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死神の見る夢は、黒より暗い暗闇か?(後編) ◆ENH3iGRX0Y





黒の先に広がる霧は未だ晴れない。その行く手を遮るように白い壁は黒を囲う。
一向に景色の変わらないことに黒は徐々に焦燥に駆られ始める。
この辺りは何度か通ったことがあるが、これ程に長い道筋だったか? そもそも自分は雪乃達と別の道を行ったのではないか?
もっと言えば、既に全てが終わり決着が着いた後なのだとしたら?
考えれば考えるほどに悪い予感が浮かんでは消える。だが、決して杞憂に過ぎないとは断言できない。

「クソッ」

黒は立ち止まり、現在の自分の位置を把握する為に周囲を注意深く観察する。
地図を取り出し、辺りと照らし合わせてみるが、霧に遮られた景色は地図の簡略化された立地からはかけ離れていた。
黒は学院で戦闘を行い、それを終えて走っていた。霧のせいで誤ってカジノ方面へと向かってたとしても、すぐに道が途切れ気付く。
雪乃達の場所も定かではないが、もし御坂と出会えば戦闘の騒音で分かる筈だ。
それなのに何故、何も見えず聞こえない?

「待て、タスクエンブリヲは……何処だ?」

まだ御坂とエドワードがすれ違っているのなら、戦闘が起きていないのは分かる。しかし、彼らはそうもいかない。
天空にして雌雄を決する二体の機神が何の物音も立てずに消失するなどありえるか?
黒は即座に空を見上げるが、タスクどころかエンブリヲもいない。どちらにせよ勝者は必ず残る。
ならば同士打ちか? だがあれだけ目立つ戦いの規模で気付かないなど―――

『無駄だよ。ここはヨモツヒラサカ……私の空間』

「――――!?」

まるでその声は氷を浴びせてきたように、黒に悪寒を抱かせた。
気を抜けば震えそうな寒気にも似た畏怖が黒を襲い、更に冷汗が背筋を伝うのを感じていた。
体感としては非常に凍えるようだが、その実汗は絶え間なく分泌させられ黒を濡らす。
恐怖と緊張が入り混じり、黒の掌は閉じられ拳を形作る。


『どうしたんだい? まるで死人を見たような顔じゃないか』



黒が振り向いた時、そこに神々しいあの異形の姿はなかった。
白い拘束具に包まれた神々しさに溢れる女神は見る影もない。
何故なら、彼女の体には彼女の体には一切の皮膚がない。
赤黒い爛れた火傷跡が全身に刻まれ、本来なら皮膚下に広がるであろう筋肉繊維が露わになっていた。
長い銀かかった黒髪は無数に絡み合い、互いを拘束するように荒れ狂う。
加え、元は美しい美貌であったであろう美顔には両目がなく、繰り抜かれたか或いは腐り爛れ落ちたのか、二つの窪みだけが広がる。
鼻も削ぎ堕ちたように後鼻孔だけが痛々しく広がり、当然皮膚のない顔には口を塞ぐ唇はない。
歯茎と歯が剥き出しになった異様な様は嘆いているのか、怒っているのか判別のつかない狂気の様を見せる。
下半身は残された筋肉と細長い骨が広がり、無数の手が生え肉と骨の幕を形成している。更にこれらの巨体を体の中心を貫く背骨が支えていた。

「あの白いのは……お前の姿を隠すための……」

日本神話の伝承では火之迦具土神(ヒノカグツチ)を産み落とした伊邪那美は、生まれながらにして炎を宿していたその神性故に火傷を負い命を落としたと言う。
なるほど、確かに彼女が黄泉の国より、1日に1000の命を奪うとした伊邪那美の名を語るのであれば、この姿は正しくその女神の姿にこそ相応しい。

『少しだけ驚いたよ。フフ……まさかこの姿まで披露するとは』

死を司り、霧で真実を覆い、偽りを騙る神なる存在―――



『―――私は……神……伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)』



黒は動揺を隠しきれない。先ほど、確実な手ごたえを感じあの存在を滅ぼした。
今でもその感触は残っている。だが、現実は無残な真実を突き付けてくる。
何より、この霧がはっきりと全てを物語っているではないか。奴が滅んでいないからこそ、霧は晴れず進むべき道は現れない。
普通なら足がすくみ、身動き一つ取れない凄惨な容姿の伊邪那美大神へと黒は果敢に飛び込んでいく。
焼き爛れた全身は生者ではなく死者のもの、生きとし生けるものならば生に対する本能が避けようとする。
だが黒はそれらの欲求すらねじ伏せ、精神を再び闘争へと注ぎ全身を戦いの道具へと切り替えた。

黒は伊邪那美大神の下半身より蠢く骨と肉の腕の一つにワイヤーを括り付ける。
捕らえようと四方を囲んでくる手の動きを見切り、黒は頭を上げながら疾走の勢いを殺さぬまま、踵を離し上体を逸らし太腿を地面に擦らせる。
腕は滑走する黒の真上の虚空を掴み、ワイヤーを握った黒はランセルノプト放射光と共に赤く輝いた双眸で伊邪那美大神を強く睨んだ。
瞬間、ワイヤーを伝い電撃は伊邪那美大神の巨体を巡る。

最大出力の電流は生身で触れれば一瞬で黒焦げた炭へと変化するだろう。
青い紫電が花火の様にバチバチと音を鳴らし、黒と伊邪那美大神を覆い包んでいく。


「なっ―――」

紫電をその全身に浴びながら、伊邪那美大神はその全身を覆う火傷を除けば何一つ傷ついてはいない。
黒は目を見開きながら喉を鳴らす。

『今更、電撃など』

伊邪那美大神の全身が青く光る。その刹那、電流がワイヤーを伝い黒へと逆流した。
巻き付いていたワイヤーは切断され、電気の感電に全身を痙攣させながら黒は後方へと衝撃を受け吹き飛んでいく。
伊邪那美大神の放つ電撃を意趣返しとして、わざわざ黒の契約能力に似せて使用したのだ。
本来ならば電撃による感電はあり得ない黒だが、黒焦げとまではいかずとも全身を電撃が巡った影響で足がおぼつかない。

「ぐ……」

『もう十分、戦ったよ。いい加減諦めるといい』

痺れた体でナイフを投擲する。フラフラの視界で焦点が定まらないが、長年の経験と勘から伊邪那美大神の眉間へと直撃した。
だがナイフは乾いた音と共に眉間を貫くことなく地面へと落ちていく。
先端が欠けたナイフが虚しく、黒の顔を写しだした。

