フレンド/そらまめ
「…その問題は前のページに書かれていた公式を使うんじゃないか?」
止まった手の動きに気付いてそう告げたのは、横からのぞき込むように教科書を見ていたひとだった。
「…だから先に答えを言うのはやめてって言ってるでしょ」
「ふっ、それは私の方が優秀なのだから仕方ない。溢れる才能を恨むと平凡の証明になるぞ」
得意げに腕組をしてそういう彼女にイラっとしたなにかがふつふつと込み上げるが、ここで争いになれば宿題が終わらなくなりそうなので我慢する。
「はいはい。さすがですね」
「おい貴様、棒にもほどがあるだろう」
「今集中してるのよ。後にして」
「これだから最近の冷めやすい若者は」
「いやあなたも同い年でしょ」
「私はお前とは埋めようのない経験値があるんだ」
「経験値ねぇ…まあ、スライムばっかり倒して得た経験値でも経験した事には変わりないものね」
「…貴様が喧嘩を売っていることはよくわかった。表に出ろ」
「いやよ寒いもの。あなただけ外に出て。明日になったら私も行くわ」
「それ学校に行くだけだろ」
ああ、またやってしまった。言い争いが止まらず気付けばいつもなら寝ている時間なのに宿題はまだ半分ほど残っている。時計を見て愕然とした私の横でにやにやとこちらを見ている顔に今度こそ拳を打ち込んでやりたかった。
いつからいたのか聞かれてもよくわからない。気がついたら自然と彼女が隣に立っていたから。最初こそ驚いたものの、あまりに平然と話しかけてくるから常識という言葉はどこかに消えてしまった。それからずっと、彼女は傍にいた。ラブの家に初めて来た時も彼女は私よりも先に部屋でくつろいでいたし、学校にはさすがに来ないものの、下校途中に雑貨店をうろつく彼女を見かけたことがある。話しかけようとするとすぐ逃げるから何をしていたのか聞けたことはない。そのくせ一人きりで寂しいと感じる時は必ず現れる。
そんな不思議な友人だった。
放課後、教室の掃除当番のため一人残って床を箒で掃いていた時、風が頬を撫で、ふと窓辺に視線を送った。換気のために開けている窓から入り込む風は冷たく、教室内にいるのに白い息が出る。そんな風に身を縮こませていると、風にあおられカーテンが揺れる。ひらひらと旗のようにたなびくカーテンに、何故だか彼女を重ねた。そうやってぼんやりと手を止めていたら、ゴミ捨てから戻ってきたラブにまたぼーっとしてると頬を膨らませて言われた言葉。ラブからそうやって言われたのは今日何度目になるだろう。
「せつな昨日何時まで起きてたの? 今日はぼんやりしてること多かったし、随分遅くまで電気ついてたってお母さん言ってたけど」
「宿題がちょっと終わらなくて…」
「せつなが手こずるなんて結構難しかったの? というかそっちはどの単元まで終わってる?」
「美希たんの学校と同じくらいだと思うよ? ほら」
「あ、ほんとね。この前やったわここ。でもここはそんなに悩まないとこだと思うけど」
「ちょっと集中できなかったの。気が散っちゃって」
溜息をつきながらジュースを一口。なんであんな子供の喧嘩みたいなのに乗せられてしまうのだろうかと自問自答していると、隣からのぞき込むように見てきた祈里に思わずビクリと身体が揺れた。
「せつなちゃん悩み事? 相談乗るよ?」
「ああ、いえ、そういうのじゃないから大丈夫よブッキー」
「ホントにせつな? 嘘ついたらタダじゃおかないわよ」
「美希は心配してるのか脅してるのかどっちなの…」
「もちろん心配してるに決まってるよ!」
「なんでラブが応えるのよ」
三人の視線が集中して思わず視線を逸らす。丸型のテーブルを囲んで座っているからどこを向いても視線に攻め立てられてついには後ろを向いてしまった。そんなリアクションをしたものだから本当に何か悩みがあるんじゃないかと質問責めにされたのはしょうがないのだろうか。いや、全ては彼女の所為だろう。絶対殴る。
帰ってからおやつのクッキーを片手に部屋に入れば、呑気にベットで昼寝していた彼女の姿が眼に飛び込んできて、その頭めがけて手のひらを叩き落とす。仲間に余計な心配をさせてしまったと文句を言えば、彼女は馬鹿にしたように大笑いしながら持ってきたおやつをもしゃもしゃ食べるものだから、もう一度頭を叩いて部屋を出る。
その時彼女がどんな顔をしていたかなんて知らない。
「お前いつの間にコーヒーブラックで飲めるようになったんだ?」
新しく持ってきたクッキーと一緒にコーヒーを入れたマグカップを二つ。ミルクも砂糖も今日は一人分しか手元にはない。
「この間美希に美味しいコーヒー店に連れて行ってもらってからよ。ブラックも悪くないわね。そういうあなたはいつまで砂糖とミルク入れるのかしら?」
