See visionS / Fragments 8 :『あめあがり』- double -◆ANI3oprwOY
◆ ◆ ◆
/あめあがり - double -
◆ ◆ ◆
枢木の運転するジープは、意外と安全運転だった。
さすがに、交差点でいちいち一時停止したりはしなかったし、道路交通法には違反しているのかもしれないけれど
枢木の運転に身の危険を感じることはなかったのだから、この状況下においては安全運転と言っていいだろう。
ルルーシュの残した物を回収する以外に、自動販売機からエナジーフィラーを入手したい。
そのためにまずは象の像へ向かう。
そう言ったきり、枢木は何も言わない。
さっきの、ユーフェミアの件は、宙に浮いたままだ。
気にしている素振りは見せないけれど、気にしていないとは思えない。
冷静になって考えてみると、僕が枢木の胸倉を掴むことができたことがまずおかしくて、
枢木が僕にそうされることを許したということなのかもしれないど、その理由はさっぱり思い当らなかった。
横で運転している枢木を見る。
どこで着替えたのか知らないが、今の枢木はどこにでもいる高校生、もしくは大学生といった出で立ちで
その服装が、なんというか、やや残念な感じのセンスなのだけれど、運転する姿は様になっていて
ファッションの残念さを差し引いてもまだお釣りがくるくらい、男の僕から見てもかっこよかった。
「………なあ、枢木っていくつなんだ?」
「十八、だけど」
「ってことは、免許取ってからそんなに経ってないよな」
「………」
「一年未満でもこんなに運転って上手くなれるんだな」
「………」
「ああ、あのロボット動かすよりは簡単か」
「………」
「………」
なんか、僕だけが喋っていた。
別に、仲良くなりたいだとか嫌われたくないだとか、そんなことを言うつもりはないけれど。
でもやっぱり、気まずいままではいたくない。二人きりだし。
「えっと……ああ、僕の世界、というか、僕の国では車の免許は十八歳になると取れるんだ。
だからその感覚で話してたんだけど、そうだよな。国が違えば法律だって違うもんな。
枢木は何歳で免許取ったんだ?」
「………」
……不味い。
気のせいじゃなければ、さっきよりも沈黙が重くなっている。
さっき式と会話した時のことが嘘のように、今の枢木は表情を変えない。
変わらないから、何を考えてるのかさっぱりわからない。
「えっと、答えたくないなら、別にいいんだけど」
「………ごめん」
なんか、謝られた。
僕はそれを、僕の質問に答えないことに対しての謝罪だと思ったのだけれど、でも違っていた。
枢木の言葉には、まだ続きがあったのだ。
「免許は持ってない」
「……………はい?」
「免許は持ってない」
「運転の経験は?」
「君を乗せる前に三分ほど練習した」
とんでもないことを、さらっと言われた。
よりにもよって、胡散臭いアロハのおっさんに似た声で。
知らないほうがいいことというのが世の中にはあるのだと、僕は身に染みて痛感していた。
「――着いた」
そんな僕をよそに、ジープは停車する。
……うん。間違いなく安全運転だ。
降りると、目の前には象の像。
迷うことなく近くにあった自販機へと歩いていく枢木の後を追う。
自販機で売られている商品は、多種多様。
移動中に枢木が手に入れたいと言っていたエナジーフィラー。
インデックスが言っていた、グラハムさんの機体を修理するのに必要な部品。
『阿良々木暦の私服①』『阿良々木暦の私服②』『阿良々木暦の私服③』なんて物まで入っていた。
僕らがここに来ることがわかっていて、僕らの欲しい物もわかっていて、意図的に揃えたとしか思えないラインナップ。
「手にした成果の分だけは、自由に足掻けということか」
どうやら僕と同じことを思ったらしい枢木が呟く。
成果、なんて言葉は使いたくなかったけれど、だけどそういうことなんだろう。
自販機を使えなくすることくらい簡単にできるはずの連中がそれをせず、
逆にこんな至れり尽くせりな状況にしてくれているのだから。
エナジーフィラーや修理のための部品を購入してもペリカは余るということで、
遠慮なく『阿良々木暦の私服②』を買うことにした。
もともと僕の持ち物なのになんで買わなきゃならないんだとは思ったのだけれど、仕方ない。
周囲に誰もいないことを確認して、象の像の陰で着替えを済ませる。
着替えを終えてみると、てっきり車に乗り込んで待っているものだと思っていた枢木は、まだ自販機の前にいた。
一点を見つめたまま動かない視線の先を追う。
『神聖ブリタニア帝国 第三皇女専任騎士の正装』
商品説明の写真がついてたが、僕の感覚ではコスプレとしか思えないようなデザインの服だった。
ブリタニア帝国っていうのは覚えがある。枢木が騎士をやってるっていう国の名前だったはずだ。
皇女ってのは皇帝の娘のことで、皇帝はあのルルーシュで、って、あれ?
