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誰がために愛は在る(前編)◆BEQBTq4Ltk


 蒼雷を宿した白銀の流星――ヴィルキスは地上から遥か高き空を駆ける。
 降り注ぐビームライフルを回避し続け、敵機ヒステリカを捉えると刃を取り出し、切断せんと剣戟を払う。

「タスクウウウウウウウウウウウ!」

 声色だけでも表情が脳裏に浮かぶ。それは顔面に血管が浮き上がり今にも破裂寸前だろう。エンブリヲは勝利寸前の段階で生存者一同に奇跡を起こされた。
 ヒステリカの顕現に加え、在庫一斉処分と言わんばかりに生存者を一箇所に集めるやりたい放題の極み。
 ホムンクルス戦で負傷したヒステリカの修復時間を稼ぐために、生身で仕方なく生存者と矛を交え、敢えて意表を突かれた演技を行った。時間稼ぎは完璧だった――はずだった。

「貴様は私の邪魔しかすることが無い能無しめが……いい加減にしろォ!」

 ヴィルキスと同じく刃を取り出したヒステリカが操縦者の思いに応え怒りのままに一撃を弾き返した。
 更に推進し追撃を行い、全てが剣戟となり直撃こそしないが、押し返すことに成功。
 操縦桿を握る力をエンブリヲが弱めた瞬間、まるで狙ったかのようにヴィルキスが背面のバーニアを一層に噴出させ加速。完全に不意を突いた奇襲となる筈だった。
 エンブリヲは調律者である。人間では到底敵わないような力を持っており、事実、此度のゲームに於いてもスペックそのものは堂々の一位である。
 だが、制限という枷が嵌められているため、ホムンクルスであるキング・ブラッドレイに局部を斬り落とされるなどの不幸にも見舞われた。
 しかし、それでも彼はこの瞬間まで生き残っている。
 たかが個体の生命体とは地力が違うのだ、故に――。

「舐めるなよ猿がァアア!」

 咄嗟の判断で右腕に握った刃を機体側へ強引に差し込みヴィルキスの一撃を防ぐ。
 鍔迫り合いの形となり、落ち始めた夕日を背に空で二機の機神が互いをぶつけ合う。

「俺は負けない! 生きて、みんなと一緒に帰るんだ……だから!」

「抜かせ、さっさと切り離されたこの世界の終わりの壁際で塵と化せ――故に!」

 互いの機体が同時に距離を取り、そして再び刃を重ねた。

「俺はお前を倒すんだああああああああああああああああああああ!」

「私が負けるなど、ありえてなるものかああああああああああああ!」

 刃に乗せた互いの意志が激しく火花を散らし、夕日にも劣らない煌めきを空に零す。一度衝突すれば、二度三度と両者一歩も引かず。
 空中での剣戟であれど、大地に足が付いているかのように芯の籠る一撃の応酬に切れ目が見当たらない。
 最初に仕掛けたのはタスクだった。ヴィルキスの速度を活かしその場を離脱。追撃を喰らわぬようアサルトライフルの牽制を忘れず、一定の距離を保つと、床が抜けても構わないと力強くペダルを踏み込んだ。
 ペダルに呼応しヴィルキスの姿が変化する。
 フライトモード。
 空を駆けるバイクに変形し、急加速でヒステリカの懐へ飛び込む算段である。御坂美琴が活用した砂鉄の残滓が未だに黒き機神に影響を及ぼしているのなら、使わない手立てはあるまい。
 単純な速度に伝達による僅かなタイムラグを狙え。
 アサルトライフル・グレネードランチャーによる一斉射撃を伴い距離を詰める。空中では幾つもの点と線がまるで花火のように浮かび上がり、白と黒の機神を彩る。

「ッ……、なんのォ!」

 襲い掛かる重力がタスクの身体を蝕み、気が飛びそうになるも彼は歯を食いしばって繋ぎ止める。気付けば手元には吐血により赤黒く生暖かい液体が付着しているが、止まれない。
 彼の身体は既に限界を迎えている。一度は死亡したような状況からの連戦は確実に生命を蝕んでおり、空から落ちるアンジュを救えた事そのものが奇跡である。
 動けるものか。ヴィルキスを可動させ、ただの動作により発生する僅かな振動で再び意識を失ってもおかしくない状況であり、急加速を行えば少ないであろうまともな臓器が更に潰れる。

