special past episode 1
◆『風魔血風録・紅左眼』◆
「…お尋ねします」
岩牢――左目に眼帯をした少年は、格子越しに、枷をはめられ、壁に繋がれた傷だらけの青年に語りかけた。
「あなたの名を、お教え下さい」
しかし、青年は目をつむり、下を向いたまま返事をすることはなく――
少年はギュッと拳を握ると、今一度尋ねる。
「あなたはいずれの国から参ったのですか?」
やはり、青年に反応はない――。
「…やはり、私が子供だからお答え頂けないのでしょうか…
しかし、仕方がないのです。なぜか、あなたの言葉を理解できるのは私だけなのですから…」
その青年は、東方の島国・朱夏の宰相、五大老が一家・月如家の敷地にどこからともなく現れ、
手ひどい傷を負い倒れていたところを捕縛されたのであった。
少年はクッと息を飲みこみ、思い切った風に背筋を正して告げた。
「処置はしたものの、あなたの傷は深い。このままでは…
それに、この朱夏の刑部たる月如の地に、謂われなく踏み入った者が生きて帰ることは叶いません。
このままだと、あなたは七日後に処刑されます。
話して頂ければあるいは… どうか話しては頂けないでしょうか?」
しかし、青年は黙し、目をつむるばかり。
「それと…あの時、あなたは私を見て『良かった』、と――あれは、どういう意味なのですか?」
「…………」
ふと、下を向く青年の長い前髪が揺れたような気がしたが、やはりその口が開かれる事はなかった。
少年は、更に辛抱強く問いかけたが、青年は石の様な沈黙で答えるのみだった。
「――刻限でございます」
日暮れとなり、牢の外で待っていた牢番が、その日の尋問の終わりを告げに来る。
すると青年は、首をもたげ、牢番に鋭い眼差しを向ける。牢番は一瞬ビクリとたじろぎ、少年に告げた。
「…若様、お戻りを」
「そうですか… また…明日来ます」
青年は、肩を小さくして去る少年と牢番の背中を、冷たい瞳で見つめていた。
少年が去り、明かりが消えた岩牢に濃い闇が落ちる。
ふと、闇に青白い炎が灯ったかと思うと、その光は次第に大きくなり、人の形となっていく――
光が、口をきいた。
――意地の悪い奴じゃ 少しは答えてやってもよかろうに。
「去れ」
青年の、低く凛と澄んだ声が岩牢に響く。
「――化け狐」
――ホホ、云うわ。この国では殿の寵愛賜りし『桜花御前』の名で通っておるのじゃがの。
そう邪険にするな。おった時は違えど、同じ世界より来たよしみじゃろうに。
「知らんな。それに、あんたやここの奴らが俺の敵と繋がってないとも言い切れん」
いつの間にやら、美しい女の姿を現していた光は、桜色の袖を振りつつ笑う。
――ホホホ、敵…な。その“呪い”にも似た胸の傷、余程の手練れであったのじゃろうな。
何度も言うたが、どれだけ意志が強かろうが所詮そなたは人、あの童の申す通りじゃ。
そのままでは、死ぬぞ?
青年は返事をすることはなかったが、その目は――ここで死ぬつもりはない――そう語っていた。
――勇ましい事よ。しかしあの童、確かに“それ”のようじゃ。
数奇よの… “あの事”、とくと、思案するが良いて。
女はそう言って、燐光を残し闇へと消え去った。
翌日、少年は再び牢の前に坐し、青年に語りかけていた。しかし、青年は変わらず黙したまま。
一体どうすれば――少年もまた黙してしまう。
重く落ちる静寂――暫くして、少年がポツリと言った。
「やはり、人様のことをお尋ねするのに、自分をことを話さないのは虫の良い話ですね…
よろしければ、私の話を聞いていただけますか?」
青年は返事をしなかったが、少年は構わず続けた。
「私は、黒羽丸と申します。私は――でくのぼう、なのだそうです」
少年は、訥々と自身の生い立ちを話し始めた。
武家の名家に生まれたものの、生来の気質故か、剣が苦手であること。
左眼に、この国では不吉とされる凶兆を持って生まれたが為に、左の眼を封じられていること――。
剣も使えず凶兆まで持つ、故に父より役立たずのでくのぼうと呼ばれ、
そんな自分を生んでしまった母は何かと叱責を受け、辛い思いをさせてしまっていること――。
「此度のお役目は そんな私が初めて頂けたもの…
ですから私はお家の為、この使命だけは命に代えても果たしたいと――」
そう俯き加減で淡々と語る少年の目は昏く、どこか別の場所を見ているようで――
ふと、少年の声が流れるばかりであった岩牢の空気が、ピリリとはじけた。
「――餓鬼が、命を語るな」
顔を上げる少年――見ると、青年は相変わらず下を向いたままであったが、
