前の祭りと、祭りの前/一六◆6/pMjwqUTk
安藤加代が話しかけてきたとき、満はお弁当に持って来たメロンパンを、ちょうどひと口かじったところだった。
今朝、PANPAKAパンの厨房で、満が自分で焼いたものだ。今日の出来にはちょっと自信があったので、満は食べるのを楽しみにしていたのだが……。
「ねえ、満さん、薫さん。ちょっとヘンなことを聞いて悪いんだけど、去年の文化祭のとき、二人は何をしていたんだっけ」
途端に満はそのひと口を喉に詰まらせ、苦しそうに胸を叩く羽目になった。
「え……満さん!?」
それを見て、今度は加代の方が慌てる。いつもクールな満のそんな姿を見ることになるなんて、思ってもいなかったのだろう。
しかも、まるでそれにつられたように、満と一緒にお昼を食べていたメンバー全員が、何だか様子がおかしくなった。
「うわぁ! か、変わったことなんて、何もしてないよね? ねっ? ねっ!?」
咲が突然ガタンと立ち上がったかと思うと、凄い勢いで、満と薫、それに舞の顔を覗き込む。
「と、とにかく、満さん、お茶飲んで!」
いつもよりさらに高い声でそう叫んだ舞は、間違って自分のカップを満に渡そうとして、ごめんなさい、と右往左往している。
薫だけは一見いつもと変わらない様子だったが、よく見ると、箸を持つ手がブルブルと小刻みに震えていた。
四人の様子をあっけにとられて見ていた加代が、申し訳なさそうに肩をすぼめる。
「……ごめんなさい。明日のホームルームで、クラスの出し物の担当を決めるでしょう? それで、去年みんなは何をやってたかなぁって考えていたんだけど、二人の担当だけ、どうしても思い出せなくて……」
(担当……。ああ、そういうこと)
満はようやく加代の質問の意図が分かって、そっと薫と目を合わせ、小さく頷いた。
今年の文化祭では、満たちのクラスは喫茶店をやることになっている。具体的に何をどう準備するのかはよく分からないが、普段PANPAKAパンでお手伝いをしている満には、そのためにクラスメイトの役割分担を決める必要がある、ということはよく理解できた。
(でも、去年のことって言われても……)
加代が思い出せないのも、無理はない。去年の文化祭の頃、満と薫は、本当はダークフォールの湖の底で眠っていて、この世界には居なかったのだから。
二人がずっとこの学校に通っていたという加代の記憶は、不思議な力によって作られたもの。だから、「そこに居たはず」と思い込んではいても、その期間のありもしない二人の行動までは、思い出せるはずがない。
満はお茶をごくりと飲んで、わざとゆっくり、何度も大きく息を吐いた。呼吸を整えるふりをしながら、この場をどうしのぐか、必死で頭を働かせる。
以前は何も考えなくても、その場をごまかすことなんて自然に出来たはずなのに、とふと思った。一体いつからこんなことに、こんなに頭を使わなくてはならなくなったのだろう。
去年の文化祭に、クラスの出し物としてホラーハウスを作った、という話は、咲と舞から聞いていた。ホラーハウス、というものがどんなものなのか、いくら説明を聞いてもちっともイメージが湧かないのだが、話を聞いた限りでは、“担当”には、当日何かしらの役を演じる担当と、当日は表に出ない裏方と呼ばれる担当の二種類があったらしい。
(それなら裏方だったことにしておくのが安全そうだけど……)
ちらりとそう思ってから、いやいや、と満は心の中でかぶりを振る。
三年生のこのクラスでも学級委員を務めている加代は、真面目で頭が良く、誰にでも率直にものを言うタイプだ。クラス全体をよく見ていて、おまけに追及も厳しい。つい先日も、掃除当番だったことをすっかり忘れて漫才の練習をしていた星野健太が、理路整然とした口調で注意され、たじたじとなっているのを見たばかりだ。
(下手な作り話をするより、出来るだけ嘘をつかなくていい話し方をした方がよさそうね)
満は心を決めると、すっと口角を上げ、以前より柔らかくなった――しかし最近にしてはちょっと固い笑顔を、加代に向けた。
「ごめんなさい、よく覚えていないわ。でも私たち、去年は文化祭のことよく分かってなかったから、安藤さんに覚えられるほど役には立ってないわよ、きっと」
「いいえ。役に立ったとか立ってないとか、そういうことじゃないの」
何とかいつもの調子で答えた満に、加代は相変わらず生真面目な様子でかぶりを振る。
「去年のホラーハウスは大成功だった。部活や他の出し物で忙しい人たちも、時間をやりくりして、みんな少しずつでも関わってくれて……。
