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What's "reality"? 1/一路◆51rtpjrRzY




 ***1***

 『スタンフォード監獄実験』というものをご存知だろうか。
 1971年アメリカ、心理学者フィリップ・ジンバルドーによって行われたこの実験は、スタンフォード大学の学生をそれぞれ看守と囚人役のグループに分け、その行動を観察するというものであった。
 しかし、あまりに迫真の『リアリティ』を求めた結果、その実験は、権力に酔いしれた看守役側の行き過ぎた体罰や折檻が元となり、中止を余儀なくされてしまう。
 『誰かを自分の思う通りにコントロールできる』……そのような権限を手にしたとき、人は普段からは想像できないような変貌を遂げる。
 支配欲……それは、人間であれば誰しもが心の奥底に封印している、昏く残酷な本能なのである。
 そしてまた、行き過ぎた『リアリティ』の追求は、時として思いも寄らない悲劇を生むものなのだ……。


 さて、冬ももうすぐ終わり――とはいうものの、まだ相変わらず日は短いある日のこと。
 帰り道が暗くなるのを避けてか、帰宅時間にはまだ少し早いというのに、七色ヶ丘中学にはほとんど人気が無くなっていた。
 そんな中、家路を急ぐ他の人間とは打って変わって、教室へと急ぎ足で戻っていく、赤い髪をショートカットにした活発そうな一人の少女の姿があった。

「お〜い、約束通り来たで〜」

 少女――日野あかねはそう言ってガラッと教室の扉を開いた。
 そこで待っていたのは、窓から差し込む西日で黄金色に輝く髪にカチューシャを付け、制服に袖口が余る少し大きめのカーディガンを羽織った気弱そうな少女――黄瀬やよいだった。

「あ、ご、ごめんね、あかねちゃん。無理言って呼び出したりしちゃって。疲れてて早く帰りたいでしょうに……」
「あ〜、ええって、ええって。バレー部も冬の間は切り上げるの早なるしな。それに練習のメニューも夏に比べたら大した事ないし…」

 恐縮するやよいに対し、そう返したあかねだったが、教室の外は息も真っ白になりそうな程寒かったであろうに、身につけた体操服は半袖ショートパンツで、その肌にうっすらと汗を滲ませていた。どうやら言葉とは裏腹に、かなり過酷な練習をこなしてきたらしい。
 それに気が付き、申し訳なさ気な様子のやよいが口を閉ざしてしまったのを見て、あかねは心配させまいと朗らかに笑った。

「ははは、ホンマに気にせんでええって!ウチを誰やと思ってんねん。太陽サンサン熱血パワー!ってな。まあそれはともかく、何でウチを呼び出したん?」

 午後の授業中にこっそりやよいから彼女に回ってきた手紙に従い、あかねは部活が終わるやいなやここへと駆けつけたのだったった。

「なんや、手紙には『皆には内緒で、ちょっと恥ずかしいんだけどお願いがあるの』なーんて書いてたけどやな。ウチは何をしたらええねん?」
「う、うん……その事なんだけど……」

 やよいは暫く言いにくそうにもじもじしていたが、意を決した、とばかりにその顔を上げた。

「……あのね、実は……あかねちゃんに絵のモデルになって欲しいの!」
「はぁ!?う、ウチが絵のモデルゥゥゥ!?」

 やよいの言葉を聞き、一瞬目を丸くしたあかねは、腕を組み、うつむき加減に考え込む。
 ――しばしの沈黙の後、あかねは頬を赤く染め、らしくもなく躊躇いがちにおずおずと口を開いた。

「でも……う、ウチ、その……そんなに、は、裸に自信……ないで?」
「は――!!??」

 今度頬を赤くしたのはやよいの方だった――最も彼女の場合、頬どころか耳まで真っ赤にして、頭からは湯気でも吹き出しそうな勢いであったが。

「ちちち違うの!!わわわわたしは、ははは裸なんてそんな――!!」
「な、なんや……違うんかいな……。ほ、ホラ、『恥ずかしいけど』なんて書いてたからやな、ウチはてっきりお約束のヌードデッサンかと――あ、あはは……」

 スケッチブックを両腕で胸に抱いて、ブンブンと首を横に振るやよいに、あかねは気まずそうに笑いかける。
「もう……あかねちゃんたら……エッチ……」とブツブツ呟きながら、抱いているスケッチブックに紅潮した顔を半分隠すと、やよいは上目遣いであかねを軽く睨んだ。
 それから二三度呼吸を繰り返し、緊張した面持ちで口を開く。