「かっこ悪いとこなんて、見せられないよな……ッ!」

 意地だ。タスクが戦えている理由は意地だ。プライドと言い換えても問題は無いだろう。
 仲間との約束、宿敵との最終決戦、愛する者が隣にいる……様々な要因があるが、意地の一言で全てが片付く。
 ――後悔して死ぬよりも、死んでから後悔した方がマシだ。でも、死ぬつもりも後悔するつもりもない。

「手数で攻めるなど、モルモットでも思い付く愚弄な策よ」

 ヒステリカのメインカメラを通し迫る弾幕を見つめるエンブリヲは余裕と受け取れる言葉を吐く。
 しかし、実際の所はヒステリカが思うように動かず、彼曰くモルモットでも思い付くと馬鹿にした策に苦しめられている。
 遅延時間は刹那の世界にすら満たない欠片の欠片。されど一瞬の攻防が勝負を決めることを調律者は知っている。
 現に神へ歯向かう人間共はこの世界の管理人であるホムンクルスを倒す奇跡を成し遂げた。
 相手は本気を出すまでもない人間である。だが、調律者は彼らの一部を認めている。それは先の御坂美琴やエドワード・エルリックに投げ掛けた言葉だ。
 奇跡を実現させた彼らの評価は悪くない。世界の終わりの壁際たる知覚もされないこの空間ごと消すには惜しい存在である。しかし

「それで勝てると本気で思っているのなら、貴様の評価を改めなければならない」

 袂は別れた。始まりから別れているが、同じ道を歩む可能性は万が一にも無く、正真正銘の零へと至ってしまった。
 エンブリヲにとってタスクという存在は、ただの人間という枠に収まらない。
 彼がいなければ自分はアンジュと一緒になれた。どこまでも邪魔をするこの猿が愛人を遠ざける。
 先祖代々受け継がれる遺伝子とやらが問題かもしれぬ。故にこの男だけは念入りに殺害すべきと心に決めていた。
 情報を集めれば平行世界の己を倒したらしく、それこそ彼は奇跡を体現させたのだろう。
 気に食わぬ。エンブリヲにとってタスクという存在は、ただの人間という枠に収まらない。
 ホムンクルスとの決戦に於いて、目的の一致とはいえ手を組んだことは調律者にとって消せぬ黒歴史である。
 目の前の男をヴィルキスごと破壊しても忌々しいこの記録は消えない。ならば、せめて今この瞬間の気晴らしとして確実に殺す。
 平行世界を渡り歩きタスクの別個体を殺害するなど時間の無駄だ。
 最もこの憎しみは目の前のタスクだけ。他の世界など関係あるものか、この男だけは――エンブリヲは操縦桿を豪快に回し、ヒステリカをその場で旋回させる。
 遍く放たれた弾幕を吹き飛ばし、機体の視野を確保すると、右腕に握ったビームソードの出力を上昇させた。

「来い、斬り捨てる」

 轟音を我鳴立て空を駆け抜けるヴィルキスの速度は間違いなく、此度のゲームに於いて最速であった。だが、エンブリヲは決して見逃さず、その目に標的を捉えていた。
 一撃で勝負を決めようとしているのだろうが、甘い。実弾や爆弾を放った所で決め手にはならぬ。ましてや、ヒステリカの損傷具合は戦闘開始時よりも修復されている。
 御坂美琴によって奪われたのは機動力、それも百が零になった訳では無く、百が八十になった程度だ。
 故に弾幕に対処不能など有り得なく、フライトモードに移行したヴィルキスの速度に追い付けぬ訳でもない。
 遠くでヒステリカが弾き飛ばしたグレネードの爆発音が響いた時だった。
 ヒステリカに飛び向かったヴィルキスの翼がビームソードに往なされ、後方へ駆け抜けた。
 反転に伴い操縦者たるタスクの身体へ更に負荷が発生し、ぐしゃりと内部から人間を構成する欠片が潰れた音が聞こえ、彼は笑う。
 口元の緩みはふざけている訳ではない。まだ動ける――自分の限界を確かめていた。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 ヴィルキスを通常形態へ可変させ刃――零式超硬度斬鱗刀ラツィーエルを取り出し、背面のバーニアを景気付けと云わんばかりに吹かせる。
 黄昏時の空に蒼く煌めく粒子が舞い、その美しさを黒く塗り潰すように絶望の化身たる邪神の一閃が迫る。

