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「ベレー帽の秘密」




「へぇ、マーブルドーナツって、新しいお店が出来たんだ~。きららちゃんの晴れ姿も、新しいお店も楽しみだなぁ。それに! 何と言っても、テレビ! テレビ番組だしねっ!」
「もう、はるはるったら、興奮し過ぎだよ」
 食堂の一角にある談話スペースで、はるかちゃんが、ぴょん、と長椅子から立ち上がる。隣りで柔軟運動をしていた天ノ川さ……えっと、きらら……ちゃんは、苦笑気味に返事をしてから、ん? と首を傾げた。

「そう言えば、はるはる。そのベレー帽、初めて見るね。似合ってるじゃん」
「ああ、これ? カッコイイでしょう! これは、あたしのじゃなくて、ゆいちゃんのなんだ~」
「へぇ、ゆいゆいの……」
 はるかちゃんの得意げな声ときららちゃんの視線に、思わず頬が熱くなる。きっと真っ赤になってるんだろうな――そう思うと恥ずかしくて、顔が上げられなくなってしまった。

 はるかちゃんが被っている黄色いベレー帽――それは、わたしがノーブル学園に入学が決まった時、お小遣いをはたいてこっそり買ったものだった。
 絵本作家になりたい、という夢を叶えるための、小さいけれど大切な一歩を踏み出す、その記念として。
 でも、いかにも画家か漫画家が被っていそうなこのベレー帽を、被る自信はなかなか出なかった。

 ドレッサーの奥にしまい込んでいたこのベレー帽を、これからは被ろうって決めたのは、はるかちゃんたちの仲間になる、って決めた時。
 自信が無くて、誰にも言っていなかった将来の夢――思い切って初めて打ち明けたわたしの夢を、はるかちゃんは、素敵だって言ってくれた。そして、わたしが知らないところで、必死で戦って、その夢を守ってくれた。
 だから、わたしもみんなの力になって、みんなと一緒に夢を守っていきたいって思った。そして、はるかちゃんが守ってくれたわたしの夢を、これがわたしの夢だって、堂々と胸を張って言いたい、それを叶えるために頑張りたいって思った……。

(だけど……やっぱり恥ずかしいな……。はるかちゃんは何を被っても可愛いけど、わたしが被っても……。)

 今日はヤケにはっきりと見える床の木目を数えながら、そう思った時。

「ほら! ゆいちゃん」
 声と同時に、頭の上に軽くて温かいものがのせられて、わたしは思わず顔を上げた。

「やっぱり! ね? きららちゃん。あたしより、ゆいちゃんが被った方が、だーんぜん似合ってるでしょ?」
 はるかちゃんが、いつもの満面の笑顔で、黄色いベレー帽を被ったわたしの顔を見つめている。
「そうね。そのベレー帽は、ゆいさんによく似合っているわ。あなたの夢は、明るくて穏やかで、とても優しいのね」
 柔らかな声でそう言ってから、ニコリと微笑みかけるみなみさん。
「うん、星の黄色っていうより、そのベレー帽はあたたかいお日様の黄色って感じ。確かにゆいゆいによく似合ってる。はるはるよりもね」
 茶目っ気たっぷりに、パチリとウィンクをするきららちゃん。
 わたしの頬が、さっきとは別の意味で熱くなる。でも、今度はちゃんと顔を上げたまま、三人ににっこりと微笑むことが出来た。



 その夜。
 おやすみ、とはるかちゃんに挨拶をしてベッドに入ってから、わたしはそっと、布団の中に入れておいたベレー帽を手に取った。
 ベッドの上に横になったまま、ベレー帽を顔に近づけて、そっと匂いを嗅いでみる。
 わたしのものとは違う、かすかに残る甘い香り。

(はるかちゃんの匂い……? いや、わたしとは違うシャンプー、使ってるだけだよね)

 そう自分に言い聞かせても、心臓がわたしの意志とは無関係に、トクントクンと大きな音を立て始める。すぐ上に寝ているはるかちゃんに聞こえるんじゃないか――そんなバカみたいな想像をしちゃうくらいに。

 みんながわたしの夢を応援してくれたこと、今日のあの嬉しい会話は、このベレー帽を被るたびに、嬉しく思い出すだろう。ベレー帽を被って嬉しそうに飛び跳ねていた、はるかちゃんの笑顔もきっと、思い出として残るだろう。
 だけど、この甘く密やかな香りだけは、今宵限りのものだから――わたしの夢への決意表明と一緒に、皮肉にもあっけなく消えてしまうものだから。
 だから、今夜だけは……。

 息を詰めるようにして、そっと眼鏡を外す。
 何も見えない甘く切ない暗闇の中で、わたしは静かに、思い切り息を吸い込んだ。

~Fin~
最終更新:2015年05月03日 22:26