしていたのか―――なぜかは、自分でもわからない。
「...まあ、確かに見ていて気分がいいものではないかもしれない。きみは目でも瞑って―――」
「あ、あの」
「大丈夫です」
卯月の代わりに、ヒースクリフをしっかりと見据えて答えたのは未央。
卯月の手を、そっと握り絞め、耳元で囁く。
「大丈夫。私が隣にいるから」
卯月のトラウマは未だ消えていない。
ならば、それに耐えられるまで支える。
そのために、命を賭けて託してくれた人もいる。
なにより、卯月は大切な仲間だ。
だから、未央は卯月を見捨てない。
卯月は、握られた手を握り返し、意志を強く保つ。
(...大丈夫)
支えてくれる人がいれば、自分の弱さとも、犯した罪とも向き合える。
自分を護るためじゃなくて、誰かを護るために戦える。
イリヤに宛がわれた剣が振り下ろされても、今度はノイズは走らなかった。
その傍らで。
穂乃果の濁った眼が、一瞬だけ彼女たちを見つめていたことには―――この場の誰もが気が付かなかった。
滞りなく首輪を回収し、ヒースクリフはルビーの残骸と『アーチャー』のカードを、美遊の傍に並べられたイリヤの遺体に供える。
「待ってください」
イリヤたちの遺体に土を被せようとしたヒースクリフを、穂乃果は呼び止めた。
「その、初春さんの埋葬もしたいんですけど...」
「初春?そういえば、名前が呼ばれていたが」
「はい。...私を庇って、エンヴィーに...」
穂乃果の沈んでいた表情が、更に陰を帯びる。
もしも初春がいなければ、いまごろ...
「その初春はどこに?」
「教室の中です。...私が運びます」
「わ、わたしも手伝います」
名乗りをあげた卯月の声に、穂乃果の足が止まる。
卯月がとっさに名乗り出たのは純粋な善意だ。穂乃果への償いの気持ちも多分に含んでいる。
それは穂乃果もわかっている。
なのに。
「...初春さんも殺そうとしたくせに」
「ッ...!」
未だ、彼女に対する怒りや憎しみは消えていない。
そのせいで、どうしても彼女に強く当たってしまう。
「あなたなんかに、初春さんは触れさせない」
「高坂!なにを言ってるんだ!」
穂乃果の言いぐさに悠は激昂しかける。
穂乃果と卯月の間になにがあったかはわからない。
しかし、彼女の暴言は許し難いものがある。
なにより、卯月もまた身体を張って戦った仲間だ。
そんな仲間を傷付けるような言動、彼が許せるはずもなかった。
そんな彼を諌めるのは、意外にもエンブリヲだった。
「悠。これには事情があるんだ。穂乃果を責めないでやってくれ」
「事情?」
「初春の遺体を運ぶのは私が手伝おう。彼女にはそれなりに協力もしてもらったしね」
「......」
穂乃果は、エンブリヲを一瞥すると、視線を学院へと戻し歩みを進めていく。
好きにすればいい、とエンブリヲは受け取った。
「では、私は」
「ヒースクリフ、きみもおいでよ。二人だと人手が足りないかもしれない」
黒を迎えに行く、と繋げようとした言葉はエンブリヲに遮られてしまう。
「私たちが離れた隙に、この学院の中に誰かが潜入しているかもしれない。もしゲームに乗った者がいれば、私だけでは心許ないからね」
ヒースクリフは湧いてきた苦い思いを内心で留める。
『放送後に闘技場の首輪交換所へ』というUB001から伝えられたメッセージ。
黒と合流する前に立ち寄るつもりだったが、先手を打たれてしまった。
もしここで断ればそれだけで疑念の眼差しを向けられることになる。
この場を離れるなどと言い出せば尚更だ。
「わかった。悠、きみは周囲の見張りついでに未央と卯月を守っていてくれ」
悠も、ヒースクリフの言葉に頷く。
穂乃果が卯月を敵視している以上、同行させるわけにはいかない。
かといって、卯月たちを置いて学院へと入る訳にもいかない。
それに、事情を聞き出すのなら、ある程度人数が別れていたほうがいい。
敵対している者同士を同じ場所に居合わせれば、諍いが起きやすいからだ。
こうして、学院内には初春の遺体を回収するために、穂乃果・エンブリヲ・ヒースクリフの三人が。
学院付近には悠・卯月・未央も三人が一時的に残される形になった。
☆
カツン、カツンと廊下を叩く靴の音が空しく響く。
「......」
