「True Relife」/ゾンリー
「家出をするのです!」
昼下がり、程よく暖房の効いた教室内でえみるちゃんは私――野乃ことりに話しかけてきた。
「……ほぇ?」
眠たくなるような授業を終えたばかり。言葉の意味を理解するまで、数秒。
「……家出!?」
思わず叫びかけた自分の口を咄嗟に塞ぐ。幸いにも一年A組の教室内は騒然としていて誰も気に止めていないようだった。
「と、とにかく放課後ゆっくり教えてよ」
えみるちゃんの表情は決して「またまたー」と笑い飛ばせるようなものでなく、至って真剣だった。
今日最後の授業は移動教室。もやもやした気持ちを抱えながら、私は誰もいなくなった教室に鍵をかけた。
・
私たちが中等部に進学して八ヶ月。それなりにえみるちゃんの事を見てきたし、仲良くしていたつもりだった。
一緒に勉強して、一緒におしゃべりして、時々歌の練習に付き合って……だから、あんな顔をしたえみるちゃんを見てるのは辛かったし、なんとかしてあげたいとは思う。
(思う……けど……)
そんなことを考えてるうちに、えみるちゃんが中庭にやってきた。
「お待たせしたのです」
「ううん。気にしないで。……それで、どうしたの?」
えみるちゃんは「二人だけの秘密」と前置きして、語り始めた。
「別に、学校が嫌になったとか、家族と喧嘩したとか、そういう訳じゃないのです。ただ……ぽっかりと穴が空いたような気がして」
その穴がなんなのかは、考えずとも理解出来た。
「……」
急に寒気がして、マフラーを首に巻く。冷たい風が吹いている中、えみるちゃんは防寒具も付けずに、ただただ虚空を見つめていた。
「それで、家出?」
「はい!もう家出するとお母様達にも言ってあるのです! 確固たる意思なのです」
「うん……うん?」
確固たる意思。それは分かる。あれ?家出って家族に言うものだったっけ?
「……?……もしかして……家出ってこっそりやるものなのです!?」
「世間一般的にはそうだと思うけど」
「にゃんとおおおおおおおお!」
そう驚くえみるちゃんを見て、私は表情を少しだけほころばせた。
(それでも……だよね)
彼女が喪失感に苛まれているのは間違いない。何か、何か救う方法はないかと必死に思考を巡らせる。
思いつくや否や、私は口に出していた。
「えみるちゃん、私も家出する!」
口元を覆っていていただけのマフラーが外れ落ちる。
「そんなつもりじゃ!」
「ううん。頼ってくれたのが、嬉しかったから。少しでも力になりたいの」
「ことりちゃん……」
果たして、これが正解なのかは分からない。それでもきっと、お姉ちゃんならそうすると思った。
「ねえ、せっかくなら家出ついでにキャンプしようよ。近くの公園がね、キャンプ場として営業してるらしいんだ」
そう提案したのは、私の意思。家出といえど夜の町中に子供だけで出歩くのは憚られるから。
「はい!」
「じゃあ決まりだね!」――
・
こうして始まった私たちの家出(?)計画。
食材類はえみるちゃん。その他の用具は私が調達することにした。
……ということでやってきたのは毎度おなじみハグマン。
「いーなーことりー。えみると二人でキャンプなんてー」
「だからこうして買い出しに連れてきてあげたんでしょ」
私とえみるちゃん、二人だけの秘密ということで、家族にはキャンプに行くとだけ伝えてある。お姉ちゃんには楽しいキャンプなんだろうけど、これはえみるちゃんを救うための大事なミッションなんだ。
「そうだけどー」と不満げな姉の隣で、私は口を真一文字に結びエレベーターの上ボタンを押した。
「……おねえちゃん」
「ん? どうした?」
エレベーターは私たちだけを乗せて上へ上へと上っていく。
「もし、さ……ううん。やっぱり何でもない」
なんだか、お姉ちゃんに頼るのは違う気がして。私はなんとか話題をそらしながら、エレベーターが止まるのを待った。
「ことり」
エレベーターが減速して、到着のアナウンスが鳴る。
「よく分かんないけどさ、きっと、大丈夫だよ」
ああ、やっぱりお姉ちゃんには敵わないな。ため息を一つついてから、私はエレベーターを降りた。
「みてみて! 大っきい寝袋!」
「二人ぐらい入っちゃうよそれー」――
・
そして、ついにやってきた実行当日。空は雨こそ降っていないものの分厚い雲が覆い、待ち合わせの三十分前に来ていたえみるちゃんの表情はやっぱり曇っていて、とても能天気に世間話を出来るような感じでは無かった。
「ことりちゃん、おはようなのです」
「もう、お昼だよ?」
「そ、そうだったのです!アハハハ……」
「……」
空元気、かぁ。えみるちゃんの優しさだとは分かっていても、もう少し頼って欲しいなと思ってしまう私がいて。
(弱気になっちゃダメ!これからが本番なんだから!)