『無駄と何度言えば分かるのかな?』

伊邪那美大神から雷が放たれた。
幾度となく、戦いのなかで見慣れたそれをかわす余力は黒にはない。
震える手で懐から先ほど回収した首輪を取り出し雷へと翳す。

「ッ……!」

だが、雷は首輪の無力化を貫通し黒の右手首から上を消し飛ばした。
不幸中の幸いは、雷の熱が傷口を焼いた事で止血され、出血には至らなかったことだ。

「ぐ、がああああああああああ!!!」

もっともその激痛は想像を絶するだろうが。
生身の肉を、それも皮という盾に包まれていない剥き出しの繊維を直接炙られる。
止血としては確かに最適でそういった応急処置もあるが、元より熱さは人の身に対し害があるものとしてプログラムされている。
人間の身体から生じる当然の生理現象として、痛覚はありったけの痛みを黒へと注ぎ込む。

右手首より僅かに下を潰すように握りしめ、奥歯が擦り切れるほどに噛みしめながら黒は痛みを堪える。
手を失ったことは戦闘に於いて不利ではあるが、片手と両足が残っている。
これならばまだ戦闘は続行可能だ。今は一旦撤退し対抗策を考える。

『おっと、何処へ行くんだい』

駆け出した黒を阻むように雷は黒の足元を抉る。
足場を崩され余波に流されながら、黒は背中から地面に打ち付けられた。
咳き込み、背中から広がる衝撃と圧迫感から黒は顔を歪ませる。


―――俺は、まだ……

否応にも考えてしまう。
黒が負けてしまえばこれまで散っていった者達の想いも、約束も、今生きる仲間たちの決意も全てを無駄にする。
だからこそ、負けられない戦いだ。

しかし敵はあまりにも強大、たった一人で挑むにはやはり無謀だったのか?
だがアレを殺すには自身の力以外は通用しない。白の能力ならば―――

残された左手を握り締め、黒は再び立ち上がる。
まだ戦いに必須な肉体は十分すぎるほど残されている。
可能性がある限りは諦めない。契約者としてはとても合理的とは言えない思考だ。

「……な、に?」

『ようやく気付いたかな』


黒の前に広がる景色、霧によって阻まれた空間がそこにはなかった。


「どう……なっている?」

霧の先は月明りによって照らされ、おぼろげながらこの箱庭の全貌を写しだしている。
何一つ存在しない。黒の足元は断絶された崖の様に深淵へと繋がっており、その先にある筈のものは全て奈落が飲み込んでいた。

『この箱庭をデザインしたのは茅場晶彦とフラスコの中の小人だ。しかし、ベースとなる空間は私の世界でもある。
 いわばこの世界は私の体内も同然なんだよ』

フラスコの中の小人だけではこのような世界を創造することは不可能だ。茅場も同様である。
彼らにそれだけの力を与えたのは、他の誰でもない。伊邪那美大神に他ならない。

「お前が、消したのか……何もかも」

『必要ないだろう。こんな遊戯盤もその駒も用済みなんだ……君を除けばね』

黒が抑え込んでいた右腕の痛みが雪崩のように広がるようだった。
全てが一切残らず、消されていた。

このまま戦う理由などあるのか? 
箱庭は壊され、そこに存在する仲間たちも同じく滅ぼされた。

「俺は……」

どう抗おうとも迎えた終末は全ての滅びと、自らの敗北である。

「銀――」

『貴方を一人にはしないから』

死神の仮面の下は何を想うのか。
白い仮面は罅割れ始めた。
音を立て、崩れ落ちていく仮面の下に広がるのは―――







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「本当にラブラブだよね。正直、妬いちゃうくらい」

自分でもあまりにも幼い声に驚いていた。
黒は微動だにせず、それと対峙する冥府の神格もまた同じく像のように動かない。
あらゆるものが静止し、その空間を闊歩しただ一人自在に動けるのは私しかいない。

「黒……」

こんなにも近く、目と鼻の先に黒は居るのに私の声は聞こえない。
時間の停止とはこういうことだ。
とっても近くにいるのに、とっても遠くに相手も自分もいる。

「ずっと、ずっと……貴方の―――」

何を失っても、何を犠牲にしてもよかった。
黒さえ生きてさえくれれば、ただそれだけでよかった。
黒が幸せであってさえいてくれればそれだけで、心の底から笑ってくれるだけで。

どうしても言葉が思い浮かばなかった。声も掠れて上手く喋れない。
不思議だね。今なら、何を言ったって誰にも聞かれないし咎められることもないのに。
いざそうなると何も言えなくなってしまう。

「時間切れ、かな」

貴重な時間を無駄にしちゃった。
私の胸が赤く滲み始める。あの槍の呪いは因果を超え時間すら遡り、その心臓を穿ち抜く。
時間を如何に操ろうとも、私の体が人間である以上はこの絶対的な死から逃れられる術はない。

勿体ないな。今回ばかりは本当の本当に最後なのに。

流血する胸、それに合わせるように私口元からも赤い水滴が漏れ始めた。
多分、残された命は数分とないと思う。
この数分をどう使おうか、既にやることは終わっている。
逡巡してから私は黒の顔を見つめ、少し歩むと爪先で立ち背を伸ばした。


「まっ……届かないよね」

私の背は、既に少女の物から乳児に近い体型へと若返っている。
普通の子供なら、これほど流暢に言葉なんて喋れない。
とてもじゃないけど、成人男性の平均身長以上はある黒の唇に触れるなど出来ない。
馬鹿な真似をした自分に私に笑いを堪えきれなかった。

こんな姿をどこぞのイギリスの伊達男にでも見られたら、また嫌味なジョークを飛ばされるかもしれない。

そういえば、あの空間で最後に黒と別れた時、多分私はちゃんと笑えていなかった。
白は笑って送り出してあげてたのに。

そうだね。もうこれで最後だし、最後くらいは笑おう。


「さようなら、黒」


でも、我が儘を言うともう一度だけ、本気で笑ってくれた……あのとびっきり抜けるような笑顔が見たかったな。









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『厄介なものだ。時間の操作というのは』

伊邪那美大神は呟いた。黒に向けたものではなく、既にこの世には――恐らくあの世があるならばそこにすら居ない、存在そのものが消失したアンバーに向けて。
火力はただの鍛えた兵士程度の物だが神格の身にすら時間という概念で縛ることすら可能であり、あらゆる局面に介入しリセットできる異能は非常に脅威ではあった。
この箱庭の制限がなければと思うと、相当な手を焼いたことだろう。現に既に制限が緩和した今も目障りであった。
しかし、アンバーは自らの死期を悟り残された全ての対価を利用し黒をもう一度だけ救出した。

