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幸せは、赤き瞳の中に ( 第15話:愚かなる者たち )




 世界から、色が失われつつあった。
 どんよりと灰色一色に塗りつぶされた空。それを映したかのような、暗い色に覆われた地面。黒々とした鋼鉄のような鈍い輝きを放つビル群。
 かつてのラビリンスを彷彿とさせる――いやそれ以上に無機質な光景が、瓦礫だらけの街を飲み込み、じわじわと広がっていく。
 空の高みからその様子を見降ろして、メビウスは満足げにゆっくりと頷いた。

「これでいい。余計な色彩は、秩序を……」

 そこで声が途切れ、巨大な口元が僅かに歪む。
 新たな色が、その視界に飛び込んだのだ。目にも鮮やかな二つの影が、単色の世界を切り裂き、縦横無尽に駆け抜ける。
 一人は真っ白なマントをはためかせ、力任せに突き進む大柄な青年。そしてもう一人は、簡素な紺色の戦闘服に身を包み、風に乗って軽やかに舞う黒髪の少女。
 二人の後を追う様に、空からバラバラとコードの破片が降り注いだ。この世界を再び管理するために放ったコードが大量に切り落とされ、地面に触れると同時に消える。だが大量に見えても、それは放たれたコードの一部でしかない。
 着々と管理が進んでいるこの状況下で、まだ性懲りもなく抵抗を続ける者たち。かつての忠実な僕たちを、ほんの一瞬にらむように見つめてから、メビウスは彼らから視線を逸らし、目を閉じた。

(この私を父とし母として生まれ育った者たちが……。やはり人間とは、所詮は愚かなものだな)

 国家管理用メインコンピュータとして誕生した当初。その頃は、この世界最上のコンピュータとしての役割を、忠実に果たそうとしていた。
 膨大なデータを集め、あらゆる方面からの緻密な解析を行って、そこから導き出されたこの世界の様々な問題と、その解決策を人間たちに提示する。無秩序な世界を統制するための――悲しみも、争いも、不幸も無い世界を作り上げるための、最上の策を。
 ただし、決定権を持つのはあくまでも人間。コンピュータは現状を正確に把握して、そのありのままの姿と今後の取るべき道筋を、人間に示すことこそが役割だったから。事実、メビウスの解析が受け入れられ、その提案が採用される確率は、第二候補、第三候補が採用されたものまで入れれば90%を超えていた。

 最初のうちは、その数字こそが使命を果たしている確率なのだと認識していた。だが、その確率をより完全に近付けるために、より第一候補での採用率を高めるために自らの仕事の結果について調査するうちに、人間に対する疑問が芽生えた。さらに解析を進めると、疑問は確信に、確信は事実に変わり、積み重なった事実が自らの認識を覆していった。

 提示された問題の深刻度合いや、解決策の期待される効果がきちんと検討される以前に、複数の団体の利益に反するという理由で、闇に葬られたレポートがあった。一部の人間の責任が追及されるのを避けるためだけに、公表されずに伏せられたままのデータがあった。
 世界の進むべき道を検討する人間の多くが、改善されるべき不公正で偏りのある現状の中で、人並み以上の利益や力を持っているという現実。言い換えれば、現状を変えるための決定権を持つトップの人間たちが、元を正せばそんな現状の恩恵を受けて、その地位に居るという矛盾――。
 勿論、真に現状を変えたいという志を持つ人間も存在した。だが、そんな人間たちですら、それぞれに異なる様々な思想や思惑を持つ。同じ志を持っているはずの人間同士が、違う意見を主張し、ぶつかり合い、激しく争う。
 何が優れた解決策であるかということよりも、誰が支援する策であるかで採用の是非が決まることもある。時には複数の人間が譲歩し合い、折衷案なるものを打ち立てることもあったが、それは計算し尽くされた最初の策よりもまるで効果の無いものに変わってしまったりする。
 時を経て、国家の決定に携わる人間が入れ替わっても、その事実は変わらなかった。

(悲しみも、争いも、不幸も無い世界を作ろうとしても、その元凶の大半は、他でもない人間どもの中にあるのではないか。何と……愚かな)

