crosswise -X side- / ACT Force:『WHITE & BLACK REFLECTION』 ◆ANI3oprwOY
焼け焦げた大地。
熱を孕んだ空気。
魔王と魔王の闘争の余波は未だ痕跡とはならず、周囲を浸蝕し続けていた。
紅蓮弐式は、直立姿勢で赤く染まった街に溶け、
ランスロット・アルビオンは、仰臥し停止した状態でなお、鮮やかに白を煌めかせる。
そのランスロットの装甲に背中を預け、スザクは両足を投げ出して座り込んだまま、沈黙していた。
そう遠くない場所で建物が崩れ落ちる。
周囲にたちこめる物の焼ける臭い。
炎の爆ぜる音は止まない。
視覚に、嗅覚に、聴覚に。今ここにある現実が伝えられる。
ここが戦場だということを、スザクは確かに理解していた。
だが、スザクは動かない。
ランスロットのエナジーは尽き、スザク自身の体力も既に限界を越えていた。
この戦局でできることは無きに等しく、どう動くにしても、それは命懸けの行為となる。
だからスザクは動かない。
安全策を採ったわけではなく、体力の回復を優先したわけでもなく、
ただ、今ここで、命を懸ける理由がない。
燃える街は熱く、しかしスザクの中に熱はなかった。
ゆっくりと、視線を上げる。
見えるのは、原型を留めぬほどに破壊されたサザーランド。
あの機体に誰が乗っていたかに疑う余地はなく、
あの機体に乗っていた人間がどうなったかにも疑う余地はない。
ルルーシュは、死んだ。
あまりにも明瞭すぎる死。
最後まで脱出装置を作動させなかったという事実が、その死がルルーシュ自身の意思だったことの証。
そして、サザーランドの更に向こうに、独り俯いて立ち尽くす少女。
平沢憂。
ルルーシュを、殺した人間。
ほとんど言葉を交わしたこともない、今は表情を窺い知ることさえできない少女に、スザクはかつての自分を重ねる。
トウキョウ租界にフレイヤを撃った、
守るべきものを自らの手で壊し、貫くべき信念を自ら折った、あの時の自分に。
今の彼女はかつての自分に似ていると、スザクは思う。
それは論理的な根拠など微塵もない、確固たる直感。
似ているからこそわかる。
浮き彫りになる差異。
彼女は自分と同じで、自分と違う。
同じだから責める言葉を持たず、違うから差し伸べる手を持たない。
しばらくの間、憂に向けていた視線を、スザクは再び空虚に彷徨わせる。
次に視界が捉えたのは、傍らに置いたデイパック。
ゆっくりとした動作でデイパックを手繰り寄せ、イングラムM10を取り出す。
安全装置を外し、銃口を口で咥え、トリガーに指をかけて、スザクは目を閉じた。
トリガーにかけた指に力を入れれば弾は出る。
この体勢ならば、何かのはずみで指に力が入れば、一発で自分の頭が飛ぶ。
冗談でやるには危険すぎるポーズ。
次の瞬間には死んでもおかしくないと、そうスザクは認識する。
だから――――
「…………………………」
――――意識が途切れたのは、ほんの一瞬。
気がつけば、イングラムM10は地面に転がっていた。
スザクは、自分の記憶にない一瞬を自覚する。
驚きはない。
予想していたことが、予想どおりに起こった。
引くつもりのなかった引鉄は、引くことのできない引鉄だった。
ただ、それだけのこと。
終わりにするための、最も容易で確実な方法は、選ぶ選ばない以前に、選べない。
選択肢は、とっくに奪われてしまっている。
「…………本当に、呪いだな」
スザクは嗤う。
何も守れず、何も為せず、
壊れて、尽きて、消えて、果てて、潰えて、
全てを失ってしまったと言ってしまえれば楽になれるのに、失ったものは、全てと呼ぶにはまだ足りない。
望むと望まないとに関わらず、続いている。
自らの意思で降りることは叶わない。
目指すべき場所はなく、止まれない理由だけが残された。
わずかに首を動かして見上げれば、瞳に映るのは眩い閃光。
不規則な起動を描く、二機のガンダム。
鮮やかな閃光とともに轟音が紡がれ、奏でられるその上空は、どこまでも昏い雲に覆われ始めていた。
「………………?」
織田信長の死後も残り続け、天を侵食し続けているように、黒い影が空を満たしつつある。
内側にて円形の輪郭を象る太陽は昇り続け、じき南中にさしかかろうとしているのだろう。
「あれ、は?」
そして頭上で起こったもう一つの変化に、スザクは更に首を向ける。
不規則な軌跡を残して、交差する度に起こる震音。
頭上の曇天、その中心部。
――視界に映った異形の景色。
はるか上空にて、ヒビ割れていく天空。
これより始まる、最大の凶事が、彼の目の前にあった。
◆
◇ ◇ ◇ ◇
crosswise -X side- / ACT Force:『WHITE & BLACK REFLECTION』
◆ ◆ ◆ ◆
◇
揺るがす爆音と共に、騎士が猛然と大空を翔け走る。
紅の鎧、携えた盾、そして剣を持つ姿はまさに騎士と呼ぶに相応しい。
各所に残る疵跡すらも、戦の中で輝いた華として称えられる。
単なる破壊の権化ではない、確かな理念をもってして創り出された騎士道の体現。
それこそがこの機体、ガンダムエピオンを構成する骨子であっはずだった。
「ウオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」
されど、全身から唸るのは獣の絶叫。
勇壮さとは程遠い、ただただ感情的な咆吼。
礼節も理性も欠いた虚ろなる叫びが木霊する。
声は、ひとつの感情で言い表せられるものではなかった。
遍く負の想念が混ぜ合わせられ、混沌とした魔女の鍋の様相を呈している。
張り上げて叫ぶ本人でさえ、その在処に思い至らないでいる有り様だ。
その手に握られるビームソードに包まれた、悲痛なまでに苛烈な破壊力。
慟哭と共に、悪魔と化した騎士は剣を振り下ろす。
それを正面から受け止めるのは、大柄の実体剣。
ビームソードとの接触部に激しい稲妻が迸る。
武器の衝突で生じる超高熱が大気を焼き焦がす。
戦場の光が、ふたつの機影を輝かしく映し出す。
「―――へっ……!」
柄を握る主は、異形なる股肱(ここう)を持つ機体だった。
騎士と趣を同じくする色は、しかし決定的な差異で隔たれている。
エピオンの配色を燃える紅とするならこれは血色の赤。
総身に裂いた敵の返り血を浴び染まった堕天使の色だ。
「血気盛んで結構なことで!!」
今乗り込む者が駆るためにコレは生を受けた。
彼のみが使うことを考慮されて設計された機体だ。
当然そこには、パイロットの性質が反映された機巧が成されている。
即ち、戦争。
戦い、殺し、滅ぼす。
それのみを求めて。それだけのために。
技術の粋を凝らして純然たる破壊兵器へと昇華される。
アリー・アル・サーシェスという男に染み付いた殺人本能を満たすべく、アルケーガンダムは駆動されていた。
この舞台に置かれて以来、最高潮の興奮がサーシェスを満たしていた。
戦争ばかりを愉しみとして生きてきた半生。
遂に見つけたガンダムという理想の兵器。
それを手にしたことだけではなく、こうして戦う敵にも恵まれている。
ましてや相手も同じガンダム、さらにあろうことか異世界の機体ときた。
ガンダム同士の戦いという、夢にまで待ち望んだ瞬間。究極のドリームマッチが今ここに成立しているのだ。
転生の受け皿となっていたこの悪趣味な肉体にも、ようやく生きる実感が手に入る。
その溢れんばかりの躍動を、闘争をもって具現させる。
互いに譲り合わず鍔迫り合った双剣が、威力を相殺して弾かれる。
ビーム刃は形成するエネルギーの欠片を散らし、
実体剣は刀身に付加されたGN粒子が辺りに撒かれる。
互いの武器が引かれ、相打ちとして一合目が幕を閉じる。
「ハァァッ!」
「おらぁっ!」」
それで終わるような気勢を持たないのはどちらも同じ。
息つく間もなく、次なる剣戟が交わされる。
叩き突けられる剣と剣。
剥き出しの牙が相対する獲物の肉を狙いかち合う。
疾走する本能は血を滾らせ、絶空の斬り合いは加速し続ける。
機械を通した戦いであるはずなのに、二人の闘気は生身での斬り合いにも劣らず噴出している。
本人達にとって闘争の形であるのならば、そこに手段は関係ない。
刃が重なり合うごとに火花が狂い咲き、衝突で生じた暴風が吹き荒ぶ。
足を着ける地も移動を阻む障害物もない空間に、凄絶な音のみが炸裂する。
余裕も油断も一切なし。小手調べなどありはしない、単純明快なパワーバトル。
そこにあるのは力と力のぶつかり合い。
どちらが先に自らの渾身の一撃を敵に浴びせるかの、原初にして真実の相克であった。
宙に光の十字が編まれる。
二刀が交差するたび周囲が瞬き、甲高い嘶きが上がる。
断末魔。科学の粋を究めたる兵器は自然の法則にすら反旗を翻している。
数えるのも馬鹿らしいほど鳴り響く剣戟の鳴動。
終わりなく続く攻めの応酬。どちらかが倒れることでしかこの音は鳴り止みはしない。
そうでなくては、両者は納得することが出来ない。
常に刹那の行動を感じ取るモビルスーツのパイロット達の戦いは、時間の感覚も麻痺させていく。
何度目の打ち合いなのか、異様に細長い腕が握るGNバスターソードをひときわ大きく振りかぶる。
持ち主と同じくらいの長さを誇る大剣は、殆ど槍も同然のリーチからエピオンに食いかかる。
GN粒子の恩恵による刀身の強化と重力軽減の効果は、近接戦で絶大な威力を発揮する。
たっぷりの悪意を乗せて繰り出された赤の斬撃は、しかし慮外の力により軌道を逸らされた。