「ほう、反応するとは驚いた。このまま斬り裂かれればよかったものを!」

 コックピットごと斬り捨てる予定だった一閃を刃に止められ、エンブリヲの声色は分かりやすく苛立っていた。その苛立ちは更にビームソードの出力を上昇させる。

「斬り裂かれるだって……冗談じゃない、それはお前の方だろうに!」

 ビームソードを追い返す瞬間に蹴りの一撃を放ち、その場を離脱するヴィルキスは牽制用にアサルトライフルを放つ。
 操縦者のタスクは攻撃の手を休めないために、もう一度、突撃しようとペダルに足を掛けた瞬間、視界が歪む。

「……もう少し、保ってくれ」

 自分の世界が赤黒く、右半分の色が全て一色に染まり、考えるまでもなく血液が瞳に混入したことを表す。
 度重なる重力の負荷と衝撃が満身創痍の向こう側にあったタスクの身体、騙し騙しの限界が訪れたのだ。
 ヴィルキスが空を舞った事実こそが奇跡であり、タスクは意識を失い、帰らぬ人となっても不思議ではない状況である。

「俺だけがリタイアだなんて……かっこ悪いにも程があるだろ……ははっ」

 意志である。限界の彼が生きているのは、意志だ、心の中に存在する曖昧で抽象的な意志が彼を彼として確立させているのだ。理屈や理論など存在しない。
 今も地上では仲間が戦っているだろう。超能力者と道化師、どちらも油断出来ぬ相手である。
 過去も仲間は戦っていた。その身を散らせ、生存者に奇跡を体現させるための欠片を集めてくれた彼らは戦っていた。
 ならば、自分だけがくたばるなど――冗談じゃない。

 乾いた自嗤の後にタスクは瞳を閉じる。
 己の呼吸を整え、寄り添うアンジュの暖かさを感じ、ペダルを踏み込むと同時に瞳を見開いた。
 急加速により顔が引き攣るも知ったことか。傷口が開き鮮血が舞おうが知ったことか。
 この身が喩え朽ち果てようが、己の使命を果たす。ひたすらに前を見つめ、勝利の光へ手を伸ばせ。

「堕ちろォ!」

「堕ちんッ! この私が汚染された大地に……敗北に膝を付ける訳が無いだろうがァ!」

 刃と刃が幾度なく重なり、男と男の意地が不協和音を響かせる。
 タスクとエンブリヲが意気投合するなど、数多の平行世界を見渡そうが確率は限りなく零に近い。
 同じ女を愛した者同士とはいえ、細かな枠で彼らを推し量れば全く別の方向性を持っている。
 先のホムンクルスとの戦いで一時の停戦は奇跡に等しい事象であった。二度と訪れることは無いだろう。
 相容れぬ。エンブリヲの所業を省いたとしても、タスクは彼に理解を示さず、正面から叩き斬る。

「貴様如きに割く時間が無駄だ……この一撃で無へと還してやろう! もう二度と、貴様という個体が世界に産まれぬよう、塵にしてくれるッ!」

 ヴィルキスの刃を弾き返したヒステリカが大きく後退し、全てを包み込むかのように両腕を広げた。
 仕掛ける気だろうと察するタスクであるが、短期決戦は好都合である。
 視界が赤黒く染まり、意識もはっきとせず、背中の裂傷も大きく開き、コックピット内部は鮮血で染まっている。
 生命の灯火が揺らぎに揺らぎ、気を抜けばそよ風一つで消え去るだろう。
 今にも意識が飛ばぬよう必死に歯を食い縛っており、仲間とアンジュが居なければとうに死んでいるのだ。
 彼が彼として今も尚、戦い続けるのはこの身が己一人のものではないこと。そして目の前の男に負けたくない意地。