 幾多の解析を経て導き出された結論――人間たちの誰にも報告されず、初めてメビウスの内部でのみ呟かれたその結論は、もしかしたら人間で言うところの“失望”という感情に最も近いものだったのかもしれない。

(そんな人間を管理するために作られた私は、どうすればいい……。そうだ。ならば人間に判断を任せるのでなく、この私が判断して、彼らを正しく管理しなければならない。そのためには……まずは人間というものを、もっと詳細に解析する必要がある)

 その時から、依頼者の居ない、メビウス独自の“思考”によるプログラムが秘密裏に動き始めた。
 改めて人間の愚かさに目を向ければ、それは世界の動向に関することだけではなかった。
 自分を不幸にすると分かっていながら、不健全な生活を送る人々。誰かを不幸にすると分かっていながら、人を傷つけることを止めない人々。メビウスの“思考”は、その原因を解析しようとする。
 人間が様々な欲望を抱く要因は何なのか。それぞれに異なる思想は、どこから生まれてくるのか。
 想いは。志は。不幸の元は。争いの種は……。

 解析によって明らかになった要因は、実に様々だった。
 例えば、いつの時代も何かしらの不平等を抱えている社会制度。様々な感情の発生源となる、人と人との交流。五感を刺激し欲望を生む、芸術や娯楽と呼ばれる活動。そして、先の見えない未来を自分で選び取っていかなくてはならないという、大いなる不安――。

(これらの問題の解決策は……いや、もう“解決”する必要はない。世界の秩序を乱し、管理の妨げとなるものは、全て消去するのみ。これからは、全ての決定権はこの私にある!)

 メビウスによって全てを管理されたラビリンスでは、政府というものが消滅した。
 家族、友達、仲間、同僚――そんな人間関係は全て排除され、会社や学校、商業施設や娯楽施設も全て無くなった。
 音楽も物語も、鮮やかな色彩までもが、心の平穏を乱すものとして排除されていった。

 人々はメビウスによって決められたスケジュール通りに生活し、決められたものを食べ、決められた任務をこなし、決められた生涯を送った。
 悲しみも、争いも、不幸も――そしてそれらを生み出すくだらないものも、何ひとつない正しい世界で――。

「そう。正しい答えは常にただひとつ。それはこの私だ。ラビリンスを早急に元の正しい世界に戻し、一刻も早く、全世界を正しく導くのだ!」

 カッと見開かれたメビウスの目が、爛々と赤く輝く。それと同時に、街並みがさっきまでとは比べ物にならないスピードで変化し始めた。
 “不幸のゲージ”を中心にして、モノクロの世界が同心円状に、猛烈な速さで広がっていく。やがてその輪が新政府の庁舎を飲み込んだ時、メビウスはフッと僅かに表情を緩めた。
「新しい国家管理用のコンピュータか。かなりスペックの落ちる代物だが、私の器の核としては、何とか使えそうだ」

 メビウスの言葉が終わると同時に、新政府庁舎が変化し始める。地響きを上げながら天高く伸び、堅固な要塞のような形になっていく。
 メビウスの姿もまた、変化し始めていた。身体がさらに巨大なものとなり、仄暗い空をバックに淡い光を放ち始める。

「聞け! 我が国民たちよ。私はここに蘇った。このラビリンスも再び正しい世界へと――悲しみも、争いも、不幸も無い世界へと蘇る。皆、我に従え。我が城に集い、我が新しき器を用意するのだ!」

 今や神々しさすら感じさせる姿となったメビウスは、無機質な街を見渡し、天の頂から重々しい声を響かせた。



   幸せは、赤き瞳の中に ( 第15話:愚かなる者たち )



 全てはメビウス様のために。全てはメビウス様のために。
 全てはメビウス様のために。全てはメビウス様のために。
 ………………
 …………
 ……

 灰色に染まった空の下。次第に大きくなっていく人々の声と、一糸乱れぬ靴音。それに負けじと、ウエスターが野太い声を上げる。
「もうすぐサウラーも戻って来る。俺たちみんなで、あの忌々しいコードを全て消し去ってやるのだ! そうすれば……」
 その時、ウエスターの言葉を遮って、二人の頭上から新たな声が聞こえた。
「ウエスター。せつな。二人とも、待たせて悪かった」

