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遊技盤の主は盤上を支配するのか(前編)◆BEQBTq4Ltk
時計塔内部で繰り広げられるは此度の宴に於ける終わりの汽笛。
魔法少女の戦い方は個人によって異なる。スタイルと言うよりも彼女達の現し世たる魔法だ。
鹿目まどかと
暁美ほむら。それに目の前で槍を握る
佐倉杏子。彼女達の獲物はそれぞれ違う物だという当たり前の情報を
足立透は改めて頭の片隅に置いておく。
佐倉杏子が突然に銃や弓を精製する確率は低い。つまり、この魔法少女は遠距離攻撃の術を持っていない。可能ならば既に手を打っているだろう。
その隣に立つ男、
タスク。
面倒な支給品が渡っていない限りは近距離主体の術しか持ち合わせていないだろう。構えられた刀がそれを象徴している。
崩れた外壁から差し込む光が刀身に反射している。何処かで見覚えがあるような刀だが、今はどうでもいいと足立透はただ、目の前の敵を見つめる。
――接近戦しか出来ない雑魚なら負けることなんてありえねえ。
頭は思ったよりも冷静である。
一触即発、絶体絶命の状況ではあるが一度、放送によって思考が途絶えた影響か頭の回転は止まっていない。
死者の数はまあ想像に近い。学院の騒動の後にこれだけの死者が出たことだけが予想外であった。
結局のところ、学院に
キング・ブラッドレイが来襲したかなど欠片の興味も抱かないが名前を呼ばれたことから、そうであったのだろう。
予想外と言えばもう一つ。ヒースクリフの名前が呼ばれたことだ。
足立透にとっては殺し合いに於ける初の遭遇者であり、共に行動した時間は下手をすればどの参加者よりも長い可能性すらある。
情を抱いている訳ではないが、頭も切れる彼が簡単に脱落するとは考えていなかった。学院で
鳴上悠を嵌めようとした時も、対峙したのは彼だった。
――距離を詰められる前に殺す。慢心で首元抉られる……ごめん、だね。殺るなら徹底的にだ。
頭がやけに透き通っているのも問題だと感じながら、足立透は一呼吸於くと目の前の敵に再度照準を合わせた。
死人に構い生者までもが冥府に運び込まれるなどとんだ笑い話である。残り九人、ここまで生き残ったならば最後まで足掻く。
「もう少しだけ待っていろよな……全部、終わらせるから」
戦場を駆ける一番槍は佐倉杏子。放送により告げられた仲間達へ短く一言を済ますと、己の役割を果たすべく大地を蹴り上げた。
最早駆けるよりも翔けるに近い。飛躍する小さい身体を名一杯反らせると反動を利用した槍の叩き付けを足立透へ振り下ろす。
各々の耳に届いた音は金属音。マガツイザナギが空間に割り込むことにより主である足立透を守るべく、その獲物を構え佐倉杏子の一撃を防ぐ。
舌打ちをしつつも槍を即座に分解させ、胴を鎖状に変化させるとマガツイザナギの動きを封じるべく絡め取る。
「学習しろよ」
四半世紀も生きていなければ義務教育も終えていない。だが、数時間前と同じ過ちを繰り返すのは流石に馬鹿だろうと足立透は呆れた表情を浮かべた。
マガツイザナギの力をその小さい質量で押さえ込むなど不可能である。普段と変わらないように刃を天高く振り上げると、鎖が途切れ佐倉杏子の身体が宙へと放り投げだされた。
「したよ」
上昇を続ける佐倉杏子の瞳にはアヌビス神に身を委ねたタスクがマガツイザナギの足元を掻い潜るように、さながら低空飛行のようだ。
瞬間的に足元を爆発させたかのような飛び出し。生身の人間が出しうるであろう身体能力の限界を無理やりに引き上げた加速である。
「っあ……めんどくせえなあ!?」
目を離した訳では無い。しかし、足立透の身体は一つであり、内なる仮面の化身――ペルソナもまた一つ。
佐倉杏子にマガツイザナギを宛てがえた場合、当然のように他の刺客は己の身体一つで対応せざるを得ない。
当たり前の事であるが足立透にとって一番の問題であり、彼の弱点も言える。単純に彼自身に特別な力は存在しない。
ペルソナの神秘を手にしているものの、生身の戦闘に於いて彼が勝てる相手と言えば特段武道の経験が無い女性又は年下程度だ。
故に距離を詰められてしまえば刀を握るタスク相手に勝ち目など無く、佐倉杏子の姑息な注意逸しに嵌められたという訳だが――
「じゃあお前から死ね」
この程度で死亡する男か。
足立透が腕を振るうと同時にマガツイザナギが彼の元へ振り向き、タスクの背後を見つめる形となった。
振り下ろされた刃から発生した斬撃は標的を殺すべく三つの波動となり、周囲の空気を切り裂きながら直進する。
『チィ! めんどくせえのはそっちだろうが!』
背後の斬撃に反応するアヌビス神は走る勢いを殺すようにその場で旋回を行い、迫る危機に対応するべく刃を構える。
初撃を受け流し、次の二撃をも後ろへ流す。刃を握る両腕に痺れが残りながらも三撃を捌き踵を返す。
『いや、無理だっ……!』
足立透目掛け動こうとした瞬間。現状で対応すべき相手は彼の仮面である。
本体への距離を詰めたところで無防備の背後を狙われては生命が幾らあっても足りない。故に――
『ボスを倒すには取り巻きを潰してからかよ』
タスクの身体に負荷を掛けつつ飛躍しマガツイザナギの首元に狙いを定め刃を振り下ろす。
駆け引きの欠片すら存在しない真正面からの一撃は当然のように防がれ、ペルソナの力任せな一振りによってアヌビス神は地上へ戻される。