「こっちの台詞だ……お前は! もう! 生きてちゃいけないんだ……この世にッ!」

 黙って死ねるものか。死ぬ気など欠片も思っていないが、目の前の男だけには負けたくない。
 この男とは殺し合いが無かろうが、決着を付ける必要がある。
 平行世界の別人が現れれば、それすらも叩き斬る。
 理由など必要なものか。因果は全て収束するのだ。お前の罪は神が許したとしても、俺は決して許さないと。


「お前によって運命を歪められた全ての人達にあの世で詫びろ………………ッ――、」


 距離を詰めようとしたその刹那、黒き機神の翼が広がり、悪意の嵐が渦を巻く。
 眼前の向こう側に広がるは邪悪な四の翼。自然と舌打ちが零れ、操縦桿を握る腕に力が入る。
 彼はその光景を知っている。全てを塵へと還す悪の賛美歌、耳を塞ごうと逃れられぬ神の裁き。


「ディスコード・フェイザー……貴様に解説する必要など無いだろう。私の前から消えるがいい。
 ククク、ホムンクルスの余計な調整によって永遠語りの歌が省かれたとはな……少しは役に立つことをしてくれたものだ」


 調律者の言葉を合図とし、四の嵐がヒステリカから解き放たれた。
 空間をも抉り取るような嵐が何重にも重なり合う。

「貴様だけは確実に殺すと何度も言ったが、偽りは無い。死ね、猿め。
 アンジュを選ばなければ生かす道もあっただろうが……クク、やはり新世界に男は私一人で充分だな」

 勝利を確信したエンブリヲはタスクを見下ろす。
 ディスコード・フェイザーの猛攻を防ぎ切ることなど不可能だ。
 反応が遅い。回避するにも到底間に合わなく、対抗するにもヴィルキスは恐らくこの機能を使えない。
 発動可能ならば既に仕掛けている筈だ。タスクの身体が限界を超えているのはエンブリヲも気付いている。
 短期決戦に臨む男はあらゆる手を用いるだろう。故に仕掛けていないのはヴィルキスに力が備わっていないことを表す。
 最もヒステリカに力が戻ったのは本の数秒前である。これで本来の七割程度の出力を保てる状態になった。
 加えてヴィルキスは――否、タスクは当然ながら調律者としての力を持っていない。彼に覚醒などと云う陳腐な奇跡によってヴィルキスが真の力を取り戻すことは有り得ない。

「クハハハハハハッ! 残念だったな! ああ、本当に! 人間の奇跡とやらもここまでだ。所詮は運が絡んだ結果論に過ぎぬ!
 これからは私が全てを管理し、二度とこのような事態が発生しないようにしてやる。安心しろ、平行世界の貴様が再び殺し合いに巻き込まれることはない!」

 嗤い声が響く中、タスクは耳を傾ける暇などあるものか。
 ディスコード・フェイザーを掻い潜るように接近するも、嵐はヴィルキスを蝕む。
 表面が削り取られ、機体が数え切れぬ程に揺れ動き、徐々に嵐に被弾する面積が増え始める。

「お前の管理する世界なんて――誰が喜ぶ、そんな世界は必要無いんだ! お前の掌の上で踊り狂って、心の底から笑えない世界だなんて……ふざけるなッ!」

「聞こえないなあ! 風が煩すぎて貴様の声など微塵も聞こえぬわァ!」

 なら即刻にこの攻撃を中断しろ。
 タスクの届かぬ叫びがコックピットに響く。
 嵐に耐え切れずヴィルキスの動きが止まり、遥か後方へ。
 削りに削られた装甲の欠片が光を反射し空を彩る中、タスクは諦めない。

「ディスコード……掻い潜って距離を詰めれば」

 反動の大きい装備を使用すれば、威力に伴う硬直もまた絶大であろう。
 力で上回れないのならば、速度で超えろ。
 ヴィルキスが斬り抜けるための体勢に移行した瞬間だった。
 調律者はタスクの思考を読んでいたのだろう。固定砲台の隙を狙うと。
 故にヒステリカの銃口が向けられる。猿の作戦などお見通し――そう呟くかのように。