クラス全員が、それぞれの力を出し合って作り上げた文化祭だったって、それが凄く嬉しくて誇らしかったの。だから、二人のこともちゃんと覚えていたいって、ただそれだけなの」
(だから、どうして私たちのことを覚えていなくちゃいけないのよ……)
その疑問を飲み込んで、満がなおも言葉を続けようとしたとき、満にとって爆弾のような台詞が、すぐ隣から聞こえた。
「私たちは……居なかった」
「何言ってるの!」
押し殺したような薫の声に、満がさらに小声で、鋭く叫ぶ。
「か、薫! それって、『文化祭で力を出してはいなかった』って意味だよね? ねっ?」
「あ……え……ええ」
咲の機転――と言うより勢いに押されたように、薫はコクリと頷いた。それを見て、満が小さくため息をつく。
薫は昔から、その場をごまかすのが得意ではない。今のようにぽつりとバカ正直な発言をして、満がフォローしなければならなかったことも、一度や二度ではない。
それは薫自身も自覚していたから、満は今回も、あとは自分が引き取って何とかしなくちゃ、というつもりでいた。
ところが薫は、そんな満には目もくれず、まっすぐに加代の目を見て、なおも言葉を繋いだ。
「それなのに……ありがとう」
「え?」
「私たちのこと、仲間に入れてくれて」
「あ、当たり前じゃない。お礼を言われるようなことじゃ……」
加代が珍しく頬を赤くする。それを見て、咲と舞がホッとしたように、笑顔で目と目を見交わした。
だから、誰も気が付かなかった。薫の言葉を聞いて、満がハッとしたように大きく目を見開いてから、それっきり口を閉ざしてしまったことに。
「去年は出来なかったけど、今年は私たちも居る……いえ、ちゃんと仲間に入る。力も出すわ」
薫は、加代を見つめ返して真面目な顔でそう言ってから、ふっと表情を緩め、柔らかく、そして少しだけ寂しそうに微笑んだ。加代はその顔を見て、分かったわ、と頷くと、それ以上の質問をやめて、自分の席へ戻っていった。
☆
その日の放課後は、珍しくソフト部も美術部も部活が無い日ということで、咲と舞、満と薫の四人は、久しぶりに連れ立って帰宅の途に就いた。
ゴーヤーンを倒し、緑の郷の精霊たちのお蔭で命を繋ぎとめた満と薫は、今は咲の家で、家族の一員として暮らしている。
薫は、三年生になってから舞と同じ美術部に入ったが、満は部活動をしておらず、学校が終わったらPANPAKAパンのお手伝いをしながら、熱心にパン作りを習う毎日だ。
「そう言えばさ、舞」
校門の前の坂道を半分ほど降りたところで、咲が隣を歩く舞に声をかけた。
「今年の文化祭のモニュメント、デザイナーは二年生の子になったんだってね。舞を推薦する声も多かったのに、辞退しちゃったって彩乃さんに聞いたけど」
心配そうに眉根を寄せてこちらを覗き込んでくる咲に、舞は小さく微笑みかける。
「辞退ってほどのものじゃないの。せっかくの機会だから、いろんな人が経験した方がいいと思って、そう言っただけ。私にとっても、あれは忘れられない思い出になったから……。それに、毎年違ったタイプのモニュメントの方が、文化祭も楽しいじゃない?」
「うーん、去年の舞のデザインすっごく素敵だったから、ちょっと残念な気はするけど……。でも、何となく分かるよ、舞の気持ち」
そう言ってニコリと舞に笑いかけてから、何気なく満と薫を振り返った咲は、そこでもう一度かすかに眉根を寄せた。
さっきまで普通に話をしていた二人が、黙って下を向いているのだ。特に、いつもなら好奇心の赴くままに話に加わってくる満が、何だかとても沈み込んでいるように見える。
咲は少し考えてから、うん、と小さく頷くと、くるりと回れ右をして後ろ歩きをしながら、隣の親友が抱えているスケッチブックに目をやった。
「ねえ、舞。去年のモニュメントのデザイン画って、そのスケッチブックに入ってる?」
「え? うん、入ってるけど」
その答えを聞いて、咲が満足そうにニカッと笑う。
「じゃあ、もし良かったら、今からうちに来ない? 満と薫はあのモニュメントを見てないから、デザイン画と写真だけでも見せたいなぁと思って。
それにクラスの出し物にしたって、説明だけじゃきっとイメージ湧かないよね。ホラーハウスと喫茶店じゃ全然違うけど、うちにも去年の文化祭の写真ならいっぱいあるし、去年の三年生がやった喫茶店で撮った写真もあったと思うんだ。だから、明日のホームルームの前に、雰囲気だけでも伝えられるかなぁって」
じっと咲の顔を見ながら話を聞いていた舞が、嬉しそうに、うん、と頷く。
