『フレッシュプリキュア! パラレルストーリー(笑顔の少年と笑わない少女)』/夏希◆JIBDaXNP.g
占い館の廊下を、イース――いや、東せつなが伏し目がちに歩く。このところ不幸のエネルギーの回収効率が落ちている。原因は明白で、プリキュアの増員とパワーアップに、こちらの戦力強化が追い付いていないのだ。キュアスティックを使って放たれる、強力な浄化技。これをキュアピーチに続き、キュアパインも得たと聞く。それに4人目のプリキュア誕生の噂もある。
事態は日増しに悪くなる一方だ。加えてイースは、ウエスターやサウラーに比べて、自身のナケワメーケの強化にも成功していない。召喚する場所やタイミングでカバーしているものの、その性能の差を覆せるわけでもない。
だからこそ、今進めている計画は必ず成功させなければならない。これは自分だけのアドバンテージだ。
繰り返し頭に思い描く、成功に至るプロセスのイメージ。もうひとつ重要なのは、それを成し遂げる理想の自分をイメージすること。
そうだ――散々考えて、考え抜いて、己を鍛え抜いてここまで来た。メビウス様のしもべに相応しい言葉使い、行動や振る舞い、知識と身体能力、そして柔軟な発想力。もはや本来の自分がどんな人間だったかも思い出せないくらいに、イースとして、メビウス様のしもべとして、己を最適化させ続けてきた。
だから、最後に勝つのは自分のはず。ウエスターとサウラーを出し抜いて、プリキュアを残らず排除して、不幸のエネルギーを集めて、インフィニティを奪取し、メビウス様に認めていただく。そう――必ず!
少し気分が落ち着いたタイミングで、最も顔を見たくなかった男の一人が姿を現す。
「よお、イース。そんな恰好でどうした? そうか、わかったぞ! さてはドーナツを買いに行く気だな?」
「……馬鹿が伝染るから、気安く話しかけないで」
「そう言うな、俺だって色々と考えているんだ。そうだ! ちょうど今、新しい作戦を思い付いたところでな。お前の意見も聞かせてくれ!」
「下手の考え休むに似たり、よ。興味ないわ」
せつなは、得意気に語ろうとするウエスターを一蹴する。
「私は任務で忙しいの。いいから付きまとわないで」
「今回のは自信あったんだがな~。まあ任務とあらば仕方あるまい。気を付けるんだぞ?」
すれ違いざま、そう言い残したウエスターを、せつなは忌々しそうに睨み付ける。
(気を付けろだと? 誰に向かって口を聞いている!)
成績最下位の無能の分際で――そんな悪態が口を突いて出そうになる。しかし、そのイライラが優越感から来るものではないことも、せつなは自覚していた。
効率の悪い作戦に、数ばかり多い出撃回数。それに伴ったナケワメーケの無駄な消費。こんな男をライバルと認めるのはプライドが許さない。しかし彼の戦闘力は幹部の中でも最強で、召喚するナケワメーケの力も強大であることは事実だ。
現に適当に出撃して、適当に戦うだけで、常に知略を巡らせているイースやサウラーに迫るほどの不幸のエネルギーを集めている。彼の陽気さは余裕の表れのようにも感じられて、見ていると余計にむしゃくしゃする。
(今日こそ、成果を上げて見せる。キュアピーチ――奴の変身アイテムを、必ず……!)
赤いブラウスに白いベスト、アイボリーのキュロット。女の子らしい軽快な装いには全く似つかわしくない剣呑な表情で、東せつなは占い館を後にした。
『フレッシュプリキュア! パラレルストーリー(笑顔の少年と笑わない少女)』
(遅い……)
約束の時間をもう10分も過ぎている。と言っても、せつなもわざと5分遅れてここに来たのだけれど。
ラブよりも、ほんの少しだけ後に到着するのが理想だった。先に来て待っているようでは、こちらが一方的に熱を上げているみたいだし、かと言って大幅に遅刻してラブに嫌われては元も子もない。
しかし今日は、ラブにしては珍しく来るのが遅い。もしかして、自分の正体を見破られたのでは? 少し不安になって再び辺りを見渡したところで、こちらに駆けてくるラブの姿が目に入った。それも、せつなが見たこともない人物と、しっかりと手を繋いで……。
「ごめん、せつな。待った?」
「ううん、いま来たところよ。ところで、その子はどうしたの?」
せつなの視線が、ラブが連れてきた男の子に注がれる。栗色の髪に、大きな翡翠色の瞳。一瞥しただけで、この街の人間では無いとわかる、異国風の男の子だ。
「さっき、通りでポツンと座り込んでるのを見かけたの。なんか遠くから一人でこの街に来たらしくって、ほっとけなくて。それで連れてきちゃったんだ」
「そ……そうなの。それで、ラブはこの子をどうするつもりなの?」
「それをせつなに相談しようと思って。住所は教えてくれないし、一緒に交番に行こうって言ったら逃げようとするし……」
ラブが困ったような口調でそう言うと、男の子はプイっとそっぽを向く。その話では、どう聞いても家出少年だ。
「私に相談されても困るわよ。占いで住所を知るなんて出来ないもの」