「―――ッ!!」
エピオンが右手に持つビームソードとは違う、強引に引き寄せられるような感覚。
刀身に巻きつくのは刺々しい熱鞭。
盾に収められていた状態から抜きざまに払われたヒートロッドだ。
粒子に守られ熱断にはいたらないまでも役目は十分。
掴んだ好機を逃さず、縛り上げた大剣を引っ張り上げて攻撃の手段を封じる。
「ガァァァッ!!!」
正面に伸び切り攻撃にも防御にも使えない右腕。それを永久に剥奪せんと翠色の刃が煌めく。
「ところがぎっちょん!」
突いたのが不意打ちであれば、それを止めたのもまた不意打ち。
態勢を突如として傾け繰り出されたのは苦し紛れにも見えた蹴り。
長足といえど決して武器を叩くには届かないだけの時間差。逆に切り落とすことも出来よう。
しかしアルケーの蹴足はエピオンに防御を取らせ、返り討ちにされてるはずの足は未だ放出されるエネルギーの粒子と拮抗している。
その謎は、サーシェスの格闘能力を存分に発揮するために隠された特異なる装備。
光の刃との接触しているのはアルケーの脚部の先端、爪先の部位から伸びていた赤い刃だった。
細長い刀身は爛々と輝き、そこにある命を喰らおうと大口を空けてにじり寄ってくる。
それに憤怒するが如く昂る光刃。
出力を上げるエネルギーが抑える剣ごと切り伏せんと激しく噴出する。
元々奇襲用だったのか蹴撃は呆気なく弾かれる。そも仕掛けた奇襲は二段構えだ。
「ぎっちょんちょん!」
逆の足から放出される赤き刃。足に装着されてる装備が片方にしかない筈もなかった。
腹目掛けて鋭く突き出された槍のような蹴りは、半身をすらした程度でかわされる。
そしてその時点で、ヒートロッドの束縛から逃れバスターソードの自由を取り戻すという役目は果たされていた。
「ちょいさぁ!」
再び解放される怪腕が逆襲を開始する。
意趣返しとばかりに次々と重い一撃を振り回してくる。
互いに損傷がない以上、当然エピオンもそれに劣らぬ重さで打ち出す。
にもかかわらず、戦いの趨勢はここにきて推移を見せ始める。
今まで互いに道を譲らず前へ加速を続けていたエピオンが、いつの間にか後退の姿勢に移っている。
見るからに明らかな要因は、アルケーの見せる戦法の変化にあった。
バスターソードの真っ向からの唐竹割りにビームソードが衝突し明滅する。
しかし鍔迫り合いの下から迫る足刀が拮抗する間を与えず、すぐさま距離を取ろうとする。
そこを追撃する連脚。
盾で危なげなくいなすもその後に続く大剣が前進を許さず剣で止めざるを得なくなる。
手数に足数が加わったアルケーは一気呵成に攻め立てる。
ここにきて勢いづいた嵐はよりその風を強めて呑み込みにかかる。
右から来たと思えば左。
上の次は下。
直線曲線斜線死線、烈花の如く幾重にも織り交ざる。
処刑の鎌がエピオンを囲い、八つ裂きの極刑を断行する。
逃げ場のない刃の檻。三方向からの斬り切り舞。
間断なく繰り返される死の輪舞は、アルケーの手足を増殖した錯覚すら起こす。
百裂の斬音は隙間なく敷き詰められ、稲妻の雨に晒されれば細切れの残骸に変わるしかない。
腕と両足による三刀流。
数が増えるということはそれだけで大きな利点である。
手に握るそれとは異なる柔軟さは予測のつかない変幻自在な剣捌きを見せる。
リーチが大幅に広がるだけでなく、破壊力が大きくなったのも大きな強みだ。
人の身では到底不可能な技巧を為せるのは、それが機械仕掛けの悪魔であるが故。
操り手の修練と狂気の賜物であった。
ならば、その三連撃を受けながらも依然としているのは、いったい如何なる域の業なのか。
「―――ちぃっ!」
幾ら斬れども刻めども、エピオンの全身は些かも形を変えず存在している。
腕の大剣も脚の刃も、与える傷はどれも僅かに装甲を抉るだけ。
風を泳ぐ柳も同然によけされ、前に出された盾に止められ、あるいは強引に剣閃を払われる。
剣で編まれた結界は、領域内に潜り込む敵を問答無用に斬殺していく。
コクピットはおろか手足の一本も獲る事さえ出来ないでいた。
得体のしれない気味の悪さがサーシェスの胸中を焦がしていく。
己の連撃に逐一対応する手練。確かに畏れるべきことだがそれはこの戦慄とは繋がりがない。
ただ相手の技量が極めて逸脱しているからだけのことであり、驚嘆こそすれそれ以外に思うことはない。
では何か。何が、この傭兵に一抹の不安を駆り立てさせるのか。
最小の浪費で最大の効率を。無駄のない、足りなさすぎるぐらいに的確な対応。
定められたルーチンワークを繰り返す、人間的な機能が欠け落ちた機械仕掛け。
非人間な思考なぞは気に留めるまでもない。他ならぬサーシェスこそがその最前線に立つ者だ。
あるいは、それか。戦術でも理屈でもない、茫洋として単なる予感。
戦争屋、傭兵の経験則からなる勘のみがやがて訪れる危機に先んじて警鐘を鳴らしているのか。
"こいつ……何を見ていやがる?"
どうせ確たる理由もないのだ。ここは己の勘を頼ることにした。
こういう時はそういうのがよく当たる。戦場では何が起きても不条理ではない。
この世はすべからく不条理の壺。
有り得ないという言葉こそが、有り得ない。
ひりつく憔悴を抱きながらも、目の前の敵への殺意は色褪せずに怒涛の猛攻を突き続けた。
どれだけ激しく素早いとしても、武器の数は限定される。
攻撃の手段はあくまで手と脚によるもので、実際の手数は有限である。
乱れ回る挙動に惑わされず、末端部の動きのみに注意を払う。
続く残影を追えれば、あとは延長線を読み取ればいい。
本来来るべき攻撃に、こちらから先に挟み込んで相殺する。
飽くなく繰り返される一連は、決して膠着状態にもつれ込んでいるわけではなく、蒐集を進めるためだ。
左足での切り上げ。右の剣で対処、打ち払う。
その場で回転しての連撃。範囲は狭小、数歩分の後退で回避。
慣性を利用した大剣の横薙ぎ。既存力学に合致しない加速度を観測。防御は危険、迎撃する。
流れる言葉は音でも文字でもなく、意味だけを伴って送られる。
知るのは目からであり、耳からであり、全感覚器官を通してからだ。
空想の中でしかない光景は数秒後の現実となって襲いかかる。
現実よりも数秒先に訪れる未来の光景。パイロットとしての反応速度、直感を踏破した地点にある世界。
戦術予報という枠に留まらない神の眼を与える装置、ゼロシステム。
エピオンと字されたこの機体が悪魔と呼ばれる所以。
かつて六人の研究者が造り出し、自らの手に余るとして封印した禁忌の匳。
脳内状態をスキャンし脳内麻薬の分泌料を増大させて急激な加減速の衝撃を欺瞞し、
カメラ、センサーから入る情報を、眼や耳を通さずダイレクトに脳へ送ることで機体との一体感を促す。
導かれるのは、より先鋭化された未来。『勝利』という一点のみの目的を極限まで突き詰めて実行させる。
人知の及ばぬ地点から戦場を俯瞰し送られるのは、その時点で起こり得る『すべて』の未来である。
自分が死ぬ未来。
味方が死ぬ未来。
死が襲い、死が迫り、死が殺す。
戦地において「死」の可能性がどれだけ溢れかえっているのかなど説明するまでもない。
数十数百に及ぶ死のパターンを見せつけられ、その中で最も適切な手段の対応を強いられる。
そこに待つのは目的の勝利ではなく、心身の破滅。
魔物に内側から食い荒らされ、廃される脳が至る末路である。
崇高な男が創り出した、されど悪辣なる絡繰りがその正体だった。
情報の暴力に耐え、乗り越えることが出来ていたのは、グラハムの精神性故だ。
未来を受け入れながらも自らを見失わず、システムの命令を押さえ込むだけの精神力。
曲がることを知らない、信念と呼べるもの。強き自己こそがゼロシステムの克服手段。
知らず乗り込んだグラハムはその条件に合致するだけの胆力を持ち合わせていた男だった。
だが今はただ、暴れ馬に振り回される哀れな騎手に過ぎない。
一方通行(アクセラレータ)との市街戦では制御できていた暴走。
天江衣を失ったことで失った心の平衡はかくも明確に表れている。
箍が外れ、手綱は完全に放られ、奔馬は暴虐のままに狂走する。
やがては跨る言もままならず、地面に振り落とされる。
手綱に足にを取られ引き摺られる最期が必然である。
「……が…………っ!」
―――否、本当にそうなるだけだろうか。
抜け殻とはいえ、それで終わる
グラハム・エーカーであろうか。
「……は……あ―――!」
正しい歴史の上でなぞっていただろう、阿修羅に身を堕とす邪道。
新しい希望(のぞみ)を失い縋るように掴んだ目的。不倶戴天の敵との死合。
既に心が砕け、灰になったその身に、顧みるものなどひとつとしてない。
ならば今、型に嵌るのは道理。
それこそが本来のグラハム・エーカーの辿る道。
彼の筋書き(シナリオ)に記された、正しき有り様なのだから。
押し寄せる荒波に身を任す。
全身を走り抜ける狂おしい衝動に己が指揮権を譲渡する。
我を忘れ、思考を放棄して、ただ欲するままに駆動する獣。
「――――――ァァアアアアッ!!!!」
ここに、枝分かれした歴史の流れは源流へ還る。
解き放たれる気迫に呼応して、エピオンの脚が動いた。
乱れ斬りが巻き起こる嵐の中心部に突き入れる。
足は、丁度アルケーの左脚からの蹴りの出鼻をくじくようにして見舞われた。
タイミングを読みきった鮮やかなカウンターにバランスを崩し、攻撃の雨が一旦止む。
すかさず前進し、たたらを踏み僅かな間だけ無防備となった頭部に―――
「ぎっ!!」