「アンバー、なのか……?」

黒は先ほど失った右手を開いては握り、感覚を確かめそれが自分の生身のものであることを確認する。
そして伊邪那美大神が消し去った筈の会場が未だ残っていることも。
霧の向こう側で視界はすこぶる悪いが、まだ雪乃やエドワード、タスクが戦っているであろう箱庭は健在だ。
まるで先ほどの絶望的な光景が夢だったかのように。

だが、それを否定するのはただ一つ。黒の前に無造作に投げ出されたアンバーが愛着していたタイツ風の服だ。
服を黒は手に取る。まだ温かさが残っていた。先ほどまでにアンバーが着ていたかのように。
かつてゲートの中心で黒が決断を悩み、アンバーが残された対価を全て使用しきり抹消されたのと同じ光景だ。

また同じことを引き起こしてしまった。

黒は己自信を強く恨む。憎しみで今すぐこの胸にナイフを突き立てたい程に。
アンバーは二度死んだ。全ては黒の為に、何もかも放り出し黒を生かす為だけに犠牲になってしまった。

「俺は……!」

拳を地面に打ち付ける。無力な己を戒めるように、懺悔を乞うように、罰を欲するように。
大事な存在を、誰よりも黒を救った存在を、無残にもまた失った。
何も成しえない、こんな矮小で愚かな男の為に。

『時の女神の寵愛を受けながら、君は本当に不幸な男だよ』

憐れむように伊邪那美大神は声を発した。
神としての不遜さや傲慢さは含まれない。人を見下しているのではない、黒という個人に対し特別な思い入れを持ち慈しみを含んだ言葉。
それは伊邪那美大神という神格でも災厄でもない。銀という少女が黒を想うが故に混じったノイズのようなものだ。

『黒、私なら貴方を救うことが出来る。これ以上、苦しむ姿は見たくない』

伊邪那美大神の手から差し伸ばされた無数の手の中に、たった一つだけ赤黒さの消えた陶器のように白く薄い手があった。
何度となく黒が握り締め、黒の手を握り返したパートナーのものだ。
手を伸ばせば楽になる。手は暗にそう語るようだった。

あれは他人にとっては災厄であろうとも、黒にとってはこれ以上ない救済なのだ。

「銀……お前のとこへはいけない」

それでも、手を振り払う。

「お前“達”は俺が殺す」
『なるほど』

伊邪那美大神には人と違い、表情や感情を表に出す顔というものがない。
皮は焼け爛れ、本来備わっているパーツが全て欠損しているだから、察しようがないとも言えるが。
だが、例え外面からは何も感じ取れなくとも、あの神格は目の前の愚者をこれ以上なく見下し、施しを与えなければと使命感に酔っている事だろう。


『安心していい。君にはこれ以上ない絶望を下そう。そして、後には君が望む幸福で満たしてみせる。
 君は救われるんだよ』

伊邪那美大神の頭上に巨大な光球が作り出される。

黒は喉を鳴らす。額には脂汗が滲みながら、背筋は常に悪寒に晒され氷のように冷えているかと錯覚する。
目に映る光の存在は、人が挑むにはあまりに無謀すぎることを突き付けている。

ペルソナに対し一切の知識のない黒だが、あれが如何な物質であるかは予測が着く。
その気になればこの箱庭を滅ぼし、全てのゲームを強制的に終了にまで追い込む程の存在。
ヒースクリフの言葉を借りるならば、ゲームマスターによるリセットとでも言うべきなのだろうか。

勝ち目ははっきり言って0だ。どう足掻こうとも、戦争を生き抜いたただの人間が抗えるものではない。

「それが、どうした」

感覚が麻痺したのかもしれないなと黒は言いながら思った。

ここまで幾度となく、黒は自分と次元の違う存在と戦ってきたからだろう。

ある時は後藤、あの男は黒だけではとても叶う相手ではなかった。
ある時はこの殺し合いの枷である首輪というシステムとそれらを創り出し、神をも下し自らが神格へと成り立とうとしたお父様。
ある時は世界を掌握し創造と破壊すら気まぐれで行える調律者たるエンブリヲ。

全ては仲間がいたからこそ、黒は彼らという格上の存在にも果敢に立ち向かい生き残れて来ていた。

「もう絶望なんてものは見慣れ過ぎた。飽き飽きするくらいにな」

『ならば飽きさせないように、極上の物を味あわせてあげなくてはね』

伊邪那美大神が放つメギドラオン、それは足立や鳴上の放つものの比ではなかった。
人の身でもシャドウが作り出したダンジョンを廃墟に還る程の威力だが、神が放つそれは世界そのものを歪める。
空間が罅割れる。霧は濃さを増し黒を飲み込まんとするようだ。
残されたすべての参加者ごと会場を滅ぼし、黒の心を完全に砕いた上でその身に取り込む算段であるのだろう。


―――終わりだな。


伊邪那美大神は自らの勝利を確信していた。
元より敗北など在り得るはずもない戦いであった。アンバーの介入で幾度か巻き戻され、決着は先延ばしになったがそれだけだ。
アンバーに出来る事は全ての結末を引き延ばし続ける事だけ。
時間の制御についてのみ神を超えようとも、下される審判を覆すことは不可能だ。
それがアンバーの限界であり、人間の限界だ。


「―――!!」

意を決し、その眼差しは敵を見つめたまま黒は駆け出す。

黒はこの戦いに於いて、ただ一つ大きな思い違いをしていた。
彼が乗り越えた全ての死闘は黒が強いから勝利を得たのではない。仲間がいたから、支えて貰えたから勝てたとのだと。
この戦いもまた例外ではない。確かに、戦場に立つのは一柱の神と矮小な人間一人ではある。
それでも、命すら投げ出してまで黒を助けようとする味方がいた。
もう命はなく、世界の何処にも居なかったとしても、二度と会うことも触れ合うことも出来なかったとしても。
彼女が黒を裏切ることは絶対にない。

メギドラオンが黒に触れる。その圧倒的なエネルギー量は生身の人間を一瞬で炭へと変える。
黒に対してのみ手心を加えてはいるが、あくまで生きてさえいればいいのだ。
手足が吹き飛ぼうが、両目が蒸発し耳は焼き千切れ鼓膜は破け、全身を炙り五感が一切感じられなくなろうと関係ない。
次の瞬間、滅びさった会場と生きただけの焼き焦げた肉塊が地べたに転がっているだけだ。



