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エール・アゲイン/一六◆6/pMjwqUTkg




 ガランとした建物の中に、わたしの靴音だけが響く。
 まるでずっと夜が続いているみたいな暗い空間を、あの人を探してひた走る。
 高い丸天井の大きな部屋。長く真っ直ぐに続く廊下。
 そのどこにも、あの人は居ない。

 壁には至る所に亀裂が入り、床には瓦礫が散らばっている。
 そしてここに入った時から、まるで地震みたいに足下が揺れている。
 だから早く、一刻も早く、あの人を見つけなきゃ。
 行く手に現れた、まさに人が出て行ったばかりのような半開きのドア。
 そこを駆け抜けると、突然目の前が明るくなった。

 壁一面がガラス窓の、何もない大きな部屋。
 ひび割れだらけの窓の向こうに、無数の巨大な瓦礫が落ちて行くのが見える。
 何だか現実離れした――えっと、マグリットだっけ、美術で習った絵みたいな光景。
 そんな景色を、あの人は部屋の真ん中に座り込んで眺めていた。

「やあ。また会ったね」
 力のない微笑み。まるでわたしが来ることが、分かっていたみたい。
「僕の負けだ。早くここから離れた方がいい。永遠の城は崩れゆく」
 そう言って、あの人はもう一度窓の方を見つめる。
「夢を見ていたのは、僕の方だったのかもしれないな。永遠など……」
 さっきまで戦っていたのが嘘みたいな、穏やかな声。
 だけどその声は、何だかとても寂しそうで、哀しそうで……。

 息を整えて、その背中のすぐ後ろに、そっと座る。
「これ……」
 ずっと借りたままだったハンカチを、ようやく返せた。

「一緒に行こう?」
「どこへ?」
「未来へ」
「無理だよ。僕は未来を信じない」
「嘘」

 ずっとこちらに背を向けたまま、彼がゆっくりと立ち上がる。
 またすぐに消えてしまいそうな気がして、わたしも急いで立ち上がる。
 そして彼の左手に、そっと自分の手を重ねた。
「本当に未来を信じていないなら、どうして……いつもわたしに「またね」って言うの?」

 後ろから、その身体にそっと両腕を回す。
 未来を信じない――その理由を、この人はわたしに見せてくれた。
 この人の目の中にある深い哀しみの理由も、それと同じなのかな……。
 分からない。だけど、せめてその哀しみを、わたしは抱き締めたい。

 彼の背中が、小さく震えた。
 小さな小さな笑い声――まるで泣いているみたいな声が、頭の上で微かに響く。
「君は、本当に素敵な女の子だね」
 その言葉と共に、わたしの腕は静かに振り払われ、彼の身体が離れた。

「またね」

 二歩、三歩、歩き出したあの人が、そう言ってようやくこちらを振り返る。
 その後ろには、昇り始めた朝日と、見る見る明るくなっていく空。
 ソリダスター――“永遠”の花言葉を持つ花びらが散って、二人の間で舞い踊る。
 そしてまばゆい光が視界を埋め尽くした時、再びあの人の声が耳に届いた。

――僕も、もう一度――

 目を開けると、部屋の中にはわたし一人。あの人の姿は消えていた。
 ふと目をやると、見覚えのある花が一輪、床にいつの間にか置かれている。
 クラスペディア――花言葉は、“永遠の幸福”。
 ポツンと寂しげなその花を拾い上げ、わたしはそっと胸に抱き締めた。



   エール・アゲイン



「委員長ぉ! ひとつ、お願いがあるんだけどっ!」
「な……何?」
 百井あきの勢いにたじろぎながら、さあやは何とか笑顔で問い返した。その隣には、さあや以上にたじろいだ表情のほまれと、ポカンと口を開けて成り行きを見守っているはなの姿がある。
 中学三年生になっても、さあやは変わらずクラスの委員長。だが最近は、彼女を「委員長」と呼ぶクラスメイトは少なくなった。そう呼ばれるのは、今のように何か頼み事をされる時くらいだ。そして、あきの口から飛び出したのは、さあやが今まで委員長として聞いて来た数々の頼み事の中でもトップクラスに大きくて、しかもなかなか無理難題の案件だった。

