special past episode 1
◆『砂漠の風』◆
霞のように揺れ薄らぐ意識の中、少年は、自分を背負う男の横顔をぼんやりと見つめていた。
時折、男の首筋に大きくこびりついた赤い固まりがザリっと少年の頬をひっかき、
その度に、遠のく意識が呼び戻される。
――団長…こんなに血が…。
「しっかし頑丈だなお前、普通なら死んでるぞ。
さすがは我らヘルマン傭兵団の一員ってとこか? なぁバルド」
冗談めかした調子で少年に語りかける男。その言葉に少年は力なく笑い返すが、
意識が戻る度、その心は自分の軽率な行動で男を傷つけてしまった後悔でつぶれそうになる。
この人に認められたい、喜んでもらいたい、そうじゃなくても、少しでいいからこの人の役に立ちたい――
そんな思いが強すぎたのか、少年は、団長であるこの男の指示以上に敵陣に近づき、
結果、砲撃が集中する只中へと追いつめられ、こうして満身創痍の状態で助け出された。
「ま、帰ったら説教だがな。いってぇ拳骨、覚悟しとけよ?」
戦線を抜けて二日。とっくに撤退した友軍とは遠く離れ、男と少年の前には何もない平原が広がるのみ。
このままでは二人とも――。
男は明るく少年に話しかけるが、その顔色は悪く、無理をしているのは明らかだった。
結局、またこうして自分はこの人に迷惑をかけている――
この人は、見ず知らずの自分を戦場で拾い、育ててくれた。
そして今回も、命令無視の結果孤立した自分を、死を顧みず砲撃の嵐の中に飛び込み、助け出してくれた。
この人はいつも自分を助けてくれて、自分はいつもこの人の足を引っ張ってばかり…
何も返すことができない――男の背で、少年の心は暗く沈んだ。
ふと、風が吹いた。
まだ、頭がぼやけているのか、その風は少年の片方の紅い瞳に、見たこともない金糸雀色に映った。
少年が風のことを告げると、男は「色がついた風なぁ…
お前、面白れぇもん見えるんだなぁ」と笑った後、「風… あぁ、そうか… クソ…」と気色ばんだ。
風は、暫く何かを調べているかのように二人の周囲を回った後、
突然、体を押し戻す程の向かい風となり二人に立ちはだかった。
進むな、これ以上生きようとするな、先には災いが待つだけだ――
そう告げるように、風は、強く強く吹いた。あまりの風に男の体がガクンと沈む。
「…団長!」
力なく呼び掛ける少年。男はニヤリと笑顔を浮かべて言った。
「すげぇなこりゃ、やっぱりか… こいつはハルピューイだ」
心が弱ると、それを見透かしたハルピューイがやって来て、魂を冥界に連れ去ってしまう――
戦場を渡り、戦う者達に伝わる風の伝説――。
「だからよ、戦士はハルピューイが吹いた時こそ心を引き締めるのさ。
魂を持って行かれねぇようにな。弱気になるんじゃねぇぞバルド、お前は助かる 」
強風は二人に襲いかかり続けたが、暫くすると、決して歩みを止めない男に呆れたように吹き止んだ。
ハルピューイは諦めたのだろうか――しかし、今度は二人の後ろから碧玉色の突風が吹き荒れた。
災いに立ち向かおうというのか、いいだろう、
ならば災いの向こうにある不幸へと、疾く招き入れてやる――
そう言っているかのように、風は二人を追い立てる。
しかし、男は背から少年をおろして抱きかかえると、しっかりと足を踏みしめ、
