それは、あまりにも突然すぎた。
小説とかなら少しずつ張られた伏線が爆発してこうなるのだろうが、現実は違う。
現に張本人である彼らは、誰もがこんな事態になるとは予想だにしていなかった。
楽しい修学旅行もいよいよ一日目が終わる、そんな頃の筈だ。
―――観光バスの中で、何か白いもやの様なものが見えたところまでは覚えている。
そこで彼らは意識を失い、気が付けばどこかの古びた教会の座椅子に拘束されていた。
何が起きたのかなんて、誰にもわからない。
クラス委員長の緒方時宗(男子1番)は、自分がこの異常事態を解決しなければならないと躍起になっていた。
いつもは頼れる相方である向日葵(女子9番)でさえも、流石に不安そうな面持ちを見せる。
それもそうだと時宗は思う。
だって、いくら何でもやり過ぎだ。
修学旅行を盛り上げるためのイベントなのだとしたら、ちょっと度が過ぎている。
「ったく、どうなってるんだ……」
手足を縛られているせいで何の動作も出来ないが、もしも手足が動いたなら頭を掻く動作をしただろう。
時宗達の動きを阻害している拘束は、ロープというよりワイヤーのようだった。
固い結び目がいくつもあるせいで、どこから手をつけていいのかもわからない。
屈強な運動部連中も、今回ばかりは大人しくせざるを得ないようだった。
「とっきー、これ……なんなんだろうね?」
向日葵と書いて、『ひまわり』と読むのではない。
珍しい名前だと誰もが称するが、『むかいひあおい』というフルネームを表しているのだ。
名前をからかわれているところを助けに入ってから、時宗と葵は仲良くなった。
……今では、頼れる立派な助手だ。
「首輪みたいだけどな。手が動かせないから、力ずくで外すこともできない」
肌から感じる質感と見た目からして、恐らくは金属製のそれだろうと時宗は推測する。
金属でできているのなら、もしかすると外そうと足掻くこと自体無駄なのかもしれない。
生徒に首輪を付けるなんて、教師がするとは思えないのだが。
時宗たち――3年C組の担任教師・工藤新二は教育指南書なんてものを出版するほど有名な人物だ。
何でも、不良だらけの学校へ飛ばされて、そこを県に轟くエリート校へ変えたとか。
およそ教育者なら誰もが尊敬する、義理と人情に厚い熱血教師。
そんな工藤が、こんな行き過ぎた冗談をやるとは時宗には信じられなかった。
大体、他の二組は何をしているのか。
これは――本当にただのイベントなのだろうか。
「うわ、須郷くんとかすっごい怒ってるよ……あぁもう、後が大変だなぁ」
須郷臨(男子4番)は、比較的平和とされる彼らの学校『私立若草高等学校』において最大クラスの不良生徒だ。
普段はその本性を見せないが、キレさせると武芸に長けた工藤でさえ無傷では抑え込めないとか。
現に時宗と葵も、須郷の機嫌を収めるのにかなりの苦労をした覚えがある。
普通にしていれば、ちょっと無愛想なだけで悪いやつではないのだが……。
「あの須郷が暴れようとして外れないんだ。尚更、俺達じゃ外せそうにないな、これとこれ」
とりあえず、状況は八方塞がりだ。
時宗は一度心を落ち着けて、周囲を見回してみる。
――――自分たちがいるこの場所が教会であることは分かる。
相当埃を被ってはいるものの、未だ鈍い輝きを持った十字架。
蜘蛛の巣が貼られてあっても、どこか神秘的な光を通すステンドグラス。
問題は、自分たちの修学旅行先にこんな古びた教会があったかということだ。
旅行先は東京都。
首都ともあろう場所に、ここまでボロボロの教会など果たしてあるのだろうか……?
