crosswise -white side- / ACT2:『もう何も怖くない、怖くはない』(2) ◆ANI3oprwOY



/もう何も怖くない、怖くはない(4)/阿良々木暦の俯瞰風景『友情の真偽』






前提として。
彼女は、天江衣は、『運命を知っている』のだろうか、それとも『運命を決めている』のだろうか。
この二つは似ているようで微妙に違う。
いずれにせよ、そのどちらかでなければ、この現象はありえない。
彼女は確かに運命を変えていたのだから。

いま僕が見つめる戦況は、先ほどまでとは一転していた。
限界まで追い詰められていたはずのグラハムさんが息を吹き返していた。
ガタガタだった式との連携すら、今は為している。
状況は優位、とはやはり言えない、予断を許さない状況なのは変わらない。
だけどどうにか互角、と呼べるかどうかのラインまでは持ち込めたようだ。

天江衣が戦うと言って、取った手段。
それはグラハムさんと式を、通信でサポートすることだった。
確かにそれは有効だ。
戦う上で敵の位置、連携をとる上での式の位置、
これらを逐一知らせることが出来れば、グラハムさんの戦いはずっと楽になることだろう。
事実、ぎこちなかったエピオンの動きが、それによって僕でも分かるくらいにスムーズになっていた。
とはいえ、それだけならば、ここまで戦況は変わらなかっただろう。

明らかに異常だった。

はっきり言って天江の指示はつたない。
曖昧だったり、突拍子もなかったりする。
最初は枢木に代わるか、僕がやったほうがまだマシじゃないかと思ったくらいだ。
けれども結果は、ちょっと信じられないことに、上手くいっている。
天江の指示とグラハムさんの行動はピタリと、その状況に適していた。

こんなの都合が良すぎる、不思議な力が働いているとしか、僕には思えない。
思えないけれど、その力がどこから来ているかは明確だ。
今の天江を見れば、いや見なくとも、はっきりといえる。
幸運じゃない、これは天江が引き起こしたことなのだ。

別人と思うほどに切り替わった天江の気配。
表情は氷のように冷たい。
青の瞳は、けれど燃えているように見える。

僕に言わせれば、これは一種の『怪異』だった。
一度のミスも許されない中で、異常なまでに有効に働く天江の指示。

天江には何が見えているのだろう。
ビルの谷間にあって此方からは見えないはずの、敵の姿だろうか。
敵が講じてくる次の一手、行動だろうか
それともこの『場』にある流れの先を、状況の全てを俯瞰しているのか。
彼女の得意だという麻雀に例えれば、そう、相手の狙う行動(役)の程度が分るとか。
この戦場(海)の行き着く先、終着地点(海底)を見据えているとでもいうのか。

僕にはハッキリとしたことは分らない。
それでも、たった一つ言える事が在るとすれば、彼女は今間違いなく、いま戦っている。
彼女以外誰も出来ない事を為している。
この場でただ一人、戦い続ける彼女を、僕も、インデックスも、黙って見守っていた。

それなら僕は――僕に、何が出来るのだろうか。
何をしなければならないのか。
言うまでも無い。

「なあ」

彼女を今戦場に居るグラハムさんに代わって、助けられるのは僕だけだ。
たとえどれだけ不可能に思えても。
時間が足りなくても。
彼女自身が諦めてしまっても。
僕が諦めていい理由にはならないはずだ。

「話がある」

だから僕は彼女に声をかけた。
天江はどうやら通信に集中しすぎていて、僕の声なんて聞こえないらしい。
まあ、それでいい。

「なんでしょうか?」

寧ろ好都合だった。
彼女は、インデックスは答えてくれたから。
僕はそれで構わない。

「お前は……どう思ってる?」

質問の意図が分らないのか、黙りこくる彼女へと、僕は続けた。

「あいつを、どう思ってる?」

天江を指して、戦い続ける彼女を指して、僕は言った。

「…………質問の意図を解せません」

表情は変わらない。簡素な反応だった。
再び、諦めの念が僕の中に沸き上がる。
だが無視した。
問いを続けなければならない。

「助けたいとは、思わないのか?」
「…………」

沈黙があった。

「………禁書目録はこのバトルロワイアルの主催に準じる存在。殺し合いを構成するシステムです」

沈黙の結果は、

「参加者への介入は行いません」

拒絶。

「だとしてもお前は……」

それでも僕は引き下がれない。
これ以外に道は無い。
方法は、これしか思い浮かばなかった。

「お前は天江を助けたいんじゃないのか?」

インデックス。主催に通じる者。
もはや時間内でのルル-シュとの合流が不可能になった今。
手段は、一つしかない。
強引な首輪解除、それしかない。
天江の生存に繋がる手段を見込めるのは、コイツしかいない。