なんとかして、この子を追い払うしかない。一緒について来られて作戦の邪魔をされてはたまらないと、せつなが思案を巡らせる。
その時、ラブのリンクルンが着信を告げた。
「はい。あ、美希たん? えっ! デパートの屋上でナケ……わかった! すぐに行くから!」
その会話を盗み聞きして、せつなは眉間にしわを寄せる。恐らくは、さっき聞いたウエスターの作戦とやらだろう。あの時に「邪魔をするな」と釘を刺しておくべきだったが、今さら後悔してもどうにもならない。
「せつな、ゴメン! あたし急用ができちゃったの。なるべく早く戻るから、それまでこの子をお願い!」
「えっ? ちょっと待って! なんで私が……」
「理由は話せないけど、どうしても行かなきゃならないの。せつなしか頼める人がいないの。お願い! この通りっ!」
せつなは、今にも駆け出しそうに足踏みしながら訴えるラブと、困惑した様子の男の子を交互に見てため息をつく。放っておけばいいのに……とは思うものの、そんなことを言って、せっかく築いてきたラブの信頼を損ねるのも割に合わない。
「わかったわ。ただし、今日の埋め合わせは必ずしてもらうわよ?」
「よかった! ありがとう、せつな。だぁ~い好き!」
「もう……調子がいいんだから」
ため息をついて微笑むせつなの手に、ラブはずっと握っていた男の子の手を握らせる。そしてまさにビュンと飛ぶような勢いで、あっという間に姿を消した。
「えっと……まずは自己紹介ね。私の名前は東せつな。あなたは?」
「ジェフリー」
せつなは少し屈んで、男の子と目線を合わせるようにして話しかける。
男の子はせつなをじっと見つめてから、ポツンと名前だけを口にした。
「そう、いい名前ね。どこか行きたいところとか、ある?」
「……お腹が空きました」
訴えかけるような目で見られて、せつなの顔がピクっと引きつる。ラビリンス本国からこの街の貨幣は支給されておらず、占いによる現金収入だけが頼りだ。衣服と交際費にそれなりのお金をかけるイースは、3人の中でも特に金欠だった。
これも必要経費……と諦めて、ただでさえ軽い財布の中身を使い切る覚悟を決める。
「じゃあ、何か食べましょうか。そうね……あのお店なんかどうかしら?」
「ハン……バーガー?」
せつなが適当に選んだ店は、オメガバーガーというハンバーガーショップだった。
「それ、どんな食べ物なの?」
「さ、さあ? 私も初めてだから……」
適当にセットを二つ注文する。席に着くと、せつなは慣れた調子でハンバーガーを口に運んだ。包みを上手に利用しながら、手や口周りを汚さずに食べていく。その様子を見て、ジェフリーが不思議そうに尋ねた。
「それ……初めて食べるんですよね?」
「ええ。それがどうかしたの?」
「どうしてそんなに、器用に食べられるんですか?」
「そんなの、周りで食べている人の真似をしてるだけよ?」
ジェフリーが、ポカンと口を開けてせつなを見つめる。そして今度は彼がせつなの真似をして、恐る恐るハンバーガーにかぶりついた。
「美味しい!」
「そうね」
その一言の後、しばらく沈黙の時間が続いた。お腹が空いていたという言葉通り、夢中で食べているジェフリーを眺めながら、せつなも黙々とハンバーガーを食べ進める。
食べ終えたジェフリーのケチャップまみれの手や口の周りを、せつながペーパーナプキンで拭いてやると、彼はおずおずと口を開いた。
「あの、せつなさん。僕のこと、何も聞かないんですか?」
「どうして? 私がラブに頼まれたのは、あなたの面倒を見ることだけよ。話したければ聞いてあげるけど」
実際、せつなにはジェフリーのことなんてどうでもよかった。ラブの頼みだから一緒に居るだけ。そうでなければあっさりと追い払っているところだ。
「じゃあ……僕から質問してもいいですか?」
「……質問? 私に?」
せつなが怪訝そうな、少し警戒した表情で、改めてジェフリーを見つめる。ジェフリーは真剣な顔つきで頷くと、再び口を開いた。
「せつなさんの父上と母上は、どんな方なんですか?」
「え……私の、両親ってこと? そ、そうね……。しっかりしていて、それに優しい人。うん……ふたりとも、大体そんな感じよ」
せつなの口調が途端にしどろもどろになる。その様子に、今度はジェフリーが怪訝そうな顔になった。
「それ、本当ですか? せつなさん、僕と会ってからずっと、なんだか嘘をついているように見えます」
「……どういう意味?」
せつなの声のトーンが下がる。それを聞いてジェフリーはビクッと肩を震わせたが、せつなから目をそらさず、ぼそぼそと言葉を続けた。
「せつなさんは、僕のお城……いえ、僕の家で働いている使用人達と、同じ顔をしているから……。愛想笑いとか、変に優しい口調とか……全部、うわべだけなんでしょ?」
「…………」
すぐには答えることが出来ず、せつながジェフリーの顔をじっと見つめる。
(こんな子供に、私の演技を見透かされた……?)
