いつきの「応援」/makiray
明堂院いつきは、道着の帯を改めて締めると、応援席の三人に小さくうなづきながら、力を込めた拳をこれも小さく振った。
「いつき…」
「がんばるっしゅ…」
花咲つぼみも、来海えりかも、会場となった道場の緊張感から小声になる。つぼみの握った手が震えていた。月影ゆりは厳しい目で見つめている。
「はじめ」
いつきは三人に視線を投げた後、対戦相手と共に一礼、小さく構えた。はっ、という気合が聞こえる。
今日は、明堂院流武術の全国大会である。いつきは本部の選手として出場した。さすがに全国の支部から集まってくるだけあって、強敵も少なくない、ひやっとする場面もあったが、ここまで勝ち進み、これが個人戦の決勝である。
場外。ふたりは中央に戻された。またいつきがこちらを見る。息が荒い。
「大丈夫でしょうか…」
「朝からずっとだから疲れてるよね」
「それは向こうも一緒よ」
ゆりの声は冷静だった。
「はい、条件は同じです」
「がんばれ…」
ほかの選手たちは大きな声で声援を送っている。つぼみたちの声が小さいのは、それに圧倒されているからでも、遠慮したからでもない。いつきの緊張を自分のものと感じているためだった。
鈍い音がした。
「有効!」
審判が腕を伸ばす。
膠着状態だった試合が動いた。いつきが有効を取られる。
「負けちゃった?!」
えりかが声を上げる。周囲からの冷たい視線に首をすくめた。
「有効を取られただけよ。
でも、いつきがこのままのスコアだったら」
言ってそれが現実になることを恐れたのか、ゆりは続きを口にしなかった。
いつきが立ち上がり、また帯の結び目を確認する。つぼみの目と合ったその目は厳しかった。
「押されてる…?」
えりかが自信なさげに言う。ゆりが頷いた。
「いつき…」
また場外。中央に向かう途中、いつきがまたつぼみたちを見た。
「負けるかもしれない…」
ゆりが小さな声で言う。誰にも聞こえなかったようだったが。
「いつき!」
たまりかねて つぼみが叫ぶ。その直後、だ、だ、だ、と畳を踏む音。いつきの猛攻に相手の選手がバランスを崩した。
「一本!」
主審が、いつきの側の手を上げる。
一瞬の沈黙の後、大歓声が起こった。
「やった!」
「勝ちました。いつきが勝ったんです!」
「優勝だ!!」
つぼみと えりかが手を取り合って喜ぶ。飛び上がっては、隣にいた人ともハイタッチを繰り返していた。
「待つの?」
「珍しいですね」
ゆりは、ちょっとね、と短く言った。
いつきの試合の応援は何度もしているが、選手たちは忙しいはずだから――選手であると同時に門弟でもあり、たとえば会場の後片付けもその役目なので――いつきとは会わずに帰ることが多いのだが、ゆりは、今日は待ってみる、と言った。
本部所属でない選手たちが宿舎に戻り、日が傾いていく。いつきは、つぼみたちを認めると駆け寄ってきた。
「みんな、応援ありがとう」
改めて、つぼみや えりかとハイタッチをする。
「ゆりさんも、ありがとうございました」
笑顔で一礼。うれしそうだ。
しかし、ゆりはそうではなかった。
「明日は来ない方がいいかしら」
「…。
え?」
「私たちはいない方がいいような気がする」
「どういうことですか」
ゆりは、いつきから視線を外さなかった。
「今日の試合中、何度も私たちを見てたでしょう」
「あ…はい」
いつきの表情から喜びが消えていく。
「なぜ?」
「なぜ、って」
「私たちに、カメラ目線でも投げていた、ということ?」
「違います」
「本当?」
「本当です。
試合中にそんなことを考えたりしません!」
「では、どうして。
始まる前ならまだわかる。でも、場外とかポイントが入ったときとか、動きが止まるたびに見てたでしょう」
「それは…」
いつきも視線を動かさない。それは、視線を外せないでいる、ということかもしれなかった。
「私たちの応援が必要だったからじゃないの?」
「…」
いつきが大きく目を開く。やがてうつむいた。
「応援くらい、いくらでもするよ!」
「そうです、私たちは」
えりかとつぼみが抗議するが、ゆりは意に介さなかった。
「いつき」
「…」
「私たちが応援することに慣れて、それが当たり前のことになって…私たちの応援を頼りにするようになったんでしょう」
「…。
はい」
唇をかむ いつき。
「いつきが…弱くなったってこと?」
「えりか!」
「でも優勝したよね」
「明日はどう。
自信ある?」
「…」
まだ顔を上げないいつき。
「やっぱり、明日の応援はやめた方が――」
「頑張ります!!」
いつきが叫んだ。道場の中にいた者が何人か、こちらを見る。
「ゆりさんに言われて目が覚めました。
っていうか、わかってたんです。ボクがみんなに甘えてるってこと。つぼみと、えりかと、ゆりさんの応援の声が欲しい、勝ったら祝福してほしい、そればっかり考えていることはわかってました。それは間違いなく雑念なんです。師範にも、お兄様にも言われてました。でも、友達のことを考えるのは間違いじゃないから、って正当化して、目を背けてた。ボクが弱くなった、っていうのは本当です」
いつきは、腰が直角になるほど追った。
「気持ちを入れ替えます。
明日は…。
明日はチームのみんなのために頑張ります。
だから、明日も来てください」
「いつき…?」
「もちろんだよ!」
「私たちはなんと言われてもいつきを応援します」
「応援はしなくていい」
いつきが顔を上げた。
「今のボクを見てほしい。
結果がどうなるかはわからない。でも、明日のボクを見て、もしみっともない試合をしてたら、たとえ勝っても、容赦なく言ってほしい。
お願いします」
もう一度、頭を下げる。
「わかったわ」
やっと、ゆりの表情がほぐれた。
「ありがとうございます!」
道場からいつきを呼ぶ声がする。
「戻ります。
ゆりさん、どうもありがとうございました」
ゆりは小さくうなずいた。
「じゃ」
いつきが走っていく。
「相変わらず厳しいなぁ、ゆりさんは」
えりかが、いつきの代わりに文句を言う。
「でも、これでいつきのメンタルに影響が出たら」
「大丈夫よ、いつきは」
ゆりは、むしろ晴れ晴れとした表情だった。
「だから言ったんですか? 大丈夫だと信じてたから」
「だって、私たちの明堂院いつきだもの」
「はい!」
歩き出す三人。
「人を見たってことか…」
「当然よ。
私は、えりかにはあんまりきついこと言わないようにしてるし」
「うん、それはありがた――」
えりかが立ち止まる。
「あたしが豆腐メンタルだってこと?!」
ゆりは、ふふふ、と笑いながらそのまま歩いていく。
「ちょっと、ゆりさん!
どういうことよ!!」
三人の影が長くのびる。えりかの抗議も長くなりそうだった。
最終更新:2019年03月10日 14:22