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刹那の空劫 ◆BEQBTq4Ltk




 出番の時が来たれば、役者は戦場へ出陣し、己が定められる役を演じるのみ。




 万雷の拍手を浴び、黄色き声援が注がれ、時には憎悪の対象となりながらも、終幕へ向かう寸劇。




 数多の役者が泣き、笑い、憎しみ、感動を与え続けるも、形あるべき存在に待ち受けるは終の形容。




 時間は無限なれど、期間は有限也。




 故に省かれた僅かな時間が生じる。舞台の上では演じられずとも、同一の時間を背景に演じる影の役者。




 紡がれる演目は黄金。




 太陽が沈み、闇の中で演じられた惨劇を後に、黄金が再び輝く夜明け。




 黄金の輝きが訪れる寸前――組まれたロジックに隠された一手の神秘。







 出会いと別れを繰り返す輪廻の中であれど終焉は必ず訪れる。
 彼が死んで、彼女が生きようが、時間は止まる事無く、一つの結末に向け針を動かすのみ。
 死の概念が母なる大地へ還ると言うならば、生者は死者の上に立っているようなものだ。生を剥奪されたとしても、現世に関わりを持つ。
 断ち切れないのだ。死者のしがらみは生者の足首に纏わり付き、時には決断を鈍らせ同じ居場所へ誘う謂わば魔法のような現象に成り下がる。


 迷い、戸惑い。判断を怠った者から生命が消えて行く。
 それが偶然だろうが必然だろうが、この世に生きている存在は決断の一つで簡単にも、未来が変わってしまう。
 断ち切れ。死者に囚われるな。お前は生きている、まだ、全力を尽くせる権利を持ち得ているならば、最後まで足掻け。
 残された者に与えられるのは悲しみや絶望のみ――冗談じゃない。権利だ、機会だ、手札は尽きていない。


「ちょっと寄りたいところがあるんだ」
「時間が無い……ことはわざわざ強調する必要は」


 数少ない生存者となってしまったタスク雪ノ下雪乃佐倉杏子と別れ、最後の大仕事を担うために北西へ向かっていた。
 大仕事と言っても仮設であり、無駄な徒労に終わる可能性もあるのだが、藁にも縋る。賭けでも行わなければ、現状を打開出来ないのだ。
 ロックと呼ばれる殺し合いを動かすパンドラの箱を開けるために、中身すら知りもしないが彼らは向かうしか無い。


「分かっているさ」


 その中で、タスクが提案する寄り道に雪ノ下雪乃は疑問の声を上げる。
 当然だろう。時間は有限では無いのに、更に生存者が少ないこの状況で何を行うと言うのか。


「そもそも道筋にある建物に顔を出すだけだし、時間的なロスは無いよ」
「文句は出てこないけれど、今更許可を取るようなことかしら」
「ほら、ちょっと怖い空気あるし……ね?」


 とタスクが少々おどけたように言葉を述べると、薄っすらとだが寒気を感じた。
 背筋が凍るような衝動――雪ノ下雪乃を見れば、手に握られるは友であり刀であるアヌビス神が抜かれていた。






「じょ、冗談だって!」


 顔を下に向け目線がちょうど前髪で隠れているため、瞳が伺えず言ってしまえばホラー映画に登場するような雰囲気を漂わせている。
 妖刀の名に恥じぬ禍津とも敬称される歪な空気も重なりあった結果、刀身に反射する光が生命を貫くように輝いていた。


 雪ノ下雪乃は瞳を伏せため息を吐いた後にやれやれと言わんばかりの表情でアヌビス神をバッグに仕舞い込む。
「私も冗談。タスクさんがそこまで驚くことに驚いたけれど……」
 髪を掻き分ける仕草から女性特有の匂いが流れ出しタスクの鼻元へ辿り着くと、彼は頬を若干染めるものの邪念を追い払うように首を振るう。


 何を考えているんだ。状況を考えろと己を責め立てるが、必要以上に緊迫し空気を重たくするよりかは好ましい。


「誰かが居るなら僕達の儲けもの。味方なら大当たり、敵なら……まあ、なんとかするよ」
「……頼らせてもらいます。私に戦う力なんてないから」
「任せといて。もう、死なせないから」
 一歩を踏み出し彼女に背中を見せる形で呟く。一種の哀愁を漂わせるような、覚悟を感じさせながらも寂しい背中。
 彼とて救えなかった生命が多く存在する。もう死なせない――どの口が言うのかと他人は馬鹿にするだろう。



 受けよう、その言葉は正面から受け止める。



「じゃあ、行こう!」



 振り向きざまに風がふわりと優しく彼を包む。
 辛いだろう、苦しいだろう、今にも現実から逃げ出したいだろう。嗚呼、夢であればどれだけよかったか。
 タスクは雪ノ下雪乃への精神的負担を軽減するために笑顔で、時計塔を目指し始めた。