少々怪しまれている程度なら、そのまま押し通すつもりだった。しかし、彼の目は確信に満ちている。
「ふうん……なかなか鋭いのね。少し見直したわ」
せつなは観念して、ガラッと声の調子を変えた。
「それが、本当のせつなさんなの?」
「さあ、どうかしら。でも見抜かれたなら、もう演技はやめるわ」
「失礼なことを言ってごめんなさい。僕は、このまま一緒にいてもいいですか?」
「逃げたら追いかけるわよ? ラブと約束しちゃったんだし」
せつなが目を細めて警告する。しかし、むしろジェフリーは安心したような表情を浮かべた。
「よかった、怒らせてしまったんじゃないかと思って……。お願いします! 本当のことを聞かせてください。代りに僕の秘密も教えるから」
「別にあなたのことに興味は無いけど、私の何が聞きたいの?」
「だから……せつなさんの、父上と母上のことです」
どうして他人の親のことなんか知りたがるのかわからない。しかし、ジェフリーは相変わらず真剣な眼差しでせつなを見つめている。まるでその答えの中に、何か大事なものが隠されてると信じているかのように。
「聞かれても、話せることなんかないわ。私は両親に会ったことも無いし、生きているかもわからないもの」
「そう――だったんですか。ごめんなさい、辛いことを聞いてしまって……」
「別に辛いことじゃないわ。私の生まれた国では普通のことよ」
ジェフリーが驚いた顔をして――やがてその表情が微笑に変わった。せつなを見つめる顔には、親近感だか、安心感だか、そんな風に呼べそうな、くつろいだ表情が浮かんでいる。
「せつな……お姉ちゃんも、この国の人じゃなかったんだね。僕の父上と母上は、メクルメク王国の王と王妃なんだ。僕はその第一皇子で、二人と一緒に日本に来たんだけど……」
異郷の者同士と知って、気安さを感じたのか。それとも、これまでのせつなの態度で、自分に危害を加える気はないと判断したのか。ジェフリーは一層打ち解けた口調になって、身の上や、この街に来た理由を打ち明けていく。
「せつなお姉ちゃん、一度見ただけでハンバーガーを上手に食べてたでしょ。きっと他のこともすぐ覚えちゃうんだろうし、そのくらい優秀なら父上と母上にも優しくしてもらえたのかなって」
「これが、そんなに大層なことなの?」
せつなが、食べ終えたハンバーガーの包みに目を落としてつぶやく。
「僕は、父上と母上に嫌われてるんだ。勉強も習い事も一生懸命やってるのに、いつも叱られてばっかりで……。結局、父上と母上は僕のことはどうでもよくて、立派な国王の跡継ぎが欲しいだけなんだ」
ジェフリーは悔しそうに言うと、ポケットを探って隠し持っていたらしい宝石をせつなに見せる。せめてもの意趣返しに、王家の家宝を持ち出したらしい。
せつなは宝石に一瞬だけ目をやると、すぐに視線をジェフリーに戻した。彼は期待を込めた目で、せつなの言葉を待っている。きっと、本心では自分の言葉を否定してもらいたいのだろう。彼の両親は、ジェフリーを愛しているんだと言って欲しいんだろう。
(くだらない……)
せつなにとっては他人事なんだから、彼が望む言葉を適当にかけてやればよかったのかもしれない。その方が後々やりやすくなるだろう。だが演技を止めてしまったがために、ついつい本音が口を突いて出る。
「そんなの当たり前よ。大切にしてもらいたいなら、努力じゃなくて結果で自分の価値を証明するしかない」
「そんな……だったら親子って何なの? 結果を出せなければ大切にしてもらえないなら、そんなの他人と変わらないじゃないか!」
そこまで勢いよく言い切ってから、ジェフリーはハッとしたように声のトーンを落とす。
「ごめんなさい……せつなお姉ちゃんは、自分の父上と母上に会ったこともないのに……」
せつなは全く表情を変えずに首を横に振る。親なんて、別に欲しいと思ったことも無いからだ。
「あなたこそ、結果を出さなくても大切にしてくれる、都合のいい親が欲しいだけなんじゃないの? 自分の身勝手な願望を押し付けて、家宝を持ち出して困らせるあなたに、ご両親を非難する資格なんてあるの?」
「僕のやっていることが……父上や母上と同じ?」
「あなたがご両親から嫌われているとしても、あなたがご両親を好きなら離れる理由はないはずよ。“思い通りにならない相手なら要らない”って意味では、同じでしょう?」
「違うよ! 僕はただ、僕の気持ちもわかってほしくて……」
「甘えないで。だったら家出なんかしないで、直接そう言うべきなんじゃないの?」
いつの間にか、周りのテーブルの顔ぶれが全て入れ替わっていた。ジェフリーはジュースのストローをくわえたまま、じっと考え込んでいる。そしてようやく口を離すと、今度は少し遠慮がちな口調で言った。
「せつなお姉ちゃんには、そんな風に思える大切な人がいるの?」
「ええ。命よりも大切な人がいるわ。その人は尊いお方で、直接話すことなんて許されない。だから結果を出さなければならないの。せめて――私を見ていただくために」
低い声でそう言ってから、今度はせつながハッとしたような顔で口をつぐむ。そしておもむろに席を立った。
ジェフリーが慌てて後を追う。彼にとって、こんな人間は初めてだった。
王子である自分の立場に、何の関心も持たない人。自分を王子ではなくて、あるがままの、ジェフリーとして見てくれる人。
いや――初めてじゃない、一人だけいた。昔、庭園で遊んでいた時に知り合った、“先生”と呼んでいる人。
せつなの言葉は、かつて“先生”がかけてくれた言葉とはまるで違う。それでいながら、同じくらいに心に響くものを感じる。ジェフリーは急いでせつなに追いつくと、隣に並んでその端正な横顔を見上げた。