『馬鹿な―――』



だが、結果は――現実は違った。
迸る蒼い光ががまさにメギドラオンを飲み込まんとする勢いで光り輝く。
メギドラオンは光に圧され、ノイズのように波打ちながら轟音を齎し、爆風を巻き起こしながら消失した。
まさかラグナメイルが乱入して黒を救ったのだとでもいうのか?
それならばまだ分かる。今残された参加者のなかで、伊邪那美大神に対抗出来得るのはエンブリヲのヒステリカだけだ。
しかし、この箱庭の中に於いては伊邪那美大神を上回る存在などある筈がないが、それでもエンブリヲならば可能性は微々たるものだがありうる。




『どういう事だ……こんな事が……』



しかしこの光を―――契約者が放つランセルノプト放射光を放てるのは、この箱庭でもうただ一人しかいない。
例え調律者であろうとも、あの黒の死神の契約能力を模倣することは出来ない。
それを表すようにメギドラオンが消滅し、土煙の中からランセルノプト放射光を纏いながら死神が姿を見せる。

「言っただろ? もう見慣れたとな」

あのチンケな電撃で伊邪那美大神のメギドラオンを掻き消したとでもいうのか?
御坂はおろか、帝具頼りとはいえサリアにすら電撃使いとしては劣る黒にそんな芸当は無理だ。


『まさか、物質変換か? それこそ馬鹿げている……君には不相応な力だ……まるで使いこなせてはいないじゃないか』


物質変換でメギドラオンを別の物質へと再構築し打ち消したのなら説明は着く。
理屈の上でなら、物質に干渉する能力はあらゆる現象を可能とし引き起こせる。
だが、一人の人間が持ちうる力としては強大過ぎる。
首輪を外した時のような奇跡が、また起きたとでもいうのか?

「ああ、俺一人ではこの力を使いこなす事は出来ない……いつだってそうだ」

伊邪那美大神は黒の右手で異彩を放ち光る一つのレンズに注視した。
見た目だけなら、ただのガラスのレンズにしか見えない。
だがそれは間違いなく、黒の手元で光輝きながらランセルノプト放射光を強くしている。

『流星の欠片……? だがキンブリーと承太郎との戦闘で―――』

流星の欠片は使用者の力を増幅させる。黒の、本来ならば運用の厳しい能力も流星の欠片の元に於いては、その制約を取り払うことが可能だ。
だが、それは存在しないはずだ。


今から十数時間前、まだ殺し合いも中盤の頃にキンブリーは流星の欠片を用いて自らの錬金術を強化し、承太郎達との戦闘に臨んだ。
結果としては承太郎とセリューを討ち取るものの、引き換えにキンブリーが従えていた骸人形全てを喪い、キンブリー本人にも後の死亡に繋がる程の重傷を負わせた。
そして所持していた流星の欠片は、キンブリーが助かる為に賢者の石と同じくその“糧”として消費された。
消費された以上は消えるしかない。流星の欠片はもうこの世界に存在するわけがない。

否、そうではない。

ヒースクリフが推察したようにこの会場は地獄門の中だ。
伊邪那美大神が支配する世界であると同時に、ゲートの干渉下にあるといっても過言ではない。
あらゆる異世界の法則が入れ乱れる混沌とした世界を繋げるには軸となる存在が必要だった。
ゲートという存在はそれにピッタリと当て嵌まった。

伊邪那美大神の最大の誤算にして、アンバーが隠し持つ切り札はそこにあった。

かつて、アンバーは粉々に砕けた流星の欠片が元の姿に戻っていた場面を見たことがある。
この殺し合いの世界を支配するのは伊邪那美大神だが、もしもゲートが存在するのならばだ。
あるいはキンブリーによって糧にされた流星の欠片も再び復活するのではないか。
彼女は支給品として紛れたこのアイテムに、自らの命すら捨てる覚悟で黒の命運を託していた。

「アンバー、お前は最初からこうなることを……」

黒が流星の欠片に気付いたのはアンバーの服に触れた瞬間であった。
服の中で光を反射する透明な物質を目にした時、黒は全ての合点がいった。
東京エクスプロージョンの時と同じ、アンバーは全て最初からそうするつもりで誘導していた。

『人間ごときが!!』

伊邪那美大神の怒気を込めた叫びと共に、黒雷が天より振り下ろされる。
全ての黒雷は黒へと集中し直撃した。
電撃ならば耐性のある黒ではあるが、伊邪那美大神の雷だけは別だ。
恐らく電気に於いては、最も優れた能力者である御坂美琴ですらこの黒雷の前では無力化する。

だが最早、伊邪那美大神の放つ雷すら黒には傷一つ付けることは出来ない。
物質変換、電子の支配とはこういうことだ。あらゆる物質を掌握し物理法則すら無視する。
人の域で神を滅ぼせぬのなら、人の域を超えて神の領域を粉砕してしまえばいい。


雷を打ち消し、あらゆるスキルを無効化し黒は一歩一歩確実に伊邪那美大神へと距離を詰める。
以前とは立場が完全に逆転しているではないか。
黒の攻撃を受け流し、嘲笑していた伊邪那美大神がたった人間一人にこのような醜態を晒している。


――――その先にある幾万の真言を信じて!――――


伊邪那美大神の脳裏に、あの少年の姿が過ぎった。
まさにこの光景はあの戦いに似ている。

だが、一つだけ違う。

『見事だよ。黒、いやアンバー……彼女には敬意というものを表すべきかな』
「なんだと?」

黒の足が止まる。圧倒していた黒に対し驚嘆し、追い込まれていた伊邪那美大神は再び余裕を取り戻していた。
新たな一手を編み出したのか? 黒は警戒しながら伊邪那美大神を見つめた。

『流星の欠片は盲点だった。
 それでも、君はやはり一人っきりだ』

地面から無数の手が生えだし、黒を取り囲む。
とはいえ今更何が来ようとも、流星の欠片で増幅させた物質変換の前では全てが無意味。
既に黒の力は伊邪那美大神を凌駕していた。

『“幾千の呪言”。人の総意を受けるがいい』

――その筈だった

黒を取り込もうとした手が再び地の底から湧き上がる。
アンバーが時を巻き戻す前にも見かけた光景だ。この先に何があるのか、考えるのも恐ろしい。
流星の欠片をより強く握り、黒は能力を放った。物質変換の電撃は触れた手を全て消失させていく。
だが、手は電撃に触れながら尚、消えかけのホログラムにように透明になりながら黒の足を掴む