 彼女達が生存者をどれだけ把握しているのか。
 少なくとも学院での演劇とも呼べる戦場を見ていない故に判断は不可能である。
 楽観的に考えれば生存者の多くは所謂味方――終局に向かう殺戮の宴の出口が見え始める。




 しかしそれは全ての要素に上昇補正を掛けた奇跡の仮定だ。ハッピーエンドに辿り着く前提で話を進行する事と同義。
 現に泉新一が、アカメが死んでいる。それに加え鳴上悠も死亡し島村卯月や本田未央、高坂穂乃果といった少女達もこの世を去った。




 彼ら、彼女らは前に進む勇気と覚悟を持っている。
 けれども個人差は人間故に存在し、大なり小なりの溝が生まれるのは自然である。




 生存者九人中八人に共通し残り一人にだけ存在しない――隔絶が響くまで。







 せっかく明るくなったかと思えば、ドンパチドンパチと忙しなく鼓膜を突き破る音が西から聞こえる。
 この中で眠れなんて冗談じゃ無い。


「予定が狂うけど問題は何にもない……か」


 暖かい布団から起き上がると、面倒だから畳むこともせずに俺はカーテンを開いた。
 太陽の光が焼き殺す勢いで身体を包む。吸血鬼なら簡単に灰と化せる程度には眩しすぎた。
 吸血鬼と言えばDIOは結局のところ、吸血鬼そのものだったのだろうか。アヴドゥルが言っていたことを信じるならあいつは吸血鬼だ。
 目で確かためた訳ではないから断定は出来ないが、アヴドゥルが嘘を吐く確立は低いだろう。少なくとも承太郎よりかは信頼出来る。
 つっても世間から見ればあいつらが正義で、正しくて。
 俺みたいな存在は路地裏に佇んでいそうな悪で、社会の塵なんだろうけど。


 ……目覚めた直後に考えることじゃないな。
 ただでさえ寝起きは気分が優れないと相場が決まっている。あぁ、最悪なテンションだ。
 安易な考えだが身体を動かせば少しは好転すると思い込んで、俺は宿直室から移動を始める。
 本来ならじっと黙っていたり、そのまま二度寝をするが、西で騒いでいた奴らがこっちに向かっている可能性が高い。
 識る限りじゃ東には多くの参加者が残っている。例えばエンブリヲにヒースクリフ……忌々しいクソ野郎共達がな。
 他にも餓鬼共が生きていた、それも数は多い。偶然の示合わせにしちゃあ集まりすぎている。


「げっ、忘れてたけど下手すりゃあ東からキング・ブラッドレイが来るのか……ん、西か?」


 俺が鳴上悠を追い掛けた後に御坂やエンブリヲ、ヒースクリフで一悶着があったことは空気で分かっていた。
 明らかに不機嫌そうな顔してたもんな。帰ってきたら島村卯月も死んでいた。不機嫌になるなら最初から殺すな馬鹿がよぉ。
 あの状況で結局はエルフ耳の野郎で全てが終わったけど、どうにもキング・ブラッドレイが来るだとか言っていた記憶がある。
 あいつが東西南北のどっかから向かっているかは識らないが、出来れば北や南へ向かえって感じだ。


「来たら来で殺すだけなんだけどな」


 ヤバいと噂の男だが、いや、普通にヤバい。
 エンカウント拒否を起こしたいぐらいには相手をしたくないんだよ。
 生きている奴らの中じゃエンブリヲ、御坂、キング・ブラッドレイは絶対に遭遇したくない。
 単純に疲れるんだよ、あいつら。
 どいつもこいつも最初の設計図の時点で螺子が欠けているような存在だろ。馬鹿みたく強いから、己の異端差を日常の平均と見間違ってやがる。



 残りの生存人数は識らんけど、他に生きている確立があるのはアカメとかか?
 あの女も正面からやり合うのは面倒だが、さっきの馬鹿共と比べたら大分マシよ。
 放送のシステムが生き残ってるなら、嫌でも死者が発表されるからな。呼ばれた生き霊に興味なんて無いね。
 ついでに広川の名前も何かの手違いで呼ばれないかなあ!? なんてことさえ思っちまう。
 あいつもあいつでクソ野郎だ。狂っているとしか言いようのない男で、そもそも何が殺しあいだお前をぶっ殺すぞ。
 最後の一人になれば願いを叶えてもらって生還出来るらしい。そのくだらねえ餌に釣られてどいつもこいつも仕方なく踊ってんだよ。
 お前の汚くて小さな醜い掌の上でな。


「……っぁ、眩しいな」


 荒れに荒れた図書館から出ると直射日光が俺を厚く迎えた。いらん歓迎に舌打ちを零すが妙に小物臭え。
 今更取り繕う必要も無いが、こんな箱庭の世界でも太陽は正直だ。光を浴びれば、意識は嫌でも目覚めちまう。


