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雑記:文アルとか近代芸術、137 - (2019/03/12 (火) 01:11:45) の編集履歴(バックアップ)


雑記:文アルとか近代芸術、137


11月29日めも。


リアルタイムは2019年の3月10日です、さっきからお腹が痛いです、というか水飲むと下すんだよね、しかし水以外のものはあんまり飲まないほうがいいみたいな事情があって(お湯飲んでると喉が荒れるとか)、なんとかしたいんだけどやっぱり駄目です、なんでなんだろうかよくわからない。
ジュース混ぜたり牛乳混ぜたりお茶だと平気なんだよ…。
なにがどうして水だけ駄目なのだ一体、ううう。

えーとあの、なんかこう、しばらく潰れていた間にまた結構な日数が経っていたのでとりあえずだらだらと今やってることを思い返してみようかと思ったんですが。
なんか関係のないジュニア系の新書とかたくさん読んでましたかね。
おかげであれ、岩波書店百年史のほうを読み損ねました。
最近ちょっと辛い時期に突入してまして、簡単に言うと脳内で重複みたいなものをどう処理するか迷うみたいなことがあるんだよね、食い違いとも言う。
文学ジャンルの場合は食い違いがあまりに半端なかったんでこの時期が若干遅いみたいなところもあったんですが、まあやっぱり、わりとまともなものも蓄積していくわけだしねー、脳内情報の洗い直しみたいなことをぽちぽちと。
で、翌日です、2019年の3月11日、あれですね、最近【文豪とアルケミスト】が演劇化…、いや、舞台化って言うのか、舞台化しまして、まあその感想をぼんやりと見ていたらうーん、と思ったみたいことを語ろうと思ったんだけど、よくよく考えたら去年の11月って体裁なのでいまいちなので、発想はそこだけど別の話にしてくんですが。
ちょくちょく語られている「菊池寛は誰にも頼らない」みたいなの。


11月30日めも。


えーと、前日から続いております、「菊池寛は誰にも頼らない」かどうかみたいな話なんですが、いや、前日分では話振っただけだけど。
文藝春秋を中心に見てるせいもあるせいか、特にそんなことはないです。
ただ、ざっくり見てる限りでは作家にはほとんど頼らないです。
そうだなぁ、だいたい川端とか、久米さんとか、山本有三さんくらい? あとあれ、岸田國士さんなんかも何回か呼んでますね。
久米さんは正直なところあちらもかなりの地位なので、呼んだところで来ないせいなのか結構ぎゃーぎゃーと文句が残ってる気が…(『話の屑籠』にも入ってますよ)、久米さん相手のしか見てないけど、人は呼びます、呼んで来てくれないと拗ねます、文章にもそれがわりと残ってます。
しかしまあ、なんというか、いわゆる純文学作家という括りで頼った相手がいたかというとそんな気はさっぱりせず。
芥川が行かなくていい? みたいな手紙を出していたという話が菊池さんの言及として残ってましたが、お前が来てなんの役に立つというの、というのが個人的には本音だったんじゃないかと思う。
いや、菊池さんはまああれ、そんなに辛くもなんともなかったよ、みたいな態度取ったらしきこと言ってたみたいなんですが、芥川に頼ったのは見たことないです、頼るような案件を作ってあげたのは何度か見たことがあるので、愛情はあったと思う。

映画ジャンル、学者相手、新聞社、出版社などでは結構べったりと好意示したり甘えたり拗ねたりしてます、してます、頼らないって言われても、なんかその…。


12月1日めも。


「菊池寛は人に頼らないか否か」みたいな話です、カッコの中身を毎回変えていますがどっかで丸被りしても不思議はない程度にチェックとかはしない所存。
ていうか同級生の成瀬さん(新思潮第4次)がいるじゃないですか、家で学費出して貰うね! みたいなあれはいいんだけど、あれは仕方ないと思うんだけど、そこの奥さんに可愛い可愛いされてどうも丸々と膨れ上がる程度に食わされていたらしいことは、えーと、誰だっけ、松岡さん(同じく新思潮4)の本の中に推測出来る状況が残ってました、菊池さんが結婚するために成瀬家を出るので、松岡さんに成瀬家に住んで! と頼んだら菊池さんの生活の痕跡が残ってたやつ、その後、わりとすぐに松岡さんが結婚する段階では「他の誰かを呼ばないと駄目」みたいなことは言われてないようなので、まああれ、菊池さんが家を出るのを遅らせたくてだだ捏ねたかなと推測されるわけですが。