『物理的な干渉はその力の支配下に置かれるらしい。
 けれど、これは見たいものを見たい様に見たいと思う人間たちの欲望の権化なんだ……』

地の底から這い出る死霊の手が黒を掴み。抵抗する術もなく、黒は引きずり込まれていく。
手に導かれ冷たい地の底へ、伊邪那美大神のなかにあるもう一つの災厄の元へと。


『君の本心は君の行っている事の真逆という事だよ。
 そして、これは全ての人間に欲望が集まった、人の総意なんだ。物質を支配する力であろうとも、打ち消すことはできない』

―――それを消すことが叶うのは、それまでに築き上げた"絆"を通じ、真実へと辿り着いた者のみが放つ幾万の真言のみ。

そう言おうとして伊邪那美大神は口を噤んだ。

あの戦いの再現には決してならない。
確かに黒には仲間がいる。今も何処かで戦う、再会を約束した者たちがこの箱庭には残っている。
それでも絆を力に変えるペルソナを用いてはいない。

黒は選ばれた存在ではない。

人間には可能性がある。それは認めざるを得ないだろう。
この殺し合いだけで見ても、何人も参加者が限界を超え自らの宿願の為、血を流し続けた。
人は強い。時として、神すら退けるほどに。

だが、やはりそれは選ばれた一握りの存在だけの話だ。

大多数の人間は神の御業に心を折られ、屈服せざるを得ないだろう。よしんば立ち向かったとしても、神を打倒する存在など―――
だからこそ、英雄や伝説という言葉が存在する。
人には出来ぬ離れ業をこなす、人でありながら異端の者を尊敬と畏怖を込め昇華する為にだ。

―――私は一握りの人間だけが、辿り着く答えを肯定してはいけない。
   私は全ての人間の望みを叶えなければならない。




それでも、何故だろうか。
この結末は―――










―――集中しろ。集中……!

地の底へ引きずり込む手に対し、黒は目を閉じる。
現実の直視を避けようとしているのではない。自らの能力を最大限引き出す為に、余計なリソースを割けないよう視界という五感の一つを消している。
流星の欠片という極上のブーストを受け、黒の能力はこれ以上ないほどに高まっている。

黒の戦いの直感が告げている。
漆黒の花事件で戦ったハーヴェストとの死闘と同じく、物質変換でしかこの力は突破できない。

されども、黒が今相手にしているのは人の総意に他ならない。

伊邪那美大神を如何に否定しようとも、人間が生きていくうえで必ず思い、そして願う全ての共通した願いだ。
それを打倒する事は、いわば全人類を敵に回す事に他ならない。
人類が誕生し、積み重ねた全てを打ち消すにはあまりにも黒の力では足りえない。

何より、黒もまた人間である。黒の中にもまたこのような願いが存在している。
自らを否定し、全ての人類を否定する。そんなことが、ただ一人の人間に可能なのか。

黒の下半身は完全に引きずり込まれ、既に胸元まで手は引きずり込んでいた。
地の底に繋がる奈落は一向に消える様子がない。

恐ろしい焦燥に苛まれ、不安が黒の頭を過ぎり続ける。
アンバーが命を投げうってまで、繋げてくれた最後の好機をみすみす無駄にしてしまうのか。
まだ戦っているであろう仲間たちを、このまま無残に殺させてしまうのか。
災厄として目覚めた銀を――何も出来ぬまま、世界に解き放ってしまうのか。


―――ここで、終わる訳には















『太陽……?』


先ほどまでは月明りが霧を照らし、箱庭の姿を写しだしていた。
アンバーが時を巻き戻した事で、夜から夕方に時刻を遡った事が原因だろう。
とはいえ、本当にあと数刻で太陽は沈み、空の支配者は太陽から月へと変わる頃だ。

『――さて、彼らの決着は着いたのかな』

天空で機神を駈りながら、各々の因縁を断ち切る為、死闘に臨むエンブリヲとタスク。
喪われた過去を取り戻すべく戦う御坂美琴と同じく失われた過去を想いながらも明日を歩む為、障害を取り除くべく戦いに臨む雪ノ下雪乃

彼らの決着は既に着いたのか。

どちらにせよ、伊邪那美大神の世界たるこの遊技盤では意味を成さない事だが。
誰が勝ち、誰が敗北しようともいずれ全てを抹消されるのだから。

『とはいえ、一応は誰が最後に立つのか……気にはなるが』

主催らしく、最後の決着が着いた後で優勝者の前に現れるのも面白いかもしれない。
無駄な思考だなと伊邪那美大神は思う。
この事の成り行きを見守ろうとするのは、やはり癖なのだろう。
出来れば黒の事がなければ、今の段階でも参加者に干渉するのも避けたかった程だ。

既に黒は完全に取り込んだ。銀(さいやく)との契約はこれにて完了した。
残る彼女の力は全て、こちらの為に利用させてもらう。

これからは忙しくなる。

黒を除く人柱達の血で降ろした聖杯を通じ、全ての世界に伊邪那美大神の霧を振りまく。
そして銀の力で全ての生きとし生ける者達の魂を収集する。
広川の望む人間の管理を行った上で、集めた魂達全てに安らかな夢を見せ、各々の欲望のなかで死という救済を与える。

『広川と合流するとしよう』

残された人柱の最後の晴れ舞台だ。
邪魔をするのは無粋というものだろう。
余計な真似をされるまえに、出会った釘を刺しておくことにする。
広川は下らないと一喝するだろうが、彼らが如何な答えを出すのか、最後の主催者として見届ける事としよう。





その次の瞬間、伊邪那美大神の右半身が吹き飛ばされた。



『――――!!?』



それは巨大な紫電の塊だった。
まるで電撃の槍が吸い寄せられるように伊邪那美大神の半身を砕き、塵へと還したのだ。
伊邪那美大神の知る限り、これほどの高圧電流を放てるのは御坂美琴だけだ。

全ての決着が着いてこの場へと辿り着いたのか?

