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special episode――from “Ver3.5 アルファレネゲイド/エラン


◆暗殺者たちの夜 『存在の刃』◆


一歩、また一歩。

脚を引きずるようにしながらリータは暗い廃墟の階段を登っていった。

吐く息はまだ荒い。しかし、目に宿る光は強い。

先ほどの戦いで必殺の技を立て続けに放った所為で、すでに足の筋繊維はボロボロになっていた。

しかし、それでも行かねばならなかった。


もうあの兄弟たちの戦いは終わっただろうか…あの弟は、救われただろうか…


先ほどまで、リータは“フクロウの女神”に頼まれ、
かつて聖騎士だった男を闇から救い出すために戦っていた。
そして、闇の呪縛の源に楔を打ちこむと共に力尽きたリータは、
男の兄に安全な場所へと運ばれ、寝かされていた。

今、聖騎士たる兄は一人、凶悪な力を手にした弟の前に立ちはだかっている。

程なく意識を取り戻したリータは、その背中をしばらく見つめ、

「――おまえなら取り戻せるよ」

そう呟くと、そっと立ち上がりその場を後にした。

きっと、もう大丈夫だろう。
盾も、鎧も、身を守るものをすべて失い、それでもなお立つ聖騎士――
ニールの背中は、未来への希望を雄弁に語っていた。
もし、万が一のことがあったとしても、その時はきっとあの人が――今は、それより……。


リータはきつく口を結び、階段の上を見上げた。やはり、“あの気配”がある――。

戦いの最中、リータはずっと感じていた。

視線――じっとりと舐めまわすようにリータに熱く絡みついていたそれは、
彼女のみが気づくように送られ、リータを呼び続けていた。
もし、この呼びかけを無視するようなことがあれば、わかっているな?――そんな強い脅迫と共に。
そして間違いなく、この先にはその視線の主がいる。

くぅっ、と小さな苦鳴を漏らし足を押さえつつ、階段の上に崩れ落ちた石柱を越えると、
天井が開け、眩しく大きな青色が目に入ってきた。

いつの間にか雨が上がり、岩石地帯であるこの地方特有の高く澄み切った青空が広がっている。

眼下の街からはまだ雨で燻った煙が立ち昇っており、
この廃墟の屋上だけが、すがすがしい空気の漂う別の世界のようだった。

その世界にひとつ、赤黒いシミのような影があった。

影は、風に乱れて顔にかかった金色の前髪をかきあげると、
その顔をリータにみせつけるかのようにしながら、青空によく合うさわやかな笑顔を浮かべた。

「やぁ、久しぶりだね、“アサシン”」

リータはその姿にさして驚いた風もなく、

「お前だと思ったよ――」

そう言って、無駄ではあろうが極力消耗を悟られないように、痛みを押し殺しながら影に近づいていった。

「――“チェイサー”」

チェイサー――追跡者と呼ばれる、かつてリータが所属していた『ザフー暗殺者ギルド』の始末屋。

“前にいた世界”で紅蓮の王の暗殺に失敗し、ギルドを追われる身となったリータは、
多くの刺客を打ち倒してきた。
幾人もの、アサシンを殺すためのアサシン――
“処刑人”を退け、その頭目である3人のチェイサーを闇へと屠った。
しかし、この左頬に傷を持つチェイサーだけは倒すことができなかった。

幾度戦おうとも、倒すことはおろか、
手傷を負わせることができたのすら、初めてまみえた時のあの頬傷ひとつのみ。
むしろ剣を交える度、彼女の目に浮かぶ異常なまでの執念は燃え上がり、リータを圧倒していった。