左腕に取り付けられていたシールドが叩き込まれる。
アイカメラに亀裂が走り、サーシェスの見るモニターで砂塵が荒れる。
揺れる操縦席。塞ぐ視界。
一瞬といえど開いた隙間、生じた空白に紅い影が懐に潜り込む。
こうなると長身長足、長大武器による間合いの広さが仇になる。
続けざまに、号哭する殺意がコクピットを穿つ。
切っ先から峰までが一律凶器のビームソードの刃渡りが、胸部の中心に吸い込まれる。
間近まで接した死に、感情よりも脊髄に流れる電流が真っ先に反応した。
駆け巡る電荷(レディオノイズ)が、脳髄を追い越して全神経を支配する。
表層に出た本能が、秒間での動作で危機を払拭させようとかき乱れる。
「――――――っぁ!!」
項を冷や汗が通り、全身をよぎる興奮。
全体を大きく捩り胴体を貫かれること態は避けたが、サーシェスが持ち得る超加速をもってしても完全に回避することは叶わなかった。
装甲が浅く削られ、内部の露出までには届いてないものの薄皮一枚の境界。
運良く外れてくれたが、運が悪ければ確実に死んでいたぎりぎりの線。
「あっぶねぇ……なっ!」
同時に、危機から好機を拾おうと周到さを見せるのは傭兵としての生き汚さからだ。
仰け反りになった態勢ながら、反転した事でエピオンの裏を取る形となり、背後より大剣を勢いのまま振りかぶる。
それすらも予期していたと、待ち構えていた熱閃。
アルケーを焼き切ろうと鎌首をもたげているヒートロッドに、前進を躊躇させる。
コクピットの前を通り過ぎ、エピオンの振り向きざまの一閃が重心のかかってない大剣を弾き出す。
その勢いのままエピオンが切りかかり、ふたつの武器がかち合う。
機先を制されてる分、天秤は光を持つ方へと傾く。
「い……っ!?」
確認した事実に、今日何度目かも知れない戦慄が走った。
刃が交差する支点、ビームソードを受け止めているGNバスターソードが、溶け出している。
GN粒子がもたらす万能性など一笑に付すと、大剣を覆う加護を侵していく。
"ピーキーにもほどがあんだろうが……トチ狂ってんじゃねえのか!?"
三つ織りの凶剣を一太刀のみで圧倒する一塊の暴力。
アルケーは常に先手を撃たれ、攻撃の起点から潰されて封殺も同然に追い込まれていく。
こちらの動きを全て熟知しているかのような手捌き。サーシェスの直感が最悪の姿で出てきた。
凄まじい運動性能だ。出鱈目さは筆舌に尽くしがたい。
寿命を削る凌ぎ合いを経て見えた、敵機の性能に舌を巻く。
近距離での斬り合いに特化された設計。凡そまともな所属のものではない。
組織ではなく個人による手で造られた機神は、構成する概念に至るまでが一般の埒外だ。
それを自分の手足の延長のように操るパイロットの技量もかなりのものだ。
得ている情報を消去法で突き詰めていけば、相手方はグラハム・エーカーだと想定できる。
押しも押されぬユニオンの元・エースパイロット。四年前から行方知れずだったらしいが、腕は健在のようだ。
蝕む絶望。零れていく勝機。
破滅が足音を立てて近づいてくるのを確信しても―――サーシェスは愉しむ事を捨てようとはしなかった。
"いいね……そんぐらい突き抜けた方が潰し甲斐があるってもんだ!"
乗機、乗り手、共に申し分ない。
想定とは違ったが、予感は間違ってはいなかった。
この戦争に相応しい実力を持っていてくれた。
抑えが効かない欲望が身から弾け出てしまいそうなぐらいにのたうち回る。
その一方で冷静な思考は戦術の理論構築を忘れず。
相手の格闘能力を測定してその対策を推し量る。
シートの座り心地も馴染まない新造の肉体では、あの豪剣には対抗し切れない。
専用の愛機だからこそここまで扱えているのだ。違う機体であったのならとっくに細切れだったろう。
接近戦では向こうに軍配が上がる。そこは認めなければならない。
とはいえ、それまでだ。
判明するのは、単純なひとつのこと実だけ。
たかだかの一要因で戦の敗北は決定されない。
近づいて勝てないのなら、離れればいいだけ。
譲れぬ意地、得意分野への矜恃なんてものはない。
わざわざ相手の土俵に入ってやるようなお遊びもなしだ。
戦いは、勝つが為のものなのだから。
「いつまでも……調子に乗ってんなよ!!」
渾身の力を込めて右腕を回す。
同時に両脚に伸びるビーム刃が急所を狙いに行くもあえなく逸らされる。
はじめから目的は時間稼ぎ。見えた好機をこじ開けようと、アルケーの腰部のアーマーが裂ける。
魔獣の顎から、収められていた必殺の牙が剥き出しになる。
悪意に研がれた歯々が、一斉号令のもとに抜かれる。
「行けよ、ファング!!!」
吠える必殺。
弓引かれる無数の鏃(やじり)。
十基のGNファングが空を舞う悪魔を堕とすべく射出される。
無線誘導端末による遠隔操作兵装は、パイロットの指定により自在なオールレンジ攻撃を可能とする。
それがパイロットの技量に左右されることはいうまでもなく、それゆえにサーシェスにとって虎の子の一手だ。
展開されたファングは狩人の意のままにその熱線を照射する。
擬似太陽炉の毒々しい輝きは、ヒトの身を蝕む毒の華。
獲物の肉を裂き喰い破るべく悪念の子らが炸裂し襲いかかる。
「この……武器は―――――――――!」
放射された牙を見て、グラハムが忌むべき記憶を呼び起こす。
今の武装には見覚えがあった。
間違いない。
ハワード・メイスン、オーバーフラッグを貫いた牙。
嘗ての戦友の命を奪った射撃兵器だ。
「……貴様ッ!」
沸騰する脳。
憤怒がグラハムの中に沸き起こり血管を突き破ろうとする。
見れば、対峙する機影は過去の記憶にある敵と相通ずる点が感じられる。
それは幻視か。その場の感情に任せたくだらない妄想か。
ただ確実なのは、あの機体を引き裂き爆散させてやりたいという悪意は、偽物ではないということ。
先端にビームを集積させ、直接喰らいつきにきた四基を加速をつけて飛び退いてかわす。
その裏を取るように、旋回していた四基の銃口が閃光を撃つ。
あらかじめ到来を予期していたグラハムは焦ることなく速やかに対処。
一発は僅かに首を逸らして消え去り、一発を左の盾、残りの二発は剣で受けて止めた。
最後に上と下から挟み撃ちにきた二基は更なる加速で範囲から越えてやり過ごした。
都合十発の赤光を凌いだグラハムだが、状況は好転せず次なる弾幕に晒される。
ファングの波状攻撃は間断なく続き、全方位に渡り周回しながら釣瓶撃ちにする。
互いの距離が分かたれた時点で、エピオンは攻撃権を失った。
決闘用モビルスーツという奇特極まる思想で設計されたエピオンには、射撃に類する武装の一切が組み込まれていない。
右の剣で斬る。
左の鞭で斬る。
敵を討つということについて―――『近づいて斬る』という他に、手段がないのだ。
「条件はクリアしたってね。んじゃ今度はこっちの番だぜ!」
ファング相手に拘っている間に、サーシェスはアルケ―を上空に飛ばしエピオンの上を取っていた。
エピオンの驚異的な特性、それとその弱点。
敵のウィークポイントを把握したサーシェスはもはや徒に近づこうとはしない。
剣が届く範囲の遥か外から囲い撃ちにして疲弊させる戦術を選んだ。
GNバスターソードの中心部が開き、隠されていた銃身が露になる。
ライフルモードへと機能を変えた銃砲から無数の火が炸裂する。
雨霰と降ってくる閃光を、エピオンは悉く見切り、かわしていく。
紅の鎧にはただの一発も当たらず粒線は地上に落とされる。
しかし正確無比に機体を狙う弾幕は、両機との距離を広げるという役割を十全に果たしていた。
そして、離れるエピオンをファングの一群が逃がすまじと弾雨を散らす。
縦横無尽に飛翔するファングと、その穴を埋めるアルケーの精密な援護射撃が追いに追い立てる。
エピオンは乱れ咲く火線の槍を前に一向に間合いを詰められない。
攻撃方法が接近しての格闘戦しかない限り、この赤光の洗礼を掻い潜るのは至上命題だ。
直撃こそないものの起死回生の機会は訪れず、攻めあぐねるまま銃撃から逃げ回っていた。
動きを学習し先読みを重ねているのはなにもグラハムだけではない。
先の打ち合いを材料に、サーシェスもまたエピオンの機動を予測していた。
煮え湯と苦渋の味も、経験として内に取り込むのが傭兵の習わし。
四方八方から寄せては消える魔弾と魔牙。
時間をかけて一刻と削り殺していく蟻地獄。
狩りの手際は滑らかに、着々と獣を仕留める段階に入っていく。
「……………………あ?」
違っていたのは前提か。。
目の前のコレを、畜生に置き換えた事自体が、消えようのない過ちだ。
宙の中で、小さな花火が弾けた。
人からしてみれば大きな爆発。
けれど空を飛ぶ今の支配者からすれば掌ほどの焔が一瞬吹く。
破片(もえカス)は散り散りに景色に溶けてなくなる。
仕事を誇るでもなく、火付け人は次の火薬(えもの)に手を付ける。
「――――――鈍(ノロ)い!」
一輪。
二輪。
腕を振るうたびに華々しく散り逝く。
貯蔵されたGN粒子が炸裂し、外装を微塵に吹き飛ばす。
音速で飛び行く小型の牙を一刀がへし折る。
中心を廻るガンダムエピオンの傍を通り過ぎたファングが、次々と叩かれ、墜とされる。
腕が回り、光の線が残る度に、赤い蜘蛛の巣の糸が解れていく。
焼き付いて離れない、在りし日の朋友。
絡みついて逃がさない、黄金の髪。
戦闘行為における感情には不要と判断し削除にかかるシステムに、徹底的に反感する。
譲れない。
この怒り(おもい)だけは、断じて渡してやれない――――――!