「…………」

インデックスは沈黙を守った。
鋼の様な無表情で、僕を見ない。

「くそっ」

悪態が洩れる。
それでも彼女は何も言わない。

「だったら何故……僕に教えた!?」

不可解だ。
天江を救う気がかけらも無いならば、どうして僕に天江の危機を告げたりしたんだ。
インデックスの発言はどうにも引っかかる。

「……教えることによって、あなた方は動かざるをえない。状況を動かす為の手段でした。指令の一環です」
「ぐ……」

事実、僕達はこうして危機に陥っている。
似たような事が前にもあった、忘れもしない、薬局での事だ。
あの場で僕は、何よりも大切な存在を、失っている。
戦場ヶ原はあそこで死んだ。
それが、今度は天江や僕等の番だって、それだけのことなのか?

「……っ」

考えた。
考えた。
僕はひたすら、天江を救う手立てを考えた。
この場で、ここからどうすればいいのかを。
だけを何も思い浮かばない、やはりどうやったって時間が足りない。
だから、

「……頼む」

僕は、頼んだ。

「……頼むよ」

頭を下げて、みっともなく。
請うように。
インデックスに頼んだ。

「頼むから……天江を……助けてやってくれ」

縋りつくようにして、恥も外聞もかなぐり捨てて、僕は言った。

「僕に……助けさせてください」

ここまでさせる物が何なのか。
僕自身にも分らない。
代償行為? 責任? 自己満足?
どれでもあるような気がするし、どれでもないような気もする。
だけど今はただ、救いたくて堪らなかった。

僕は、偽りなく、心の底から思うことがある。
一番大切なものは『愛』だ。なんて、はっきりと言える。
はたから見れば陳腐でも、馬鹿げていようが、言ってやる。
今の僕は、地獄の春休みを生き延びて、戦場ヶ原と出会って、付き合って、色んな怪異と向き合った僕は、本当にそう思う。
だから僕は、それを失った今の僕は、一番大切な物を失った今の僕に、何が残っているのか。
何も在りはしない。
後はただ、ここで死ねずに、生きて、人生の終わりへと、バッドエンドへと歩くだけ。
だとしても、戦場ヶ原(ヒロイン)を失った僕(主人公)に出来る事は、本当に何も無いのか?
終わってしまった物語の中で、生きていくことしか出来ないのか?

「……お願い……します」

僕が主人公の物語は、もう終わった。
ヒロインの死によって、終わってしまったとしても。
阿良々木暦の物語がバッドエンドを迎えたとしても。
誰かの物語の中で、脇役だろうと、木端役だろうと、何でもいい。
何かの役を担えないだろうか?
僕にとっての誰かのように。

あの日、僕を導いてくれた羽川のように。
あの日、僕を慕ってくれた神原のように。
あの日、僕を笑わせてくれた八九寺のように。

僕にもそんな役を担えないだろうか?
主人公じゃなくても、天江衣を救う役を、僕にしか出来ない役を、為す事は出来ないだろうか?
そんな事を今、思う。
身勝手で自分勝手な想いだ。結局僕の為の思いだ。
だけど僕は、今まで歩んできた人生と同じように、
この場で出会った思いを、無駄にしたくないし、意味のあることにしたい。
天江を助けたいと思ったのなら、それで十分だ。
思い一つで十分だ。
そう思って、今まで生きてきたのが僕だ。
そんな僕の事を、戦場ヶ原は好きになってくれたんだって、信じているから。

「…………」

それでも、駄目なのか。
どれだけ頼んでも、思いが何であろうと、インデックスは表情を変えなかった。
そもそも彼女にどうにかできると言う前提すら、確証は無いのだが。

「…………」

インデックスは、無表情を崩さない。

「くそぉっ」

インデックスのシスター服を掴みあげる。
そんな事をしても、無駄だって分ってる。
たとえ僕がどれほどみっともない醜態を演じようと。
土下座でもしようと、地面に頭を擦り付けて頼んでも、彼女は表情を変えないだろう。