このような異世界にまで自分を追って来るとしたら、もはやこの者を置いて他にはいないだろう。

チェイサーは、心底感慨深げな表情を浮かべてリータに微笑みかけた。

「お前なら、来てくれると思ったよ」

「……おまえにあの兄弟の戦いを邪魔させるわけにはいかないからな。それに、これは私の問題だ」

「本当に、本当に嬉しいよ。最後に逢ってからどれだけの時が経っただろうね……
100年、いや、それ以上かな」

「……?」

「ああ、わからないよな……私にも色々あってね……」

リータは双月剣を手に取り、チェイサーの言葉を打ち切った。
しかし、チェイサーはその所作すら愛おしそうに眺め、微笑を崩さずに尋ねた。

「それで、思い出してくれたのかな?――『リータ・パティス』」

リータは眉をひそめた。なぜ彼女がその名を――
アサシンに調整される過程でギルドに奪われた彼女の「本当の名前」を知っているのか。
名を思い出したあと、リータはすぐに異世界へと発った。
この世界においても、その名は信じられる者にしか明かしてはいない……。

「……その顔、まだ完全に、というわけではないのか?」

困惑した様子のリータを見て、チェイサーはひどく残念そうな顔を浮かべる。

「ひとつ聞かせてくれ」

「……」

「――私は、誰だ?」

「……何のことだ?」

リータの返答に、チェイサーは空を仰ぐと、目を閉じ腰の赤い半月刀を引き抜いた。

「……そうか、なら思い出してもらわなければな」

紅い軌跡が宙を走った。

リータは一歩も動くことなく、双月剣でそれを弾き返す。
それを見たチェイサーは、ふんと鼻を鳴らし、ワイヤーで回収した半月刀を再び飛ばす。
続けざまの斬撃を、またも動かずに対処するリータ。
双月剣とぶつかり合った半月刀から赤い火花が飛び散りリータを包む。

「やはり体は限界のようだね。 ……私はね、全てを完全に“思い出した”お前を殺したいんだ。
その為に、長い時間をかけて準備してきたし、多くのしかけを施した。
この“赤い刃”もその一つさ――だから、早く思い出してくれよ」

三度チェイサーが半月刀を振りかぶる。

リータは自身の足に意識を向けた。
もはやほとんど感覚はないが、あと一度の『双影斬』を放つことなら――
その後は立っていることすらできなくなるだろう……機会は一度、逃すことはできない。

リータはチェイサーの動きに注意しながら足に力を込めた――
が、それはピクリとも動かすことが出来なかった。

「……!?」

「ああ、ごめんよリータ。“それ”はお前の体の所為じゃない。
私のこの『服従の赤い枷』がお前の技を封じているのさ」

チェイサーの言葉にかぶせるように飛来する半月刀。今度は間に合わず、赤い軌跡がリータの両腕を削る。

「…ぐっ!」

その時、リータの頭の中に、何かが入ってきた。血煙のように広がる紅いイメージ――。

「どうだ? 何か思い出したか? …そうだ、お前はアサシンだ。ザフーの恐怖の象徴だ。
いつの間にか、アケローンを救った紅蓮の軍団のひとりを気取っていたようだが、お前の手は何色だ? 
血の赤が見えるだろう? ほら、もっと思い出せよ…おまえの根源を!」

さらなる赤い刃がリータを襲う。
致命傷を与えることなく軌跡が体を削っていくと共に、リータの脳裏にイメージが流れ込む。

紅い光――それは、かつて奪ってきた命だ……顔……たくさんの顔、顔、顔。

リータはチェイサーを睨み付けた。

「チェイサー…刃に何を仕込んだ…?」

チェイサーはリータの問いかけに、さも愉快そうな笑みを浮かべる。
そして攻撃の手を止め、手に持つ赤い半月刀をぶらりと揺らしリータに見せつけた。

「ふふ、この刃の“紅”はね、アルカナ――『紅蓮の力』の紅なのさ。
なぁリータ、お前はどうやってその名を思い出した? ふと、自然に思い出したのか? 
それとも、あの『紅蓮の王』との絆のおかげだとでも? ……それは違うよ。大きな勘違いだ」

「……何を…」

「ギルドの封印術は完璧だよ。あれは“忘却”というよりは“消滅”だ。
私もこの世界で見よう見まねで試してみたが、あれほどの完成度には至らなかった。
普通なら、あの記憶の封印は、たとえ死んで不死種へと身を変えても蘇ることはないだろう。
そんな封印を破り、なぜお前は記憶の一部を取り戻せたのか――」