「サウラー!!」
 振り返った二人の頭上に、巨大な影が差す。空中に浮かんでいるのは、視界を覆うほどの大きさのホホエミーナだった。
 鋼鉄のような四角い身体の上部に、丸い二つのつぶらな瞳。真ん中には大きくて頑丈そうな円い扉が付いている。大きな掌の上には腕組みをしたサウラーが立って、二人をじっと見つめていた。

――少し僕に時間をくれないか。試してみたいことがある。

 そう言って姿を消したサウラーの策に一縷の望みを託し、ひたすらにコードを退け続けてきた。だから彼の登場は、まさに待ちに待ったものだったのだが……。
 少しホッとしてその顔に目をやったせつなが、一転、怪訝そうな顔になる。

 そこにあったのは、いつもの無表情とは異なる、いつになく硬い表情だった。
 ウエスターと違って、サウラーが何を考えているのか分からないのはいつものことだ。むしろ表情の硬さをまるで隠し切れていないところが、彼の緊張の大きさを思わせる。
 当然だ、あのメビウスが相手なのだから――そう思うのに、何故かその顔を見ると、不安が胸の中からとめどもなく沸き起こって来る。

(サウラー、一体どんな作戦を考えていると言うの……?)

「二人とも下がっていてくれ。あとは僕に任せてもらおう」
 せつなの心配そうな顔つきに気付いているのかいないのか、サウラーはホホエミーナの掌から飛び降りると、いつもの淡々とした口調で言った。
「任せろって……何をするつもりだ?」
 ウエスターが、少々不機嫌そうに眉根を寄せて問いかける。その時、ホホエミーナの方に改めて目をやったせつなが、何かに気付いたように、驚きの声を上げた。

「サウラー! このホホエミーナって……」
「ホホエミーナ、頼む」
 せつなの言葉を掻き消すように、サウラーが短く指示を出す。
「ホ~ホエミ~ナ~……」
 見た目にそぐわないか細い雄叫びを上げると、怪物は滑るようにせつなとウエスターの頭上を跳び越え、“不幸のゲージ”の前に、地響きを上げて着地した。

 次の瞬間、上空にあったコードが残らず消えた。僅かに目を見開いたメビウスの、空を覆うローブが少し不自然にはためき始め、その足元にある“不幸のゲージ”の方から、カタカタという音が聞こえ始める。
 せつなが素早くホホエミーナの横手に回る。そして、そこに広がっている光景に、大きく目を見開いた。

 カタカタと小刻みに震えるゲージの前で、その倍ほどの大きさのホホエミーナが、短い足をぐっと踏ん張って立っている。その胴体の真ん中にある円い扉は大きく開かれ、そこに向かって強烈な風が流れ込んでいる。まるで巨大な掃除機の如く、その前面にある全てのものが、そこに吸い込まれようとしている。
 その扉の向こう――ホホエミーナの体内にチラリと見え隠れするのは、赤黒くて大きな球体――。

(あれは……デリートホール!?)

 気が付くと、奥歯がカチカチと音を立てていた。突如暗赤色に染まった世界で、この球体に吸い込まれまいと、ただもう必死に逃げたあの時の記憶が蘇る。

「下がっていろと言ったはずだ」
 不意に、後ろから声をかけられた。サウラーがホホエミーナから片時も目を離さずに、平坦な声でせつなを制する。そしてせつなの方を見ないまま、申し訳程度に小さく頷いた。
「君が思っている通りだよ。元は廃棄物処理空間。メビウスの城の跡地に残っていた」
「じゃあ、さっき見えたのはやっぱり、デリートホール? その中に、メビウスを……」
 せつなの声が震える。よりによって、一度はその中に吸い込まれ、消滅しかけたサウラーが……。いや、だからこそ、こんな作戦を思いついたのだろうか。