巨大化したエンヴィーの暴れた痕は、学院中に広がっていた。
南ことり
園田海未
幼馴染であり、親友である彼女達と
西木野真姫。
小泉花陽。
星空凛
愛すべき後輩たちと。
彼女たちと共に過ごしてきたあの学び舎は、彼女たちの喪失を表すかのように荒れ果てていた。
お前の居場所はもう戻らない。
あの頃へ戻ることはできない。
そう、言外に訴えかけていた。
「...ッ」
泣きそうになるのを、唇を噛んで堪える。
泣いちゃ駄目だ。
止まっちゃだめだ。
私はまだ生きているから。
でなければ、散っていったみんなに申し訳が立たない。
再び、コツコツと響く音だけが廊下を木霊する。
「さっきのはらしくなかったね、穂乃果」
不意のエンブリヲの問いかけに、穂乃果の足はピタリと止まり、つられてエンブリヲたちの足も止まる。
「きみが卯月を憎むのは無理もない。だが...」
「わかってるの」
今まで通りの、エンブリヲに警戒を抱いた敬語ではなく。
ありのままの高坂穂乃果として言葉を紡ぐ。
「みんな一生懸命生きてる。過ちだって、みんな犯してる。だから、いまは我慢しなくちゃいけないんだって」
言葉ではどうとでも言える。
頭の中ではなにが正しいかもわかっている。
「でも...どうしても、抑えきれない。いまなら
サリアの気持ちが少し解るの」
親友であり幼馴染の海未を殺したサリア。
彼女の嫉妬は、酷く自分勝手で一方的なものだった。
そんなもので人を殺せる気持ちなど理解したくも無かった。けれど...
「私は、あの子が憎い...!どうして私から奪ったあの子はあんなにもピンピンしてて、支えてくれる人がいるの?どうして私の周りからはみんないなくなっちゃうの?」
いまになってわかってしまう。
サリアは
アンジュが憎かった。自分から色んなものを持って行ってしまう癖に、自分が持っていない多くのものを手に入れるアンジュが。
穂乃果もそうだ。
穂乃果は、セリューに、卯月に大切な人たちを奪われた。事故や謀略などではなく、自らの殺意でだ。なのに、卯月は自分にないものを持っている。なのに、穂乃果はずっと失っていく。
その事実を容易に認めることなどできるはずも無かった。
「最低だよ...私...」
わかっている。卯月が反省し、償いもしようとしていることくらい。
殺された真姫も、穂乃果が卯月を憎み続けることを望んでいないことくらい。
それでも、いまは駄目だ。
どうしても彼女を否定する気持ちが溢れだしてしまう。
そんな自分が、どうしようもなく汚く見えてしまっていた。
数秒の沈黙が一同を包み、エンブリヲが口を開いた。
「確かに、いまのきみは美しくないな」
俯き背を向けたままの穂乃果に、ピシャリと言い放つ。
「優れた者、自分より恵まれた者を疎む気持ち...嫉妬、というべきだね。それは手放しで褒められることじゃない」
まるで、親が子を叱るように。教師が道徳の授業で語るように。
エンブリヲは厳しさを含んだ声で言い聞かせた。
「だが、きみは決して愚者ではない」
途端に、優しい声音に変わる。
まるで、一通りの説教を終えた学園ドラマの教師のように。
罪を許し、優しく受け止めるかのように。
「私はいままで大勢の愚者を見てきた。種類は様々だったが、共通して言えるのは『誰もかれも自分が醜いことに気が付いていない』ということだった」
「きみは違う。自分の感情を露わにしても、それを正しいことだと決めつけない。いまの自分が美しくないと自覚している」
「その欠点を認め、克服しようとするのはとても素敵なことだと思うよ」
エンブリヲの言葉に、穂乃果は身体を震わせる。
エンブリヲは危険な男だ。
言葉巧みに心に付け込み人心を操る男だ。
わかっている。わかっているのに。
「初春が待っている。泣くのはそれからだ」
「はいッ...!」
優しく頭に置かれる手が、糾弾するだけではなく優しく受け入れてくれる彼の言葉が、いまの穂乃果にはどうしようもなく心地よかった。
(彼女の切り捨て時も考えなくてはいけないかな)
だが、そんな彼女とは対照的に、優しい言葉をかけるエンブリヲの思考は、実に冷え切っていた。
もともと、穂乃果を生かしておいたのは、ロックの解除と他参加者との交渉役にするためだ。