チェイサーは鈍く真紅に光る刃をつつぅっと指でなぞる。

「それは『紅蓮の力』に触れたからに他ならない。
あの『紅蓮の王』の再生の力が、お前の失った記憶をも再生させたのさ」

「……!」

「だから私はこの世界でそれを探し続けた…ジグラトなんて組織を作ってね…
そして見つけた。私は“そいつら”の『紅蓮の力』を目覚めさせ、吸い取り、この赤い刃に宿した。
この刃に身を削られる度、お前に紅蓮の力が流れ込み、
封印が破壊される度、お前の記憶は再生されていく――さぁ、早く思い出せ」

嵐のような攻撃が再開される。

「何故……そこまで私にこだわる……」

「それを思い出せといっている――さぁ、“私は誰だ?”」

リータの四肢を刃が通り過ぎるたび、頭に紅い瞬きがはじける――
幼い頃、暗い地下の訓練場――優しく、恐ろしい司祭様の顔――キラキラした銀のメダイユ――
そして試験――試験の時、誰かが隣にいた――そう、あの時――。

「……そんな…オマエが…」

身を削る赤い斬撃の嵐の中、リータは目を見開いた。


その時、赤い半月刀が空中で弾かれた。


チェイサーはそれをワイヤーで引き寄せ、

「……相変わらず、背後を取るのが上手いですね。しかし今、私は忙しい、用事なら後にしなさい――」

そう妙に丁寧な口調で言うと、細めた流し目を背後に送った。


チェイサーの背後に、いつの間にか新たな赤い影が立っていた。


「――イージア」


チェイサーはそう、赤い影の名を呼んだ。

「――探しました、『先生』」

赤い影――イージアは、構えた短剣をピタリとチェイサーの背に当てていた。

同時に、場の空気がざわりと揺れる。

柱、壁の上、岩陰、あらゆるところに乱立するさらなる影、影、影。
その手に握られた巨大な鋏――無数の処刑人が、廃墟の屋上を取り囲んでいた。

「――チッ…」

しかし、子飼いの助勢に対し、苦々しい表情を浮かべたのはチェイサーの方だった。

壁上の処刑人達の一角、その十数名がゆらりと体を揺らすと、
皆呆けた顔を浮かべ、次々に壁の下へと崩れ落ちていく。

見ると、処刑人達が立っていた場所の空間が歪み、
翼も、体も、何もかもが漆黒の巨大な天使の姿が浮かび上がる。

《クックック……汚らしい…黄金の輝きひとつ感じぬ、知恵のない魂だ。
こんな塵は、後で地獄にでも捨ててこようかね》

笑う堕天使と、その足元に無言で立つ男の姿を見て、チェイサーは眉根を寄せた。

「〈サマエル〉とは、ずいぶんな使い魔を手なずけたものですね――アズーラ」

イージアとアズーラ、二人の姿を確認したリータは、ふぅ、と息をつき、イージアへと顔を向けた。

「助かりました。マスター・イージア」

「あなたが『レムギアの牙』を離れてひとりになった時、この人はきっと姿を現す――
あなたの言った通りだったわね、リータ・パティス。危険な目に遭わせて悪かったわ」

「いいえ、私が言い出したこと…ですから……」

ふいに力が抜けたように倒れ込むリータを、いつの間にか側にいたアズーラが支える。

「なるほど……追われていたのは私の方だったというわけか」

チェイサーは、両手に構えた半月刀を下した。

「それでふたりとも、私に何の用ですか? 繰り返しますが、私は今忙しい。
お前たちの相手は後にさせてもらいたいのだがね」

チェイサーは背に突き付けられた短剣にまったく動じることなく、ゆっくりとイージアの方を振り向いた。

警戒したアズーラが静かに投剣を手に取る。

イージアもまた、冷静に短剣の切っ先を上げ、チェイサーの喉元へと当てる。

「先生、あなたを探していました――あなたはジグラトを皇帝軍に売り、姿をくらました。
私はその理由を知りたかった――先生がリータに語ったこと、それが全ての理由だったのですか?」