「おい。ルルーシュって子持ちだったのか!?」
「違う」
「え、でも、神聖ブリタニア帝国って、ルルーシュが皇帝で枢木がその騎士なんだよな?」
「この第三皇女というのは、ルルーシュの前の皇帝の治世の時の第三皇女……つまり、ルルーシュの異母妹だ」
「妹……か。あ、そういえば、ユーフェミアも名前、ブリタニアって」
「彼女のことだよ」
「え?」
「
ユーフェミア・リ・ブリタニア。彼女が第三皇女だった」
それは、思いがけない事実だった。
いや、僕が考えたことがなかっただけなんだけれど。
ユーフェミアの名前が全力でネタバレみたいなものだったのだから、気づかなかった僕が間抜けと言っていい。
「知り合い、なのか? ユーフェミアの騎士と」
だけど、僕が本当に間抜けなのは、こんな質問をしてしまったことだろう。
ユーフェミアは言っていたのだ。枢木のことを「騎士だ」と。
なのに、その時の僕は彼女の言葉を『白馬の王子様』みたいな意味だと勘違いして、
枢木が自身をルルーシュの騎士だと発言したこともあって、そのことをすっかり忘れていた。
そして思い出すことはなかった。
思い出していれば何かが変わったのかもしれないけれど、思い出さなかった僕は、ただ枢木の答えを待っていた
「……………知り合いじゃないが、知ってはいる」
随分と間をおいて、枢木はそう答えた。
「どんな奴なんだ?」
「話す必要はない」
明確な拒絶だった。
機密情報だから言えないとかじゃなく、枢木自身の感情で話したくないのだと、そう言われた気がした。
「どんな奴だったのかは、まあ、言わなくてもいいけどさ。でも、ひとつだけ、聞いていいか?」
「……なんだ?」
「枢木にとってその騎士の服が特別なのは、その騎士のためなのか? それとも、ユーフェミアのためなのか?」
「……何故、この服が僕にとって特別という前提なんだ?」
「どうでもいいなら、そんな風に見ないだろ」
枢木の、瞳が揺れた。
まただ。
だけど僕はもう、この揺らぎを不自然だとは思わなかった。
もしかしたら、こっちが本当の『
枢木スザク』なのかもしれない。
「……………」
枢木の手が、自販機にペリカを入れてボタンを押す。
出てきた騎士服を無造作にデイパックへと詰め込むと、枢木はさっさとジープへと向かって歩き出した。
「おい。どうするんだ、それ」
「処分する」
「処分って」
「………これを着るべき者は、もうこの世にはいない」
僕を置いて出発しかねない勢いの枢木を追いかけて、慌ててジープへと乗り込む。
座席に落ち着くよりも早く、車は動き出す。
枢木に僕の質問に答えるつもりはないらしく、だけど僕はそれこそが枢木の答えなのだろうと
何故かなんとなく納得していた。
外を流れる景色を見ながら、「これを着るべき者は、もうこの世にはいない」という枢木の言葉の意味を考える。
ユーフェミアの騎士は死んだ、ということなのだろうか。
それとも、生きてはいるけど何らかの理由で騎士の任を解かれたのか。
正解を導き出すために必要なパーツは全部揃っていたのに、僕は結局最後まで、気づくことはなかったんだ。
◆ ◆ ◆
- 平沢憂 -
時間帯は午後。
普通ならば自動車が交差しているだろう道路。
その脇の歩道を、
平沢憂はひとり歩いていた。
町は変わらず生気がなく、ガランとしている。
広い道に走る車はない。今後、通行することもない。
よってここでは信号を守る必要もなく、事故が起きる危険もない。
法律など、今行われている事象を思えばあまりに遠い言葉だ。
人を守る法は機能せず、身を守れるのは自分か他人しかいないのだから。