一方、せつなはジェフリーとは全く違うことを考えていた。
食事をして、しばらく話し込んでしまったせいで、ラブと別れてからそれなりの時間が経っている。今までのデータから予測すると、もう少ししたらラブがナケワメーケを倒して戻ってくるかもしれない。
その前に、この少年の口止めをしておく必要があった。自分がラブを騙していることを黙っていてもらわなければならない。演技が見破られた以上、後は脅迫か懐柔しかない。そして直近の反応を見る限り、懐柔こそが適切と判断する。
「私が演技していたこと、ラブには話さないでほしいの。代わりにってわけじゃないけど、もう少し奢るわ。何か欲しいものある?」
「ホントっ? だったら僕、あれが食べてみたい!」
パッと顔を輝かせたジェフリーが指差したのは、駄菓子屋さんだった。ちょうど買い物を終えたばかりの兄妹が店から出て来て、美味しそうに水飴を口にしていた。
「いらっしゃい」
店に入ると、ちっとも歓迎してなさそうな声で店主のお婆さんが声をかけてくる。店内には可愛らしいお菓子が所狭しと並べられていて、ジェフリーが歓声を上げながら、キラキラした目でそれらを眺める。
「私が買える範囲でね。計算はしてあげるから、好きなのを選んでいいわ」
「うん!」
これにしようか? あれにしようか? と、ジェフリーは次々と目移りしながらお菓子を選んでいく。
「あんたら、この街の子じゃないね?」
不意に、お婆さんがふたりを交互に眺めてそう言った。せつなはわずかに警戒の色を見せる。
「よそ者には売ってもらえませんか?」
「そうは言っちゃいないさ。むしろ嬉しくてね。今日はサービスしてあげるから、好きなのを持っていきな」
ジェフリーは透明のビニール袋いっぱいのお菓子を詰めてもらう。
「こんなにいいの? ありがとう!」
光り輝くような無邪気なジェフリーの笑顔に、お婆さんの頬も緩みかけて、慌てたように、ふん! とそっぽを向いた。
せつなはお婆さんに気付かれないように、そっとため息をついた。自分の財布を痛めなければ、代償としての価値は無い。
貰ったお菓子を食べる場所を探して、今度は四つ葉公園に向かう。ついでにドーナツを買ってあげれば立派な口止め料になるはず――そう思い付いたのだが、出張でもしているのか、カオルちゃんのドーナツカフェはいつもの場所には無かった。
「このお菓子で十分だよ。せつなお姉ちゃんも一緒に食べよう」
「でも、あなたがいただいたものでしょ?」
「いいんだ。僕が一緒に食べたいんだから」
そう言って、ジェフリーは次々にお菓子を半分こにしてくる。これではあべこべだ。せつなは戸惑いつつ、無言でそれらを口に運んだ。
「どれも美味しいね!」
「……そうね」
「せつなお姉ちゃんは、こういうお菓子も初めてなの?」
「ええ、私の国には無かったわ」
「そっか~。僕の国にはあったはずなんだけど、食べさせてはもらえなかったんだ。僕達、似ているのかもしれないね」
そう言って、ジェフリーが明るく笑う。何だかこの子はさっきから、ずっと笑っているような気がした。特に優しくした覚えもないのに、むしろ厳しい言葉を口にしたはずなのに、すっかり慕われたことを不思議に思う。
もう懐柔する必要も無いだろう。信頼しきった笑顔を向けて、こちらを疑おうともしないところは、まるでラブを見ているようだ。
「さっきの話だけど……。せつなお姉ちゃんは、その人のために、結果を出すことができたの?」
「残念だけど、まだよ。あと一歩が届かなくて、あがいているってところかしら」
「そっか、上手くいくといいね。僕もせつなお姉ちゃんみたいに、頑張ってみようかな……。そうだ! 何かコツとかあるのかな?」
ジェフリーがそんなことを言い出して、期待に満ちた眼差しを向けてくる。そんな簡単な方法はない! そう思った時、ふと脳裏に浮かんだのは、まだ訓練生だった頃の光景だった。
どこにも味方の居ない絶望的な孤独の中で、希望を見失い、何度も挫けそうになった。その都度、いつか誕生する“その人”を思い浮かべて、その背中を追いかけた。
「想像するの――理想の自分を」
「理想の……自分?」
「ええ。私は私にしかなれない。あなただってそう。他人をうらやんでも他人にはなれない。だから理想の自分を想像するの。“その人”を追いかけるの。そして、その人になりきるの」
せつなは小柄で、他の幹部候補生よりもずっと非力だった。周りには、自分よりも力の強い者や、知力に長けた者が大勢いた。
そんな中で勝ち残ることができたのは、誰よりも強いメビウス様への忠誠心があったからだ。あの御方のお側でお役に立つ自分――理想の自分を思い描いて、努力し続けたからだ。
「理想の自分……。そうか、もしかしたら“先生”が教えてくれたことも、そういうことなのかな?」
少しの間考え込んでいたジェフリーが、何だか目を輝かせながらそんなことを言い出す。
「先生って……学校とかいう施設の?」
「ううん、昔、庭園で遊んでいた時によく話した人。その人はとっても面白くて、自由で、ものすごく強いんだ!」
「ふぅん」
さして興味がなさそうなせつなに、ジェフリーの方は身を乗り出して話を続ける。
「“先生”が言ったんだ。僕の身体の中には、未来って宝石がたっくさん詰まってるんだぞ、って。その時は、意味がよくわからなかったんだけど、もしかしたらその宝石って、理想の自分、ってことなのかな?」
「さあ……私はその“先生”とやらじゃないから、わからないわね」