「ふぅ、聞いていましたか……そんなことを聞くために、この“聖なる邂逅”の邪魔を?」

「……答えてください」

チェイサーは目を閉じてもう一度ため息をつくと、すまし顔の仮面をはずし、凶悪な笑みを浮かべた。

「答えを聞かなければ解らないのか? それとも“違う”とでも言って欲しいのか? 
まったく、いつまでたっても自分で物を考えようとしない木偶だ……まぁ、そのように造ったのだがね」

チェイサーは喉元の短剣を指で挟み押しのけると、イージアの顔を覗き込むように顔を突き出した。

「その、通りだ」

イージアの短剣を持つ手に力がこもる――が、チェイサーはわずか二本の指でそれを抑え込む。

「お前の命を幾度も削り、その度に漏れ出る紅蓮の光をこの『赤い刃』に浴びせ続けた。
質…というのかな?それでも足りなかったのでね、直接あの皇帝陛下のアルカナを譲り受けることにした。
皇帝にジグラトを売り込むのに、お前の〈死獣〉はずいぶんと役に立ったよ。
おかげでこの通り、“完成”した」

チェイサーがもう一方の手で、半月刀をちらつかせる。

「では、私たちの信じた『聖戦』は……世界を作りかえるジグラトの理想は……」

「……本気で聞いているのか? そんなものは……いや、恥ずかしながら告白すると、
初めの内はそれも面白そうだと思ったのは確かだがね。でもね、よくお聞き、イージア。
お前も、ジグラトも、今日、この日のために造った道具なのだよ――
だから、道具らしく、先生の邪魔はやめなさい」

チェイサーの言葉に、イージアがぎりりと強く歯を噛みしめる。

「あなたは……あなたを信じて死んだガルムや――63号たちにも同じ言葉を投げるのか?」

「63号……何の63号だ? 覚えがないな」

瞬間、イージアから峻烈な怒気が弾け、神速の短剣が舞った。
しかしチェイサーは半月刀で難なくそれを受けると、その勢いのまま間合いの外へと飛び退る。

「マスター!」

痛む体を押して立ち上がろうとするリータをアズーラが止める。

「…一人でやらせてやってくれ。これは、あいつにとって必要な戦いなんだ」

じりじりと間合いを測りながらチェイサーと対峙するイージア。
しかし、かつての弟子に後れを取るなどとは露程も思っていないのか、その笑みは崩れない。

「私は……私たちは命を賭してあなたに従い続けてきた……」

「当然だろう? 私はお前たちの“創造主”だ」

チェイサーの言葉と同時に、イージアは呼吸を止め、赤い閃光と化し一気に間合いを詰める。

軌道を読ませない、体を捻りながらの短剣左右連突――
しかし、それを全て半月刀で受けきられると、膝を突き上げて相手の腕ごと守りの半月刀を跳ね飛ばす。
そのまま後方に回転しながら、もう一方の脚で顎へと蹴りを見舞う――
が、それも笑みと共に、わずかな動作でかわされてしまう。

しかしイージアはその所作を確認するや否や、軽く足首を倒し、
チェイサーの顔面へとつま先から仕込み針を撃ち出す――これは仕留めたか――
だが針は、笑うチェイサーの歯にがちりと噛み止められていた。

再び間合いを取るイージア。

チェイサーが、咥えた針を吐き捨て、口を拭う。

「さすが、元『イレイカ』だな。だが、所詮は全て私が仕込んだ技だ。お前では無理だよ」

そして、高々と片手を上げると、沈黙を守っていた処刑人達が立ち上がる。

「さぁ、もういいだろう。“邂逅”の続きをさせてくれ」

勢いよく振り下ろされる腕を合図に、処刑人達が一斉に壁から飛び降りる。

邪魔はさせないとばかりに、アズーラが瞬息の間に無数の投剣を放ち、
空中の処刑人たちを次々と撃ち落とす。
更に、サマエルが黒い嵐となってそれらの魂を奪い去る。

しかし、既に人としての心を失っているのか――いや、もう既に人ではないのか――
彼らはどのような傷を負おうと、仲間がどれだけ倒れようとも、恐れ、怯むことなくその屍を踏み越えて、
止まることのない洪水のようにイージアへと襲い掛かっていく。