「我がラヴェニール学園中等部も、文化祭をやろうよ!」
「え……文化祭!?」
「ああ、そう言えばこの学校って、文化祭ないんだっけ」
 はなが今更気付いたように、ポツリと呟く。転校したばかりだった昨年は、はなにとってあまりにも濃密で多忙を極めた一年だった。だからそこまで気が回らなかったのも、無理はない。

「そうなの! だからさぁ、わたしたちが中三の今年、記念すべき第一回の……」
「そんなこと言って、百井はまた十倉と漫才やりたいだけなんじゃねえの?」
 あきの後ろから、千瀬ふみとが唐突に割って入ってきた。
 つい先日行われた新入生歓迎会で、あきは親友の十倉じゅんなとコンビを組んで、漫才を披露した。それが初めてとは思えないくらい大受けで、会場の体育館を揺るがすほどの大爆笑だったのだ。

「バレたかぁ」
 そう言って頭を掻いたあきが、しかしすぐに元の勢い込んだ様子で級友たちを見回す。
「でもさぁ。文化祭って、やっぱ学校行事の花形だと思うんだよね~」
「そりゃあ……そうだな」
「他の中学はやってる学校がほとんどなのに、うちだけ無いなんて、それって“ホットケーキに卵を入れず”だと思ってさぁ」
「それを言うなら“仏作って魂入れず”、ね」
 今年はクラスが別れてしまったじゅんなの代わりに、ほまれが冷静にツッコむ。いつものように力のない笑いを漏らす一同。が、それを遮って明るい声を上げたのは、はなだった。

「確かに……楽しいことは、一杯あった方がいいよね。わたしもこの学校で、みんなと文化祭、やってみたい!」
「ホント? はな!」
 それを聞いて、あきがパッと顔を輝かせる。
「うん。クラスのみんなでひとつのものを作ったり、部活の成果をみんなに観てもらったり。イケてる!」
 そう言って、はなは教室の後ろの方に駆けて行くと、ぐるぐると腕を回した。
「何でも出来る! 何でもなれる! 中学卒業まで、あと一年だもん。みんなで思いっ切り楽しいことして、とびっきりの思い出作ろうよ。フレ! フレ! みんな! フレ! フレ! わたし!」

 あきが目を輝かせ、ふみとは「やれやれ」と言いつつ、楽しそうにニヤリと笑う。そしてほまれは小さく微笑んでから、そっとさあやに問いかけた。
「本当に、出来るのかな」
「うーん、確かなことは言えないけど……まだ新学年が始まったばかりだし、可能性は十分あると思う」

「よぉし。じゃあどうせなら、高等部とも合同にしよう! それならもっと派手にやれるしさ」
「え~! それじゃあ高等部のヤツらに、オイシイとこ持って行かれるんじゃ……」
 さらに張り切るあきの提案に、ふみとの声が小さくなる。だが、はなの方はそれを聞いて、俄然張り切った様子で言った。
「それいい! 高校生も一緒のオトナの文化祭を、わたしたちが言い出して実現するなんて……。それってめっちゃカッコいいよ!」
「でしょ~! じゃあいっそのこと、学園全部の文化祭にしちゃおっか!」
「おおっ! めっちゃイケてる!」
 はなの言葉にあきがますますテンションを上げ、それを聞いて、はなのテンションもさらに上がっていく。その勢いにつられたように、周りの仲間たちもにわかに活気づいて来た。

「それじゃあ私はまず、生徒会の役員たちに話してみるね」
「さっすが委員長! じゃあ俺は高等部に行って、ガツンとかましてやるかな」
「かましちゃダメでしょ……。さあやの方が上手くいったら、わたしも一緒に行って、アンリと正人さんに話してみるよ。アンリはともかく、正人さんなら生徒会に知り合いも居そうだし」
「ほまれ、千瀬君、よろしく! 小等部はわたしとじゅんなに任せてよ。わたしたち、卒業生だからさ」

(やっぱり凄いなぁ、みんな。あっという間に分担が決まっちゃったよ。きっと今、ここにはアスパワワがいっぱいだよね)

