一人の人間がそこにいた。
人間は巨大な、それこそスポーツドームにでも設備されているもののように巨大なモニターの前で座っていた。
肘掛に腕を置いて臍の前で手を組み、モデルのように長くアスリートのように鍛えられた足を組み、優雅に椅子に座している。
視線はモニターの真ん中にとまっているが、不思議なことにモニターは何も映さず闇をたたえているだけだ。
人間はそれでも見ていた。
モニターを。
これから始まるゲームに想いを馳せながら。
「君は誰が生き残ると思う?」
人間に、不意に言葉が掛かる。
野太く、それでいて機械が発したような無機質な声。
場には誰もいないはずなのに、声だけが響いた。
その事態に人間は僅かな動揺もなく、それがさも当然のように対応した。
視線は変わらずモニターに残したまま、口を開く。
「難しい質問だな。ふむ、正直に言えば『分からない』……それが答えだ」
言葉に淀みはなかった。
透き通るような声が場に響く。
人間以外に誰もいない空間に。
寂しく広がっていく。
「『分からない』……か」
「さっきのはは全てを知った上での質問か? 君はこのゲームの結末が分かっているのか?」
「ああ、『分かっている』」
「……そうか」
声が続く。
姿なき存在と人間との会話。
闇に包まれての会話は、誰にも届くことはない。
「不思議なものだ。残虐なルールを定義し、狭い箱庭に人々を閉じ込める―――ただそれだけで人々は己を見失い、変わってしまう。弱く、脆く、儚い存在だ」
「それが人間というものだ。……だが、どんな物事にも例外があるように、人間にだって例外が存在する。いかな状況にあっても、己を曲げぬ存在がね」
「己を曲げぬ、か。……本当に存在するのかな、そのような存在が」
無機質な声にようたく感情らしきものが芽生える。
人間の言った内容に、思うところがあるらしい。
「君も知っているじゃないか。彼もその一人だよ」
「彼は、己を曲げないのではない。曲げられないのだよ。いや、曲げられなかったというほうが正しいか」
人間の小さな笑い声が響く。
確かに無機質な声の言った通りだったからだ。
「ハハ、言えてるな。だが、そんな人間こそこのゲームでは輝くだろうさ」
「この陰鬱な遊戯の中だからこそか……ふむ、一理あるな。だが光輝くといっても、それで生き残れるという訳ではない。
光り輝き、目立つからこそあっさりと逝ってしまうのだと、私は提言するよ」
声は、それきり途切れてしまう。
再び、痛いほどの沈黙が場を支配する。
無音。
声はおろか、何らかの音すらもしない世界。
人間だけが手を組み合わせて、場に居座る。
「大半はそうだろうね。でも、私は思わずにはいられない」
人間がポツリと呟いた。
今度こそ、誰かに聞かせることを目的としたわけではない、本当の意味での独り言だ。
「『アイデンティティ』を有し、己を確立し、己を貫いた者にこそ生き延びて欲しい……そうあって欲しいと、私は思うよ」
それきり人間も口を閉ざす。
静寂と暗闇の中、静寂と暗闇だけを映すモニターを見詰めて、人間が座る。
始まりは目前へと近づいていた。
◇
―――HOHOHO!! 楽しい、楽しい、ゲームの始まりだ!!