「…………っ」

だけど……諦めきれない……僕は……インデックスの顔から目を逸らして、
掴んだシスター服の『汚れ』を睨みつけながら。

「…………?」

とある記憶を想起した。

「お前……」

微かに、憶えている。
あの時、枢木の腕を直した直後、砲撃の際。
僕だけが砲門を見ていなかった。
逆に言えば、僕だけが、砲撃に対する全員のリアクションを見ていた。

僕は、皆の動きを見ながら、だからこそ逃げ遅れて、爆風をもろにくらった。
枢木は、一番最初に動いて、安全圏へと避難していた筈だ。
天江は、動けなかった、一歩退いて、それまでだった。

ならばどうして、天江はいま無傷でここに居る?

そうだ、憶えている。
あの時インデックスは、枢木と同時期に動いてそして、なのに砲弾の『直撃』を受けていた。
直後に僕も爆風を受けたけれど、間際にみた光景は、吹き飛ぶインデックスと、
そして、インデックスに庇われた、天江の姿だった。

このシスター服の汚れは、その時についたものなのだろう。
どうしてインデックスが無傷なのかは置いといて、この事実は、あまりに不可解だ。
あの場で天江を守る意味は、薄い。
殺し合いの促進というにはあまりにも。
僕へと駆け出そうとした天江の服を握った、あの手を含めて。

「お前……」

僕はもういちど、インデックスの表情を見つめる。

「お前やっぱり……」

その瞳は僕を素通りして、じっと天江を見ていた。
天江だけを、見ていた。

「そう、思いますか?」

再び、インデックスの声を聞くことができた。
その問いが、何を意味しているのかはイマイチ掴めないけれど。

「本当に……守るという意志があったと、そう思いますか?」

進展している。
僕はいま確かに、希望の尻尾を掴んだ。
こいつを、絶対に離さない、手放すわけにはいかない。
必ず、手繰り寄せなければならない。
少女の両肩をがっしりと掴んで、目を見て、僕は問う。

「なあ……インデックス。聞きたい。お前にとって……天江は何だ?」

思えば、この問いに全ては掛かっていた。
次の瞬間、インデックスが何と答えるのか。

「お前の言葉で、聞かせてくれ……」

全てが委ねられている。この問いに。
天江の命も、僕の価値も、この戦いの行く先も。
そんな、確信を抱いていた。

「…………」

だから僕は、待った。

「彼女は……」

彼女の答えを。

「私に、とって……」

どれだけじれったくても、待ち続けた。
そして、やがて、口を開くインデックスから、答えが返される。

「…と……も…だ…………ち……?」

他でもないインデックスが、その言葉(ワード)を呟いた瞬間だった。
バキン、と、何かが砕ける音がした。
それはインデックスの内側から響いたもの。
彼女の表情は変わらない。
けれど、そのとき僕は彼女の瞳の中に、一滴の感情を読み取った。
ああ、意志がある。
希望は確かに、ここにあるんだと、そう確信した。




             □ □ □ □



「頼む」
「…………」

目前の男の回答を待つ。
この沈黙はいつまで続くのだろう。
もう一刻の猶予も無い。焦りばかりがつのっていく。

枢木スザクは逡巡している様子だった。
かといって、僕に枢木の判断を急かす権利はない。
これはあくまで頼みだ。
僕の個人的な望みを果たしたいが為の、勝手な行動に同意を求めている。
枢木を巻き込もうとしているのだから。

正直、賭けは9:1で僕の負けだろうと思う。
枢木はきっと同意しない。
この場で誰よりもリアリズムな視点を持っている枢木ならば。

僕の提案は依然、滅茶苦茶な危険要素を含んでいる。
先ほどと同じように、切り捨てられる事は見えていた。
それを踏まえたうえで、僕は枢木に全てを話した。

インデックスが僕に語ったこと。
首輪のこと。
僕が選択したこと。
彼女が選択したこと。
その全てを。ありまま話した。
これから先やることは枢木の協力が必要不可欠なのだから。

「……今ならば、首輪が外せる……か」

ようやく届いた返答は、僕の第一言の復唱に近いものだった。

「彼女がそうした……と?」
「ああ」

僕は背後のインデックスを指して言った。

「あいつが、決めて、やったことだ」

相変わらずの無表情で立つインデックス。
けれど、明らかな異常の体で――血涙を流しながら――天江を見守る彼女を指して、僕は言う。
間違いなくあいつが決めて、動いた結果がここにあるのだと。