「それ、いい考えね。文化祭の写真ならうちにもあるし、あのとき描いた絵も、もう何枚かあったと思う。じゃあ、わたしは一旦帰って、二人に見せられそうなもの、持って行くね」
「うん、よろしく! 満と薫も、いいでしょう?」
咲が二人の顔を交互に見ながら尋ねると、薫はすぐに、ええ、と返事をした。だが。
「ごめん、咲。私、これからちょっと寄るところがあるから」
満の方は、咲と目を合わさずにそう言うと、すっと仲間たちの輪から離れ、いきなり駆け出した。
「あ、待ってよ、満!」
満の足は速い。見る見るうちに坂を駆け下りて、その背中がぐんぐんと小さくなっていく。少しの間、その後ろ姿を見つめていた咲は、すぐにぐっと拳を握った。
「わたし、行って来る。薫、先に家に帰ってて。わたしも満と一緒に、すぐ帰るから!」
そう言うが早いか、咲は満を追って走り出した。
「満……どうしたのかしら」
呆然とその場に立ち尽くす薫の肩に、舞がそっと手を置く。
「咲が追いかけて行ったから、大丈夫だと思うけど……。薫さんにも、心当たりは無いの?」
「ええ、全く。こんなこと、今までなかったのに」
軽く目を伏せた薫の、長い睫毛が震えている。
口数の少ない薫と違って、満は割合、思ったことをすぐに口に出す性格だ。気の置けない仲間内では特にそうだったから、薫は以前と同じように、満のことは何でも分かっているつもりでいた。
(だけど……)
「考えてみたら私、満の気持ちすら、以前のように全て分かるわけじゃないのよね」
薫の肩に置かれた舞の手に、ほんの少し力がこもる。
「そう。でも、大丈夫よ。わたしたちは最初から誰とだって、お互いに何を考えているのか、口に出さないと分からないもの」
そう言って、舞は柔らかく微笑んだ。
「薫さん、お昼休みに、安藤さんにお礼を言ったでしょ? 安藤さんの気持ちを、ちゃんと思いやっていたじゃない」
「あれは、感じたことをそのまま言っただけよ。安藤さんがそう思ってるって、ちゃんと分かって言ったわけじゃない」
大真面目に答える薫に、舞の笑みが深くなる。
「分かることより、思いやることの方が素敵だと思う。自分の気持ちを素直に口にして、相手の気持ちを大切に思っていれば、誰とだって、ちゃんと繋がっていけると思うわ」
そうなのだろうか、と薫は思う。自分はいつものように、思ったこと、感じたことを言っただけ。自分の気持ちを口にしたとも、あまり意識していなかったのに。
「薫さん」
再び考え込みそうになった薫を、舞の声が引き戻す。
「もし良かったら、今から一緒にうちに寄ってくれない? こういうときは一人で居るといろいろ心配しちゃうから、薫さんが一緒に居てくれた方が心強いし」
「ええ、いいわ。私も、一人より舞と一緒に居る方が、何だか気持ちが楽になる気がする」
薫はそう言ってから、うっすらと頬を赤く染めた。
「舞」
「なぁに?」
「気持ちを口に出すのって……意外と恥ずかしいのね」
舞は、それを聞いてフフッと小さく笑うと、行きましょう、と薫と肩を並べて歩き出した。
☆
満は、少しオレンジがかってきた日の光が射しこむトネリコの森で、大空の木の幹に、両手を広げて“ぺったんこ”していた。
咲に言われて、わけもわからず初めてこの木に貼り付いたのは、まだダークフォールの戦士であった頃。
あの頃から、満の周りも満自身もずいぶん変わった気がするし、それほど変わっていないような気もする。でも少なくともこの木の感触は、初めて触れたあのときからちっとも変わっていなかった。
固くてごつごつしているただの幹なのに、自分の存在をどっしりと丸ごと受け止めてくれるような、不思議な安心感を覚える。
頭上の遥か高いところで、ざわざわと鳴る木の葉。そっと髪を撫でていく秋の風。
それらがまるで追憶への入り口になったかのように、満の心は遥か昔――ではなく、今一番心に引っ掛かっている時間――今日の昼休みへと戻っていく。
生真面目な加代の顔。慌てふためく咲と舞の顔。平静を装った自分の声。そして……。
――ありがとう。
耳によみがえる薫の穏やかな声に、満がそっとため息をついた、そのとき。
「いたいた! やっぱりここだったか~」
嬉しそうな、そしてホッとしたような声が聞こえて来て、満はびくりとして目を開けた。
咲が、地表に盛り上がった太い木の根の上へと駆け上がってきて、満の隣に立つ。ここまで走ってきたのだろう。近くまで来ると、咲の息が上がっているのが分かった。
咲は、満と同じように両手を広げて大空の木に貼り付くと、顔だけを満の方に向けた。