 すっかり文化祭実行委員会のような雰囲気で盛り上がる仲間たちに、はなが愛し気な眼差しを向ける。そして改めて、一層明るい声を張り上げた。
「完璧じゃん。小等部、中等部、高等部! あと大学……は、流石に無いか。アハハ……」
「あるある」
「えっ?」
 あきの言葉に、はなが驚いて照れ笑いを止める。
「この学園、大学もあったっけ」
「ああ、はなは知らなかった? 高等部の隣にある建物、あれって大学だよ。まぁ、この敷地にあるのは、一部の学部だけどね」
 さあやの説明を聞いて、はなは初めて聞いた事実に、へぇ、と少々間の抜けた呟きを漏らした。



 その日の放課後。スケートの練習があるほまれと、撮影所の両親に届け物があるというさあやと別れたはなは、ふと思い立って、帰り道とは反対の方向へと足を向けた。
 高等部の校舎の前を通り過ぎ、その隣の建物を見上げる。
「ここが大学なのかな」
 表札などは見当たらないが、間違いなく学園の敷地内にある大きな建物。中を覗いてみたくて入り口を探すと、生け垣に隠れるようにして、小さな木の扉があるのが目に入った。

「まさか、これがドア?」
 少し躊躇したものの、好奇心には勝てず、ノブに手をかけてみる。ギィ、という低い音と共に、扉は簡単に開いた。恐る恐る中を覗くと、どうやらそこは裏庭らしい。そうっと中に足を踏み入れたはなは、そこで思わず棒立ちになった。

「なんで……どうしてあなたが、ここに居るの?」

 庭の真ん中に立って校舎をじっと見上げている横顔は、見覚えのある――いや、忘れようにも忘れられない人物。
 ジョージ・クライ。はなたちプリキュアの前に立ちはだかった、元クライアス社社長、その人だった。

 はなの声に振り向いた途端、彼もまた、その目を大きく見開いた。とても驚いた表情――いや、それだけではない。その瞳はせわしなく、落ち着きなく泳いでいる。
 まるで、悪戯をしている現場を見つけられたかのように。ここに居ることを、はなに知られたくなかったように――。
 が、それも束の間。その表情を隠すようにして、ジョージはくるりと踵を返した。そのまま足早に、その場を立ち去ろうとする。それを見て、はなは弾かれた様に彼の後を追った。

「待って! ねえ、どうしてここに居るの?」
「……ここは、僕の母校だからね」
「そうじゃなくて、どうしてまだこの時代に? 未来に帰ったんじゃなかったの?」
「……」
「それとも……帰れないの?」

 そこでジョージがぴたりと足を止めた。ハーっと大きく息を吐き出してから、観念したようにはなを振り向く。
「大丈夫。僕はいつでも帰れるんだ。帰ろうと思えばね」
「じゃあ……帰りたくないの?」
 前に会った時と同じ、何だか寂し気で、哀しそうに見える彼の眼差し。その目を真っ直ぐに見つめて、はなが問いかける。すると明らかに狼狽えていたジョージの眼の光が、心なしか、少し柔らかくなった。

「心配してくれるの? 僕は、あんなに君を傷付けたのに」
「それは……私だって、酷いことしたし」
「そうだった?」
「せっかく持って来てくれたお花、ぐちゃぐちゃにしちゃった……」
 俯くはなの頭上から、穏やかな声が降って来る。
「気にしなくていいよ。花は、いつかは散るものだ」
「でも! ……あれ?」
 勢い良く頭を上げたはなは、驚いて辺りを見回した。

 灌木に囲まれた、緑豊かなその場所に立っているのは、はなただ一人。ジョージの姿は、どこにもない。
「また、消えちゃった……」
 小さな声でそう呟いてから、はなはしゃがみ込んで、足元に咲いている小さな花を見つめる。
「ねえ。やっぱり未来に、帰りたくないの?」
 不意に一陣の風が吹いて、小さな花が盛大に揺れる。
「もう……「またね」って、言ってくれないの?」
 裏庭はしんと静まり返っていて、はなの問いに答えてくれる者は、誰も居なかった。