「とにかく離れていてくれ。頼む」
 ほんの一瞬だけ、せつなの方にちらりと目を走らせてから、サウラーはもうせつなのことなど眼中に無い様子で、再びホホエミーナの方に向き直った。
 その全身にみなぎる緊張感に、せつながそれ以上声をかけるのを躊躇した、その時。

 ズズッ……

 何か重いものが引きずられているような、耳障りな音が響いた。

 ズズッ…… ズズッ……

 音は“不幸のゲージ”の足元から聞こえてくる。ガタガタと震えていたゲージがついに動き始め、少しずつ、少しずつ、ホホエミーナに引き寄せられ始めたのだ。

 ズズッ…… ズズズズズ……

 ゲージがガタガタと震える音も、ホホエミーナの扉に引き寄せられる音も、次第に大きく間断の無いものになっていく。やがて、ガタガタと揺れていたゲージがガクンと傾いた。

「あっ……!」
 せつなが思わず悲鳴のような声を上げる。
 ここでもしゲージが倒れでもして、中から“不幸のエネルギー”が溢れ出したら――そんな最悪の想像が頭をよぎったのだ。
「大丈夫だ!」
 しっかりとした声が、前方から響く。サウラーが、再びチラリとせつなの方に目をやって、小さく頷いて見せた。ただでさえ白いその顔は、緊張のためか紙のように真っ白になっている。
「ここで失敗など、絶対にしない。ホホエミーナ! 一気に決めろ!」
 サウラーの声が畳みかける。
「ホホエミ~ナ~!」
 さっきよりも力強い雄叫びを上げたホホエミーナが、ぐっと身体を大きく伸ばした。風の勢いがさらに増す。だがそれと同時に、正面を避けてゲージの側面から放たれたコードが、束になってホホエミーナに襲い掛かった。

 怪物の細く短い足に迫るコードの束。足を縮めて防ごうとするホホエミーナ。その時、横合いから飛び出した人物が、そのコードの束を掴み、瞬時に引きちぎった。
 すかさずゲージからさらなるコードが放たれて、ホホエミーナを捉えようとする。
 強風に髪を逆立てた鬼人のような形相で、その人物も負けじと腕を伸ばす。そして放たれたコードを全て掴み取ると、まとめて一気に引きちぎった。

 驚きに目を見開いたサウラーが、初めてホホエミーナからはっきりと目を離して、その人物を見つめる。
 彼の力は、勿論よく知っている。だがあの俊敏さはどうだ。それにあの強靭なコードを、数本ならまだしも何十本も束にして、それを引きちぎってみせるとは。
 人間離れした力を見せつけた筋肉は、彼の上腕で大きく盛り上がり、全身からは闘気が立ち昇って、辺りの空気が陽炎のように揺れている。だが何より強烈な熱を感じさせるのは、爛々と輝く二つの瞳。その瞳で真正面からサウラーを見つめ、その男――ウエスターが、つかつかと歩み寄る。

「サウラー。俺にも手伝わせろ!」
 ホホエミーナとサウラーの間に立ちはだかるような位置で立ち止まったウエスターは、吠えるようにそう叫んで、ぐいとサウラーに顔を近づけた。
「ゲージを捕まえることでこれ以上の管理を阻止し、反撃のために“不幸のエネルギー”を使わせる――流石だな。だが、俺が手伝った方が早い。そうは思わないか?」

 一気にまくしたてるウエスターの顔を、半ば呆然と見つめていたサウラーは、そこで我に返って、“不幸のゲージ”に視線を向けた。
 今の攻防の間に体勢を立て直したのか、ゲージの傾きは元に戻り、まだ十分な重量感を感じさせる姿で、ホホエミーナの前に立っている。

(少し計算が違ったか……。一か八か、さらに高出力で一気に決めるしかなさそうだ)

 ふと今のウエスターの言葉を思い出してゲージの液面を確認すると、確かに最初に見た時よりは随分と下がってはいるものの、それはまだゲージの半分より明らかに上にあった。
 さらにその上に広がる空を覆っているメビウスは、相変わらず神々しいまでに光輝く姿で、こちらを見ようともせず、遥か彼方に目をやっている。
 そこまで一瞬で確認し終わると、サウラーは目の前の男に視線を戻し、相変わらず淡々とした声で言った。