「天江を救える。そのために、インデックスは動いた」

式の力と、魔術を壊す刃、二つをもってしても首輪を壊すことは出来なかった。
何故なのかもわからなければ、どうすればいいのかも分らなかった。それは誰にも分らなかった。
インデックス自身さえ、己こそ唯一の手段を持つものだと、気がついていなかったかもしれない。
けれど結果として彼女にはそれを為す事ができた。
なぜなら……

『私が力の根源だったようです。アラヤの第一魔術防御の亡き後も、継続し続けた第二魔術防御。視覚及び触覚にのみ左右する礼装……。
 術者を止めなければ行使され続ける半永続術式。加えて異なる世界のチカラとなると、直視の魔眼も死を見れなかった。
 いえ、この場合正確には両儀式の認識による問題といえるかもしれませんが』

インデックスは、そう語った。
僕には言ってる事の半分も飲み込めていないけれど。
今この時、彼女は彼女自身の意志で、その魔術とやらを止めたらしい。
彼女は「何故止まったのか分らない」と言っていたけれど。
それでもここで止められる存在は彼女以外にきっと無く、何よりもそれ以後、彼女は明らかに不調を露にしていた。
無表情だけは変わらないけれど、顔色は見る間に青くなり、右の目からは血涙を流し、汗が全身から噴出しているようだった。
彼女がシステムだというならば、回路に不具合が発生したように、ほんの微かに、人間性をとりもどしていくように。
機械の彼女と、その奥底に隠れたもう一人の彼女が鬩ぎあっているように、僕には見えた。

なんにせよ、もしも彼女が本当に自分の意志で天江衣を救おうとしているのなら。
僕は信じて動く事しかできない。
もとより他の選択肢は無い。

「…………もしも君の考えが、言葉が全て真実だとするならば」

枢木の言葉を、待つしかないのだ。

「首輪の解除も、奴等の計算の内だったという、その想定はあるのか?」
「……もちろんある」

その可能性は考えた。
インデックスがここにいる意味。
いられる、それを黙認するという事は、
この展開すら主催者に看過されていると、考える事もできる。

「リスクの大きさを理解しているのか? 賭ける意味を、その勝算の小ささを理解しているのか?」
「ああもちろん、理解してる」

危険の程を、可能性の小ささを。
どれほど僕にとって意味があるのかを。
価値があるのかを。

「……そうか」

枢木は戦場を俯瞰していた目を閉じた。

「一度だけだ」
「…………え?」

目を閉じたまま、了承した。

「一度だけ、その役を引き受ける」

呆気に取られる。
少なくとも一言目は否定されると覚悟していた僕にとって、意外に尽きた。
先ほどまでは即断で拒絶していた僕の提案を、ここまであっさりと引き受けるとは思っていなかった。

「いい……のか……?」
「二度と聞き返すな」

僕には一瞥もくれずに言いながら、枢木は一歩前に出る。

「勝算があるのなら、一度だけやってみよう。
 君の焦りようからして、何か事情があるんだろうとは思っていたけれど……。
 いずれにせよ僕も、彼女の『力』とやらがここで途切れる展開は出来れば避けたい。
 彼女のおかげでこの戦いがなんとか成立してるってことは、信じられないけど、認めざるを得ないようだから」
「お前……」
「『万が一、何かの拍子で首輪が爆破されては困る』、な」

それはつまり、勝算さえあるなったならば、最初から引き受けていたということ、なのか?
天江を救うことを、枢木もまた望んでいたと。
そんな風にもとれる答えだ。

「天江衣の首輪を解除する間、両儀式の代わりをやれ、か……」

柵のすぐ向こう側に降り立ったエピオンへと踏み出しながら、枢木は一度だけ振り返る。
ようやく僕の目を見て、告げた。

「君には借りがある。僕なりのけじめはつけるつもりだ。
 と言っても、両儀式の代わりにはきっと及ばない。もしも僕が交代している間に攻めてこられたなら、時間を稼ぐならせいぜい三分が限度だろう。
 だから、その間に、確実に終わらせろ。
 それが最大の譲歩だ。以後は、君への義理を果たしたと見なす。僕は、僕のやるべきことをする」