大地を滑る靴裏が摩耗していく。時計塔の建物はこれまでの戦闘により崩壊寸前であったが、このままでは完全に崩れるのも時間の問題だろう。
元より長く時間を掛けるつもりは無い。広川の話を信じると決めたのだ、油を売っている暇など無い。
『気を使わなくていい。あいつを倒してくれ』
『承知よ……最初から全開で行くぜええええええええええ!!』
身体の持ち主から命令されたとあれば、その願いを叶えるしかあるまい。
奇妙だ。実に奇妙である。エジプトに居た頃のアヌビス神ならばこのようなことには為らなかっただろう。
持ち手が変われば、境遇が変われば、出会いがあれば、冒険があれば。実に奇妙である。
再び加速したアヌビス神はマガツイザナギの背後に回るべく大きく弧を描くように走るも、異変を察知し急停止。そして瞼を擦る。
ペルソナが握る刃に収束する雷光。一箇所に集められた質量が辿る軌跡など馬鹿でも分かるだろう。
『そんなことも出来んのかよ……!?』
佐倉杏子が再合流した時――つまり放送前だ。雷に気を付けろと言っていたが、このことか。しかし、気付いた時には遅い。
直撃を避けることは可能だが完全回避は不可能だろう。被害を最小限に抑えるべく急所を覆いつつアヌビス神がタスクの身体を大地へ押し付ける時だった。
宙に浮かぶペルソナよりも更に高い座標から急降下するは紅き魔法少女だ。槍の切っ先が禍津の左肩に掠り、その影響もあって雷光の収束が消え距離を取った。
地上へ到達した佐倉杏子は雷光の消滅を確認するとしてやったりと笑みを浮かべる。さあ反撃だと息を巻くが、落下の勢いが死ぬ筈も無く槍が大地へ深々と突き刺さっていた。
「よう、無事かい?」
『こっちの台詞……手数で攻める』
「あいよ。もう後手に回るなんてごめんだからね。何もかもあたしから離れるなら、その前になんとかしてやるさ」
短い言葉を交わし、思考を喉元から声へ昇華させ捻り出した彼女は覚悟を新たに槍を引き抜くと禍津の渦中へ飛び込んだ。
佐倉杏子一人の質量がマガツイザナギを吹き飛ばすなど到底無理な話である。足りない箇所を何で補うかが重要であり、結末を変えることも可能だ。
槍先が幾多もの鎖へ形状変化し広がること無く一点に集中する。切っ先に絡まった鎖は敢えて言うなら鈍器に近い。
それは魔女に与える鉄槌。我が覇道を遮る邪魔者を粉砕するべく奇跡を収束させた破壊の一撃。
後を追って来たアヌビス神の刃に乗るようにその場で跳躍すると、彼の豪快な一振りによって禍津の正面へ急接近を行い、その一撃を振り下ろす。
遠くには当たるわけが無い。と、云わんばかりの表情を浮かべる足立透の姿が見えるが、百も承知である。
避けられるのは当然だ。本命は次のアヌビス神の一撃であり佐倉杏子は囮――だが、上手く話が連続で進む道理は無い。
マガツイザナギの刃が輝きを帯び始め、佐倉杏子達の表情が強張る。次に何が起きるかなど今更悩む必要も無く、即座に距離を取る。
轟音ががなり立てる。世界を斬り裂くような一撃は時計塔内部に響き渡り、衝撃の余波が生身の彼女達に襲い掛かりその動きを止める。
「死ねよ」
短く呟かれた言葉が対象へ届く前に宙を走るは斬撃。
痺れる身体を無理やり動かすアヌビス神はその場から離脱し、次なる一撃を叩き込むべく身構える。
斬撃の隙間を縫うように大地を駆けるが、後方に瞳を逸した瞬間に本能が停止してしまう。
『――やべぇぞ、おい!』
その先には膝を落とす佐倉杏子の姿。
連戦による疲労と精神を淀ませる穢れが徐々に彼女の身体を蝕み、幾ら魔法少女の肉体と云えど根性論だけで超えられる限界は存在する。
薄らな瞳が斬撃を捉えているものの、足が動かない。雷撃による余波が彼女の身体に対し抗いようのない負荷を掛けていた。
『間に合わねえ……クソッ!』
アヌビス神が足を止めたところで斬撃よりも早く彼女の元へ辿り着くなど不可能だ。
それは成長し続ける彼ですら超えることの出来ない壁であり、この瞬間に彼が取る行動など最初から決まっていた。
『――走れ』
『……わかってるよ』
そもそも彼女とて覚悟をとうに決めているのだ。ここで死ぬ生命ならばそれまで。
しかしながら、アヌビス神も、タスクも。彼女がここで死ぬ生命の持ち主などど思っている訳が無かろうに。
「編み込み結界ッ!」
神に捧げる祈りを連想させるように両掌を組んだ彼女の魔法が迫る斬撃から己を守る盾となる。
大地を突き破り幾多にも組まれた鎖が間一髪の間をもって顕現し、主を守るべき障壁となる。
金属音を響かせながらも佐倉杏子の身体へ辿り着く斬撃は零。冷や汗を流しながらも生き延びた己の生命に彼女は苦笑いを零した。
「決めろ……やっちまえ!!」
お膳立ては充分だろう。無論、自ら囮役を買って出た訳でも無ければ打ち合わせすら行っていない。
結果としてマガツイザナギの攻撃を引き受ける役目となり、その役割を全うに果たしたと云える。
佐倉杏子が辿り着いた答の一つに特別な力を持ちながら生身の戦闘能力を持ち合わせない参加者が存在することだ。
スタンド使いであるジョースターの一族がそうであり、例外であるDIOを除けば接近戦にこそ勝機が見える。
それはペルソナ使いにも同じことが当て嵌まり、
空条承太郎のように生身が強い訳でもない足立透にとっての最大の弱点と云えよう。
「あぁ……ああ!!