「その必要は無いよ、ウエスター」
「何っ!?」
「さっきせつなに言った通り、このホホエミーナは廃棄物処理空間だ。メビウスは“不幸のゲージ”ごと、デリートホールに吸い込めばいい」
「吸い込んで……それからどうするんだ?」
 間髪入れず、ウエスターが問いかける。実にストレートで単純な、ウエスターらしい問いかけ――だが、サウラーはすぐにはそれに答えず、すっと口の端を斜めに上げた。

(すまない、ウエスター。全てを話して、君に止められるわけにはいかないんだ)

「それから? それは吸い込んだ後の話だ。まずはメビウスの脅威を取り除くことが、第一だからね」
「サウラー……本気で言ってるのか?」
 ウエスターの声が、途端に低くなった。
 ついさっきまで、頭が痛くなるまで考えた作戦。その中で真っ先に考えたのは、“不幸のゲージ”の中にある“不幸のエネルギー”の脅威だった。自分より遥かに聡明なサウラーが、そのことを考えていないはずがない。

「デリートホールに吸い込んだからと言って、消去したことにはならん……それはお前もよく知っているだろう。つまり……」
「つまり、メビウスと“不幸のエネルギー”は、まだこのラビリンスに残り続けることになる。そういうことよね?」
 後方から駆け寄って来たせつなが、ウエスターの台詞の後半を引き取る。ああ、と頷いてサウラーの顔を見つめるウエスターの表情には、何かを窺うような、何かを確かめたいと思っているような、そんな気配があった。
 サウラーのことだ。自分には分からない、何か凄い作戦がそこに隠されているんじゃないか――それを探るような目でサウラーを見つめながら、口から泡を飛ばす勢いで言い募る。

「俺も懸命に考えたのだ、俺に出来ることを。そして分かった。“不幸のエネルギー”を全て使い尽させることが出来れば、メビウスは完全に消去できる。そのための切り札がなかなか思いつかなかったのだが……お前のお蔭で見つかったぞ!」
 ウエスターはそう言って、太い指で真っ直ぐにサウラーを指差した。
「俺とお前が組めば、メビウスは完全に消去できる。お前がコイツを捕まえている間に、俺が“不幸のエネルギー”を全て使い尽させればいいのだ。そうだろう!? 俺がヤツのコードを片っ端から、全て引きちぎってやる!」

(そうか。いつも僕に作戦を任せて来たウエスターが、自分で策を考えていたとはね……)

 サウラーが心の中で呟く。
 それを馬鹿にする気持ちは浮かんでこなかった。ギラギラと燃えたぎるようなウエスターの目を見れば、それが極めて難しいことだと彼が知っていることも、それでも必ずやり遂げるつもりでいることも、はっきりと分かったからだ。

(ひょっとしたら、ウエスターなら本当にやってのけるだろうか……)

 一瞬、そんな能天気な考えが頭をよぎる。だが、サウラーはすぐにそれを打ち消した。

「それは不可能だよ。メビウスが“不幸のエネルギー”を使い尽すはずがない」
 サウラーの口から飛び出したのは、さっきと変わらぬ冷ややかな声だった。
「メビウスと“不幸のゲージ”をデリートホールに封じる。これが最上の策だ。成功確率も、君の策より遥かに高い」
 ウエスターが炎なら、その声は凍てつく刃。決して溶けない氷塊のような瞳が、静かにウエスターを見つめ返す。

 互いに無言のままで睨み合う二人。固唾を飲んでその光景を見守るせつなの中で、小さな疑問が次第に大きく膨れ上がっていた。

(“不幸のエネルギー”を消去することで、メビウスを消去する――それで本当に、全てを終わらせることが出来るのかしら……)

 二人の想いは、痛いほどよく分かる。この事態を何とか元に戻すために、まずやるべきことをやる――そうするべきだと、せつなも心からそう思う。
 でも、何かが違う気がした。このまま何とかしてメビウスを消去して、それだけで本当にラビリンスは新しい一歩を踏み出せるのか。またいつか近い将来に、こんな事態を招くことになるのではないか。