垂れた前髪に隠れた瞳はしかと少年を見つめていた。
「家の為… 役目の為… 命は、そんなものの為にあるんじゃない」
突然の青年の言葉に、少年はキョトンとしていたが、すぐに愛らしい笑顔を浮かべた。
「やっと、口をきいてくれましたね」
その後も少年は熱心に語り続けたが、結局その日は、それ以上青年が口を開く事はなかった。
日が暮れ、迎えの牢番が来ると、少年は格子越しに食事を差し出した。
「あなたは…優しい方なのですね。今日はこれにて下がります。
できればお食事をお取りください。…お体に障りますから」
そう言って去る少年の背中は、なんだか少しだけはずんで見えた。
翌日、食事がひと齧りだけ減っていた。
それを見た少年は喜び、更に様々なことを青年に語った。
厳しい父のこと、優しい母のこと、自分の好きなとっておきの風景のこと――
青年が時折、微かに見せる小さな反応を楽しみつつ、自分の思い出を確かめ、噛みしめるかのように――。
少年が話し、青年が聞く、そこに言葉のやりとりはなかったが、
不思議とそれが自然な事である様な、そんな時間が過ぎていった。
そんな二人のやり取りは、翌日も、その次の日も続いたが、
最後には決まって夢から覚めたように少年の目に昏い影が落ち、少年は俯いて岩牢を後にするのだった。
六日目、少年はいつものように語り続けていたが、
その熱を持った言葉の裏には、焦りのようなものが見え隠れしていた。
突然、そんな少年の言葉を、青年が制した。
「…もういい、お前の言葉は全てまやかしだ――言え、お前はどうしたい」
虚をつかれた少年は、目を見開き、下をむいて黙りこむ。
そのまま、どれ程経ったか――長い沈黙の後、少年は拳を強く握りしめて言った。
あなたの――お命を頂きたい、と。
「――申し訳ございません。
私は父より、あなたから情報を引出した後、私の手で…斬り捨てるよう命を受けております」
黙して少年を見つめる青年――。
「私の家は刑部と共に 国敵を闇に葬る暗部でもあるのです。
これは私への罰であり、私に人を殺められるのかを試す、最後の試験――」
鋭く刺さる青年の視線――震える少年の拳――。
「先月――母が自害いたしました」
少年の封じられていない方の瞳に、昏い影がおちる。
「きっと、いつまでたってもお家の役に立つことのできない私に絶望されたのでしょうね…
そして、あなたが現れた…」
「母の事で、落胆と共にお怒りになられていた父上は、
私にこれ以上生きる価値があるか試すことを思いつかれたのです――
期限は七日… その間にあなたの命を奪えなければ――私の命が絶たれることとなっております」
青年は、黙って少年の言葉を聞き続ける。
「月如は主家を護る為にあり――人を殺める覚悟を持たぬ者に――
使命を果たせぬ者に、この家で生きる価値はありません。
父は厳しい方です… このお役目を終えても私がお許し頂けるかはわかりませんが、
母の無念を晴らすためにも、私はこのお役目を全うしたいと思っておりました――」
少年はそう言うと――
「しかし、困りました。やはり私は、あなたの命を奪いたくないのです」
――にこりと笑った。
「あなたは、きっと優しい方です。
私のようなでくのぼうが生きるため、あなたが命を落とす…そんなことが――」
「――くだらんな」
青年の冷たい声が、それ以上の少年の言葉を制した。
「前にも言った。家の為、役目の為――そんなものは本当の“使命”ではない」
「しかし…」
「…昔、お前のように家に命を捧げた者がいた。だが、その命が散っても何も残りはしなかった――
格好などどうでもいい、何の為でもない、自分の命の使い道は自分で決めろ」
青年が顔を上げる。
「――もう一度聞く、お前はどうしたい」
目を見開き地面を見つめる少年。少年を射る青年の瞳。
少年は両の拳を地面に叩きつけ、顔をくしゃくしゃに歪ませて叫んだ。
「私は――私は、生きたいです…! でくのぼうのまま 終わりたくない…!!」
岩牢に響き渡る少年の嗚咽――。
「お前がそう望んだのなら、それがお前の使命だ」
蝋燭の明かりが作り出す影に阻まれ、青年の表情は見えない。
しかし、その言葉には、僅かながら、笑顔が見えた気がした。
その日の刻限、牢番に連れられて去る少年に、青年が告げた。
「明日の刻限、それまでに心を決めろ。…俺も、このまま死ぬつもりはないがな」
そう話す青年の眼は穏やかだった。
そして、振り向いた少年は、赤く腫らした目を真っ直ぐ青年に向け、コクリとうなずいた。
岩牢に闇が落ち、ふわりと狐火が灯る。
――ホホホ、いよいよじゃな。どうじゃ、心は決まったか?