「そういやこれって本物か?」


 時間軸を超越する力。広川が持っていると思われる巫山戯た力だ。こんな馬鹿げたものを前提に物事を考えるなんざ警察の端くれとしてどうなんだか。
 出会った参加者の連中は全員、攫われた記憶を持っていない。全員と情報交換をしたわけではないが、少なくともヒースクリフやアヴドゥルそれにエスデスは俺と同じだ。
 この一点じゃ同じ無力の塊だが、どんな括りであれこいつらと一緒はごめんだね。百歩譲ってヒースクリフとアヴドゥルまでだ。
 スタンドやペルソナ、帝具に錬金術を持ち得ていても結局は広川に届かない。神様ってのが存在するならきっと全知全能の能力を持っているんだろう。


 気まぐれで殺し合いを起こす奴だ、全うな人生を送っていないことなんて考えなくても分かる。
 太陽の一つや二つでも簡単に作製出来るんだろう。あぁ、どうしてこんなことに巻き込まれてしまったのか。
 目的があるなら巻き込むなって話だ。道楽ならお前一人が勝手に死んでろ。
 大地を靴裏が擦る。あーあ、大分擦れてるや。


 物は有限だ。無限なんて基本的に人理を超越したキチガイだとかチートの類いだ。
 歩けば靴裏は減る。殺せば人間は死ぬ。新たに補充したところでそれは永久機関擬きに過ぎない。
 俺は、人間は死ぬ。クローンでさえ個体は違うんだよ。その点だけは御坂に同情してやる。けど、それだけだ。お前も死ね。



 図書館で落ちてた一面に描かれていた実験は吐き気を催すレベルだったね。世界が違えば人間は本当にクソだ。いや、どこでもクソはクソだけど。
 少し殺されても、種としての数を減らしたところで問題は無いのかもしれない。倫理観の話じゃ一発アウトだけど、人間がある程度壊滅しても世界は廻る。
 科学の進歩も行き過ぎは駄目だな。


 ……ヒースクリフ。あいつも科学分野の人間だったはず。
 御坂もあいつも科学を囓ってるなら少しぐらいはこの邪魔な首輪を外せ。
 触れてみると金属特有の冷たい感触が指を伝わり、冷えた温度が体中を支配するように広がった。
 支配されている。広川に生命を握られると実感するから嫌いなんだよ、こいつは。


 首輪が無けりゃあ行動の幅は余裕で広がる。怯える必要も無ければ無理に殺す必要も無い。
 好き好んで誰が他人を殺すのか……一部の異端野郎共は別として、多くの人間が殺人なんかに手を染めたくないと思っている。
 警察やってりゃあ嫌でも死に関わるが、馴れることは一切無い。今でも死体と直面すれば気分が悪くなる。
 吐きたくて、それでも我慢しなくちゃならないから口元を押さえる姿は■■さんに無理するなとか言われてたっけ。


 ただ、このどうしようもない嫌悪感が俺を人間として留まらせてくれている。
 灰掛かったくだらない日常を送る中で時折だが、自分がとてもつまらなく、小さな人間として感じる時がある。
 他人の死に感情を抱いている時、不謹慎ながらも俺は生を感じているんだ。嗚呼、俺にもまだ人並みの何かしらが残っているんだな、って。


 首輪を嵌められた今じゃ俺たちは広川の飼い犬に成り下がっている。
 あいつの命令一つに逆らえばボンと軽快な音を響かせ、そのくせに実態は重く人間の生命が散るんだ。
 やってられっか。
 こんなチンケな首輪一つで永遠に怯える生活だなんてごめんだね。


「お前はいいよな、嵌められる首輪が無くて」


 俺はこっちに歩いてくる猫に話し掛けた。周りから見られていたら頭のおかしい奴だと思われそうだが、今更気にすることでもない。
 覗かれていようが遅かれ早かれ全員殺すんだ、猫と会話しているメルヘン的な側面を見られようが関係ない。
 ……まあ、鳴上悠が化けて出て来たなら考えるけどな。


「シャー!」


「っと!」


 頭を撫でようと膝を曲げ腕を伸ばしたところで猫は威嚇をしてきた。それも毛先逆立て警戒全開だ。
 思わず声を出して手を引っ込める。爪傷が生まれるなんて馬鹿らしい。
 動物に嫌われようがなんとも思わない。別に八つ当たりを行う訳でも無いため、俺は猫から身体ごと遠ざかる。