「ちっ、これだからちょっと背伸びしたがる子供はすぐ影響される」
「なに、負け惜しみかしら? 子供って言うなら子供味覚のままのあなたの方が子供らしいわよ」
「ぐぬぬぬ…」
悔しがる彼女にふふんと得意げになってコーヒーを飲む。本当は少し苦いけど、それを言うのは止めておこう。
自分だっていつまでも子供のままではないのだ。味覚も背の高さも変わっていく。実際一月で一センチ身長が伸びて、靴のサイズも大きくなった。成長期だからこれくらいあって当然なのだ。そう、当然のはずなのに、目の前で悔しがる彼女はあの時のままだ。背も同じだったはずなのに、今では私の方が高くなった。履けなくなった靴も彼女にはまだぴったりで、そのことが少しだけ不思議だった。
彼女は何故か写真を見たがる。
それは私が仲間と一緒に写っているものだったり、最近私が撮り始めた風景や街の人だったり、とにかくそれを嬉しそうに見る。でも、私が彼女を撮ろうとすると脱兎のごとく逃げるのだ。「写真は魂を取られるんだぞ。貴様は私にゾンビになれと言うのか!」と、意味不明な捨て台詞と共に視界から消えてしまうので、撮ろうとしたことはその一度きり。
人差し指でカシャリとボタンを押す。
丘から街を切り取ってフィルムに焼き付けても、この美しさはとらえきれない。変わる街並み、風景、日々変わっていくものを忘れたくなくて、すこしでも残したくて手元のシャッターを切る。
「こんなとこ撮って何が楽しいんだ」
「いつから見てたの?」
「お前がカメラ片手に家を出るあたりから」
「最初からっていうか…ホントに最初からね。一緒に来てたなら声掛ければよかったのに」
「どんな場所に行くのかとわくわくしていたのに、まさか目的地がこんな丘なんて、私のわくわくを返せ」
「知らないわよそんなの」
やれやれと首を左右に振ってから草むらに寝っ転がった彼女に倣って座る。目を閉じている彼女の横髪が風に揺れる草花と同じように動いていて、なんとなく指先でそっと触れた。揺れる度くすぐったいような感覚が指に伝わる。
しばらく街を見ていると、風のそよぐ音に混じって寝息のようなスース―という音が聞こえてきたことに気が付いた。隣に視線を移せば気持ちよさそうに眠っている。額にはテントウムシの姿が。思わず吹き出しそうになるのを抑え、持っていたカメラを向け一度だけカシャリとシャッターを切った。
「ねえせつな、最近写真撮りだしたよね」
「え、そうなのせつな?」
「あ、もしかしてその紙袋の中身って写真?」
「現像が終わったからさっき取りにいってたの。私もまだ見てないのよ」
「ほんとに!? じゃあ今見よう!」
「ラブならそういうと思ったから一人で受け取りに行ったのに…」
「公園に寄ったのが運のツキだったわねせつな。さあ見せなさい」
「美希まで…」
自信があるわけではないのでみんなに見せるのはまだ恥ずかしい。映りが悪かったりブレていたらかっこ悪いから、まずは自分だけで見たかったのにと思い、助けを求めてブッキーを見ればにこりと笑われた。あ、これだめなやつだ。
「せつなちゃん、わたしも見てみたいなあ。だめ…?」
3対1では折れるしかなかった。
「あ、この猫知ってる! 路地にいた子だ!」
「あー、この間工事終わった店じゃないここ。そういえば前はこんなだったわね」
「この雲の形鳥さんみたいで可愛い」
机いっぱいに広げられた写真。今まで現像していなかったものも含まれているため中々の量だ。目の前にあった数枚を手に取ると、映っていたのはブレているタルトとシフォンの写真だった。撮る直前でラブが部屋のドアを開けるから驚いて動いてしまったんだっけ。他にも失敗した写真はあったけど、不思議とそちらの方がどういう状況だったのか思い出せた。
これどこの景色?とかこれいつの?とか、そんな質問が三人から寄せられ、気恥ずかしくなりながら答えた。
「この写真わたし好きだなぁ」
「あ、ホントね。テントウムシがいい味出してる」
「一緒に写ってるここもいいよね」
三人が1枚の写真を見てそういう。手に持って見合っているため自分からは見えないが、テントウムシというワードには憶えがあった。額に乗ったテントウムシを思い出すと今でも笑いそうになる。そういえば彼女を三人に紹介したことはなかったな。なんでか、しなくてもいいかと、いや、しない方がいいかと思って…
なんでしない方がいいと思ったんだろう…
だって、紹介しようと彼女を探すとそういう時に限っていつもいないし、人見知りのようだったし。
だからってしないなんて、[普通はおかしい]ことではないか…?