「なんか怖いよ、とっきー」
葵が目尻を下げた、お化け屋敷に入った時のような不安に満ちた表情をしている。
向日葵は元々、そこまで心の強い人間ではない。
ぼーっとしているように見えて意外と繊細な面を併せ持っていることを、付き合いの長い時宗は知っていた。
「大丈夫だよ、葵。いざとなったら、俺がどうにかするから」
時宗がそう答えると、葵は嬉しそうに表情を綻ばせた。
この顔が、時宗はたまらなく大好きだった。
彼女に密かに想いを寄せているのも――この無防備な顔に、惹かれたからだ。
修学旅行の最中にでも告白するつもりだった。
それがこんなことになって……正直、時宗の内心は穏やかではない。
内申とか関係なしに、このイベントを組んだ教師にはガチ説教をくれてやるつもりだった。
と、緒方時宗が沸々と怒りを燃やしていたところ、ようやく彼の望んだ事態の進展がやってきた。
教会の奥、本来神父が立つ筈の壇の扉から、一人の女が姿を表したのだ。
その女に、少なくとも若草高校に通う者ならば誰もが見覚えくらいはあったろう。
サイコパス。そう陰口を叩かれる、文字通りの異常な教師。
宿題を忘れた生徒を夜中まで残してみたり、一日に十数枚のプリントを宿題としてやらせてみたり。
色白な素肌が日本人形のようで、綺麗というより不気味な風貌をした女。
泉井弘美(理科教師)がそこにいた。
彼女には色々な噂がある。
クラス委員長としては注意するべきところなのだが、『あの』泉井と考えればどれもそこそこの信憑性があった。
なんでも、理科室に他校の生徒を閉じ込めて人体実験をしているとか。
証拠として青い液体の入った注射器を理科室で入手したと自慢をしていた生徒が、翌日謎の失踪を遂げたとか。
――サイコパスの教師。
もはや彼女の存在は、一つの怪談話にまでなっていた。
泉井は出席簿のような長方形の大きなそれを持ちながら、壇の上のテーブルにばん、とそれを置く。
須郷が食って掛からないのは、泉井弘美という人物の異常性を彼も知っているからだろうか。
獅子は、頭がいい。
本能に刻まれた危険を察知して、そういうものには近付かないものだ。
「……あら。静かにしてくれてありがとう。先生とっても嬉しいわ」
にぃぃぃ、という笑顔もちっとも微笑ましくない。
彼女がすれば、どんな表情であっても殺しに掛かってくる一秒前のような危険性を孕んでいる。
――あれ? と、この時点で何人かの生徒が不可解なことに気付く。
それは、この教会に立ち込める奇妙な臭いだった。
臭いものを隠すために、香水をビンごとかけたような臭い。
甘ったるくて、空気が濁っている。
「修学旅行の最中ごめんなさい。あなたたちには、今日ちょっと私の実験に付き合って貰うわ。……ああ、心配しないで。先生方はみんな公認よ。警察にもちゃぁんと圧力が掛かっているでしょうから。
そんな顔しないで。実験が終わったら、修学旅行に合流してくれて構わないんだからね」
実験――その単語に、にわかにざわめきが大きくなる。
不穏な響きを孕んだ単語に、時宗は背筋を虫が這い回るような悪寒を覚えた。
だってそうだろう?