その風にも好きにはさせないとばかりに抗った。
「うはは! 今日のハルピューイはしつこいぜ!」
団長は気づいていないのだろうか… この風はおかしい… 伝説やお伽話なんかじゃない――。
暫く二人が耐えていると、吹き疲れたように風が止んだ。
今度こそ終わり――違う、この不気味な静けさは――二人に緊張が走る。
来た――フッと二人の頬をなでる風。
これはさっきの金糸雀色の――いや、それよりは少し赤みがかった――
風は次第に強くなり、雲を呼び、凄まじい嵐となって二人を取り囲んだ。
「まいったな、どうあっても俺らの魂をもって行きたいらしいや」
おどけつつも必死の表情を浮かべる男。
ダメだ… このままじゃ団長が――少年は、男に自分を置いていくように叫ぶ。
しかし、それを聞いた男は、さらに力を込めて少年を抱え込み、
「おまえ、このヘルマン団長を舐めてんのか? かわいそうにな。
帰ったときの拳骨が増えちまったみてぇだぞ」
と笑って見せた。
その笑顔に怒ったのか、風は更に強く吹きすさび、二人の体を締め上げる。
ハルピューイ! オレの魂をやる! だから、この人は連れて行かないで!――少年が叫ぶ。
しかし暴風はその声を飲みこみ、更に更に強く、風自身が千切れそうな程に吹き荒れる。
風に混ざった石や砂が、男の傷ついた体を更に削り、皮膚を、肉を刻み続ける。
しかしどれ程傷つこうとも、いや、傷つく程に、男は少年を強く抱え、
少年を傷つけさせまいと大きく覆いかぶさった。
もういい… もう放してよ… お願い…だよ――次第に意識が遠のく少年。
ぼんやりとした視界の中で、金糸雀色の風と碧玉色の風が、猛り狂う仄赤い嵐に混ざりあい吹いていた――
いや、あれは、嵐を止めようとしているのだろうか――団長…
「おい 起きろバルド」
男に呼ばれ、少年は目覚めた。
嵐はすっかり止んでおり、空は先ほどまでの事が嘘だったかのように晴れ渡っている。
少年を背負う男が、満面の笑顔で言った。
「ほれ、あきらめなかった俺たちに、ハルピューイ達から贈り物だぜ」
男が指差す先には、見たこともない大きな虹、そしてその下には味方の野営地が――。
「さぁもうひと踏ん張りだ、気張れよ!」
やっぱり、この人はすごい。いつか自分もこの人みたいに――そしていつか、この人の助けになる男に――
少年はドロドロの顔に輝かんばかりの笑顔を浮かべ、大きく頷いた。
* * * *
少年は、再びあの平原を歩いていた。あの頃より少し背が高くなった少年は、懐かしそうに平原を見渡す。
しかしその目の輝きは、霧掛かったように失われ、何かに怒りを燃やしているようでもあり、
何かを諦めてしまっているようでもあり――。
ふと、風が吹いた。
「いたいた、やっと見つけた。久しぶりだね」
少年の前に現れる金糸雀色の風をまとった少女。
「…あんた、言葉が話せるんだな」
「なにそれ、驚かないの? 子供の癖にずいぶん落ち着いちゃってさ」
少女は宙を舞い、美しい翼を広げて笑う。
「今日はひとりなんだ。前に一緒にいた男は?」
「死んだよ」
「へぇ、あの時はがんばったのにね。で、アンタはここで何してるの?」
「あの時… 渡しそびれた魂を返しにきたんだ」
不思議そうな顔をする少女に、少年は真剣な眼差しで語りかけた。
「あんたらハルピューイは、戦士の魂を冥界に運ぶんだろ?