降り注ぐ弾幕が薄れる。
戦場を包みあげていた魔気が濃度を下げる。
燃料が尽きたファングが補給のために本機へと戻っていく。
充填は容易。
たとえ一瞬砲身の守りが消えようとも、間を空けるのに腐心していれば十分に稼げるだけの時間。
だが当然、その都合に合わせてやる気など欠片もなかった。
人型であった騎士がその威容を組み替える。
脚部が股間ブロックごと移動し頭部を超えて背部に折り畳まれる。
指が引っ込み、腕に付けられていた爪が伸びる。
盾に付く熱鞭を尾につがえ、大きく翼を広げる。
「変形しただと!?」
爪先を首になぞらえた姿は、さながら伝説の双頭竜。
高速移動用の飛行形態へと変形を完了し、雄叫びの如きエンジン音を張り上げた。
今までにない加速を伴って紫煙の混じる大空を舞い上がる。
予想だにしない高機動に、近づけまいと銃身を向ける。
業火の温度で焼き尽くす閃光の照射。
だが未来を見通す千里眼には、それすらもが古い過去にあるのか。
塗り潰すように空のそこら中に引かれる赤い線は、何一つとして汚してはいない。
内装機器の配置を組み換えて向上した機動性と航続性は人型時の比ではない。
銃口の先端から煌めく燐光が飛び出す時には、狙い撃つべき標的は姿を消している。
指先を動かすだけで回避が叶うのは、逆にビームの方から横に逸れていくようにすら感じ取れる。
悪魔の意をもって、エピオンの速度が急激に上昇される。
音速の壁を突き破り大気の絶叫。
あるいはそれは更なる加速に狂喜する嘶きか。
阻むものを振り切り、双首の怪竜は迷わず本丸目掛けて直進し続ける。
速度を落とさないまま、機体もろとも特攻でもしかねない勢いで空間を侵掠していく。
「――――――っ!!!ちぃ!」
雷鳴の如き神経が、飛び散る憤怒を過敏に察知した。
だがそれはサーシェスの絶命を予期したものではない。
驚天こそしたが、電撃能力が編み込んだネットワークは警鐘を鳴らした。
即ち、迫る豪速に自分は反応できている。
緩慢となる体感。ゴムのように間延びする時間のなかで指が踊る。
剣が縦に立つ。
両手で大刀の柄を握り来たる数瞬後に構える。
血流の流れが加速する。
帯電は痺れを起こさず、静かに血管の収縮を早送りにする。
それは生身の話だけで、戦闘に用いる機動兵器には何の進化ももたらさない。
用いるのは反射の強化のみ。
現在(いま)を限りなく未来(さき)に近づけて―――
「こいつで、お陀仏――――――!」
雲耀の速度で、前の前の過去(てき)絶つ―――!
「 !!!!!」
ならば魔手は、刹那を掴んだ。
再度組み変わる機構。
悲鳴を上げる各機関。
無理だと叫ぶ部品(パーツ)の嘆願を一切無視して断行する。
乖離する自我に、鎖を巻き直して
急速な変形によって態勢が変わり、空気抵抗をもろに受けることで機体が急停止をかける。
のみならず、一時停止させたブースターを再点火し。
死にかけた推力を上方へ持ち上がる全身。
そうして瞬間的な推力を得て、目の前の剣の上を飛び越えた。
「ァ―――!ガ……………ハ…………ッ!」
空力に真っ向から反抗する、もはや隷属とすらいえる魔技が生んだ超機動。
その代価に発生するのは、肉を骨から引き剥がす爆発的なGだ。
失神は免れないだけの衝撃を満身に浴びせられたにも関わらず、グラハムの意識は刈り取られない。
脳内を走査して発生する異常を計測し、先んじて脳内麻薬量を増大させ刺激情報を欺瞞。
ゼロシステムの本領、殺人的な加速に順応させる機能はパイロットを完全な操縦装置に仕立て上げた。
「ガン……ダムウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!!!」
紅く、螺旋に廻る。
愛を。怒りを。悲しみを。
男の抱えるものを巻き込んでその範囲を増していく。
鼓膜を突き破る裂帛の気合いのみが耳に通っていく。
魂魄すらも燃やす灼熱。遂げられる咆吼と共に落とされる一閃。
血色に濡れた天使の右肩に入り、そこから先を奪い去った。
「……ッッッ!!!!」
泣き別れになる腕を憎悪の視線で眺めるサーシェス。
感知すれば即座に電荷を流して瞬間的に動作する反射神経。
体内の稲妻を感知するだけの速度でもでなお反応できなかった。
電速ですら追従しきれない、人智未踏の領域。
まさしく神速と呼ぶに相応しい。
「ファング!!」
再び放たれる牙の群れ。
GNファングの第二陣が、推進剤のGN粒子を尾に引いて乱れ飛ぶ。
飛行するエピオンに追従して周囲を囲み、進行方向を阻む。
退避進路に先んじるように、巨大な鳥籠となってエピオンを覆う。
「鈍いと―――既に言った!!!」
走る剣閃は、果たして何本だったのか。
その判断もおぼつかないまま、守りは再び零に戻される。
半数に減ったファングは更に二分され、魔剣の路の中に呑まれた。
返す刃が、すぐさま追撃の太刀に移る。
位置は上を取られたまま。依然としてエピオンが圧倒的な優位。
たかが武器を落としただけで剣を降ろす道理はない。
これは誇りある決闘などではない、純然たる殺し合い。
敵は首を断ち、心臓を抉り、五体を斬り飛ばし全身を爆散させて勝利は完了する。
残った左腕の盾から展開されるビームシールドは、振り落とされた剣を受け止めている。
今度は反応が間に合ったという安堵を起こす余裕はない。そもそも安堵など不可能だ。
剣は、盾から離れない。
残された結末は数少ない。
盾を支える関節部が砕けるか、態勢を維持する操縦桿が曲がらないか、盾そのものが限界に達するか。
あるいは、このまま―――
「ぐ―――おぉぉぉぉあああああああ!?」
雲を切り、直下する両機。
胃が逆流するような不快感と浮遊感を押し込めるが、知ったことないと殴りつける重圧は留まるところを知らない。
防壁に止められたまま、エピオンはスラスターを下方向へ噴射した。
GNドライブの超常のエネルギーは、ゼロシステムという魔導の兵器に屈し。
落下加速も乗せた垂直降下は、重力軽減効果の限界を振り切ってアルケーを叩き落とす。
「ヅァアアアアアアアア!!!」
地に鳴る天雷。
地殻変動でも起きたのかと思うほどの轟音が、大地に強く響き渡る。
とっくに半壊だった建物の上から、天使の硬質な体がとどめとばかりに敷き倒す。
立ち込める白煙の先。
墜落した機体は分解こそしておらず、元来備わっている頑強さを思わせる。
だがここで自壊を始め決着がつかないでいたのはむしろ不幸だったのか。
見下ろす魔神(マシン)から滲み出る呪詛の念は、減衰を見せず渦巻いてる。
敵の戦力。大幅低下。
右腕喪失。遠隔兵装半数破壊。左腕盾使用不能。
攻撃への対処方策―――回避不能。防御不能。行動不能。
勝利。確、実。
「ハ―――――――――――――――」
敗北の可能性がまっさらな空白と化していく。
勝利の瞬間が、確定した未来となって目に映る。
見た事もない敵の狼狽する顔が、頭の中に浮かんでくる。
為す術なく叩きのめされ、地に伏し、苦悶する心中が、自分の意識とないまぜになっている。
「は、ははは……ははははは――――――」
擦れた声が漏れる。
自嘲であり、自傷でもある笑い声。
始まってみれば勝負は歴然。圧倒的な差で軍配は下った。
なのにこの情けなさはどうか。
埋まらぬ空虚さはなんなのか。
この戦いに果たして、意義はおろか価値すらもあったのか。
笑い種だ。
そう、結局は滑稽でしかない。
これだけの力を引き出せるのなら。
これほどまで戦う事が出来るのなら。
この奇跡(チカラ)を、どうして私は、あの時に起こせなかった―――――――――――――――!
