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暗闇でラブソングを歌う ◆ENH3iGRX0Y


「ここでブラッドレイを迎え撃つのなら、私は黒君が来てから話を進めたい」

ヒースクリフとしては戦闘は避けるべきだと話したが、万が一にそなえて黒を先ず回収したいと意見した。
実際はアンバーの依頼を果たしたいだけなのだが、この際理由は何でも良い。

「黒、か。だが彼は戦力になるのかな? 仮にブラッドレイと戦うにしても、今の彼は」
「その懸念も分かる。しかし後藤と三度戦い生き延び、“きみに苦戦を強いらせた男”をみすみす放っておくほど我々が有利だとでも?」
「……少し含みがあるな」
「いや、だがきみと黒君が“誤解”から交戦したのは事実だろう?」

エンブリヲとしては、黒にはエルフ耳をけしかけた上に基本抹殺しておきたい相手だ。
一時的とはいえ共闘は避けたいところだが、ヒースクリフの考えにも一理ある。
現状、確かに余裕はないのだ。かといって撤退もまた難しい。
ここで逃げることは簡単だが、その鬼ごっこをいつまで繰り返せばいいのか? この先これ以上の戦力を集めることは可能なのか?
既に人数は20人を切り、放送で呼ばれていないであろう死者も含めれば、既に15人前後にまで減っているだろう。
その内、三人は穂乃果、未央、そして会ったことはないが雪乃という力のない少女たちだ。
なら単純に考えて戦えるのは12人、かつ殺し合いに乗らない側の参加者で、エンブリヲに力を貸す者となると更に減少していく。

(何にせよ、やはりここで迎え撃つ方が戦力は確実だ)

「早くしてくれない? もしやるってのなら私はその間だけ協力してあげる」

「……」

急かすのは御坂だった。
当初は彼女が協力するか分からなかったが、話せばあっさりと御坂は協力を受け入れた。
恐らくは10人殺しの報酬狙いだろうか、ブラッドレイと戦えば自ずと人死にも出る。
仮に戦わなくとも、御坂がここで暴れ時間を食えば死人が出る可能性が高まり、そのままブラッドレイと戦う羽目になる。
極端な話が御坂はどっちでもいいのだ。何にせよ、戦いの火種があればそれに乗るだけで目的に近づくのだから。

(背後を取っているから無駄な真似はしないと思うが、面倒だな)

ブラッドレイと戦う意志を示さなければ、御坂は容赦なくあの電撃を振るうだろう。
ならば、ここで協力を取る方が賢い選択だ。
そうなれば、必然とヒースクリフの意見も通さざるを得なくなる。
ブラッドレイとの戦いで出し惜しみは出来ない。使えるものは何であれ使う。
しかし、問題はエルフ耳のことだ。黒の抹殺、それが漏れれば面倒なことになるだろう。

(ヒースクリフがその事実を利用して他の乗っていない側の参加者を煽る可能性もある。
 そのまま孤立させられるとなると、流石に私でも生存が難しい。
 可能な限り、知られないに越したことはないが……こんな事ならばエルフ耳をさっさと殺しておけばよかったか)

死人に口なし。
何にせよ、願うは黒がエルフ耳を殺害してくれることだ。
調律者とはいえ、全ての未来を見通せるわけでもない。このような事態では幾分の賭けに出るのも仕方のないことだろう。

「しまむー」

だがその前に、この少女達のフォローが先か。
目の前の現実に絶句し、言葉も禄に出ない少女達にエンブリヲは視線を向けた。

「嘘でしょ、しまむー……そんな嘘だよ!!」

面倒だが、まだ穂乃果と未央には使い道がある。
鳴上を繋ぎとめておくには彼女達は実に最適な鎖なのだ。
ブラッドレイ戦の戦力としても、一つの実験体としても鳴上はエンブリヲにとって価値のある重要な存在。
足立との戦いが気になるが、恐らく勝つのは鳴上だ。まだ生かしておいて損はない。

(悠、君は私のモノだからね。フフフ……)

「いやァ、いやあああああああああ!!!」

黙れと言いたくなる衝動を押さえ、エンブリヲは口を開いた。


「ありがとう、それとごめんなさい」

その前に言葉を紡いだのは御坂だった。

「え?」

「穂乃果と未央。アンタとその横の茶髪の娘、よね?
 言ってたわよ。そう伝えろって」

「ああ、島村卯月―――彼女は最期のその時まで君達を想い、戦っていたよ」

御坂の真意こそ分からないが、ヒースクリフはエンブリヲと同じ腹積もりだろう。
さっさと面倒ごとを解消し、鳴上を戦力に引き入れやすくしたい。その為に綺麗事を、似合いもしない仏頂面から吐き出しているのだ。
エンブリヲも負けじと口を開く。

「彼女は間違いを犯したが、それと向き合えた強く賢い女性だった。
 未央、きみはこれからどうするべきか、もう答えは分かってるんじゃないか?」

「エンブリヲ……。
 しまむー……私、……ごめん……支えて上げられなくて、本当にゴメンね……。
 こんな時、最期まで戦ってたのに……私ずっと寝てた……」

「違う。止むを得なかったとはいえ君が寝ていたのは私のせいだ」
「だけど……!」

「恨むなら私を恨みなさいよ。その娘を殺したのは私だから」

未央の手に力が入り、マスティマに意識が向かう。
それは殺意だ。あの女こそが卯月を殺めた仇、許せるわけがない。
脳裏を過ぎるのは、翼を叩きつけ全身を血に染めた御坂の肉塊の姿。

(……でも、無理……!)