なんでお前らはそうやって俺の邪魔になるようなことしかよぉ……ふざけんじゃねえ!!」
どれだけ叫ぼうが。
「残り八人なんだよ……あと七人殺せば! 全部が……終わるんだよ!!」
どれだけ喚こうが。
『学習しろよ、その攻撃は既に通用しねえッ!!』
どれだけ斬撃を飛ばそうが。
「ッ――!! いっちょ前に捌きやがって調子に乗るんじゃねえ! 来るな、来るんじゃねえ……来るなァ!!」
どれだけ拒もうが。
『来るなって言われて足を止める奴がいるかよ――葬る』
「俺は最後の一人になるんだよ、諦めて……たまるか。お前らみたいなガキ共がくだらねえ正義とかいう馬鹿を掲げて挑んで来ようがよぉ……認めねえ」
雷光収束。
背後からでも分かる雷撃の予兆にアヌビス神の速度が危機感を察知し、更に加速する。
「世の中ってのは自分の思い通りに行かねえんだよ、そのまま最後まで突っ走れると思うんじゃねえぞォ!!」
放たれる雷光は空間を飲み込み、ましてや主である足立透すら覆い隠すように轟く。
『葬る……葬るッ!』
雷光よりも早く駆け抜けろ――その足を全開にまで酷使するアヌビス神だが、光の速度を超越するなど不可能である。
「俺とお前、どっちが立つか見ものだよなあ……ははっ」
雷光が彼らを包んだ時、その光景を見守る彼女達は黙って仲間の勝利を信じ続けることしか出来なかった。
◆――
思惑。
己の真なる目的のために他人が死のうが構うものか。
此処に集まるは見渡す限りの曲者揃い。
誰もが他人を欺き、時には己の確固たる信念すら偽るだろう。
油断と満身の先に死が待ち受けるのは遊技盤の主とて同じこと。
さぁ、ルーレットが定める未来は赤か黒か。
――◆
「くだらんな。始まりからくだらんと思っていたが、裏を知ってしまえばどんな熱も冷めよう」
沈黙を破ったのは
エンブリヲだった。
放送が流れ終え、無事にヒースクリフの名前が呼ばれアンバーの話がこれで真なる言葉となる。
ここまでは正常通りだ。たとえ裏があろうと少なからずメリットがある段階にまでは話が見えてきた。
「くだらんとは私の生死についてか?」
「それも含めるが、イザナギとイザナミについてもだ」
「ほう、意外だな」
「意外も何も所詮は神話をモチーフにした人間共の浅知恵だろう。
イシュタルとエレキシュガルに代表されるような有り触れた記号の付与に過ぎん」
『こっちに言われても困るよ』
「文句を言っているつもりはない。くだらないと言っている」
『それは文句じゃないのかな……それでね』
彼女の口から語られたイザナギとイザナミの経緯はエンブリヲからしてみれば、どうでもいいものである。
本来の彼にとって弊害が生まれる訳でも無い。殺し合いの空間外であれば脅威にすら足り得ぬ存在だと吐き捨てた。
しかし、それは調律者としての力を行使した限りであり、現状の彼の場合は無視できぬ存在である。
『放送のとおりヒースクリフはもう生きていないことになる」
「こうして生きているのだが、放送を正常に行っているあたり本当にホムンクルスは知らないようだな」
『それも時間の問題だよ。何度も言うけどお父様だって決して無能な訳じゃない。今もアタリを付けられている可能性だってあるんだから』
「だからこそ危険を承知で私達に接触しているのだろう。話せ、お前は何を求める」
エンブリヲは一つだけ、見落としている箇所がある。
彼がアンバーの話を早々に斬り捨てたため、真実に至る一つの欠片を台座から突き飛ばしたのだ。
イザナギとイザナミ。黒幕側の存在から語られた真偽は言ってしまえばとある参加者の二人を指し示しているようなものであり、それが全てだ。
過去の経緯を聞いたところで、エンブリヲからしてみれば所詮は神々の時代の残滓に過ぎない。神話に憧れた人間が高望みした幻想である。
契約者を殺すべく覚醒した存在がいようと、地球と同等の質量を持つ存在を精製しようと、エンブリヲの壁には満たない。
仮に覚醒し人体から魂を抜き出す冥府の誘い手になろうとも、その事態に陥ったところで調律者ならば幾らでもやりようがある。
しかし、だ。
能力を制限された上に、一種の箱庭的な空間に閉じ込められている現状、イレギュラーの因子は極力取り除きたいのが本音である。
幸いに対象者である銀、紫苑は既に死んでいる。対象を蘇生させられば再び脅威に見舞われるだろうがその前に手を撃てばいいだけの話。
アンバーの口車に乗り、首輪を外し、次なる段階へと辿り着けばその脅威に対し、幾らでも対応が可能となる。
故に。
彼としての力が強大である故に、その思考が回転するが故に。
イザナミとイザナギを脅威の対象から外した段階でアンバーの話を切り上げた。