「ウオオオオオオオオオアアアアアアアアア―――――――――!!!!!!」
激昂する雄叫びに合わせて急降下をかけるエピオン。
過去に蟠る憎念をも清算せんと一層の力が入る。
アルケーは起き上がろうと身悶え、足からの刃を出すがどうあっても力不足だ。
命中確実。必死確定。
生にしがみつく執着心そのものを融解させんと、翠の魔剣を振り下ろした。
「 」
だから、気づけなかった。
自分と敵とを結ぶ中間にある、白い絶対の領域に。
「?!?!?!?!?!」
触れた途端、跳ね返る。
過程が巻き戻り、結果が覆る。
決着と決め、限界まで張り上げた加速で振るった斬撃は、敵を両断するに足る威力だった。
その破壊力が、そのまま反射される。
衝撃はエピオンのみならず、機体の中にいるグラハムにまで及ぶ。
不定形のビームソードは“ソレ”に接触した瞬間に四散、爆裂。
柄から噴出されるエネルギーを根こそぎ隷属され拡散ビームとして反逆する。
加速と重量がもたらず破壊力も加わり、地上に出現した太陽の火がエピオンを薙ぎ払う。
翼を焼かれ海に落下した勇者の如く、機神は再び冷たい地面へと叩き落とされた。
◇ ◇ ◇
長く冷たい廊下の死線にて、悪鬼と死神は対峙し合う。
壁にぽっかりと開けられた大穴。
そこから吹き抜ける風が、悪鬼の血化粧を撒き散らした白い髪を揺らして通り、死神の纏う白い和服の裾をはためかせて過ぎていく。
「――――――――――――」
両儀式は必殺の業を備えて。
一方通行は必滅の意思を携えて。
双方共に、銅像のように微動だにしない。
このショッピングセンターの外でも戦闘が起きているのか、遠い蒼穹(そら)からは空を切り、金属が弾き合う音が鳴り止まず響いていた。
されど吐く息一つ、鍔鳴りひとつ上がらない。
風も、地も、すべての存在が固唾を呑んで静観している。
「――――――――――――」
戦の前に言葉はない。
語り合えるほど、両者の関係は深くはない。
皮肉も挑発も、行うには相手の事情を知り得ている必要がある。
それをするには、二人はお互いのことを知らなすぎた。
邂逅はただの一度。接触はほんの一瞬。
名前と姿、少しの力を知っただけ。
偶然道ですれ違ったというだけの、赤の他人でしかない。
何を思い、何故戦うか。その共有すらも済んでいない。
理解など不要。
対話は無意味。
好意も敵意もない相手などただの障害でしかなく、かける言葉も温情もない。
一秒先にでも爆発しそうな空気を押さえ込んで、その瞬間を待ち硬直している。
十分、それとも一時間か。
時間の概念は崩れ去り、一秒と一時間は同じ針を進める。
戦域からちょうど外れた廊下から、
秋山澪は対する二者を眺めていた。
「――――――――――――」
生唾を飲み込むことも躊躇する。
体は、大気が凍りついたみたいにその場から張り付いて動けない。
援護すべきという考えも、足手まといにならないよう逃げるという発想も浮かばない。
地獄の一日を乗り越えた成果なのか。
それとも存在の起源が、生命の脅威に対し敏感に反応している結果なのか。
人の死を、害する者の殺意を、無自覚に感じる。
拙いながらも、澪は戦いの空気というものに馴染みつつあった。
そして、ひとつの小さな確信にも似た思いがある。
勝負は、おそらく一瞬で決着すると。
"さ、て。どォやって潰そうかねェ……"
脳を泳ぎ回る狂気が、目の前の命を喰らえと吼える中。
一方通行の中でもっとも冷えた部分が、ここは待てと指示を下す。
不完全燃焼のまま行き場を失わせないために、溜めに溜めた殺意は最大の一瞬まで蒸溜させておかねばならない。
冷徹な思考の元に、暫しの時を観察に費やしていた。
彼我の距離は大凡にして十五メートル。
先の空中戦を考慮に入れれば、斬撃に踏み込むまでは一歩と少し。
両儀式には、この長さも間合いから僅かに外程度でしかない。
そして一方通行が、その動きに反応が間に合うギリギリの距離でもある。
回避を選べば、初撃はなんとかかわせるだろうかという死線。
卓越した剣術家の刀は、それだけで強力な結界と化す。
接近戦において、一方通行は両儀式の足元にも及ばない。
その一撃が防御不可なのは承知済み。
かの右手と同じ、能力そのものをシャットダウンする能力。法則や理論に基づかない正真正銘の超能力。
『反射』の壁を容易く抜けて、一太刀でも受ければそれで終い。
それに耐えきる体力は己にはない。
"とっと殺ッときャよかったなァ。心の贅肉ってヤツか?"
ここまで近づかせたというのがなによりの失態だった。
街中での戦いでも、何よりそれを優先して対策を取っていた。
決して敵を踏み入らせず、常に遠距離からの投射で始末をつける算段だった。
閉鎖された空間。目視できる距離での相対。一騎打ちしかあり得ない状況。
どれもが一方通行にとって非常に不利な戦場となっている。
考えるまでもなく、撤退は初めから却下だ。
反撃に転ずるならともかく、戦闘そのものを放棄することなど、考慮にすら値しない。
自分に逃げ場がないというが、それは向こうも同じ。
すぐそこに殺すべき敵がいる。
横からの余計な介入も、今だけは止まっている。
制限時間も一合を済ませるには十分なだけ残ってる。
それでどうして、逃げる必要があろうか?
あるのは進撃、ただ殲滅あるのみ。
そのための的確で、効果的で、確実な手段を模索する。
点での攻撃は無意味。
拳を打とうが銃弾を撃とうが、あの速さの前では全てが無意味だ。
命中しても、急所以外を犠牲にしてでも接近し斬りかかってくるだろう。
いや、手の刀を落とさない限りは、たとえ頭部が落ちても振りかぶってくる危険すらもある。
事実がどうあれ、そう思わせられるざを得ない、逸した敵であることは否めない。
攻めるなら、やはり面となるか。
近づいてきたところを、逃げようのない範囲攻撃で仕留める。
ガラスの破片や石の飛礫、凶器の種はいくらでもある。
交差法で迎え撃つ、いわゆるカウンターとよばれる技法。
速すぎる走力の影響は敵にも自身にもふりかかる。
飛び込んでくるところに散弾をばら撒き自滅を図る。
これもまた、綱渡りのタイミングが求められる難業だ。
"……それでも足ンねえな。散弾じャモロに当てねえと大して効かねえし、デカすぎてもよけられる。動きを止めさせることが重要だ。
結局、動くしかねえワケだな"
空中で踊りあった「動」の戦いとはうってかわる、しかしまぎれもない命懸けの闘争。
西部画劇での銃撃が如く、先に動いた方が撃たれるというギリギリの一線。
チェスや将棋と同じ、先読みに次ぐ先読み合い。
精神力を凌ぎ合う「静」の戦いだった。
どうやら、それがいけなかったらしい。
――まだか。
――はやく。
――さあ。
――さあ。
――いますぐに。
――目の前のそいつを……。
"あァァもううるせェなあ黙ってろそンなに急かすンじャねえ今すぐヤッテヤルデスからよおォォォォ!!!!!"