修学旅行の真っ最中に、理科の授業をするなんてことはありえないんだから――――。
「皆さんには、これから最後の一人になるまでこの『島』で
殺し合いをして貰います」
しーん。そんな擬音がお似合いだろう不気味な静寂が訪れた。
島。その言葉は、時宗にこの状況を理解させた。
他にも察しのいい連中なら理解していただろう。
記憶に残っている、バスの中で突然現れた白いもやが何であるかを。
「皆さんを睡眠ガスで眠らせて、それから船で運び込んだの。……殺し合いの為にね」
緒方時宗は思い出していた。
昔、これにとてもよく似た設定の本を読んだことを。
黒い表紙で、やけに分厚い本だったのを覚えている。
とても残酷なストーリーだった。
まさか、あれを再現しようというのか。
だとすればこれは、クラス委員長として、それ以前に一人の人間として止めなくてはならない。
時宗が泉井に向けて抗議の言葉を発しようとしたその時、泉井は足元にあった『何か』を邪魔臭そうに蹴り飛ばす。
――――それは、やけに赤い色をしていた。
人間のような形をしているが体の所々に穴を開けられ、そこから赤黒い液体を流している。
眼球のあっただろう場所は空洞になって、しかもその片方の穴からは灰色のどろりとした物体が露出していた。
脳髄だ。あれは、人間の脳髄なのだ。
この上なく残酷なやり方で殺されたあの死体に大量の香水をかけた臭いが――この、甘ったるい香りの正体。
そして、あれが誰であるかなんて、もう考えるまでもない。
「工藤先生……!!」
工藤新二が死んでいた。
マシンガンで撃たれたのだろう傷口と、乱暴な手術で負っただろう痛ましい傷口を晒して。
表情さえも窺えないほどに損壊した肉体で、天下の熱血教師は死んでいた。
きゃああああああああああ、と悲鳴があがる。
泉井は眉ひとつ動かさずに工藤の死体を蹴りつけると、つまらなそうに言った。
まるで道に居た蟻を潰したような気軽さで、言ってのけた。
「みんな承諾してくれたのにね、この男だけは頑なに反対したのよ。未来ある子どもを~とかなんとか言ってね。鬱陶しいから殺しちゃった。うふふ、眼球のサンプルはきっちり戴いたけれど」
狂ってやがる。
誰かがそう言ったのが、やけに時宗には大きく聞こえた。
噂は本当だったんだ。泉井弘美は、人の命なんてもの何とも思わないサイコパスの殺人教師だった!
それに他の全員が賛成し、警察も黙認したということは、彼女は結構な発言権を持っているのだろうか。
いや、そんなことはどうでもいい。今は、この状況をどうするかが先だ。
泉井の人となりを考えるに、情け容赦をかけてくれるとはとても思えない。
間違いなく殺し合いは始められ、最後の一人になるまで実験を終了させるようなことはないだろう。
どうすればいい。
どうすれば、全員揃ってこの悪夢から抜け出すことが出来る……?
思案に耽る時宗を余所に、泉井は彼らに巻かれている首輪と同じ物を取り出した。
それを思い切り、渾身の力でテーブルに叩きつける。
すると、首輪は電子音を放ちながら点滅し始めるではないか。
時宗には、この意味が分かる。
昔読んだ小説と同じだからだ。
予想を裏切らずに、泉井に放り投げられた首輪は、空中で鈍い音を響かせて弾け飛んだ。
「その首輪はこの通り爆弾になっているわ。無理に外そうとしたり、強い衝撃を与えると爆発する」
実験を不正に終了させようとする輩を抑制するための措置。
合理的ではあるが、人道的ではとてもなかった。
「ほんとは見せしめを出すのが定例なんだけど……まあ、今回はいいわ。人数もそう多くないしね」
事も無さげに言う泉井だったが、生徒達が受けている衝撃はとても大きなものだった。
葵の方をちらりと見れば、彼女は歯をがちがちと五月蝿いくらいに鳴らして震えている。
股間には染みが出来ていて、黄色い液体が足を伝って床に水溜まりを作っていた。
失禁癖――それも、向日葵が昔いじめられていた理由の一つであることを時宗は思い出す。
そして、泉井弘美への怒りをより一層高ぶらせた。