「今度こそ死ぬがいい。貴様に墓標など要らぬ……そのまま埋蔵する骨すらも消え去れ」

 銃口に収束する輝きは人間の生命を簡単に終わらせる。
 手間など掛からず、銃爪を引くのみ。人間の生命は紙切れのように吹き飛ぶだろう。

 輝きを目にするタスクが渇いた笑いを零す。
 さて、どうしたものか。気合と根性だけで乗り切れる盤面で無い。
 一度でも悟ってしまえば人間は再び動き出すまでに時間を要してしまう。
 こちらの出力は不完全である。御坂美琴らの助力が無ければ空を飛ぶことすら不可能であった。
 対するヒステリカの武装は万全。ホムンクルスとの戦闘で破損していた筈だが、徐々に修復され今ではほぼ無傷。
 加えてエンブリヲ曰く力を取り戻した――ディスコード・フェイザーまでをも持ち出した。

「――だからって!」

 輝く銃口を捉え、彼は叫ぶ。
 ――だからどうした。
 ヴィルキスを五十とすれば、ヒステリカは二百だ。数値で表せば戦力の差は只々と虚しくなる。
 操縦者の差も考慮した結果だ。タスクの身体が保っている要素は意地のみ。地上の仲間のために、天へ昇った仲間のために。
 そして己のために、愛する者ために。
 道理を排除し、無理を承知の上で押し通す。相手が神だろうと、最期の最期まで喰らい付く。それが理想の形だった。

 蓋を開ければどうだ、調律者の一方的な立ち回りに為す術なし。
 その翼は何のためにある、空を飛ぶためだ。その剣は何のためにある、悪を斬り裂くためだ。
 ――だからどうした。
 タスクは己に言い聞かせる。何度も何度も繰り返し、迫る悪夢の現実へ――だからどうした、と。

「ハハハハハハハハハハハ! 去らば、去らばだタスクゥ! 忌々しい貴様の最期を後世へ語り継いでやるッ! アハハ、ハハハハハハハハハハッ!」

 ビームライフルが放たれた刹那、全ての音が消えた。否、飲み込まれた。
 空間が焼き切られ、音も光も全てが刹那の中へ消え、再び現世へ舞い戻る。

「――ごめんね、アンジュ。この機体……最期まで保つ自信が無い」

 操縦桿を力の限り下げたタスクは隣で眠る姫君へ一言を加え、白い歯を覗かせた。
 急降下するヴィルキスは紙一重でビームライフルを回避。タスクは素早く操縦桿を切り返し、飛翔。
 高速軌道によって計り知れぬ重力が身体を襲うも、構わぬものかと続行し、ヒステリカとの距離を詰める。

「うわぁ……って、今は後!」

 揺れ動くコックピットの中でアンジュの局部が眼前に重なるも、優しく払い除け、隣に座らせる。
 頬が染まるが、惚気けるのも、愛を確かめ合うのも、致すのも。全てが終わった後のお楽しみだ。
 今、自分が為すべき事は一つ。エンブリヲを倒すことだ。

「万年発情期の猿は場所も考えずに……なんと端ない。貴様に穢されたアンジュの身を考えると、呆れて涙も流れん」

「――しまっ」

「っておけ」

 アンジュの局部により視界が塞がってしまった僅かな時間の間に、エンブリヲは追撃を放っていた。
 ヒステリカの銃口から再度放たれた輝きを認識し、ヴィルキスを回避行動へ移行させるも右肩に直撃。
 大地震が発生したかのように振動する機体を制御出来ず、なんとか体勢を立て直そうとするタスクだが、自身は自身で頭部を強打し、視界が歪む。
 最悪の渦が逆巻く中でも調律者は手を休めない。彼は冷静に虫を潰すが如く銃爪を引く。
 ビームライフルが左足を、腹部を、左肩を――全てが直撃し、タスクが再び意識を取り戻した時、ヴィルキスは降下していた。