昔も今も未来(このさき)でも。
一方通行という者には、待ちという戦術が能力的にも性格的にもどうしようもなく向いていない。
いくら脳に燻る悪意が戒めようが、元から気が短ければ是正しようのない。
どのみち悠長に構える余裕もない。
時間が経てばそれだけ相手に余裕を与えるし、援軍が来る可能性も高くなる。
だったら、博打に手を出してでも状況を動かす必要がある。
果報は寝ても来ないのだ。
゛上等だ、決めてやるよクソッタレ゛
縫い付けた両足を一度浮かせる。
足場を見繕うように歩を進める。
口角を三日月に歪め、その到来を歓迎すると視線で挑発する。
それだけであっさりと均衡は崩された。
駆ける。
古より継がれてきた刀法は炸裂した銃弾の如き速さで、跳ぶ速度は瞬きすら許さない。
近接戦の心得がなく、頼みの『反射』も効かない一方通行にとっては、死の具現に他ならない。
"対象、変換――――――軌道、修正――――――"
一方通行は戦士ではない。
戦うにあたって使用するのは、肉体でも剣でも銃でもない。
彼は能力者だ。
その中でも頂点に立つ超能力者だ。
"目標、補足――――――能力、解放――――――"
身に宿る異能、脳に収まる計算こそが彼の武器。
如何に”自分だけの現実(パーソナルリアリティ)”を信じられるかが、彼の戦いに他ならない。
刀が上げられる。
加速のついた四肢は捻じられ、人が可能な領域を超えた構えから振り戻される。
左の肩から右の腰まで振り下ろす袈裟斬り。
その刹那。
爆ぜたように、悪鬼が飛んだ。
五体を弾丸に変えた超速の突進。
火薬が詰められた火砲が発射される。
大気の壁を易々と突破し、音を置き去りにした弾丸が突き進んでいく。
相手が速いのならより速く動いて打倒する。
単純ではあるがそれ故に正しい選択。
単純だからこそ己の利点を最大限に活かせる。
枝分かれする周囲のベクトルを一直線に注ぎ、光速を超える絶速を叩き出す―――!
目前で撃たれた大砲の巨弾。未来予知にも等しい式の全感覚は確かに察知していた。
侍の間合いに飛び込んでおきながら、先手を取らせない殺意の渦。
全運動機関を駆動させての回避行動ですら紙一重の遣り取りだ。
跳んだ先は上空。
式だけがスローモーションのように軽やかに上へと翻る。
どれだけ大きかろうが点の攻撃。その線から外れるだけならさほど苦にならない。
それでも、逃れられぬものがそこにはあった。
屋内であるはずのモール街に嵐が巻き起こる。
全身をプレスされた衝撃が、式の華奢な全身を駆け巡った。
超高速の物体が通過することにより発生する”大気裂傷(ソニックブーム)”現象。
正面の空気は引き裂かれ、背後の空間に生まれる真空。
周囲の空気が巻き込まれ、付近の物質を裂断する。
音は、すべての過程が終わった結果として発された。
爆音、などと呼ぶには生温い、壊音の波動。
身を断たれた空間が絶叫を上げ、欠損部分を修復しようと躍起になる。
空間(そこ)にあるものを気に構わず、手当り次第に飲み込んでいく。
脆弱な成分たちは風のヒステリーに耐えられず砕けて壊れる。
比較的離れていた澪にも、風は巨大な拳となって襲いかかった。
塵芥が転がり回る。
抵抗の手段も思考もなく、されるがままに踊らされる。
存在を許される強者は、肌を裂いた本人、一方通行のみ。
そして許されずとも、そこに残る躰がひとつ。
「くか――――――――――――」
視線を、感じる。
全てが消えたはずの空間に、許可なく居座る白がある。
視ている。
音速下の物体が通り過ぎて起きた衝撃波を受けてなおこちらを視ている。
気絶もせず吹き飛びもせず。
後追いの気流に乗って、移動を完了した痩身へ向かってくる両儀式が。
淡く光る蒼眼を見せながら飛んで来ていた。
スリップストリームの利用。
モータースポーツで先行する車の背後に張り付き車を加速させるテクニック。
衝撃波のダメージを受け、空中で錐揉み回転を続けながらも、視線は外すことなく一方通行を睨みつけている。
姿勢は回転する度に安定し、徐々に洗練されたフォームを形作っていく。
疑うまでもない。あの態勢のまま、斬り付ける気だ。
「くかかかかかかかか――――――――――――」
嗚呼、なんて苛々させるのだろう。
どうして、こんなにも血が滾るのだろう。
こんなにも、殺してやりたいと思える奴がいるなんて、想像だにしなかった。
これだけ殺意をぶつけても倒れない奴は、これで二人目だ。
一人目とは全く異質の、自分と同じ者(超能力者)。
だから―――絶対に、殺してやる。
「もおォ、一発ゥ!!!」
トルネードと化して突っ切った一方通行の直線上。
そこには、式の奇襲により落とした自分のデイバックが落ちている。
全ては計算された軌道だった。
既に得物は抜き取っている。投擲武器としてはこの上なく適任だ。
武田の若虎が握る紅の双槍が、妖しき血の色を帯びる。
逆行する流星は焔にくるまれて天を穿つ。
回避が不可能の式が取るのは、迎撃の構え。
吹き飛ばされてからの回転運動は、足場のない空中で重心を生じる。
地でなく天に足を着き剣が踊る。
空を貫くはずの槍は、横薙ぎの一閃でこともなげに両断され、地に堕ちる。
一太刀で二槍を相殺する神業も、もはや見飽きた一芸だ。
必殺の手は、既についている。
「ぼさっとしてンじャねえよ!第二波イクぜェェェェ!!!」
目線の位置まで、前方の岩盤が浮き上がった。
最初の特急通過で軋みかけていた地面だ、起こすのに大した力はいらない。
巨大なまま飛ばしては、前のように足場にされる恐れがある。
ならば、猫の額も乗らぬ程に砕くまで。
浮き島に手をつける。
撫でる程度の接触は、その瞬間にベクトルの収束という爆薬を精製する。
魔手が解放されれば、直径三メートル程のコンクリートの塊が散華する。
ショットガンよりも広範囲で、ライフル弾よりも速い榴散弾。
今度こそ逃げ場はない。その体を粗挽き肉へと変えてくれる。
つい、と。
そのとき未だ地面への到達を果たしていない式が、構えを変えた。
右腕を上へ。鍔元が肩を、頭上を超えて掲げられる。
刺突(つき)ではない。どの型にも該当しない明らかに不可解な姿勢。
それは、もはや剣術の型ではなかった。
内包する概念はただ一つ。
『遠くにいる敵に当てる』というだけの、あまりに単純で、お粗末極まりなく、だが合理的な理念。
即ち―――――――――投げる!!!!
国宝級のシロモノとは思えない粗暴さで落下する刀。
その切っ先の行方は、今まさに破壊の注入を行う寸前の一方通行の脳天だ。
「は――!」
それは、完全に虚を突かれた不意打ちだった。
剣術にも飛刀の兵法はあり、脇差しを投げつける等の術は存在する。
だがそれを、長い刃渡りを持つ打刀、太刀の方を投げるなど、刀匠が聞けば乱心しかねない暴挙である。
式にとっても、これは本来考えつかない用法だった。自分の最強の武器を手放す真似だと理解していた。
刀を取り古来の剣士へと切り替わる無我状態なら尚更だ。
だが、未来予知にも等しい直感は、このままでは『敵ヲ倒セズシテ必死確定』と判断。
只管に勝利を追求する戦闘思考は、この選択をベストとした。
「……ちっ!」
ベクトル再変換、指向修正、脳天を狙う飛刀への対策を先行。
微細な操作は間に合わない、とにかく差し迫る脅威へ対応する。
爆散ではなく、巨大な岩石を直接投げつける。
とっさの判断としてはこれが限界だった。
落とされる点と、沸き出す面。
双方道を譲り合う気は微塵もなく、真正面から衝突する。
墓標のように、刀は地に突き立てられる。
貫通はせず、勢いが止まらないまま上昇し続ける。
そのまま天井に激突するはずの岩盤は、理に沿わない停止をする。
停ったように見えたのは錯覚でしかない。しかし変化は明確に現れていた。
視界が遮られ向こう側を見ることはできないが、何が起こったかは想像できる。
地面に刺さった刀を握り、力を込めた。その程度のことだろう。
その程度で、地盤の壁は脆くも崩れ去る。
中心から、切っ先が突き出た。
そこを起点に、切り取り線が入っていたかのように
五人はゆうに乗れる瓦礫は、堅いクッキーにフォークを突き立てたように、バックリと裂け割れた。
バラバラに分かれた欠片から出てくるのは両儀式。
勢いそのままに、唐竹の構えで落ちてくる―――!