けれどもそれは理想であり、幻想だ。
現実は黒焦げた肉がもう一つ増えるだけ、未央の力では御坂には勝てない。

「……絶対に殺す……絶対に……だけど今は……」

それに未央は聞いてしまった。
ブラッドレイが来てエンブリヲ達がそれを迎え撃つ為に協力すると。
図書館での激戦を目にした為、ブラッドレイの強さは嫌でも分かる。ここで諍いを起こせば、それはきっと皆の破滅を意味するだろう。
だから、そうならない為にも今だけは御坂を利用する。

「ごめんね、しまむー……ごめん。だけど、全部終わったら敵は必ず討つから!」
「ふん、いいわ。そこまで生きていたのなら相手してあげる」

「なにそれ……勝手だよ」

涙を拭い、穂乃果が未央の肩を叩いた。

「穂乃果ちゃん?」

「だって、この人なんなの?
 意味が分からないよ。何にも謝らないで、何で死んでるの?」
「……ねえ、止めてよ。しみむーは最期に―――」
「穂乃果、そこまでにしておこう。
 気持ちは分からなくはないが、死者を侮辱するものではない」

憤る穂乃果をエンブリヲが宥める。
本当なら、今にも未央に飛びかかりたいところだったが、ヒースクリフに気絶させられた過去を思い出し、穂乃果は渋々口を閉ざした。
それから簡素ながらに卯月を埋葬し、5人は主に戦力になりそうな人物を中心に情報を交換した。
主に戦力になりそうな人物は現状、ウェイブ、黒子、エドワード、黒、鳴上。
しかし黒子の殺害を御坂は明かし、残ったのは四人だがエドワードは何処で道草を食っているのか行方知らず、かつ御坂ともう一度組むことを承諾するかは分からない。
そもそもウェイブは距離が離れすぎている。結果として、やはり現実的なのは黒と鳴上を引き入れることだった。

「場所の分かる黒君を先に回収したほうがいい。
 悠くんもそう遠くにはいないだろうが、如何せん時間がない。しかも交戦後の疲労も考えれば、黒がもっとも戦力になる」

ヒースクリフの案に反対するものは一人としていなかった。
エンブリヲも不確定要素があるものの、それが最善であると判断し茶々は挟まない。
可能であるなら鳴上の回収もしたかったのだが、それは全て片付いてからでもいいし、鳴上なら必ず学院に戻ってくるだろう。

「ッ! ……噂をすればか」

ヒースクリフのが来訪者の気配を感じ取る。
一つの人影が足音を立て近づいてきた。








飲み口から赤い水滴が滴る。
口から離し、下へ向けて直角に傾けてから数秒経つ。
それから苛立たしくワインの瓶を投げつけた。
ルーレットやカードなど、ギャンブルで使われる道具が巻き込まれガラスが飛び散る。
重い腰を上げ、新たな酒を求めカジノ内を散策する。

その際、目に付いたスロットを殴り、蹴り飛ばした。
スロットは陽気な音を立て、ジャックポットを繰り出す。大当たりだ。黒を褒め称えるように更に音楽が鳴り喚いた。
舌打ちと共に黒はスロットに触れ、最大出力で電撃を流す。
黒い煙があがり、内部が弾け焼き焦げたような音を立て悪臭が黒の鼻を刺激した。
爆発のような轟音がスロットの中から響き、内部に貯蔵してあったメダルが飛び出す。
それらを腕で薙ぎ払い、メダルは全て床へぶちまけられる。
更に横にあったもう一台のスロットマシンに、拳を叩きつけディスプレイを叩き割った。
ガラスの破片が黒の手を切り裂き、赤く滲ませる。

「……」

痛みのお陰か、破壊衝動を満たしたお陰か。
僅かばかりの理性を取り戻し、黒は己が為すべきことを思い起こす。
酒だ。
今はただ酔い続けていたい。
酒気を帯びながら、カウンターの奥へと侵入し酒の貯蔵室へと忍び込む。
今度はウィスキーを持ち出した。
水で薄めもせず、ストレートで喉を潤す。
つまみすらなく、休みもせずに瓶を咥えたまま傾ける。

一気に瓶の四分の一ほど飲んでから、瓶を口から離し黒の視線は下へと向いた。
ソファーへ寝かせた銀へと。
既に瞼は閉ざしておいた。黒がその手で冷たくなった銀に触れた感触は未だに残っている。
けれども、視線を感じた気がしたのだ。堕落していく自分を銀が起き上がって止めてくれる。
そんな期待がないといえば嘘になる。

「……銀」

銀は微動だにしない。
当たり前だ。死んだ人間がどう生者を止められよう。
どんなに人の形を保っていたとしても、銀は死んでいるのだ。このまま徐々に腐り果て、最後は骨と髪しか残らない。
その前に埋葬することこそが、死者へ生者がしてやれる唯一の手向けだ。
友切包丁を抜き、銀の首元に宛がう。埋葬の前に彼女の首輪を回収しヒースクリフか、気は進まないが最悪エンブリヲにでも解析させれば脱出へと近づく。
黒ほどの達人ならば、人の首を落とすことも造作もない。少し力を加えてやれば良い。
人の首が落ちる光景など幾度も見てきた。それに恐れを為すような感傷は黒にはない。


首を落とす。

銀は死んだ。

戻らない。

脱出の為に首輪がいる。

だから、銀の首輪を回収する。

でも、もしかしたら、銀は一人にしないで欲しいと言っていた。
銀は戻ってきてくれるんじゃないのか? 