だが、ここはかつての音ノ木坂学院ではあるが、伊邪那美大神が霧を張ったことで外から容易に入ることは出来ない孤立した空間となっている。
この場に伊邪那美大神の察知を避けて、侵入するなど不可能だ。

そして腑に落ちないのは、仮に御坂が侵入したとして何故神の身を砕くことが出来たのかだ。
所詮レベル5、最強の電撃使いという称号も人の域にあるものでしかない。


「何処へ行くんだ?」


その答えは自ら伊邪那美大神の元へと歩んできた。
奈落の底より這い上がり、今まさに霧を齎す神格へとその魔手を翳そうとする黒の死神の姿が・
より強いランセルノプト放射光の光と共に。その姿は流星のようだった。

『馬鹿な、何故貴様がここに居るんだ……完全に取り込んだはずだ……?』

まさか、幾万の真言か―――だがあれはワイルドを持つ鳴上悠だからこそ目覚めた力だ。
『世界』のアルカナたる伊邪那岐大神(いざなぎの おおかみ)が持つ幾万の真言をペルソナも持たぬ、ただの契約者が発揮するなどあり得ない。

だがこの光景は何だ? 何故、奴が本来ならば砕けえぬ神の身に傷を付け、あまつさえワイヤー等を通してでなければ、感電もさせられない。
そんな能力で、どうやって電撃の槍を遠距離から放つことが出来る?
流星の欠片が如何に契約者の力を高めようとも、このような光景は起こり得ぬはずなのだ。


『何を……した?』

「電流を増幅し、空気を介してお前に感電させた。雷のようにな」

『違う。そんなことでは――』

伊邪那美大神の声は最後まで紡がれることはなかった。
同じく、左半身が吹き飛ばされカーテンのように広がっていた禍々しい無数の赤黒い腕は消し去られた。
残るは上半身に残る、等身大の日本の腕のみ。

『……消え失せろ、人間!』

黒い雷を黒に集中して振り下ろす。
だが、全てはランセルノプト放射光に飲み込まれ無力化されていく。
やはりだ。ペルソナはおろか、幾万の真言などではない。
物質変換により雷を無害な物質へと再構築している。

『何故、幾千の呪言を退けることが出来た……絆も真実も持たぬ、たかだが一人の異能者風情が』
「この箱庭は、お前の空間なんだろ? そんなことも分からないのか、大した神様だ」
『何?』

黒の言葉を受け、伊邪那美大神は天空に起こった一つの異常現象に気付いていた。
沈みかけた太陽、もうじきに月が支配する夜の世界が訪れようという時、太陽の中心を漆黒の斑点が覆っていた。
それは太陽を観測した際に見える太陽黒点と呼ばれるものだ。

しかし、通常のそれとは明らかに違っていた。
あの太陽を覆う黒点は異常現象に他ならない。
太陽が更に焼き焦げた跡のように広がるその様は、神の目線からしても非常に不気味である。
まるで日食のようでもあり、だがあれほどの神聖さは微塵も感じさせない。

何せ一か所に複数の巨大な黒点が集中して発生しているのだ。
その太陽から、世界の滅亡を司る魔王が降臨するといわれても可笑しくはないほどに。

そう大黒斑――あれが続く限り、黒のBK201の力は最大限に高まる。

そのランセルノプト放射光は今までの比ではない。比べ物にならないほどにまで輝き、伊邪那美大神の巨体すらその光を纏うほどに。

『……私の力が―――及ばないなど……!』

消えて逝く。幾千の呪言が黒に触れ、また物質変換を誘発する電撃を流されることで全てが蒸発し抹消されていく。
黒を中心とし電撃とランセルノプト放射光が世界を蒼へ染めていく。暗黒の死霊達の呪言が浄化される。


『……そう、か。だからお前達は首輪を』

思えば確かに予兆はあった。
首輪を外した時、お父様は不可能だと断言したそれを何故奇跡的に外すことが出来たのか?
黒が聞いた白の声が力を貸しただけなのか?
否、それもあったのかもしれない。だが、もっと理論的にこれらを全て説明する術がある。

殺し合いが始まる以前、EPRの本部に乗り込んだ時、黒はアンバーを殺害しようとし能力を開放した際に妹が自分を呼び止める声を聞いていた。
あれもまた太陽に大黒斑が現れ始めた時期に起きた事象だ。

これらも踏まえ首輪の解除は黒の力が大黒斑により、無意識の内に高まったことによる結果であったと考えるのが妥当なのかもしれない。

『だとしても、何故今になってこんなものが起きる……? まさか、アンバーが時間を巻き戻したのは……このタイミングを計っていたというのか、だが――』

だが全てに説明がつくわけではない。大黒斑は凶兆と見なされるほど珍しく、数年に一度しか起きない。
それがこの世界に於いて、唐突に起き始める。何らかの意思と意図を伊邪那美大神は感じていた。
しかしアンバーが全て計算して引き起こした事なのか、それとも全てが偶然が重なったことによる産物だったのか。

アンバーが完全に死した今、それを語る術はない。

『フ、フフフ……』

伊邪那美大神は堪えきれなくなった笑いを噛み殺す。

『何処までも私を驚かせてくれる。……認めよう人間、君は神を超えた』

不遜にして傲慢であった神格が初めて、黒という人間の力を称賛する。
それは一切の皮肉も嫌味もない、純粋な健闘を称えたものだ。

『この戦い、どうやら私の敗北に終わるようだ。お前は私を殺し、それで終わる―――だが私は死なない』

「どういう意味だ?」

黒はこの異形が、嘘偽りを言っていないことを即座に直感した。
何らかの比喩でもない。言葉通りの意味で話しているのだと。

『幾千の呪言と同じだよ。私もまた人の総意、お前達によって生み出された存在だ』

人々が共有する無意識の願いの具現化。
それこそが、伊邪那美大神の正体であり本質だ。

『何度殺されようとも人々の意思がある限り、私は再び蘇る。
 これが何を意味するか? 果たして、君のそのあまりにも膨大過ぎる力はあと何分持つのかな』

黒の力には限度がある。
例え幾千の呪言を超えようとも、その力を維持できるのは、大黒斑が発生している残り数十分程度だ。
伊邪那美大神をこの場で滅ぼすには十分すぎる力ではあるが、彼女の言うように再度復活した伊邪那美大神を滅ぼす程の力は黒には残されていない。
彼が神を超える程の力を発揮するには、幾重もの条件を満たしたうえで初めて言えることだ。

『残念だったね……。私を倒したところで根本的な解決にはならない。
 人が……人々の願いがある限り、私は不滅だ』

伊邪那美大神、霧の迷宮の主にして全ての凶を打倒すべき方法はたったの一つ。


『約束しよう。いずれ必ず――黒、貴方を迎えに行く』

だが、その術はとうの昔に禍津の手により途絶えている。

『そして全ての人間を私が救済すると』

黒は駆け出す。雷を退け、死霊の手を全て跳ね除け伊邪那美大神の巨体へ手を翳す。

伊邪那美大神には、これから起こることは全て分かっている。
良いだろう。好きなだけこの身を壊せばいい。
だがそれだけだ。目の前に映る虚像をいくら滅したところで、人々の総意は決して覆らぬ。

