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次へ、次へ/makiray




 ある日曜。
 母親からお使いを頼まれたあゆみがマンションに戻ってきた。
 向かいの清水家を覗き込む。
 その家はモモという名の犬を飼っている。出かけるときに姿が見えなかったのだが、散歩でもしていたのであればもう戻っているのではないかと思った。
「あれ」
 いた。だが、奥の方の犬小屋に入ったままである。
「モモちゃん?」
 あゆみが声をかけるとモモはこちらを見た。だが、起き上がる様子がない。
 どうしたのだろう。心配だが、勝手に入るわけにもいかないし、と思っていると玄関のドアが空き、向かいの主人が餌の入った器を持って出てきた。
 だが、いつもなら飛び出してくるモモが関心を示さない。むしろ、あゆみの声に上げかけた上体を戻してしまった。
 清水は、困ったな、という顔をしたが、あゆみに気付くと笑顔を向けてきた。
「あの…」
 その笑顔に甘えるようにして、門の中に入る あゆみ。
「モモちゃん、どうしたんですか?」
「それが、昨日からこんな感じなんだよ。餌もほとんど食べないし」
「え…」
 あゆみは心配そうにしゃがんだ。モモの頭をゆっくりとなでるが、モモは何の反応も示さなかった。
「まぁ、モモもそんなに若いわけじゃないしねぇ」
「そうなんですか?」
「六歳だからね。人間で言ったら、そろそろ 50 歳だ」
「…」
 まさか。
 あゆみの唇が震えた。
 モモがいなくなる? それも、そんなに先のことではない、というのか?
「あの。
 獣医さんには」
「診せた方がいいかとは思うんだけど、今日はお休みだし。今週はちょっと私の仕事が立て込んでてね。来週の土曜日くらいかな」
 一週間も先。こんなに弱っているのに。
(その間に何かあったら…)
 あゆみはその想像を振り切ろうとしたが、振り切れなかった。悪い想像ばかりが浮かんでくる。何かないのだろうか。自分にできることは。
「あ」
「どうしたんだい」
「あの、診てもらえるかもしれません」

 清水は、距離があることにわずかに難色を示したが、あゆみの必死の表情に折れた。車の後ろにモモを乗せ、向かった先は四つ葉町だった。
「あの…」
 山吹祈里の父、正は、迎えたときこそ笑顔だったが、モモを見るなり厳しい表情になった。あゆみは、そんなにモモの具合が悪いのか、と逆に不安を強めた。
「モモちゃん…」
「あゆみちゃん」
 祈里は、あゆみを診察室の外に連れ出そうとしたが、あゆみは動かなかった。手を震わせながら診察の様子を見ている。
「昨日あたりから、ということでしたが、何かお気づきになったことは」
「そうですね。
 食欲がない様子で、ずっとうずくまっていて」
「ほかには。どんな些細な事でも構いません」
「あぁ、さっき連れ出した時、犬小屋に敷いてあるタオルに赤いものが」
「…。
 血?」
 あゆみが呟く。正は、一度、モモに視線をやった。
「けがをしている様子はなかったのですが…。
 どの辺りでしたか」
「犬小屋の奥の方です」
「奥…」
 正はそれを聞くと眉をひそめ、もう一度、モモの顔を覗き込んだ。
「モモちゃんのエサはどうしていますか。
 皆さんの食事、例えばお味噌汁を与えたりは」
「いえ、そういうことは。ドッグフードだけです」
「そうですか…」
「先生、モモちゃんは」
「近くに小学校などは」
「はい?」
「子供たちが勝手にモモちゃんに餌をやったりはしませんか」
「あぁ、そういうことはないようです」
「散歩のときに何か食べたりは」
「させないようにはしていますが、目を離したすきに、ということが絶対にないかと言われますと…」
「ふむ…。
 ちょっと検査をしましょう。
 みなさんはちょっと外でお待ちください」