自分に喝を入れて、それじゃ行こ!と歩き出して数分。たどり着いたのは周囲に木々が生い茂る川のほとり。
四苦八苦しながらもテントを骨組みから組み立てていく。
「「せーのっ!」」
骨組みの上からシートを被せれば、あとは結ぶだけ。思ったよりも早い完成に、私たちは暇を持て余した。空はまだ赤くなる気配を見せず、ただただ灰色の雲が晴れも雨降りもしないで無機質に覆っていた。
「……」
流れる沈黙。このままじゃいけないと無理矢理話を振ってみる。
「えみるちゃんは、何持ってきたの?」
以前、ハイキングに来たときとは打って変わって、えみるちゃんの荷物は必要最低限、といった感じだ。
「カレーの食材なのです!」
次々とリュックから取り出していくのは、カレーのルーに無洗米、にんじんなどなど……もちろん、石橋をたたくような金槌は入っているわけがなく。
「あとはマシュマロ!マシュマロも焼くのです!スーパーの精肉コーナーに置いてあったのです」
リュックの袖から取り出したのは丁寧に個包装されたマシュマロ……マシュマロ?
「それ、牛脂じゃない?」
「なっ!?」
「そんなに驚かなくても……」
いつものえみるちゃんとは違うというもどかしさを感じつつも、それからは他愛のない話で盛り上がる。担任の先生の面白話だったり、気になる男子がいるか~なんて話だったり。
えみるちゃんも笑顔で答えてくれたけど、どうも私の表情を見ると、どことなく笑顔が曇ったような気がした。
「そろそろ、用意し始める?」
ここで巻き返さなきゃと座っていた椅子から飛び上がる。そんな私の焦燥感を煽るように空は仄かに赤く染まり、足早に灰色の雲が流れていっていた。
今回作るのはキャンプでは定番のカレーライス。
家で作るのとはまた違って、簡易コンロはお鍋が安定せず、分量だって計量カップがないから目分量だ。それでもおいしいものを食べてほしいと躍起になって鍋とにらめっこ。
「私も何か手伝うのです!」
「ううん。えみるちゃんは座っててよ」
コトコトと煮立ってきた鍋にルーを入れて、もうしばらく煮込む。
「できたっ」
空の明るさは疾うに消え去り、持ってきたランプとえみるちゃんが別に起こしたたき火だけが、唯一の明かり。
「「いただきます」」
恐る恐る、一口目を口に運ぶ。
「うっ……焦げてる」
底の方で混ぜ損なったのか、にんじんの風味を損なう苦みが口全体を覆った。幸いえみるちゃんは焦げたとこには当たらなかったらしくおいしいと笑顔で完食してくれた。
食べ終わった食器やらなんやらを片付けて、寝袋にホッカイロを入れれば寝る準備は完了。
それでも寝るのが惜しくて、私たちは寒空の下でもう一度焚き火を囲んだ。
「キャンプファイヤーみたいなのです!」
「ほんとだね」
流れる、沈黙。
「……ことりちゃん、今日はありがとうなのです」
「気にしないでってば。……私の方こそごめんね、何も、してあげられなくて」
自分の無力さが憎くて、無意識の内に下唇を噛み締める。薪の炎が握りしめた拳を強く、強く熱していく。
「私は、ル……あの人の代わりにはなれない。分かってる。分かってるんだけど……っ!」
ああ、えみるちゃんが泣きそうな表情をしている。そうだよね、ルールーの名前は出さない方が良かったよね。
あれ?どうして、泣きながら笑っているの?
私の火照った拳を、えみるちゃんの冷たい手が優しく包み込む。
視界がぼやけて、えみるちゃんの顔がよく見えない。途端、抱きしめられて、涙がえみるちゃんの服に吸い込まれていった。
「ことりがそんな顔してたら、安心して悩めないのですっ……」
ゼロ距離で、すすり上げる声が響く。
「えみ……る……」
ダメ、私がなんとかしないと。そんな堤防はいとも簡単に決壊し、感情がとめどなく泣き声となって流れていく。
どうにも形容できない感情が流れていく中で、彼女に必要なものが何となくわかった気がした。
燻った薪の焦げたにおいで目を覚ます。
あの後一緒の寝袋で寝たおかげで、全くと言っていいほど寒さを感じることはなかった。
テントの隙間から差し込む光は、まだ朝には程遠い明るさで。
「んむぅ……」
「ごめん、起こしちゃった?」
「ことりー……」
もぞもぞと顔を寝袋内部へと埋め込んでいくえみる。
「ふふっ、……これで、いいんだよね」
私は本当の安心を噛み締めながら、もう一度微睡みに身を任せることにした。
最終更新:2020年07月23日 13:01