だが、ロックの解除が全て歌に関連すると考えるのは早計である上に、もしかしたら最後の一つは全く関係の無いというオチですらあるかもしれない。
参加者との交渉も、運に恵まれず出番が巡ってくるこなかったし、その交渉役もいまの不安定な穂乃果には難しい。
いまはまだ特典を狙う訳でもなく、己を顧みることが出来ているため様子見だが、場合によっては始末してしまう方がいいかもしれない。
やがて、三人が初春の遺体が放置されている部屋に辿りついた時だった
―――ガタン。
物音がした。
机を動かしたような、人がいることを示す物音が。
穂乃果の身体に緊張が奔る。
残る参加者は自分を除いて20人。
その内、先程まで共に行動していた5人と、カジノへ行ったはずの黒を除けば14人。
その中で、自分が直接知る味方は黒子とウェイブのみ。
彼らのどちらかであればいい―――が、もしも危険人物であれば...
そんな穂乃果の危惧を察したかのように、ヒースクリフが先頭に立つ。
話し合わずとも、防具を身にまとうヒースクリフが先頭に立つのは当然であり自然なことだ。
いつ襲撃が来てもいいように盾を構えながらじりじりと教室への距離を詰めていく。
そのまま扉の前に立つが、反応はなにもない。
ドアに手をかけつつ、ヒースクリフは背後の穂乃果とエンブリヲへと目配せをし、頷き合うことで意思疎通をする。
バァン、と勢いよくドアを開けると共にデバイスのライトで部屋中を照らす。
「うわっ、まぶしっ!」
そのライトに当てられ、ヒースクリフの聞き覚えのある声が響く。
声のもとへ焦点を合わせると、一人の影が浮かび上がる。
「や、やあ...久しぶり」
そこにいたのは、苦笑いを浮かべる足立透だった。
☆
穂乃果たちが音ノ木坂学院へ辿りつく前のこと。
(へーえ、随分と死んだねぇ)
首輪交換所から南下してきた足立は、14人の脱落者に素直にそんな感想を抱いた。
中でも印象深かったのは、DIO、槙島聖護、
エスデス、エンヴィーの四人だ。
DIO。吸血鬼でスタンド使いのチート野郎。
結局出逢うことはなかったが、死んでくれてなによりだ。
槙島聖護。突然現れ、雪乃への憂さ晴らしを邪魔された挙句相当な赤っ恥をかかされた。
できればこの手で殺したかったが、心の隙間に忍び込んでくるようなあの気に入らない話し方をもう一度聞くよりはマシだったかもしれない。
エスデス。魏から聞いていたが、死亡が確定されるとやはりほっとしてしまう。
魏の話通り、奈落に落ちて死んだか、それとも生きててまた暴れて死んだのか。
まあ、いまとなってはどうでもいい。
エンヴィー。クソみたいな言いがかりをつけて殺しにかかってきた変幻自在のモンスター。
あんなもんどうやって殺すんだよと思ったが、まあ再び会う事もなくてよかったよかったという奴だ。
これで残りは21人。全参加者の3分の一を切っている。
これならゲーム自体の終了もそう遠くはないだろう。
だが、新たに追加された「5人の蘇生」については舌打ちをせずにはいられなかった。
(広川の奴、ゲームを進めたいならもっとマシな提案をしろってんだよ)
ゲームに乗っている参加者を数えると、自分の知る限りでは後藤、
キング・ブラッドレイ、
魏志軍、そして自分のみ。
4人で、しかも魏以外は協力の宛てがないとなれば不安を抱くのも仕方ないのかもしれない。
5人の蘇生は、それを解消するために仲間割れを狙ったレクリエーションなのだろう。
リスクもないというのも、まあ悪くない。失敗すればそれまでというだけなのだから。
(でもさあ、やっぱり俺みたいな奴には何の得もないわけでしょ?もっと単純なのでいいじゃない、誰かを殺したら怪我を治せるとかさぁ)
殺し合いを推奨したいならもっと直接的な方がいいに決まっている。
でなければ、「5人まで蘇生」なんて限定するよりも願いを二つに増やすとかのほうが効率がいい。
このレクリエーション、自分の為に戦う者にはなんの利益もないのだから。
(...まあ、いいか。急いだって俺には得がねえんだ。だったら焦らず自分のペースで殺っていくとしよ)
どうせ大局は変わりはしない。
もしかしたら、放っておけば勝手に仲間割れをして自滅してくれるかもしれない。
そう考えれば少しは気持ちも軽くなる。
(さーて、ひとまずはジュネスに向かって...)