それならば、わざわざ歩道を超えて悠々と車道を横切ってしまっても何ら不都合もないのだが、
憂の人生で培われた経験、常識はこんな場所でも彼女に正しい道を使わせている。
特に意識せず、あくまで自然に。彼女は道の端を歩いていた。
「…………」
進める足に行き先があるわけでもなかった。
前の建物にでも戻ってしまおうかというくらい。
行く理由はただ、あの場所にいたくないと思っただけ。
何かに急かされるように。
何かに責められるように。
何に?
そんなものは決まっていた。
(また……逃げ出した……)
あの場所に憂を留めなかったのは、いま憂を責めたてるのは、紛れも無く彼女自身。
(……向き合わなかった……私は……また……)
だから離れた。あの場所を去った。
突発的な不安感で逃げるように後にして、それはだけど失敗だったのかもしれない。
「……………」
自分の両腕を、抱きしめるように強く握る。
行きたくないのは本当だった。その気持ちに嘘はない。
『彼』の残した物と向きあうなんて、まだそんな覚悟はできてない。
だから咄嗟に拒絶してしまって。
なのに、あのとき憂の胸中に渦巻いたのは、言いがたい不安。
目の前の二人、今まで傍にいてくれて、もうすぐ離れてしまう人を見ていると、ひどく恐ろしい気持ちになる。
温かいものが体から抜けていくような思いをなんというのか、上手く言葉にできず、それがよけいに怖かった。
「阿良々木さん……」
気がつけば、なんとも淋しげで、情けない声が唇からこぼれ落ちていた。
時間は本当に僅かなものだろう。
ここで危険を冒すほど無鉄砲でもない、きっとすぐに戻ってくる。
『すぐに戻る』という、彼の言葉通り。
だけど、分かってはいても心は震える。不安が溢れて止まらない。
ふと横を見れば、ビルのガラスに自分自身の姿が映っている。
雨上がり、滅びた街の真ん中で、途方にくれていた。
もう何もない自分、求めた夢が破れ、その残骸だけを今も抱えている、私。
今の自分はなんて弱く、心細いのだろう。
こんな一時的な別行動にも耐えられないなんて。
けれどこれが、今の平沢憂の姿だった。
目をそらし続けていた自分だった。
生きるということは何かを求めるということだ。
何かを求めるならば、それは夢を持つということだ。
切に願う、ということだ。
けれどそれは今の平沢憂から失われた物であり、叶えられる人は、もう居ない。
かつてのように、叶えられる人は、もう、どこにも―――
誰もいない道。空になってしまった、隣の席。
誰かを待っていると。
ひとりになると、また、考えてしまう。
思い出してしまう。
大切な人のことを。
もう、戻らない、誰かのことを。
「…………ぁ」
ふと、ガラスに映った背景が、切り替わる。
今日と同じように、よく晴れた冬の日。
ありふれた日常の世界の中で、ささやかな魔法を見た、いつか。
『―――憂』
耳に残る、誰かの声。
『―――ホワイトクリスマスだよ』
だけど、もう居ない、誰かの言葉。
「………………」
知らず、自分が立ち止まっていることを自覚するまで。
憂には少しだけ、時間が必要だった。
「……っ……ぅ……」
今度はなんとか、蹲りはしなかった。
代わりに強く、強く制服の袖を握りしめる。
ここでもう、誰かの名前を呼ぶことはできない。
思考を停止させ、心を委ねて依存することは、もう許されない。
痛みを、締め付けるような胸の中の痛みを、ただただ感じ続ける。
「まだ、痛い……」
これからは、自分で選ばなければならない。
思いを、失った痛みを、自分で抱えなければならない。