次々と迫りくる処刑人達に巧みな体術で抵抗するも、数には勝てず、
次第に押しこまれてチェイサーと引き離されていくイージア。

チェイサーはその様子を満足気に眺めると、リータの元へと歩き出す。

「リータ……やっとお前に逢えたんだ。全てを思い出したお前を……
お前の中の、穢れる前の私の――“ぼく”の記憶を殺させてくれ。
そうしてやっと、ぼくは何者でもなくなるんだ……そうでなくては……
それを、誰にも邪魔させるものかよ」

その時、イージアに向かって行った処刑人達の流れが止まった――
次いで、紅い衝撃が廃墟を揺らし、大量の処刑人達が吹き飛ばされる。

一同の視線がその中心へと向かう。

見ると、そこに立ち、ゆっくりチェイサーの元へと歩くイージアの左目は、爛々と赤い輝きを放っていた。

「…まずいな…」

アズーラは、動けないでいるリータを抱えると、サマエルを一瞥する。

《チッ、あの“冥府馬鹿”か… 助けがいるなら口に出して言えと言ってるだろう、アズーラ》

そうごちると、サマエルは急ぎリータごとアズーラをひっつかみ、空中へと飛翔する。

気炎を纏い、ゆっくりと歩き来るイージアの赤い瞳を見て身構えるチェイサー。

「……あの状態でも“呼べる”のか。以前なら……少し、油断が過ぎたかな……」

おもむろにイージアが立ち止り、すぅっと息を吸った――


「プルートーーーー!」


バウンと空気が爆発した。

処刑人達を跳ね飛ばして出現する巨大な蒼い光。
その光が象徴するものは地上に現れし冥府――蒼き、死獣。

「ゴアアアアアアアアアアアア!!!」

死獣が吠え、その体から全ての命、全ての現世を腐らせる蒼い瘴気が放たれる。

倒れた処刑人達の体が腐り落ち、廃墟の壁、床、石柱までもが、死獣を中心にドロドロに溶けはじめる。
広がる崩壊は廃墟全体に広がり、轟音と粉塵を巻き上げて崩れ落ちていく――。


* * * *


溶け落ちた瓦礫の山と化し、静寂に包まれた廃墟の中で立ちすくむ死獣は、
奪う魂がほぼなくなったことを確認すると、つまらなそうに鼻をならし、蒼い燐光を残して消え去った。

廃墟に残った影はひとつ――その側に、サマエルに掴まれたアズーラとリータが降り立つ。

「無事か……イージア」

「……えぇ」

イージアは地面を見下ろしていた。

その視線の先にあったのは、半身に瘴気の光を浴び、動けずに横たわるチェイサーの姿――。

チェイサーもまたイージアを見上げ、無様な格好に似合わぬ笑みを浮かべる。

「ふん……成長…したな……イージア。それで、お前は私に何を望む? 私を…どうしたい…?」

「私は……知りたい。私の……ジグラトに育てられた私たちの、意味を」

「……意味、だと……?」

チェイサーは首を傾け、少し遠くに立つリータをしばらく見つめたあと、目を閉じた。

そして――

「――何の意味があるものか!!」

――叫んだ。

その声は、崩れた廃墟に響きわたり、その凄烈さは、瞬時、その場にいる者たちの心臓を掴み、締め上げた。

「私たちに何の意味がある!! ギルドも、ジグラトも関係あるものか! 
何の統一性も無く、所詮は生まれ育った環境で、心も、記憶も、
何もかもが書き換わってしまうような不安定な生物だ! 
そんな者たちの意志にも、正義にも、倫理にも、理性にも、まったく意味などない!!」