カランッ
突如、足元を跳ねる石つぶて。
「私ですよ」
まるで猫のように道脇にとびのいた足立の様子を見て、若干呆れ顔の魏はため息交じりに思った。
果たしてこの男で役割が務まるのか、と。
足立と別れた後、魏は結局彼のあとを追うことにした。
一度は黒と出会った足立のあとを追った方がいいという判断、それに加えて東の方面で起きた巨大な光の激突。
特に後者に関しては嫌な予感がしていた。
なにかは分からないが、自分の目的を害するなにかが起きていると。
その予感が当たっていたのだろうか。
先程の放送では、黒の仲間、銀の名前が呼ばれた。
彼女を失えば、黒にも影響が出るかもしれない。
そう危惧し、一度は見逃した彼女が死んだ。
やはり進路をこちらに決めて正解だった。
できれば彼女が死ぬ前に確保したかったが...
「な、なんだきみか。驚かさないでよ」
「失礼、このままあなたとは別れて行動するつもりでしたが...少々事情が変わったので」
先程の放送で告げられた特典。
本来ならば目もくれずに無視を決め込んだだろうが...今は違う。
「私は、奴の語った特典を手に入れたい」
思わず、足立は「は?」と声を漏らしてしまう。
当然だろう。なんせ、自分と同じく私欲で乗っているであろう男が、他者の蘇生権などという偽善者染みたものを望むというのだから。
「まあ、あくまでも保険ですがね。奴が腑抜けていなければそれに越したことはない、が万が一のこともある」
「へー、よくわからないけど大変そうだね。じゃあ頑張って。僕は生き返らせたい人とかいないからさ」
わざわざ追いついてきて言い出したのだ。
一気に数を減らすのに協力しろと言いだすに決まってる。
そんな面倒ごとは御免だ。やるなら勝手にやってくれ。
足立は適当な激励の言葉をかけてそそくさと立ち去ろうとする。
「そうはいきません」
引き留めるよりも早く魏は腕を振り、鮮血が舞う。
もちろん、至近距離であるためペルソナを使う暇もなく足立の身体には血がへばりつく。
指を鳴らそうとする魏に、足立は慌てて要請を受け入れる。
「わ、わかった、わかったよ!手伝うよ!」
その答えに満足したのか、魏は腕をおろし、これからの方針を話し合うことにした。
「それで、僕になにをしろっていうの?」
「あなたもわかっていると思うが、現状ゲームに乗った者の方が数が少ない。このまま二人で襲撃したところで、望んだ成果は得られないでしょう」
「えー...じゃあどうしろっていうのさ」
「あなたにはステルスをやってもらいたい」
魏は、口角をつり上げながら答えた。
「それって、集団の中に入ってかき乱せってこと?」
「そんなところです」
「いやぁ、ちょっと難しいんじゃないかな...ほら、僕まどかちゃん達を殺したってことで警戒されてるし」
魏の狙いは、内部と外部による挟み撃ちで一網打尽にするといったところだろう。
なるほど、確かにそちらの方が殺害人数は増やしやすいかもしれない。
そして、内部に入り込むのが適任なのは、最初から殺し合いに乗っていた魏よりも足立の方だろう。
しかし、足立は主にエスデスの所為で大勢の参加者から、『
鹿目まどかと
モハメド・アヴドゥルを殺した男』として警戒されている。
流石にそんな男を受け入れるほどお人好しばかりではないだろう。
「その点は問題ありませんよ」
「へ?」
「死人に口なし。簡単なことです」
魏の語った潜入計画はこうだ。
まず、まどかと繋げられた少女、
暁美ほむら殺害の件をエスデスに押し付ける。
実際、あの死体を見れば足立が殺したとは思えないし、そもそもあんな惨状をつくりあげる道具を足立は持っていない。
やろうとしてもできないのだ。