   ☆


「……はな? ねえ、はな!」
 教室の自分の席で、頬杖をついて窓の外を眺めていたはなは、ほまれの声で、ようやく我に返った。ほまれの隣には、心配そうにこちらを見つめるさあやの姿もある。
「ご、ごめん……何?」
「次、音楽でしょ? 早く移動しないと遅れるよ?」
「めちょっく!」
 慌ててバタバタと支度を始めるはなに、ほまれは何か言いかけて口をつぐむ。そしてそっと、さあやと目を合わせた。

 今日の音楽の授業は、合唱の練習だった。まずは先生のピアノに合わせて、メロディパートを全員で歌ってみる。
 軽やかな前奏に続いて、皆が一斉に息を吸い込み、歌い出す。まだ少し音がバラバラだけど、クラス全員で一緒に歌うと、ちょっとした高揚感と、少し気恥ずかしい嬉しさを覚える。

(でも……ルールーが居た未来には、音楽が無いって言ってたよね……)

 はなの視線が下を向き、教科書を持つ手が僅かに下がる。
 ルールーが居た未来。それはすなわち、ジョージが居た未来でもある。

(そして……あの人が帰りたくない未来でもあるのかな)

 そう思った時、ジョージが語った言葉の数々が、走馬灯のように蘇って来た。

――でも……君は、人間が悪い心を持ってないと言い切れる?
――二人で生きよう。傷付ける者のいない世界で……!
――明日など要らぬ! 未来など!

(どれも哀しい言葉……。そうだ、なんで気付かなかったんだろう。わたしにとっては未来でも、あの人にとって、それは……)

――僕の、時間は……もう動くことはない。

 はなの両手が、小刻みに震え出す。
 脳裏に浮かぶ、独りぼっちでのお弁当。クラスメイトたちの、突き刺さる視線。そしてあの時止まってしまった、友達のえりとの時間――。
 逃げるようにラヴェニール学園に転校した時、彼女との時間は、もう動くことはないと思っていた。でも仲間たちの励ましで、その時間はようやく動き始めた。

(それなのに、わたしは……わたしは、あの人を……)

 皆の歌声が高まる中、バサリ、とはなの手から教科書が落ちた。

「はな! どうしたの?」
 隣に居たさあやが驚いて問いかける。自分の身体を掻き抱くようにして震えているはな。その肩を、反対隣からギュッと抱き締めて、ほまれが落ち着いた声で言った。
「先生! 保健室に行って来ます」
「わ、わたしも行きます!」
 もうすっかり歌どころではなくなった級友たちのざわめきに見送られ、さあやとほまれに抱えられて、はなは廊下に出た。



「ごめん、心配かけて」
 保健室のベッドで横になっていたはなが、すまなそうに口を開いた。身体の震えは治まって、青白かった頬にも、ようやく赤みが戻ってきている。
「朝から様子がおかしかったけど、ずっと具合、悪かったの?」
「そうじゃないけど……昨日、あんまり眠れなかったから」
 さあやの問いに、そう答えながら起き上がろうとするはなを、ほまれが優しく押しとどめる。
「まだ寝てなきゃダメだよ」
「ありがとう。でも、ホントにもう大丈夫だから」
 弱々しい笑顔で小さくかぶりを振ってから、はなはベッドの上に身を起こした。
「少し話、いい?」
 さあやとほまれが、そっと目と目を見交わしてから、両側からはなを支えるようにして、三人並んでベッドに腰かける。

「実はね。昨日、あの人に会ったの」
「あの人って?」
「クライアス社の……ジョージ・クライに」
 さあやが、えっ、と小さな声を上げ、ほまれは険しい表情ではなの顔を見つめる。
「じゃあ、それで何か怖い目に遭って……」
「ううん。向こうも、わたしにバッタリ会って驚いてたみたいで……少し話したら、居なくなっちゃった」