「そ、そのね……実は今描いてるマンガで、どうしても描けないシーンがあって……そのモデルになって欲しい、ってだけなの……」
「なんや、マンガのモデルかいな。そりゃまあ、他ならぬやよいの頼みやし、ウチでええならモデルぐらいお安い御用やけど……しっかし、やよいがそないな事ウチに頼むなんて珍しなあ……校内美化ポスター以来ちゃうか?」
「う、うん……そ、その……何て言えばいいかな……今まで描いた事ない絵でね……動きとか構図とか、そ、想像もつかなくて……やっぱり、漫画に一番大切なものって『リアリティ』だから……デッサン用の人形じゃピンと来ないし……」
「うーん……『リアリティ』なあ……」

 あかねの脳裏に、バレーコートのネット際でレシーブを打つ自分の姿が浮かび上がる。

(ウチに頼む言う事はやっぱスポ根モノやろなあ……そりゃ運動音痴なやよいじゃそういうの想像もつかんやろうから、なんぼ絵が上手い言うたって描けんのも無理ないわ……)

 うんうん、と一人納得すると、あかねはやよいに向かって左手の親指をグッ!!と立て、片目を閉じると、ニカッと白い歯を見せ、爽やかに微笑んだ。

「よっしゃ、任しとき!ウチがやよいのリクエスト通り、ビシッと決めたるわ!!」
「ほ、本当!?助かる、ありがとう!!」
「で、早速やけどどんなポーズなん?せやなあ、なんちゅーかカッコ良く頼むで!出来るだけ強そうな感じで―――」
「つ、強そう?あ、ちょっと待って!そのね、まだもうひと―――」

 机を動かしてスペースを作ると、勝手に身体を動かし始めたあかねをやよいが両手で制しようとした時、不意に教室の引き戸が開かれた。
 あかねとやよいが驚いてそちらに目を走らせると、そこには不思議そうな顔をした、黄色いリボンで髪を結んだポニーテールの、スポーツバッグを手にした健康的な少女―――緑川なおが立っていた。
 半袖ショートパンツの体操服で軽く息を切らしているところを見ると、どうやら彼女もあかねと状況は同じらしい。

「あれ?あかねもいるんだ?やよいちゃん、皆には内緒の話じゃなかったの?」
「なんや、なおも呼ばれてたんか?んー……まあそういうシーンやったら相手は必要やもんなあ……」
「そ、そうなの!相手が必要なの!で、でね、なおちゃんとあかねちゃんの二人で、是非―――」
「あんな、なお。やよいがウチらに絵のモデル頼みたいんやて。動きのあるシーンが描けへん、言うてな」

 やよいの言葉を遮り、あかねは勝手に話を進めていく。

「ふーん。なんだ、恥ずかしがる事もないのに。そんな事ならあたしは全然OKだけど……」

 自分とあかねというチョイス、そして動きのあるシーンという事から、同じくスポーツシーンを連想したのか。なおは腰に手をやると、あかねの前に立ち、向かい合った彼女に対し、ふふん、と挑発的に胸を張った。

「ま、もっちろん勝つのはあたしの方だよねー。行く手を阻むあかねを、華麗なドリブルで抜き去り、必殺シュートをバーンと―――」
「はあ!?何言うてんねん!ウチが勝つに決まってるやろ!?なおのブロックを、ウチのスーパースパイクで、バシューっと打ち破って―――」
「ちょ、ちょっと二人とも!勝つとかシュートとかスパイクとか、何言って―――」

 やよいの焦った声も、勝負事という事で熱くなり始めた二人の耳には届かない。

「何?あかね、主人公があたしの、爽やかサッカーマンガで勝てるとでも思ってるの?」
「誰がサッカーマンガ言うたんや!ウチが主人公の、熱血スポ根バレー物に決まってるやろ!」

 部活動こそ違え、こと運動能力に関しては絶大な自信を持ち、尚且つ負けず嫌いなこの二人だ。こめかみに筋を浮かばせ鼻に皺寄せ、今にも噛み付き合いしそうな形相で睨み合っている。
 あまりの迫力に言葉を失い、気の弱いやよいは目尻に涙を浮かべて震えるばかりだ。
 グルルル……と互いに歯を剥き出して威圧し合いながら、なおとあかねは合図でもしたかのように同時に首をひねると、傍らに立つ怯えるやよいを睨めつけた。

「やよい!あんたが描きたいのは、ウチのスーパースパイクシーンやんな!?」
「違うってば!あたしの必殺シュートシーンだよね、やよいちゃん!!」

 ジリジリと迫り来る二人に気圧され、教室の中ほどから教卓を越え、黒板にその背がつくまで追い詰められたやよいは、そのままずるずるとその場にへたり込むと、身を守るようにスケッチブックを頭の上に掲げる。
 逃げ場を失ったやよいは二人に向かって、聞こえるかどうかといった小さくか細い声で告げた。

「そ、その……と、とりあえず……なおちゃんがあかねちゃんを……だ、抱きしめてくれない…かな?」



最終更新:2015年02月28日 00:54