―――俺を一人にしないでくれ。


「俺には……出来ない……」


『僕の首は落としたのに』

響いたのは、この殺し合いの場で一番最初に出会った戸塚彩加の声だった。

「戸塚……?」

だが胸に風穴が空き、そこからドロドロと赤黒い血が流れ出す。
何より印象的なのは首より先の頭がなく、声がしたのはその足元からだったこと。
頭のない身体はよろめきながら、躓き転んだ。それを見ながら生首はケタケタと笑い、地べたを這いずりながら黒へと向かっていく。

『約束、何も守ってくれなかったね』

「俺は……」

『ねえ、生き返らせてよ』

腹部に何かが巻きついた。
まるで万力のように締め付け、黒を圧迫する。

「く、ろ……?」

背中から血を流し、生気のない瞳でクロエは黒を更に強く締め続ける。

『私とクロと美遊を生き返らせてよ……戸塚さんと約束したんでしょ? 助けてくれるって』
「――ッ!」

黒の左腕へ牙が付き立てられる。
口が裂けるような笑顔でイリヤは黒に喰らい着いていた。
片手は皮一枚でぶら下がり、もう片方の手は切り傷から絶え間なく血があふれ出す。


『痛かったぁ……全部、黒さんが助けてくれなかったから……ねえ……』

「くっ……」

逃げるようにして、足に力を込める。
しかし、予想に反して足は重い。

『ずっと一緒にいるって、言ったのに……』

それは最早、人とは呼べない何かだった。
辛うじて赤い髪と残った肉片から人間だった何かだと分かる。
肉や皮など殆ど残っていない、白い手で黒の足首を握り締め、ソレは黒へと追い縋った。

「俺は……お前なんて知らない……!」

『……嘘つき』

置かれた異様な状況下に堪らず、もう片方の足でソレを蹴り飛ばそうとする。
だがそちらの足も動かない。

『私、まだ死にたく……ありませんわ……』

光子の血で濡れた赤い手が黒の足を掴み固定していたからだ。

「みつ―――」

『俺、とォ……戦、えェ……ヘ、イィィィ……』

後ろから首を絞められ、怪力に引き寄せられる。
それは後藤だった。しかしその首周りは焼き焦げ、その頭は跡形もなく消し飛んでいる。

「ガッ、ァァ、カハッ」

息が吸えず、もがき続ける黒を死者達は押さえ込む。

『ククク……言ったな、かつてお前は俺に未来は歩めんと』

「……ハー……ヴェ、スト……?」

『しかし、お前の繋がりは全て断たれた。 
 逆に問おう。お前こそ、未来を歩む価値などあるのか』

かつて出会った者達が、それだけではない。かつて殺し続けてきた者達が黒の身体に縋りつき引き込もうとしている。
もがくことすら許されない。
全身が解け、死者達と交わっていく。痛みすらない、あるのは喪失感と恐怖。

「やめ……」

『黒』

死者が消える。
そして黒に不敵な笑みを浮かべた銀が抱きついた。

『もう、ずっと一緒。貴方と私は』

「……違う、お前は銀じゃない……お前は……!!」

「―――どうしてそういうこと言うの?」

「銀―――」

黒が払いのけた銀の胸は赤く染まっていた。



「――――ハッ」



夢、だったらしい。
ウィスキーが手から離れ、床を塗らしていた。
気付かないうちに、ソファーに腰掛け眠ってしまったのだろう。
銀の横に友切包丁が刺さっていた事から、首輪の回収を断念したところまでは現実なのかもしれない。


「ハーヴェスト、か……今更どうして……」

契約者と人間の共存を選んだ黒の前に立ちふさがった最強の契約者。
漆黒の花を巡った戦いは熾烈を極めたが、最後は黒の手により葬り去られた。
あの時の戦いは銀がいなければ、きっと黒が負けていただろう。

「銀……俺はお前を……」

5人の蘇生。
銀を蘇らせ、戸塚とイリヤ達の友達を含めた三人を蘇らせれば約束は果たせる。
だが、それは穂乃果や黒子といった、殺し合いに抗う者達も殺すことになってしまう。
この場に居るのがエンブリヲや後藤だけならば、最悪黒は殺し合いに乗っても構わなかった。
優勝できればそれでいい、死んだとしても未練もない。

「お前は、強かったんだな……イリヤ」

本来であるなら、銀を殺した仇であるイリヤだが不思議と怒りは覚えない。
ただ、虚しさと一緒に己が如何に脆く弱い存在だったのか、思い知らされる。
現実を直視し、それでも尚抗おうとしたイリヤと何も出来ず、腐っていくだけの黒では大違いだ。
いっそ、あの場でイリヤに殺されてやった方が良かったのかもしれない。

黒にはもう何の繋がりもない。
生の世界に止まる理由も意義もない。
全ての繋がりが絶たれた黒は、この殺し合いに呼ばれた誰よりも劣る。

それでもまだ自ら命を落とさないのは、何故だろうか。
銀はいない、妹とも二度と会えない。アンバーも消えた。黒にとって生きる意味は何も残っていない。

友切包丁を抜き、喉仏に突き立てる。
あとは軽く押してやれば、この業物は豆腐でも捌くように黒の命を断ってくれるだろう。
柄を強く握り、ゆっくりと押し込む。だが数ミリほどの切っ先が僅かに喉に沈んだ時、不意に力が抜けていく。
まだ生き恥を晒そうとする自分を侮蔑しながら、黒は友切包丁を喉から離し放り投げた。

「……誰でも良い。教えてくれ、俺はどうしたらいい?」

応えはない。元より誰にも応えられるはずがない。
黒は支えた者達は誰もいない。黒を促し導いてくれた仲間も誰一人残っていない。
結局、いつも最後に残るのは黒だけだ。
この場に呼ばれる前も黄が死に、アンバーが消え、殺し合いのなかでは銀を喪い、戸塚を死なせ、イリヤを救えなかった。
もっと他に生き延びるべき者がいたはずだったのに。