調律者は一つ、見落とした箇所がある。数分前の彼ならばイザナギだろうがイザナミだろうがそれらは一つを指す言葉では無いと認識していた。
鳴上悠が操るペルソナのように。足立透が操るペルソナのように。
同じ神話をモチーフにした存在と認識すればそれまでだろう。現にその答えは正しい。けれども、その裏に潜む神と同率の存在を、見落としている。
『求めるもなにも、私と貴方達の共同戦線だよ。
先に言ったとおり必要な力は
エドワード・エルリックが持っている。貴方達には彼を、それに黒と一緒に中央にまで行って欲しい」
「……中央か。
そこになにがあるか教えてもらおう。まさかロックとやらが待ち受けているのか?」
『それは違うよヒースクリフ。
正確に言えば中央ではないけれど、描かれた錬成陣が近くにあるの』
「錬金術か。あのガキを頼るのは癪だが出番となれば錬金術以外に使い道など無いだろう。
だが、いくらあのガキでも既に試している筈だ。自分の稚拙な錬金術でこの忌々しい首輪を外そうとな」
「それは同感だ。彼は試していたが……本当に外せるのか?」
彼らの疑問も最もだろう。
首輪を外せると示されたところで具体的な方法が明らかになっていない。
調律者の力を行使したように、電脳空間らしき存在であるが故に解除を試みたように。
誰もが首輪を解除するために試行錯誤を繰り返した。それはエドワード・エルリックも同じである。
『正確に言えば外せるようにする。
そのためにも他に動いている参加者がいるの――ロック。会場に散りばめられた鍵を開けることで可能になる一つの宝箱』
東で真実に辿り着こうと叡智を求める者もいれば、北にて真実へ辿り着くために動く者もいる。
『このゲームを創った人間から参加者に与えられた救済要素だね』
「パソコンを放置しわざわざ情報に鍵を設けていたのも、やはり餌か」
『その餌に貴方達は助けられようとしているんだよ、エンブリヲ』
誰もが疑問に思っていたことがある。
用意されたロックに何が意味があると思い込み、解除のために活動する参加者がいた。
眠る宝の中身を知らずに、淡い幻想だけを抱き、泡のように無駄になる可能性もあるというのに。
必要の無い行動である。
殺し合いに於いてロックの解除など必要の無いことだ。
解除したところで、最後の一人にならなければ無駄だ。意味が無い。死を迎えるだけだ。
「やる気があるのかホムンクルスは。
そんなものを用意したところで、自分の首を絞めるだけだ」
『それでも勝てる自信と力があるんだと思う。そして、そうまでして叶えたい夢も』
「……………………」
『今の私から話せるのはここまで。
錬金術のシステムを解説したところで時間の無駄。貴方達に必要な知識じゃないから。
それと、もう時間が無いの。あとはタスク達がどれだけ欺けるかに掛かっているから……貴方達はこれから錬成陣に向かって』
耳にすることも躊躇われる雑種以下の存在である猿の名前が聞こえたが、声を喉元で殺す。
アンバーの声色から時間が本当に残っていないことを察知したエンブリヲは自分の意見を胸に留めた。
ホムンクルスの目を盗むにも限度があるのだろう。語られてはいないが広川すら欺いている可能性もある。
ヒースクリフの偽装死、首輪の盗聴機能の停止。下手をすればエンブリヲすら直に死者扱いとされるかもしれない。
「一つだけ、いいか」
先程から口数を少なくしていたヒースクリフが重い唇を動かした。
低い声が部屋中に響き渡り、周囲の空気が一瞬で張り詰め、エンブリヲが警戒心を露わにする。
この手の男は決して隙を見せてはならない。それは学院内で分身体を殺されことのような結末を再び引き起こす。
「手短に済ませろ。それが終われば私達はあのガキと合流する必要があるからな」
「お前の許可は求めていない」
「なっ……ッ!」
「気になっていた。最初から――いや、その前からだ。1と0の狭間から」
調律者の言葉を無視し、茅場晶彦は語る。
その声に他の二人は耳を傾け、注意を向けていないにしろ、自然と言葉が耳に届く。
「私と最初に遭遇したのは足立透だった。彼はペルソナをどうやら使えなかったらしい。
強大な力だ。全体のバランスを考えたのだろう。だが、空条承太郎も
エスデスも最初から己の力を全開にしていた」
制限。
参加者を取り巻く歪な楔。
「しかしその中でも枷はあったようだ。あのエスデスも嵌められた枠での全力らしい。
首輪にそのような力があったのか、この空間に弱体化の作用が働いたのか……いずれにせよ、お父様は考えていたのだろう」
殺し合い。
一方的な殺戮であれば、盛り上がり欠ける。
「お父様は本当に考えていたのか?
