雑記:文アルとか近代芸術、138


12月9日めも。


リアルタイムは2019年の3月12日、あのあれ、とうらぶの大阪城に潜っているのであと少し時間が掛かりそうなのでぽちぽちと打ち込んでまして、あとあれ、今の時点で蔵出し出来そうな程度に固まってる内容なんかないかなー、と考え込んでいるのですが、うーん、あとのところはどうもいまいち。
昔書いた時点ではまとまっていたと思えるものも、今のレベルだと全く物足りないし、なんというか「どこが欠けているのかわかる」時期なんじゃないのかなー、と、そもそも研究者でも情報集めるの難しそうな、みたいな内容だと出してしまえるんだけどねー、そこまで踏み込んでいるところはさすがにそんなにないし。
プライドの話ではないんです、面白くないの、私が。
私以外の人が面白くないかどうかはなんら私の基準にはならないんですが、私以外の人だと「理解出来ない」のはわりと気になります。
でも一定以上の知識の有無でも変わるしなー、どこまでわかるようにすればいいかというと、興味持って読もうとしたけど挫折したみたいなのは避けたいみたいな。
内容が難しいんだけどー! はどうもならんのだけどさ、そういう時は分割する感じだとか、てにおはミスはついったではともかく、こういう長文では気を付けたいというか、主語が抜けてるよー! は最近直って来た気もする。

というか、主語が抜けるのは書いてる人間がややこしいレベルの時は昔からあんまりやらかさないんだよね、抜けるとわからないから。
私がわかるやつだと抜きがち、やっぱり私が面白いと思うものを書くのが一番正しいんですよね、なんの話っていうか、なんだろう。


12月10日めも。


ところで特に話があるというわけではないんですが、志賀さんの話を書こうと思います、この人はなんか昔から神経に触る感じの情報が存在しているんですが、まああれ、最近は慣れて来たというか仕方ないと思っている「文壇の頂点」という扱いが少なくなく、しかし文学全体を軽く取り扱ってる体裁なのに「言及皆無」という本も少なくない辺り。
昔はレベル低めの本が多かったんですが、その頃が一番多かった気がします。
最近はどっちも滅多に見ないんだけどね(見ないとは言ってない)。
これ、ぶっちゃけて友人にも告げられたことがあります、前者の頂点のほう、多分そうではないな、というのはなんとなくその時点でわかっていたりしました。
なんでならば、『中央公論』に載ったのがその証として紹介されていたからで、一時期中央公論に拘っていたのはこの辺が理由の一因になります。
まあ、始めたら思ったより面白かったんで良かったんだけどね。
なんで話を聞いただけでわかったのかというと、菊池さんが中央公論に載ってたからなんですよね、その時点ではどういう面子が載っていたのかは把握してなかったんですが、菊池さんにおいてデビューしたよ、程度の案件で頂点なわけねーだろとしか。
実際のところは出世作だったんですけども、その頃はデビューと思ってました。
作家として無名でも載るんだよなこれ、という思いはその頃のほうが明確だった。

が、それを告げるのは無粋、どうせ有力作家だろうからだいたいの地位を把握してから言えばいいか、と思ったところがスタート付近でした、そんな明確に覚えてない。
ところが本にいませんでした、いなかった。
いても「頂点」以外の具体性情報が皆無で、なんもわからんかった、その頃は。


12月11日めも。


志賀さんに関してとにかくなんの具体性もなかった時期、鴎外さんとこの記念館に行きました、年表があって「網走にて」という小説の書評があったんだよん的なことが触れられていて、これは同人誌『白樺』の初号の作品でしたっけ。
それはなかなかすごい、完全に新時代の幕開けの作家として見られてたんだな! ということで完全に信用に至り、ここからデビューに至るまでの時期を調べればいいなー、ということで算段を立てました辿れなかった。
どうやっても辿れませんでした。
わりと最近になって同時代の事情が知れたんですが、なんかまあ、個人的に揉めたりなんだりで商業誌デビューとなる時期が遅れ、一足先に世に出ていた武者さんの伝手で朝日新聞の漱石さんからの依頼があり。
書けませんでした、まあ、彼なら自分でなんとかやってくよ、という鷹揚な言葉は本当に漱石さんの高い評価を示していたんじゃないかと思います、そう書いてあった論文は確か「大正文学史論」に入ってた。