「……」

縋るようにウィスキーを呷る。度数が高く、ストレートであるにも関わらず黒は酔えない。

「―――BK201」

ふと黒の耳に響く、懐かしい声。

契約者とは思えない、歪んだ笑みを浮かべその男は黒を見下ろしていた。







この胸に抱くのは狂気か歓喜か怒りか。
契約者が抱くには非合理すぎる激情は魏の足を更に早め、カジノへと向かわせていた。
最早、脳裏には学院のことなど微塵もない。あるのはただ一つ、己が唯一殺せなかった男の姿のみ。
今度こそ、確実に仕留め、その息の根を止める。あの敗北から受けた雪辱を今こそ果たす時だ。

カジノが見えた。はやる気持ちのまま、魏は扉に血を飛ばし指を鳴らす。
扉は一瞬にして消え、中の見晴らしが途端に良くなる。
そのまま歩を進ませ、内部を見渡す。
明らかに人が居る気配がある。
割れた酒瓶に、荒されたスロットマシーンにルーレット、これらは魏の予感をより裏付けていく。
あの男が銀の死んだショックで弱体化、もとい戦いに関しその意欲をなくしていると。

「馬鹿な。契約者がドールの死如きで……」

口に出したのは認めたくなかったからか。
独り言というにはあまりにも大きな声で、まるで自分に語りかけるように魏は呟く。
しかし、契約者は他人の死で涙することなどまずない。それが原因で、戦闘に支障をきたすこともだ。
だというのに、先ほどから魏はその悪寒を拭うことができない。
万が一にもそれで黒が腑抜けていたのなら、その場で殺し再び銀諸共復活させれば良いだけの話だ。

(何故だ……私は何かを怖れているのか? 怖れる? 何をだ……。
 この感情を私は知っている。いや、思い出したというべきなのか……)

ガラスが割れる音が奥から響いてきた。
奴はあそこに居る。

「……」

奴は座っていた。
横に銀を寝かせ、そこに佇んでいる。
その衣装は確かに魏を倒した黒の死神のものだ。以前のようなマヌケな勘違いは二度としない。
戦いに心得を持つ者が放つ、独特の雰囲気が魏を刺激する。

「―――BK201」

それでもだ。魏を蝕む悪寒は増して行くばかりだ。

「……」

酒気を纏った空気は魏に鈍器で殴りつけられたような衝撃を与えた。
見上げた顔は、敗北よりも深く、暗い闇の底へ引き摺り下ろされたような失望を感じた。

「お前を……殺しに来た」

ああ、そうか……。

「それで?」

この男はもう。

「私と戦え」

腐っている。


血を飛ばし、指を鳴らす。
黒は避けたが、肩に傷を負い血を流した。
決して本気ではなかった。むしろ、外れることを望んでいた節すらある。
でも、奴はこの程度すら避けきれずにいた。

念願の勝利へと近づいてきている。それは何処の誰が見ても間違いようのない事実だ。
だが満たされない。

「何故だ……教えろ、BK201」

帝具も契約能力もない、ただの蹴りは黒の鳩尾へと減り込んだ。
醜悪な呻きと共に黒は簡単に吹き飛ぶ。
カジノの内装が黒のぶつかった衝撃で破損し、破片がばら撒かれる。
苛立ちと共に魏はそれらの破片を容赦なく踏みつけ、黒へと歩む。


「……」

包丁が飛んできた。
人差し指と中指で刃を挟み、眼前で止める。
ワイヤーが投擲される。掴んだ包丁で切断する。
その隙に黒が接近し、手を翳す。身体が青く光り電撃を纏わせていた。

(なんだ、これは……)

椅子を掴み、黒に殴りつける。
電撃で焼かれたのか、悪臭が椅子から漏れた。
黒は力なく横へ殴り飛ばされる。

(弱い)

床に倒れた黒を魏は足で蹴り上げる。
ピクピク呻きながら、もがく様はあまりにも哀れだ。

(弱すぎる……これが……こんなものが……)

椅子を振り上げ、振り下ろした。
ガツンと軽い音が鳴り、黒は動かなくなる。

(黒の死神だとでも、いうのか……。本当に私を倒した男なのか?)

この時、魏の中はただ冷めていくだけだった。萎えるというのはこういうことを言うのだと、身を持って体感する。
動かなくなった黒の生死すら確認せず、魏はカウンターの奥へ行き酒を持ち出す。

(何をやっている。まだ戦いは続いている、酒など……)

魏も酔いつぶれるような柔な体質ではないが、殺し合いも終盤だ。
生き残った参加者は強者揃い。
あのブラッドレイという男もまだ存命であり、それと同格のエスデスすら何者かに屠られている。
酒を飲めば、その強者達との戦闘で何らかの判断ミスを犯す可能性も高まってしまう。
けれども魏の手は止まらない。酒を物色し、瓶をこじ開け口に注ぐ。

最早、魏にも分からないのだ。
己が為すべきことが。
少なくともこの戦いに勝利はした……した筈だ。
遺恨が残らないといえば嘘になるが、それも優勝したとき黒と銀を蘇らせもう一度雪辱を果たせばいいだけだ。

「見ているのでしょう、アンバー……貴方の予知した未来は外れましたよ……」

何処からか見ているであろうアンバーに語りかけるが、返事はない。

「アンバー!!」

壁に血をなすり付け、指を鳴らす。
崩壊し瓦礫となって魏の前に崩れ落ちる。
それから持っていた酒瓶を床に叩きつけた。酒瓶の中身が魏の靴とズボンを汚し、ひんやりとした冷たさが足を撫でる。

『カクテルはいかがでしょう?』

苛立つ魏に語りかける、機械音声が耳についた。
見れば、レトロな風貌の自動販売機が声を発していた。
魏も黒もカジノ内の散策などろくにしていなかった為に、気付くのが遅れたのだろう。
一瞬、それも破壊してしまおうかと考えたが、魏は思いとどまる。