僕はようやく気づく。
この場で誰よりも客観的で冷静な視点をもった枢木が、ここに至るまで動かなかったことが既に異質だった。
天江の力を目にしたとしても、状況がどれほど切迫しようと、枢木は早急に動きたかった筈だ。
いまだに僕らの動きを釘付ける正面ビル屋上のナイトメアを制圧する為に動くと、断言していたはずなのに。
あれほどルルーシュとの合流を優先するスタンスを崩さなかったはずなのに。
ここまで、僕と天江、そして戦場の動きを俯瞰し続けた。
枢木らしからぬ行動。義理を果たすと、そういうことなのか?
それとも天江の能力を失うことがやはり得策ではないと、そう思っただけなのか?
僕には彼の腹の底など、深すぎて探れないけれど。

「首輪の解除。三分間の戦線維持。それが終われば、僕は独自に動く。
 君たちの事は、もう振り返らない。だから君は、この機を決して逃すなよ、絶対に……」
「ああ、分ってる。……ありがとう」

とにかく、言い切れることは一つ。
僕は第二の難関を突破したのだ。
余計な事は考えなくていい。

さあ後は、賭けの結果を見送ること。

生と出るか。
死と出るか。

その未来に、直面するだけだ。





             □ □ □ □




/もう何も怖くない、怖くはない(5)




少女の指が牌を繰る。
床にずらりと並べられたそれは阿良々木暦の見立て通り、この周囲のビル街そのものを表していた。
中央に置かれた一筒(イーピン)は本陣、つまりこの場所、ショッピングセンタ-と立体駐車場を指す。
他の建造物に関しては特に規則性も無く、ビル郡の全様を大まかに模すように牌を配置した。

ただし中でも、三つの牌は重要な意味を持つ。
一筒(本陣)を庇うように並ぶ、二つ一組の牌、一萬と一索は式とエピオンを指す。
そしてその斜め前方にある、現在天江衣が握る牌、白が即ち、敵手たる一方通行の位置である。

「右方……回り込む腹、か」

白を右に移動させ、一萬と一索を僅かに下げる。
目前では相変わらず、こちらの防戦が繰り広げられていた。
決着を引き延ばし引き伸ばし、時間を稼ぐだけの戦い。
敵も場の異常に感づいたのか、積極的な攻撃は控えているようだ。
まだ、制限時間には至らない。

とはいえ、着実に前へと進んでいる。
このまま持久戦を続ければ、いつか一方通行は限界を迎える筈だ。
自滅するか、無理を悟って撤退するか。
どちらにせよ粘り抜けば此方の勝利となる。
それは至難。一度のミスも許されない、茨の道。
グラハムの駆るガンダムの装甲、両儀式の刃、そしてこの少女――天江衣の能力(チカラ)があってこその。
三つの絶妙なバランスで成り立つ、勝利への道。

「暗中で真に見えた、光明」

その中核の一つを担っている少女の表情は、しかし苦いものだった。
額の汗を拭いながら、天江衣は思考している。

彼女が今やっている事とは、彼女が普段麻雀において為さしめている『能力』の転用だ。
いや、正確には転用という表現はそぐわない。
そもそも彼女の力は麻雀という場に限定されるものでは無い。
天江衣の能力、『場の支配』とは全ての遊戯、森羅万象に通じるチカラである。
敵の攻め手の大きさを読む。
場が己にとって都合よく働く。
逆に言えば敵にとって都合悪く働く。
見えないはずのゲームの行く末(海底)が見える。
麻雀であればあのように発現したという、それだけのことだ。
似て非なる概念に言い換えるなら、これが天江衣の固有の現実(パーソナルリアリティ)。

であるならば、この場、戦場、状況を天江衣が『支配』すると決めたのならば。
チカラは滞りなく発揮される。
さながら卓上と同じく、少女の遊戯のように、この戦場は支配された。
少女の能力は例えるならば海水となりて戦場を満たす。
敵も味方も抗いようなど無い、気づいたときには既に水中、膝まで浸かっているのだ。
誰も彼も足をとられ、その流れには逆らえない。やがて沈みいく戦場の行く末、海底の月(勝利)を掴むのはこの少女。
抗えるものがいるとすれば、天江衣の支配が届かない場所から刺しに来る手合のみ。