そんな当たり前の事をずっと放棄していた。他人に委ねて楽をしていた。
痛くて、苦しくて、救いがなくても、向かい合わなければならなかったのに。
いま感じる耐え難い痛みも、もっと前に自分一人で受け止めなければ、ならなかった筈なのに。
「分からないよ……阿良々木さん……」
どうしたいか、なんて、まだ何も分かっていない。
心の中は靄がかかっいてて、自分の事なのにはっきりとした答えを出せない。
それでもこうして自分の足で立っている限り、願うものがあるのだろうか。
だからこそ今、自身は生きることを選んでいるのだろうか。
「私は……どうしたらいいのかな……」
いつか思いを受け止める事が、できるのだろうか。
「何を望めばいいのかな……」
それは途方もなく遠い道のりに思えた。
犯した罪は重い。耐えられず、全身の骨が折れてしまいそうなほど。
「何かを望んでも、いいのかな……」
それでも生きて行かなければいけない。
雨の中で、誰かの手を掴んだ、生きたいと願った。
その意味を、嘘にしないなら。
「――?」
そのとき、寂れた十字路を流れる涼風から、僅かな芳香が憂に届いた。
それはきっと、どこにでも在る、ありふれた香りだった。
夕暮れの住宅街を歩いていれば、いつでも感じる、とても懐かしい柔らかな匂い。
「これ――」
ゆっくりと、また足が動き出す。
誘われるままに辿った先にあったのは、一軒の古めかしい喫茶店だった。
そこは憂たちのいたアパートから少し離れていて、ちょうどそこから駅の線路が見える場所に建てられていた。
アンティークな装いは逆に目立ち、今まで気づかなかったのが不思議なくらいだ。
かけられた看板には馴染みの薄い綴りで文字が並んでいる。たぶんドイツ語だろう。
学校での成績は優良といっても流石にドイツ語までは勉強していない。
ただカナはきちんと振ってあり、
またテレビの番組か何かでそれがタイトルになったものを見た憶えがあったから、憂も言葉そのものは知っていた。
「……遺産」
店につけられた名前は、アーネンエルベ。
意味は、過去の記録が埋まった場所。
◆ ◆ ◆
- 阿良々木暦 -
枢木の運転するジープは、南へと向かっていた。
うーん、やはり安全運転。
どうも釈然としない気持ちになる。
そうして着いたのは、広がる海面の他には何もない港跡だった。
海が一面に広がり、打ち寄せる波の音が寄せては引いていく。
そよぐ潮風は鼻と、傷口が完治しきっていない肌をひりつかせる。
地図上では【F-3】に位置するエリア――カジノ船エスポワール号が逗留していた船着場だ。
しかし正確には、僕たちが今いるのはその真横にある【E-3】の工業地帯。
船着場があったエリアは、既にもう無くなっていた。
当初に建てられていた工場群、あるべき大地は消失し、陥没したように大きな穴が開いている。
まるで怪物に丸呑みにでもされたかのような異質な地。
その理由を、僕と枢木は実体験として記憶している。
魔王、
織田信長の強襲に端を発した戦闘。
その最中に起きたエリア一帯の崩落。
二極の災厄に囲まれた結果、F-3エリアは地盤そのものが砕け奈落の底へと落ちていった。
それ以前にも、泊められていたエスポワール号は魔王の剣閃により両断の憂き目に遭い、海の藻屑と化している。
度重なる凄惨な事件の跡地を眺める。
隣では、枢木が双眼鏡を目に当て辺りを見回している。
海を見ているのは何も悲哀に気を沈ませ、黄昏れているわけじゃない。
この広大な、一面、瓦礫の交じる海の中から、あるものを見つけなくてはいけない。
確かに一人でここを見渡すのは大変だろう。