 自由の身ならどれだけ楽だったか。誰が好き好んで他人を殺すものか。
 猫に憧れを抱く日が来るとは思ってもいなかったが、今は自由気ままに時間を過ごしたい気分だ。
 空を見上げれば太陽が輝き、雲が流され、青空は遙か彼方まで続いている。
 一つの空間みたいに構成されているこの世界も、裏返せば何かの世界を模倣したのだろう。
 まだサイバー的な空間ならば夢だとかゲームだとか割り切れたものだ。俺なら遊びだと勘違いするね。


「あぁ、やってらんねえわ」


 猫を背後に空へ腕を伸ばす。ぐっと疲れが表に出るように俺の表情はたいそう緩んでいるだろう。
 疲れが溜まれに溜まっている。それはどいつもこいつも一緒だが、生憎、疲労度なら負けている気がしないね。
 そもそも俺は最初からハードモードだった。強くてニューゲームみたいな補正が無い状態で殺し合いが始まった。
 鐘の音が響いている中で俺はこの世の終わりを悟った。最初はチャンスが巡ってきたと思ったさ。


 マヨナカテレビの中で追い詰められた俺は人生を諦めた。元から視界に映るくだらない世界に飽き飽きしていたが、限界だった。
 どうせ死ぬならガキ共の手で殺されるなんてプライドが許さない。地に墜ちているがそれでも俺なりに譲れないものがあったんだ。
 自殺を図ろうとした瞬間――気付けば上条当麻ってガキが殺されて殺し合いの幕が上がったって訳よ。
 ここを逃せば俺は駄目だと思ったね。何せ俺は生きている、ついでに嘘か本当かは識らんが願いを叶えてくれるおまけ付きだ。
 半信半疑で、こんなもん正常な状態なら信じないが、今の俺にとっては天から吊らされた釣り餌だ。喜んで手を伸ばす。
 メイビーラストチャンス、足立透に残された最初で最後の大博打……になるはずだった。
 結果はこのとおり。生きている、だけどペルソナは発動しない、承太郎はウザい、エスデスはヤバい、電車は爆発する……散々なものだった。


「……あと何人消えれば俺は終わるんだろうな」


 終わるってなんだよ。自分の呟きに苦笑を零しつつ俺は足を進める。
 行き先は西。よくよく考えればキング・ブラッドレイが学院に向かっているなら、とうに到着しているだろう。
 俺は安全に動ける。どうせ東の方が危険なんだ、西に向かうぐらいどうってことはない。
 南は嫌だな。電車には苦い記憶があるし、どうもあっちに行けば承太郎やセリュー、暁美ほむらを思い出してしまう。


「――ッ! あの猫、くっそ!」


 深い心の底で疎らだった要素が一つの点に集中するように、俺の中で思わぬ線が繋がった。
 雷に打たれたかのような衝撃は心地良いもんじゃ無く、獲物を逃がしてしまったような感覚だ。
 黒猫を見た時、何故思い浮かばなかったのか。思い出した理由がセリューなこともまた、最悪の印象を植え付ける。
 あの女が連れていた小動物を思い出せ、アレと黒猫には共通点がある。それは人間外だとかの大きな括りでは無く、殺し合いに直結するピンポイント。


「首輪を嵌めていないなら支給品か……」


 思い返せば、参加者以外の生物を見ていない。
 つまり支給品外に知的生命体はいないと仮定付けれるため、先程すれ違った黒猫は誰かと接触した可能性がある。
 ここで俺は勘ぐった。ただの猫なら問題無いが、あの猫は俺に対し威嚇を行った。つまり、だ。
 俺に警戒しているんだから、何か情報を吹き込まれたんじゃ無いか。知能のある猫がいたって今更驚くもんか。


「しくじった……もう見えねえし」


 後悔したところで振り返ると、猫の影なんてこれっぽちも見えやしねえ。やる気を無くすように俺は溜息を零した。
 集中力が切れている証拠だ。いや、集中していれば猫を警戒していたのか?
 どうにもそんな風に自分自身を信じれないが、過ぎちまったことなら、前を向くしかねえ。言葉だけなら前向きで笑っちまう。


「――お」


 太陽が昇っていると、遠くまでよく見える。
 俺の遙か先に人影を発見。背丈からして少女程度の認識で大丈夫だろう。
 殺し合いで出会った少女に良い思い出なんて一つも無いが、どうせ最後の一人しか生き残れないなら。




 俺だって、やってやるさ。




 ◆




 時計塔に辿り着きその全貌を視界に収めた感想は余りにも簡素なものである。タスクと雪ノ下雪乃の口から溢れる言葉に抑揚など存在しない。
「……派手に壊れているね」
「入口に壁面、肝心の時計盤も破壊されているけれど、崩れていないのは流石……」
 崩壊寸前――と表現するには些か装飾されることになるが、一般的な建築物と称するには首を縦に振り難い。
 そもそも周辺の大地が捲れており、自然の緑色を超える割合で荒々しい黄土が目立っている時点で嫌な予感があった。
 南へ視線を向けると草木が燃え尽きた痕跡もあり、時計塔周辺で大規模な戦闘が行われていたことは間違いないだろう。