 じりじりと時間が過ぎる。診察室のドアが開くと、あゆみははじかれたように立ち上がった。
「先生」
「おそらく、タマネギ中毒でしょう」
「タマネギ…中毒?」
 あゆみは何を言われているかわからない、という様子だったが、飼い主である清水の方は理解したようだった。
「うちでタマネギを食べさせたりはしませんけど」
「えぇ。
 それで、近くに小学校があるかどうか、というようなことを聞いたのです。それもないとすると、散歩中に清水さんの目を盗んで、タマネギの入った何かを食べたんでしょうな」
「あの、どういうことなんですか」
 正は、あゆみの様子に、むしろ笑顔を見せた。
「犬はね、タマネギを食べられないんだ。急性の貧血になってしまうんだよ」
「貧血…ですか」
「おそらく、タオルについていた赤いもの、というのは尿の中に溶けだした血液だと思う」
「先生、大丈夫なんですか。
 貧血で、あんな風になっちゃうなんて!」
「大丈夫よ」
 祈里があゆみの手を取る。
「お父さん、吐いたりしていない、ということはそれほど多くはないんでしょう?」
「あぁ」
 正が頷く。
「おそらく心配はない。
 ですが、今夜は念のためにこちらで預からせていただけますか。
 なに、明日か明後日には回復すると思いますよ」
 清水が、お願いします、と言うと、あゆみは手で顔を覆った。よかった、という声が漏れてきた。

「あゆみちゃんは、モモちゃんが大好きなのね」
 落ち着くと、祈里はあゆみを自分の部屋に招いた。温かい紅茶で、あゆみはほっと息をつく。
「うん…。
 あの町に引っ越してきて、あの騒ぎを起こして…その後、最初に友達になってくれたのはモモちゃんなの」
「そうなんだ」
 ずっと友達でいてくれると思っていた。そうではない、ということなど、考えてもみなかった。
「あゆみちゃんの家では動物を飼ったりはしないの?」
「うちのマンションはペット禁止なんだ…前のアパートもそうだったから。
 子供の頃に、犬を飼いたい、猫を飼いたい、って駄々をこねたことはあるけど、実際に飼えたことはなかったな。
 でも」
「でも?」
「私、何も知らなかったんだな、と思って」
 犬にタマネギを食べさせてはいけない、ということ。タマネギの入った肉じゃがも、味噌汁も、ハンバーグも危険だ、ということ。
 さらに、チョコレートやコーヒーもダメだ、ということ。
 そして、犬の平均的な寿命は十歳くらいである、ということ。
「私なんかが飼わなくてよかったのかも」
「それは違うと思うよ」
 祈里は、印象とは裏腹にやや強い調子で言った。
「そういうことは飼いはじめるときに憶えればいいことだから。
 それよりも」
 そして微笑む。
「体調が悪そう、っていうことに気付いてあげられる。
 気づいたときにすぐに行動できる。
 そういうことが大事なの。
 あゆみちゃんは、十分、ペットを飼う資格を持ってると思う」
「祈里ちゃん…」
「モモちゃんがあゆみちゃんの友達になったのは、あゆみちゃんのそういうところがわかったからじゃないかな」
「そうなのかな…」
「うん。
 だって」
 祈里はあゆみの手を取った。
「あゆみちゃんは、思いを届けるプリキュアなんだから。
 モモちゃんに届かないはずがないもの。
 私、それは間違いないって、信じてる」
 温かい手。
 将来、この手がたくさんの動物を救うことになるのだ、とあゆみは思った。
 それが遠い先のことではない、ということを あゆみも信じられる。
「祈里ちゃん、私に犬のことを教えて。
 モモちゃんが元気になったら、色んなことをしてあげたい。今よりもっと気をつけてあげたい」
「うん。
 喜んで」
「ありがとう!」
 次へ。
 してもらうだけの自分、してもらえなかったら不平を言うだけの自分からは脱皮できたと思う。多分。
 次は、誰かのために何かをしてあげられる自分にならなければ。
 まずは、モモのために。
 その手助けをしてくれる祈里のために。
 ラブや美希、せつなのために。大事な友達のために。
 今は知らない誰かのために。
 そう思うだけで、胸がどきどきするのはなぜだろう。祈里が笑顔を忘れないのは、その理由を知っているからではないか、とあゆみは思った。
最終更新:2016年11月01日 00:05