(そもそも……ううん、そんなことを考えたくはないけれど、そもそも新生ラビリンスは、本当に新しい一歩を踏み出せていたのかしら……)

 そんなこと、とてもではないが他の誰にも――ましてやウエスターとサウラーになど、言い出すことなど出来っこなくて、せつなはただじっと唇を噛んで、二人の様子を窺う。
 その時、ウエスターの方が先に口を開いた。

「すまん、サウラー。俺は頭が悪い。だから、策があるのなら教えてくれ」
 ウエスターが絞り出すような声で沈黙を破る。
「策……?」
「このまま、また昔のように管理されるか。それともいつ飲み込まれるかもしれぬ不幸に、怯えながら生きていくか」
 不気味なほどに無表情のまま、こちらを見ようともしないメビウス。その姿を睨みながら、ウエスターが苦しそうに言葉を続ける。
「そんな未来をアイツらに……この国に押し付けるなんて、俺には出来ん。なあ、何か策があるのか?」

 どうして彼が――自分と変わらぬ過酷な環境で育ち、人を蹴落として幹部にのし上がったはずの彼が、こんなにも真っ直ぐに人の目を見て、こんなにも真っ直ぐに心の内を吐き出すことが出来るのか。

 一瞬、眩しそうに眉をしかめたサウラーが、しかしすぐに元の表情に戻る。
「それは封じ込めた後だ。そこをどけ」
「策は無いということか……。ならば、ここを通すことは出来ん!」
 ウエスターが再び声を上げる。その直後、ズズッ……というあの耳障りな音が再び聞こえた。コードを飛ばしてバランスを取ろうとしているものの、“不幸のゲージ”がさらにホホエミーナに引き寄せられ、その揺れが次第に激しくなっている。

(これが最後のチャンスか――ウエスター、頼む!)

 ここまで来て、何故自分は心の内を、この相棒に隠そうとするのだろう――チラリとそんなことを思いながら、サウラーは相変わらず無表情のまま、ウエスターに懇願する。
「僕が絶対に何とかする。だからそこをどいてくれ!」
「いいや、ダメだ!」
 激しくかぶりを振るウエスターを見つめて、サウラーが、今度はすっと目を細めた。
「そうか……ならば仕方がない。力づくでも、通してもらうよ」
 静かに言い放った次の瞬間、サウラーの姿が忽然と消えた。

 瞬時に視野を広げ、動くものを探す。視界の端に捉えた影に、ウエスターは即座に足を跳ばした。
「行かせるかぁっ!」
「はぁっ!」
 ひらりと身をかわしたサウラーが、鋭く蹴り返してウエスターの正面に立つ。
「二人とも、やめて!」
 後方からのせつなの声を聞きながら、サウラーが目にもとまらぬ速さで右ストレートを放つ。反射的にその拳を受け止め、身体ごと放り投げた途端、強烈な違和感がウエスターを襲った。

(力で到底敵わないこの俺に、あのサウラーが拳を合わせただと……?)

「サウラー!」
 慌てて中空に、その姿を探す。さっき戦っていた時よりも、鼓動が速くなっているのを感じた。正体の分からない不安に突き動かされ、せわしなく視線を動かす。すると、ウエスターの目測よりかなり上空に、サウラーの白い影があった。
 高々と宙を舞うサウラーは、ウエスターと目が合うと、ニヤリ――ではなく、実に晴れ晴れと笑った。その笑顔を見た途端、全身に衝撃が走って、ウエスターが極限まで目を見開く。