「どうしたの? 大空の木に、何か相談事?」
「別にそういうわけじゃ……。ただ、少し気持ちを落ち着けたかっただけ」
満は、いつになく静かな声でそう言うと、顔を木の方に向けたままで、咲、と呼びかけた。
「私って、ダメね」
「どこが? 満はちっともダメじゃないよ。勉強はできるし、スポーツだって凄いじゃない。パン作りもメキメキ上達してるって、お父さん言ってたよ?」
まるで自分の自慢話のように得意げに話す咲に、満が思わずクスリと笑う。
「違うわよ。そういうことじゃなくて」
満は、こちらを見つめる咲の顔をちらりと眺めてから、また顔を伏せて、ボソリと呟くように言った。
「今日、お弁当を食べていたときに、安藤さんが質問してきたでしょ? あのとき私、何とかごまかしてこの場を切り抜けなきゃ、って……そんなことばっかり考えてたの」
「ああ、あのときね。無理もないよ。あれはわたしも慌てたもの」
心から同情している響きの咲の声にうながされるように、満はまた、ため息と一緒に言葉を押し出す。
「でも薫は……安藤さんの気持ち、ちゃんと感じてた。私たちを気にかけてくれた気持ちに、ありがとうって答えてた。私はそんなこと、ちっとも分からなかったのに」
不思議なことに、一度話し始めると、口からポロポロと言葉がこぼれて止まらなくなった。
いつの頃からか、胸の奥にずっとくすぶっていた気持ち――満自身、あえて考えないようにしてきた気持ちまでもが、言葉になってあふれ出す。
「前からそうだった。薫は正直すぎるから、こっちが慌てることもよくあるけど、その分、緑の郷でとっても素直にいろんなものを感じて、吸収していく。それでも最初は、薫の考えていることは私には大体分かったから、あまり気にしていなかった。
でも最近は、薫の考えていることが分からないときの方が多いの。薫はどんどんいろんな気持ちを手に入れて、緑の郷の人間になっていくのに、私は……」
「大丈夫だよ、満」
不意に、満の左手があたたかな何かで包まれた。咲が右手を伸ばして、大空の木の幹に置かれた満の左手に、自分の手を重ねたのだ。
思わず顔を上げた満の目を覗き込むようにして、咲は語りかける。
「ねえ満。安藤さんが質問してきたとき、満はどうして、その場を切り抜けなきゃって思ったの?」
「だって、それは……」
満の声が小さくなる。
「辻褄の合わないことを言って、安藤さんにヘンに思われたくないし、そうしたらクラスのみんなも、ヘンに思うかもしれないし。そんなことになったら、咲と舞にも迷惑がかかるかもしれないじゃない」
「わたしと舞のことはともかくさ。思い出してみてよ。満、本当に前からそんなこと考えてた? 安藤さんやクラスのみんなにどう思われるかなんて、気にしてた?」
「え……?」
目をパチパチさせてこちらを見ている満に、咲は、得意そうにニッと笑ってみせる。
「ほらね。それって今の満にとって、安藤さんやクラスのみんなが大切だからでしょ? クラスの仲間として、みんなと一緒に居て、楽しく過ごしたいからでしょ?
その気持ちがあれば、難しく考えなくても大丈夫! 文化祭だって、今年はみんなと一緒に居られるんだもん。力を合わせて素敵な喫茶店を作り上げて、みんなで楽しく過ごせば、それでいいんじゃないかな」
「咲……」
少し目を潤ませている満の手を、咲はポンポンと軽く叩いてから、勢いよく地面へと飛び降りた。
「さぁ、早く帰ろう。もうそろそろ舞も来る頃だよ。薫もきっと、満のこと心配してるよ」
「そうね」
自分でも驚くくらい、明るい声が出た。咲にそう言われると、本当に大丈夫だって思えるから不思議だ。
満はそう思いながら、大空の木の懐から飛び降りて、咲の隣に軽やかに着地した。
トネリコの森を抜け、少しカーブした坂道を下ると、PANPAKAパンの赤茶色の屋根が見えてくる。すると、ちょうど反対側から坂道を上って、二人の少女がやって来るのに出くわした。
「あ、舞と薫だ。おーい! グッド・タイミングだよー!」
咲が嬉しそうに大きく右手を振る。満も隣で手を挙げながら、文化祭の出し物の喫茶店に、自分が焼いたパンを持って行ってもいいかどうか、父の大介に聞いてみよう、と考え始めていた。
店の前では、いつものようにうたた寝をしていたコロネが、物音に気付いたのか、ピクリと耳を動かした。そして大きく伸びをすると、手を振り合う四人の少女たちを眺めて、ニャア、と呑気そうに一声鳴いた。
~終~
最終更新:2015年03月24日 22:30