たまにはどこにも行かず、二人でゆったりと映画鑑賞にしゃれ込む。
そんな休日。
蒼星石のマスターがレンタルショップから借りてきたDVDを取り出し、セットした。
蒼:「どんな映画なの? これ」
蒼星石の問いに、マスターがDVDのパッケージの宣伝文句に目を通しながら答える。
マ:「一人の男の、波乱な人生を綴った感動巨編だって。割と評判いいぞ」
蒼:「ふーん」
やがて映画が始まった。
二時間後……
テレビ画面にはエンドロールが流れている。
マスターが言ったとおり、一人の男の、子供時代から老人時代までの波乱万丈な一生を収めた作品だった。
マ:「なかなか面白かったな」
マスターは満足そうにDVDを片付け始めた。
蒼:「……」
マ:「どうした? 面白くなかった?」
蒼:「ううん、面白かったよ。でも…」
マ:「でも?」
蒼:「最後、主人公の男の人、死んじゃったよね。お爺さんになって」
マ:「ああ、まぁ……死んじゃったな。でも天寿を全うできたんだから、いい終わり方だろ」
映画の主人公は、時に訪れる数奇な運命に真っ向から挑み、時に笑い、時に涙し、
時に愛され、時に憎まれ、時に倒れ、時に起き上がり、最後は満足しながら老衰を迎えたのだった。
まさに感動巨編の名に恥じない名作と言える作品だった。
蒼:「……」
しかし、蒼星石の表情はすぐれない。
いったい、蒼星石はこの映画から何を感じ取ったのかだろうか。
マ:「えーと、次は」
そんな蒼星石を慮ったのか、マスターは次のDVDを取り出した。
マ:「これは面白いぞ。傑作コメディーだ」
蒼:「マスター、知ってるの?」
マ:「ああ、昔見たことあるんだよ。ぜひ蒼星石にも見せたくてね。借りてきたんだ」
蒼:「ふ、ふふ……あはは!」
マ:「はっはっはっ」
マスターの借りてきたコメディー映画は、先程の蒼星石の暗鬱とした表情を見事晴らした。
蒼:「おかしいっ」
蒼星石の楽しそうな表情に、マスターはホッと胸をなでおろす。
その日の深夜。
蒼星石は夢を見た。
森の中、マスターと蒼星石が道を歩いている。
蒼星石はマスターの顔を見上げた。
マスターはニコニコしていた。
道中、一輪の花が咲いているのを見つけた。
マスターが花の傍らで立ち止まり、二人でそれを見やる。
そして、二人は互いに顔を見合わせると、にっこりと微笑み合った。
ある時。
蒼星石がマスターの歩くスピードについていけず、遅れ気味になった。
マスターは立ち止まって蒼星石が追いつくのを待った。
蒼星石が追いつくと、二人は手を繋いだ。
そして、再び歩き出した。
空が曇り、雨が降ってきた。
マスターは蒼星石を抱きかかえ、木の下で
雨宿りを始めた。
蒼星石が濡れないよう、凍えないよう、マスターはしっかりと蒼星石を抱き包む。
蒼星石はすまなさそうにマスターを見上げた。
マスターは蒼星石に微笑み、愛おしそうに頭を撫でた。
二人は森の中を歩き続けた。
時にマスターは蒼星石を抱っこしながら。
時に二人並んで手を繋ぎながら。
ある時、ふと、蒼星石はマスターを見上げた。
マスターは相変わらずニコニコしていた。
だが、マスターの顔に、見慣れないシワが数本、刻まれていることに気付いた。
マスターが蒼星石の視線に気付き、にっこり笑った。
蒼星石は慌ててマスターから目を逸らした。
二人は森の中を歩き続けた。
雨の日も、風の日も、時に雷鳴が轟く日などもあったが、その度に立ち止まり、
休憩し、励ましあい、ただその時が過ぎ去るのを待った。
二人は延々と森の中を歩き続けた。
だが退屈はしなかった。
蒼星石にはマスターが、マスターには蒼星石がいるから。
ある時。
マスターは抱っこしてた蒼星石を下に降ろした。
まだ抱っこして歩き始めてから少ししか経っていないのに。
マスターは額に汗を浮かべ、荒く息をついている。
蒼星石は心配げにマスターを見上げた。
マスターは、ばつが悪そうに、微笑んだ。
それ以来、マスターが蒼星石を抱いたまま歩くことは無くなった。
二人は手を繋いで歩き続けた。
いつしか、マスターの顔に刻まれたシワの数と深さは顕著になり、背筋も曲がっていた。
蒼星石がマスターを見上げた。
マスターは『どうした?』と微笑み返した。
蒼星石も微笑み、『なんでもない』と首を振った。
ある時。
マスターが蒼星石の歩くスピードについていけず、手を引っ張られてしまった。
たまらず片膝をつくマスター。
蒼星石は慌ててマスターに駆け寄った。
マスターは息を整え、再び立ち上がった。
その時から、蒼星石はマスターの歩幅に合わせるよう、ゆっくりと歩くようになった。
二人は手を繋いで歩き続けた。
休憩を挟むことが頻繁になったが、それでも着実に前へと進んだ。
そして、ついに。
マスターが立ち止まり、前方を指差した。
指差すほうへ蒼星石が視線を向ける。
森を抜けた先に、花畑が広がっていた。
花々の鮮やかな色彩に、一瞬目を輝かせる蒼星石だったが、
急に色を失い、心配げにマスターを見やった。
マスターは蒼星石に微笑み、歩みを再開させた。
しかし、蒼星石は歩こうとしない。
そればかりか、繋いでる手を引っ張ってマスターの歩みを止めようとした。