単純に慣習としか言えないんですが、同人誌の評価からすぐに世に出た場合、同人誌時代にはすでに認められていたという表現になるようなんですが、さすがに志賀さんの場合は時期が離れすぎていてそうもいかないようです。
えっとね、明治末くらいに白樺の初号があって、あの、新人として認められたのがなんというか、芥川のちょっとあとくらい…の大正中期みたいで。
(菊池さんなんかの出世作みたいな、依頼が来る作家になった段階で新人として認められるみたいなそういうニュアンスになります。)


12月12日めも。


ここまではいいんじゃないかと思います、武者さん推しの方は、新潮のシリーズに収録された時点を持って新人として認められたみたいなこと言ってましたし、私もそれで賛成です(いや小説家に限りだけど、他のジャンルの人はなんか遅い)。
さすがに最初に注目された時点を考えると時間掛かってるけども、家庭の事情がなんというかもともと半端ないし…、下手するとお祖父さんの関係事件もお父さんの関係事件も教科書載ってるし、後者はあれ、足尾銅山事件ですね、加害者ナンバーツーというお立場のようです…ううんまあ。
これで特に挫けずに世に認められた時点でまあ、なんか、遅れた事情とか別にそういうのとは全く関係なかったみたいだけど、遅いというわけでもないし。
武者さんと比べるとなんか、というだけだし。
ここまでに引っ掛かるところはないんですよね。

ただ武者さんが存在さっぱり消されてるんですよね、あと、新聞連載を頼まれたという辺りの紹介では頼まれていた他の作家が消されてるんですよね、漱石さんが目を掛けた彼の直弟子みたいな本は手に取ったあとでそっと置きました。
褒めてたよ褒めてたよ、褒めてたけどあの人めっちゃ人の作品褒めるよね?!
あとあれ、この辺から頂点取ってるぽいんですよね、頂点とだけ書いてある本の一部が明治末期ですけども、新聞連載のお話を断った辺りでも頂点の到来があるみたいで、中央公論が確か大正の数年目くらいだったと思うんですけども、そこにも友人が語っていたからには頂点の兆しがあるんじゃないかと推測されるわけで。
他の作家は同時代、本で消されてるんですよね、志賀さんしかいないの、時々。


12月13日めも。


まああれ、志賀さんの話引き続き。
さすがに私の神経に触っても仕方ないレベルだよね?! と思うんですけども、漱石さんの活躍時期を知らないのか志賀さんと引き換えに存在消されてた本も一回見たことありまして、まあ漱石さんて鴎外さんと並べられてたからかもしれんけど、鴎外さん時期早いし。
文学の通史みたいな感じなんですけど、志賀さんしかいないんですよね。
志賀さんが頂点の中で、芥川が登場することになるので(漱石さんはいません)、芥川の心酔も無理からぬことみたいな。
そういう感じの本を芥川サイドで見たこともあります、すぐに置いたからタイトルわかんないけど、生涯を志賀さんへの憧れと共に過ごしたみたいな本でした、神田の古本コーナーにあったね、なんだっけあの、大きな建物の中の古本コーナー…。

依頼が来るような存在になったのは若干、芥川のほうが早かったみたいです。
新思潮の第4次を作る頃の思い出話では、花袋vs武者さんみたいな内容になってるよね、武者さんはいつも思うんですが世に出るスピードが早すぎてどの時点を起点にすればいいのかわからない。
あとあれ、すでに谷崎も世に出ていて、どどーんという存在感を示していたみたいな話をされていたりしましたね。
芥川って武者さんの話は時々するけど、志賀さんに関しては漱石さんとこで話してたのくらいしか知らないんだよなー、同人誌仲間の中ではわりと有名な存在だったみたいなんですよね、なんか…いつの時代も同人誌やってる人たちの中では有名みたいなんだけど。
そろそろこの辺で、謎の存在になって来ました、私視点時系列になっています。