 入り口付近に手を掛けるとガラガラと分かりやすい音を立てながら一部が崩れ始め、タスクの足元に掌程の瓦礫が転がる。
 想像以上の脆さに乾いた笑いを浮かべるものの、廃墟未満な時計塔が本当の意味で崩壊するとは考えにくい判断を下し、中へ足を進める。
 脆さは稚拙な表現をするならばボロボロ。逆に言えばその程度であり、原型は留めている。


 彼の跡を追う雪ノ下雪乃だが、足元に転がり落ちた瓦礫を見つめると汗が流れ始め、袖で拭う。
 これまでに多くの恐怖や試練に立ち向かって来たが慣れることは無い。日常の先に広がる未知の危険に心が圧迫されてしまう。
 先陣を切るタスクは流石男性……いや、日夜生命の境界線を彷徨う存在の証だろう。泉新一にしてもアカメにしても、肝の座り方が己とは異なる。
 黙っていれば置いて行かれそうで、なのに声を掛け迷惑になりたくもない。
 自分に出来ることだけを――思うにも、誓うにも。大義を掲げるにも自由だ。理想を高く持ち、達成できなかった所で咎める者はいない。
 出口の無い迷路に迷い込んでいるのは自覚している。時間を過ごせば嫌でも解ってしまう。そうでも無ければあの人は――死んでなどいないはず。



「うわぁ……酷い有様だね」



 雪ノ下雪乃がタスクの隣に辿り着くと、視界への情景と彼の言葉により一層際立って惨劇があったであろうことを連想する。
 外観からして崩壊気味だったのだ、内部も同程度に荒れていると想定するのが普通だろう。現に廃墟としての役割を果たしている。
 床が捲れ大地が顔を出しており、室内に居ながら横に視線を向ければ外と何ら変わりない風景が広がっている。さて、塔とは何なのか。
 一応ではあるが螺旋階段は無事である。上へ昇ることは可能そうだが、渡っている最中に崩れる可能性もあるため、雪ノ下雪乃は独り静かに視線を逸した。
「雨は凌げても風は無理そう……探索するだけ無駄なような気もします」
「そんな気がして来たよ……はは」
 貴重な時間を割いた結果に成果が一つも上がらない。
 ペナルティが発動する訳でも無く対価が存在する誓約も無い。けれども、心情的にはやはり収穫が欲しいところである。
 この廃墟と化した時計塔に何があるのか。何も無いだろうとタスク一行の思考に直結する荒んだ内部に期待をする方が酷というものだろう。


「じゃあ……十分経ったらこのフロアでいいのかな。フロアと言っても他に部屋がある訳じゃないし、階段を登っても一番上以外には何も無さそうだね。
 だからこの辺を見よう。何かあったら叫んで、俺が駆け寄るから……でも、壁も無いしちゃんと警戒しているから大丈夫だとは思うけど……それじゃあ十分後に」






 彼女達が背負った宿命は果たして、これが正しいのか。
 学院内の教室に立つエドワード・エルリックが見下す形となってしまった死体は一切の動きを見せない。
 この世から生命を失った故に当然である。死体が動き出せばそれは冥府に縛り付けられた哀れな魂の叫びだ。


 握る拳に力が自然と入る。救えなかった名も知らぬ少女達の前に、エドワード・エルリックは無力である。
 彼が早く駆け付ければ。手を染めたであろう仕立人と対面し、消える筈だった彼女達を救えたかも知れない。


 もしもの話だ。


 実際に彼が間に合ったところで彼女達へ救済の導きを施せるかは神のみぞ知る。
 識らぬ状況ではあるが、この学院には役者が揃いすぎた。多くの情報を掻い摘まんでも手に余る。
 物語は飛躍的に加速し、これこそもしもの話ではあるが、一つの終焉を迎えた可能性も捨てきれない。
 さて、彼女達を安全に並べたエドワード・エルリックは次に、学院内の探索を行う。


 本来の役目を思い出せば、振り返るは白井黒子との約束であり、対象は高坂穂乃果である。
 御坂美琴を相手に残った一人の友と果たした約束を守るためにも、エドワード・エルリックに立ち止まることは許されない。
 忘れるものか、この約束を無碍にしてたまるものか。
 たとえ闇がこの身を飲み込もうがそれらを押し払ってでも、果たすべき約束がある。


 遅れた時間を取り戻せ。
 二度と戻らない時であろうが、結果は変えられる。足掻け、求め続けろ。
 死亡した人間は生き返らない。本来生命のあるべき姿であり故郷である土へ還ったのだ。
 形こそ失うも、思い出や記憶は残り続け、生きた証は永遠に受け継がれる。絶やすな、その死を無駄にするな。