ホムンクルスの存在し成り立ち――彼らがどういった成り立ちかは不明だが、エンブリヲも言っていたように不完全な存在だからこそ完全を求める」
神。
エンブリヲが吐き捨てたようにホムンクルスは人間を超えた先の神々に憧れるのが、抗いようのない創作のような物語。
お父様の真意など彼らには不透明である。アンバーの口からも語られていない。しかし、それが本当であったとしても繋がらない要素がある。
「神になるための力など興味は無い。無いと言えば嘘になるが、なんの必要がある。
この空間に奇跡が満ちたなのならば早急に願いを果たすべきではないだろうか。ホムンクルスは何を待っている」
「……直接聞けばいいだろう、ヒースクリフ」
「それは当然だ。だが、繋がらない。神になりたければ勝手になればいいだけの話。殺し合いを行う必要など無いだろう。
明確な願いを持った存在がこのような時間潰し、全く以って無駄だ。鋼の錬金術師に復讐か? 手駒である他のホムンクルスを巻き込んでまですることだろうか」
『……このゲームはお父様にとって大切な存在』
「用意した人間は別だろう。現に君は先にそう言っていた。
願いを叶えるだけならば勝手に奇跡とやらを満たせばいい。
ロックも、支給品も、首輪も……どれもホムンクルスにとって関係の無い物ばかりだ。
ましてやエンブリヲのような存在。他にもエスデスやDIOと云った危険な参加者を選ぶ必要も無いだろう。
自らの首を脅かす存在をわざわざホムンクルスがセレクトしたとは考えにくい。それにこのようなゲームを創れるとも思えん」
欠片は揃い始めた。アンバーから示された知識は真実の絵を完成させるために必要な欠片である。
別所にてタスク達が、エドワード・エルリックもまた欠片を集めている。
一つの収束に向かい多くの参加者が動いているのだが、元々の話が狂っていた。スタートである。
開幕の儀は上条当麻の死を以って行われた。
広川の進行のみが与えられた情報である。鵜呑みにするしか無かった状況でもある。
徐々に欠片が埋まってきた段階で、そもそもの狂いは避けては通れぬ道だ。
「奇跡を満たす道具に成り得るかは知らんが、殺し合いの枠は何かしらの必要があったのだろう。
ホムンクルスはそれを利用にしたに過ぎない。この体裁を選んだのはそもそも選択肢が無かったから――聞かせてもらおうか」
欠片を嵌める台座が、埃を被っていたのだ。
「このゲームを組み立てたのは誰だ。
諸悪の根源とも云えよう。ホムンクルスに乗っ取られた可能性もあるが、枠を示したのは誰になる」
システムを応用した。
錬金術が使えようと、殺し合いを構成する全ての現象を成立させることは不可能である。
願いを叶えるために、神へと昇華するために。仕方がなく選んだ作法が殺戮の宴。
『それはね』
「私だけがあの感覚で過ごせているのは疑問であってね。キリト君もそうだったかもしれないが――アンバー、君の話を聞いて一つだが分かったことがある。
単純な独裁者ならば弱者に対する救済措置など設ける必要も無い。殺戮快楽者ならば一方的に虐殺を行えばいい。願いを叶えたいならばその力を行使すればいい」
誰が望んだ。
血を流す事に意味があるのなら、なんと回りの諄いことか。
「ゲームだ。システムそのものがゲームとしての要素が多過ぎる。正常な殺し合いよりかは一種の……私達は試されていたようだ」
会場に隠された仕掛け。
不自然なまでに繋げられたイザナミとイザナギ。
不釣り合いな参加者。アイドルとスタンド使い、学生と契約者、魔法少女と警察官。
疑問に思わない方が馬鹿であろう。ホムンクルスが不平等に集めた訳が無かろうに。選定は既に、始まっていたのだ。
『このゲームマスター……そもそもの構築を行っていたのは』
「茅場晶彦」
アンバーと彼の声が、重なった。
◆――
イカサマだ。
発覚したところで、手立てを盗まない限りは連鎖する。
告発されたとし、しかして理由も説明されないのならば疑問だけが賭場に残る。
裏に潜むカラクリは当の本人達にしか理解出来ないだろう。
さぁ、これで遊技盤の支配主たる一人はプレイヤーと同じ立場となった。
賭け金は生命。
無一文の人間が夢を見るは一攫千金の大逆転。
遊技盤の支配主を正面から負かすか、それとも欺くか。
――◆
適材適所という言葉が存在する。
役に立たない己を正当化させ現代社会や身内の輪に無理やり立場を確保する魔法の言葉だ。
否、己の役割に背を向けず真っ当に行っているならば正当な真価を発揮するだろう。
時計塔内部で終焉に近い一つの決戦が行われている時、戦う術を持たない
雪ノ下雪乃は余波の影響を受けないよう、端に移動していた。
所々に穴が空いている壁。光が差し込む天井。二メートル程途絶えている螺旋階段。
建物としての尊厳を何とか保っている状況だ。法律的に考えれば人の立ち入りなど許される筈もない。
マガツイザナギがマハジオダインを放つ。
アヌビス神が斬撃を捌き、その衝撃が内部に。
佐倉杏子が縦横無尽に駆け回り、大地より吐出した槍は確実に建物の寿命をすり減らしていた。
ジョセフ・ジョースターの生命が散ったあの戦い。
宿敵たる吸血鬼にして世界を支配する帝王DIO。彼との戦闘により内部は崩壊寸前。
エスデスとの戦いによって一つの施設を吹き飛ばしたのだ、むしろ形を保っているのが有り難いと云える世界だ。
「………………生きて」
介入など不可能だ。
一瞬で塵と化しその肉片、土に還る。その魂、天へと昇るだろう。
戦況を遠巻きに見つめる雪ノ下雪乃はただ彼らの生存を祈るのみ。