「あぁ、一撃を穿つ力は残してある」
最後の日、少年と青年は一言も口をきかぬまま過ごした。そして刻限近く、青年が口を開く。
「…決めたのか?」
「はい」
少年は、青年を真っ直ぐに見つめ、
「私は 生きることにしました」
そう言った。そして、牢番を呼びつけた少年は、牢を開け、青年の枷に、手をかける。
「しかし、あなたにも生きていただくことにしました。
私は未熟者故、これが正しいことなのかは分かりませんが、あなたの言葉を聞いて思ったのです――
どうせ命を懸けるなら、父上にあなたの酌量を掛け合ってみようと」
少年は、照れたような笑顔を浮かべ青年に言った。
「――最後に、お名前をお聞かせ下さいませんか?」
「…俺の名は、死ぬ者と、主となる者にしか教えられん」
そうですか――そう言って、少年は少し寂しそうに笑った。
「牢番、枷の鍵を」
少年の呼びかけに、牢番が無言で格子を潜り、少年の側に立つ。
しかし、その手に握られていたものは、鍵ではなく、薄ら光る白刃――。
「……何を…」
「若様… 残念でございます。その選択はお館様がお望みの道ではございません――
全ては月如の為、お恨みなさいますな」
少年に振り下ろされる斬刃――鈍い残響――飛び散る赤沫――。
「やっとか――いい加減、その小汚い殺気には嫌気が差していたところだ」
刃を受けたのは青年の枷――しかしその凶刃は、枷を砕き、袈裟切りに青年の胴を切り裂いていた。
少年は絶句し、急ぎ青年を支える。
「心配するな。“呪い”で動かん体だが、一撃を穿つ力は残しておいた」
言葉と共に巻き起こる一陣の風――いったい何が…
理解する事もなく静かに落ちる牢番の首。
ドゥッと倒れこむ青年――その手には、いつの間に奪い取ったのか、牢番の刀。
少年は、青年に駆け寄り、その身を助け起こす。
「なぜ…!?」
「前に話した者… お前は“あいつ”を思い出させる……あの日、初めてお前を見た時も――」
青年は、息荒く続ける。
「お前は自分の意志で生きたいと言った――だから、俺はお前を助けた。
あいつは…助けてやれなかったからな…」
青年の体が、徐々に冷たくなっていく。
「…お前は本物の“使命”を選んだ――俺は…そう思う」
岩牢の異変を察し集まる武士達。しかし少年は目もくれず、涙を浮かべ青年に語りかける。
「私に…命の使い方を説いたあなたが、ここで死ぬというのですか…?」
青年の口元が、微かに笑ったように見えた。
「……言ったはずだ。死ぬつもりはない……俺には果たさなければならない事がある。
だから、俺の命を…ここで使うことにした――少し遠い、耳をかせ…」
頭を傾ける少年に青年は何かを告げ、少年は決意の表情で頷く。
青年は、そっと少年の眼帯に手をかけ、それをずらすと、現れた左の紅と右の青灰――
両方の瞳を見つめて言った。
「お前には、俺の弟に似て主の器量があるようだ。お前を主と認めよう。オレの名は――」
岩牢を埋め尽くす紅い光――目を覆う武士達――気を失う少年――。
光が収まると、残光の中に、凛と刀を手にした青年が立っていた――その体には傷一つなく――。
青年を囲む武士たちが、次々と刀を抜き構える。
「言葉は通じんようだが、死すべき者には名乗ろうか――十三代目、風魔小太郎…参る」
数刻後、赤く染まった岩牢に、少年と、その傍にかしずく青年の姿があった。
ふと、そのそばに蒼い燐光が灯る。
――ホホ、派手にやったの。やはり、人をやめたか。
「…あぁ、あんたの言った事――本当だったようだな」
――無礼な、当然じゃ。その童の母の、命を駆けての願いじゃ、無下にするのも寝覚めが悪かろう?
そういってホホホと女が笑う。
――さて、その童の身は妾が引受けよう。
そやつの紅き力には覚えがある…おそらく、その『持ち主』にもな――あやつには借りがあるでの。
「…どうするつもりだ?」
――そうよな…その力、この世界では、まだ人の目に触れさせるのは危険じゃ。
この国の姫同様、人目の届かぬ地下にでも隠そうかの。
…しかし、不憫なことよ。その姫といい、そやつといい、いったい何故に――
そなたもじゃ、その道は険しいぞ? ここで、死んでおれば楽だったと思う程にな。
「…かもしれないな。だが――」
青年は、少年のずれた眼帯に手を当て、そっと戻す。
「こいつはこれからも多くの過ちを犯すのだろうが、俺は、こいつの命の使い道を見届けたくなった…
今度こそ…それまでは――」
そう言って青年は、もう二度と自分の為に誰かが流す事はないであろう、そう思っていた少年の涙を拭い、
女と共に蒼い燐光を残し、闇に消えた。
――fin
最終更新:2017年03月11日 13:44