兎も角、それがこの拮抗を為さしめる要因だ。
不条理な奇跡の実現。
しかしそれでも、少女の表情は苦い。

「乏しいな……」

そう、言わざるをえなかった。
はっきりと言って、コンディションはあまり良くなかった。
既に時刻は夜明けより二時間以上が経過している。
天江衣にとって、絶対の加護となる夜月の光は既に無く、陽光の時は彼女に味方せず。
漸く立てた譲れぬ戦場で、十全の状態で戦うことが出来ていない。
支配を食い破らんとする一方通行の強固な力(パーソナルリアリティ)に対して、攻めには回れない現状だった。
共に戦う仲間の力を結集し、無理やり拮抗させ、ギリギリの防戦が精一杯。

「この状勢では……敗滅必至か」

敵の制限時間を少しでも削らんが為、攻め続けなければならない現状にも拘らず。
三人がかりでまだ後手に回っている。
これでは駄目だ。
これでは、『間に合わない』。

「衣の方が……もう……もたない」

一方通行の制限時間よりも先に、
身を削って戦うグラハムエーカーの限界よりも尚先に、天江衣の制限時間がやってくる。
死はすぐそこまで来ている。
もう時間が無い、時間が無いのだ。

「く……だというのに……」

目先の局面も、継続して危機的状況を迎えていた。
崩れたビルの位置にあたる牌を、指先で弾く。
右辺のビル郡が粗方崩されてきた。つまりは本陣への穴が開いているということだ。
それに直感的な危機感を覚える。
守りを右側に寄せるべきか。敵はどこに動くか。

「如何にせん……」

白と一萬、そして一索を握り、少女は逡巡する。
俯瞰する戦場はいつの間にやら静寂している。
しかしこれが嵐の前の静けさであると、天江衣には分っていた。
ならばここで打つべき一手こそ、未来に繋がる一歩である。

「グラハム……」

久方ぶりに、会話目的で彼へと言葉を発した。

『なんだ?』

返ってきた返事に、何故か自然と頬が緩む。

「衣のこと……怒っているか?」
『当然だろう。君は守られるべき存在だ。君がなんと言おうとも私はその主張を変えるつもりは無い。にも拘らず君は……』
「そうか、ふふっ」
『む、何がおかしい?』
「いや、グラハムに謝られた事はたくさんあったけど、怒られたのは初めてだな、と思ったんだ」
『君はこんな場合で、』
「グラハム」
『……なんだ?』
「グラハムは、絶対に生きて帰ってくる」
『そうだ、帰ったらたっぷりと、今回の事について君に小言を言わねばな』
「うん、待ってる」
『待っていろ。君は私が……と、この場で言うのは最早無粋だな。
 とにかくこんな事は二度とない。
 だが今だけは、こう言おう。共に戦おう――指示は任せた』
「……ああ!」

その言葉で、迷いは消えた。
彼の力になれている、それだけで十分だった。
叩きつける様に牌を動かし、指示を飛ばす。

「往くぞ、グラハム!」
「応!」

嬉しかった。
やっと彼の力なれたことが嬉しい。
なのに、胸の底から際限の無い恐怖が湧いてくる。
死にたくなかった。
ここまで来て、やっと彼の力に成れたのに、死にたくない。
もう一度だけ会いたい。会って言葉を交わしたい。
だというのに迫りくる刻限に息も詰まりそうになる。
既に残り時間はあと数分も無いだろう、戦いの行く末を見る事無く、天江衣は死する。

涙が、ぽろぽろと零れだす。
今はもう、悲しみの涙なのか、嬉涙なのかすら分らない。
拭う事もせずに、ただ牌を動かした。
指示を、堪えきれない嗚咽交じりの言葉を発し続けた。

「……ぅ」

涙で前が見えなくなって、拭った。
そうすればまた涙で見えなくなって、拭っても拭っても、無限に視界が曇ってしまう。
だから拭って、
泣いて、
また拭って、
泣いて、
何度も何度もそんな事を繰り返して。