効果があるとは本心から思っていない。それでも掌は無意識に組まれており、まるで神へ生命の息吹を祈るような。
放送で告げられた新たな死者。
ヒースクリフの生存が先の広川による密告で知らされているため、己を含めて生存者は残り九名。
大勢の生命がその鮮血を宙に舞わせ、恵体を地中深くへ沈めた。
これ以上同じ時を僅かながらにも過ごした仲間の死など見たくはないだろう。
タスクと佐倉杏子が矛を交えるは足立透。
以前会った時よりも凶暴性――というよりも、どこか言葉に表現しにくい哀愁さを漂わせている。
この世界に絶望しているような淀んだ瞳。されど死んでたまるかと最後の最期まで足掻くような強い決意を感じさせている。
「佐倉杏子……彼女ともまだ打ち合わせが出来ていないのに」
数刻前に広川から持ち出された所謂、共犯。
黒幕を表舞台に引き摺り上げるための、参加者が明日の光を浴びるためにも行われる最初で最期の大博打。
タスクと雪ノ下雪乃、別所に滞在しているエドワード・エルリック。そしてもう一人の内通者と接触しているエンブリヲとヒースクリフにしか知らされていない。
共有するべき対象は佐倉杏子と黒の二名。
御坂美琴及び足立透は放置しても問題あるまい。
『さぁお取り込み中悪いが、君はどうする』
放送を終えた広川の声が自身の首輪から響いたことに驚きを隠せないのか、緊張により身体が強張る。
「……どのような意味かしら」
『言葉どおり。雪ノ下雪乃はなにをするか。そう聞いている』
「そんなことを聞いたところで何があるというの」
『単純に興味がある……理由としては物足りないか?』
「貴方の知的好奇心を満たすためだけなら、私がわざわざ答える必要も無いと思うけれど」
『君が私を嫌うのも無理は無い。なにせ
比企谷八幡達の死因を辿れば私達に辿り着く』
「――っ」
『私達はこれより共犯となる。私の気が変わらない内に答えてみてはどうだ』
人間とは何気ない一言により豹変する生物である。
もう彼の口から聞くことは無いだろうと思っていた人物の名前が挙げられたことにより、自然と脳内がクリアになる。
流れていく。彼の姿が、声が、時間が。手を伸ばしても、遠くまで、流れていく。
「私に出来ることは醜く足を引っ張らないこと。
他にやることなんて今は思い付かない。その時が来たら、全力で全うするだけよ」
アヌビス神の刀身が禍津の斬撃を往なす中、広川は共犯の響きを強調し雪ノ下雪乃へ語り掛ける。
大方タスクと段取りの最終調整をしようとしたが、戦闘の最中であるため手持ち無沙汰である自分に話しかけたと脳内で処理を行う。
言葉は本心の現れ。
戦闘能力を持たない自分が戦火の渦中に飛び込んだところで時間稼ぎすら出来ずに死を迎えるだろう。
適材適所。己が真にすべきことを見つけた時には全力で取り組む所存である。
私だけが、黙って指を咥えている訳にもいかない。流されるがままに生涯を終えるなど、誰が望むものか。
『悪くはない――だが、どこまで続くか』
「さっきから何を言って――っ!?」
眩い閃光が視界を奪う。
光源体の中心に誘われるはタスクと――足立透。
飲み込まれるように消え行く二人。それは天国へ近付くようにどこか遠くへ行ってしまいそうで、二度と会えないような後ろ姿にも見えた。
時計塔内部を更に破壊し多くの瓦礫が崩れ、彼らはその下へと埋もれたようだ。人間の姿など見当たりもしない。
「はぁは……ぁ、あいつなら大丈夫だと信じようぜ」
今にも走り出しそうな彼女の元へ駆け付けたのは佐倉杏子。
度重なる連戦による疲労の蓄積により、息は切れており膝に手を付き顔を伏せながら語り掛ける。
「下手に近付いた方が危険だよ……もしもの時もある。距離は出来るだけ……はぁ、しんどい……」
その場で尻もちをつくと彼女は空を見上げていた。
邪魔くさいなと呟きつつ近場の石ころを払いのけると、何やら上を見つめたまま硬直。
「……あそこから助けてくれたんだよな」
「……大丈夫かしら、水でも飲む?」
隣に立つ者は例外無くこの世を去る。自分を疫病神と嘲笑うこともあった。
「まだそっちには行けないから、もう少し……な」
最期に別れた
ウェイブと
田村玲子も放送で名前を呼ばれ、顔見知りの生存者と云えばエドワード・エルリックのみだろうか。
残された者に出来る仕事を果たしていないため、まだ死ねないと佐倉杏子は自分に言い聞かせる。
「それよりさ、さっきは誰かと話しているように見えたけどあれはなんだい?」
覗き込むように雪ノ下雪乃へ視線を動かすと佐倉杏子は少々笑い気味に訪ねた。
数秒前までは死と隣合わせだった彼女だが、どこか己の死期を悟っているかのように心が落ち着いているようだった。
「それは………………ん」
放送前の出来事。運営側の存在である広川からの接触を説明するよりも実際に会話させた方が早いと判断した雪ノ下雪乃だが、首輪は沈黙を貫いている。
声どころかノイズすら発生しておらず、物理的に切断されている可能性が高い。佐倉杏子と口を交わすことに不都合があるのだろうかと勘ぐってしまう。
若しくは接触がホムンクルスに勘付かれたのか。
黒幕を出し抜く鍵は広川とエドワード・エルリックが握っており、彼に脱落されると淡い希望も最初から無かったかのような扱いになる。
「顔色悪いけど大丈夫か? 流石に安静出来るような場所はもう無いけど……ここからだと市庁舎か病院が近いか」
「大丈夫……ちょっと考え事をしてただけだから」
広川からの応答が無いことについては考え過ぎだろうか。彼にも彼の役割がありそれを全うしていると、考えれば少しは気が楽になるだろう。