頭上から降り下ろされる一太刀目。速いが、反応できた。
間に合う。この距離ならかわすことができる。
苦し紛れの投擲は決して無駄にはならなかった。
十分な距離を取って、着地の瞬間を狙い撃つ構築に入る。防御、回避の出来ない強烈な一撃を見舞おうとして。
「……」
ミチリと、自分の体から肉が千切れる音がした。
脇腹に残った、死神の呪いが悲鳴を上げる。
焼き切られた傷のため出血はないが、その部分の肉は爛れ構成が緩くなっている。
敵を追うことに腐心し処置を適当にしていたツケが、ここにきて一方通行の意識をかき乱した。
状況不利。
冷徹に理性が敗色を認識。
それを超える激情が決して認めようとしない。
感覚を引き伸ばす。
時間を延長させる。
一秒以下で結末を書き換えろ。
砂漠にある一粒の金砂を捜し出すような真似だろうと出来ると信じ込め。
「ぎ、あァァァッッッ!!!」
脳を引き戻し、ベクトルを再動させる。
戦闘機のジェット噴射なみの勢いで上空へと飛び上がる。
間一髪、魂を断つ死線は髪を掠め、僅かばかりの命を繋げる。
地面に降り立つ式と入れ替わるように、一段上の階層の柵に足をつける。
立ち位置は逆転する。
縦に距離が離された、一方通行に優位な位置。
武装(コンクリート)の補充は十二分。
ここならば物量任せの遠隔攻撃で一方的に制圧できる。
「これでェ―――!」
手に入れた機会を反撃に回す。
出力全開。
今こそ叩き潰さんと力を込め。
「潰れ死―――――――――がァっ!?」
その寸前、岩など比較ではない特大の質量が、横合いから一方通行を吹き飛ばした。
体が斜め上方に弾け飛び、心身が壮絶に揺さぶられる。
目前で視界を覆った燐光に、対応は間に合ったはずだった。
「――なン、だ!?」
されど抵抗できぬまま赤の光線に飲み込まれ、押し流されている。
衝撃が全身の肉を軋ませるも、外傷は無い。
それは不完全な反射が及ぼした結果であり。
一方通行の能力が完全に及ばない、その攻撃には覚えがあった。
「ちっ…………そうかよ」
ショッピングセンターの外部へと流されながら、視線を下げる。
下階にいた二人の姿はもう見えない。
空に逃げる翼を持たない人は足を置く地を失い、いずれ来る崩落に呑まれていくだろう。
ただしこれまでの経験上、そのまま大人しく死んではいないとだろうと予想できる。
だがどうでもいい。
そんなのはどうでもいい。
後でどうとでも相手をしてやれる。
そんなことよりも今は。
「そうかそうかソウデスカ、よっぽど俺の邪魔してェみたいだなオマエらは?」
性懲りもなく横槍を突きにくる野次馬こそを、一頭たりとも残しておけない。
「―――いいぜェ、キチンと買ってやるからよォ!」
殺意の矛先がやおら反転する。
沸点はとっくに越えていて湯気が出るほど怒りは浸透だ。
どの道潰さなければならない相手、厄介さでいうなら能力殺しの女よりも優先される。
殺戮の場にしゃしゃり出てくる二機の人形に引導を渡すべく、一方通行は建造物の外部へと、飛翔した。
◇ ◇ ◇
残心を終え、体から力を抜く。
危機が去ったことを確信して、意識を解放する。
壁に大穴を空けて見晴らしがよくなった通路、戦場跡に残るのは両儀式。
外を見れば、ふたつの赤(いろ)の人型が縦横無尽に乱舞している。
恐らくはアレの流れ弾が飛んできたのだろう。
片方は知らないが、もう一機の方はグラハム・エーカーが乗っているはずの機体だ。
あの少女の死が撃鉄を引き上げたのか。動きは精彩が欠け、そして見境がない。
「……ちっ、結局出来なかった」
とばっちりを受けたことに苛立ちつつ辺りを見回す。
一方通行は、光に呑まれ姿を消した。
跡形なく消滅したか、それとも光線に乗って飛ばされたか。
いずれにしても、ここにはいないことは分かる。
敵がいない以上留まる意味もない。散り散りになった人間のこともあるし、それ以外にも離れる理由がある。
放たれた光源の成分など知る由もない。
だが散布された粒子の乗った風が肌を通った際、肉体が拒絶反応を起こしているのを感じる。
恐らくは、何らかの毒性を含んでいるだろう。
精神を犯すものではない、直接細胞を壊す種類だ。このまま近くにいれば汚染する危険がある。
そうでなくても、今の一撃はこの建物には致命的過ぎた。
元々連戦で軋み上げていたのに、どうやら今ので支柱が潰れたらしい。
天井も地面も一様に胎動し始める。一刻も早く脱出しなければいけない。
穴だらけの道を縫うよう移動し、出口を目指してひた走ろうとし、
「うあ―――、―――!?」
切羽詰まったような悲鳴が、一直線だった意識に制止をかけた。
刀から力を抜き背後に視線を向けると、地割れに足を取られ倒れ込む秋山澪の姿。
崩落は一刻ごとに加速している。
見捨てるのは簡単だ。そして助けるのは容易くない。
少女とはいえ、人一人抱えて全力疾走することは出来ない。ましてや倒壊するビルの中を脱出するなど無茶に過ぎる。
それでもなぜか、選択はあっさりと決められた。
「ま、約束、したしな」
光に背を向け方向転換、全速力で逆走。
理由なんか、きっとそれだけで足りている。
とてもくだらない、けれど捨て切れない小さなもの。
それでも後悔して、これ以上居心地が悪くなるのはごめんだから。
ほんの小さな穴でも、空いてしまえば気になってしまうものだから。
駆ける足音。
響く轟音。
そうして瓦礫の雨の中、二人の少女が姿を消した。
◇ ◇ ◇
痛みが全身を打ち砕く。
「がああああああああああああああッッッ―――――――――!!!!」
跳ね返る。
巻き返る。
捻り返る。
「ああああああああ――――――――!」
戻ってくる。
敵を倒すために込めた力が。
見を焼く怒りを込めた力が。
「ぎ……づ……ぁ……っ」
全て、己が身に返ってきた。
自らが放った死滅の噴流を纏めて弾き返され、突き飛ばされたガンダムエピオン。
想定の外からの衝撃は、魂を引き剥がす暴風にも等しい。
反逆したGが平衡感覚を狂化させ、胃の中身が流れ出て、卒倒し果てるのが自然の加重圧。
「あ……あが……」
それでも握る手綱を離さないのは、勝利に邁進するシステムに支配されていたがためか。
脳内を走査して発生する異常を計測し、システムが先んじて脳内麻薬量を増大させて刺激情報を欺瞞した。
そうして意識を強制的に維持させて、グラハム・エーカーは投げ出されたエピオンを地表に不時着させていた。
「ゴハ!か、あ……っ!」
口から溢れたのは大量の血液。
たとえ感覚を欺いても、直接肉体の損傷がなくなるわけではない。
あくまでダメージを感じなくさせるだけで、蓄積される負荷はグラハムを蝕み続けていた。
吐血でも症状は軽い方。内臓破裂に至り即死していても不思議ではないのだ。
図らずも、死にもの狂いで足掻いた抵抗がここに実を結んでいた。
エピオンが製造された世界には存在しない超能力という要素。
無駄とわかりつつも攻撃を加え続け、それら一切を反射されてきた
そこから得られた僅かな経験則が、ゼロシステムに俄仕立てながらも一方通行への対抗方法を構築させていた。
対抗というよりは行動の選択指定とでもいうようなもので、『一方通行に対しての直接攻撃は無意味』という結論からの消極的姿勢でしかない。
だがその理論が忘我にあったグラハムの手腕に介入し歯止めをかけ、振り落とした一撃に急ブレーキをかけていた。
功は奏し、反射率されたダメージは本来の半分まで落ち九死に一生を得た。
「あ――――――、は―――――――――、まだ、だ」
心身ともに満身創痍であっても、諦観の意志はなかった。
痛みも恐怖も、内に沸く怒りに比べれば些細なものだ。
無駄な感覚を排して、増幅された感情はひたすらに戦いだけを続行させる。
それが、ゼロシステムに負けた者の運命。
その心が一塵も残らず廃されるまで勝利の奴隷とされる生だ。
「まだ私は、戦え………………!?」
しかし、その怒りを体現させる機械の方は動きを見せなかった。
グラハムの意に反してエピオンの動力が停止する。
ついさっきと逆転した沈黙に瞠目する。
「動け、エピオン……!何故動かん!!」
操縦桿を、付け根が折れてしまうほど回す。
各所の異常をチェックしようにも、システムそのものがダウンしてしまってはどうしようもない。
絶望の侵食が始まる。
ゼロシステムもまたその効能を失い、麻痺から解かれた脳が痛みと嘆きを訴える。
今となってはコレが最後の縁でしかないというのに。
物言わぬ機械にすら、自分は裏切られるというのか。
「何故だ!」
拳が叩く。
正面にある簡素なモニターが揺れる。
画面には何も表れず、鬼の形相をした自分だけが鏡写にされる。
「何故だ!!」
何度も。
「何故だ!!」
何度でも。
「何故だ!!!」
拳の皮が剥がれる事に構わずに。
鈍く、乾いた音がコクピット内で反響する。
叩くたびに割れるのは、自分の心の方だった。
「な……ぜ…………」
やがて、その音も止んだ。
血に滲む腕は中空で震えたまま静止し、そのままグラハムの貌を掴む。
吐いた血を抑えて濡れた右手が、掴んだ右の頬を同じく朱く濡らす。
それは後の生涯に残る深い疵痕のようで。
乾いた瞳から滂沱と流れた涙の雨のようで。
守るべきものを失い、矜恃を失い、昔年の妄執を駆り出してまで取り繕った仮面すらも失った。
自分を守るすべての殻が砕け割れ、男は慟哭に暮れる。
そこにいるのはグラハム・エーカーという人間ではなく、復讐に走る阿修羅ですらもなく、
抱えきれぬ虚無に呑まれ、自らの名を見失った敗者の姿でしかなかった。