せつながそっけない口調で答える。だが、ジェフリーの目の輝きは変わらない。
「僕、わかったよ。僕は、僕のことが好きじゃなかった。それなのに、父上や母上に好きになってもらおうなんて、虫が良すぎたよね」
ジェフリーはお菓子を全て食べ終えると、袋を丁寧に畳んで立ち上がった。
「ありがとう、せつなお姉ちゃん。僕、帰ることにするよ。ちゃんと父上と母上に気持ちを伝えて、そして認めてもらえるように、勉強も習い事も頑張る」
「そう――私も手間が省けて助かるわ」
どうでも良さそうな声で返事をすると、せつなも立ち上がる。そして次の瞬間、険しい表情で後ろを振り返った。
せつなの背後にざっと10人。左右と前方にも、ほぼ同じ数。黒ずくめの服に身を包んだ男達が姿を現し、こちらにゆっくりと近づいてくる。
「しまった……私としたことが、囲まれたのに気が付かないなんて。これはあなたの国の連中なの?」
「ううん。僕はこんな人達、見たことがない……」
総数40名の男達が、ジワジワと包囲網を狭めていく。せつなは一瞬、変身しようかと迷ったが、すぐにその考えを捨てた。
既にこの男の子には情報を与え過ぎている。この上変身まで見られたら、自分の計画が全て水の泡になってしまうかもしれない。かと言って、この子を置いて逃げることもできない。ラブに頼まれている以上、無事に家に帰さなければ信頼を失うことになる。
「いい? 私から離れないで」
「うん……」
ジェフリーは怯えた様子でせつなの背後に回る。しかし、せつなにしがみついたり服を掴んだりはしなかった。危機にあっても、冷静な判断を下せる子。せつなはまた一段階、この少年の評価を引き上げる。
男達は交渉をしてこなかった。する必要が無いと考えているのだろう。そして構えを取っても、男達に警戒を強めた様子は見られない。それはつまり、せつなを舐めてかかっているということだ。ならば先ず、連中の注意を自分に引き付けなければならない。
男達の輪が十分に狭まったと見て、せつなは少し前に出る。ジェフリーを巻き込まないためだ。それを合図に正面の男が飛び込んで来た。前傾姿勢から繰り出されるのは、アッパー気味のボディブロー。せつなはそれを服を掠めるくらいギリギリで回避して、がら空きになった鳩尾にフックを叩き込む。
少女の小さな拳が、大きな男の経穴に突き刺さる。横隔膜に張り付いた神経節に直接ダメージを与えられ、男はその場に倒れて痙攣した。その鮮やかな一撃で、全員の警戒レベルが一気に引き上げられる。バラバラだった彼らの動きが、一体の生き物のように連携していく。
(これで――1人)
せつなの大きく広げた視界の端に、左右から同時に殴りかかってくる男達の姿が映る。それを高速のスウェーとダッキングで回避した。きっと男達には、拳が身体をすり抜けたように感じられたことだろう。
そしてダッキングで屈んだ状態を利用して、男達のズボンの裾を掴んで持ち上げて、頭から転倒させる。せつなは立ち上がりざま、背後から掴みかかってきた男に肘を叩き込み、バランスが崩れたところを背負い投げで投げ飛ばした。
(2人――3人――4人――次!)
「せつなお姉ちゃん、凄い!」
「ジェフリー! 後ろっ!」
せつなの鮮やかな活躍に、思わずジェフリーが身を乗り出す。せつなが警告を発するが、既に遅かった。後ろから羽交い絞めにされて、ジェフリーが逃れようと懸命に足掻く。
「ジェフリーっ!」
駆け寄ろうとしたせつなが、まるで糸が切れたように、突然ガクンと崩れ落ちる。せつなの背後には一際大きな男が立っていて、彼女の頭部に拳を振り下ろしていた。
「お姉ちゃん! せつなお姉ちゃん! お姉……」
徐々に小さくなっていく声を聴きながら、せつなは意識を失った。
「うっ……痛ッ……ここは?」
起き上がろうとした途端、頭が割れるように痛んだ。ここはさっきと同じ、いつもならカオルちゃんのドーナツカフェがある場所だ。一体どのくらいの間、気絶していたのだろう。
ゆっくりと立ち上がって辺りを見回したが、ジェフリーの姿はどこにもなかった。黒服の連中に連れて行かれたと見て間違いない。早く助けに行かなければ……せつなは咄嗟にそう考えて、しかしすぐに否定する。
「私がラブに頼まれたのは、あの子の面倒を見ることだけ。襲撃なんて予想外の展開だし、これ以上守ってやる義理はない」
何より、こちらも頭を怪我しているのだ。あの子を連れ去られてしまったとは言え、ラブから謝罪や感謝の言葉を受けることはあっても、嫌われる道理は無いだろう。
「馬鹿馬鹿しい。もう帰ろう……」
そうつぶやいて、せつなは占い館のある方向に歩き出す。
一歩、また一歩、足が地面を踏む度に、頭にズキンと痛みが走る。そしてその度に、あの子の――ジェフリーの、自分の名を叫ぶ声が聞こえるような気がする。それが不愉快で、イライラして、ついにせつなは立ち止まった。
「助ける必要が……あるか無いかは関係ない。この私が一度は守ると決めた者を、奴らは勝手に奪っていった。それが――許せるのか? 貴様ら……一体誰に手を上げたと思っている!」
怒りの炎が身を焦がす。両手の拳を固く握り締め、ギリリと音が鳴るくらいに歯を食いしばる。
“制裁を加える”――それがせつなの、イースの下した決断だった。
「スイッチ・オーバー」
せつなは静かに変身すると、空間を開き、そこから半透明の端末を引き出した。それは占い館のコンピューターと繋がっていて、ここら一帯の監視カメラのデーターをハッキングできる。
「……見つけた。この落とし前――高く付くぞ!」
場所は十数キロ離れた、海沿いに立ち並ぶ倉庫街。イースは身を翻すと、風のような疾さで駆け出した。