12月14日めも。


超絶謎の作家、志賀さんについて。
一応今までは簡単に知った内容で時系列になってますが、その後、詳しい案件を知った場合などはちょこちょこ補足していたりします。
で、これよりちょっと遡ると、隆盛だった時期がわからない問題がぽんぽん出てきてる人ではありました、昭和初期を扱った人は後なんですよ、みたいなこと言うし、大正後期の人はもっと前ですみたいなこと言ってるし。
作家として一人前になったのが大正後期って判明したあとで考えても最盛期がわかりにくい、一応こう、『暗夜行路』の上巻が一番売れたと見ていいのかな、中学生のファンとかもいたみたいだし(水島さんという改造の編集さんが語ってた)。
売り上げだけが全てではないですけどもー。
「カネと文学」という本で紹介されていた時は、売れてる代表として久米さんがピックアップされて純文学代表として志賀さんがピックアップされてました、あの、その、人気作家だとデータ取りにくいみたいな…そういう感じのあの…。
まああれ、代表作はさすがにこう、久米さんくらい売れてたみたいです、1万部。
久米さん売れてるんだね、データ取りだされてたのもそっくりって言われてる作品の一つだよな、としか言い様がなく…、そら、作家仲間が拗ねもするよな…。

あと気になるのが、同じく「カネと文学」の中で売れない作家としてめっちゃ志賀さんが名指しされてまして、ももも、問題あるほどではなさそうだけど全体的に?! という感触なんですが、手間が掛かるわりに売れないって意味なのか。
少なくとも改造の円本で名指しって、あれ売れ残りで有名じゃん!? 謎い!!


12月15日めも。


あとはまあ、知ってることばらばらと詰め込んでいくと、改造の円本の初期構想には志賀さんはいません☆ だとか(実際の発行までに追加はされました)。
昭和3年の時点で菊池さんが普通選挙の最初の時に出馬してるんですけどね。
武者さんが選挙応援に行ったんですよ、で、その記事が一面にどーんと載ってるんですよ、志賀さんはその記事でなんか名前が載ってたり載ってなかったりするんですよ、その他大勢のところにいたりそこにもいなかったり。
その記事は菊池さんの選挙を扱った論文に触れてられたんですが(菊池さんの影響範囲を語るために人名が詳しかったんだと思う)、読んだ当初はその時期に志賀さんが白樺と共に行動していたのかわからなかったので、まあ、別の括りだったのかなと思っていたんですが、武者さん推しの方から特に離れた時期がないと聞き。
同行者なのに純粋に分断されていたんだね、という判断となったわけですが。
あの、あの、武者さんとは知名度格差ありそうだけどさ…、あの、同行者で普通に作家だよね最盛期から数年だよね? という意味で今ではすっかり謎の記事に。

あ、昭和10年前後くらいからかな、なんか知名度がぽーんと上がるんですが、これも時期がどうしてその時点なのか謎です。
文士の集まりとかにも出てくるよね、と友人の子牛と語っていたこともあるんですが、それ以前にはいませんね、見たこともないですシリーズ物とか見てるとなんかぽんといることはあるし、作家として全く存在してないわけではなさそうなんですが。
暗夜行路かなー、と思っていたんですが、数年前に終わってました。
あんまり、評価らしい評価も、なかったようです。あの(批判もない)。