◇ ◇ ◇
「一張上がりィ!」
諸手をあげて一方通行は喝采する。
能力の出力を切り、守る力のない体は重力に従い自由落下する。
髪は乱雑にかき乱され、空間との摩擦音は鼓膜を打つ。
数十秒後には地面に潰れた柘榴の実のような姿になる事も構わず、そのまま風に身を任せたまま会心の手応えに破顔する。
二体の巨人を一網打尽にするための手段。
砂時計の中身。残り少ない流砂(リミット)のうちで完全に黙らせる。
かける時間は、少ないほどいい。
解放はほんの少し。なるべくものを動かさず、そこにあるモノだけでコトを済ませるように。
反射の能力。
最強が最強である所以。その一端。
振りかかる悪意(チカラ)を跳ね返す不思議の鏡。
拳を振るって砕けるのは鏡面ではなく拳のほう。
写し出されるのは悶絶する醜い自分。
資格のない入場者は断固として拒絶する異界の扉。
現行を大きく上回る出力を備える二機の巨兵は、
機械であるがゆえに両者共つまはじきにあった。
反射の効果は、被反射物が秘めていたエネルギーの量をそのまま相手に映し返す。
紅い騎士は来た道を録画を逆回しにするように、元いたショッピングセンターの駐車場、その最後に保っていた一画を潰し倒した。
手ごたえは抜群。
接触点がビームだったためにベクトルは分散したが、総量が変わったわけではない。
機体はともかく、衝撃は中にいるパイロットには致死量に至るだけ注入された筈だ。
今度こそ戦闘不能に追い込んだに違いない
「さァてェ、次ィ!!」
能力を瞬間的に適用させ、眼下に墜ちた片割れの赤い機体(アルケーガンダム)の上に乗る。
その姿は既に半壊以上の有様だった。
手を下さずともすぐには動けない。
あとは漁夫の利を狙うのみ。簡単な作業である。
「御開帳!!」
掌が触れる。
一方通行の知り得ない未知の元素。
この機体から噴出される粒子は解析が不十分なのは知り得ている。
だがそれは関係ない。
操るのは燃料ではない、それを循環させ実際に駆動する機械そのものだ。
機械仕掛けである以上は外しようのない全自動機能なら、従来の法則の範囲として干渉できる。
胸部のハッチがこじ開けられる。
抵抗むなしく外部からコントロールを奪われ、搭乗者を匿うコクピットブロックがせり出した。
一方通行を迎え入れる扉のようにゆっくりと中身を見せてくる。
空いた手で、デイバックから銃を抜き取る。
この無抵抗状態、完全な詰みの形であれば通常火器で事足りるだろう。
出てきたところを撃ち殺す。簡単な作業だった。
「これでェ!」
命を刈り取れる実感を前に、感動がこみ上げる。
弱者の悪あがきによって、ここまで随分、手こずった。
だがこれで、やっと殺せる。
やっと、殺せる(守れる)。
体は歓喜に打ち震え、より先の絶頂へと登り詰めるため。
身を乗り出して、図体のデカい玩具(おもちゃ)に見捨てられた憐れな操縦者(パイロット)を見下ろし。
「もォ一殺――――」
目前に現れた哀れな犠牲者へ、彼はすぐさま引き金を―――
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ァ?」
空白。
その瞬間の一方通行の状態を表すのに、最も適した表現だった。
現れた敵の姿。
すぐに死んでいくだろう敵の姿。
目の前に座るのは、茶色の髪を短く揃えた一人の少女であった。
濁った目で、銃口を向けるこちらを睨んでいる。
何であろうと構わない、はずだった。
敵は常人ではないにせよ、今や万策尽きし、一方通行に屠られるのみの存在だろう。
潰されて殺される、力の差は、変えられない。
しかしそれは、それだけは、違ったのだ。
それだけは、此処に在ってはならない存在だったのだ。
「―――――――」
会ったことのない少女。だけどよく知ったその容姿。
知っている、一方通行は知っていた。
知りすぎていた、その目、その顔、その髪、その存在、その彼女、当然だった。
当たり前だった、何故なら、何故ならば彼はこれまで同じ姿をした少女を何度も何度も何度も何度も何度も―――――見て、そして―――
「―――――――ァ」
殺してきたのだから。
「―――――――な、ァ」
ここにいる筈のない、居てはならない絶対存在。
何もかもを犠牲にしてでも、守ると誓った、とある少女の複製品。
この少女に連なる゛彼女゛を、すべての災厄から守るために、戦っていたのではなかったのか。
どれだけ罪深く汚れた手でも、救えるものがあるのではと願っていたのではないか。
ならばなぜ、己は彼女に手を出すような真似をしているのか。
「―――――――――――――――――――――――――――――――――ァ、ァ」
この状況で、こんな事態になると、どうして予想できよう。
思考はおろか、自我すら吹き飛んで放心する一方通行は、案山子も同然に突っ立っていた。
それはあまりにも膨大すぎる、隙そのものであった。
「……!」
少女が、動く。
手を腰の下に伸ばし、太腿に巻かれていた布を解く。
布地は振り抜かれていく中で硬質な棒に変化しながら、一方通行の頭部を目掛けてしなる。
なんの変哲もない凡庸な苦し紛れ。
未知の要素は感じられず、放っておいても勝手に反射される。
普段であれば反応する理由のない無意味な攻撃。
何もする必要はない。
簡単に殺せる。
威力を倍にして弾き返してやればいい。
ほらまた、聞こえ出した声に従い。
『殺せ』
脳裏に響く、久方ぶりに認識する、その声の通りに。
『殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ......!』
(――駄目、だ)
その無意識を、制する。
反射しては、いけない。
それだけは、どうしても許されない。
反射率を調整させて屈折させる―――困難。時間が少なすぎる。
デフォルトを切るか続行するか。与えられた猶予はそれだけしかない。
「―――ぎィ!」
迷い抜いた挙句に、迫る昆を甘んじて受けた。
くぐもった奇声をあげる。
聞いた自分でさえ笑いたくなるぐらい間抜けな声。
頭に受けるのは二度目だ。いや、顔を含めれば三度か。
パキ、と。枯れ木を踏みつけた音が鳴る。
頭蓋骨までいったのかもしれない。
他人事のようにそう思う。本当に、本当に他人の事のように。
足元を靴底で叩き飛び上がる。
少女の顔が見えない、遥か上方へと高く跳ぶ。
何も考えられない。
ただ反射的に、あそこにはいられないように感じたのだ。
ああそんな馬鹿な、と。
宙空で浮かびながら、頭はずっとひとつのことだけで埋まっている。
どうにか状況を測ろうとするが、痛みと混乱で考えはとりとめなくまったく固まらない。
「――――――――?」
そのときふと、全身を悪寒が襲った。
混沌とした思考のまま見上げた視界は空を映す。
一面には白熱する太陽の光。
そして――次の瞬間、肌を蒸散させる桜華の奔流が落ちてきた。
「――――――――――――――――――!!!!!」
一瞬で飲み込まれる全身。
先ほどの、ショッピングセンター内で彼を飲み込んだモノとは比較ならない威圧と威力。
頼みの反射もほぼ機能せず、光の顎が体を丸呑みにしていく。
突然の襲撃の正体。
自身に与えられた損害。
けれどそんなコトはまったく気に留める暇はなく。
掻き消されていく意識。
闇に消えていく思考のなかで。
屈託のない少女の、いつかの笑顔だけが、張り付いて離れなかった。
◇ ◇ ◇
「……あん? なんだってんだ?」
次から次に起こる珍事に、サーシェスは間の抜けた声を発していた。
紅いガンダムに追い詰められ、それが映像の逆再生のように吹っ飛んでいった。
いつか見た白髪赤眼の凶悪な面構えが姿を現し銃を構えたと思えば、幽霊でも見たような顔で硬直した後に飛び退っていった。
そして何よりも、直後に天から降り注いだ大量かつ膨大の燐光。
まるで制圧射撃。それでいて誰一人に実害のない攻撃だった。
このフィールド一帯根こそぎ全てを黙らせるように。
何人たりとも、これから訪れる者の道を妨げぬように。
光が、白髪の怪物ごと周囲をなぎ払っていったのだ。
「いや、これは……」
目まぐるしく変わる事態。
しばし面食らっていたサーシェスだが、
新たな変化を目にした途端には、すべてを察していた。
助けられたのか。
たとえば見えざる神の手に。
そんなものをサーシェスは信じていないが、強大なる何者かの意思があると感じる。
でなければ、なかなかこうまで上手く運命は回らないだろう。
「―――――――――へぇ」
頭上には蒼き空。
それがいま、崩れ始めていた。
ヒビ割れる天。霧散する青。差し込む光。
真上から壊する世界。
様々な色が交じり合い、カオスを紡ぎだす。
いやそも、もとよりそれは作られた歪みを抱えていたのか。
ソラの裂け目から姿を現す、その機神。
荘厳なる銀翼。
「なぁるほど」
そういうことか、と。
孤高の傭兵は一人、空から降りしひとつの影を目に、喜悦の表情を見せる。
「いよいよお出ましかい、大将」
―――交差(クロス)は終わった。
戦士は倒れ、悪鬼は墜ち、少女は影を映して消える。
後は線条が過ぎ去るのみである。
残るのは幕間のみ。
太陽の天使が顕れ、月の女神が微睡みから目覚める。
終局にして開幕の物語が、これより始まる。
【ACT Force:『WHITE & BLACK REFLECTION』-End-】
時系列順で読む
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最終更新:2012年10月08日 01:31