幸い、その証拠となる死体はヒースクリフが持っている。本人曰く、丁重に埋葬したい(魏は信じていないが)とのことらしい。
そして、彼が向かったのは南部方面。もし集団にいるとしたら、合流できる可能性は高いだろう。
雪ノ下雪乃を連れて逃亡した件も、エスデスがまどかとアヴドゥル殺害の件をなすりつけてきたからああするしかなかった。ペルソナを隠していたのも、戦うのが怖かったからとでも言っておけばいい。
実際、雪乃も彼女を追ってきた新一と
アカメも放送で呼ばれていない。、
行動だけなら矛盾は無いだろう。
「問題は鹿目まどかの件ですが...」
「あ、そっちは大丈夫。それっぽい理由は考えてあるから」
錯乱したまどかが花京院を殺し、それに怒った承太郎がまどかを殺害、それに怒ったほむらが承太郎と戦い、自分は止めようとしたがその煽りを受け現在に至る。
足立は、エンヴィーに語ったそんな旨の筋書きをそのまま魏に伝えた。
「でもほむらの時はセリューに見られちゃったからなぁ。多分、直接知ってるのは一緒にいた女の子だけだけどさ」
「...その辺りは運としか言いようがありませんね。その少女の名前は?」
「知らないけど...ねえ、本当に大丈夫なのこの計画?結構ガバガバな気がするんだけど」
「そこはあなたの手腕次第...といったところですか。なに、失敗した時は一旦体勢を立て直せばいい。逃走手段も渡しておきますよ」
魏がデイバックから取り出したのは、スタングレネード。
既に二度撤退に成功していることから、その効果には信頼を置いている。
だが、いまの魏には瞬間移動ができる帝具シャンバラがある。
わざわざスタングレネードに頼る必要もあまりないため、丸腰の足立に貸したのだ。
「...わかったよ。僕も楽に殺せればそれが一番いいし」
スタングレネードを受け取りつつも、足立は唇を尖らせる。
内心では納得していないが、断れば殺されるので仕方ない。
運よくまどかとアヴドゥル殺害の容疑を晴らせ、ほむら殺害をエスデスに押し付けられればそれに越したことはないし、もし脱出派が集団で行動していれば―――あの少年、鳴上悠もいるかもしれない。
無論殺すが、いまの彼がどんなツラをしているか、見てみたい気持ちもある。
そして、うまく集団に入り込めた時、改心したと思っている足立が裏切ればどんな顔をするのかも。
そう思えば―――案外、悪くないかもしれない。
(さて、うまく行くといいですが...)
立案者である魏もまた、自分の立てた計画が成功率が低いことはわかっている。運任せもいいところだ。
しかし、彼は一刻も早く黒の死神を見つけ出したかった。
彼と戦えなくなることだけは、どうしても避けたかった。足立を送り込むのもそのためだ。
そして、彼を見つけ出した時。
未だ戦意を失っていなければ、戦って殺し、後は特典を気にせず確実に優勝を狙っていく。
もしも見る影もなく腑抜けているようであれば、優勝の特典を使用し、銀と黒の二人を生き返らせ、今度こそ邪魔が入らないように決着を着けるつもりだ。
そんな非合理的な考えを抱きつつ、魏は足立を引き連れ近くの施設、音ノ木坂学院へと向かった。
やがて二人は荒れ果てた音ノ木阪学院へと到着。
人の気配はないが、なにかあったことは明白。
逆に言えば、何者かが関与していたということであり、一時的に離れているだけで、もしかしたら戻ってくるかもしれない。
そんな期待を込めつつ、待ち伏せついでに二手に分かれて学院内の探索をすることにした。
足立が請け負わされたのは、上階だった。
かなりの荒れようであり、ここでなにかしらの戦闘があったのだろうことを察する。
(しかし暗いな...電気もほとんど点いてないし...)