「……モヒートでいい」

機械を操作し、取り出し口にグラスを置く。
数秒後には出来上がったモヒートを口に含んだ。
これまで無造作に飲み干した酒とは違い、爽やかなミントとライムの風味がかえって酔いを醒ましてくれた。

「もう一杯貰おう」

空になったグラスに再度モヒートを注ぎ、口に流し込む。
ラム酒の甘みが骨身に染み渡るようだ。
二杯目も飲み干し、口元を拭う。
それからグラスを数本用意し、魏は機械に設置する。
カクテルが完成しグラスが満たされるとそれを回収しディパックに放り込んだ。
この中ならば蓋のない器に入った液体も零れる心配もなく、適温でカクテルを保存してくれる。
それを数回繰り返し、ディパックのなかに多数のカクテルを収納すると、意を決したように魏は黒の元へ向かう。

「起きていますか?」

返事はない。期待もしていない。
黒の首根っこを掴み、引き摺りながら魏は歩み出す。
荒れたカジノ内を進み、自らが破壊したドアを越え、外へ出る。
目指すは禁止エリア、カジノの真後ろにある。
大の男を引き摺っても三分も経たずに着くだろう。

「……起きろ」

一度手を離し、黒の顔が地べたに打ち付けられる。
何の反応もない。

「これから私は貴方を禁止エリアに放置します。
 死にたくなければ、抵抗しろ」

頭を踏みつけ、冷酷に言い放つ。
指一本、動かす素振りも見せない。

下らない問答だと思う。
奴はもう動かないのだ。肉体の生死以前に黒という男は……少なくとも魏を倒した男はもういない。

(こんな事をして、何になる? 無駄な浪費を重ねるだけだ)

頭から足を退け、もう一度黒を引き摺る。
戦闘に比べれば微々たる物だが、それでも着実に体力は減らされているのだ。
後の戦闘を考え、身体を休めた方が時間は有意義に使えるだろう。
何より、さっさとここで黒を殺して生き返らせたほうが、己の悲願を叶える近道のはずだ。

(合理的判断とは……あるいは、その契約者が何を最優先とするかによって決まるのだろうか……。
 しかし、だとすれば私の最優先目的とは何だ……?)

当初は己の生存を考え、殺し合いに乗った。
そこで出会ったのが、泉新一達だ。
彼らと交戦し一人を削り撤退、戦果としてはそう悪くもない。
合理的判断の元、動いていた。

そして近場の施設を調べ、まどか達との交戦に入る。
思い出せばあれは苦々しい戦果だが、後に控えた連中を考えれば合理的判断で逃走が一番だった。

図書館での交戦。
あれこそ、恐らく最も愚かな行為だ。
感情に任せ、戦闘に入ってしまった。
もしも、あの場に居たのが黒だとしたら、魏はここまで生きてはいなかった。

(私の目的は黒と戦う事と、何より己の生存……そのはずだ……)

『禁止エリアに接触しています。エリアに滞在する場合は三十秒後に首輪が爆発します』

首輪から音声が鳴る。
禁止エリアに足を踏み入れたということだろう。
そこで魏は黒を手放した。
ドサリと小さく土煙をあげて、黒は倒れ付す。
瞼は閉じ、一向に開く様子もない。
魏は背を向け、禁止エリアの外へ退避する。
生ある人間ならば、誰もがそうする当然の行為、合理的判断すら挟まない本能だ。


『二十五秒』

カウントが刻まれていく。

『二十秒』

魏のものではなく、黒の首輪からだ。

『十五秒』

これから、殺すべき参加者達。
先ずは学院の連中から、すべからく抹殺する。
ヒースクリフに関しては、また交渉次第で組むのも悪くはないが、あのエンブリヲという男はきな臭い。
殺せるのなら、殺しておくべきだろう。

そして気になるのが、泉新一、雪乃下雪乃、アカメ。彼女達三人だ。
最初の遭遇で見かけた、サリアとかいう女は死んだようだが、まだ新一と雪乃は生きている。
あの時、狩り損ねた因縁を晴らすのも悪くない。特にアカメという女に投げかけられた台詞は未だに忘れられない。
よもや、二度も速さで遅れを取るなど。
そういえば、図書館に居た風を操る女と茶髪の男。女の名は放送で呼ばれていたが、茶髪は生きているのかもしれない。
だとすればこの手で殺したいものだ。

『十秒』

まだ、殺すべき対象はいる。
新一達もブラッドレイも足立も、まだ殺したりない。全てを殺害し、もう一度あの男を蘇らせ勝利し殺す。
だが、何かが気に入らない。

『五秒』

答えを得ぬまま、魏は振り返る。

『起爆します』

起爆の宣告とほぼ同時に黒は禁止エリアから滑り出た。
その眼は死んだままだが、少なくとも自殺を選ぶほどまだ落ちぶれてはいない。

「……良いでしょう。どうせなら、私が止めを刺す」

魏が指輪をかざし、水流が繰り出される。
巨大な一本のランスとなった水は黒目掛け振り下ろされた。
ほんの紙一重、最早避ける気があるのかも分からない僅かな移動で黒はそれをよけた。
しかし余波に煽られ、黒は宙に投げ打たれる。
力のない紙のように舞っていく姿に魏は苛立ちを隠せない。

「死ね。もうお前に用などない」

今までに拘っていた存在は何だったのか。
呆れ、萎え、怒り。契約者にあってはならない不合理性が魏の心中を占める。
いや元々、契約者に心と呼ばれるものすらないはずなのだ。
血を操り黒に向かわせる。
一秒と経たず、黒の身体にこびり付き指を鳴らせば全てが終わるだろう。
その後に願いを叶えて、復活した奴ともう一度戦えばいい。

(もっとも、こんな男と戦う価値などあるのか?)