――向日葵には、排泄障害という大きなハンディがある。
強い恐怖を感じた時に、どうしてか分からないが排泄の自由が効かなくなってしまうのだ。
お化け屋敷や心霊映像なら大丈夫で、人間が強く関わっている恐怖においてのみ、発生する。
中学一年生の頃に、彼女はクラスで喧嘩を吹っ掛けられた。
クラスのリーダー格だった女子生徒が、因縁をつけて集団で彼女へと絡んだのだ。
その時、葵は自らの恐怖に敗北した。
皆が見ている前で小便を漏らし、大便を垂れ流した。
それを面白がった女子生徒が彼女の汚物をゴム手袋か何かで掴み出し、全員に見せつけた――あの事件。
下着を剥ぎ取り、全員の前で彼女を辱しめたあの事件。
大便を散々クラスの人間に見せ付け、最後にはそれを――葵の口へと放り込んだ。
無理やり顎を動かさせてそれを咀嚼させ、飲み込ませた。
汚物まみれになった口腔内とその口臭を嗅いで、散々罵倒した。
結局、その一件で緒方時宗は名門高校への進学を諦めることになった。
彼女に喧嘩を吹っ掛けた女子全員の顔面を、整形が必要になるまで破壊した。
両の手足を、二度と運動が出来ないレベルまで砕いた。
性器を破壊した。
それぞれ片方ずつの眼球に裁縫針を打ち込んだ。
リーダーの女子は、事態が明るみになった後にももう一度襲撃をくれてやった。
二目と見れない顔になっていたそいつを襲撃して、殴って蹴って切って焼いて殴って。
結局そいつは自分の醜さに発狂して、服毒自殺を計り植物状態になったらしい。
警察沙汰にならなかったのは少年法と、金持ちの親が大金を積んでくれたからだ。
時宗はやり過ぎだとは今でも思っていない。
それから葵が失禁と脱糞にまで至ったのは――もう、数えるのも億劫なくらいの回数だ。
両手足の指を合わせても、まだ足りないくらいの回数。
それ以降、彼は決めているのだ。
向日葵を傷つける全ての存在は、抹消すべしと。
彼女を苛めようものなら、闇討ちをする。
転校の手続きも時宗が親に頼んでやらせたし、同じ学校に念を入れて自分も一緒に転校した。
そして、今に至る。
緒方時宗は――葵を傷つけた泉井弘美を許さないことを決めた。
「……うふふ。それじゃあルールの説明に移るわね」
泉井は各々恐怖や激情を示す生徒たちを愉しそうに一瞥して、大袈裟に右手をあげた。
怒りも猛々だが、時宗は冷静さを失わない。
ここで取り乱しても、泉井の得にしかならないのだ。
それで葵が殺されてしまうようなことがあれば、自分はそれこそ本当に自殺しなければならなくなる。
「まず、所持品は全部没収させて貰ったわ。こっちの用意したデイパックに、ランダムに武器やアイテムを割り振ってあなた達に渡す。……当たりもあれば外れもあることを忘れないでね?」
当たりといえば、やはり銃だろう。
逆に外れといえば――なんだろう。殺し合いに使えないものだろうか。
葵を守るのが最大条件とはいえ、時宗とてクラス委員長としての責任をしっかり持っている。
出来るなら、クラスメイトを一人も欠けさせずに全員で一矢を報いてやりたかった。
「次に、皆さんには地図をデイパックに入れて配らせて貰うんだけど、六時間が経つごとにこちらから死者の数と詳細を告げる放送をするの。その時、『禁止エリア』というものについても設定するわ。
禁止エリアに侵入すれば首輪が爆発する。これは覆しようのない事実よ」
……殺し合いをより加速させるための、禁止エリア。
首輪が爆発すれば、あれだけの威力なのだ、屈強な肉体を持っていても即死は免れないだろう。
なんてことだ――時宗は思わず頭を抱えたくなった。
次の瞬間、全ての説明が終わったからだろうか。
首輪からバチリ、と鋭い電気の音がして、無理矢理に意識を断絶させられた。
眩む視界は最後まで、大好きな少女の方を向いている。
守らないと。全部守って、泉井弘美に報復しないと。
使命感に満ちた表情のまま、緒方時宗は意識を失った。
そして、バトルロワイアル実験は此処に幕を開けたのである。
【加藤新二 死亡】
【実験開始】
最終更新:2012年12月30日 18:43