僕を指名したのもやはりそのあたりなのかな、と片隅で考えつつ全周を丹念に観察していく。
度重なる酷使を受けても逆戻る五体。
ぼろ雑巾のように切り刻まれても元の姿に復元する吸血鬼の生態の名残り。
同じように、僕の肉体は常人よりそこそこ優れた性能を有している。
そのひとつが、普通は見れないような遠方の姿を正確に捉えられる並外れた視力だ。
本流の吸血鬼とは及ぶべくもない一欠片であるが、望遠鏡代わりに使うぶんには支障のない。
忘れていたわけではないが、こんな使い道があると中々思いつきはしなかった。
「――あった。
あれのことじゃないか、枢木?」
そして平時よりも鋭敏になった視覚は、枢木より伝えられた姿に合致すると思われる機影を捉えた。
「……ああ。確かに僕の知る姿と一致している。間違いないだろう」
指差した先を双眼鏡で眺めた枢木が答える。
瓦礫が寄り合って生まれた人口と天然が入り混じった浮島に、探し求めたものはあった。
「まさか本当に残っていたとは」
感嘆のような声を洩らす枢木。そこは全く同意見だ。
あの大破壊の中。
一帯が丸ごと藻屑に消えた土地で、まさか『こんなもの』が原型を留めているなんて誰が思おうか。
背景の一部に溶け込んだ夢の島。
一体と化している雑多な瓦礫のパーツの中で、不純物が隠れている。
天地を裏返す波濤の洪水を生き延びた舟は、同胞を迎え
―――この場にいる、生き残っている人物が知る事はない、或る事実。
荒耶宗蓮の発動した会場の仕掛け。
指定したエリアを一瞬で崩壊させる措置は、
忍野メメによる密かな工作により効果を十全に機能し得ないでいた。
崩壊そのものは止められないでいたがその進行速度は大幅に削がれ、行使者の荒耶が死ぬ事で更なる促進もされず、
決定的な亀裂を走らせて以降の推移は、ほぼ自然の流れに任せていたといえよう。
結果として地上の岩盤や工場などの建築物は粉々に砕かれず一定の形状と大きさを保ったままになり、
水没して発生した潮流に乗り海を彷徨い続けた。
崩落から数時間、荒れた海流は元の静けさを取り戻し、数々の残骸は波の流れの過程で引っかかりを繰り返し、
幾つかの小島を形成していたのだった。
そして、それより遡ること数時間前のギャンブル船。
かつて回収した首輪を換金した
ルルーシュ・ランペルージを筆頭とした集団が
ふんだんな資金を用いてホバーベースを始めとした大量の装備を買い揃えた際。
ルルーシュは以前に保有していた揚陸艇を、先に進む折、傍の船着き場に残していた。
移動拠点として申し分のない、実質の上位互換である新型の艦を得た事で、
保有する意味は確かに大きく落ちている。
揚陸艇ほどの巨体は流石にデイバッグに詰まらず、使い道のない不要な装備ではあっただろう。
だがそれで、その程度の理由で、一度手にした己の持ち札を早々に切り捨てるルルーシュなのか。
あらゆるカードを盤上の駒として有用する智の魔王が、様々な思惑、疑心が交錯していた空間内で、
何の保険もかけずに動いていたというのが、有り得ないといえるのか。
当人が死し、埋没しかけていたこの遺物こそがその答え。
自身が不覚を取った場合での緊急時における駆け込み寺。
元より組織していたチームは途中で瓦解する事を前提とした即席のもの。
いつ造反、騙し討ちが起きても不思議はなかった。
注意深い
デュオ・マックスウェルやステルスを持つ
東横桃子がいたので、支給品を密かに残しておく事は出来ず
セーフティ以上の措置はないが、隠しの備えとして十分以上の意味を持っていた。
ゼロと1では出発点からして違う。ベット出来る元手があるとないとでは話の次元が異なってくる。