目的地に到着すると、イースは物陰に隠れて辺りの様子をうかがった。あちこちに立っている見張りの数から察するに、男達の人数はさっきの数を上回るようだ。
ジェフリーの姿はどこにも無い。おそらく見張りの一番多い倉庫の中――そう推察して、イースは変身を解除する。せつなの姿でフラフラと歩いて、見張りの手前で倒れるように座り込んだ。
「お前、確か王子と一緒にいた女だな? どうやってここを知った!」
見張りが集まってきてせつなを取り囲む。その間に、せつなは素早く全員の装備に目を走らせる。
最初にやりあった時もそうだったが、武装はしていないらしい。王子を殺傷する意図が無いことと、あとはボディチェックを逃れるため。つまり侵入と逃走をやりやすくするためだろう。
「お願いっ! 私はどうなってもいいから、あの子に、ジェフリーに会わせて! なんなら私が人質になってもいい。とにかく、あの子の無事を確認させて!」
せつなはあえて質問には答えず、必死の形相を演じて懇願する。黒服達もせつなの要求には答えず、互いに目配せして周囲に目を光らせた。
おそらく警察の囮捜査を疑っているのだろう。やがて近くに誰も居ないことを確認すると、男達はせつなの両腕を捻って背中で合わせ、特殊なガムテープを巻いて拘束した。
「お前では王子の代りは務まらないが、ここを見られた以上、このまま帰すわけにはいかない。一緒に来てもらうぞ」
一人の男が、せつなの髪を無造作に掴んで立たせ、引きずるようにして歩き出す。しばらくして辿り着いたのは、さっきせつなが目を付けていた一番大きな倉庫だった。中には執事服を着た豊かな髭を蓄えた男が、大勢の黒服を従えるように立っていて、その前にジェフリーの姿がある。
「せつなお姉ちゃん! おい、ゴードン! せつなお姉ちゃんを放せ!」
せつなを見たジェフリーが叫ぶ。せつなと同様に腕は縛られているが、特に怪我は無いようだ。せつなが髪を掴まれたままなのに激昂して、ボスらしい執事服の男に歯を剥いて抗議する。ニヤリと笑う男の指示で、突き飛ばすような形で、せつなの髪を掴む手が離された。
せつなはジェフリーに目配せして、自分に駆け寄って来るのを止めると、ゴードンと呼ばれた男に問いかけた。
「この子をさらったのはなぜ? 何が目的なの?」
「ふん、教えてやろう。一つは、これだ」
ゴードンが、ジェフリーから取り上げた宝石を見せびらかす。子供の拳ほどもあるその巨大な石は、“ポセイドンの冷や汗”と呼ばれ、古くからメクルメク王国に伝えられてきた国宝だという。
ジェフリーには、両親が大切にしている家宝という認識しかなかったようだが、それは人々を幸せにする宝石という伝承まで持った、値段など付けられない秘宝中の秘宝だった。
「それなら用は済んだでしょう? この子は解放して!」
「そうもいかん。この国の警察は優秀だからな。その唯一のウイークポイントが、人命を尊びすぎることだ。だから、人質は実に有用なのだよ」
「あとは、王子を盾にして身代金を奪おうって魂胆かしら?」
せつなの赤い瞳が、男の腹の中を見透かすように光る。
「その通りだ。あの王と王妃は実のところ子煩悩でね。息子に厳しいのも愛情の裏返しってヤツだ。吹っかければいくらでも払うだろうよ」
「聞いた? ジェフリー。良かったわね」
そう言って、せつながフフッと不敵に笑う。
「何が可笑しい!」
その態度が気に入らなかったのか、ゴードンはつかつかとせつなに近付くと、いきなりその頬を張り飛ばした。
腕を縛られているせつなは受け身すら取れず、したたかに床に頭を打ち付ける。暴行はそれだけでは収まらず、今度はゴードンがせつなの髪を掴んで、固い靴底で頭を力いっぱい踏みつけた。
せつなはグッと悲鳴を堪える。その時、見かねたジェフリーがゴードンの足に思い切り噛みついた。
「痛ってぇ。何しやがる、このガキッ!」
ゴンっという音がして、ジェフリーがその場に崩れ落ちる。せつなの位置からは見えなかったが、頭を力いっぱい殴られたのだろう。
「ボス! いけません。もしこのガキに何かあったら、今後の計画が……」
「フン、手加減はしてあるから死にはせん。それより、この女の処遇だが……」
ゴードンがそう言って、もう一度せつなの髪を掴んで顔を上げさせる。
「なかなか綺麗な顔立ちをしているな。コイツも売れば金になりそうだ。ヘリに積んでいくぞ」
せつなは、つまらないものを見るように男の顔を眺めてから、ジェフリーに視線を移す。そして、彼が完全に意識を失っていることを確認すると、突然大声で笑い出した。
「フフ、フフフ。あははは……!」
「何だ? コイツ。気でも狂ったか?」
「気でも狂ったか、だと? 誰に向かって口を聞いている? 虎の尾を踏んだことにも気付かぬ、愚かな人間どもよ!」
「な……なにぃっ!?」
再び激昂しかけたゴードンが、怪訝そうな顔で動きを止める。
倉庫内にこだまする、ミチッ、ミチッという不気味な音。それが何の音なのかわからないうちに、今度はバチン! という大きな音がした。そこでようやく男達が音の正体に気付く。だが――もう遅かった。
力づくで引き千切られたガムテープの残骸が宙を舞う。そして次の瞬間、せつなは自分の髪を掴んでいたゴードンの腕を捻り上げていた。
「痛タタタッ――クソッ、放せッ!」
ほっそりした小娘の身体の、どこにそんな力が眠っているのか? ゴードンは悪戦苦闘しながら、ようやくせつなの腕を振りほどく。
その時にはもう、せつなの両手は胸の前で組まれていた。
両手で拳を握り、そして合わせ、グリッ――グリッと捻った後、大きく左右に開く!