深く刻まれた失望は魏の中で黒という存在の価値を大幅に下げた。
激情に飲まれつつあった理性は心中の濁流の中から、一気に引き上げられ浮かび上がっていく。
何をこれまで拘っていたのか、奴は所詮ただの敵であり排除すべき障害でしかない。

(そうだ……私は狂っていた。
 下らない拘りを持つなど不合理)

病のようなものだったのだ。
黒に対する執着、あれは初めての敗北が生んだ癌だ。
ここで全てを清算し、魏に救った物は完治する。
より契約者として冷酷で合理的に、より強さに磨きかけ更なる高見へと上り詰める。

指を弾く。
乾いた音と共に血が光った。


死んだ全ての亡者が黒に纏わりつき、死の底へと引き摺り降ろしていく。
振り払う力もなく、その気もない。黒は死を受け入れていた。
自分よりも、まだ魏の方が生きる価値もあるだろうと、彼なりに合理的に判断したのだ。

死がより一層、濃く強まる。
もうすぐ、そちらにいけるのか。
銀の傍へ……。



「俺も……そっちに―――」


―――へい、さん、おねが、い
―――みんなを、いりやちゃん、を

―――良かった。黒とみんなを、傷つけなくて

「ッ!!」

「?」

血が触れる寸前、ワイヤーの伸縮音が響き空中で黒が体勢を捻る。
目を見開き、魏はその光景を凝視した。
今までの動きとはまるで違う。別次元の身のこなし。

「……まだ、戦う意志はあるということですか」

少なくとも自殺するほど落ちぶれてはいない、ということか。
虚ろな目で魏を見る黒は僅かながらではあるが戦意を見て取れた。
黒が包丁を抜くのを合図に二人は駆け出す。
顔面に向けられた包丁の突きをいなし、肘で黒の顔を打つ。
横転しながら左手を地に着け、バネにしながら足を振り上げ蹴りを放つ。魏は上体を逸らし蹴りを避けてから、水流を巻き上げ黒へと叩きつける。
直撃は回避したものの、黒はそのまま余波に煽られ吹き飛んでいく。

「ガッ……」

短い悲鳴が魏の耳をつく。

「帝具を使うのはフェアではありませんか? いや以前の貴方ならこの程度、物の数には入らないはずですがね」

「……死ね!」

投擲されたワイヤー。
これを巻き付け電撃を流す魂胆だろうが、その技は拙い。
歴戦を潜り抜けた魏からすれば目を瞑っても避けられる。
最小限の動きでワイヤーを避けた魏は遊び心が沸いたのか、わざわざブラックマリンの操作を止めシャンバラを握り手で弄びだした。
一瞬で消え、黒の後ろへと転移する。
そのまま背中を蹴られ、バランスを崩した黒に魏は血を塗りつけた。
魏が指を鳴らし、黒の身体から血が流れる。

「グ、ゥ……ハァ、ハァ……」

「直撃は避けましたか。
 ですが、本当にあれが黒の死神の戦いなのでしょうかね」

「黙れ、お前には……関係ない」

「私を死の免罪符にするつもりですか?」

「何?」

「余程堪えたようですね。あのドールの死が」

「黙れ!」

衝動に任せたその拳は魏に簡単に払われる。
挙句、足を絡ませれら黒は無様に地べたに叩き付けられた。
黒の腹部目掛け、魏は爪先を勢いよく蹴りこむ。黒が咳き込むみ唾液を吐く、そして衝撃に流されるままボールのように転がされていく。

「貴方はあのドールに依存している。
 実に愚かですよ。……むしろ私からすれば、貴方こそ人形のようだ。
 哀れな糸の切れた操り人形、それが今の貴方です」

頭を足で踏みつけられる。
ジリジリと圧迫され、頭蓋が悲鳴をあげていく。
その中であったのは、今まで死なせてきた者達の事だった。


「人、形……?」

魏の言うとおり、黒は人形のようなものだったのかもしれない。
銀という糸に縋りつく、壊れかけの人形。
何かの繋がりを求め、それでいて必ず切れて朽ち果てていくだけの抜け殻だ。

「……楽にしてくれ、頼む……」

それを誰よりも理解していたのは他ならない黒自身だ。
だから、糸をなくし無様に崩れた人形はその醜態を晒してしまう。
誇りも矜持もなく、ただ逃れようとする。

「なんだと?」

己を唯一倒した男の姿は見るに耐えないものだった。
この瞬間、魏の屈辱は人間であった頃を含め最大にまで膨張していた。
黒の襟を掴み、魏は力の限りを尽くしてカジノのへと投げつける。
背中が壁に打たれ、黒はそのまま崩れ落ちた。

「貴様……そこまで……!」

黒は立ち上がれない。この虚無と悲しみと戦えない。

どうすれば、銀を守れたのだろうか。
どうすれば、戸塚との約束を守り、イリヤを救えたのか。
どうすればどうすればどうすれば。

魏の血によって抉られた痛みが、全身を殴打された鈍痛が黒を締め上げ意識もおぼつかない。
それでも頭にあるのは、後悔と己への自問だけだ。

「教えてくれ……。
 なんで戦わなきゃいけない……もう俺は誰も殺したくない」

まるで許しを請うように両手を地に着け、黒は酒瓶へと手を伸ばした。

「もう、いいだろ……。俺は何の為に戦ってきた? こんなことの為にか? 
 銀が死んで、仲間もみんな死んだ……。どうして俺だけが……」

妹を守る為に、銀を守る為に、自分が選んだ選択の責任を取る為に、戸塚との約束の為に、イリヤを救う為に。
ずっと戦い続けた。そこに黒の夢見た明日があるのだと信じた。
例え儚い幻想であったとしても、それでも歩む先には未来があるのだと。