なぜだかわからないが、蒼星石は胸騒ぎがしていた。
マスターは振り向き、蒼星石の前で屈んだ。
そして、俯く蒼星石の頭を愛おしげに撫でた。
すっかり肉が痩け、ゴツゴツした老人の手で。
マ:「歩こう」
嗄れ声でマスターは言った。
そして優しげに微笑む。
そのいつまでも変わらない微笑みが、蒼星石の不安をかき消した。
蒼星石は意を決して歩みを再開させる。
再開するより他無いのだから。
蒼星石とマスターは森を抜け、花畑に足を踏み入れた。
ついに終着点に辿りついたのだ。
感無量の面持ちで蒼星石はマスターの方を向い……
マスターはいなかった。
蒼星石は辺りを見渡した。
ついさっきまでマスターと手を繋いでいたのに……
マスターばかりか、たった今抜けたばかりの森も消失していた。
何が起きたのかわからず、茫然自失する蒼星石。
蒼星石はもう一度、辺りを見回した。
言いようの無い喪失感が、蒼星石の心を蝕み始めた。
居た堪れず、蒼星石は駆け出そうとし…
その瞬間、何か硬いものがつま先にぶつかった。
足元に目を落とす。
草花の間に何かが転がっている。
目を凝らす。
そこには……骨が。
人間の骨が。
頭蓋骨。
……マスター
蒼星石は絶叫した。
蒼星石の悲鳴に、マスターが跳ね起きた。
マ:「なんだ、なんだ!?」
マスターは急いで蒼星石の眠る鞄を開ける。
そこには涙を流して震える蒼星石がいた。
マ:「また怖い夢でも見たのか?」
蒼:「う、あ、ああ」
酷く怯えているようだ。
マスターは蒼星石を抱き上げた。
マ:「もう大丈夫だからな。大丈夫」
まるで夜鳴きした赤ん坊をあやすように、マスターは蒼星石をあやした。
蒼星石はマスターの胸の中で咽び泣いた。
マ:「どうした、お前がこんなに泣くなんて」
マスターの問いにも、肩を震わせて咽び泣く蒼星石の耳には入ってないようだった。
しばらくそのまま、マスターは蒼星石をあやし続けた。
けれでも一向に蒼星石は泣き止まない。
マスターはすっかり困ってしまった様子だった。
マスターは蒼星石を抱いたままキッチンへ連れていった。
蒼星石を食卓の椅子に座らせ、何やらごそごそと用意し始める。
マ:「ほれ、これ飲めば多少、落ち着くぞ」
マスターはホットミルクを差し出し、蒼星石の隣に座った。
マ:「なぁ、いい加減泣き止めよ。たかが夢だろう?」
蒼:「う、うう、ひっく、夢なんかじゃ、ない…」
マ:「? どゆこと?」
蒼:「う、うう…マスターが…ひっく」
マ:「俺が?」
蒼:「いなくなっちゃうんだ、う、ううう。ぐす」
マスターは小さく溜め息をついた。
マ:「俺はどこにもいかないよ」
蒼:「違う! マスターは、いなくなっちゃうんだ…」
マ:「?」
蒼:「歳を取って、お爺さんになって、そして……いなくなっちゃうんだ…う…うっう、ひっく」
マスターは、今日観た、男の一生を綴った映画を思い出した。
マ:「俺が年老いて死ぬ夢でもみたのか?」
蒼星石は泣きながらコクンと頷いた。
マ:「別に、俺は今すぐ死ぬわけじゃないだろう?」
蒼:「マスターは歳を取っていくのに、僕は、そのままだった…」
マ:「……」
蒼:「年老いてくマスターを、僕はただ見てるだけしか出来なかった……」
マ:「…老いはどうにもならない。蒼星石は何にも悪くないよ」
蒼:「でも、いやだよ……」
泣き止むかに見えた蒼星石は再び泣き始めた。
マスターは考えた。
蒼星石は今まで幾多のマスターと死別を繰り返してきたはずだ。
その悲しみが募り、今爆発してしまったのだろうか。
蒼:「うっう、せめて、僕もマスターと一緒に歳を取りたい。人間になりたいよ」
マ:「蒼星石」
蒼:「マスター…うっう、ぐす…」
湧き上がった感情を抑えきれず、マスターは蒼星石を抱きしめた。
マ:「蒼星石、実は……」
喉まで出掛かった言葉を、マスターは慌てて飲み込んだ。
一呼吸置き、言葉を紡いでいく。
マ:「蒼星石、いつか死が、俺らを分かつ日がやってくるのは……確かだろう。
俺だって、それを考えたら、そりゃ、怖いし、悲しい。
でもな、しょうがないことなんだ」
蒼:「そんなのやだよ…」
マ:「しょうがないことなんだよ、蒼星石。しょうがないことなんだ」
蒼:「うっ、う」
マ:「だから、だからさ、そんな悲しいこと考えてる暇があったら、
二人でたくさん思い出作ってだ。
なんて言うかさ、限られた時間をな、あー、なんて言うんだ?
有益に使うことに……
そう、有益に使うことに……専念した方が遥かにいいと思わないか?
だからさ、こう、なんだ、出来る限りイチャイチャしてさ。
あ、いやいや、何しろ、時間は限られてるわけだろ?
だからさ、あー、なんて言えばいんだ」
蒼:「マスターの言いたいこと、なんとなくわかるよ」
マ:「そうか、よかった…」
マスターはホッと息をついた。
蒼:「……僕、もしかして、マスターを…今、もの凄く困らせてる…?」
マ:「ちょっとね」
マスターは照れくさそうに微笑んだ。
蒼:「…ごめんなさい、マスター…」
マ:「いいんだ。いいんだよ。…これも後で、いい思い出になるんだからさ…」
マスターは、より一層強く蒼星石を抱きしめた。
終わり
最終更新:2007年02月01日 00:09