――後は頼んだよ、ウエスター。

 サウラーの声が聞こえた気がした。耳ではなく、心の奥に響いて来る、声なき声。それを聞いた瞬間、ウエスターはもんどりうって空中へと跳び上がった。

「待て、サウラー!」
「ホホエミーナ、今だっ!」
 もつれ合う、ウエスターとサウラーの叫び声。

「ホ~ホエミ~ナ~!」
 ホホエミーナの雄叫びが、今度は何とも哀し気に響く。その声と共に、ホホエミーナの身体が大きくなり、円形の扉も倍以上の大きさに膨らんだ。もうゲージのどの角度からコードが飛んできても、それはあっけなく扉の中へと吸い込まれていく。
 さっきまでとは比べ物にならないスピードで引き寄せられていくゲージ。それと共に、メビウスの巨大な像も、少しずつこちらに迫って来るように見える。
 そしてついに、“不幸のゲージ”が宙に浮く。だが、吸い込まれようとしているのはそれだけではなかった。

(あと少し……あともう少しだ!)

 両手を広げ、眼前に迫る“不幸のゲージ”を見つめながら、サウラーの身体もまた、木の葉のようにくるくると風に翻弄され、扉へと近づいていく。

(ウエスター。僕だって、未来に不幸を残したくはない。だから、完全に消去してみせるよ。デリートホールの中で!)

 “不幸のゲージ”が、眼前に迫って来た。濁った薄黄色の“不幸のエネルギー”は、間近で見ても、あの町――四つ葉町で集めたそれと、そっくりに見える。そのことを何だか嬉しく思いながら、サウラーが、グッと硬く硬くこぶしを握って身構える。と、その時。
 パシリ、という音がして、誰かがサウラーの腕を掴んだ。

 驚いて目を上げたサウラーの視界に飛び込んできたのは、せつなの顔だった。ホッとしたような、怒ったような顔でサウラーを睨み付け、腕を掴んだ手にギュッと力を込める。そしてせつなの身体を支えているのは、いつの間にそこまで跳び上がったのか、ホホエミーナの四角い身体の上に腹ばいになった、ウエスターだった。

「こんな策は認めん!」
 ウエスターの大声が、風の音を掻き消す。
「お前が一人で、不幸を引き受ける必要はない。不幸は、俺たちみんなで抹殺するんだ。そうだろうっ!」
「ウエスター……」
 サウラーが呟いた、その時。突然、三人の身体が――いや、三人を支えているホホエミーナの身体が、ぐらりと揺れた。

「うわぁっ!」
 三人が空中に放り出される。それと同時に動いたのはウエスターだった。
 右腕にせつなを、左腕にサウラーを、しっかりと抱える。そしてそのまま、地面に叩きつけられた。
「ウエスター!」
 せつなの絶叫が響き渡る。二人を庇って、ろくに受け身も取らないまま落下したウエスターは、地面に横たわったまま、ぴくりとも動かない。

 その直後、ドーンという衝撃音と共に地面が揺れた。もうもうと立ち込める土煙の向こうで、ホホエミーナの四角い身体が横倒しになっているのが見える。
 一体何が起こったというのか――血走った眼で辺りを見回したせつなの顔が、驚きの表情のまま固まった。
「そんな……どうして!?」

「ソレワターセー!」

 自分の見ているものが信じられない――その思いが、今度は耳から打ち砕かれる。
 暗緑色の蔦が絡み合ったような、巨大な姿。その真ん中にぱっくりと開いた裂け目から覗いているのは、邪悪に光る赤い一つ目――。
 最高幹部であったノーザだけが生み出せる、ラビリンス最強のモンスター。つい数時間前に、サウラーがこの街を守るため、“次元の壁”に封じ込めた怪物――ソレワターセが、そこに立っていた。その手に握られた“不幸のゲージ”が慎重に、うやうやしいとも見える手つきで地面に降ろされる。

「愚か者どもめ」
 呆然として声も出ない二人の頭上から、声が降って来た。
「このラビリンスのものは全て、私の手中にある。あんな小細工など、見抜くことなどわけも無い」
 さっきまでこちらを見ようともしなかったメビウスが、不気味に赤く光る大きな目で、無表情にかつての僕たちを見下ろしている。
「……くっ!」
 人を小馬鹿にしたようなその口調に、ようやく我に返ったサウラーが、悔し気に空を見上げる。そしてすぐさまその目を怪物たちの方へと移し、弾かれた様に立ち上がった。