道具さえあれば、逆転の好機は常に残されているのだ。
燃料はまだ余裕があるから航行には不自由しないし、居住スペースも存分に確保されている。
それにこれは元々はナイトメアフレームを収容する為の船であり、整備用の設備も揃えてある。
ナイトメアが運用下になった時点でこの布石が要ると睨んでいた、ルルーシュならではの周到さだった。
平沢憂も
秋山澪も、東横桃子も
両儀式も気づかずいつからか忘却していた存在。
唯一該当するといえばデュオ・マックスウェルくらいのものだが、それも可能性での話。
木の葉は森に隠せというように、ホバーベースという巨大な隠れ蓑で、小さな痕跡を掻き消したのだ。
かくして時を経て、王の遺産は騎士の手に入る。
託された希望は、確かに次に渡った。
入れるように小さな船体を水辺に揺らしていた。
◆ ◆ ◆
- 平沢憂 -
店内は外装と同じく、西洋的で落ち着きのある雰囲気だった。
照明の類はどういうわけかほとんどなく、明かりは外の陽の光にのみ頼っているという構造をしていた。
今は雨上がりの強い陽射しだからいいけれど、曇りの日はどうするのだろうかと少し疑問に思った。
特に仄暗いカウンターの奥、たぶん厨房だろうか――その奥から湯気が立ち込めている。
そっと中を覗いてみると、奥のほうでもぞもぞと小さな影が動いている。
「……土鍋もあるのか。都合がいいな。洋食しかないと思ってけど、意外と和食用の器もあるもんだな。
しかしなんでこんな梅ばっかり詰まってるんだ? 梅漬けのサンドイッチでも作る気だったのか。
まあ付け合わせの具にするのが丁度いいか」
業務用の大型の冷蔵庫を漁る和服の女性。
手にとった食材を吟味して、次から次へと調理場に置いていっている両儀式がそこにいた。
何も言わずに姿を消していたが、割りと近い場所にいたようだ。
しかし、ひょっとしてと、憂は困惑に似た思いを抱く。
彼女は、ずっとここで料理の準備をしていたのだろうか……?
入り口から覗いている存在に気付いたのか、前を向いていた式の首がこちらへと回る。
鋭く尖った瞳が、穿つように憂を見た。
「何か用か?」
「えっと、あの…………何してるんですか」
何も浮かばず、つい咄嗟の疑問を口にしてしまう。
見たままの状況から、ましてや家事に慣れ親しんでいれば、想像出来ないわけもないのに。
「何してるように見えるんだ」
「……料理、です」
「分かってるじゃないか」
わかりきった問答だ。
特に用がないと思ったのか、式は視線を元に戻し食材集めを続行してしまう。
既に憂への関心は消え、見向きもしないでいる。
両儀式は自分が必要と思った事しかやろうとしない性格だと、エピオンを修理する試みの最中、阿良々木暦は言っていた。
つまりは、ここで料理を作るのが彼女のやりたい事だということなのだろうか。
まさかさっきのマンションで着替えをしたのも、このためだったというのか。
その行動は甚だ不可解、不思議なものとして、憂には映った。
「じゃあ……何で、こんな事してるんですか?」
先ほどとは少し意味を変えた質問を投げかけてみた。
殺し合いの只中で、限りある猶予時間で、何故その選択をしたのか。
すると式は顔を上げ体ごと振り返った。
食材の選別が済んだからだろうが、改めて正面に向かれると緊張する。
人形めいた顔立ちに綺麗に揃えられた身体は、だからこそ威圧感が強い。
「腹が減ったら食べるのは当たり前だろ。
バッグにあった分は食べきってもうなかったし、自分で作ろうとしただけだ。
これ、そんなに変な事か?」