棟内はかなり薄暗く、電気も足元の非常用の蛍光板がぼんやりと光っているのみだ。
かといって電気をつけて存在を明るみにし、妙なの(後藤やキング・ブラッドレイ)に絡まれたくもない。
(アカメの奴、デバイスまで持っていきやがって)
奪われたデバイスの存在価値が今になってわかってくる。
せめてライトがあればもう少しマシだったろうに。
(なんだこれ)
足立がとある部屋に辿りつき、真っ先に気が付いたのは、鼻孔をつく異臭だった、
何度嗅いでも、慣れないこの臭い。これはまさか...
(ここで誰か死んだってことなのかねえ。ご愁傷様...っと)
人が死んだ部屋だ。できれば早々に立ち去りたいところだが、支給品のことを思いだし留まる。
いまの足立の手元にあるのはスタングレネード、警察手帳、殺人者名簿、ポケットティッシュのみ。
その内三つはクソの役にも立たないものだ。当然、もっとマシなものが欲しいと思うのが成り行きである。
せめてデイバックだけでもないものか。そんな淡い期待を込めて、足立は暗闇の中ほとんど手探りで部屋中を探索する。
そして、ようやく見つけたのはなにやら棒状のもの。
それを手にしたときは、一度は手にしていたフォトンソードの類かと思った。
だが、ゆっくりと指を先端までなぞらせてみると、その感触から紛れも無く円形。
フライパンかと思ったが、中央には網状の空洞が空いている。
それがテニスラケットだと気づいた時には、ため息をつかずにはいられなかった。
それからしばらく探し回り、結局見つかったのはデイバック、テニスラケット二本、音楽プレイヤーらしきもののみ。
こんなもので立ち回れというのは死ねと言っているのと同意義だ。
きみも随分運が悪かったみたいだね、と亡くなった者に同情の念を憶えずにはいられなかった。
ちなみにこの音楽プレイヤー、幻想御手(レベルアッパー)という能力者のレベルを引き上げるものだが、足立に効果があるかもわからないし、彼がそれを知る由もない。
殺し合いの場で音楽を聞こうなどと思う者はそういないため、それもまた仕方のないことだが。
ある程度の探索が終わったため、この部屋を引き上げようとしたその時だ。
バァン、という派手な音と共に扉が開けられ、眩しい光が足立の視界を奪う。
「うわっ、まぶしっ!」
咄嗟に腕で目を覆い隠し、光に慣れてきたところでそろそろと腕を下ろす。
ライトを照らしていたのは、足立の知り合い、ヒースクリフだった。
「や、やあ...久しぶり」
どう接するべきか悩んだ結果、出たのは苦笑いだった。
☆
「...よく無事だったね、足立」
「まあ、うん。色々あったよ」
(足立...!?)
ヒースクリフが口にした足立という名に、穂乃果は花陽たちが語った人物像を思いだす。
足立透。
一見ただのヘタレである彼は、突如妙な能力を使い、雪乃を人質に逃亡した。
更に言えば、既に鹿目まどかとモハメド・アヴドゥルという人間を殺しているらしい。
つまりは、足立透は危険人物ということだ。
「ヒースクリフさん、気をつけて!その人は...!」
「ま、待ってよ!言いたいことはわかるけどさ、それには事情があるんだよ!」
慌てて弁明しようとする足立に、穂乃果は眉根を寄せる。
「きみが言いたいのはあれでしょ?雪乃ちゃんを連れ去ったっていうアレ。僕だってあんなことするつもりはなかったんだよ」
「じゃあ、なんで」
「仕方ないでしょ。あのままじゃまどかちゃん達を殺した罪を擦り付けられたし、違うって言い張ってもエスデスの奴が聞く耳もたないし!」
「そんな適当なことを言って...!」
「待ちたまえよ、穂乃果」
エンブリヲが、穂乃果の肩に手を置き足立へと視線を移す。
「ひとまずは彼の言い分を聞こうじゃないか。仮に殺し合いに乗っているとしても、この場で殺し合うつもりはないように見えるよ」
「で、でも...」
「目先の事実が全てじゃないよ。そうだろう、ヒースクリフ」
「...まあ、私としても、彼が凶行に走った理由は気になるかな」
二人に言われてしまえば、穂乃果も引き下がるしかない。
その様子を見て、どうやら話し合いには持ち込めそうだと足立は安堵する。
もう一人の名前も知らない男はともかく、やはりヒースクリフはまだまともな部類だ。
彼がこの場にいたのは本当に幸いだった。
「僕があの場から逃げ出したのはね...」
足立は改めて語った。
雪乃を人質に逃げ出してしまった理由、能力を隠していた理由、そして『まどかが花京院を殺し、承太郎がまどかを殺した』という作り変えた自分好みの『事実』を。
「...そういう訳で、僕はこうして身の潔癖を証明しに来たわけだよ」
「まあ、矛盾はしていないな」
エンブリヲの言葉の通りだ。
確かに足立は胡散臭い。
しかし、そもそも足立が鹿目まどかとモハメド・アヴドゥルを殺した場面を直接見た者は誰もいない。
全て、エスデスの言いだしたことである。
情報源が狡噛のような信頼できる者ならまだしも、イェーガーズの長であり戦闘狂の彼女ではハッキリ言って信用できない。
また、足立の語ったコンサートホールでの顛末はヒースクリフも予想していたことだ。
そのため、彼もまた足立の語った出来事を嘘だと断言することはできなかった。
それでも足立を全面的に信用できるかといえばそうでもない、むしろ胡散臭さが増した訳だが...