どんな力を得ようとも人の個の力とはその程度。



大黒斑が極大期を迎える。
それに伴い、黒の電撃はより規模を増し伊邪那美大神の全身を包んだ。



一時の勝利に酔いしれるが良い。愚かであまりにも矮小な者達よ。
また再び、人間達は神の再臨を目にする事となる。その時こそが最後の審判であり、全てが救われる贖罪の時だ。





「―――違うな。お前はここで終わる。次はない」








伊邪那美大神の全身に光が迸る。それらは、鎖のように纏わりつく。

『■■■■■』

全身に走るノイズが思考にまで及ぶ。
思考が言語化できない。
目の前の景色が正常に認識されない。記憶も曖昧で定かではない。

「言った筈だ。ここで終わるとな」

黒の力にはもう一つ、ある条件下の元に引き起こされる現象がある。
大黒斑が極大期を迎える30分の間に、ゲート中心部でBK201の物質変換能力を最大限開放することで可能となる。

不可侵領域化(エクスプロージョン)。

物理世界から完全遮断された絶対不可侵領域。


伊邪那美大神が人の願いの集合体である。人間が存在する限り、彼女が完全に滅び去ることはない。
如何な方法を以てしてもだ。
けれども逆を返せば、人間が存在し彼女を求めることにより、伊邪那美大神は世界にその存在を維持することが出来る。

神とは人の信仰によって成り立ち、初めて神として君臨するのだ。

そうであるならば、人の願いも信仰も思いも―――全てが断絶されればどうなる?

信仰を無くした神の末路、それは人でいう死。
語り継ぐ人々が消えたことによる存在の消失。

黒が行ったのはそれだ。

伊邪那美大神という神を絶対不可侵領域へと永久追放し、あらゆる人々の意思から隔離した。




「消えろイザナミ――俺達にお前は必要ない」


消えゆく異形、下半身は全てが消え去り残された上半身、その顔面を黒は自らの拳で殴り抜く。
霧のなか、偽りを振りまく者に鉄槌が下される。


―――死ぬ? この私が。


不可侵領域へと沈むなか、残された僅かな思考力の中でイザナミは思案する。
この辿り着いてしまった結末に、そして何も救えなかった己に。


―――ああ、そうか。お前は私にとっての死神だったのか。


イザナミは死に際に残った最後の力を振り絞り、人が辛うじて聞き取れる言語化とする。

『よかろう……。進むが良い、虚無の道を……そして見届けるがいい』

人に敗北したのはこれで二度目だ。
だが、何故だろうか。自らの敗北を今回ばかりは受け入れがたい。

『その血に染まった先に、待ち受けるものを……』

ああ、そういうことか―――私はもう一度、見たかったのだ。

人の可能性を―――あの伊邪那岐大神(すがた)を。











【伊邪那美大神@PERSONA4 the Animation】死亡







黒は掌にある流星の欠片を見つめた。
あの異形の存在に勝てたのは、本当に全ての条件が整った上で運が良かった。


不可侵領域化は半径1500kmの範囲までを巻き込んでしまう。

この学院がイザナミによって完全に隔離し、孤立していなければタスクや雪乃達を巻き込んだ可能性がある。
もしもそうでなければ、黒は能力の開放を躊躇っていた。
イザナミの言うように大黒斑のピークは過ぎ、アレを確実に仕留める機会を失っていた事だろう。

「アンバー」

もう永劫届かぬ場所へ逝った彼女に黒は声を掛ける。
抜け殻のように、目の前に広がった服を黒は今一度手に取った。

「俺はお前に、何もしてやれなかった」

アンバーが流星の欠片を最後の力で届けなければ、きっとこの場に最後に残ったのは黒ではなくイザナミだった。
全てのピースが揃った上で、ようやく黒が勝利するという未来を手にしたのだから。
きっと、アンバーはそれを分かっていた。

「お前は……これで良かったのか? 本当に幸せだったのか……」

時間の制御という能力はその対価も含めて考えれば、程ほどの使用で都合のいい若さを保ち続けられ、過ちも容易にやり直せる。
自分の為だけに使い続けていれば、無敵の能力だ。

「……もう、全部遅いんだよな」

恐らく、アンバーにはもう二度と会えない。
もっと彼女の為に黒がすべきことはあったのかもしれない。
亡くしてからでは何も間に合わない。

アンバーの服に水滴が垂れ、繊維が水分を吸収した。
小さい水の染みがいくつか刻まれていく。

それから僅かな間を置き、項垂れていた顔を上げる。服を手放し、黒は立ち上がった。

「まだ、俺にはやることがある」

手の流星の欠片を、もう一度見つめる。
既に日は沈み月が暗闇を照らしていた。もう大黒斑の恩恵は受けることはない。
それでもこれの力ならば、残された全ての敵にもかなり優位に立てる。
あの驚異的な力を持つ、調律者であってもだ。

「願えばあいつらの元に辿り着くはず、ここはゲートだ」

待っている者達も――交わした約束も―――全てを果たす。



「黒」
「銀?」


黒の手を白く細い手が掴んだ。

「……離してくれ」

白い災厄は黒の手を握り、柔らかな笑みを浮かべていた。その奥で黒い災厄もまた黒を見つめている。
黒はそれでも約束の為に奔走しようとして―――銀は目を瞑り、首を横に振った。



「私を殺して」



張り詰めた緊張から解けたのか、黒は銀に向け微笑んだ。
その笑顔は全てを悟った諦めのようでいて―――

「―――分かった。銀……もう、終わりにしよう」

最愛の人に贈る、心からの笑みのようでもあった。





手の中の流星の欠片を銀へ。
そして一度、夜空に視線を向けた

月が星が綺麗な空だった。
いずれはもう一度見たいと願った本当の星空だ。

本当の星空を、最後にその目に焼き付けて、黒は能力を開放する。

偽りの星、BK201が淡く儚く輝く。

黒と銀を取り囲む全ては取り払われ、広がる荒野の中心で二人は光に包まれる。

光の後には全てが消え、一人の男の死体だけが残された


【イザナミ@DARKER THAN BLACK 黒の契約者(流星の双子)】消滅
【黒@DARKER THAN BLACK 黒の契約者】死亡





「この結末を、君は視ていたのかなアンバー?」

先ほどまで死骸を晒していた、アンバーの肉片が散らばっていた大地を見つめながら広川は呟く。
この手で確実に殺していた。賢者の石も回収し、時間の巻き戻しもないはずだった。