“スイッチ・オーバー”
変身――生まれて初めて目にする奇跡に、その場の全員が息を呑む。瞬きするほどの間に、可憐な少女が、恐るべき戦士に姿を変える。
艶やかな黒髪は、月の光を封じ込めたような、煌めく銀の輝きを湛える。女の子らしいカジュアルな服装は、黒と赤を基調にした、凶暴さを感じさせる戦闘服に姿を変える。
しかし、本当に変わったのは容姿ではないことを――彼らもまた、戦いに身を置く者だからこそ、敏感に感じ取っていた。
目の前に立っているのは――正真正銘の化け物なのだと。
「お……お前は……何者だ!?」
「我が名はイース。ラビリンス総統、メビウス様がしもべ」
おそらく腰を抜かしたのだろう。座ったままでズルズルと後ずさるゴードンに対して、イースは高らかに名乗りを上げる。
そして片手でゴードンの胸倉を掴むと、まるで赤子のように高々と持ち上げた。
「ボスを――放せ! 化け物め!」
ようやく我に返った黒服達が、イースに一斉に襲い掛かる。それまでは無手を貫いていたのに、全員が鉄材などの得物を持って。
ガキンっという音がして、黒服達の手から武器が落ちた。その内のいくつかは、まるで鉄の塊でも殴ったかのように、折れたり曲がったりしている。
「ヒィィィ――!」
ゴードンがなんとかイースから逃れようと、バタバタと足をバタつかせて暴れる。そのはずみで、ポロリと大きな宝石が床に転がった。
イースの関心がそちらに移り、まるでゴミのように、ゴードンをポイッと投げ捨てる。
「これがメクルメク王家の秘宝、“ポセイドンの冷や汗”か。国民全員を幸せにするアイテムとは面白い。これを素体にしたら、ウエスターやサウラーにも負けないナケワメーケが作れるはず」
“ナケワメーケ・我に仕えよ!”
イースは宝石を宙に投げると、赤いダイヤを飛ばして突き刺した。ダイヤの刺さった宝石は見る見る大きくなって、鉱石の身体を持つ化け物へと姿を変える。
あっという間にその頭部が倉庫の天井を突き破り、腕の一振りで倉庫の壁が吹き飛ぶ。
悲鳴を上げながら、蜘蛛の子を散らすように逃げていく黒服達。イースはもうそんな男共には目もくれず、気を失ったジェフリーを肩に担ぐと、一跳びで外へ出た。半壊した倉庫の壁にもたれかけさせるように、そっとジェフリーを座らせる。
「ジュエール!」
鉱石の身体を持った巨人型のナケワメーケは、まるでおもちゃか何かのように、倉庫街をなぎ倒していく。
「思った通り、強力な素体だったな。よし、ナケワメーケ! ここはもういい。街に繰り出して不幸のエネルギーを集めろ!」
「ジュエール!」
イースの指示を受けて、ナケワメーケが街のある方角に進路を変える。その時――
“トリプル・プリキュア・キィーーーック!!!”
ピンク・ブルー・イエローの三色の閃光が、光の矢となってナケワメーケに突き刺さる。
プリキュア3人による渾身の飛び蹴りを受けて、ナケワメーケがたたらを踏む。しかし、それでもその身体には、傷一つ付いていなかった。
「フフフ、こんなに早くプリキュアが現れるとは計算外だったが、いいぞ! なんという耐久力だ。そのまま踏み潰せ! ナケワメーケ!」
「ジュエール!」
鋼鉄をも遥かに上回る硬度を備えたナケワメーケが、プリキュアを標的に絞ってその力を振るう。
前代未聞の耐久力はもちろんのこと、その攻撃力も圧倒的だった。これまで力不足に悩んでいたイースにとっては、まさに望んでいた力だ。
「わぁっ!」
「ああっ!」
「きゃぁっ!」
「ジュ、エーーール!!!」
「う、動けない……」
全員を地面に叩き付け、ナケワメーケは巨大なクリスタルの礫を放って足止めする。プリキュアは鉱石の牢獄に囚われ、一切の身動きが取れなくなる。そして、ナケワメーケがトドメを刺そうとした時だった――
倉庫街の中から紫色のスーツを着た一般人が現れ、信じられないことに、プリキュアの加勢に入った。
「ヘイ! プリキュア! 宝石ってのは、一カ所を一定方向に同時に力がかかると割れやすくなるものなんだ。ソイツのウィークポイントは……ここだァ――ッ!」
謎の一般人――いや、カオルちゃんがナケワメーケに飛び蹴りを入れる。生身では考えられない高さで、生身ではありえない威力で、人間には考えられない精度で。
ピシリ、と音を立てて、ナケワメーケの身体にヒビが入る。
「今だッ!」
カオルちゃんの合図に応えて、キュアピーチがリンクルンのホイールを回す。愛の妖精ピルンが飛び出して、クルクルと舞い踊る。
“届け! 愛のメロディー! キュアスティック、ピーチロッド!”