12月16日めも。


そしてあと、どういうわけなのか全くの不明ですが、作家と認められたい無名の作家たちがなんとか載せて貰える雑誌に志賀さんがいます。
菊池さんが作品を載せたいと作品を送った『黒潮』なんかはいいんだよね、志賀さんも新人枠みたいだし、この頃よりも前にも同人作家の雑誌にはいるみたいだし。
ただなんか、昭和に入ってもそういう雑誌にいるんですよね、志賀さん。
新潮の編集さんが志賀さんのことを「大手でないと呼べない憧れの作家、一度でいいから呼びたい」ということを語っている体裁の小説を読んだことがあるんですが(手記を元に小説にしたもの)、その人、小さな同人者の憧れの雑誌に載ってますよ、という、複雑な状況が提示されていましたが。
まあ、この程度の差異はもう慣れるべきなのかもしれない。
今までと比べると格段に小粒だし。
ちなみにその小説の中では暗夜行路の連載はされていませんでした、実際には連載はされていました、賀川豊彦さんというベストセラー作家がおられて、各地でめっちゃドンパチしていた時に軽く触れられていたから知ってる。
そういや、志賀さんの連載の時に「批判なんか叩き潰してやろうね!」みたいなことを白樺仲間と語ってたらしいんですが。
賀川さんのことも関係するのかなぁ、賑やかだったからなぁ…。
改造の編集さんの本では志賀さんに触れていたものの、仕事内容に関しては触れてなかったので、訪問した理由すら不明のままでした。

ただ『改造』の文学的地位を高めた志賀さんという本もあるみたいです。


12月17日めも。


てなところで一旦巻き戻すんですが、「頂点」て本はともかく、存在を消してしまっている本はなんかもう、仕方ない気がするんですよね…。
だって志賀さん、なにがなんだか本気でわからないじゃない…。
同人誌やってる人たちが日本の文学にあまりに大きな影響を与え、それがために日本の文学が停滞してしまった、みたいなことを語ってることもあるようなんですが(オダサクで見たけど、他でも見た、リトルマガジンの論文で)。
プロになると志賀さんに関してもごもごって言うんだよね、三人くらい見た。
編集さんたちもこれ言うよね、もごもご。
これはどうも、人によっては白樺の影響によるものと呼んでいるもののことらしく、同人誌が白樺の影響下にあることは実際かなり多いらしく。
家庭環境に問題があって苦痛が! みたいな作品のことを白樺系と呼んだりもするようです、こっちはどうも信用していいようです。
なので同じ本の中で志賀直哉の影響があまりにも強すぎて致命的!! と語ってる人と、白樺の影響下だねー、普通普通、みたいな評価が織りなされているのも見られますみたいな感じのその。

志賀さんが絡むといろいろ多彩ですよね、頂点の理由も多彩だし時期も多彩だし。
見たことないような感じの時空トリックとかも見られたりするし。
途中までは嫌味だったんですけども、調べる時も苛々してたんですけども、最近苛々してるかというとそんなこともない感じです。
なんだろう、ここまで多彩だと…信じる信じないの弊害以外の問題というか?


12月18日めも。


これで10日分です、ここまで書いたのでなんかもう前日分でキリがいい気がするけど、このまま志賀さんの話をするんですけども、そうそう、政治的な高みみたいな面白いネタもあったよねみたいな(荒又さんの本で読めます、なんか志賀さんが日本の歴史を変えたんだって)。
あとえーと、弟子、この人は最初から違和感があったんですが弟子とされている人のところに「こんなに偉い弟子がいたんだから、作家として偉い」的な志賀さん持ち上げタイプの文章で書かれてることがほとんどで。
ほとんどというか、梶くん以外でその形式から外れてるものを見たことがないの。
それと、広津さんいますやん、宇野さんの親友。
広津さんてまあ、通俗小説書いてた印象なんですけどね一部で。
白樺とも縁が深いんですよ、で、宇野さんを連れてったことがあったんです。

宇野さんが志賀さんに私淑していたために訪問した、ということだけが語られてました(他で年代知ってたのでわかったパターン)、多分その本も白樺と志賀さんが分離した設定だったんじゃないでしょうか。
鴎外さんとこの図書室にありました、そっと本を置きました。
とりあえずあの、武者さんと対立させないであげて欲しいとか、広津さんと宇野さんを分離しないであげて欲しいとか、白樺と袂別ったというのも定番だとか、そういう真面目な感じの嘆きはご贔屓の方たちにお任せします、武者さん消すの酷いだろ。
でもよく考えたら昭和3年時点で志賀さんと武者さん分断されてたな?!
どこ行くんだろうね、超絶謎の作家、どこから混乱してるんだろうね、志賀さん。

(文アルとか近代芸術、138)
最終更新:2019年03月12日 02:57