「流星の欠片、か……そうだな、その抜け道があったか」

キンブリーと承太郎達との戦闘を見た時から、このプランを立案し様々な駒を動かし続けてきたのだろう。
途中から誤算が生じ、イザナミの暴走が起こったために軌道修正の必要が発生し、本来ならば恐らくはお父様に対しぶつける予定だったのだろうが。

「……良くやったものだ」

とはいえ、自らの目論見が殆ど破綻しても尚、ここまで持ち込んだのは広川をして見事と言わざるを得なかった。

「その執念だけは認めよう」

わざとらしく手を叩きながら拍手を送る。

そして、全てが終わった戦場の跡を広川剛志はただ物思いに耽ながら歩いていた。

様々な思惑を持った者達が自らの宿願の為に争い合う。

皮肉なのはやはり最後に残ったのが、誰よりも弱い最弱の男が生を拾ったということか。
市庁で部隊に囲まれた時、既にその命運は尽きたと思ったが、世の中どう転ぶか分からないものだ。

しかし、イザナミの死亡に伴い広川の体に影響された不死身の力は消えていた。
幸いペルソナ全書とクラスカードは手元にある為、戦闘は可能だがはっきり言って今の広川を殺すことなどそこそこの達人ならば非常に容易い。

「所詮は借り物の力か」

広川はそれを惜しむつもりはない。元より、遠からずの内に消え去るものだと認識していた。
元々、イザナミからすれば偶然生き残り、現世に干渉すための依り代として利用できるのが広川だったが為に手を組んだに過ぎない。
場合によっては茅場晶彦や、別の参加者が広川の立場になったかもしれない。


「それに聖杯にももう用はない」

何より、既に広川は聖杯への興味を消していたことも大きい。

彼の目的は人類の管理と生物のパランスを保つことだ。
聖杯にそれを願う手もあるのだが、広川のある懸念がそれを拒む。

聖杯は汚染されているのではという恐れだ。

無論、広川の推測であり確証はないのだが、広川はその可能性は極めて高いと考える。
これほどの血を流した殺し合いの末、誕生した聖杯が果たして汚染されていないとどうして言えようか?
利用していたとはいえ、イザナミも殺し合いで刻まれた怨憎の声を聞き、あのような異常思考をしてしまった例からも恐れは高まるばかりだ。

もしも汚染された聖杯を利用した場合、どのような異常解釈で生物界を荒らされるか分かったものではない。
広川は人間も含めた全ての生物を憂いているのだ。下手な代物でその繊細なピラミッドをこれ以上破壊したくはない。

「必要なものは全て手に入れた」

広川が握るそのディバックには、この殺し合いにまつわる様々な技術が収納されている。
お父様が、茅場晶彦が築いた全ての叡知の結晶とも言える。
これさえあれば、広川は神にも等しい力を容赦なく振るえ、そして何度でもこのような殺し合いを開くことも出来る。

「さて……君達とも長い付き合いになったが」

地獄門。
その前に広川は立ち、全ての屍へと振り返る。
時間にして一日とその半分、まだ二日も経っていないが、本当によくここまで血を流せたと感心する。
広川は内心多くても半分の脱落者でゲームは破綻するのではと予想していたのだが、これほど殺し合いが進むとは。

「ここでお別れということになるな」

応えは一つとして返っては来ない。
殺し合いに加担した張本人を誰も止めることは出来ない。
屍は立ち上がることも声を発すこともなく、ただ死臭を漂わせながら腐り果てるのを待つだけだ。
ただ一人生き残った男は死者と決別するように踵を翻した。

まだ、広川の悲願は潰えてはいない。
むしろここからが本当の戦いだ。

この場で手にした全ての叡知を以てして、必ずや全ての生物が共存し寄り添える世界を創ってみせる。

揺るぎない信念と共に地獄門を潜り、光の先へ広川剛志は姿を消した。







【広川剛志@寄生獣 セイの格率】生還






広川が門をくぐり元の世界へ帰還した時、真っ先に目に飛び込んできたのは暗闇だった。
眩い光のトンネルに慣れた為に周りが全く見えないが、どうやら夜中の時間帯に帰還したらしい。
スマホを付けてライトで周囲を照らす。

「廃ビルか」

人工的な小さな明りが照らしたのは人の気配がない、無機質な室内と散乱した器具だった。
落書きを見るに若者が肝試しなどで訪れる以外には、全く来訪者もないらしい。

丁度いいと広川は思った。
一先ずの仮拠点としてはうってつけだ。

市庁での出来事から、世間からの自分の扱いは大方行方不明者扱いであろう。
死体もなしに警察も広川がパラサイトとは公表も出来ず、かといって嘘をでっちあげる必要もない。
適当な理由を付けて、悲運の市長として報道されているのが関の山だ。

今更市長に戻る気はない。下手に人間社会に舞い戻り注目を浴びるのも面倒だ。

取り合えずこれからの計画を練る為に、広川は散乱した椅子の一つを掴み立たせると腰を下ろした。

「描き掛けなのか……?」

ふと壁の落書きに目が行った。
ローマ字や良く分からない外人のような男がカラフルで描かれているが、それは未完成のようだった。
男は途中まで描かれているものの、人型として完成されていない。ローマ字も同じく、これだけでは何の意味もなさない字の集合体だ。



そして、壁の真下に落書きに使っていたであろうスプレー缶が転がっていた。
落とした際に漏れたのか、中身の液体が床を彩っている。


全ての合点が行き、広川が立ち上がった時、その右腕が消失していた。



「―――な、」

広川は確かに見た。大きく広がった、異形の口が広川の掴んでいたティバックごと右腕を噛み千切り、飲み込んだのを。
これは広川にとって非常に見慣れた光景だ。彼が作った“食堂”で何度も繰り返し、見てきた光景である。

「ぐふっ……!?」

更に驚嘆する間もなく、広川の胸を肉質的な鋭利な刃物が貫いた。
一切の慈悲も与えられず、胸を穿たれた広川は己の血の海に沈んだ。

それまで自らが傍観していた殺し合いの参加者たちのように。

「ぱ……ラサイ、ト……か」

今度は自分が同じように。

そしてあの愚かな屍の山の連ねるように。


「…………ふ、フフ……」


首を巨大な口へ変質させ、死はゆっくりと……そして確実に近づいてくる。


広川は怯えるでも、取り乱すでもなく。最期に自嘲していた。





「……間引き、だな」


【広川剛志@寄生獣 セイの格率】死亡
最終更新:2018年05月01日 20:19