人生においてこれより小さい案件だとざらっぽく。
されても継続的でもない限りさして感謝しないぽいし(成瀬さんのお母さん以外への感謝って見たことない)、した側も別にそんなに気にしてないみたいだし。
そもそも、『新思潮』の第4次に参加する費用も学生の成瀬さんが自力で作ったお金の中から出して貰ってたんだよね、家が金持ちだからとかじゃなくて、成瀬さんが中心になって翻訳で稼いだお金で同人誌立ち上げて会費も負担して貰って。
なんも言わなくても人がわりとなんとかしてくれるからあんまり頼んだりしてない、頼む時はその能力がある相手に限り能力貸してって頼む、来てくれないと拗ねる、みたいな感じがだいたいの分布ではないかと、まあ雑感ですけども。
メンタル面で誰かに頼るかっていうと、まあ確かになさそうかなぁ。


12月2日めも。


「菊池寛は人に頼るか否か」です、そろそろ前に書いたのは忘れてます、ただ、ある程度はそう見られる理由みたいなものはわからないでもない部分もあって、他人になにかをする時に相手からの見返りを全く求めてないぽいんだよね。
前に見てた演劇の本だと、初対面の人が借金しに来たらごっそり包んで返されたってありましたし、いや、返せなかったみたいだけどその甲斐はあった相手とは思うけど、正直返して欲しいとも思ってなさそうだし、なんと言っても初対面。
けどなー、前半生を考えると…。
された時も気にしてないから、する時も気にしないというか…。
別に誰にも頼る必要がないから誰にも頼らないという言葉は、精神力が強いという話をしているのではなく、物理的に財政力があるからね、という話をしているのに過ぎないんじゃないかって気がするんですよね。
ここでメンタルが強いから誰にも頼らないんだな! を読み取ると、結構駄々こねたり、側にいてくれよー、みたいな案件が、頭の隅を、相手は若かったり会ってからそんなに時間が経ってなかったりいろいろ!
相手に依存してる感じはさっぱりしません、自分にもそんなに頼らない若いはねっかえりが好きで、相手が好いてくれてると喜んでみたいなの。
文藝春秋の3代め社長の池島さんとか、大映の実際の経営者の人とか、名前なんだっけ数日前に本読んでたのにまあいいや!

依存先がめっちゃいっぱいあって、去るのに執着したような気もしないかなぁ、嫌われたらそっかー、で納得しそうだしなぁ、実際分布はそんな感じじゃないかな?


12月3日めも。


「菊池寛は頼らないか否か」みたいな話。
ちょっと遠い話題になるんですけども、前に菊池さんが動物の話をしていた文章を読んだんですよね、タイトル忘れたけど、青空文庫だったんじゃないのかな、随筆そんなに多くないんだけども、なんか単発で読んでた。
なんかねー、怖いんですよね、動物飼うと飽きちゃうみたいで、なんかぽいぽいぽいぽい取り換えてっちゃうの。
ただ、その分、動物に対しての期待も特にしてなくて、こうならなくて残念! みたいな理不尽なことも別に言わない。
淡々と、淡々と、取り換えてってその特性の話をしてるだけ。
執着が特にあるような動物も多分あの文章においてはいないんじゃないのかなー、こういう感じだと愛着湧くよね、みたいなことは言ってるけど。

人間に対してのイメージもそんな感じですかね。
来るもの拒まず去るもの追わず。
もう一つ、中央公論の編集さんの本、えーと、あ、木佐木日記において、菊池さんが大正末くらいの政府の締め付けの厳しさ、事件取り締まりに関して、「退屈しない時代」って答えてるって話があり。
そもそもなんとなく評価していた人だったので大した人物って好印象に受け取ってましたけど、わりと普通に怖いよこれ、動物のもトータルで見ると怖いけど。
まあでも、実害がないからいいんじゃないかね、と思うので多分私も近い。
あと、この人に特別な愛情を抱いたらメンタル死ぬわな、真面目に…。