オレの魂を渡す、だから――あの人の魂を戻してくれないか?」
少女は、初め言葉の意味が解らないといった様子できょとんとしていたが、
その意味を悟ると、くるりと一度宙を回って答えた。
「無理ね。できない」
「…なんとか、ならないか?」
「ならないかな」
食い下がっては見たものの、
少年はそのようなことは初めから解っていたとでも言うように自嘲気味に笑い、更に少女に告げた。
「なら… ならオレの魂をあの人のところへ連れて行ってくれ」
少年の言葉に、首を傾げる少女。
「オレはあの人に命を拾ってもらった。だからあの人の為に生きなきゃと思ってた。
けど、それももうできない… できた事なんて…なかったかな…
この世界で、あの人だけがオレに生きてもいいと言ってくれたんだ… でも…
なぁ、あの時連れ去ろうとしてた魂だ。それならできるだろ?」
少女は、何か考えるようなそぶりをした後、宙を二回まわって笑った。
「アハハ、アンタの魂なんかいらないよ。アタシは弱った戦士や旅人の魂を運ぶのが仕事なの」
「なら…」
「アンタ、何か勘違いしてるんじゃない?
アタシ達はあの時、アンタじゃなくてあの男の魂を奪いに来たの」
予想外の少女の言葉に、戸惑う少年。
「あの男の魂はとっくに死んでた。
戦いで、命を奪うことでしか生をつなぐことができない自分に疲れ果てていたの。
アタシ達はね、そういう戦士の魂をつれていくのよ」
そんな――少年は驚いたように目を見開いた。
「でもね、あの時、あの男の魂はどうやっても連れて行くことができなかった。アンタのせいよ。
あの男はアンタを見る度、アンタが傷つく度に、魂の輝きを取り戻して生きようとしてた。つまり逆――」
少女は言った――
「――アンタがね あの男を生かしてたの」
――立ちすくむ少年。
「…オレが…」
少年は、両手で顔を覆い、下を向いた。
「…そっか… オレが、団長の…」
顔を覆い、崩れ、膝をつく少年を、少女はバツが悪そうに見下ろしていたが、
ふと何かを思い出したように言った。
「そうそう、そんなことよりさ、アタシ、アンタを探してたの。
アンタのせいで、アタシの下の妹がどっかいっちゃったんだよね。あの時、アンタ達の魂が輝きだして――
特にアンタが気を失いながら出した紅い光を見たとたん、あの子おかしくなっちゃったのよ」
「紅い…」
少しだけ顔を上げる少年。
「アタシはあの紅い光を知ってる… でも、良く似てるけど、アンタのは少しそれとは違うみたい…
なんにせよね、アンタのその光を追ってけば、あの子に会える気がするの。
だから一緒にいさせてもらおうと思って。できるんでしょ? 契約」
「…契約…? 一緒にって… けど、オレは…」
「けど、何よ」
少女は宙を舞いながら、歌うように言った。
「あればなんでもいいんじゃない? 生きる意味なんてさ。復讐でも、なんでも」
少年は暫く下を向いたままじっとしていたが、ゆっくりと立ち上がり、
涙で汚れた顔を隠すように少女に背を向けて宙に語りかけた。
「なぁ、あの時の虹…あれ、あんたらが見せてくれたのか?」
「あぁ、アレ? アレはアタシ達の大姉ちゃんがやったの」
「…あれ、また見られるかな」
「どうかなぁ、大姉ちゃん気まぐれだから… でも見れるかもね。
あれさ、“暗闇を抜けた魂へのご褒美”なんだって。
アンタが今の闇を抜ければ、機会はあるんじゃない? アタシもいるしね」
少女は笑いながら、くるくると楽しそうに宙を飛びあがる。
「…なら、いいよ」
目をつむる少年――
「団長のことを覚えててくれるやつが側にいるってのは、オレも嬉しいしさ」
そう言って、少年は来た道を逆に歩き始めた。
「そ、じゃ、そうさせてもらうね。あとアタシ、“ハルピューイ”じゃなくて“ハーピー”だから。
ハーピーのアエロね」
わかったよ――そう言う代わりに、少年は頭の上に手をあげて振った。
金糸雀色の風は、そんな少年をからかうように、その周りをくるりと回ると、
少年の目にかかっていた霧を吹き散らすかのように、金色の軌跡を引いて勢いよく空へと吹き上がった。
――fin
最終更新:2017年03月15日 21:05