「未来に帰ったんじゃなかったんだ……」
 さあやの呟きに、はなが顔を曇らせる。そして、昨日のジョージとのやり取りを一通り話してから、視線を膝の上に落したまま、ポツリ、ポツリと、言葉を押し出すような調子で言った。
「未来では、時間が止まる。だからその前に……破滅に向かう前に、時を止めたい――前に、ジョージさんからそう聞いた時にね。わたしは、それでも未来を信じる、みんなの未来を守りたい、って強く思った。その気持ちは、今も変わらないんだ。でも……」
 そこではなが、考え込むように言葉を切った。はなたちのクラスの授業だろう。ピアノの音と歌声が、静まり返った保健室に微かに聞こえる。

「あの哀しそうな目……。人類の未来は破滅に向かっているから――本当にそれが理由で、あの人はあんな哀しそうな目をしてたのかな」
「どういう意味?」
「人類の破滅とか、そんな大きな問題じゃなくて……あの人自身の時間を止めてしまう、何かとっても……立ち直れないような、とってもとっても辛い出来事が、あの人の過去にあったんじゃないのかな、って」

「あの人の、過去……。そうか、わたしたちにとっては未来だけど……」
「ジョージ・クライにとっては、過去ってことだね」
 さあやの呟きに、ほまれも続く。そんな二人に、うん、と小さく頷いてから、はなは膝の上に置いた手を、ギュッと握った。声と身体が震えそうになるのを抑えるように、強く強く拳を握る。

「あの人が、なんであそこまで未来を怖がっていたのか。それが不思議だった。でもわたし……それをちゃんと、聞いてあげられなかった……」

「そんなことない! はなは、ジョージ・クライと向き合ったじゃん。必死で説得しようとしてた!」
「うん、説得しようとした」
 思わず勢い良くはなの方に向き直ったほまれが、静かに頷いたはなの言葉に、ハッとしたように目を見開く。

「説得しようとしか、してなかった。わたし、自分のことで頭が一杯で、自分の言いたいこと、ばっかり言ってて……」
 はなの両手が再び、ギュッと握られる。
「わたし……あの人の話を、ちゃんと聞いてあげられなかった。未来の時間を止めたいと思うほどの、どんな辛いことがあったのか。一番応援しなきゃいけない人を、応援してなかった」
 俯いて小さく身体を震わせるはなと、そんなはなを言葉もなく見守るさあやとほまれ。その時、まるで遠い世界の出来事のように、保健室に終業のベルが響いた。


   ☆


 次の日は土曜日だった。いつもより少し遅めの朝ご飯を食べ、身支度を整えたはなが、玄関にある大きな鏡の中の自分と向き合う。
 一晩考えて、やはりもう一度、ジョージに会おうと決めた。いつも偶然――いや、もしかしたら向こうが会いたいと思った時にしか、会うことのなかった人。でも今度は自分の方から、彼に会いに行く。会って、自分の気持ちをちゃんと伝えるために。自分がやるべきことを、ちゃんとやるために。

「フレ、フレ、わたし。頑張れ、頑張れ、オー!」
 両手を握り、小さな声で鏡の中の自分を応援する。玄関のドアを開いて表に飛び出すと、はなの目の前に、二人の人物が立っていた。

「さあや……ほまれ……!」
 一瞬キョトンとしたはなの表情が、ぱぁっと明るくなる。
「気になって、来ちゃった」
「前にもこんなこと、あったね」
 駆け寄る一人と、迎える二人。彼女たちはお互いの顔を見つめて、嬉しそうに笑った。



「こういう時は、ビューティー・ハリーのありがたみが分かる気がするよね~」
 颯爽とブランコを漕ぐほまれが、サバサバとした調子で言う。もしこの場にハリーが居たら、「こういう時だけか!」とすぐさまツッコむ場面だろう。
 三人は、近くの児童公園にやって来ていた。まだ比較的早い時間だからか、幸い三人以外に人の姿は無い。

「わたし、もう一度あの人に会ってみようと思うんだ。何が出来るか、そもそも会えるかどうかも、分からないけど」
 隣のブランコに座ったはなが、自分に言い聞かせるような調子で言う。それを聞いて、ほまれは小さく微笑んだ。