何もない。
黒達を先に進ませる為に黄が死に、アンバーが黒の未来を選ばせ消滅し、戸塚が鳴上を庇い、イリヤが友の為に命を張り、銀が黒とこの場にいた者達を守る為に戦っても、何も残らない。
ただ無情に屍を築き上げ、一人残されていくだけだ。


「……無意味な感情ですよ。
 そんなモノを抱いてしまうから、貴方は非合理的な存在なのです。
 あのドールも貴方の言うみんなとやらも、全て無意味に勝手に死んだだけだ。そう割り切ればいい。
 合理的に切り捨ててしまえば、貴方は最強の契約者として思うがままに力を振るえるではありませんか」

魏は冷たく言い放つ。
黒の悔いなどどうでもいいことだ。重要なのは、屈辱を晴らすことに他ならない。

「下らない」

もう終わりだ。このあまりにも無駄で無意味な戦いに幕を降ろそう。
初めて味わった敗北から、魏は常に黒の事だけを考えていた。この屈辱を晴らす為だけに合理的に考え、行動し続けてきた。
例えそれが死を招くのだと分かっていても、戦わずにはいられない。
非合理と分かりながらも、しかし戦意は一向に曇らない。そしてついに己が宿願を果たす時がきた。
だがようやく出会えた宿敵は変わっていた。

「つまらない幕切れです」

水流が槍状になり切っ先が螺旋を描く。
黒を穿たんとする水の槍が前進する。
魏の目には、最早黒などろくに写っていない、目の前の光景など何の意味も為さないものだから。
ただ一人、契約者が死ぬだけだ。魏が葬ってきた者達と変わらない。
そう、魏が敗北した黒の死神はもういない

「……もう、終われるのか―――」

かわしきれないと、思った。
今までの水流とは規模が違う。到底避け得ないだろう。
だからもう死ぬしかない。それが何処となく、嬉しく思える。
辛うじて、まだ生きてきていた。生存の為の反射か分からないが、死の淵に立たされた時身体が勝手に動き出した。
それが黒にとっては、耐え難い苦痛でもあった。
自殺もできない、殺されにいくこともできない。だが、ようやく殺してくれる。
終われるのだ。これで全てから開放される。
肉体を蝕む激痛も、心を蝕む傷も、何もかもが消えて行く。

(俺なんかより……アイツらが生きていれば良かったんだ)

黒と違い、光差す未来を歩む者達ばかりだった。
そんな彼らから、託されたものもあった。
なのに何も為せず、ズルズルと引き摺るように生きてしまったのは、空っぽで闇にしか進めない黒だけだ。
黒と関わり死んだ者達の全ての死がが無意味だ。そこに結果が伴わなければ、意味のないただの終末に過ぎない。
とんだ皮肉だろう。もし命を譲渡できるのなら、どれだけ良かったことか。




無意味なのか。
アイツらの死は。

銀の死は。




「……い、ん? ―――ッ!!」



体はまた勝手に動き出していた。














水の槍に穿たれたカジノは完全に倒壊した。
瓦礫が崩落し轟音を響かせ、みるみるうちに豪華な改装が砕け灰へと還っていく。
契約者といえど本質は人間。生身で受けて耐えられるものではない。
残ったのは赤黒い肉片ぐらいだろう。

「呆気ないものですよ……」

喜びはない。
ただ晴れることのない屈辱だけが、魏の中を占めていた。
優勝し黒を蘇らせる。だが、それでも屈辱が本当に晴れるかも分からない。
銀を蘇らせれば奴は再び、本当の意味で舞い戻るのか? それともこの場で死んだ連中を全て蘇らせばいいのか?

「いや、それ以前に……願いを叶える保証がない、か」

我ながら呆れ自嘲した。
それから、瓦礫の上を無造作に歩き踏みしめる。
意味はない。単に何か動きたかっただけだ。
何度か往復し、やっと訳の分からない衝動が収まる。
その時、一本の刃が魏の頬を掠った。

(包丁?)

咄嗟に感じた悪寒に従い魏は後退する。
それを追う様に瓦礫の隙間から黒い影が飛び出す。
例えるならそれは死だ。
魏の最期を運ぶかのように、ゆらりと闇を背景に歩む。そこには死人ではなく死神の姿があった。
しかし死を前にして、魏は喜びに震えていた。
魏が戦いたいと願い、屈辱を晴らすべき男が再び目の前に現れたのだ。
あの一瞬にして、何が起こり何が黒を促したのか。

「ッッ!! ……そうか……まだ、まだお前は……!」

力強い歩みと共に黒は担ぎ上げた銀の遺体を下ろした。
銀を寝かし、静かに黒は立ち上がる。
傷だらけの全身が赤く染まり、今にも消え入りそうな瞳だがその姿は以前のモノとは違う。
もう喋らない銀の頬に手を当て黒は呟く。

「―――」

そして黒は目を閉じ、二度と銀を見なかった。
完全な決別であり、それは生者と死者の境界を示す。
二人のミチシルベは終わってしまったのだと、他の誰でもない黒自身が受け入れなければならない。
本当の死の淵へ追いやられた時、黒は本能を超えた強い何かで生きようとしていた。
生きる意味などないと悟った自分を否定し、生き続けろと吼える己の声を聞いたのだ。
いや自分の声だけではない。そこには、きっと銀の声もあったはずだ。


「……」
「……」

まるで隙がない。
灰と砂を乗せた風が二人を煽り、コートを靡かせ髪を揺らす。
肌を砂が叩き、視界を灰が狭める。
両目を擦ろうとする生理現象を拳を握り、魏は押し殺した。
一時も目を離せるはすがない。その瞬間に己が二度目の敗北が決定するのだから。
瞬時に黒が振り返り、ディバックを投擲する。
水流が迸りディバックを粉砕した。収納されていた荷物が宙を舞い、雨のように降り注ぐ。
デバイス、飲料水、食料、そしてランダム支給品。
その中に見覚えのあるものがある。
先が割れ、黒色の刃を持つナイフ。それを認めた時、距離を詰めた黒が間近に迫った。

(速い!)