「それに、僕がまどかちゃんを殺してないのはヒースクリフが知ってるよ」
「?」
「耳の尖った人から聞いたよ、まどかちゃんとほむらちゃんの遺体を持ってるって。それ見ればわかるでしょ」
いけしゃあしゃあと言い放つ足立。
その一言で、空気が一変し殺伐としたものに変わる。
「ヒースクリフさん...え?」
「どういうことか説明してもらおうかな」
信じられない、と言った目でヒースクリフを見つめる穂乃果。
その穂乃果を庇うように一歩下がらせ、ヒースクリフに詰め寄るエンブリヲ。
穂乃果からは見えないその表情には、弱みを握れるのなら握ってしまおうという邪な気持ちが浮かび上がっていた。
余計なことを、とヒースクリフは舌打ちしそうになる。
ソウルジェムについての個人的な興味で持ち出したまどかとほむらの遺体。
それがこんな形で足を引っ張ることになるとは思わなかった。
だが、切り抜けられないわけではない。
不利になることもない。
「...実は、私はここに来る前にキング・ブラッドレイとエスデスと戦ってね。彼の言う耳の尖った男にはその時力を貸してもらった。この時、私はエスデスが持っていたまどかとほむらの遺体を譲り受けてね。良い場所で彼女たちを埋葬しようとしただけさ。特にまどかは同志だったからね」
「それなら、なぜイリヤたちを埋葬する時に出さなかったんだい?既に別の場所に埋葬したというのなら荷物を検めさせてもらうが」
「...あまり言いたくないが、彼女たちの遺体はかなり凄惨なものでね。できれば皆に怖がられるような真似はしたくなかった」
「ならば見せてくれないか。なに、私も穂乃果もそれで被害者たちを軽蔑するようなことはないよ」
「......」
ヒースクリフは考える。
このまま隠していては、まどかたち殺害の証拠隠滅を謀ろうとしているとエンブリヲに言い広められる可能性がある。
正確には、言い広めることをダシにした脅迫、か。
最悪一人でゲームに臨んでもいいが、そのタイミングにはまだ早い。
ならばここで見せて疑いを晴らした方がいいだろう。
どの道、自分が彼女たちをこうすることは決してできないのだから。
そう結論を出し、ヒースクリフは彼女たちの遺体を取り出し床に寝かせた。
その、半分程で繋げられた少女たちの虚ろな目を、悪意の象徴を見て。
エンブリヲの顔からは笑みが消え。
足立透は予想以上の凄惨さに顔色を変え。
「いやああああああぁぁぁぁぁ―――――!!」
高坂穂乃果の悲鳴が響き渡った。
「ね、ねえ...これ、玩具かなんかじゃないの?」
「本物さ。刑事なら人の死体を見たことはあるだろう?」
「いや、そうだけどさ、流石にこれは...」
足立は思わず口元を抑えてしまう。
憎き怨敵がこんな様になったのを喜んでいるのではない。
純粋に吐き気を催しているのだ。
魏からエスデスが死体を繋げていたとは聞いていたが、想像以上だ。
てっきりお互いの手足を入れ替える(この時点でどうかしてると思うが)程度のものだと思っていたが、どうすればこんなものができるというのか...想像もしたくない。
「も、もういいよ。見てるだけで気持ち悪くなってくるよ!」
彼女達を殺した張本人ではあるが、半ば本心の言葉である。
目の前のモノを見ても、悪趣味を通り越して嫌悪しか湧いてこない。
まどかはともかく、ほむらに対しての憎しみも殺した時点でだいぶ薄まっている。
その少女たちのこんな様を見せつけられたところでスカッとせず、胸糞悪くなるだけだ。