12月4日めも。


で、大御所になってからの菊池さんに関してはまあだいたい方向性は触れたので満足なんですが、だったら初期の頃の菊池さんどないよ、みたいな話を、ぽちぽち。
大御所になってからだと、能力ある相手に能力貸して! みたいなことしか言ってないよ、それ以外は全部自分で出来るし雇えば済むからね、というような話なんですが、あれだな、純文学作家に頼るって時点でもはや文士村テイストというか、全員貧乏所帯認識だと菊池さんがあまりにもかけ離れすぎてて違和感あるってのはわからんでもないかもなぁ、でも、財閥の人とかだと別にどうこうなく付き合ってるよね。
小林十三さんがあれ、『話の屑籠』に出てくるんですけども、ビル建てようよ、文士入れるためのビルー、と十三さんが言ってて、お金の作り方教えてあげるから(*´∀`*) みたいなこと流れになっていたんですが。
これを断るわけじゃないですか。
文士に金出させないと意味がなかろう、みたいなの。
吉川さんと小島くんですら幾らしか無理なのでは…、みたいなこと書いてて、おう、なんでその二人なのかわからんけど、言えば絶対に聞いてくれる面子かそれとも稼ぎが多い順か、小島くんは実家も金あるみたいだけど。

これも人に頼らないというのとは違うんだよね、この辺は文士の身分が大概に低い、どうも金持ちのペットになってるみたいな感じの憂いだと思うんだよね。
しかし自分でもビル建てるには足りないみたいな。
時期忘れたけど映画産業に呼ばれる前じゃないかと、数年後になんも言わずにへーい、ペンクラブ呼ぶからビル作っとくわー、みたいに言ってたしな、ドライだよね。


12月5日めも。


いやだから、菊池さんが売れる前だってば、大御所と言われるようになった時期はわりと不明なんですが、特大ヒットを飛ばしたのは大正9年ですね、世に認められたの何年前だっけか(無名作家の日記ですね、これ以降は依頼が来るように)。
昭和6年から連載されてる『話の屑籠』では初期はトップメンバーになってるかどうかですかね、なんかのイベントがあっても、呼ばれて当然でもない、呼ばれていても不思議はないくらいの地位っぽい。
いやあのね、この辺の時期がいまいち曖昧ぽくて。
文藝春秋立ち上げた時点で結構な不満が溜まってたぽいからなぁ、あっちでもこっちでも作家とメディア側の揉め事があるみたいだし、この揉め事がどれ一つとして明言されてないので不明としか言い様がないんだよねマジ。
痕跡とか言及はちょくちょくあるから、いつかまとめて見付かるように気もしてるけど見てないものは見てないです、専門の方にお聞きしたい。
(この辺の揉め事は作家の地位の変動が結局のところ要因なんだろうね、古い感覚の出版人がそう簡単に入れ替わるわけでもないし。)

ざくっと言うと、デビュー前からこの時期くらいまでは「助け合い」の体裁なのではないかと思ってるんですけども、芥川読んでてもたまに出てくるけど、誰それの紹介とか、誰かを連れて出版社に行くとかちょこちょこあるんだよね。
年上が年下を連れてくのは昔からあると思うんですが、プチ師弟関係。
芥川よりちょっと前くらいから、同世代同士でやってんだよね、どうも年上とは立場が違うみたいなんだよな…、これも詳しくはわからないんだけども。


12月6日めも。


我らの菊池さんはあれです、駆け出し作家の頃にの出版社でどう振舞っていたのかわからないんですが、久米さんに連れられて『雄弁』の掲載のために講談社に訪ねた時はぶっくり膨れていて話もせず、あー、噂通りー、みたいなことをその対応した編集さんが語っていたりとかね、「クチキカン」の話はまあいつ聞いたのか不明だけど。
(無名作家の日記よりも前なのであとから噂聞くようになったんじゃないかな?)