「…………あ、れ?」

漸く、気づいた。
いつのまにか、耳にかけてあったヘッドセットが無い。

「ど、どうして!?」

いつからなくなっていたのだろう。
あれが無いとグラハムに言葉が届かない。

焦りによって、悲しみも喜びも吹き飛んだ。
再度涙を拭って、久しぶりに取り戻した視界で周囲を見回す。
すると、ヘッドセットは意外なほど近くにあった。

「あ……あららぎ?」

背後に立っていた阿良々木暦の手の中に、それはあった。

「か、返してくれ……それが無いと衣は……!」

立ち上がり、駆け出そうとして、座り込んでしまう。
足が痺れ、立てなくなっていた。

「……あっ」

なおも立とうとして、誰かに肩を押さえ込まれる。
そして、
がしゃんと、鎖を落とすような硬い音が足元で鳴った。

「……へ?」

呆然と、足元に広がる灰色の床を見る。
そこには金属の輪があった。
見覚えの在る、金属体、かつて彼女の家族を殺し、そしていままで彼女自身を死地に立たせていたあの、
首輪が、二つにバラけて落ちていた。

「どうし……て」

首もとを触る。
すると自然に首に触れた。
皮膚に、触れることが出来た。
あるはずの金属は、既にそこには無かった。
当然のように存在した圧迫感から解放されて、違和感すら感じる。
あまりにも唐突な事態に、ついていけない。

「これでいいのか?」

背中から、声が聞こえた。
振り返るとそこには、両儀式がいた。
手に異様な形の短剣と一振りの刀を持って、立っていた。
更に背後、駐車場の柵のすぐ向こうにはエピオンが仁王立ちしている。
衣が指示した場所に立たず、盾のようにここにいる。
だがそれを責める余裕すら今は無い。

戸惑う天江衣に構わず、両儀式は柵の向こうへと歩いていく。
立体駐車場の柵を超え、再びエピオンの手の平へと乗り移り、己の戦いへと戻るために。

「あ……あららぎ」

いまだに状況についていけない天江衣は、再度、阿良々木暦を見た。
視線はもう背後と前方を三往復している。
対して、阿良々木は肩を竦めて言った。

「礼は僕じゃなくて、お前の友達に言えよ」

言って、ヘッドセットを放り投げつつ、
傍らのインデックスを指した。
天江衣はヘッドセットを受け取りながら、彼女を見つめる。

「コイツの魔術のせいで、
 両儀とあの短剣の力でも首輪を外すことは出来なかったんだとさ」

主催の一人。
正確には己はシステムだと、インデックスは言った。
しかしそれを今になって解いたのだと、阿良々木は言う。

「もう大丈夫だ。天江」

そこにどんなやりとりがあったのかは定かではない、
けれど感情の動きがあったことは確かだった。
インデックスの中で生じた心境の変化。
それは心の無いシステムに為せる事では在り得ない。

インデックスは、やはり無表情に天江衣を見ていた。
じっと、衣を、見てくれていた。

「お前……たち……」

力が抜ける。
天江衣は脱力しきったように、座り込む。
そして言わなければならないことを言う為に、顔を上げた。

まだ信じられない。
こんなにも呆気なく、あっさりと、命の危機が去っていったことに。
生きられる、生きていいと許されたことが実感できない。

それでも、彼女達の思いを感じられた。
その思いに礼を言わなければと思って。

「とーか……」

失われた家族の名を、呟く。
もう二度と戻らない人。
取り戻せない、最高の家族だった。
だけど今、天江衣は彼女に誇ることが出来る。

「衣はここでも……友達を作れたよ……」

それは目の前の少女と、

「インデックス」

背後で戦っている男と、

「グラハム」

そして、もう一人。

「阿良々木」

はっきりと呼んで、微笑みかけた。
殺し合いの場の中で見つけた、友。
素晴らしき人々に、天江衣に返せるものは、これくらいしかない。
だからいま精一杯の微笑とそして、心からの感謝を告げる。





「ありがとう」











             □ □ □ □








/もう何も怖くない、怖くはない(6)/あるいは阿良々木暦の俯瞰風景『■■』















「ありがとう」








僕が今まで頑張った見返りなんて、これで十分だと思えるほど。
その笑みは、彼女の満面の微笑みは、実に眩しいものだった。
薄汚れた立体駐車場を明るく照らすような。
殺し合いの場に灯った、唯一の光に思えた。