「ぐ……システムは生きている、なら……止まれぇ……!」

 視界が晴れぬため手探りで右腕を動かし、操縦桿を握る。
 左腕は痛みを感じず、状況を確かめようにも左目付近が腫れ上がり何も見えない。
 残る右目で確かめようにも流血で視界が赤黒く彩られているため、見た所で何も分からない。
 幸いにもメインカメラを通して見る映像は色素に影響されない。故にヒステリカを取り零すことはないのだが。
 だが、片腕だけの操作制御で勝てる程、エンブリヲは弱者に非ず。

「ぁ……はは、なんのこれしき……っ」

 機体を制御し空中に留まらせる中、タスクは絶望の空を見上げる。
 黒き機神が嵐を響かせようと、見下していた。神は確実に人間を抹殺する対象へと定めたらしい。
 冷静に状況を分析しろ――定まらぬ思考の中で藻掻き、必要な情報だけを引き寄せる。

 ヴィルキス――損傷七十と仮定。
 出力――常識の範囲内であれば問題無し。
 武装――刃は健在、銃弾も満足に揃っている。バレットも確認済み。
 決定打――無し。
 加勢――期待するだけ無駄。
 アンジュ――幸いにも彼女に傷は無い。

 結論――戦闘続行可能、終局は己の生命が尽きた瞬間だ。

 ペダルを空踏み込みし、各種動作を確認。
 最高速度は圧倒的に低下、だが飛べぬ訳じゃない。
 左腕が作動せず、自分とリンクしている状況にタスクはまたも渇いた笑いを零す。
 そうか、死ぬ時まで一緒に居てくれるのか。心の中でヴィルキスへ礼が送られた。

「………………貫く、それだけだ」

 力強く踏み込まれたペダル。
 呼応し吹き荒れるバーニア。
 操縦者の騎士は笑う、死地に赴く戦士とは思えぬ表情だ。
 絶望の現実、縋る奇跡の光も届かぬ奈落の底で、彼は笑う。
 おかしい話だ――全く恐怖を感じないのだ。これから死ぬ確率が大半だと云うのに。
 身体は震えず、走馬灯も見えず。強いて言うなら周りの時が止まった感覚である。

 ヴィルキスが加速し、ヒステリカの放つ嵐を正面から突破――出来るものか。
「ああああ――ッ、アアアアアアアアアアアアアアアアア」
 ――だからどうした。限界か、そうかこれが限界なのか。
 ならば超えろ。これは超えるべき壁だ。腕を伸ばせ、大地を蹴り上げろ。壁は空まで伸びていない、ならば超えられる。

「……馬鹿め。見ている私が狂ってしまう」

 迫るヴィルキスを見つめる調律者は頭を抱える。
 逃げ場が無いとは云え、ひたすら真っ直ぐに嵐の中を突っ切るなど愚かだ。
 現に機体は痩せ細り、出力も低下し勢いが保てていない。
 自ら死に急ぐことも無いだろうに。ちっぽけな生命はちっぽけなりに大切にすればいい。
 調律者の立場からすれば人間の生命など、どうでもいい存在だ。だが、本人にとってはかけがえのないもの。

「馬鹿な男だ……こんな男に、平行世界の私は敗れたなど認めたくないな」

 特攻を讃え美化してしまうことは人間の愚かさを象徴している最もな例だ。
 替えの効かぬ下等生物の分際で個体を無意味に消費するなど、効率を考えれば誰も実行しないだろう。
 しかし、歴史は物語る。本人や上から命令している者からすれば美談であろうが、端から見れば滑稽の極み。
 己の生命すら守れぬ者が、他人を、世界を救えるのか。笑わせるなとヴィルキスを見下すエンブリヲの視線が鋭くなった。

「………………なん、だと?」

 止まらない。
 ヴィルキスは幾多の損傷を帯びようが、停止の予兆は見られない。
 片翼となってしまった翼でさえ、必死に空を足掻き、今もなお上昇を続ける。
 有り得ぬ、有り得ぬとエンブリヲの表情に血管が浮かび上がる。

「なぜ、大破しない! これだけディスコード・フェイザーを浴びれば機体の限界など既に超えているだろうッ!」

 止まらない。
 右腕に然りと刃を握り、ヴィルキスはただ一点――ヒステリカの元へ。
 吹き荒れる嵐に何度も流されるが、その度に加速を見せる。
 その力の出処は一体何だと云うのか。エンブリヲは苛つきからか、機体内部の基盤に拳を叩き付けた。