迷いなくナイフを掴み、魏の急所へと薙ぐ。
魏は後転しながら足を伸ばし黒の顎元へと蹴り上げる。
手を翳し爪先を掴み、黒の身体が青く発光した。舌打ちと共に魏は身体を捻り、黒の手を振りほどく。
体勢を立て直し、シャンバラを掴み転移する。
黒の死角にまで回り込んだ魏は血を振るう。
だが、先を読んだ黒が投げたナイフが魏の手にあるシャンバラを打ち砕いた。

―――黒と戦ったら貴方死ぬよ。

ブラックマリンの操作を受けた血を避け、黒は駆け抜ける。
魏がナイフを抜く。
二本の刃が触れあい火花を散らす。

―――だって、黒が勝つから。

かつて、あった筈の未来で告げられた終末宣言。
確かにそれは間違いではない。
アンバーの予言は絶対だ。外れることなどありえない。

(ならば、変えるまで……俺の未来は俺が決める)

魏のナイフが砕け散る。
折れたナイフを放り出し、ブラックマリンに意識を戻す。
黒が迫る。僅か一秒も経たぬ間だが、魏にとってはそれが数時間にも感じるほどの長さに思える。
その時、理解したのがこれが走馬灯であるということだ。

黒をアンバーの元へ案内し、ゲートの中での最後の対決。
魏は黒に勝利したと確信して指を鳴らした。だが崩れた柱からは、ナイフを携えた黒の姿が飛び込んだ。

『この能力(ちから)を手に入れてから、他人に負けることなどありえなかった。その屈辱、貴方に分かりますか?』

そして、この胸にあのナイフを付き立て―――魏は自ら自爆することで黒に道を開いた。

『いや』
『でしょうね……!』

ブラックマリンの支配下に置かれた水が黒を迎え撃つ。
だが捉えきれない。水が砕くのは影だけだ。
死が近づいてくる。
この胸に墓標を打ちたてようと、黒の死神が―――

完全に間合いを詰められる。
血に濡れた魏の腕が振るわれ、ナイフを構えた黒の腕が突き出される。


『―――やはり……こうなるか、俺がお前を殺してしまうようでは、道案内などさせるはずがない……』


二者の最後の一撃が交差し―――――







『行け、BK201』

魏の胸に触れる寸前、黒の腕が先に堕ちた。

血が黒の胸を汚し、光りだす。

当然の光景を目にした魏は、目の前の光景が嘘の様に見えた。
黒は魏と本格的な戦闘に入る前から、痛めつけられていた。
いかに強かろうと黒は人間だ。一定のダメージを食らえば動きは鈍り、それが限度まで達してしまえば―――。

「い……ん……すまな―――」

何に対しての謝罪か。断末魔と共に、乾いた音が響いた。
力なく崩れていく黒を水流が飲み込み、その全身を砕いていく。あとに残ったのは、赤い血が入れ混じった水溜りと黒い布切れだけだった。
いとも容易く、いとも簡単に。これまで何を以ってしても殺してやりたいと願った男を、たったいま魏は殺したのだ。

どうしてかは分からない。

ただ、この目で見るまで起き得る筈の現実を受け入れられなかった。

もしも、黒がもっと早く戦う意志を取り戻していれば、こんな結末にはならなかった。
もしも、早期に黒と戦えていれば最初から、全力の黒を殺せていたはずだ。
もしも、あの時銀を確保していれば、黒が腐ることもなかったかもしれない。

意味のない問答を胸内で繰り返す。
これから先、どう戦い生き残るべきか、壊されたシャンバラに次ぐ装備の調達、黒の首輪を回収しなければならないだとか、そういった合理的思考は全て排他される。
そうして思い起こされる。これが、人間の後悔という感情だと。
恨み、憎しみ、屈辱、後悔。
あらゆる感情が混在し、魏に何かを訴えかけようとしている無意味な機能。契約者として捨て去ったモノが魏の中を渦巻いていく。

「……」

バックからグラスを取り出す。そして手に持ったグラスに力を込め、手の握力だけで割ってしまう。
アルコールの匂いが鼻に纏わりつく、手を流れる液体の感触が癇に障る。
ガラスの破片ごと掌を握り締め、滲み出た血を辺り構わず振るう。
指を鳴らし、血の付いた箇所が幾つも消し飛ぶ。
それだけに飽き足らず、ブラックマリンを使用し水流で地面を穿ち続ける。
体力の消耗や、この轟音から参加者に居場所を感知されるといったおそれなど微塵も気にしない。
ただ破壊のみに魏の思考は費やされる。

「……」

何秒、何分、何時間。
正確なところは分からない。魏が冷静さを取り戻した時、その周囲には人の巨大な破壊痕とカジノの残骸のみが残されていた。
血の止血もせず、魏は新たにグラスを取り出し、口にする。


「フフフ……フハハハ……アッハハハハハハハハハ!!!」

勝利した。
契約者が感じることのない、喜びというものが魏を笑いへと誘う。
これほど待ち望み、そして手に入れた未来を、魏は噛み締めた。
アンバーの死の未来すら捻じ伏せた己に屈託のない賞賛を送り続ける。




「フフ……ハハ……―――――」




だが、笑い声は長くは続かなかった。








最終更新:2016年09月02日 19:54