「...少し見せてもらうよ」
エンブリヲは、足立や穂乃果とは違い全く動じずに死体を検める。
(全く、悪趣味なものだね)
エンブリヲは、紳士的な態度の一方で、サディスティックな一面を持っている。
例えば、私情を挟んだ部下に対して、お仕置きと称したスパンキングをしてみたり。
例えば、全く言う事を聞かないじゃじゃ馬姫の感度や痛覚を暴走させてみたり。
しかし、そんな彼でも猟奇的な趣味がある訳ではない。
このようなものを見せられればそれなりに胸を悪くするのだ。
まどかとほむらの繋ぎ目に指を奔らせてみる。
「...これはエスデスという女がやったのかな?」
「ぜ、絶対そうだって!ほむらちゃん殺したのもあいつだよ!」
「私が見た時にはエスデスの足元にあったのでね。おそらくそうだろう」
「彼女はなにか糸のような物を持っていたかな?」
「確か持っていなかったはずだが...氷で繋ぎ合わせたのでは?」
「いいや、違う。いくら強力な氷使いとはいえ、一日も経たずに皮膚を結合させるのは不可能だ。これはね、縫い合わせているんだ」
―――ドクン、と心臓が跳ねた。
「よく見たまえ、この身体に残っている糸を。随分強力な糸のようだが...おそらくこれを抜けばバラバラになってしまうだろう」
「や、止めてよ!?そんなの見たくないからね!?」
「...つまり、彼女たちをこうした犯人はエスデスではなく」
「今も尚この会場にいるかもしれないということさ」
今も尚生きている糸使い。
足立もヒースクリフもエンブリヲも、真っ先に脳裏に浮かんだのは黒の死神の姿。
糸というよりは、正確に言えばワイヤーだが、なるほど彼ほど巧みにワイヤーを操れるのならばできるかもしれない。
だが、彼がこんなことをするだろうか?
本性を表す前の足立には食糧を与え、ヒースクリフには積極的に協力し、戸塚との約束を忘れなかったようなお人好しであった男が。
喪った時にあそこまで腑抜けてしまうほど銀に執着していた男が、わざわざここまで手間のかかる上に意味の無いことをするだろうか。
そこまで三人が思い当たった時だ。
ドォン、と大きな音が窓を揺らしたのは。
「なにいまの音?」
「...外で何かがあったようだ。私たちも向かうとしよう」
(チッ、悠...早まったか!)
先程の轟音は明らかに戦闘音だ。
エンブリヲとしては、イザナギの名を持つペルソナ使い、鳴上悠を失いたくない。
イリヤとの戦いであれほどの力を見せた悠が易々と死ぬはずがないとは思うが、万が一のこともある。
「いや、私だけで充分だ。ヒースクリフ、きみは足立の尋問を続けていてくれ」
返答を待つこともなく、エンブリヲは瞬間移動で姿を消す。
下の階にいる分身に悠の助太刀をさせた方が手っ取り早いが、なるべく分身のことは隠しておきたい。
そのため、本体自らが出向くことにしたのだ。
「...という訳だ。悪いね、足立。もう少しだけ話を聞かせてもらうよ」
「...言っておくけど、アヴドゥルさんに関しては本当に何も知らないからね」
ヒースクリフは、足立へと剣での牽制をしつつ、まどかたちの死体を部屋の方隅―――ピアノの後ろに寄せる。
コンサートホールで集まった集団の最後の二人。
両者の腹の探り合いは未だ続く。
そんな中。
穂乃果はただ呆然と立ち尽くしていた。
誰も、彼女の虚ろな目に気が付く者はいなかった。
最終更新:2016年06月24日 21:22