何よりも現状で大切なのはタスクの安否だ。今すぐでも瓦礫に駆け付けたいが、佐倉杏子の言うとおり迂闊に近付くのは危険である。
彼を信じるしかあるまい。キング・ブラッドレイから致命傷を受けても生き残ってくれたのだ、今回もきっと……淡い希望を願うしか無い。
そう思いを整理した直後に瓦礫の頂点が少しだけ崩れ始めた。目を凝らすと最下部が若干であるが揺れ動いており、誰かの身体が動いている証拠だ。
「な? あいつは大丈夫だって言ったろ?」
立ち上がった佐倉杏子は自慢げにタスクの生存を雪ノ下雪乃に報告する。信じていた、素直に嬉しいことである。
足立透を排除したとなれば残りの障害は噂に聞くエンブリヲと電撃使いである御坂美琴の二名のみ。
前者は対峙した経験が無い。しかし後者である彼女は何度か対峙しており、知らぬ存在ではない。
指折りの実力者であると認めざるをえない。魔法少女にも劣らない能力を持った彼女に油断すると一瞬でその生命を散らされるだろう。
「……マジ、かよ」
冷や汗を流しながらソウルジェムへ視線を滑らすと、お世辞も美しいとは呼べない淀んだ色具合だった。
今更ソウルジェムが黒く穢れきった時の想像など不要だろう。やるしかない――そう自分に言い聞かせる。
予備のグリーフシードは二つ。それで十分だ。どいつもこいつも邪魔する奴は倒す、そして還る――そう自分に言い聞かせる。
「助けに行き……」
「いいや、アンタは此処で……ちょっと遠くで待ってな」
左腕を伸ばし雪ノ下雪乃を静止させると、佐倉杏子は槍を精製し、これから起きるであろう戦闘に備える。
その姿に雪ノ下雪乃は驚きの表情を浮かべている。瓦礫から生還する男がタスクならば警戒する必要は無い――つまり
「前言撤回だよ、あたしはこれからあいつを叩きのめす」
「まずは一人……次はどっちでもいい。
なあガキ共、そろそろ死んでくれれば俺は嬉しい」
彼女達が言葉を紡ぐよりも早く紅き魔法少女は大地を駆ける。
横一文字に口を閉じ誰の声も耳に入れずに、ただ槍先を対象に刺さんと足を進める。
「……嫌になるよ。まさかここまで周りに不幸をばら撒くなんて……あたしはまるで」
――魔女みたいじゃないか。
感情を加速させろ。爆発的な初動と共に禍津の中心へ飛び込み槍を叩きつける。刃で防がれようと構うものか。
槍が崩れ鎖で対象の獲物を絡め取ると、それを基点にし自らの身体を宙高く。
鎖を開放し空に身を投げ出すと打突の構えを取り、嘗てサファイアとの共闘で発揮したような魔力を一箇所に収束させ――爆発させるように解放。
空中で有り得ない加速を経て向かう先は足立透。ペルソナを通り過ぎ、ただ本体である主を狙うのみ。
「チィ……黙って死んでればいいものを」
ペルソナの反応速度を上回ったならば足立透に負ける道理など無い。
「くそ……らァ!」
「あぐっ!……止まったりなんか、しない!」
反撃の術を持たない足立透は最期の悪あがきのように瓦礫を焦りながら投擲。
運良く佐倉杏子の左目に直撃するも、彼女が槍を下げることは無かった。
文字どおりの血涙を流し視界の半分が赤く染まろうとも彼女は止まらない。空間を斬り裂く流星が今、仮面の道化師を貫かんとする。
「やってられっか……ああ! くそ、こんなの誰が好き好んでやるかってんだよ!!」
苦し紛れに攻撃を回避すべく身を歪める足立透だが、空の急襲に左太腿を掠め取られる。
間一髪で直撃は避けたものの、痛みに表情を歪め流れ出る鮮血を直視すれば更に痛覚が刺激され苦しみの声を上げる。
「冗談じゃねえ……なんで俺がこんな役回りになってんだよっ!」
「役回りだ……? あんたがマトモな人間ならこんなことにはなってないよ。それは、あたしも同じだけどさぁ!」
大地に深々と突き刺さる槍を引き抜くと同時に砂塵が舞い込み彼女の怒号と共に戦場を包み込む。
陥没した大地を蹴り上げると佐倉杏子は足立透に留めを刺すべく、その獲物を振るう。
生身の相手だろうと容赦はしない。黙っていればペルソナに殺されるのは己だろう。
禍津に飲み込まれるぐらいならば、この槍を赤く染め上げる。それがタスクへの手向けとなる。
――鹿目まどかと暁美ほむら。もしかしたらあんた達の仇にもなってるかもしれない。
足立透との会話から彼は彼女達と面識があるようだった。その口ぶりから交戦もしていると伺えた。
真意は不明だが、最悪の事態を想定し、何処かの世界線で手を結んでいただろう魔法少女への手向けだ――槍が彼を貫く寸前だった。
「ガキがガキのお守りなんて馬鹿らしくてさぁ……コレで残るはお前だけだよ」
まるで世界が止まったように全てが遅く感じた。
音も景色も時間も。全てが抗えぬ強制力に阻まれ、意識だけが活動を許されている感覚。
足立透に止めを刺す瞬間に至る前の刹那――佐倉杏子の視界に飛び込んでいたのは眩い雷光に包まれる雪ノ下雪乃の姿だった。
紅涙からの視界は色鮮やかとは呼べず、全てが赤黒く染まる。
太陽の光すら綺麗に映らず、まるで淀んだ世界に自分だけが取り残されるような感覚である。
「あーあ、こりゃあ骨も肉も残らなかったか」
からんと槍先が大地に落下した後が響くのに気付いたのは実際のそれよりも遥かに遅れていた。
意識がはっきりとせず、目の前の光景を受け入れたくないがために永遠と拒み続ける。
「マガツイザナギ相手になんの力もない人間が勝てる訳……ないよ。俺だって目の前にペルソナが現れたら諦めるさ。力が無かったならね」
情報を整理するにも与えられた欠片は一つでしかない。処理も終了しており、受け入れるだけ。