「ねえ、はな。わたしが跳べなかった頃のこと、覚えてる?」
 さらに勢いをつけてブランコを漕ぎながら、ほまれがはなに語りかける。
「わたしがもう一度跳びたいと思ったのはね。はなの姿を見たからなんだよ」
「えっ?」
「正確には、キュアエールの姿を見たから、かな」

 ほまれははなの方を見ずに、前を向いたままで言葉を続ける。
 大きな敵に、いつも真っ向から挑んでいくプリキュアの――エールの姿が眩しかった。自分ももう一度、あんな風に跳びたい。怪我をして、跳ぶのを諦めてから、初めて強くそう思った――。

「だからさ。きっと無駄なんかじゃないんだよ」
 漕ぐのを止めて、揺れが小さくなったブランコに、ほまれが長い足でブレーキをかける。
「ジョージ・クライに何があったのかは分からないけどさ。でも、絶対に諦めないエールの――はなの姿を見せられたことは、無駄なんかじゃないって、わたしは思う」
「ほまれ」
 少し照れたように、こちらを見ずに話すほまれの顔を見上げて、はなが目を潤ませる。その目の前に、今度はさあやが、持っていたタブレットの画面を差し出した。

「これって……」
「こっちがクラスペディア。そしてこっちがソリダスター。どちらもジョージさんが、はなに贈った花だよね?」
「うん……」
 コクリと頷くはなに、さあやはその細い指で、画面のある一点を指し示す。

「見て欲しいのはね、ここなんだ」
「花言葉? ああ、それは……えっ?」
 はなが驚いたように、さあやの手からタブレットを受け取ってじっと見つめる。
 クラスペディアの花言葉は、「永遠の幸福」。ソリダスターは、「永遠」。だが、花言葉はそれひとつきりでは無かった。どちらの花にも、それ以外の花言葉もあると記されている。

「クラスペディアは、「心の扉を叩く」。ソリダスターは「振り向いて下さい」。ね? 花言葉も、人の気持ちも、ひとつだけってことは無いと思う」
 そう言って、さあやははなの肩を、そっと両手で抱き締めた。ブランコから降りたほまれも、そんな二人に寄り添う。

「大丈夫。応援したいってはなの気持ち、きっと伝わるよ」
「応援に、遅すぎることなんて無いよ。それはわたしが、一番よく知ってる」
「さあや、ほまれ……ありがとう!」
 はなは、目を閉じて二人の親友の温もりを全身で感じてから、今度は力強く、うん、と頷いた。



 その後、三人はジョージ・クライを探して街を走った。以前、彼を見かけた場所に、片っ端から足を向ける。
 はぐくみタワー、ハグマン、つつじ公園。はながジョージの似顔絵を描いて、道行く人に、似た人を見かけなかったか尋ねてみる。だが、彼を見た人は一人も居なかった。

 やがて、公園の池のほとりを訪れた時、はなが、あっ、と叫んで空を見上げた。
「そうだ……。あの時、雨が降って来て、そして……」
 はなが突然、くるりと踵を返して走り出す。池を後にし、緑豊かな広場の真ん中を駆け抜ける。向こうに見えてくる小さな東屋。その片隅にポツンと座っている人影を見つけて、はなの足が止まった。

 ベンチに座る後ろ姿は、紛れもなくジョージ・クライ、その人のもの。息を弾ませてその姿を見つめるはなの肩に、彼女を追って走って来たさあやとほまれが、そっと手を置く。
「はな」
「フレ、フレ」
 はぁっと大きく深呼吸をしてから、はながゆっくりと歩き出す。そして、所在なげに空を眺めているその人の隣に、そっと座った。

「やぁ。また会ったね」
 今度はジョージも、驚いた様子は見せなかった。いつもの穏やかな、そしてやはり哀し気に見える瞳ではなを見つめてから、ゆっくりと立ち上がる。
「ダメだね。つい、来たことのある場所にばかり足が向いてしまう」
「わたしも、もしかしたらここかなって……何となくだけど」
 そう言いながら、はなもベンチから立ち上がる。そしてジョージの背中に向かって、勢い良く頭を下げた。