「悪いの、悪いの、飛んで行け! プリキュア! ラブ・サンシャイン・フレッ――シュ!」
ピーチロッドから放たれた光が、巨大なハート型のエネルギーとなってナケワメーケを包み込む。
シュワ・シュワーという、なんだか幸せそうな断末魔の叫びを残して、イースのナケワメーケは砕けた宝石に姿を変えた。
「クッ、またしても邪魔が入ったか。しかし、カオルちゃん……奴は一体、何者だ……」
ふと、さっきのジェフリーの言葉が耳に蘇る。――その人はとっても面白くて、自由で、ものすごく強いんだ!
「……まさか、な」
イースはまだ痛む頭を押さえながら、その場から姿を消した。
そこから先は盛大な逮捕劇だった。どうやら警察を呼んだのは、どこでどう聞き付けたのか、カオルちゃんであったらしい。
逃走用に使われるはずのヘリは、着陸後すぐに航空警察隊に確保され、総数百名を超える黒服達は、その多くが保護を求めるかのように、率先して警察に投降した。
ボスのゴードンもまた、ガックリとうなだれて、手錠をかけられて護送車に乗せられる。
しばらくして、数台のパトカーに護られて、メクルメク王国の王と王妃も現場に姿を見せた。既に、カオルちゃんによって保護されていたジェフリーが駆け寄る。
「父上、母上、勝手なことをしてごめんなさい。それに、家宝の宝石が……」
ジェフリーは、砕けてしまったポセイドンの冷や汗を、申し訳なさそうに、恐る恐る父に差し出す。
「いいんだ、ジェフリー。お前さえ無事で居てくれたなら、宝石など少しも惜しくはない。今回のことは、お前の気持ちをわかってやれなかった私達の責任だ」
「愛しているわ、ジェフリー」
「父上……。母上……」
抱き合う親子の姿を、カオルちゃんと、ラブ達と、そして――離れたところから、フラフラと現れたせつなが見守った。
「って、せつなっ! どうしてここに? えっ、もしかして怪我してるの!?」
ラブがビックリして大声を上げる。その声を、両親と抱き合っていたジェフリーが聞き付けて、ラブの方に向き直った。
「あのね! せつなお姉ちゃんは、悪い奴らにさらわれた僕を助けるために、一人でここまで来てくれたんだ。それであいつ等にひどい事されて……」
「本当なの! せつなっ!?」
ラブはもちろん、美希や祈里も心配して声をかける。
「平気よ。頭を少し殴られただけ。傷も大したことないわ」
「そんな……頭を殴られたなんて、大変じゃない!」
「そうよ、すぐにお医者様に見せないと!」
「だったら、ジェフリーを病院に連れて行って。あの子も頭を殴られていたから。私は本当に平気よ」
王と王妃からの治療と謝礼の申し出を丁重に断って、せつなはラブの方へと向き直る。
「ごめんなさい、ラブ。私はもう戻らなければならないの。約束の埋め合わせ、忘れないでね」
「それはもちろんだよ! でも、本当に大丈夫なの?」
「ええ」と無理に笑顔を作って、せつなが踵を返す。その背中に――
「せつなお姉ちゃん! 色々ありがとう! 僕、頑張るよ! 僕は、理想の僕になる。父上にも、母上にも、先生にも、そして、せつなお姉ちゃんにも認めてもらえる僕に、きっとなるから!」
大声でそう宣言するジェフリーに、せつなは一度だけ振り向いて小さく笑うと、何も言わずに立ち去った。
ジェフリーは、せつなの姿が見えなくなるまで、いつまでも手を振り続けていた。
ズキン、ズキンと痛む頭を押さえながら、せつなは占い館の扉を開く。
「おう、帰ったのかイース。ってどうした!? 頭に怪我をしてるじゃないか! 誰がやったんだ!」
「うるさい! 黙れ!」
ただですら頭が痛むのに、耳元で大声で怒鳴られては堪らない。せつなは怒鳴り返し様に、ウエスターの脛を思いっきり蹴飛ばした。
「痛ったぁ! 何をするんだ、イース!」
「だから黙れと言っている! そもそも私がこんな目に遭ったのは、全てお前のせいだ!」
「え~、うっそぉ!」
ひとしきりウエスターに文句を言うと、せつなは頭の手当てをして、自室のベットに倒れ込んだ。ただの打撲であることはとっくにスキャン済みだが、生身の損傷の回復には少し時間がかかるだろう。
目を閉じると、今日出会ったジェフリーの笑顔が浮かんだ。キラキラと輝く、翡翠色の瞳がこちらを見つめる。そんな笑顔を自分に向けた人間は、ラブに続いて二人目だった。
「散々な一日だった……」
そうつぶやくと同時に、せつなは深い眠りに落ちていく。不運を訴えるその言葉とは裏腹に、その口元をわずかに綻ばせて……。
緩やかに上下する彼女の胸の上では、消し忘れた蛍光灯の光を反射して、幸せの素のペンダントが微かな光を放っていた。
最終更新:2020年02月22日 11:08