 高坂穂乃果のために階段を駆け上がり、目にする扉を全て開き、罠が潜んでいる可能性も大きいが対処すればいい話。
 各教室から集めに集めた資材は錬成の糧となり、鋼の錬金術師が進む道を切り開くだろう。
 挑む相手が待ち受ければ上等。
 研ぎ澄まされた牙は正気を荒立てずとも、内なる中で活路を見出す強力な武器となる。



 この手で救えるならば、救ってやる。


 数時間で多くの存在を失い続けた男。
 その決意、一度たりとも揺らぐことは無く、たとえ結果が備わっていなくとも、彼の足掻きは無駄と吐き捨てられるものではない。


 階段を駆け上がり視界に映るは漏れる月明かり――否、時刻は夜を越えている。
 淡い光の正体は自然現象とは真逆に位置する人工的に放たれる機械の閃光。教室の隙間から漏れる残滓の正体だ。
 エドワード・エルリックの警戒心が最大限にまで引き上げられ、駆け抜ける両脚が一瞬にしてその動きを止めた。


 楽観的な発想をすれば高坂穂乃果が何かしらの照明器具に対し、不注意から生まれた悪意無き自己主張の可能性。
 悲観的な発想をすれば血肉に餓えた極悪非道の存在が罠とし、扉の先に待ち受ける地獄の手招き。


 前者であればどれだけ事が楽に進むだろうか。後者であればどれだけ神は彼に試練を与えるのか。


 結果的に、可能性の世界だ。エドワード・エルリックが取る行動が変動されることは無い。


「誰か居るみたいだな」


 扉の前に辿り着くと彼は構わず隙間に右足のつま先を捻子込ませると、足裏で蹴るように左へ扉をスライドさせた。
 端に到達した扉は衝突音を響かせ室内に踏み込む鋼の錬金術師への注目を最大限にまで引き上げる予定だった。


「……?」


 臨戦態勢に移行されていた拳はだらんと下がっており、一瞬の間が過ぎると彼の口から溜息が零れる。
 結果として教室内に人影は無し。最悪の引きを見せなかっただけ幾分かマシな状況だが、尋ね人は此処に在らず。
 改めて室内を見渡すも、それ程にまで広さを持たない空間だ。元々見落とすこともないだろう。
 気になることがあるとするならば、僅かに漂う鮮血特有の匂い。
 小さな小競り合いでもあったのだろう。真新しい傷は見当たらないが、この室内を舞台に一つの戦花が咲いたらしい。
 そしてもう一つこそがエドワード・エルリックが踏み込む要因となった灯りの正体である。



 パソコン。
 ただの電子機器のモニターが光っており、電源が落とされていないだけのこと。
 ただの消し忘れと流せばそれで終わりではあるが、生憎、エドワード・エルリックにとってパソコンは未知なる存在。
 殺し合いに多くの人間が巻き込まれ、人種や世界を超えた範囲で招集されていることは勘付いている。
 彼の世界に形の前段階たる概念すら存在しない科学の結晶を前に、身を固めてしまう。


 支給されているデバイスにも通じるが、やはり殺戮の宴を担う相手は未知に包まれている。
 拉致された。発言のみならば誰にでも行える。しかし、説明出来るだろうか。
 記憶が、失われているよりも、最初から存在しない――謂わば、空白の時間が存在する。


 激動の時に流され続け、それでも己を見失わずに奮闘。けれど肝心な事が抜け落ちていた。




 何故、殺し合いをしているのか。




 首輪を嵌められているからか? 違う。
 願いのためにか? 違う。
 現実に絶望し全てを破壊するためか? 違う。


 彼個人の話に限らない。参加者全員に係る意思と現実の乖離、ふわふわとした状況に流された結果の体現。


 何故、殺し合いが行われているのか。


 開幕の儀式を辿る。
 記憶の中に残る細い糸を手繰り、現れる男の影はやはり広川だ。
 全うな説明もせずに告げられる宴の概要を聞くことしか、身体の自由が許されていない。



 ただ一人、上条当麻と呼ばれた男を除いて。


 彼だけは広川に対し、抑制すること無く、魂の叫びを響かせていた。
 王に対する謁見を許された一人の民だ。状況からして民衆に見守られていることと相違はない。
 イマジンブレイカーと称された力を用いて広川の呪縛から抜け出したようだが、聞くまでもなくこの世を去ってしまった。
 無力だ。殺害される上条当麻を見ていることしか、処刑台を見つめる群衆と何一つ変わらない。


 思い返せばあの状況で誰も行動を起こさなかったとは考えにくい。
 己も含めロイ・マスタングもきっと志を同じにしていただろう。白井黒子やあの御坂美琴ですら黙っているとは思えない。
 口が悪かったアンジュも、短い言葉しか交わせなかった多くの参加者も運命に抗おうとしたはずだ。