「ごめんなさい!」
「何故君が謝るの?」
 これには流石に驚いた顔で、ジョージがはなの方に向き直る。だが、続くはなの言葉を聞いて、その視線は再びはなから離れた。

「ねえ。あなたはやっぱり、未来に帰りたくない訳があるんだよね。私、自分のことばっかりで、あなたの話、ちゃんと聞けなかった」
「そんなことはないよ。僕も君も、自分の描く未来を、思う存分語り合ったはずだ」
「そうじゃないの」
 再びはなに背を向け、空を見つめたままで語るジョージ。その後ろ姿を見つめて、はなは激しくかぶりを振る。
「私、気付いてた。笑っていても、あなたはいつも泣いているみたい。きっと、何かとっても哀しいことがあったんだよね?」

「それは……」
 春風が、ジョージの黒髪を揺らした。さらに語りかけようとして、はなはその肩が震えているのに気付き、口をつぐむ。
「それは……」
 いつの間にか、はなの目にも涙が盛り上がっていた。涙でぼやける彼の後ろ姿に、一歩、二歩、ゆっくりと近付く。そしてギュッと握られた彼の左手の上に、自分の左手をそっと重ねた。

「辛いことを、無理にしゃべらなくていいの。ただ……ごめんなさい。とっても遅くなっちゃったけど、あなたのこと、応援させて」
 そう言って、はながグイっと涙を拭う。そしてジョージから少し離れたところに立つと、両腕をぐるぐると振り回し始めた。

「フレー! フレー! ジョージさん! 頑張れ! 頑張れ! オー!」

「ハハハ……」
 じっと背を向けたままではなの応援を聞いていたジョージが、いつもの乾いた笑い声を上げる。だがその声は次第に、ごまかしようのない程の涙声に変わっていく。彼にゆっくりと近付いて、その身体を抱き締めるはな。彼は天を仰ぎ、子供のように泣きじゃくる。

 どのくらいの間、そうしていただろう。
「驚いたよ。僕が、プリキュアに応援される日が来るなんてね」
 しばらくして、そう言いながら振り向いた時には、ジョージの顔には薄っすらと、少し照れ臭そうな笑みが浮かんでいた。
「キュアエール。いや、はな。君の応援で、皆がアスパワワを発するようになったこと……今なら分かる気がするよ」
 そう言って、ジョージがあの時のように、はなの腕を優しく振り払う。
「またね……未来で」
 微笑みながら去っていく後ろ姿を、片時も目を離さずに見送るはな。ジョージの姿は、今度は不意に消えたりなどせず、少しずつ小さく遠ざかって、やがてはなの目から見えなくなった。


   ☆


 あっという間に春が過ぎ、若葉の季節がやって来た。あれ以来、はなはジョージに一度も会っていない。
「きっと、はなの応援をもらって未来に帰ったんだよ」
 さあやはそう言い、ほまれも笑顔で頷いた。きっとそうなのだろうと、はなも思う。いや、そうであってほしいと思った。

 やがて、制服のブラウスが長袖から半袖になる頃には、文化祭の準備もいよいよ盛り上がって来た。
 クラスごと、クラブごと、それに有志による出し物や模擬店。一貫校の特色を生かし、小学生から大学生までの幅広いキャストが出演する演劇をトリに置いた、バラエティに富んだステージイベント。その中には、中学生になったえみると、はなの妹・ことりも出演するミニコンサートもある。
 スケートリンクでは、若宮アンリの振り付けで、ほまれを中心としたスケート選手たちによるアイスショーが行われることになっていた。
 多種多様な企画をひとつのお祭りとして成功させるために、さあやを含む生徒会の役員たちは、連日の打ち合わせに余念がない。
 はなの方は、たこ焼き屋のおじさん監修の元、クラスのみんなで屋台を出すことになった。今は、生徒たち以上に大張り切りのおじさんによる、厳しい修行の真っ最中だ。

 はなが、文化祭実行委員であるクラスメイトたちと一緒に再び大学を訪れたのは、そんなある日のことだった。この校舎に研究室を構えるドクター・トラウムから、文化祭に役立ちそうな発明品があるからと、実行委員会に連絡があったのだ。