 時間は必要ない。
 僅かな刹那の鼓動さえも感じさせず、白銀の流星が黒き機神の正面に降臨した。
 吹き荒れる嵐が収まり、神と神が対峙する空は無音の静寂に包まれる。
 エンブリヲの生唾を飲み込む音が響き、遅れて汗が着水する潤いの音が流れた。
 メインカメラを通して見るヴィルキスは明らかに大破寸前――否、大破している。

 片翼の翼が沈む夕日と重なった。煌めく粒子が一層と輝くも、生を感じさせない。
 有り得ぬ、有り得ぬと調律者が自分に言い聞かせるように何度も呟き、瞳を閉じた。

「ククク、奇跡か……またも奇跡だと云うのかッ! いい加減にしろ……安売りされる奇跡に価値などあるものか。
 ここまで戦えたことだけは褒めてやる。去れ! 死ね! 消えろォ! 私がこうして銃爪を引くだけで! 貴様の生命は簡単にも――――――」

 終わる。
 エンブリヲが瞳を開けた時、ヴィルキスは一切の動作を停止していた。
 正確にはヒステリカの正面に到達した段階からだ。
 標的を眼前に抑えたが刃を振るうどころか、操縦者のタスクの声も響いていない。

 不可解な状況に対し、答えは単純だった。
 停止したヴィルキスを見つめエンブリヲは勝利を確信し、操縦桿から手を離す。
 全てを見上げるかのように腕を広げ、彼の高笑いが地上へと響き渡る。

「アハハハハハ! ハハハハハハハハハハハ!! 悔しいなあ……悔しいよなあ、タスク?
 有り得ぬ話だったんだ、死にかけの貴様が彼処までヴィルキスを操るなど、それこそが奇跡だったんだよ。
 貴様の生命は嵐の中で輝くことも無くゥ! 消えていたんだ……悲しい、私は悲しいが。この声は死んだ貴様に届かない……!」

 簡単だ、タスクはヴィルキスの中で絶命していた。
 全くの動きを見せないことが証拠だ。悉く楯突いた厄介者の死亡にエンブリヲは笑いを堪えられない。
 神殺しの偉業は此処に潰えた。故に、調律者を止める最期の希望が砕かれたのだ。

「残念……とは全く思わん! やっと死んだな、このカスがァ! クハハハ、これで私を万が一にも止める存在は消え去った!
 御坂美琴も、エドワード・エルリックも、黒も……ヒースクリフも! 奴等はこれから私に殺されるだけの哀れな、哀れな虫けらだァ……!」

 点滅する二つの光点が消え去り、パネルを見つめていたエンブリヲは敢えて道化師と魔法少女の名を呼ばぬ。
 タスクを加えれば三者の生命が終わり、残る障害は五名。その内の一人は無力な女子高生だ。勝った、負ける可能性は消えたと、エンブリヲは更に空を仰ぐ。

「この一撃を私が更なる高みへと昇り、完全なる存在へと至るための走行式としよう――貴様の屍を捧げてなァッ!!」

 愛を抱きかかえるかの如く大袈裟に右腕を回し、力任せに操縦桿を振るう。
 呼応しビームソードの出力が上昇し、空間を蒸発させる勢いを伴った光体の刀身が空に一筋の閃光を走らせた。
 振り上げられた光の刃が振り下ろされた時、ヴィルキスは二つに裂け、撃墜されるだろう。だが、タスクは動かない。
 エンブリヲの推測が正しければ絶命している彼は、光の刃が迫ろうとも指一つを動かさなかった。

 迫る光の刃が空間に縦一文字を刻んだその刹那、何者かがヴィルキスの刃を構えさせ、光の刃を防いだ。

「チィ!! 悪趣味な男め……生きているなら、発声の一つでもすればよかろうにィ!」

 血管の破裂音が響きエンブリヲの額から僅かに血が流れた。
 一方、彼から怒号を飛ばされようがタスクは目を覚まさず、失った意識の奥底で一つの光に包まれていた。