『紫陽花とクローバー』/夏希◆JIBDaXNP.g
梅雨の中休み。天の貯水にも限りがあるのだろうか。雨に洗われた空は、高く、高く、鮮やかな青色に澄み渡る。
たっぷりの水で潤った草花が、纏った水滴に光を閉じ込めてキラキラと輝きを放つ。
晴れの陽射しに誘われて、散歩に出かけたせつなが足を止める。視界を埋め尽くす花々。思わずため息が零れ、独り言が口を付いて出た。
桜色、紫色、青色、そして可憐なる白。重なり合い、交じり合い、幻想的な美しさが広がる。
紫陽花――七変化と詠われる、梅雨に咲く不思議な花。四つ葉町公園の遊歩道に連なる紫陽花コーナーだった。
「きれい……なんだか、一人で見てるのがもったいないくらい」
「せつな……ちゃん? やっぱり。おはよう!」
「おはよう! ブッキーもお散歩? ――のようね」
「うん、わたしは主にワンちゃん達のだけど」
せつなの願いが通じたのだろうか、この感動を分かち合うに相応しい友が通りがかった。今、一番会いたかった友達の一人だ。
祈里の足元には黒と白の小さな子犬。久しぶりのお散歩がよほど嬉しいのか、互いにじゃれあってクルクルと回る。
花と土の匂いが気になるのか、花壇に入ろうとしては湿った草に阻まれる。
犬は嗅覚で景色を楽しむという。その分だけ鼻は敏感で、濡れるのを嫌うのだろう。
わんわんと威嚇するが、相手が植物ではどうにもならない。結局あきらめて今度はせつなにじゃれついた。
「こら、ダメよ。せつなちゃんのお洋服がよごれちゃう」
「平気よブッキー。こうして懐いてもらえるのって、なんだか嬉しいわ」
かつて、もう一つの名で呼ばれていた頃は、動物なんて寄り付きもしなかった。
今は小鳥すら恐れず近寄ってくる。自分が変われた証のような気がして、優しくなれたような気がして――
「見て、せつなちゃん。カタツムリさんたちも嬉しそうにお散歩してる」
「ほんと、こんなに元気に動くものなのね。でも、……くすっ」
「どうしたの?」
「ごめんなさい。ブッキーはカタツムリにまでさん付けするのね」
「うん。命に優劣なんてないと思うし」
「そうね。私はそんなことにすら気が付かずに生きてきたのね」
滑って落ちたのだろうか? せつなは地べたに転がったカタツムリを見つける。そっと拾い上げて葉の上に乗せた。
そんな様子を目にして、紫陽花の美しさに引き寄せられるようにやってきた女性が声をかける。
「おはよう! 祈里ちゃん、せつなちゃん、仲良くお散歩?」
「ミユキさん、おはようございます!」
「びっくり! ミユキさんとも会えるなんて」
ジャージ姿と首にかけたスポーツタオル。何をしていたか聞くまでもないジョギングスタイル。
驚くべきはその身体能力だった。自宅から公園までかなりの距離を駆けてきたはずなのに、呼吸に一切の乱れを感じさせない。
動から静への速やかなるシフト。ミユキが瞳を輝かせて花々を愛でる。楽しげに観賞する様子は、まるで始めから紫陽花を観に来たかのようだった。
「わぁ~! 綺麗な紫陽花ね。カタツムリ君も嬉しそう」
「ミユキ……さんは君付けなんですね?」
「あ、そうね。なんとなく男の子みたいな気がして」
「そうじゃなくて……」
「あ、女の子だったの?」
「だからそうじゃなくて……。というか、わたしにもカタツムリの雄雌の区別は付きません」
「ブッキー……論点がずれてる」
「わたし以外にもカタツムリに敬称付ける人がいるんだなって、驚いたんです」
「全ての命に心があるって思うことにしているの。紫陽花だってさん付けしたいくらいよ」
「紫陽花は女の子なんだ……」
「そうね、どうしてかしら?」
「くすっ、くすくす」
本気で思案するミユキの様子がおかしくて、思わずせつなは笑ってしまう。
つられるように、祈里とミユキも一緒に。
ラブと美希を足して二で割ったような感じの人と思っていたけど、祈里に似ているところもあるのかもしれない。
普段はコーチと教え子として接しているからか、親しい仲にもどこか緊張感があって遠い存在に思える。
だから、肩を寄せ合って談笑できるこの時間が嬉しかった。
「そういえば、今日はラブちゃんと美希ちゃんはどうしたの?」
「美希ちゃんはもうじき来ると思います。朝のジョギングのコースだから」
「ラブもきっと。部屋に私がいないと知ったら――」
びっくりして飛んでくると思う。そう言いかけたせつなの言葉を遮るように、ラブと美希の声が飛んでくる。
美希は、軽やかな足取りと爽やかな声で。ラブは、よろけた足取りで肩で息をしながら。
「おはようございます、ミユキさん!」
「朝から、はあはあ、ミユキさんに、はあはあ、会えてラッキーです!」
起こしてくれたらいいのに、とラブがせつなをジト目で見る。起きないラブが悪いのよ、とせつなは知らん顔。
実は部屋を覗いたのだけど、気持ち良さそうに寝ていたので声をかけられなかったのだ。
「揃っちゃったわね。みんな動きやすい格好だし、良かったら一曲踊らない?」
「コーチしてもらえるんですか?」
「そうじゃなくて、わたしも一緒に踊りたいの。気持ちのいい朝だから」
ミユキがダンシングポッドをジャージのポケットから取り出した。花壇の横の広場に設置する。
いつ、どんな時でも、ミユキはダンスの準備を欠かすことがない。
「今朝はわたしもクローバーの一員よ。思いっきり楽しんじゃいましょう!」
『はいっ!!!!』
鮮やかに咲き誇る花々と、傍らで息づくカタツムリや小動物たち。駆け回る二匹の子犬。
言葉を話さぬ観客の前で、少女たちは舞い――踊る。
紫陽花とクローバー。どちらがより美しいかと競うかのように――
命の輝きを、照らし合うかのように――
最終更新:2018年06月06日 22:43