 この前来た時とはまるっきり逆の方角にある正門から、大学の敷地に入る。入ったところで見知った顔に出会って、はなは目をパチパチさせた。
「……えみる? なんでここに?」
「は、はな先輩!?」
 中等部の制服姿のえみるが、目の前でワタワタと慌てふためく。
「えっと……ちょっと、所用がありまして……で、では、おさらばなのです~!」
 逃げるように走り去っていく後ろ姿を、ポカンと見つめるはな。と、その時。
「よく来たね。さぁ、こっちこっち」
 記憶にある姿よりも、大分おとなしい身なりのドクター・トラウムが現れ、満面の笑みではなたちを手招いた。

「これが、千人分の注文を一度に受けられる接客ロボット。そしてこちらが、あらゆることを一分で説明できる案内ロボットだ。どうかね?」
「……す、凄いですね」
「……でも、千人分の注文って言われても、そんな量、模擬店じゃ作れませんし……」
「……なんか凄すぎて、文化祭に使うには勿体ないっていうか……」
 小型のロボットを前にして、まるで大好きなおもちゃの話をするように意気揚々と説明する大学教授に、中学生たちが目を白黒させる。

「それに、このロボットたちのバッテリーは、せいぜい五分が限界ですよ、ドクター。そうしょっちゅう充電が必要では、文化祭に使うのは難しいのではないですか?」
 不意に、新たな声が聞こえた。その声の主の姿を見て、はなが驚きに目を見開く。

(あの人だ……)

 白い開襟シャツに、はなが知っている髪型より短い黒い髪。専門書らしき分厚い本を小脇に抱え、背筋を伸ばした立ち姿――。
 それは未来から来たのではない、この時代に生きる、まだ学生らしいジョージ・クライの姿だった。

(そう言えばこの前会った時、「ここは僕の母校だ」って言ってたっけ)

 はなの視線に気付くはずもなく、ジョージがトラウムの隣の椅子に腰かける。
「私としたことが……。確かに君の言う通りだ。ああ、電力と同じくらい手軽に使えて、もっと強大なエネルギーがあれば、私の研究ももっとやりやすくなるのだがなぁ!」
「おっしゃる通りです」
 深々と溜息をつくトラウムに、ジョージが頷く。そして、緊張の面持ちで座っている中学生たちに、小さく笑いかけた。
「せっかく来てもらったのに、悪かったね」
 その声は、はなが知っている彼の口調と同じくらい穏やかで、その反面、はなが聞いたことのない明るさを伴っていて……。

(今はまだ、この人は哀しい目をしていないんだ……)

 心の中に、ゆっくりとひとつの想いが湧き上がって来た。雨が上がり、空が明るくなっていく時のような、そんな希望に満ちた想いが。

(もし、今この人と友達になれたら……そうすれば、哀しい出来事が起こった時、わたしもそばに居られるかもしれない。独りじゃないって、抱き締められるかもしれない)

 自分の顔を、穴があくほど見つめているはなの視線に気付いて、ジョージが微かに怪訝そうな表情になる。次の瞬間、はなはサッと右手を挙げて立ち上がった。

「あの!」
「何だね?」
 今度はトラウムが、不思議そうな顔ではなに問いかける。その顔と、隣にいるジョージの顔に交互に目をやってから、はなはブンブンと腕を振り回しながら言った。
「ロボットは使えないけど……文化祭は、必ず来てくださいね。先生も、ジョ……お、おにいさんも。わたしたち、案内しますから!」

「おにいさん、か。初めてそんな風に呼ばれたな」
 一瞬、あっけにとられた顔をしたジョージが、そう言って楽しそうにハハハ……と笑い出す。
「ありがとう。君は、素敵な女の子だね」
 記憶の中のジョージの声と、目の前のジョージの声が重なる。不意に涙が出そうになるのを何とか堪えて、はなはにっこりと、心から嬉しそうに笑った。

 ラヴェニール学園の上に、初夏の日差しが降り注ぐ。それはまるでアスパワワのようにキラキラと輝いて、若者たちの明日を、静かに応援していたのだった。

~終~
最終更新:2019年04月21日 21:56