チェイサーの叫びが木霊し、遅れてやってきた静寂の中に、彼女の大きな呼吸だけが音を残す。
そしてチェイサーは、胸を上下させながら穏やかに言った。

「いいかイージア……人の意味なんてものは、
全て“そうだといい”という、あいまいな希望から生まれるものなのだよ。
全ては“存在を許されたい”だけの言い訳だ……だから皆居場所を求める。
ただ誰かに“存在していい”と言われたいが為だけに、自分の置かれた環境に従った生を尽くす……
惨めだが仕方がない……それが我々の本質だ」

イージアは、熱に浮かされるように語り続けるチェイサーをじっと見つめる。

「……だがね、私はギルドに造られ、皆が全てを忘れていく中、記憶を持たされた。
はなから誰とも同じになれず、同じになれなかった者を消すためだけに存在し続けた。
唯一同じであるはずのチェイサーたちも、お互いがお互いを殺すための存在だった……
私は、誰とも違う“壊れもの”さ……孤独だったよ。そうして、ギルドにすら裏切られて、
自ら死ぬこともできぬ体を与えられたまま異界に流され……100年……100年だ……
この100年の孤独がお前らに理解できるか? こんな孤独に……意味などあると思うか?」

遠く立つ、リータの拳がぐっと握られる。

「私は、ただ私を知る誰かに存在を許して欲しかった……しかしそれは叶わなかった……
そのうち、私自身すら“壊れもの”である自分を許せなくなった……
自分が“壊れもの”だという記憶を消さなければ、私は私を否定し続けるしかない……
そうじゃなくては生きて……いられない……」

イージアは膝をつき――

「それが、“あなた”なの……?」

「……そう……“ぼく”だ……」

――そっと目を伏せて短剣を握った。

「……そう……あなたは私と同じ――なら、私が……」

そして、ゆっくりとそれを振りかぶる。

その様子をアズーラがじっと見つめ、リータが一歩、足を踏み出す。

イージアの視線はチェイサーから動かない。短剣に力が籠められる――


しかし、その手は振り下ろされることなく、イージアはそっと短剣を下ろした。

「……いいえ、違ったわね。私は――もう誰かに存在を許されているもの」

そう言って立ち上がると、「先に行くわ」とすれ違いざまにアズーラに目をやり、廃墟の外へと歩き出す。

その姿を見てホッと安堵の息をつき、アズーラに頷きかけるリータ。

アズーラもまた、リータに頷き返すと、チェイサーの前へと立ち、

「先生、オレたちは行きます。この戦いの終わりは近い。
オレは、あなたにさえ会わなければ……ずっとそう思っていました。
でも、あなたに出会ったから、あいつの心を救うことができた……何故か、そうも思えます」

そう告げて、イージアの後を追うように去った。


残されたリータは横たわるチェイサーを見つめ、無言で立っていた。

チェイサーもまた、何も語らず、空を見上げ続けた。

しばらくして、リータはチェイサーの側に立つと、双月剣の片方を、そっとその傍らに置いた。

「おまえも私も、アサシンとして多くの命を奪った。その罪は決して消えない。
だからいつか、例えおまえの手でなかったとしても、
私はこの命でその罪を償わなければいけないのだろうな――
ただ、それはもう少し先であって欲しいと思う。
私は、“あの人”を救いださなければならないんだ。それまでは――」

そう言って、リータもまたチェイサーに背を向け歩きはじめる。

「………」

全てを吐き出したチェイサーは気力を失ったように、
ただぼうっと双月剣に映る、痛む足を引きずり歩くリータの後姿を眺める。

ふと、その姿がピタリと止まった。

「追ってこい――エラン。私が生きている間は、お前の存在は私が覚えているよ」

そして、双月剣の中のリータは姿を消した。


薄い煙を上げ、チェイサーの傷が再生していく。

しかし、もう彼女は立ち上がろうとはせず、ぼろぼろの両手で顔を覆うだけだった。

「ふぅ……ふぐぅうっ……」


そうしてひとつの戦いが終わり、星が瞬き始めた空には、
ただ存在を取り戻した追跡者の嗚咽だけが響いていた。


――fin
最終更新:2017年02月24日 13:59