◇
ブルース・ウェイン―――いや、バットマンは気付けば木椅子に座らされていた。
クッションも肘掛もない、無骨で安上がりな木椅子だ。
客をもてなすには到底相応しくない椅子に、何時もどおりのマスクとマントとスーツを装着して座する。
周囲にはバットマン同様に木椅子に座る人々がいた。
数は三十四。
近くの友人と声を掛け合わせる者や、警戒の眼差しで周囲を探る者……人々の反応は様々だ。
だが、全員に共通しているのは決して椅子から立とうとしない事。
バットマンは小さく息を吐き、己の丹田に力を吸い込むように息を吸った。
直後、バットマンの身体に力がこもる。
大の大人五人分はあろうかという常人離れした力。
身体が一回りほど膨れるが、それでもバットマンの身体自体はピクリとも動かなかった。
何故なら、彼の身体には一本の光の輪っかが着けられているから。
小さなフラフープを思い描いてもらえると分かり易いか。
彼の身体と木椅子の背もたれとを、その小さな光るフラフープが縫い付けているのだ。
加えてそのフラフープは頑丈。
バットマンの怪力をもってして、まるでビクともしやしない。
数秒ほどの渾身の後に、バットマンは力を抜いた。
上昇する心拍を感じながら、周囲に視線を撒く。
周りの人々も彼同様に輪で繋がれ、身動きがとれないようであった。
「さて、そろそろ頃合かな。まだ目を覚ましていない者もいるが、流石に時間切れだ。ゲームを始めよう」
拘束された人々しかいないそこに、声が響いた。
スピーカーからだ。
よくよく見ると部屋の正面にはスピーカーと一台のモニターがある。
声に次いで、モニターに明かりが灯った。
「私の名前はオジマンディアス。殆どの者とは初めましてになるのか。まぁ良い。私が今回のゲームの主催者だ」
モニターに映ったのは、整った顔立ちの男であった。
美男子であり、かつ妙齢の落ち着きも有している。
成る程、この顔で甘い言葉の一つも囁けば大半の女性は『コロリ』といってしまうだろう。
「今回、君達をこうして集めたのは他でもない。とあるゲームに参加して欲しくてね。それで少しばかり拉致させてもらった」
だが、モニター越しから届いた声は女性を蕩かせる甘い言葉ではなかった。
拉致。
不穏な雰囲気を含んだ言葉に、誰かの息を呑む音が聞こえた。
次いですすり泣くような声も。
そちらを見ている余裕はバットマンにはなかった。
男の言葉に何かキーワードのようなものがないか耳をそばだてていた。
「ゲームのルールは簡潔だ。『
殺し合い、生き残れ』―――それだけだ」
その言葉に、すすり泣きすらも消えた。
バットマンも一瞬ではあるものの驚愕に思考を止めた。
殺し合い、生き残れ。
意味は分かるが、頭が、正常な理性がそれを受け入れようとしない。
「この場にいる三十四人で殺し合い、生き残った者だけを解放する。それ以外のルールはなしだ。どんな残虐で姑息な手を使用しても構わない。
ああ、勿論、勝ち残った者への報酬はある。何でも好きな願い事を一つだけ叶えよう。何でも、そう何でも、だ。願いはどんなに荒唐無稽なものでも構わない。
今すぐ海賊王にしろでも、七十年前のあの時代に戻せでも、自分を『人間』に戻せでも、だ」
続く言葉が紡がれた時には、バットマンは自身を取り戻していた。
冷静に男を観察し、その表情や声色を探る。
だが、そう意外なことに、男の様子に狂った様子はなかった。
男は全くの素面で全てを語っている。
それは男の中では有り得る出来事なのか、それとも本当の意味で男が狂ってしまっているのか、バットマンの観察眼をもってしても判別ができなかった。
「食料と水は十分に用意する。それと殺し合いの会場となる場所の地図もだ。時間に制限はないが、食料には限りがある。その事を考慮して動いて欲しい」
着々と進行していく場に、声を挟む者はいなかった。
語り終えた男は人々を見回し、薄い笑顔を浮かべる。
人々の反応に満足しているのか、それとも語りたい事を語れた満足感なのか。
分からない。分からない事ばかりだ。
聞こえていたすすり泣きは、もはやただの泣き声と変化している。
当然だ。こんな異常事態に平静でいられるものこそ、普通ではない。