「ねえみんな、私、そこに映ってる人をみんなに紹介したかったの」
「え? この写真に写ってるの?」
「ぷっ、せつなってば面白いことを言うのね」
「せつなちゃんはこのこを私たちに紹介したいの?」
「え、ええ」
なんでだろう。みんなの視線がいつもと違う気がする。友達を紹介したいなんて言ったらラブなら目を輝かせてどんな人か質問責めにしてくるはずなのに。
「この子のこと?」
指をさしながらブッキーが写真を見せてくる。さしていたのは、テントウムシ、だった。
それしか、映っていなかった。
テントウムシがクローバーにとまっている写真。人なんて、どこにもいなかった。
喉の奥が詰まったような感覚がする。横髪に触れた指先を見た。ちゃんと覚えているはずなのに、その手は震えていた。
ガタリと椅子をおして立ち上がり、周りを見回した。いつもみんながいる時は姿を隠しているからいないことはわかっている。それでも探した。見つからなければいいと思いながら。
左右を見て、最後に後ろを振り返る。人一人分の距離に、彼女がいた。いつものような小馬鹿にする笑い方で。
「馬鹿だなぁ。お前は」
「…なんで」
「お前が呼んだんだろ?」
一歩一歩近づいて、彼女に触れられる距離に来た。
「どうしたのせつなちゃんっ?」
「せつな…?」
「せつな、なんで泣きそうなの…?」
後ろから口々に心配する声。でも、応えてはいられなかった。目の前の彼女は珍しく困ったように眉を下げて笑う。思わず抱きしめた。温もりも、感触も、感じるのに。
「せつな、本当はわかっていたんだろ?」
「だって、あなたはここに居るじゃないっ!」
「ほかの奴の顔見てみろ。みんなぽかーんて顔で困ってる」
ちらりと後ろを振り返る。みんな、固まっていた。彼女の言ったように困ったような顔をして。
「みんな、ここに居る人、わかる?」
「せつな…」
「ごめんねせつなちゃん…」
「アタシたちには、せつなしか…」
歯を食いしばって泣きそうになるのを我慢した。かわりにきつく抱きしめる。いつもなら文句を言ってくるはずなのに、笑ったまま頭を撫でてくる。それがとても、悲しかった。
「あいつらならきっと大丈夫だ。せつなを一人になんかしない」
「そうかもしれないけど、それでも、私がこうしていられるのは、あなたがいたからよ」
「ツンデレなせつなにしては珍しく正直に言ってくるな」
「私がひとりの時は必ずあなたがいたもの。私がひとりきりにならないようにしてくれていたって気付いてた」
「だったら、私がせつなが一人の時にしか傍にいなかったことも気付いてただろ? 最近はラブ達と一緒にいることが多かったから、私の出る幕がなかった。少しづつ一緒の時間が減っていても、寂しくなかっただろ?」
「でも、あなたがいなくなるのは…」
「なあ、せつな。私の名前、言ってみろ」
息がつまった。人前で彼女のことを名前で呼んだことはない。今になって思えば、無意識に口にするのを避けていたんだろう。だって、呼んでしまったら、ナニカが終わる気がしていたから。
「ほら」
「ぃ…イース…」
「そうだ。イースが私の名前だ。そして、お前の名前だ」
背中にまわしていた手をゆっくりと離され、一歩下がったイースは優しい顔で頭を撫でてくる。手の感触が、薄れていく。
ゆらゆらと揺れる木漏れ日が彼女を照らす度、陽の光にうっすらと紛れていく身体に、きらきらとしたものが眼に入る。眼の前にいるはずなのに、見えずらくなっていく。
「せつな、世界は広いんだ。こんな広い場所にいるのに、お前はいつまで私といるつもりなんだ? もっと、胸を張って歩け。そうしたら、お前の世界は広がり続けるさ」
今までずっとそばに居てくれたイースは、あれから私の前に現れることはなかった。みんなはイースの話を黙って聞いてくれた後、もう大丈夫になったから消えたんだよと優しく言った。
マグカップに入れたコーヒーを一口飲んで、苦いと思う。今度は砂糖とミルクを混ぜてみる。美味しい。ブラックのまま飲むのはイースに言われたように自分にはまだ早い。大人になるって、僅かに口に残るこの苦みのようなものなのだろうか。知りたくはないけど、いつかきっとその答えに辿り着いてしまう。答えがわかったその時は、ブラックでもコーヒーを美味しく感じるのかな。それとも子供のまま、大人になるのかな。
まだ子供の自分には、難しい話だ。
最終更新:2018年03月05日 23:48