脳も視界も聴覚も。全てが理解をしている。そして本能が拒み続ける。
呆気ない。余りにも呆気ない。誰が認めるものか……けれど、それは目の前で起きた真実。
「あのガキもここで終わりで……残りは八、いや七人か」
「――――――――あ」
意識が遥か地平線にまで透き通った感覚が脳内を走り去ると、紅き魔法少女は一人ゆっくりと帝具を構え
「楽に死ねると思わないほうがいいよ、あんたは――あたしが雑に殺してやる」
四半世紀すら世界を渡り歩いていない彼女が静かに地獄の閻魔に身を落とす。
紅涙の先に見据えるは断罪対象、慈悲の欠片一つすら与える必要の無い敵だ。
音も、声も、光も、空気も。何もかもを吸い込むように纏い――悪鬼がただ一人、現世に君臨する。
「おお怖い怖い……でもこれで俺も晴れて――ッ!?」
何をヘラヘラと笑っていやがる。鬼が彼の耳元で呟くと、気付けば拳が腹にのめり込んでいる。
身体を折り曲げ口から鮮血を吐き出すと足立透の身体は大地を跳ねるように転がり続け、瓦礫との衝突により停止。
「ふざけんじゃねえ! テメェ、一体そんな――がぁ!?」
立ち上がり文句の一つを垂れようが鬼は言葉を発さずに、一瞬で距離を詰めると喉元を右腕で掴み上げた。
呼吸困難により宙で暴れる足立透だがその動作一つ一つ、全てが鬼に届かない。
「マ、マガツ、イザナ、ギィ!」
空間を斬り裂くように禍津が主を救うべく刃を振り下ろし悪鬼の肩――めり込み、止まる。
右肩から血液が溢れ出るものの悪鬼は全く動じずに足立透の首を締め続け、彼は理解する。このガキは本気で自分を殺そうとしていることに。
「っ、クソがあ!! ざっけんじゃ、ねえよ!!」
禍津の力任せによる突進を喰らった悪鬼は流石に耐えきれず後方へ大きく吹き飛ばされた。
決死の形相で足立透は追撃を行うべく、禍津を遥か後方へ移動させた。己は苦しみにより下を向いたままであった。
迫る禍津に対し悪鬼は一言も発さず槍を精製すると、近場の瓦礫を器用に槍先で拾い上げ、弾幕のように弾き飛ばす。
刃で瓦礫の弾丸を落とし続ける禍津に対し、距離を詰め始め槍の射程に到達するよりも早くに投擲を行い奇襲の形を取った。
対象の顔面半分を消し飛ばし、それに伴い仮面の写し身が消滅すると悪鬼は更に大地を蹴り飛ばし本体である道化師へ近寄った。
「このガキ、本気で俺を殺そうと――はは、ははは……どいつもこいつも、調子に、乗ってんじゃ……ねええええええええええええ!!」
間髪入れずにマガツイザナギを顕現させ、怒りの形相で悪鬼へ叫ぶ。
消されるならば何度でも召喚しよう。舐めるな、ガキが調子に乗るな。死んでたまるか。
怒涛の勢いで悪鬼が迫ろうと、ペルソナが斬り刻み、身体を焼却し、雷撃で粉砕する――筈だった。
「――――――――何かしたかい」
インクルシオの装甲が剥がれ落ち血染めの左目が垣間見えた時、悪鬼がただの少女に一瞬、見間違いかもしれない。
「――――――ひっ、なんだよ……やけに強気じゃねえか」
気迫に圧倒されようが足立透は引くことを選択しない。此処で死ぬような生命ならばとうに朽ち果てている。やるなら最後まで、足掻き続ける。
超えた、彼を超えたのだ。彼さえこの世を去れば自分が負ける相手など、いない。自分に言い聞かせ禍津を使役する。
「調子に乗ってんのはどっちだよ、あんたが手にかけたあの生命は、もう、戻らないんだよ」
刃に押されようが、腕力で敵わないならば脚力を、それでも敵わないならば頭を使え。
無理やりに刃を押し返すと低空姿勢を保ち禍津の足元を一瞬で駆け抜け、心臓を狙う一突きを放つ。
「限界だよ、お前。そんなボロボロでよくやったけど……もしかして、勝てると思ったぁ?」
刃が背後から襲い掛かり、頼みの一撃は瓦礫に防がれ致命傷には為らず。
インクルシオの装甲により彼女もまた致命傷には為らず。鮮血も舞っていなければ骨も折れていない。
けれど一度動き始めた歯車が止まってしまっては、動力を支えるアドレナリンも完全に停止した。
インクルシオが解除されると、年相応の少女である佐倉杏子が、その場に膝をつく。
限界だ。元より体力は枯渇していたにも関わらず激昂に身を任せ帝具まで発動し、ソウルジェムの穢れも回収していない。
「残念賞。俺からのささやかなプレゼントはお友達と同じ所へ送り届けるだけ」
彼の影が肥大化していた。発光源である刃――収束された雷光の影響だろう。
みっともない。結局何一つ守れずにこのザマだと彼女は己を嘲笑う。
誰も守れず、救えずに。最後の足掻きも通用せず、この世を去るだけ。己は何一つ、成し遂げられていない。
「最後の言葉はあるか? 誰かに伝える義理も無いけど一応聞いてあげるよ」
「あたしがくたばった次はあんただよ――先に地獄で待ってる」
その苦笑は彼か己か。
捧げられた相手は彼女にしか解らないが、その答を彼が知る前に雷光が一人の少女を包み込んだ。
そして残された道化師はただ一人、背後へ振り返る。
「あーあ……ヒーローのつもりで登場するならよぉ、誰も死んでない時の方が見栄えがあると思う……ははっ、で? 今更立ち上がって何をするんだい?」
最後の鬼が刃を構え瓦礫の地獄から蘇る。
◆――
己の夢を描く。
筆跡は奇跡、塗料は他人の血液、依代は器。
全ては一つの神話へ至るために。
賽は投げられた。誰もが気づく前から、昔から。
全ては一人のために。
掌で踊り狂うは誰になる。
物語に仕組まれた毒は回り始め、綻びが生まれようと全ては一人の思うがまま。
暴くか、欺くか。
全ては一人の願いのために。
――◆
最終更新:2017年03月06日 22:08