 結果として上条当麻だけが動けたのはイマジンブレイカーのおかげと考えるのが妥当である。
 仮に広川が彼だけに呪縛を与えぬとは考えにくい。見せしめのためと言ってしまえばそれだけになる。
 けれど、意思の真意すら見えぬ環境で真実を引き出すなど所詮は仮定の域を出ない。


 殺し合いの先に何を見据えているのか。多くの血を流し、彼が成し遂げようとする事象は未だに闇の中だ。


 さて。


 エドワード・エルリックが上条当麻を思い出したことに理由がある。
 学院内に潜入し電子機器を見ただけで彼のことを思い出すなど、思考の流れとしては説明出来ない。
 何事にもきっかけが存在する。言葉すら交わしたことのない彼を連想する起因となった現象だ。



「お前は誰なんだ……何をするつもりなんだ?」



 視線の先に刻まれる文字列は彼を真理へ誘う。



 ◆



 最初からだ。
 目から得る情報、耳から入る情報、鼻にする情報――あらゆる器官が発する信号。
 足を踏み入れた瞬間に己を包み込む不快な塊は言葉にせずとも、慣れている人間ならば嫌でも気付いてしまう。


 血、血、血。


 どれだけ壁面が崩れようと時計塔内部に漂う血液の残滓が異様を放ち、訪れる人間に不快感を与え続ける。
 雪ノ下雪乃の顔色が優れておらず、発汗している姿から彼女も感じ取っていたのだろう。
 留まらせては心に穢れが発生し唯でさえ過酷な状況に抗う生気が枯渇してしまう。別行動と称しながら風通しの良い入り口付近へ誘導させたのはタスクの気遣いである。


 子供の悪戯では済まない程に荒らされた光景から戦闘が起こったであろうことは確定的だろう。
 広い視野で周囲を見渡す。平面では無く空間として一帯を捉えた場合、損傷箇所が拡散されているのが印象に残る。
 仮に地上で剣を用い鋼の旋律を響かせているだけならば、わざわざ天井や壁に穴が空くことなど無いだろう。弾丸を放つだけで大地が隆起しないことも同義。
 魔法や魔術と称され異なる世界にすればマナの活用や超能力と呼ばれる類の兵器ならば、納得する事は出来ずとも仮説としての採用は可能だ。


 再び太陽が昇り多くの生命が散った。
 中には信じられない能力を持つ人間もいた。本当に人間だったかどうかは解らない。けれどもタスクの目に彼らは人の形として見えていた。
 種族が異なれば価値観にも大きな隔たりがあろう。それでも人間だった。同じ、そうだ、同じ人間が殆どだった。


「……!」


 人間を構成する物質。体内を駆け巡る血液が動力の一部となっていることに今更解説など必要ないだろう。
 溢れているのだ。高層部の崩れた壁穴から室内に垂れる陽光が反射し既に乾いた黒き血液が光沢の無い輝きを放つ。
 四方に散らばる血液の元――収束地点は時計塔中央に位置する瓦礫だ。高さにして人間三人分が丁度いい。その下から血液が流れていた。


 一度感知してしまえば、目が離せない。
 視界に入るだけで不快になろう、それは血を纏うのだ。嘗て人間と呼ばれた名残を現世に留まらせる。
 誰が望んだのか。瓦礫の下から流れ出るならば、その人間は何処に居る。血液の元となる人間は何処に居る。
 大して学の無い者でも解ろう。教科書を文字通り読み上げることと何ら変わりない。瓦礫の下に――数歩近付いたタスクは気付いてしまう。


「……まさか」




 瓦礫から抗ったかのようにはみ出る帽子は何処か見覚えがある。
 たしか――そうだ。元の知り合いでは無くこの会場で出会った仲間の遺物だ。


「――ッ!」


 パンと軽快な音が響く。しかし奏でた本人であるタスクの顔付きは重く、暗さを秘めている。
 思考が腐った物だ、今しがた己は何を思ったのか。紅を帯びる頬を抑えながら帽子を拾い上げた。
 結論は間違いではない。正解であり寧ろこの状況では現実を受け止めている訳であり、好ましい判断とも言える。
 しかし、帽子を見た瞬間に遺物と判断した。そう――遺物。既に持ち主だった人物を故人として扱ってしまった。


 無論、その男は名前を数時間前に読み上げられている。タスクの反応は正しいのだ、恥じることなど無いだろう。
 けれど、けれどだ。
 感傷に浸る時間。明らかに遺物を見た瞬間に死者のしがらみに捕らわれてしまった。
 一欠片の刹那にも満たない一瞬であったが、冥府より延びる腕に足首を掴まれたように、思い出を振り返ろうとしていた。
 死者が腕を伸ばすものか。己が勝手に感じてしまったのだ。交流を、言葉を、暖かさを、ジョセフ・ジョースターを。