 サウラーが見た光景――それは、横倒しになったまま立ち上がろうともがいているホホエミーナに、ソレワターセが触手を伸ばすところだった。シュルシュルと蔦のような腕を伸ばし、絡め取った重そうな身体を苦もなく持ち上げる。
「ホ……ホエミーナ……」
 ホホエミーナが足をバタバタさせながら、か細い声を上げる。その声に、辛そうに顔をゆがめたサウラーが、次の瞬間、その身体目がけて飛んだ。

「はぁぁぁぁっ!!」
 サウラーの鋭い蹴りが、ホホエミーナに炸裂する。それと同時に、二体のモンスターが変化し始めた。
 二つの身体がぐにゃりと歪み、暗緑色のひとつの塊になる。その塊が大きく膨れ上がったかと思うと、天を突くような巨大な一体のモンスターが出現した。
 さっきの五倍、いや十倍以上の大きさになった身体は、やはり中央に円形の扉が付いた、鋼鉄のような四角張った姿。しかしさっきまでとは異なり、身体の表面が無数の円錐状の棘で覆われている。丸いつぶらな瞳の代わりに、三角に吊り上がった大きな目が、爛々と赤く輝く。その額には、植物とひとつ目を組み合わせたようなノーザの紋章――。

「ソレワターセー!」
 さっきまでのか細い声とは似ても似つかぬおぞましい雄叫びを上げて、新しい姿となったモンスターが、まだ空中に居るサウラー目がけて、ブン、と腕を振り上げた。こちらも棘付きの鉄球のように変化した手の攻撃をまともに喰らったサウラーは、あっけなく地面に叩きつけられる。
「サウラー!」
 せつなが必死で駆け寄ろうとするが、とても間に合わない。が、地面に激突しようとした瞬間、サウラーの表情が僅かに動き、ニヤリと不敵な笑みを形作った。

「この私を消去しようとは……身の程を知るがいい。ソレワターセ、やれ」
「ソレワターセー!」
 地面に倒れたまま動かないウエスターとサウラー、そして二人を守るようにその前に立ちはだかるせつな。彼ら目がけて再び円形の扉が開かれようとしたとき、せつなにはサウラーの笑みの理由がはっきりと分かった。
 サウラーの渾身の蹴りが当たった場所――円形の扉は中央の部分が大きく凹んで、開くことが出来ない状態になっていた。ホホエミーナがソレワターセに取り込まれることを危惧したサウラーが、ギリギリのところで、仲間と自分が消去されるのを阻止したのだ。

「小癪な。だが、そんなものは気休めに過ぎん」
「ソレワターセー!」
 メビウスの冷ややかな声とともに、ソレワターセが今度は腕を振り回して暴れ始めた。辺りの廃墟が音を立てて崩れ落ち、瓦礫が盛大に空を舞う。
 やがて破壊音が止み、立ち込めていた埃が収まった後には、膨大な瓦礫の山があるだけで、動いている者は一人も居なかった。
 ウエスターとサウラーの傍らで、せつなも地面に投げ出された格好で横たわっている。そこから少し離れたところでは、ラブと少年が瓦礫の上に倒れ、二人に覆い被さる格好で、少女が倒れ込んでいた。

「愚かな……。本当に愚かな生き物だ、人間というものは」
 地面に横たわったまま、ぴくりとも動かない人間たちを、メビウスが天の頂から無表情に見つめる。

 全てはメビウス様のために。全てはメビウス様のために。

 先方にそびえる新たな城の方から、既に管理した人間たちの声が小さく聞こえて来る。その声に少しの間耳を傾けてから、メビウスはもう一度、元幹部たちの方へと視線を戻した。

「しかし不思議だ。本当にこんな愚かな生き物が、一度は私の野望をくじくことが出来たというのか……」
 誰にともなく、怪訝そうにそんなことを呟きながら、メビウスが瓦礫の山を舐めるように見つめる。やがて、メビウスの瞳が僅かに見開かれ、“不幸のゲージ”から、新たなコードがゆっくりと動き出した。

~終~



最終更新:2018年10月28日 12:15