「……え……い、いえ」
きょとんとした顔で、ごく自然に式はそう答えた。
憂もまともに返答が出来ず、ただ立ち尽くしてしまう。
空腹だったから何か食べようとした。
手持ちがなかったので適当に探していたら、近くに馴染みの店があったので失敬した。
理路整然としていた。疑うものなどない、まったく自然の成り行きだった
お腹が減ったらご飯を食べる。悩むまでもない、シンプルな行動。
普通に生きてれば、特に考えもせず行なっている日常の習慣。
殺し合いという非日常とそれを通している両儀式(かのじょ)は、果たして異常なのか。
そんな事はない。
生きてればお腹が空く。生きたいからこそ人は食事を求める。
災害時だろうが殺し合いの只中だろうがそれは誰にも、何にも冒されない人として普遍のことだ。
憂だって、例外ではない。
特別な意識もせず、ただ誰かに食べて欲しくて手料理を振舞っていた。
あの時も、きっと、そうだったのだから。
『――――憂』
何かを望む、ということ。
まだ、見えないけれど。
「……あ」
何一つ、分からないけれど。
だけど胸に、わずかな衝動が、あった。
「あ、あのっ」
走り抜けた胸の痛みより、僅かにその衝動が勝ったのか。
気づけば、一歩、前に踏み出していた。
戦う意志も生きる覚悟も、まだ漠然としていて、どうすればいいのかなんて分からない。
傷の痛みは残ったままで、苦しみが抜ける日が来るなんて今は信じられない。
「みんなの分も作ってるんですよね。手伝います、わたし。料理は得意ですから」
だからせめて、今は自分がしたいと感じた事を。
今はただの勢い任せだけど、やりたいと思った事だけは、素直に向き合いたい。
贖罪だとは思わない。
それは重々しい気持ちとは何一つ関係のない事柄。
控えめながらも自分で決めた意志だったから。
「…………」
式はやはり無表情のまま黙って憂を見つめ、
「やっぱり、必要なんてないじゃないか」
誰にも聞こえない言葉を、ぼそりと呟いた。
「え?」
「いいよ。手伝いたいなら勝手にすればいい」
ぶっきらぼうに言い放ち後ろを向いてしまう式。
声に不快な感じはしなかったし、許可をもらったのなら大丈夫だろうか。
手を洗い、台所にかかっていたエプロンを取り出して身に纏い、調理場に入る。
そして既に調理器具を手にしている式の隣に並び、食材を持った。
特別な意識が芽生えもしない。
今だけの共通の目的で彼女らは一緒にいる。
こうして小さな厨房の中で、二人の少女による、初めての共同作業が始まった。
――――そうして、暫く時間が経ち。
「胡椒」
「あ、はい。どうぞ」
調理はスムーズに進んでいった。
二人とも最低限の言葉を交わすのみで、滞り無く作業に集中していた。
平沢家の家事は憂が一手に引き受けてるといってよく、料理にも覚えがある。
献立は式が粗方決めていたので、憂はそれを補助していくように動くだけでよかったのも要因だろう。
しかし何より憂が驚いたのは、式の料理の手捌きであった。
料亭の板前も顔負けの腕前、それも和食に特化しているというおかしな振り分けだ。
趣味や家事を続けていたでは済まされないレベルであり、とにかく憂が日々行う調理とは一線を画していたのだ。
曰く、元々家が両家で舌が肥えているので味の善し悪しにはうるさいのだという。
他人の食事や店のものなら何でもいいが、自分で作る場合は自分で納得出来るものじゃないと満足出来ないのだとか。
それで自然と技量が上がったという事らしい。
つい気が入りすぎたのか、なんとデザートにまで着手したのだからもう感心する他ない。
「ふぅ……」