 彼との接触時間は限りなく短い。交流には程遠く接触の評価が正しい。
 狡噛慎也達との時間が圧倒的に長く、出会いと別れに思いを馳せるのも困難だろう。
 それでも、仲間だった。例え一瞬の出会いだろうと同じ志を持った仲間だ。その死に何も感じなかったと言えば嘘になる。


 流れる涙――などあるものか。枯れている、とうに枯れているのだ。
 瞳に潤いが帯びることあれど、流れることなどあるものか。前を向け、感傷に浸る時間は無い。
 此処で立ち止まれば進まない。狡噛慎也が、泉新一が、アカメが、アンジュが――天に昇った仲間の意思を継げ。


 長い二日間だった。否、終わってなどいない。
 休息を得ることも無く永劫回帰、終わりの見えない死の争奪。
 出会った仲間がこの世を去り、思い人でさえも死神の鎌に斬り裂かれ生を失った。
 彼らの物語は幕を閉じる。死が訪れれば主人公として舞台の上に上がることは無いだろう。
 それこそ奇跡――黄泉の国から門を突破し現世へ降臨などしない限りは不可能だ。彼らの時は止まってしまった。


 動かぬ時計の針を無理に進めることなどしない。
 万物に訪れる死を掘り返しては、顔向けなど出来ないだろう。特別だ。特別は特別故に特別と呼ばれる。
 舞台から降りた役者に求めるものは針を進める時間――否。
 死者とて何も死すれば木偶の坊、という訳でも無い。意思を継がれ、志を共にした仲間が、道を切り開く。



 ジョセフ・ジョースターの帽子をバッグに収納すると、陽光が身体を照らしていることにタスクは気付く。
 彼の時は止まっていたらしく、今の今までその事実を認知していなかった。煌めきを直視出来ずに瞳を伏せる。
 その際に赤黒き血液が視界に入るものの、振り返る時間は終了している。その刹那は既に過去のものとなったのだ。


 足を進めろ。
 結果として時計塔内部に情報は残っていない。得たものと云えば崩壊状態に近いことだけ。
 必要の無いデータであり、保存するかどうかすら躊躇う程である。
 無駄足と呼べよう。しかし、これからの出来事を考えれば最後の休息となるかもしれない。そうであれば良かったと思えよう。


 これから向かうは一つの終着点。
 参加者を縛る枷を破壊する――ロックの解除。
 何が待ち受けているかも不明となれば、解除の先に起きる現象すら未知の世界である。
 将又、解除など淡い幻想であり、主催者の罠として禁忌の悲劇が幕を開ける可能性すらある。
 パンドラの匣を開けることになるだろう。彼らが目指している解放に何も確証は無い。


 終わればそれまでだ。会場が崩壊しようが、首輪が爆発しようが、生命が散ろうが。
 彼の生命が潰えるだけ。困ることと云えば雪ノ下雪乃も道連れになる可能性が高いことだ。
 彼女だけは巻き込みたく無いが、悠長なことも言っていられない。最も留守番を命じて待つような人間では無い。
 短い時間ながら彼女の事は少しだけ理解したつもりだ。無口に見えて一度口を動かしたら流れる言葉が止まらない。
 皮肉を交えて責め立てるが冷酷な少女ではなく、年相応の感情を持ち、何よりも現実と対峙する覚悟と勇気を持ち合わせている。


 大切な人を失った。その現実に向き合っている――と思いたい。
 少なくとも表には出さずに、必要以上の感情を露わにし周囲へ当たり散らすことはしていない。
 断言こそ出来ないが、その胸の内にまだ黒い影が残っているかもしれない。それこそ大切な人を失ったのだ、当然のことと言えよう。
 特別な力を持たない彼女が此処まで生き延びたのだ。その掛け替えのない生命こそ、真に守るべき存在であり、己の身を投げ売ってでも構わない。


『そろそろいいかね――まずはお疲れ様、とでも言っておこうか』


 運命とは常に唐突な変化を齎し、神の気まぐれだ。
 アンジュとの出会いも――殺し合いに巻き込まれたことも運命と云えよう。そして、目に見えない因果の収束である。
 この声に聞き覚えがある。時計塔内部に響き渡る音声に嫌でも聞き覚えがあるのだ。
 忌々しい、何故この声に意識を奪われるのか。下手をすれば参加者の中でも多く耳にした部類に入ってしまう。
 参加者の表現は違う。この存在は異議。舞台に昇らずに演出したつもりになっている道化以下の存在に過ぎない。


 自然とタスクの拳が握られる。
 そして力が入り込み身体全体が震え上がる。その表情は怒りを帯びていた。

最終更新:2017年01月29日 19:58