綺麗だ。
そう思う。
頑張ってよかった。
そう思う。
こんな僕でも、まだ希望を感じられる。
そう思う。

だけど僕はその笑顔を、直視できない。

綺麗過ぎるから、眩しすぎるから、哀しすぎるから、そして痛すぎるから。

だから僕は見れない。
見たくない。
見たら駄目だ。
見たらおかしくなる。
ああ。
そうだ。
おかしい、
これはおかしい、
狂う、
狂っちまう
こんなのは
だって
そうだろ
なんで
こんな
馬鹿な
嘘だ
在り得ない
何故
違う
僕は
違う
どうして
こんな現実が
理解できない
しちゃいけない
したくない
僕の
なんで
目の
何故なんだ
前で
どうして
唐突に
当然に
前触れ無く





天江衣が








「――――――――――――――







死んだ。










――――――――――――――は?」







じりじりじりじりじり。





耳障りな音が聞こえる。



じりじりじりじりじり。


電磁的な、とかく電気っぽい音だった。



じりじりじりじりじりじりじりじりじりじり。


それは金色の燐光。
真昼の三日月が、少女の胸を食い破って生えている。




じりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじり。


死神の鎌が、天江衣の胸を抉っている。
背後から、深く、深く、刺し貫いて、誰の目にも明らかな致命傷を、与えていた。
天江衣はゆっくりと、驚愕に染まったその顔を上げて、真上に立つ、死神の貌を見上げる。



じりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじり。


死神は、一切の温情を与えず。
答えすら与えず。
命を刈り取っていく。



じりじりじ――


音が、止んだ。
その瞬間、時が、比喩でなく、凍ったように思えた。
僕は間違いなくその一瞬で、心臓が止まり、永遠にこの世界が止まったままなのだと、そう思っていた。
皆が同じ想いだったに違いない。
僕も、枢木も、インデックスも、グラハムさんも、式さえも、全員がその一瞬、言葉を失い、心を失った。
しかし永遠にも思えた刹那の中で、再開を宣言したのは他でも無い、時を止めた張本人。

天江衣の死神となった、東横桃子の行動だった。

少女の胸に突き刺した三日月を、翻らせる。
ヒュンと死神の鎌が引き抜かれて、少女の身体が傾いていく。
文字通り魂を抜かれた少女が――鮮血を迸らせながら崩れ落ちた。

死を振りまいて、鮮やかに、掻き消えていく東横の姿。
足もとにはついさっきまで『天江衣だったもの』だけが残されて。
僕は手を伸ばす。
何も思わず、何も思えず、僕は何を掴もうとしたのか、それすらも見えぬまま。

「――――お」

霞んでいく景色の、向こう側。




「うぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおォォォォォォォォォァァァァァァアァァぁぁぁぁぁあああああああッ!!!!!!!!!」




咆哮が聞こえる。
それは僕のものか、それとも我を忘れたグラハムさんの叫び声か。
最早理解できないくらい混線した意識の中で、僕は確かに見た。

「な……おいッ!」

式の言葉も遠く、空ぶるように、ガンダムエピオンはその動きを完全に止めていた。
何にせよ、均衡の破れた戦線のその隙を、見逃さぬ敵ではなかったのだろう。
完全に消えうせた東横の背後、エピオンの更に背後より、それは飛来する。

「――――ッ!!」

この時僕が何を叫んだのか、自分でも定かではない。
だけど動いたのは僕だけじゃなかった、前に出て行く枢木。
でも間に合わない。

何もかも、既に遅すぎた。それは致命的な隙だった。
直進してくる白貌の名は一方通行。
到達は音よりも早く、エピオンを喰らいに掛かり。

完全に不意を突かれたグラハムさんと式に、果たして対抗策は無かったのか。
爆散する真紅の装甲。
そして僕の目の前で、両儀式の二本目の刀がその抜刀を果たす事無く、粉砕される。

目前に迫りくる一方通行。
応戦に臨む枢木。

崩れ落ちるように、僕の視界から消えるエピオン。
巻き込まれるように、柵のむこうに落下していく式。
遂に砕け散る、盾と矛。
様々な雑音轟音が織り交ざる阿鼻叫喚の戦場のなかで、だけど、何よりも、


ことり、と鳴った。
小さな体が、倒れる音。


誰よりも弱く、誰よりも強く、そして誰よりも懸命に生きようとした、
一人の少女の死する音。


それだけが、とても明瞭に響き渡っていた。































【天江衣@咲-Saki- 死亡】





【 ACT2:『もう何も怖くない、怖くはない』-END- 】






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最終更新:2012年03月17日 23:13