椅子にもたれた憂が大きく息をつく。
大まかな作業を済ませて、ひとまずは調理は完了した。
後はひと煮立ちさせて二人の帰還を待つのみ。
壁にかけられて時計の針を見れば、開始してから随分と進んでいる。
現状を考えてなるべく手間と時間のかからない料理を選んだのに三十分ほどは経っている。
式のこだわりように引っ張られ、ついこちらも気が入りすぎたのかもしれない。
時間が空いて、自分がこれほど作業に没頭していた事に憂は気付いた。
悲嘆や苦悶などという感情は、その間だけ、感じずにいられた。
余計な思考は入らず、ただ目の前の事にのみ取り組んでいた。
考えていたのは、より良い味付けや食材の切り方、どの食器に乗せようかなんてものばかり。
共同者と相談したりして、料理を美味しく作ろうという思いだけだった。
忙しい時間を超えて落ち着きを取り戻した脳は、色んな思い出を自動的に回想していく。
フィルムを回すみたいに流れていく光景。
それは紛れもなく自分の遍歴。他人事ではない平沢憂の過去。
いろんな人がいて、とても大切な人がいた。
浮かんでは消えていく誰彼の顔で目に止まったのは、袂を分かった先輩の、決意の姿。
大切な人を失っても、自分と違い思いを捨てずに戦っていた人。
味方する人がみな死に、孤立無援になってしまった彼女は、今どうしているのだろうか。
「式さん。あれから、澪さんと会ってますか?」
微かな期待を抱いて、隣のテーブルの席に座って動かずにいる式に聞いてみた。
禄に話を交わしてない相手に、最初は言葉が詰まったけど、少しは打ち解けられたかも知れない。
友達になる時間も、仲間と呼べる様になる猶予も、きっと残されてはいないだろうけれど。
式は顔も合わせず、けれどきちんとした声で、もう会った、と答えてくれた。
「けど、何処に行ったかなんてのは知らない。
船の方で少し別れてたら、あっちから勝手に行っちまった」
放送後しばらくは行動を共にしていたが、唐突に姿を消してしまったと言う。
船というのはホバーベースのことなのか。
『―――――最後まで、俺を裏切るな』
心を抉る記憶に憂の肩が震える。
首を振って、振り払った。
今は隣にいる人との会話の途中で、だから囚われちゃいけないと。
「どうして、行っちゃったんでしょうか」
「さあな。一緒にいたくないから独りになったんだろ」
素っ気なく返される。けれど確かにその通りだと憂は思う。
「……そう、ですね」
焼け落ちた残骸を前に、秋山澪に去来したのはどんな感情だったのか。
そして彼女は、これから一体、どんな道を選ぶのだろうか。
「また逢いたいのか、あいつに」
「……分かりません。
もし会ったとしても、私はどんな顔をして、会えばいいのか……」
一日半の短い時間であったたくさんの出来事。
天地が逆転するほどの衝撃の連続は、二人の距離を断崖の端同士にまで離されてしまった。
あの日には、あの場所には、もう戻れはしない。
失う痛みは多すぎて、欠けた孔には、お互い、未知の悲劇ばかりを詰め込まれた。
他愛もない毎日。当たり前で、だからこそいつまでも続いて欲しいと願った世界。
あの輝く宝石のような幸せは、しかし今はもう、とても遠い。
その事実を噛み締め、眼の奥がじわりと熱くなっていくけれど、どうしてか涙が流れる事は無かった。
ゆらゆらとのぼる湯気が、換気扇に吸い込まれていく。
聞こえるのは外へ流れる風の音と、かたかたと揺れる鍋の蓋だけ。
憂も式もそれ以降は何も語らず、緩慢に過ぎていく時をただ待っていた。
時系列順で読む
投下順で読む
最終更新:2013年09月08日 00:38