まあなんというか、前途多難ぽいじゃないですか。
そういやこの鳴かず飛ばずの時期に媚びたみたいな話聞いたことないし、出版社巡りみたいなこともしたことあるような感じでもなかったし。
他の若手作家を連れて新聞社との契約みたいなことはしてるんですけどね。
この時期こそ本気で「誰にも頼らない」ぽいんだよね、コネ使ったことはありますけども、作家としてじゃなくて時事新報の記者になるためだったみたいだし(いつもの成瀬さんとこのコネです、お兄ちゃん経由だっけ弟経由だっけ)。
これ、頼りたくないというより本当にこの時期においては自分の才能に自信がなかったんじゃないのかなー、と思ってるんですけどね。
無理強いして載せて貰うんじゃなくて、相手の目に叶わないのにゴリ押ししたくないというか、芥川に頼った勢として全く名前が出てこないんですが、芥川が頼むと当時は無理してでも聞いて貰えそうなので、まあ、そういう意味かなあ、とね。
この辺の印象に関してはわりと普段言われてるものと近い感じです、それこそプライドというか、能力の卑下というほどでもなく、正攻法以外は嫌という姿勢というか。
結局このせいであとでぶち切れるんだと思ってるけど(けろけろ)。


12月7日めも。


前日からの直接の続き。
まああの、正攻法にしようとしていたということはあれじゃないかな、「きちんとした評価がある」という信頼だったんじゃないかと思うんですよね、菊池さんが他者に対して期待していたのって大まかにあんまり多くないんですけど、そのあんまり多くないうちの一つ、かなり強そうな信頼。
これが大正9年の『父帰る』並びに「真珠夫人」以降に同人誌時代の作品の全部が出版される運びとなりまして、まああれ、そういう意味でぶち切れたんだけどねー。
なんだあれ、評価を左右するのはまず立場?! みたいな意味でがっかりもするよね。
この辺はあれ、頑張ってるとたまに見ます。
周辺の人が爆発した辺りとか、研究者の人とかたまに回収してくれてます(要するにがっつりまとまってないけど複数ある)。
で、それ以降がシビアになったんだけどね。
無名作家の日記を評価してくれた、弱い立場だったのに褒めてくれた白鳥さんのことが特別な存在になったのもあるいはそれ以降のことなのかもねー。
にゃ、その近辺の時期にさして白鳥さんに対しての言及ないので。
白鳥さんだけ立場じゃなくて、作品見てくれたわけだしなぁ。

こういう信頼があって、こういう極端な落差があると、あんまり物事や評価に動揺しない、それ自体が絶対的なものではなくて、相対的なものでしかないんだな、という方向に悟ったのはそれはまあ、不健全ではないと思うんだよね。
逆に絶対評価に少し近いものを作ろうとした生涯って見てもいいわけだし。


12月8日めも。


最後に芥川の話を、私は菊池さんの「世に知られる前」に中央公論の編集さんが来たのは芥川の差し金だったんじゃないかって前から考えているわけですが。
こういう感じの時系列の中に差し込むとこう、いい感じに。
いい感じに泥沼で良くない?! 妄想ですよ妄想。
妄想だけどそろそろ笑われない程度には推測に近くなって来た感じではあります、1年目くらいからの持ちネタです、このネタを温めるための資料探しは別の方向でぽんぽん開花してますが、肝心のこの辺はさして進展してません人生そんなもん!!!

菊池さんと対比すると芥川が人間の公正な評価とか信じてた気が全くしないんだよね、なんだったら菊池さんの才能が皆無でも自分が真剣に捻じ込めば世に送り出せるって信じてたろうし、実際、何人もって意味では無理かもしれなくても一人くらいなら芥川にはその立場の強さがあった。
つかあの、芥川が菊池さんを世に出したいと思ってるんだとしたら、前後にやってたことが汚いんだよねー、手段選んでる感じが全くしない。
能力信じてたらそっと押し出して、になってたと思うんだよね。
そういう意味ではまあ趣味違うんだと思うんだけど、この二人ってもともと。
さらに言うと最終的に菊池さんは芥川が画策してたことを知ったんじゃないのかなー、と、中央公論の辺りから。
妄想ですけども。
そして芥川は菊池さんが知ったってことは知らなかったんじゃないのかなー、と、なんとなく性格的に、まあ妄想ですけども。

(文アルとか近代芸術、137)