「―――と、一つ大事なルールを伝え忘れていた」
深刻な事態にバットマンが灼熱の感情を沸きあがらせたその時だ。
オジマンディアスは、本当に今思い出したかのように声を紡いだ。
モニターが切り替わる。
男の表情から一枚のダブレット端末へと画面がすり替わる。
その画面には様々な名前が記載されていた。
そして、それぞれの名前の横には赤色と青色の丸印があった。
「これは一つの救済処置だ。殺し合い以外の生存方法といっても良い」
その言葉に俄然人々は注目を向けた。
直前までの絶望感を消し去る、先ほど説明されたゲームとやらを根幹から揺るがすルールの出現だ。
注目するなという方が無理な話だ。
「さて、今見てもらっているこれは参加者名簿というものだ。これも各自に配布しようと考えている。
よく見てくれ。皆の名前の横に赤色の○と青色の○があると思う。○の種類は三種類。赤と青と黒だけだ。これ以外には存在しない。
そいて……そうだな、この○から赤色が消え去った時、つまりは全てが青色か黒色になった時に、会場からの出口が出現する。その出口を潜れば、晴れてゲームから解放だ。
出口を潜った全ての者は生還させよう。優勝者への特典もそのまま贈呈しよう」
内容はシンプルだった。
名簿の○印が青と黒に染まれば殺し合いは終了。
全ての者は生存できる。
単純だが、重大なルール……そして、それは大きな
『希望』となるルールであった。
「赤と青に区分けされているが、そこには『定義』がある。ある一定の『ルール』に従い、君達は区分されている。それぞれの色は『定義』に従って変化することがある。
赤だった人物が青に、青だった人物が赤にといった具合にだ。その『定義』の詳細を語る事はできないが、判断するのは私だ。私の判断で赤と青の区分は実施される。
心配しないでくれ。私は『定義』に従い、公平に区分を実施していくつもりだ。色が変化されたと確認された人物は、その都度端末で変更を知らせ、名簿の色も変更される。
『定義』について推理し、参加者間で協議するのは君達の自由だ。私達は何ら関与しない」
ようするに陣取りゲームのようなものだ。
ただ青色と赤色に分けられる『定義』を解読し、それに参加者達が従っていく必要がある。
名簿を見れば既に半分程は青○で染まっている。
その『定義』とやらもそう難しいものではないのだろう。
バットマンは僅かに安堵を覚えた。
「最後に黒○の『定義』だけは教えておこうか。―――『黒○=死者』だ。死んだ者は黒○に変化する」
だが、安堵も一瞬で凍り付いた。
タイムリミットは存在するのだ。
殺し合いが拡大し、もうどうにも止められなくなる前に。
それよりも早く『定義』を解読し、殺し合いを阻止せねばいけない。
「さぁ、始まりだ。君達の選択を見届けさせてもらおう」
始まる。
十数分前までとは違う、三十三の命を救うための戦い。
戦場はゴッサムではなく、見知らぬ会場。
青と赤に分けられた戦場で、謎を解き、全てを救う。
「―――願わくば、己を確立し、己を貫いて欲しい。私は、そう、願っている」
決意するバットマンの耳に届いた最後の声は、何故だか祈るように聞こえた。
◇
「追加のルールか。考えたものだな」
そして、場に残されるは人間が一人。
先までは沈黙を貫いていたモニターは遂に稼動を始め、参加者の動向を逐一捕捉していた。
それらモニターを眺める人間。
響く声は、やはり人間の発したものではなかった。
「私のこんな思いつきなど既に予測していたのだろう? 笑っても良いさ。こんなもの、矮小な人間の気まぐれでしかない」
人間は自嘲を零して、小さく笑った。
「そうだな。だが、これこそが君の知りたかった答えなのだろう? なら、それで良い。小さな箱庭の、矮小な『神』よ」
声は平坦なものであった。
「貫き通せるものかな。人は」
答えは無かった。
絶望的なゲームをモニターに収めて、『人間』はそれを見詰める。
一筋の涙が、その頬を伝っていく。
その涙の正体を知るのは、人間と声の主くらいであろう。
人間が、人間にしかなれなかった存在が、モニターを見詰め続けていた。
【アイデンティティ・バトルロワイアル―――開催】
最終更新:2013年02月04日 22:26